適当に思いついた架空鉄道の車両スペック書いてく最終更新 2025/10/09 15:011.名無し野電車区AUKfvそのまんま2025/08/12 09:28:197コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.名無し野電車区AUKfvとりあえず書いてく4000系4900形1955年に作られた急行形直流電車の試作車先に製造された4000系近郊形電車とスペックが近いため形式が変わらない製造は1955年の7両と1960年の2両のみである編成 (1955年)←新潟 McTMTcTcMTc 長岡→ (1960年)←新潟 McTMTMTcTcMTc 上野.長岡→2025/08/12 09:38:253.名無し野電車区xhlng「ウソ電」でいいだろ0系38形「マウント富士」問題を抜本的に解決するため、急きょ製造された一部2階建て食堂車床下設備の変更はほぼできなかったため、北側に通路を設け、食堂側窓底辺を通路天井より高くすることで解決した通路高さを1800mm空調設備等を床上配置にしたため、座席数は各1テーブルずつ減って36名また、重量の関係で片側台車は0系初めてとなる付随台車を設置。非常・緊急・速度30km/h以下以外は作動指令をカットする機能が付いている通路側と分離されているため、36形ではマウント富士化で問題となった通路客からの視線がほぼなくなり、食堂利用客からは好評だった2025/08/12 22:58:494.名無し野電車区mqhY1架空鉄道の車両のスペックを書くところだから4900形は一時期急行[雪国]として上越線を駆け新宿に乗り入れていた4900形の新宿乗り入れ時代の編成新潟←McMTMMMcPcPcPcMcTMMcMc→ 新宿2025/09/22 23:21:475.名無し野電車区necMsキハ80形800番台非貫通運転台のキハ81形が運用に支障をきたしていたことから、キハ82形200番台としてキハ82形と同一化するためだった売店撤去して客室を広げたため、8席分増え48席しかし、北海道用の10両編成への転用が決定したため、運転台は回送運転台程度にとどめ、発電用エンジンは床上移設として改造経費が大幅に圧縮されたことから、キハ80形800番台へ改番・改造が決定なお、発電用エンジンは高さ制限がなくなるため、横型のDMH17H-Gから整備しやすい縦型のDMH17S-Gへ変更昭和47年3月より逐次改造されて、6月からは一時的に函館区のキハ82と交換および「ひたち」運用を青森区の485系へ肩代わりして、9月までに全車改造完了函館区では昭和47年3月のダイヤ改正より10両編成運用を開始して、いつでもキハ80形800番台を組み込める体制を整えた6月上旬に1両目となるキハ80 802(元キハ81 2)が配備され、10月1日に最後の801と806が配備された函館0455-1D→1455釧路(1635-8014D→2235札幌)(札幌0700-8013D→1253)釧路1420-2D→0020函館函館1140-5D→2147釧路釧路0910-6D→1930函館キハ80形800番台6両 秋田→函館 キハ82形3両 函館→札幌 キハ82形2両 函館→和歌山(同2両は昭和48年9月札幌へ)(キハ82形1両 向日町→和歌山)(キハ82形3両 秋田→和歌山)キハ183系試験導入となる昭和55年10月ダイヤ改正までほぼ固定運用されたものの、他区でキハ82が余剰になっていたため基本+増結で統一することになり、車両統一化の観点からも同ダイヤ改正にて運用離脱して廃車2025/10/02 22:41:266.名無し野電車区yXRXB新潟電気鐵道2000形交直流寝台電車1930年製造された豪華寝台直流電車、1945年8月16日に連合軍の接収を逃れるため旧下長岡貨物線車庫に疎開、そのまま戦後の混乱で忘れられる、1960年車庫解体前の調査で発見、その後検車区に移動、1961年修復開始、1965年修復交直両用化完了しばらく新潟〜上野〜熱海〜大阪間の寝台特急に使用、1987年運用を札幌まで延長、2015年北海道新幹線開業により定期運行から引退、現在クルーズトレインとして現役2025/10/09 14:56:527.名無し野電車区yXRXBオマケ新潟電気鐵道2000形交直流電車寝台特急「ジパング」編成(定期、クルーズトレイン)大阪←McMcTMTMTMTcMTMc→札幌2025/10/09 15:01:28
1997年「従軍慰安婦のことを教えるな」と言い始めた「新しい歴史教科書をつくる会」…日本が犯した侵略戦争や植民地支配を知らない恥ずかしい大人が増えている理由ニュース速報+478649.92025/10/12 04:42:09
4000系4900形
1955年に作られた急行形直流電車の試作車
先に製造された4000系近郊形電車とスペックが近いため形式が変わらない
製造は1955年の7両と1960年の2両のみである
編成 (1955年)
←新潟 McTMTcTcMTc 長岡→
(1960年)
←新潟 McTMTMTcTcMTc 上野.長岡→
0系38形
「マウント富士」問題を抜本的に解決するため、急きょ製造された一部2階建て食堂車
床下設備の変更はほぼできなかったため、北側に通路を設け、食堂側窓底辺を通路天井より高くすることで解決した
通路高さを1800mm
空調設備等を床上配置にしたため、座席数は各1テーブルずつ減って36名
また、重量の関係で片側台車は0系初めてとなる付随台車を設置。非常・緊急・速度30km/h以下以外は作動指令をカットする機能が付いている
通路側と分離されているため、36形ではマウント富士化で問題となった通路客からの視線がほぼなくなり、食堂利用客からは好評だった
4900形は一時期急行[雪国]として上越線を駆け新宿に乗り入れていた
4900形の新宿乗り入れ時代の編成
新潟
←McMTMMMcPcPcPcMcTMMcMc→
新宿
非貫通運転台のキハ81形が運用に支障をきたしていたことから、キハ82形200番台としてキハ82形と同一化するためだった
売店撤去して客室を広げたため、8席分増え48席
しかし、北海道用の10両編成への転用が決定したため、運転台は回送運転台程度にとどめ、発電用エンジンは床上移設として改造経費が大幅に圧縮されたことから、キハ80形800番台へ改番・改造が決定
なお、発電用エンジンは高さ制限がなくなるため、横型のDMH17H-Gから整備しやすい縦型のDMH17S-Gへ変更
昭和47年3月より逐次改造されて、6月からは一時的に函館区のキハ82と交換および「ひたち」運用を青森区の485系へ肩代わりして、9月までに全車改造完了
函館区では昭和47年3月のダイヤ改正より10両編成運用を開始して、いつでもキハ80形800番台を組み込める体制を整えた
6月上旬に1両目となるキハ80 802(元キハ81 2)が配備され、10月1日に最後の801と806が配備された
函館0455-1D→1455釧路(1635-8014D→2235札幌)
(札幌0700-8013D→1253)釧路1420-2D→0020函館
函館1140-5D→2147釧路
釧路0910-6D→1930函館
キハ80形800番台6両 秋田→函館
キハ82形3両 函館→札幌
キハ82形2両 函館→和歌山(同2両は昭和48年9月札幌へ)
(キハ82形1両 向日町→和歌山)
(キハ82形3両 秋田→和歌山)
キハ183系試験導入となる昭和55年10月ダイヤ改正までほぼ固定運用されたものの、
他区でキハ82が余剰になっていたため基本+増結で統一することになり、車両統一化の観点からも同ダイヤ改正にて運用離脱して廃車
1930年製造された豪華寝台直流電車、1945年8月16日に連合軍の接収を逃れるため旧下長岡貨物線車庫に疎開、そのまま戦後の混乱で忘れられる、1960年車庫解体前の調査で発見、その後検車区に移動、1961年修復開始、1965年修復交直両用化完了しばらく新潟〜上野〜熱海〜大阪間の寝台特急に使用、1987年運用を札幌まで延長、2015年北海道新幹線開業により定期運行から引退、現在クルーズトレインとして現役
新潟電気鐵道2000形交直流電車寝台特急「ジパング」編成(定期、クルーズトレイン)
大阪←McMcTMTMTMTcMTMc→札幌