延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。 ^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246. 滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。 ^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246. 滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
お前のこの記述がおかしいんだよ 延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した 醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。 これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。 ^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246. 滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
>>544 延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。 ^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246. 滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
どこまで遡れば伝統?って話だし
時代に合わなくて廃れたもんもいっぱいあるでしょ
伝統はその時代に生きた国民が作るもんだよ
その真偽はさておき、
海外の人も墓参りはするだろ…。
なんか墓参りで日本の伝統なんて言い出すの、
焼肉は韓国発祥って言ってるのと同レベルっぽく感じられて恥ずかしいわ。
たぶん発言者がその程度の人なんだと思うけど。
二度と行かん
それ以前は?w
研究者というよりは記事書いている奴がアホなんやないの?
島村恭則教授の主張「一般庶民が石塔型の墓を持ち、そこをお参り対象とするようになるのは江戸時代前後から」という点は、墓制史・民俗学・葬送史の通説として妥当性を持つものと言えます。ただし「江戸時代前後」という表現には幅があり、地域・階層差を含意する必要があります。
「両墓制」モデル(埋葬地と参拝墓とを分ける形式)の存在は確かに認められており、香川大学報告などの調査例では島村氏が言うような構造が確認されています。ただしその起源・普及時期・理論的根拠(穢れ観念との結びつき)については、まだ仮説・議論の余地が残る部分が多いです。
したがって、島村説は「通説として有力な仮説を整理したもの」と評価できますが、「すべての地域で常に当てはまる歴史的事実」として断言するには慎重さが求められます。
「一般庶民は墓石を持たなかった」あるいは「参拝対象の墓を持たなかった」というほど断定的に表現すると、地方・地域差や階層差を見落とす危険があります。たとえば地方豪農や有力農家・富裕な庶民層には、中世でも屋敷墓・家墓を設けていた例が一定程度あった可能性があります(ただしそれが「石塔を参拝墓」として機能していたかどうかは別問題)?
おはかんり
+1
また、遺体を埋葬した後に「それっきり何もしない」という慣行が地域的にあったとしても、「霊魂観・再生観」がそれを正当化したという説明は、宗教・思想史・民俗学的な仮説の範囲にとどまるもので、直接の史料証拠が明確とは言えません。
墓石や石塔以外の参拝対象(たとえば板碑、卒塔婆、供養塔、石標など)を用いて先祖や死者を祀る慣行は、墓石以前からあった可能性があります。つまり、「お墓参り」をする対象が必ずしも「石塔」型墓石とは限りません。
墓制・葬送習俗には地域差が非常に大きく、両墓制・単墓制・参り墓・埋葬地分割などのバリエーションがあり、島村説が述べる「ある地域型の慣習」がすべての地域に当てはまるとは言えません。
そうやって関係ない韓国を持ち出してディスるのは日本の文化ですか?
海外もやってるから日本の伝統文化ではないというのは間違いです。墓参りはれっきとした日本の伝統文化です。
ああいうのは平たい土地もなく固い地盤があるとこで発達し埋葬法だから特殊だよ
あほか
両墓制の起源は不明とされる研究が多く、「いつ始まったか」を特定する史料は乏しいという立場が多いです。香川大学報告なども、「起源は不明」と明記しています。?
香川大学
両墓制が見られる地域は限定的で、全国的な慣習ではないため、島村説のように「お墓参り一般論」にその構造を当てはめるのは地域の慣習を一般化しすぎる危険性を含みます。?
羽出市役所
+3
日本葬祭アカデミー教務研究室
+3
お墓・霊園探しならライフドット
+3
「埋葬地には穢れがあるから参らない」という説明も、伝承や民俗説話に見られる理論的解釈の一つですが、それがすべての地域・時代で一貫していたとは言えません。すなわち、それを裏付ける複数の地域比較史・民俗資料が必ずしも豊富でないという側面があります。
一部の両墓制事例では、詣り墓が後年に作られたり、詣り墓側にも部分的に納骨をする例が変化過程で見られるものがあります。つまり「詣り墓には遺骨なし」を絶対条件とするのは過度に一般化しすぎる可能性があります。?
日本人絶滅計画と同じ流れですね。
移民が住みやすい国づくりを一生けん命やってますね
すぐにファクトチェックできてしまう時代で
便利な時代すな
墓や仏壇は心の中にあれば十分
だとすれば東京博善は廃業だな
そもそも墓参りに伝統なんて言葉使わないだろ
伝統って普通は芸事や技術等の伝承であって墓参りの場合は文化だろ
ほんとバカバカしい
最近主流になってる共同墓地で十分
>>22
いや、関東一帯では似たような洞窟墓はあるし中には古墳の周りに勝手に穴を掘って洞窟墓っぽいの作っていたところもある
それに沖縄の墓も似たような墓じゃなかったっけ?
墓参りを日本文化と言ってしまうと否定できないから
わざわざ墓参りに不自然な伝統という言葉を持ち出して否定する
土葬区域は土中の腐った棺桶踏み抜いたり腐敗菌ウジャウジャだったりで危なかったからお参りエリアと分けたんじゃないの?
陰暦のイベント全て否定してるのかよ。
この学者とやら、知ったかぶりすごいな
位牌はクラウド
なんとかカネかかることを常識とバカを騙しておいしい商売に出来ないかなって
メディアもグルになって庶民からカネを巻き上げようとしてた。
大人になったら独立して実家から出るなんてのも核家族化させて家電製品とか倍売れるようにしむけただけのこと。
工事とかで昔墓だった骨がいきなり出てくるんだろうが。
そうやって内需を拡大しながら発展してきた島国なの!
外国人にはわからないだろうけど
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000099781.html
1位 歌舞伎
2位 侍・殺陣
3位 忍者
4位 茶道
5位 芸者・舞妓
6位 書道
7位 工芸
8位 和太鼓
同じように歴史の浅い名字も普通は文化扱いだし、逆に歴史の長い花見も文化扱い
文化とは
・広範な概念:人間が自然や風土の中で身に付け、生活の中で生み出し育む立ち居振る舞い、衣食住などの生活様式、価値観、精神活動など、人間が生きる上で関わることの総体を指します。?
・変化と発展:常に変化し、新しい価値観や表現方法を取り入れ、時代とともに発展していくものです
伝統とは
・歴史的な要素:長い歴史の中で形成され、世代を超えて人々に受け継がれてきた文化的な慣習、芸術、生活様式、思想などを指します。?
・継承されるもの:過去の知識や経験を伝え、その社会や集団のアイデンティティの基盤となるものです。?
・例:華道や茶道、祭事などが伝統文化の代表例です。?
本家の墓でも明治くらいからだわ
現代には合わないし、昔も合わなかっただろう
江戸明治くらいしか時代に合わない伝統なんだろう
おかしくは無い
日本の伝統は鎖国していた江戸時代に定着するんだよ
死んでたら生ごみでいいだろ
うちそうだよ。
てか、一山まるごとうちのお墓。
当然土葬
平成までは葬式に大金掛けて自慢している奴がいてウザかった
戒名とか頭の悪い奴が騙されて何十万円も払ってた
流石に最近はそんなバカも少なくなった
こんないい加減な記事よりも真実を語る言葉
朝鮮半島の古糞かよ
悲しくなるな。いつから日本人は劣化しちゃったんだろう。
明治の日本はいいよなあ。
きっと江戸時代はもっと良かったんだろうな
供養が永続的に行われることを願う思想は存在しました。現代の永代供養は、
お寺や霊園が遺骨を預かり、供養を継続することで、現代の供養の在り方と
して定着しています。?
ごめん、朝鮮には詳しくなくて。
君は朝鮮の方?
そもそもお前記事読んだないだろ
平和だし、しょっちゅう寺に行くし
墓誌も大体3代くらいまで。 結局、100年は続かないんだよな。 孫、ひ孫あたりで
誰も墓守しなくなる。
厩戸はよくやったもんだなwwwwww
気持ちは解らんでもないがwwwwww
だったら江戸時代からの墓が沢山あってしかるべきだろ。
俺は見たことないな。
多分、当時の農民や町民位の存在じゃ墓守出来るほどの金銭的余裕や
墓守するだけの子孫も残せなかったんだろう。
神の信仰なんかはちゃめちゃだしな!wwwwwwww
うちはあるよ。
江戸時代からのお墓。
ただ、面白いのが、一族であるのは間違いないんだが、
人によって漢字がまちまちなんだよね。
絶対に買ってはいけない物件
神の信仰なんかハチャメチャだしな!wwwwwwww
みんな輪廻転生なんか信じてたの?
ま、こんなもんだよな。
共同墓地的なところはまだ現存してる場所もあるだろうが、江戸後期に流行りだした個人家の墓なんてみんな途中で所在不明になってんだろ。
それなりの豪商や武家とかくらいだろうな 今でも墓が続いてるなんてのは。
庶民は今も昔もしょせん、どこの馬の骨なんだよ。
誰かツッコミ入れなかったの?
地域差もあるだろうし、この記事の主語がでかすぎる
1000年前も自分は同じような感性をもっていたとおもうね
戦後メディアがやってきた江戸時代暗黒シリーズは信用していない
地方に行けば武家の墓はある
東京にはほとんど無いのは関東大震災で被災して墓が移った
この時長い年月で管理されなくなり誰の墓が分からなくなったものは廃棄されていたらしい
だから有力者の墓しか残されていない
ちなみに武家の墓はあっても庶民の墓がないのは土饅頭の上に石を置くような簡素なもので誰の墓かわからないから。風化で土饅頭が崩れて墓が墓じゃなくなったのも多いと聞いたが
、もはや誰の墓なのか知る人はいない。有力者であっても、歴史に名を刻むような一部の人を除き、ほとんどは死後百年程度経過すれば、忘れ去られてしまうのだ。
郷里から離れたり子孫が墓を守っていけなくなったら、その先祖の息吹は途絶えてしまう。Iさんは先祖の生きてきた証を刻む、200年以上続くこの墓に誇りを持っている。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8c762163af11874497f3db61a1381d51c82e869b
ほんとにごく一部だろこんなの。 江戸時代なんて半分以上が生涯独り身で今以上に少子化だったんだから。
その独りで死んだ男は結局、共同墓地か河原に埋められてそのままみたいなのばかりだろ。
墓地は常に在るが一定期間毎に管理の為されない古い墓は壊され新設される。
だから一般的に古い墓に出会う事が無いだわ。
特にど田舎では普通に糞古い墓が其の儘存在する。
今も霊園で墓を買っても墓地の所有権を持てる訳じゃ無いからな。
ごく一部あるなんてのはわかった上で「ほとんど見ないんだから墓なんて忘れられていった」って話してんだろ。
まあ、名家だとか上級の連中は今後も続けるだろうが、大半の庶民は過去出来てなかった即席の風習を無理して続ける必要なんてない。
何百年か先は地球の人口が減ってるので魂が余る
あと3回くらいで悟りを開けないひとは行き場を失う
カネ持ち過ぎても貧乏過ぎても知能が高すぎても低すぎても
悟りを開くのは難しい
一般的なやり方は あきらめる → 許す → 悟る
最初が一番難しい
カネとか地位の執着を手放す必要がある
神の信仰でカースト制だし、身分制度だし、奴隷制度だ!
なるほど
あなたのような人は韓国式が向いてるかもしれない
https://hanguruchan.com/wp-content/uploads/2022/11/ohaka.webp
ほんと救いがたいな。
寝ても覚めてもあt頭の仲は朝鮮半島でいっぱいなんだよw
それを日本語で恋と呼ぶw
火葬とか墓参りとか、たいした歴史ないんですよ。日本人も悪いんですよ、的な。
日本式は↓かな?
カード式納骨堂 | カード式永代納骨堂 大阪|常光円満寺 https://share.google/7UIKMRAh1agvAaPBS
関ケ原の1600で覚えとけば大体OK
明治政府は1860年頃
欧米に土人国会でと思われたくない見栄で作られた儀式や食事や用式がほとんど。
ちなみに明治維新前の日本は本当に国民の9割は農民で戸籍もなく、識字率も大袈裟に寺小屋を誇張してるが、
実際は国民の4割程度しか読み書きできなかったのが10話らしい。
今にも続く自民党は、その頃から国民を騙す政策で自分たちの懐を増やすだけの国家を作った。
ちなみに高市は大臣クラスになってからの収入源はほぼない政治献金の賄賂が重なる収入源。
最近は知ったか学者が増えすぎて、
あほらしなるわ。
誰が考えてサブスクアイテムになったのか知りたいところだ。
検索したら馬鹿だしレスしてくんのも馬鹿だしもうなんかアレだなっ
江戸の長屋や寒村の農家にそんなものあるわけねえだろ
詐欺ではないがかなり近しいポジションにいる
お釈迦様をネタに仕事を作り上げた
逆に言えば、偉い人ぐらいしか墓を作らない、作れない
庶民には高嶺の花だったんじゃないか
だからそれが庶民に広がるには文明の進歩を待つ必要があった
江戸時代くらいでやっと庶民も墓を持てるようになった
それだけじゃないの
まあ時代の変わり目くらいはソラで言えないと…
世界史の横軸の基準だから…
そもそも家に仏壇あるしな
やってられないから引っ越しした
稲作すら縄文時代では常識ではなかったからな
しかも縄文時代の方が今より遥かに長い、2万年以上続いている
縄文時代の伝統から見たら、稲作は日本人の精神とか言ってるの笑うと思うよ
最近になって大陸から伝来したものやろ、っていう
それでも、墓をつくるってのは、人類に組み込まれた普遍的な価値観かとおもうけどね
「日本の墓参り伝統、実は土葬したら終わりだった」
ほんとデマというか、日本人をバカにしてるというか。それがアクセス数稼ぐ文筆業なのかもしれんがな。
こういうアホの存在が物書きがバカにされつづける理由かもね。
▲
今はビジネス坊主しかおらんよ。
坊主は江戸時代前から存在してたが
そもそも日本人は神道で仏教徒ではないから
一般的に仏式の葬儀や墓参りをやることはなかった
なので仏式の葬儀や墓参りは日本の伝統ではないというのは正解
なにを捨て、なにを継承するか? 日本とは異なる文化の
なにを学び何を取り入れるか取り入れても根付くことなく
消えてしまったものもある
一生を過ごす生活圏や移動も限られ、多くの人が「身分」、
「性別」、「貧富」によって制約が課されていたし今日・明日
なにごともなく平穏に過ごし、秋には無事収穫を迎える
家族全員が揃って年を越せることさえ難しかった時代だ
>>1 寿命や人口、恐れる対象(リスク)や死生観、思想・
価値観)の違い、思想・価値観や政治体制が現代とは天と
地ほど異なる昔と比べても意味がないよ
神道なんてそもそも無いだろ
仏教が流行って乗っかったようなもん
17条の憲法だと仏教やろ?
いちいち相手にするなよ
そんなことで悟りが開けるのか?
共生社会 = 差別や偏見のない社会 = 自由や権利の付与、
保証はだれ彼構わず付与していいわけじゃない
同じ人間、同じ日本に住んでいながら年齢や能力で「区別」、
「制限」されているもので溢れてる 何故か? 同じ人間だから
能力(知識や経験値)や責任感のレベルを無視して付与すると
かえって ゛罪のない人たち゛ の自由や権利を損ね社会に余計な
混乱をもたらすからだ
↑ で分かるように、自由や権利の付与は社会の安定、そこに
住む人たちの安心、安全、安定、平穏な暮らしが土台(大前提)
にあってこそ成りたつもの、相応しい人たちに付与されるもの
自由や権利の付与も社会秩序のためにある
輪廻転生なら魂なんて残っていないという課題への回答になっていないな。
いや、潰す気はさらさら無いんだけど、
信仰するほどのもんでもないし、布教する側もやる気無いけどお布施くれるから存続してる感じでさ…
最近は金銭的余裕もなくなって墓じまいが増えている。日本の文化だから絶対守らなきゃいけないという保守の考えは間違いなんだよね。その時代に生きている人が文化を作る。そう、文化は後からできるもの。
今あるものは明治政府が捏造した天皇マンセー国家神道でゆがめられたままのものだからな。
本来の神道は氏神様を祀るものであって、氏神様は天皇の下僕などではなかった。神を天皇の下僕に置くなど、とんでもない冒涜。
そっちを知りたい。
そういや氏神さまの仕組みをわかってないや
日光東照宮で家康を神として祀っているのが典型。徳川家の神様。
氏神は地域あるいは一族の神様。もちろん、神なんだから天皇の下僕ではなかった。
それが、明治政府の国家神道捏造で天皇の下僕とされて、そのまま現在まで残ってしまっている。氏神様に対する侮辱を続けているのが今の腐った神道。
伊勢神宮と出雲大社の立ち位置は?
冷静に考えたら小学生でもわかること
地震や津波、事件や事故、戦争などに見舞われたときまっ先に
やるべきことは何を優先するか? 誰を優先すべきか? の選別
(区別)だ、同じ人間なのだから、命を選別してはならないからと
同時に全員を救うなんてことは不可能
だが ↑ これも、救うべき人数以上の手数があれば = 社会が
十二分に安定していれば、選別(区別)することなく同時に全員の
自由や権利を守ることができる >>1、日本は大国ではないし
陸続きの国々のさまざまな人たちへの知識(理解力)、ノウハウ、
経験が異常に乏しい、その日本と ↑ のレベルが高い国とを比較
して論ずるのは行き過ぎだ
伊勢神宮は国家神道のトップ神社。明治政府の言いなりになって優遇された。
阿部チョンともりかけみたいな関係だな。
出雲神社は、大国主大神派の神社。
国譲りでは、大国主大神が天照大神の子孫である天孫に国を譲るというストーリーだけで、これは出雲に元々あった国を天皇の祖先に譲ってという天皇家の創作ストーリー。本当は、天皇家が出雲の国家を簒奪したと考えられている。だから、出雲神社は反天皇。だから冷遇された。
なお、この国譲りは朝鮮半島から渡来してきた天皇家の祖先が日本にあった国家を奪った証拠だと考える説が有力。
伝統って何年前からですか?
共生社会 = 差別や偏見のない社会を目指す上で1番忘れがちなこと
だれ彼構わず「自由」や「権利」を付与したり、選別・区別なく同等に扱う
゛その前゛ に「信頼」を築くこと、受け入れる側も受け入れてもらいたい
側も、「この人たちとなら共に暮らしていける」、「この街を社会を共に守り・
発展していける」という確信、共通認識、責任感、契約のもとに成りたつ
成りたたせるもの
↑ これを全く無視して移民を受け入れたがために ゛とんでもない事態゛ に
陥っているのが今の欧米だ、>>1 マネしちゃダメでしょ w
昔は土葬やからな
火葬場が出来て焼いた方が楽だから土葬止めただけで(笑)
日本の火葬率が9割越えたのは1980年くらいから
今では世界的に火葬に向かってる
イギリスでも8割が火葬
そういう底辺のしかたのない暮らしを拡大しないでもらえますかね?
アジェンダ左翼の屁理屈は通じないんだよ
しかも中国・韓国の歴史より長い伝統だからな
ホネの一部とか髪とか埋められてるだけで
同じ人の墓なんか沢山ある(笑)
その左翼・フェミニストの主張通りに昔に戻そうという事にもなるよ
権利って選挙権とかのこと?
そりゃないでしょw
あるっていうやつはアタオカだわw
土葬火葬も含めて
お前アホすぎる
天皇制も神道だし、神社も神道だし、初詣も神道だし
古事記と日本書紀も神道だぞ
霊媒師が絶対言う決まり文句が、
ご先祖様お墓参り
ボッキした男性器に似た形だろ?
ボッキした男性器(前方後円墳)に稲妻を落として
蘇りの儀式を行っていたわけ
「稲妻」っていうのはボッキした男性器と成功する妻だから「稲妻」というわけです
だから、それは国家神道によって捏造された後の姿な。
本来の神道は氏神様を祀るもので、天皇マンセーではない。
説明してやったのに理解できないバカ。
と俺様も思ってたんだが。
先日親父が火葬されて墓に入れられたんだが。
骨壺なんかなくて焼き場で焼かれた骨を全部墓の下に収めていた。
てか骨の入った箱の中身を全部流し込んでたわ。
骨壺を収めるもんだと思ってた俺様目が点w
北東北ではそうらしい。
グンマー国の風習。
神道は、ずっと天皇マンセーです
戦国時代も天皇マンセーだったし
現代でも皇族が祭主(例えば、伊勢神宮は黒田清子さんが祭主)だしね
神道って天皇が神官のトップなんだよ
だから天皇マンセーなの
そもそも天皇家が神道の創始者なんだよ
1800年前の3世紀の頃から日本で一番偉いのは神道を管理してた
三輪氏(天皇家の子孫)だよ
死体埋めた場所と墓の場所別々だわ
だから何?の内容なんだな
墓参りとか生きてる人間の自由なんだからどうでもいいだろ
あれってどこからやってきたんだろう?
土葬されているような古い墓地の周辺の盛り上がりは埋まってるらしいな
何も残ってない名前が刻んであるだけだ
伝統という感じはしないな
日本人はキリスト教徒ではなくても教会で結婚式をする人が多いけど
神父さんの前で結婚式を行うのが日本の伝統かと言われれば違うだろ
それと同じで、仏式の葬儀をする日本人は多いけど
日本の伝統という感じはしない
仏式の葬儀は、クリスマスと同じで、日本に定着した異国の文化という印象
実際、日本の文化(神社や初詣や天皇制)が無くなったら悲しいけど
仏式の葬儀が無くなっても悲しくないし、墓じまいする人も多い
だから梅田が墓場だったわけね
俺の祖父が戦時中にニューギニアでおいしく頂きました
ごちそうさま
だから何?
土葬推進のために
トンデモ記事を書いているのは分かった
外国人も今後は全部火葬必須にしよう!
長崎が悲鳴あげてんで
墓は江戸時代もあったぞ
???
スーツを着るのは日本の伝統ではないのと同じで
墓参りも日本の伝統ではない
墓には何も入れられんよな。
墓に入れてもらえるのは権力者のみ
庶民は鳥葬といって4体は山にポイ捨て
京都なら嵐山や清水寺の付近に捨ててた
先祖供養も仏教的には矛盾してる
そもそも仏教に先祖供養など無いから
水子供養ももともと無かったものを
水子供養というものをでっちあげた
https://www.leafkyoto.net/makai/2020/02/torinobe/
そこに仏教を支持する聖徳太子が現れ
蘇我さんと物部さんが
宗教戦争を起こして
蘇我さんが勝利した
聖徳太子は四天王寺や法隆寺を建てて
仏教を広めたと
お前の中ではそうなんだろうなw
日本を破壊したがるやつの特徴
江戸時代から始まったものは伝統じゃない!と喚く(伝統がいつからなんて基準はどの学者も示していない)
中国から伝わったものは伝統じゃない!と喚く(その理屈なら世界に伝統は存在しないことになる)
どうしても破壊したいんだよな、日本の文化をw
お前が正しい
ジャニー喜多川も高野山にいます
だね
神道が穢れを嫌うから、仏教が葬儀関連をうまく押し付けたって感じだよ
それ土葬と言わないのか
なんかイスラームよりだわ
仏教に墓参りというのは無い
でも神道には先祖崇拝というのがある
これをミックスしたのが日本式仏教
何をしていいか分からない時、形が用意されてるって実に日本的でいい伝統だと思う
>形が用意されてる
結婚も葬儀も300万円が相場!
なにが良い伝統だよ なくせなくせ。
味方同士で食ってたのか…
浮いた金と時間で生きてる間に焼肉でも食う
縄文時代は大事に死人を祭ってたぞ。
墓葬式なんて映画国宝の名家歌舞伎役者みたいな著名文化人だけやれば良い
庶民は生きている内に墓葬式端折って浮いた金と時間で温泉ツーリング行って道の駅で美味い飯でも食うささやかな文化楽しむから
金を自分で使おうって発想が日本人的じゃないな
残る家族に出来る限り金を残して好きに使ってもえらばいい
葬式は見送る側がするしないの判断をすればいいだけ
>葬式は見送る側がするしないの判断をすればいいだけ
葬儀業者:故人があの世で肩身の狭い思いして成仏出来なくて悲しみますよ(ヒソヒソ
花も写真もなかったけど、参列者がいがいに多くて
しめやかな感じだった
嫁子供に大部分残して自分も分に合うだけ楽しんで使えば良いんじゃない
葬式300万端折れば嫁子供に追加290万残して10万庶民温泉ツーリング楽しめるよ
墓葬式は生きてる内に断固たる意志で省く旨を遺言してる
残る身内に諸悪の根源たる慣習道徳判断の精神負担背負わせたくないから
歴史知らないバカ。
氏神は地域、一族の神であって、天皇とは違うし、もちろん天皇の下僕でもない。
>神道って天皇が神官のトップなんだよ
ってのが、明治政府が捏造した国家神道だと説明しただろ。
日本語理解できないバカ。
儒教。
支配者・親を敬え!ってのは権力者には都合いいからな。
今の神道なんて、明治政府が捏造した天皇マンセーカルトで、氏神を祀る本来の神道とはまったくの別物。
そりゃそうよ。
JAP軍はバカな指揮官が補給を無視して前線に兵士を放り出すから、食料は現地調達。
なお、その無能軍部の直系が統一自由移民党。
江戸より前の戦国武将の墓とか古墳とかあるし説明つかんやん
それに日本の伝統じゃねえだろアメリカ人だってアーリントン墓地とか行くやん
そもそも故人を偲ぶための行為だから伝統でもなんでもないだろ
関西学院大の教授ってバカなん?
馬鹿っていうか金さえ積まれれば
こじつけ極論なんでもありの人なんやろ
学校とか閉じた空間ってナチュラルにクズな奴じゃないと病む
ちゃんと墓参りしてるだろうな?
初詣も発祥は仏教文化
というか電車会社が始めたこと
おみくじも仏教
御朱印も仏教
明治維新まで日本は神仏習合の文化
天皇家は仏教徒で、調べればわかるけど、天皇家の菩提寺があった
春日大社の宮司でも天皇と直接やりとりは許されなかったけど、東大寺や仁和寺のトップは天皇とやりとりができた
権力を誇示するために作ったと記事の中で説明してあんだろ。
日本語不自由なお前よりはさすがに学者のほうが賢い。
地方に定住して、代々住み続けているような人たち(農民や武士)は墓参りしてただろ
地方には江戸時代の墓とかゴロゴロしてるぞ
俺の先祖は半農半士の所謂権力者ではない庶民だか、江戸より前の400年前の先祖の墓がある
庶民は墓参りしなかったの説明がつかない
墓の風習は江戸時代に広まったといってるんだから、そりゃそうだろうねとしか。
何を根拠に400年前の墓だと言ってんだ?
それは庶民ではないと思う
江戸時代まで庶民は姓がない=「○○家の墓」みたいなものは作りようがないし
江戸など例外を除けば土葬だから同じ場所に埋葬できないし
としか言えんよな
意味ない研究だなー
そもそも、
一般庶民が、死霊を祀るための装置の一つである「墓」として石塔を建てるようになったのは、およそ江戸時代に入る前後からとされています。
なんだから、400年前が本当だとしても、そうだなで終わり。
土の上にそこらへんの石のっけて完成。死後しばらくは朝晩お参り。
その墓が現代まで残ってるわけないじゃん。
「石塔は江戸時代より…」とかバカなんじゃね?
死体の埋葬と、墓参りはまったく別。
墓の風習が庶民に広まったのは正確には鎌倉時代頃に流行った弥勒菩薩信仰って言われてる
弥勒菩薩が現れる時に墓に埋められた人達が復活するっていう信仰
この信仰に基づく墓が見つかってるから、400年前にあっても不思議ではないよね
流れのものですし。
冠婚葬祭にまつわる出費の「常識」とか、クリスマスや正月、バレンタインデーみたいなものだったんだよ。
あっという間に風化するだろうな。
どうせただの灰だし。
そう望むのならそうすればいい
望まない人は合葬なり、散骨でいいさ
墓に入れてほしいって人もいるから、それは各々の自由で強制されるもんじゃない
望んでいても「墓に入りたい?じゃあ300万円かかります」みたいなのが出来ない日本人が
激増してる今、自ずと死んだときの常識も変わっていくよ。
ずっと前からそう思ってたよ。
結婚式だの葬式は詐欺的商法だと。
実際、学者の間でも
「”作られた伝統はよくない”とかいう>>1こいつみたいな主張は伝統という言葉の意味を破壊する、学者の自殺のようなもの」って論もあるからな
なんせ「作られてない伝統」なんてどこにもないんだから
ただ江戸時代のお墓は結構ありますよw
古すぎてわからないが。
古くは1200年代らしい。
江戸時代以降って…
400年も続いてりゃ十分伝統だろ。
日本はすごいよな
最貧層出身でもデバイス類が持て、こうやって入力までできる
海外であれば、そもそも識字率が低く貧困から抜け出せない
事件性がある遺体か判別ができない
土葬は反対だな
費用が高くて手が出せない外国人にしたら既存の墓場を外国人向けにしたくて少しでも足を遠ざけて潰し、自分らの宗教の場にしたいという工作だろうか
キリストもイスラムも土葬だからね
…平和的にいくなら海のど真ん中に世界各国が金を出し合って島を作って、そこを皆の共同墓地にできないものか
仏教が入ってきて火葬、明治時代に西洋化した天皇は土葬で現在火葬に戻ったのかな
”作られた伝統はよくない”なんてどこにも書かれていない。
妄想で発狂する頭おかしい奴じゃん。
後進国でもなければ義務教育は一応あるぞ。
それとも、日本は統一自由移民党のせいで猛烈に衰退してる衰退途上国なのにすごい!って?
墓も基本的に寺に一括管理されて、勝手に埋葬や墓の建立が出来なくなった
ただソレ以前は結構適当に埋葬したり墓を立てたりしてたもんで、地方に行けば墓地や霊園じゃない所にある墓も残ってた
一番わかりやすいのは檀家制度が無かった沖縄で、街中や家の裏なんかにデカい亀甲墓なんかが残ってる
大半の人が現代まで代々墓守を受け継ぐことなんか出来なかったって話してんだよ。
そんな風習にカネのない人たちが何百万もかける意味があるのか。
アメリカでは土葬された墓から遺体のDNAを抽出して、50年前の事件を解決しているよ
この記事って結局、
江戸時代になるまで「遺体を埋めたら終了」だった。というただのトリビア記事だな。
なぜ国内ニュースカテゴリーに入っているのかが疑問。カテゴリーなら地域かライフだろ。国内ニュースカテでかなり浮いてるぞ。
亀甲墓は中国から
大きな穴に放り込み、石灰を撒くだけ。死体が折り重なっていたと
思われる。没年1791。なお日本は9代将軍 徳川家重の没年に近い
そりゃ、墓所を求めて墓地を建てるってなったらそれぐらいかかるだろうね
そんなん家建てるのと変わらないんだから
墓参りは受け継がれた伝統だろ
古き伝統か?なだけだろ
バカタレ
お釈迦様は、墓は要らないと言った
日本の仏教は詐欺教
虚無の真
托鉢もしない
お釈迦様の教えは「感謝の大切さ」に尽きる
明治に入ってみんな土葬やったら地下水汚染とか
火葬でダイオキシン問題w
故 久米宏の置き土産
徳川泰平の世あたりからかも
特に綱吉の生類憐みの令(人命尊重・動物愛)
一寸の虫にも五分の魂・輪廻転生のおしえ普及もある
曽婆さんが命の大切さを孫に諭すとか・・・宗教だな
墓いらないって本人は言ってないと思うよ
なぜなら、仏舎利塔がその良い例だから
仏舎利塔ってお釈迦様のお墓だからね
お墓を作る時に金、その後の供養や管理にも金、金を払わないとほったらかし
現存する1番古い墓石がなにか知らんが
法隆寺とか墓地なかったん?
文系だけでなく理系でもある
子どもは参っても孫は参らないよ。例え孫が参っても曾孫は参らない。100年も経てば風雪に晒され荒れ放題。土石流や水害に晒される可能性がある。
200年も経てば地球の藻屑と消え去ることになる。
結局金のために作り上げてるわな。
先祖も自分の骨の管理で子孫を苦しめることは望んでないよ
マスコミが絡むものとかね
つトロ
お寺に預けても年月が経てば裏山に捨てられる。お寺も永久ではないし廃寺になる可能性もある
結局樹木葬で別れるのが最善か
神経質になりすぎ。自分が死んだ後のことまでシラネの気持ちでやっておけ。
合掌した手で
蚊を叩く
だからといってイスラム土葬は認めんからな。
これ自体は事実だけど、
公家や武家はもちろん代々の墓を持っていたわけで、
プレジデントオンラインは明治維新でやっと武家や公家と同じ地位に立てた庶民をまた「お前らには墓は贅沢だ」と上級と分離させたいんだろうな。
盆会という習慣は仏教ですよ
古代は貴族向けの真言宗とか、天台宗とかしか無かったでしょ。
あなたは日本の移民法を存続させたいですか?
江戸時代以降からの習慣は日本の伝統に該当しないと?
お人好しのマヌケしかやらねえよ(笑)
昔から殿様と家臣には墓あったし 俺の先祖は戦国時代までしょぼい殿様やってたけど、皇室から枝分かれして以来ずっと墓あるな
仏教の本質は諸行無常。
感謝などではない。分かってない。
仏舎利塔は釈迦の教えに反している。本人は大切なのは教えと自分自身であって、釈迦に縋っても無意味だと明言している。
そもそも輪廻転生からしたら、死者の魂なんて帰ってくる訳がない。
日本の仏教って原始仏教からかけ離れてるのじゃ無いですか?
だいたい、マニ車とかアホけ、念仏とかアホけって思うけど。
仏教もキリスト教もイスラムもユダヤ教も。
他宗教の人も戦争であっても殺したら、地獄に行くって教義があれば、いや作れよ!クズ宗教家!
わざわざ「墓参りが日本の伝統というのは間違い」「せいぜい江戸時代から始まった」なんて記事を書くやつってのはそれと同じ事を言ってんだよ
「そんなのは伝統じゃねーよ!」ってね
記事書いてるやつの本意すらも理解できない脳みそだから、お前は自殺志願者の学者と同様のアホなレスを連発している
墓で供養するってのがいつから始まったかの話題で「本人は墓なんか求めてなかった」てw
噴飯とはこの事
人口減少時代に墓って意味無いでしょ?
輪廻転生はすぐに転生するわけでない
知らないなら書くなよ
関西や四国方面はね。 関東は全骨ですよ。
東京だけど江戸時代前期の物も夫婦墓も沢山あるよ。スペースがいっぱいになっちゃうと拝んでもらって墓の下に埋めちゃうんだよ。
百箇日も一周忌も三回忌もあるでしょ。
多分合葬でしょ
五輪塔
日本に伝わってきたのはヒンズー教で仏教じゃないからな。
俺ん家は33回忌で打ち止めだな
坊さん曰く、この時をもって個人の魂は祖霊と同化するんだそうだ
人によっては50回忌まで執り行う場合もある
一応は仏教だよw
大乗仏教はヒンドゥー教の神々も取り入れてるけど、如来菩薩より下位の存在
仏教もキリスト教もイスラム教もユダヤ教も、もちろん人を殺すなと教えているが。
ユダヤ教ですらイスラエル以外では、イスラエルの土地は神から与えられるものであって、武力で略奪するものではないという考えが多数。イスラエルは、国が極右カルトを押し付けてるカルトジェノサイド国家。昔の天皇マンセー捏造カルト国家神道日本帝国みたいなもんだ。
神道が人殺しを推奨なんてしていないし、天皇を祀るものでもない。本来の神道は氏神様を祀るもの。
一般庶民が、死霊を祀るための装置の一つである「墓」として石塔を建てるようになったのは、およそ江戸時代に入る前後からとされています。
というのは歴史的事実だろ。少なくても、そう考える学術的根拠はある。
歴史的事実に噛みつくのはただのバカ。
無知なバカはお前だよ。だったら、どのくらいの期間で転生するとされているか言ってみ。
少しでも知識があれば、そんな突込みはバカ晒してるだけだと気づく。
その辺に埋めて石でも置いていたんか?
神に縋れば救われるだの、念仏唱えればご利益があるだの、釈迦の教えに完全に反する。じゃあ、そういう思想はどこから来たのか?というとヒンズー。
大乗はもはや実態はヒンズー。
そこら辺全部嘘だとか思わんの?
ぜってー嘘だけど、彼らも仕事俺らも頼んだんだからと済ませるけどさあ。
ぜってー嘘
輪廻転生どうなった?と聞いて欲しい。
本来の仏教は死者をあまり大事にしない
輪廻転生するからな
死者を崇拝するのは日本神道と混じったからなんだわ
横だけど平均4から5年、10年や100年とも言われる
それも人間に生まれ変わるとは限らない
だから、日本の仏教では生まれ変わるまでは盂蘭盆会に、戻ると言われるので墓参りの風習がある
元レス見たけど、これは仏教の風習ですよ
それも江戸時代以前からのね
この話題で極左がどうたらとか、
左翼右翼意外なんの知識もないお前が口を出せるスレにしようと必死すぎんだろw
古代インドから1か月くらいといわれていることも知らない無知。
仏教には輪廻転生という思想があります。人が亡くなってから七週間は再び生まれ変わるための準備期間であり、この間、死者はこの世(現世)とあの世(来世)をさまよっているとされています。そして、この四十九日間を「中陰(ちゅういん)」と言います。
https://seiwa622.co.jp/2367/
平均4から5年、10年や100年とも言われるなんて妄想のソース出せよ。
何の科学的知識もなかった、古代の人がそう言ってたってだけで証拠も信じる理由も無いでしょ。
輪廻転生なんて、普通に考えれば無い、魂とかも無い。
武家は先祖が活躍したお陰で武士の身分があるから先祖に感謝するだろうが
庶民はヘッポコ先祖に感謝する理由がない
失礼な、戦後からだよw
みんな猿から突然変異を起こした同じ子孫だが他人を支配するため神様や仏様と先祖を結び付け家系図を捏造して威張ってるだけ
今ならバリバリの学会員だったかも知れない
創価学会は日蓮宗と関係ないよ。
とうの昔に破門されてるw
そこら辺は死んだ人間に訊くしかないから、嘘とも本当とも思わないなぁw
遅かれ早かれいずれ死んだら分かるだろうしww
浄土宗系日本仏教では、信者の魂は阿弥陀如来様が迅速かつ的確に浄土に連れて行って成仏させてくださるので、輪廻転生とは無縁になるらしい
しばらくは浄土新参者として仮住まいだが、33年なり50年間遺族子孫が供養することで目出度く成仏者集合住宅に永年居住を許されるシステムとか
ありがたや~ありがたや~w
>>4
日本は江戸時代まで封建国家、明治から中央集権で画一的にする必要があった。
伝統は各地域で違う
「人間を含めたこの世の全ては「物質」から成り立っていて、物質を離れた「心」や「魂」などは存在しない」
とする機械的唯物論は古代ギリシャや古代インドの時代から唱えられているから、科学的知識の有無とは関係ない
科学的な見地もあって火葬にしたんだから
無理に土葬を復活させるな
というのもある。
お前ほんとのバカだな。
輪廻転生があるかどうかなんて科学的にはまったく裏付けられていねえよ。
ここでの証拠は輪廻転生の期間がどのくらいとされていたかのソースだ。当然、元となった古代インドでどうだったかは根拠になるわ。間抜け。
阿弥陀信仰は特殊だよな。仏教というよりキリスト教。
そういう話じゃなくて、
49日過ぎたら魂はすでに転生してるはずだから
お参りに意味はないんじゃないの?
という話。
土葬復活させろなんて誰も主張してないだろ。
宗派に寄り切りだなぁ
実際にキリスト教の影響受けてると思う
死んだから極楽浄土で永遠の幸せとか
釈迦は阿弥陀様の教えを伝えるために遣わしたとか
完全にキリスト教。
墓参りなんてムダなだけだ
さっさと止めちまえ
爺さん婆さんの墓のライン。
父方祖父・・・武士。鎌倉時代の墓から存在
父方祖母・・・商人。江戸時代
母方祖父・・・魚屋。江戸時代
母方祖母・・・農家。江戸時代
墓地に行くと他の家でも江戸時代っぽいのゴロゴロしてるけどなあ。
当時は土葬だから個人墓になってて小さな墓石や名前もなく丸い石が段弾積み重なってるのとか色々ある。
名前もないのに、いつの時代が分かるんだ…。すごいねえ…。
普通は名前が分かってもいつの時代かは分からん
何年何月に誰が死んだと刻まれるようになったのは火葬になって今のような墓石が流行した大正時代以降のことで
それ以前の人は卒塔婆に戒名書かれてるだけだから
戒名が古文書に残ってるレベルの人なら照合できるってレベル
ぶっちゃけ江戸時代だと大名クラスでも分からん人は結構いる
だから、名前すらないんだから、そういうことすらできないと言ったんだが。
お前は金払わない奴の面倒を無償で見てやるのか
奇特な奴だな
密教はヒンズーだろうね
釈迦が否定した儀式に偏ってるところとか、護摩焚きとかはゾロアスターとの関連を指摘する学者もいるけど
面白いのはインドのヒンズー教の神にブッタが加えられること。ブッタは化身って位置づけてて、ブッタの教えの一部を取り入れたりしてる
輪廻転生が無いのに、その期間を議論してもしょうがないでしょ、無いんだから。
馬鹿なのか?
どすこーい
輪廻転生があるなら動物園の猿とかアフリカのチンパンジーやライオン。みんな前世後世があるわけですね。わかります
魂の必要数量がすごーく変動するので、そのシステム運用不可です
武士は家禄が与えられるから、跡継ぎがいないと養子をとってお家を継がせ、
下級武士でも先祖を大切にするようになった
一所懸命の言葉が出来たのは鎌倉時代なんでその頃から武士や郷士は土地と家に執着し始めてる
当時はすでにお墓を作って祀る風習はあったからね
ご先祖様とかどうでも良いし
その後は知らない 先祖のお骨は移してないし何しろオヤジが50過ぎで早死に
その時代は百姓が戦に駆り出されていた時代
百姓は家系図なんて作ってなくて百年前のことはわからなくなっていたんじゃないか
まあ移民受け入れるからしょうがない面もあるけど
庶民まで墓に入ろうなんておこがましいの
嫌ぁぁああああ
父親と仲が悪かったのかい?
多分、江戸時代以降やろうねぇ
収穫に近い時期に
お祭りやって豊年祈願だと思う
武士や郷士と書いてるでしょ
時代劇って江戸時代だろ。
鎌倉以前の時代劇なんてあったか?
寺はビジネスじゃないだろ。少なくてもあるべき姿としては。
ビジネスで寺やってるのは煩悩まみれの生臭坊主。
ヒンズーはそもそも各地の宗教を吸収して出来上がった合成物だからな。
ブッダはヒンズーでも一応聖人とされているけど、大衆に間違った教えを広めた詐欺師とされてるんだよな。
まあ、仏教が活発だった時期はブッダはちゃんとあがめられていたんだと思う。それが、仏教が弱まるに連れて地位も下がって今の間違った教えを広めたってポジションにまで格下げされたのだろう。
民俗学は風習や文化を研究するものであって、死後どうなるかを科学的に結論だそうとなんてしていない。だから、輪廻転生がどう捉えられていたかを調べるのに、どの元となった古代インドでどのようにとらえられていたかは重要な要素。
この教授の給料は月5万ありゃいいだろ
時代劇=年代不詳の大昔
みたいな認識なんだろうな バカにとってはww 許してやってくれww
何経に書いてあるの?
鎌倉時代の時代劇は多いだろ
義経関連や平家物語、楠木正成
室町になるけど南総里見八犬伝とか時代劇として好まれる題材
前近代を時代背景にしたドラマは全て時代劇だよ
大河はほとんどが時代劇
明治大正が時代劇扱いされる日はいつ頃来ますか
「現代」が「近代」に変わる頃だな
ビジネス云々いうんだったら、医療や学校もそうだろ
医療や学校は税金で補助して成り立ってるけど、固定資産税は免除されてても補助がない宗教法人に墓地はただで面倒見ろってのは無理がある
固定資産税を免除されてて助かってるのは、墓地を利用してる人間であって、宗教法人ではない
その上、ただで面倒見ろってのは図々しい
地方には公営の墓苑もあるけど、そこが無料かっていうとちゃんと年間の管理料をとられれてる
面倒みなくてよいのが理想だね
海に撒くとか
それを言うと宗教ってのは例外なく、皆すべからく土着の信仰を吸収合併して成り立っているからね
これはもう、ユダヤ、キリスト、イスラム教であっても例外なく
初期の原始仏教ですら、完全に無垢ってわけではなく、少なからずバラモン教の影響を受けてるし、インド古来の風習に倣うところもある。ブッタも二人の師に教えを請いて、その二人を超越したとは言ってもその影響を受けてる
ラフカディオハーンももう時代劇じゃね
煩悩にまみれてるのは
墓地の維持費すらケチってる人間であって、
それは家賃滞納して開き直ってるヤクザと変わらない
今でも熱心な仏教徒は家の仏壇で毎日供養するからね
戦時中は国家神道が仏教弾圧して神棚強制しておかしなことになってるけど
どういう意図で先祖を敬い道徳的な生き方をするのを否定するのか?
自灯明法灯明も知らんのかよ。仏教の超基礎用語だが。
載ってるのは涅槃経だったかな。なお、大乗捏造版ではなく、正統版のほうな。大乗版にも残っていた気はするが。
時代劇でお墓の前で「おっとさんの仇はこのお侍さん達が討ってくれましたよ」とか言ってるようなシーンがある時代劇だろ。文脈無視すんな。
お墓の前で「おっとさんの仇はこのお侍さん達が討ってくれましたよ」とか言ってるようなシーンがある時代劇って前提だろ。文脈無視すんな。
NHKの大河ドラマでやるような歴史物と時代劇は違うだろと思ってAIに確認。
時代劇には歴史物が含まれます。ただし、両者には創作の度合いという点で明確な違いがあります。
義経も南総里見八犬伝も敵討の話
おっしゃる通りです。より正確に表現するならば、時代劇と歴史物は、創作の度合いという「性質」が違うものの、扱う時代という「ジャンル」としては重なり合っている、ということになります。
最初の回答では、「時代劇の中に歴史物が含まれる」という説明が、まるで親子関係のように聞こえ、矛盾しているように受け取られてしまったかもしれません。この点をより明確に説明します。
補足説明:時代劇と歴史物の関係
「時代劇」は「時代」を舞台とするエンターテインメントの総称。
「歴史物」は史実の再現性を重視する作品。
創作の度合いはグラデーション。
まとめると
ジャンルとしては、どちらも「明治維新以前の日本」を扱う作品であり、重なる部分があります。
性質としては、「娯楽性」を重視する時代劇と、「史実性」を重視する歴史物では、創作の度合いに明確な違いがあります。
このため、「時代劇の中に歴史物が含まれる」という表現は、同じジャンルを扱う作品群としての一面を指し、同時に「創作の度合い」という性質が異なるという両面を捉える必要があります。
そして、もともとの文脈として、
お墓の前で「おっとさんの仇はこのお侍さん達が討ってくれましたよ」とか言ってるようなシーンがある時代劇
と言われてるんだから、歴史物とは区別される時代劇を指しているというのが今回の文脈。
南総里見八犬伝は戦国時代だろ。鎌倉以前じゃねえよ。
だから、組織の維持なんて考えてる時点でもはや仏教として失格。
釈迦の教えでは諸行無常なんだから組織が滅びるのが宿命。組織の存続なんて考えても無駄だし、そんな考えは煩悩でしかない。
大乗的にも利他なんだから、金をもらっていないからやらないなんて利己判断は許されない。
学校や病院が組織の維持を考えることとはまったく違う。
そこに噛みついてるのはヒンズー教について無知なんだろうな。
宗教の複合体ってのはヒンズー教の特徴。
俗世の人間が煩悩まみれなのは当たり前過ぎて。
赤穂浪士は浅野内匠頭の墓に吉良上野の首を供えたし、大名家では家老など高位の家臣は、殿様の家の墓所に
参拝するのがまず第一の仕事だった。
このときは殿様の家の一門として墓参りするので、主家の紋を与えられ、それを付けた裃を着てお参りした。
昔は遺体を埋める墓と拝むための墓を別に建てることが多かった。前者を埋め墓、後者を拝み墓という。
江戸時代になる前からでないと伝統でないというのは強引じゃね?
戦乱だ飢饉だで土地捨てて移動するのが当たり前だった地方も少なくなかろうし
いちいち遺体のとこまで行かず遠くから祈るだけでOKとしなきゃやってられんやろな
デタラメは辞めたら?
江戸時代以前の想定で室町幕府の頃
元の話が江戸時代以降って風習からの話でしょ
鎌倉時代以前って出したやつが江戸の前の時代が鎌倉だと思ってた低脳って話
文脈読めないんだな。
>>374
時代劇って江戸時代だろ。
鎌倉以前の時代劇なんてあったか?
自灯明法灯明も知らない無知が恥さらして発狂はだっさ。
江戸時代の前が鎌倉時代と思ってる人?
そんなこと思ってないが。
で、鎌倉時代と明記されてるのに、理解できないバカが必死に正当化しようとしててみっともない。引けなくなったバカの醜態。
バカのために補足してやると、子連れ狼がいつの時代かは知らないけど、戦乱に明け暮れてる戦国時代を舞台にしてるような時代劇はありそう。室町は戦乱が多かったし、戦国時代と室町の区切りは微妙。
ってことで鎌倉な。バカは察する力がないし、読解力もないから、明示されていることすら理解できずに頓珍漢なこと喚いて発狂。
>>413
江戸時代の前に鎌倉持ってくるのはおかしいだろ
ゆえに日本人はみんな親戚となり名家だと威張ってても意味がありません。
あなたと私が親戚だなんて嫌な話です
バカのために>>414で補足してやったろ。
そもそも明示的に鎌倉と書いてあるのに理解できないのは完全にアスペ。
その最たるものが天皇。
奴隷根性溢れる連中は血統に土下座するんだ。
「○○ちゃんチワワのお墓安らかに」
って子どもの字で書いてあって哀愁を
感じた、今はそういうのダメみたいだけどw
それでいて、さもはるか昔からずっと日本の伝統的文化・風習が続いてるように見せかけてる今に至ってるのが現状
江戸までは初詣も実は無かった
中元・歳暮も庶民はそんなもの全くやってなかった
年賀状や暑中見舞いも印鑑を押す行為も庶民はそんなものやってない
江戸時代の前に明示的に鎌倉時代持ってきてるのがおかしいって話だろ?
江戸の前に鎌倉時代を持ってきてる理由はなんなん?
百年前までは来年の事など考えれない。寒い冬をどうして越すか、食べ物は有るのか、来年どころか明日食べるものは有るのか。
現代人はこれを生き抜いてきた末裔なんだよね。お墓も生活にゆとりができてきたゆえの代物
散歩の途中、墓地の中に代々の墓に並んで飼い猫の墓が立派な御影石で建てられているのを見たことがあるよ
獣は同じ墓には入れんのろうが、そんな家族に飼われてネコちゃん幸せな一生だったのだろうとしみじみした
Atta dīpaṃ bhikkhave, attano nātho bhikkhave,
dhamma dīpaṃ bhikkhave, dhammanātho bhikkhave,
anaññathā panetaṃ dīpaṃ na vijānāti
自灯明・法灯明(自己を灯となし、法を灯とす)
死後の自分の遺体に執着しないように
スッタニパータ知らないんだな
全ての教えが、感謝に通ずる
教えの核心だ
感謝なんかねーよ
それこそが我執なんだよ
まあ、もし出世したら家系でっちあげるしな
徳川の先祖が新田氏なんて無茶苦茶怪しいしw
だから、>>414にはっきり説明しただろ。アスペ。
スッタニパータ読んだことねえだろ。
読んだら諸行無常が本質だと明確に言ってる。まあ、欲に囚われるな!がメインと言ったほうが正しいかもしれんが。諸行無常と知ることで執着をなくせると、しつこいほど繰り返している。
こんなことだけじゃなくて
明治に入って誰がこんなに日本の伝統を全部変えたんだろうな
江戸時代はフリーセックスだったし
ほとんど結婚しなかったし
もっと自由だったのにな
家系なんてほとんどは業者が最近作ったものだからな。
祖先の家系図!とかって言ってる奴いるけど、あれは家系図作成業者が田舎に売りに回って作ったもの。適当にでっち上げてるだけで、客のほうは立派な家系と繋がってると言われて喜んでるだけ。
郵便局出来るまでは年賀状無かっただろと思うが。
あんなに大量に平家が生き残ってたら負けてねえだろ、は伊集院光のネタ
読んでないのは、あなた
縁起支え合いに気づく → 感謝の心
慈悲他者を思う心 → 与える・受け取る感謝
無我自分だけでなく他者も大切 → 共にあることへの感謝
修行日々の学びの中で「ありがたさ」に気づく
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
「受けた恩に気づくこと、それが悟りへの第一歩である。」
乳粥を食べたのをきっかけに釈迦は、悟りを開く
諸行無常は、虚無の真
世の中に真理など無いに過ぎない
スッタニパータは感謝の核心について書かれてる
因みに釈迦は、輪廻転生の存在についても語っていない
日本の仏教、大乗仏教は似非仏教
托鉢さえしなくなった
悟りを開けない者が語る虚無の真
命題前提が偽
無意味の無
現実逃避に誘う無
片手で拍手してみせろとか、くだらない禅問答
釈迦の教えの本質は、感謝だ
AIに聞いてみろ
稲作が始まると子供は5.6人育てられるようになった。すると親たちの統制が出来ず遊び人の子供が多数出現し
泥棒や性的な被害が多発し社会が荒れて混乱することに。そこで宗教が出現して社会の規範を保てるよう泥棒はダメですよ、
親に感謝しなさいよとなったと聞いたことがある
説明になってないぞ
江戸時代の前に戦国、室町って長い時代があり、物語も多いのに無視する理由はないわな
寺が戸籍の管理も担い、葬式や法事も必須に。
これにより、「先祖代々の墓を守る」「墓参りをする」という習慣が庶民にも広まった。
今は、寺の檀家に所属してないなんて、当たり前。
釈迦の教えは、死後の世界を語らない。
生きてる今、苦しみから逃れるには、何を実践するか?
死後に執着するのは、釈迦の教えに反する。
墓は不要
日本の仏教は、坊主丸儲けの宗教
戒名に値段まで付ける
戒名とかデタラメなだけ
初っ端から大嘘。大乗デマに騙されてスッタニパータは読んでないのばればれ。
>縁起支え合いに気づく → 感謝の心
こんなこと言ってねえよ。諸行無常なんだからすべてが虚しい。支え合いで維持されているなんて釈迦は言わない。支え合いなんかで維持されない。すべては虚しく無常。
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんて、スッタニパーのどこにあるか明示しろ。お前が喚いてるから、AIに確認してやったが、AIもそんな記述はないと回答してきた。
そもそも、生は苦であり、欲望から生じるものであるというのが釈迦の教え。生かされてありがとう!なんて思う訳ねえだろ。
戦乱に荒れてる時代を舞台にした時代劇はありそうだと思ったから、戦国時代およびそれに至る室町時代は除いたと説明してる。明確に説明しても理解できないのが、バカアスペ過ぎる。
それな。生臭外道坊主が仏教騙る詐欺カルト。
>>374を100回読んできたら?
だから、戦国・室町を舞台にした時代劇はありそうだと思ったから、除外した。
バカなお前「江戸時代と鎌倉時代が続いていると思ったんだろーーーーー!!!!!」
俺「
だから、戦国・室町を舞台にした時代劇はありそうだと思ったから、除外した。」
バカなお前「江戸時代と鎌倉時代が続いていると思ったんだろーーーーー!!!!!」
バカアスペの無限ループ。
「時代劇って江戸時代だろ。」の部分に噛みついてるのか。
そこは
「時代劇って(メインは)江戸時代だろ。」
を省略したのが不明瞭だったのはまあそうだな。掲示板だから雑な文章を書いたのは認める。
しかし、そこまで一言一句にこだわるなら、
「鎌倉以前の時代劇なんてあったか?」
と「鎌倉以前」と明記してるのに、戦国時代を舞台にした八犬伝を持ち出したのは明らかに的外れ。一言一句まで拘る!と喚く前に自分のミスを反省しとけ。
つまり、ただの現実逃避
AIに聞いたら?
で、どこに書かれてるか明示しろよ。間抜け。
第一章メッタスッタ
よめよ
で、支え合おうとしたって諸行無常ですべて滅ぶのに、一体何に感謝すんだ?
似非仏教に感化されてバカみたい
既述済み
生きてる時の苦しみから逃れる
その為の作法の教え
無だから何?
単に執着するな!だろ
死ぬ事、滅びる事に目を向けるのが、間違い
読んで無い証拠
確認したが、
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんてどこにも書かれていない。やはり読んでないのはお前。
マジで迷惑だわ
自分に対して言ってて偉い!
すべてがマッスルことから目を背けてるのはお前。
支え合いとか妄想垂れ流して逃げるな。すべては無常。
すべてが滅することから目を背けてるのはお前。
支え合いとか妄想垂れ流して逃げるな。すべては無常。
諸行無常は、世の中に真理は無い
全てが変化し移ろう
執着する事の愚かさを気付かせる教えに過ぎない
乳粥を食べ、感謝の気持ちを抱いた事をきっかけに釈迦は悟りを開いた
釈迦の教えの根底には感謝の気持ちを抱く事にあるわけで
それすら、わからないわけだから、読んでないって事だ
第一章
メッタスッタの内容言ってみたら?
素晴らしいですな。
今までずっと死刑もやってきたんだからどんどん処刑しましょう!
異教徒も追い出しましょう!お上にたてつく下らない瓦版書きも
しょっ引いて尖閣辺りに遠流にすべきでしょう!
諸行無常というのが真理な。
で、
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんてどこにも書かれていない。書いてあるというなら節番号言えよ。
「恩を知り、恩に報いる者は稀である」
この世界で稀な人が二人いる。
何かをしてもらったことを知る人(kataññū)、それに報いる人(katavedī)である。
■恩を知る心(知恩・報恩)
知恩:他者から受けた恩に気づく心。
報恩:その恩に報いようとする行い。
■「四恩(しおん)」の教え
感謝すべき存在を「四恩」として教えている
1. 父母の恩
2. 師の恩
3. 国・社会の恩(社会や地域の支え)
4. 衆生(すべての生きとし生けるもの)の恩
■利他(りた)の精神と感謝
釈迦の教えでは「自己中心」ではなく、「他を思いやる利他の心」が重視される
「貪り(むさぼり)」や「怒り(いかり)」といった煩悩を静める
■「足るを知る」=感謝の根本
足るを知る者は富む
不満を手放し、今あることに感謝することで、心の安らぎと豊かさを得られる
■感謝は心の修行である
意識的に育てていく心の態度
単なる礼儀や道徳ではなく、「心の自由」や「解脱」につながる実践が大事
それが「感謝」
言葉に真理は無い
単なる真理への執着
第4章読んだら?
感謝 (gratitude) は Maṅgala Sutta (Snp 2.4)に書かれてる
諸行無常を語り、何を実践せよと?
それに執着すれば、現実逃避しかない
だから、書いてあると喚くなら節番号明示しろよ。
お前の主張なんだからお前が自分で提示しろよ。
さっきから提示できないのをごまかしてるだけであきれる。
さっきまで第一章メッタスッタだと言ってたのは間違いだと認識できたんだな。
で、Maṅgala Sutta (Snp 2.4)にも
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんて書かれていない。
やっぱりお前は読んだことねえんだな。
諸行無常が現実なのに、支え合いで維持できると欲望を起こし、執着することこそ外道。
それ以外の事を書いてる上に
鎌倉時代ではないく室町以降だがと注意書きがあるよ
それで、なんで江戸時代の前に鎌倉時代を持ってきたの?
戦国や室町も時代劇は多いよ
敢えて外した理由はまだどこにも書いてない
既に示したよ
スッタニパータの内容は、総じて感謝の大切さを根底にして書かれてる
感謝という言葉にこだわるなら、
snp2-4を見ればイイ
釈迦は、乳粥で感謝の心が自然に発生し、悟りを開くきっかけとなったわけで
無について書かれてるのは、執着の愚かさを説いてるわけで
言葉に真理は無い
真理を語る事はしない
慈悲の心も感謝の気持ちにより導かれる
因みにこの掲示板、パーリー語は、文字化けするので、パーリー語では書けない
最初、書いてみたけどね
日本の仏教は、釈迦の教えではない
悟りを開く事に執着し、無にこだわる歴史
大事なのは、感謝
托鉢も感謝の心を育む心の修業
日本の仏教は、それさえやらなくなった
死後については、語らないのが釈迦の教え
今の苦しみに対処するのが大事なわけで、死について説いても実践にならない
死んだ者に執着をするなと語ってもいる
だから、釈迦の教えから墓は要らないと解釈出来る
それが、このスレでの指摘
相手には一言一句にこだわって絡むくせに、自分は明言されてることを無視して問題ない!!自分に甘いゴミ。
>戦国や室町も時代劇は多いよ
だから、時代劇がない時代ではないから外したと説明してやったが。アスペ過ぎるな。まじで。
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんて書かれていない。嘘はいかん。
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
と書かれていると喚くなら、具体的な節番号提示しろよ。提示できないんだから、お前自身も自分の間違いを自覚している。
間違っているのにそれを喚き続けるのは嘘、デマ。いかんなあ。
バラモンとの対話
和訳
多くの天神や人々は、守られたい・幸福を求めたいと考える。
では、いかなることが「最高の祝福(守護)」となるのか、教えてください。
愚かな者と交わらず、賢い者と交わり、敬うべき人を敬うこと──これが最高の祝福である。
適切な国に住み、過去に善行をなしており、自らを正しく導くこと──これが最高の祝福である。
幅広い知識、技術、よく訓練された律法、よく語る言葉──これが最高の祝福である。
親を養い、妻子を助け、誠実な職業に従事すること──これが最高の祝福である。
施し、正しい行い、親族への助け、非難されない行為──これが最高の祝福である。
悪を避け、禁酒し、心の資質に注意を払うこと──これが最高の祝福である。
敬意、謙虚、満足、感謝、適時に仏法を聞くこと──これが最高の祝福である。
忍耐、心の落ち着き、聖者に会うこと、適時に仏法を論じること──これが最高の祝福である。
苦行(禁欲)と梵行(清浄な生活)、高貴な真理を見ること、涅槃を実現すること──これが最高の祝福である。
世俗の事物に触れても動じない心、悲しみなき、塵に染まらぬ、安らかな心──これが最高の祝福である。
このように振る舞う者は、どこへ行っても打ち負かされず、あらゆる場所で幸福に歩むだろう──これこそが彼らの最高の祝福である
んで、1人で死ねと?
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんて書かれていないな。
書かれていると喚くなら、具体的な節番号提示しろよ。提示できないんだから、お前自身も自分の間違いを自覚している。
間違っているのにそれを喚き続けるのは嘘、デマ。いかんなあ。
感謝の大切さが根底にある教えと言ったのです
支え合って維持することなんてできないし、死ぬときは一人。
種着まみれの煩悩大乗外道。
スッタニパータに「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」と書かれていると喚き、書かれていない個所をあちこち示した挙句、最終的には書かれていないと認めると。
お粗末だし迷惑だが、まあ間違いを認めたことだけは評価してやろう。
言葉に真理は無い
感謝の大切さが根底にあり、それが教えの本質
心の修業により、感謝が自然にわく様になる
実践が大事なわけで、虚無の真なんて実践に結びつかないだろうに
間違い?
釈迦の教えは、一言で済む
大事なのは感謝
教えとは気付き
愚かな考えを気付かせる為に、無を説いたに過ぎない
諸行無常が真理と語れば、真理への執着に過ぎない
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんて文言はないのに、書かれていると喚いたお前の言葉に審理はないな。
「生かされていることに気づいたとき、人は自然に感謝の心を持つようになる。」
なんて文言はないのに、あると喚き続けたお前が間違っていない!!
大乗デマ外道の正体見たり。
スッタニパータに書かれていると言っておいてこれよ。
骨の髄から詐欺師。
寺請制度と墓地は関係ない
寺の坊主は本来葬儀や埋葬には関与しなかった。
僧というのは学問をし、戒律を守り、本尊の仏に仕え、経を読んで捧げた。
死者を相手に経を読むということはしないものであった。
ただし、寺を開基したり、援助したりするような、有力者の死にあたっては僧たちが経を読むような
こともあった。
葬儀や埋葬というのは穢れであり、当初は正式には僧の資格のない下級僧侶が執り行っていた。
こうした身分の僧は、下僧とか下臈と呼ばれることがあった。
下臈の臈いうのは仏教用語である。
やがてこれらは特殊な身分の人たちが行うようになり、寺には属さない外部の賤民たちが担当するように
なった。いっわゆる墓守の類であり、死者を火葬したり穴を掘って埋めたりする人たちを隠亡と呼ぶように
なる。
ちなみに、神道の方でも神主がお祓いなどをするようになったのは明治以降のことである。
江戸時代までは、神主は穢れには関与しなかった。
穢れを払うような、いわゆる地鎮祭のようなものとか、安全祈願のようなものはしなかったのである。
こういう払いというものは、身分の低い祝(いわい) といった人や、山伏が執り行った。
金ねえんだわ
神社が穢れに関係しないという主張は間違い。
菅原道真の祟りを鎮めるために神社で祀ったのは有名な話。
神社は寺にあった。神社を宰領しているのは仏僧であり、別当といった。
神社が主体で、寺が付属物のようになっていたものもあったが(この場合の寺を神宮寺という)、
それでも最高位につくのは僧だった。
菅原道真が死んだあと、太宰府の附属施設のようになっていた寺(観世音寺)に道真の廟が作られた。
そのまま四十数年が経ってから、北野の朝日寺という寺に道真の廟が移された。
これは道真が死んで四十数年経ってから何故かその人気が高まり、観世音寺の廟に大勢の人が参詣する
ようになったからである。
当時、地方で人気が高まった寺の本尊や御祭神は、京に運ばれて人気の寺や神社になることが多かった。
道真の廟が移された朝日寺は、筑紫観世音寺の名をとって東向観世音寺という寺号となり、現在まで存続している。
>神社が穢れに関係しないという主張は間違い。
>菅原道真の祟りを鎮めるために神社で祀ったのは有名な話。
バカじゃなかろか。
道真は怨霊として祀られているのではない。立派な御祭神なのだ。
道真は天神として祀られているのである。
天神とは雷神のことだ。
なぜ雷神となったかというと、道真が亡くなったあと、宮中に雷が何度も落ちた。
清涼殿落雷事件という名で知られた話である。
雷神がなぜ怨霊なんだw
神社には神人(じにん)などという隷属民がいた。この人たちがお祓いなどをしていたのだ。
寺の方では、僧の格好はしているが僧にはなれない下層の隷属民がおり、このひとたちが葬儀や火葬などを
執り行ったのである。
幕末になると、神社神道系で葬儀を行う人達が出てきた。
東山は死人捨て場だったが、捨てられた死人から衣服などを剥いでいた人たちが、埋葬のようなことも
行っていた。坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されると二人の遺骸は東山の霊山という山に運ばれ、出てきた神人の
ような格好をした人たちに渡された。首領が公家の出という神道系の埋葬業グループができていたのである。
当時、長州や熊本では仏僧を忌む気風が生まれており、幕末の志士で横死した人は霊山に運ばれることが多くなっていた。
それで今日、京都霊山護国神社というのは有名な志士の墓が並んでいるのである。
しかし、当時はどのように葬られたのか全くわからない。適当に埋められたのだと思われる。
https://blog.kanko.jp/kyoto-sightseeing/kyoto-shrine/reimei-shrine
天神となった道真を祀った廟は東向観世音寺境内に置かれていたわけだが、維新後の神仏分離で
独立の神社となり、北野天満宮となった。
本地垂迹説によると、菅原道真の天神の本地仏は観音菩薩だという。
明治になるまで、天満信仰は観音信仰の一種だったのである。
バカはお前だよ。大間違いを喚いてる。
>道真は怨霊として祀られているのではない。立派な御祭神なのだ。
藤原時平の讒言(昌泰の変)により、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後は怨霊になり、清涼殿落雷事件などで日本三大怨霊の一人として知られる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F
左遷されて僻地に飛ばされてそこで死んだ奴をなぜ祀り上げたか?
不吉な事件が起き、祟りだと恐れられたからこそ、立派な御祭神として祀ることで鎮めようとした。
左遷した役人が理由もなく立派な御祭神として祀られる訳ねえだろ。
まあ、
>道真は怨霊として祀られているのではない。立派な御祭神なのだ。
は結果としてなった状況としては間違ってはいないか。ただ、祟りを鎮めるために祀ったのだから、
>菅原道真の祟りを鎮めるために神社で祀ったのは有名な話。
を否定してるのは、こんな有名な話すら知らない間抜け。
バカ、自分にレスしてやんのw
怨霊が祟らないようにするには、怨霊に怨みを忘れてもらわねばならない。
そのために神として祀るわけであって、ちゃんとした神として祀ってもらえれば、祟(たたり)をする怨霊でなくなると
いうことだろ。
神として祀られて、人々に崇められればそれは満足するわな。
そうすれば祟るなんてことはしなくなる。
ということで、悪霊や怨霊が悪霊や怨霊として祀られるなんてことはありえない。
ちゃんとした神様として祀られるんだよ。
それに、上に書いたとおり、道真は太宰府で廟を建ててもらったわけだが、
廟というのは、この場合霊廟。すなわち御霊屋(おたまや)。
御霊屋というのは魂の居場所であって、まあ墓と同じようなものだよ。
これは、道真がもともと高官であり、しかも道真を取り立てた宇多天皇が健在だったからだ。
別に悪霊になったから神として祭ったというわけではないのだよ。
流人として死んだって、位の高い人なら立派な墓を創ってもらえる。
たとえば後鳥羽上皇の隠岐の墓(塚)な。
道真の廟が九州から京へ来たのは道真の死から45年ほど経ってからで、関係者はみんな死んでる。
いまさら怨霊がどうの祟りがどうのなんて言っている人はいない。
道真の廟を京に持ってきたら人気が出て参詣者が多くて儲かるだろうなと思った坊さんが居たというだけのことだ。
怨霊を鎮めるための神社だなんてのは後世の人が創ったお話だよ。
君も純朴な人だわな
バカ、自分にレスしてやんのw
と自分に言ってるのは偉い!
これはまさに俺が言った祟りを鎮めるために祀るだな。
>怨霊が祟らないようにするには、怨霊に怨みを忘れてもらわねばならない。
そのために神として祀るわけであって、ちゃんとした神として祀ってもらえれば、祟(たたり)をする怨霊でなくなると
いうことだろ。
教えてやったwikiの話もしらずに、
>菅原道真の祟りを鎮めるために神社で祀ったのは有名な話。
を否定した大間抜け。こんな有名な話は社会常識レベルだから、無知な己を恥じて舌噛み切って死ね。
たぶん工作員がいるんだよ
>菅原道真の祟りを鎮めるために神社で祀ったのは有名な話。
を否定した大間抜け。こんな有名な話は社会常識レベルだから、無知な己を恥じて舌噛み切って死ね。
歴史的沿革的に、菅原道真の祟りを鎮めるために神社が作られたことは一度もない。
普通の霊廟だった → それが京都の寺に遷された というだけのこと。
その霊廟が、明治の神仏分離で独立の神社になっただけ
自分で、
>怨霊が祟らないようにするには、怨霊に怨みを忘れてもらわねばならない。
そのために神として祀るわけであって、ちゃんとした神として祀ってもらえれば、祟(たたり)をする怨霊でなくなると
いうことだろ。
と言ったことをもう忘れたのか?
支離滅裂であきれる。
時系列も教えてやったのに理解できてないバカ。
太宰府への移動はすべて自費によって支弁し、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた[43]。『菅家後集』に収められた「叙意一百韻」では、左遷・流謫の身に至るまでの自らの嘆きを綴っている[44]。大宰府浄妙院で謹慎していたが、左遷から2年後の延喜3年(903年)2月25日に大宰府で薨去し、安楽寺に葬られた。享年59。刑死ではないが、衣食住もままならず窮死に追い込まれたわけであり、緩慢な死罪に等しい。
延喜6年(906年)冬、道真の嫡子高視は赦免され、大学頭に復帰している[45]。延喜8年(908年)に藤原菅根が病死し、延喜9年(909年)には藤原時平が39歳で病死した。これらは後に道真の怨霊によるものだとされる[46]。延喜13年(913年)には右大臣源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死した。
延喜23年には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王が薨御した。『日本紀略』はこれを道真の恨みがなしたものだとしている[46]。4月20日(923年5月13日)、道真は従二位大宰員外帥から右大臣に復され、正二位を贈られた[46]。
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
これは仏教の教えにかなっている
仏教では、愛とは一般的に「渇愛」を意味し、欲望の充足を求める執着心を指し、悟りの障害となるものと考えられている
仏教の目指す「慈悲」は見返りを求めない無償の愛で、渇愛とは対極の概念である
仏教は慈悲を目指していない。
欲がなくなれば、他人から奪うことはなくなるから結果として他者を侵害しなくなるが、目指しているのはあくまで欲からの解脱。
現世は苦だから、衆生が苦しむのは必然であり、救いようがない。
正しい教えを知らしめることで、自ら欲から解脱する道を示すのが救い。
何が時系列だ。全然わかってないじゃないか馬鹿
一つだけ教えてやろうか。
>天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
↑
これまちがい。
太宰府の菅公の霊廟が分祀されただけだから。
暇ができたらまた書いてやるよ
しっかし、神仏混淆がわかってないとどうにもならんな。高校にふつうに行ってれば
分かるはずなんだが。田舎の工業高校中退くらいの奴か
ソースもなしに喚くなバカ。
これがどうしようもないレベルの無知。
>なぜ雷神となったかというと、道真が亡くなったあと、宮中に雷が何度も落ちた。
清涼殿落雷事件という名で知られた話である。
雷神がなぜ怨霊なんだw
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ
という常識レベルの知識すらない間抜け。
あまり伝統がー、とは言わない方がいい
思い込みに過ぎない
寺請制度と墓地が関係するなんて記事のどこにも書かれていない。
寺請制度が墓地の原因ではないというのは正しいが、坊主と墓・葬式が関係しないというのも間違い。
ここは日頃から誰にも相手にされない寂しい老人が積もりに積もった思いの丈を吐き出すインターネッツですか?
しっかし馬鹿だよなあw
どこのサイトをコピペしたのか知らんが、レベルが低すぎる。ご苦労さん。
道真配流死亡の後、処罰の関係者に次々に異変が起き、菅公の祟りと喧伝されたのは事実だ。
こんなことは誰でも知っている。
菅公の怨みを鎮めるため、死後20年目の923年、故菅原道真公は右大臣の地位に復され、さらに正二位に遺贈された。
この名誉回復の措置で菅公の鎮魂は終わりだ。その後は何もなされていない。
名誉回復の7年後、清涼殿に落雷があり、何人もの死傷者が出た。
これも菅公の祟りと言われたが、何もなされなかった。
実際問題として、さすがに菅公死して27年も経っており、今更どうしようもなかっただろう。
そもそも、落雷事件のときの天皇は醍醐天皇だが、醍醐帝は宇多天皇の息子である。
宇多天皇は道真を引き立てて右大臣にまでさせた天皇である。
道真が藤原一門に嫉まれ、配流になったときは、隠居所である仁和寺から内裏に駆け付けた。
しかし、藤原氏に門を閉ざされ、宮中には入れなかった。宇多上皇は夜通し門の前に立っていたという。
これくらい道真に目をかけた宇多上皇の息子が醍醐天皇なのである。
醍醐天皇のこの事件の3ヶ月後に死ぬが、しかし、道真と宇多帝の関係からして、菅公が醍醐天皇に怨みを持っているとは
考えられない。
落雷により藤原氏の公卿が何人も死傷したが、だからといって天皇に関係がない以上、朝廷が祟りを恐れてなにかをすると
いうことはあり得ないのである。
さらに、菅公の廟が太宰府の観世音寺から京に移されたのは、落雷事件のさらに17年後だ。
時間的に隔たりすぎている。事件に関係があるわけがなかろう。
北野朝日寺の境内に、太宰府観世音寺の菅公廟の御霊を分祀したのだ。
朝日寺は太宰府観世音寺にちなみ、北野観世音寺と寺号を変え、さらに北野観音寺と変わった。
40年後の987年に一条天皇の勅使の参向があり、このときから「北野天満大神」という神号が認められるようになった。
しかし、このときに神社が建てられたわけではなく、天神として祀られているのはあくまでも寺であった。
菅公は自作の十一面観音像を持念仏にしていたが、それを観音寺奥之院に安置し、本尊としていた。
神であるが御神体は十一面観音で、寺に置かれていたのである。
こういうことは当時は当たり前になされていた。
天平のビーナスと称される聖林寺の十一面観音菩薩像は、明治の廃物毀釈で三輪山の大神(おおみわ)神社からうち捨て
られたものだった。大神神社に祀られていたときは、大神神社の神宮寺であった大御輪寺の本尊だった。
本尊であると同時に御神体でもあったのである。
菅公の十一面観音もちょうどこれと同じように祀られていたわけである。
ソースのリンクは貼ったのに
>このサイトをコピペしたのか知らんが、レベルが低すぎる。ご苦労さん。
と喚くバカ。で、ソースなしで喚いてるのが低学歴丸出し。
>>494
菅原道真の祟りを鎮めるために神社で祀ったのは有名な話。
を否定しておいて、
>>516
道真配流死亡の後、処罰の関係者に次々に異変が起き、菅公の祟りと喧伝されたのは事実だ。
こんなことは誰でも知っている。
菅公の怨みを鎮めるため、死後20年目の923年、故菅原道真公は右大臣の地位に復され、さらに正二位に遺贈された。
この名誉回復の措置で菅公の鎮魂は終わりだ。
と言い出してるのは笑う。ググって自分の無知をようやく認識できてのか。
無知を認識したんだから反省しとけ。
清涼殿落雷事件は延長8年(930年)で、923年の後だ。間抜け。
>>516
道真配流死亡の後、処罰の関係者に次々に異変が起き、菅公の祟りと喧伝されたのは事実だ。
こんなことは誰でも知っている。
菅公の怨みを鎮めるため、死後20年目の923年、故菅原道真公は右大臣の地位に復され、さらに正二位に遺贈された。
この名誉回復の措置で菅公の鎮魂は終わりだ。
延喜23年には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王が薨御した。『日本紀略』はこれを道真の恨みがなしたものだとしている[46]。4月20日(923年5月13日)、道真は従二位大宰員外帥から右大臣に復され、正二位を贈られた[46]。
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
を理解できない日本語読解力欠陥アスペ。
江戸時代までは、神主は穢れには関与しなかった。
と大間違い晒す。
俺が常識レベルの知識を教えてやったら、祟りを鎮めるために祀ったと言い出す論理破綻を晒す。
>>499
怨霊が祟らないようにするには、怨霊に怨みを忘れてもらわねばならない。
そのために神として祀るわけであって、ちゃんとした神として祀ってもらえれば、祟(たたり)をする怨霊でなくなると
いうことだろ。
で、今度は自分で言った>>499を否定しだしててあきれる。
無知がブレブレで脳みそ破壊されたのか?
少なくとも江戸中期(約400年前)の下級武士の日記には
盆に妻の墓参りをする記述が出て来る
「先祖の墓参り=日本の伝統」は大間違い
ってタイトルは雑誌の記者が勝手に作ったと思う。記事本文にはそんなこと言っていない。まともな学者なら伝統でないというなら伝統の定義をどうするか考える。
このタイトルの付け方って●●の発祥は!
って火病ってる民族の人みたい
墓の定義ってのもアレだしなあ
今の日本人が考える墓石はあれ20世紀に入ってからの代物で
江戸時代には基本的に卒塔婆だけ
記事読めよ。
一般庶民が、死霊を祀るための装置の一つである「墓」として石塔を建てるようになったのは、およそ江戸時代に入る前後からとされています。そこから、今日のように、お墓といえば石塔をイメージするような状況が、次第に形成されていきました。石塔の歴史は、意外かもしれませんが、比較的新しいものなのです。
しているのか
嘘だね
江戸時代の(石の)墓はたくさん残ってる
明治時代から関東で始まった火葬は全骨だが、関西四国九州に普及するまでは土葬で全骨だったよ(火葬にする際に一部にかわった)
全骨より一部の骨だけにする方が良いと考えるのが自然だわな。完全に焼却がベスト
なんで江戸以前(またはその時々で○○以前)でないとして伝統と認めないの?
なんで開国後は伝統の認めないの?
ものによっては「終戦後だから」とまでいうよね。
なんでその起源となったとき、広まった時を理由に(その時々で基準は変わる)「それ以降だから伝統じゃないもん」と言いたがるの?
「伝統」でもやるべきこともやるべきではないこともあるし、
「伝統ではなく」ても、やるべきこともやるべきではないこともあるよね
かりに言うところの「伝統ではない」にしたとして、「広まりを持っている」「一部の大きな声に反応する必要はない」という観点もあるのに、なんでことさら「伝統」を持ち出すの?
火葬が一般的になったのは昭和40年以降。公営の火葬場が作られてから。
地域共同体による埋葬から施設による火葬へと変わった。
上京就職、新興住宅地においては埋葬するような共同体が不在。埋葬するための共有地がない。といった理由で、欧米の真似ではない。
この記事は内容読めばそんなこと言ってないのに、なぜそんな発狂してる。
普段から伝統だからー!と喚いてんのか。
今の社会に溶け込んでるもの、社会の基盤となってるやり方にを否定するとか変える理由になる論理的合理的説明は?
「そんなこと言ってない」w
「いつも言ってるのか」w
論理性一切なし
だから、記事のどこにもそんなこと書いてないのになんで発狂してんだ?
お前はいつもそんなこと喚いてるから発狂したのか?
と言った。
会話が成立しないバカアスペはブロック。
馬鹿向きのウィキの解説を文字通りに受け取って幸せな厨房 いや、小学生かもな
清涼殿に雷が落ちてから17年後に北野天満宮に祭ったって仕方あるまいよ
17年間何やってたんだ?www
だから、こんなの常識レベルの知識。
しかも、ウィキでは本のソースが明示されている。
それも気づかず、何のソースもなしに間違いだらけの個人の感想を垂れ流す低学歴。
馬鹿 ソースがウィキってお前・・・・ ww
日本語理解できないバカアスペ。
ウィキに書籍のソースが提示されている。
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246.
滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
そして、何のソースもなしに個人の妄想を喚き続ける低学歴。
それは建前で農民でも苗字を持つものは多かった。名乗るのを禁止されていただけ。
学者本人は「伝統」について何一つ語っておらず、墓参りを否定もしていない
が、江戸時代からの習慣であるという話を利用して「伝統ではない」と記者の主観で書いている
虎の威を借る狐とはこのこと
それはなんとなく知ってた
政府が散骨を禁止してるから日本国内ではできない。
まあ、殺人事件との区別が必要なのは分かるが、散骨許可地域は作ってもいいような。
貧困化が進んだ今の日本だと、墓なんて作れない人が増えてる。
へー、ソースは中公新書でいいのかw
そのレベルなら俺も持ってら
しっかし馬鹿だよなあ、菅原道真公は怨霊ではなく善神なのだ
北野には菅公を祭るずっと以前から雷神を祀る社があった。
だから筑紫安楽寺の菅公廟を北野に移してくれという民衆運動が盛り上がった。
北野の森というのは神人の巣窟だった。
もともとはホウリ(祝)がたくさんいて、北野は死体捨て場でもあった。
で、ソース出せよ。
バカって何度同じこと言われても出さないのな。
学問やったことのない下層民だなww
高校中退か?それともまだ厨房なのかもな
ソースの意味がわかってないみたいだな
ここの住民はみんな腹抱えて笑ってるぞw
あと、北野神人(西京の神人)って歴史好きな人ならたいてい知ってるぞ
そもそもソースがどうのというような話じゃないんだけどな
しっかし、低学歴って面白いよな・・・
な、ソースの提示の仕方も知らない低学歴。
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246.
滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
のようにお手本を示されてもできないのがもはやかわいそう。
これってウィキの菅原道真のページの一部をコピペしたものだろ
ソースになるようなもんじゃないわな
ウィキってどこの誰が書いたか分からないんだぜ
参考文献が上がってるが、お前が読んだわけじゃないんだろww
こういうのはソースの提示とはいわないのだ馬鹿w
ほんとバカだな。
ウィキの記述のソースが
^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246.
滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
疑うなら、ページ明記されてるんだから実物で確認しろよ。ソースってのはそれができるように表記するもの。ソースがきっちり表記されてるのに、ソースにならないと喚く低学歴。
で、お前はソースをまったく提示できないという間抜けを晒す。ここまでバカだとまともな人生遅れてないだろうな。かわいそうになる。
お前だって知ってるぐらいだろw
ソースがどうしたとか言う問題か
しかも、ウィキのコピペをソースとか もう馬鹿の極地
ソースって流行ったよな昔の2ちゃんで
ソースって言葉覚えた厨房がうるさかったわ お前はあの仲間か
中公文庫が参考文献になるならいくらでも書いてやるぞ さすがに菅原道真の研究所は持ってないわ
沖縄の墓を少し調べたが、あれちょうど江戸時代始めぐらいが最古だと言われてて、もがりやらなんやら儀式的なものはは平安ぐらいの日本式を残してるのに建築様式が中国式だからよくわからん
沖縄の墓についてなんか知ってるなら教えてクレメンス
ずっと俺は常識レベルだと言ってんだろ。間抜け。
バカなお前が常識もしらずに喚くから、
>>516
道真配流死亡の後、処罰の関係者に次々に異変が起き、菅公の祟りと喧伝されたのは事実だ。
こんなことは誰でも知っている。
菅公の怨みを鎮めるため、死後20年目の923年、故菅原道真公は右大臣の地位に復され、さらに正二位に遺贈された。
この名誉回復の措置で菅公の鎮魂は終わりだ。
間違っていると教えてやったら、
延喜23年には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王が薨御した。『日本紀略』はこれを道真の恨みがなしたものだとしている[46]。4月20日(923年5月13日)、道真は従二位大宰員外帥から右大臣に復され、正二位を贈られた[46]。
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
>>543.
馬鹿 ソースがウィキってお前・・・・ ww
と喚くから、書籍のソースが提示されてるのも理解できねえ低学歴なんだなという流れだろ。
低学歴バカは自分で自分を否定してて笑う。
>>556.
馬鹿だな、道真の怨霊譚など誰でも知っている。田舎の爺様だろうと子供だろうと。
ほんとお前は大馬鹿だ。
で、ソース提示しろよ間抜け。
何度同じこと言われてもできないのが低学歴。ほんとかわいそうに。
放り込む、捨て墓。それより250年も前に日本では墓標をたて
先祖を敬っていた。日本人はシロンボ土人とは違うんだよ
それは死体と魂に対する考え方が違うから。
西洋では死体を離れた魂は死体に戻らない。だから、死体は大して重要ではない。
ドラキュラは怖がるけどな
IDコロコロして逃げをはかる厨房頭の親父w
ソースという言葉がはやったころの2チャネラーだわな
お前のこの記述がおかしいんだよ
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した
醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。
これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246.
滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
清涼殿落雷事件と北野天満宮は関係ない。
北野天満宮が建立されたのはそんな単純な事情によるものではない。
だいたい雷が落ちて17年後の話だぞ
関係あるわけないだろボケ
>書籍のソースが提示されてるのも理解できねえ低学歴なんだなという流れだろ。
「書籍のソース」って何だよ。そんな言葉あるのか
そこに中公新書が示されているのはただの参考文献としてだ。ソースではない。ほんとに馬鹿だな
だいたいお前はこの本を読んだのかよ
ウィキの記述者がこの中公の新書を参考文献として示してるだけだろ
まじでお前は馬鹿杉 小学生レベル
だから、お前のその妄想のソース出せよ。無能低学歴。
現在の日本では、散骨を直接的に禁止する法律はありません。法務省の見解として、「葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り、遺骨遺棄罪(刑法190条)にはあたらず問題ない」とされています。
ただし、以下の点には注意が必要です。
粉骨の義務: 遺骨の形が残っている状態で撒くと「死体遺棄罪」に問われる可能性があるため、**遺骨を粉末状(2mm以下が一般的)に砕く「粉骨(ふんこつ)」**が必須とされています。
自治体の条例: 一部の自治体では、環境や漁業、住民感情などへの配慮から、条例で散骨を制限または禁止している地域があります(北海道、埼玉県、静岡県などの一部地域)。
場所とマナー: 墓地以外の埋葬は「墓地、埋葬等に関する法律」で禁じられていますが、散骨は埋葬ではないと解釈されています。しかし、他人の土地や生活圏に近い場所、漁場、水源地などでの散骨は避けるべきで、節度とマナーを守ることが求められます。海洋散骨は陸地から離れた場所で行うのが一般的です。
貧困化や少子高齢化が進む中で、お墓を持てない、お墓の承継者がいないといった問題が増えており、散骨は選択肢の一つとして認識されつつあります。
許可地域を作るというご意見も、混乱を避けるための合理的なアイデアかもしれません。現状では、条例による制限や、業界団体が定めたガイドライン、そして何よりも地域住民や関係者への配慮が重要視されています。
お寺の坊主も遺体(骨)も墓標も無意味だと言ってたな
江戸時代の道徳仏教と違い原始仏教はすべては「無」である
般若心経のとおり。今の葬式仏教とは大違い
般若心経は原始仏教じゃねえよ。大乗が創作した捏造経典。
釈迦が呪いなんぞに効果を認める訳がない。
輪廻転生は彼が考えたことではなく、彼が育った社会の大前提で
その輪廻から解脱する(生まれ変わらなくなる)ために
出家しよう(家族や友人、俗世間との関係を断とう)と言った人
般若心経だの父母恩重教だのはむしろゴウタマとは正反対の価値観だわ
ヲイヲイ・・・
(,,>?<,,)ぷっ
浅い
平安から江戸時代までは記録も物証もほとんどないから断定は無理だろ。
文書が残っているのは支配階級だけ。庶民の記録はほとんど残っていない。十世紀ごろに死体が道端に捨てられてて、定期的に死体を集めて埋めたなんて記録は残っているらしいが、家族がいる状況で死んだ場合にどう扱われていたかは不明。
墓も残っていないから墓石を作って残すことはしていなかったと考えられているんだろ。墓が残っているからこうだったじゃなくて、残っていないから土を盛っただけとかせいぜいその程度だったんだろうという推測。
記録や物証が出てこない限り、そう考えるのが妥当だし、詳細は憶測でしかないから学者は根拠なしの想像では言わない。
何ならWebサイトだってな
参考にしたのに明記しないのはダメだろ
「それだと論拠にならない」「論拠として不十分」ということを「参考文献にならない」とは言わない
常識だよな。
ソースが提示された記述を否定するなら提示されたソースと同等以上に信頼できるものを提示することが求められる。
ウィキ提示されてそんなのソースにならないと喚くバカがいるけど、低学歴を晒しているだけ。何のソースもなしにウィキを否定しても相手にされない。
しかも、今回は中公新書のソースあり。
しかも、菅原道真の祟りなんて常識レベル。その常識を否定してる時点でアホなんだけどね。
だよな
(正確にいうと配流ではない。太宰権帥に任命されたのであり、左遷の形をとっている。)
道真が罪を蒙ったときに、息子たちも全員同様に流罪となったが、906年には全員赦免され、
都に戻っている(配流先で亡くなった人もいた)。
長男は戻ってすぐに復権、それだけでなく一階級位を進められた。
その後も順調に昇進し、従四位上の位まで登った。
父親の道真は従三位だから(死んでから従二位を贈位)、父親に遜色ないところまで出世した
のである。
次男はのちに文章博士、大学頭(だいがくのかみ)になっている。
道真が亡くなって2年後の905年、道真の従者で学問の弟子でもあった味酒安行(うまさけやすゆき)が
筑紫観世音寺の寺域内に廟(御霊屋)を作った。(味酒は「みしお」とも読む)。
筑紫観世音寺は太宰府の官衙(かんが、官庁の建物)の一角に広大な寺域を構え、太宰府の一庁舎の
ような存在であった。
寺は立派だったが、味酒安行の建てた廟は、おそらくきわめて粗末なものだっただろう。
味酒は道真に随行して現地にいた従者だったから、そんなに資金があるはずがない。
資金は道真の一族からも出ているかも知れないが、それほど立派な廟を作るわけにはいかない。
何故なら、道真は流罪のような形で世間から葬られた人間だからである。
味酒は京都に帰ってもかまわないのに墓守をしていた。
廟を建てた後は堂守をしていた。
味酒なる人物が道真の墓(廟)を守り続けるつもりなら、出家して僧になったに決まっているが、
それがいつかといえば、醍醐帝の命令で祠廟を建てたときだろう。
919年、味酒安行が御霊屋を作ってから14年後のこと、醍醐天皇は左大臣藤原仲平に道真の祠廟を
作ることを命じた。
このときに、ただの廟でなく寺になったのである。
寺号は「安楽寺」といった。筑紫観世音寺の子院という形をとったはずである。
その後は、ただ安楽寺と呼ばれていたが、京都に北野天満宮が創建されると「安楽寺天満宮」と呼ばれる
ようになった。
ちなみに明治4年に安楽寺は神仏分離で廃寺とされ、「太宰府神社」という名称で存続した。
そして戦後「太宰府天満宮」に名称変更された。
なお、味酒安行の子孫は今でも天満宮の宮司として仕えている。
子孫は、代々安楽寺の僧であり続けたのだろう。
神仏混淆の当時、神社を統率していたのは僧だから、僧であったはずである。
味酒氏の子孫は、明治になってから神職になったのだろう。
その後、安楽寺が建てられた後、筑紫観世音寺はとてつもない大寺になった。
もともと太宰の官衙の附属施設のようになっていたから、大寺であることは間違いないのだが、公卿からの土地の寄進が
すさまじく、何と九州一の寺領を抱え、九州随一とか西海道一と称される寺になった。
平安時代には、公家の私領は形だけ寺院に寄進されることが多かったが、寄進の相手としてうってつけだったらしい。
おそらく寺が官庁的な性格を有していたことと、公家たちとの結び付きが密だったことが理由なのだろう。
(太宰府の役人に任じられることは出世コースだった)。
寺自体が大きな町で、おそらく数万の人が住んでいた。
(これは京都などでも同じである。天龍寺などは、最盛期に寺域が約950万平方メートル、子院150ケ寺といわれる。
一般人も多数住んでいた。)。
上述のように、道真を祀る廟は安楽寺という寺号の寺になり、これは当然観世音寺の子院である。
観世音寺の隆盛につられて安楽寺も大寺となり、たくさんの子院(塔頭)を抱えるようになった。
(境内に庶民も住んで町になり、巨大寺院になるのは中世寺院の特徴である。これが発展して郭まで持ち、城塞都市に
なったのが石山本願寺である。)。
筑紫観音寺が大寺になった根本的な理由は、平安初期仏教界の潮流に乗ったことである。
庶民を信者として受け入れ、参詣を許すようになったのである。
それ以前、奈良時代はもちろん平安時代になって半世紀ぐらいの間は、庶民が寺院に参詣するということはなかった。
というより、寺の方が庶民を受け付けなかったのである。
(東大寺金堂の大仏は、民衆のための寺ということで、中門のところまで庶民が入れた。今のように堂内に入るような
ことはできなかった。さらに女人禁制であった)。
従来の寺というのは、豪族や高位の公家の私寺だった。個人の持ち物だったのである。
だから無関係の人間を受け入れるということはなかった。この時代の寺を古代寺院という。
しかし、古代豪族は衰退し、支配階級のごく上位の者以外、自分の寺を持つということはなくなっていく。
さらに、古代の官寺(かんす)も、庶民を相手にしなければ伽藍を保てなくなっていた。
例えば太秦の広隆寺は秦氏の氏寺だったが、秦氏の所有は早くに失われ、真言宗教団の寺になった。
(※広隆寺の本尊に薬師如来像を据えたのは、承和3年(836)に別当に就任した僧・道昌であるといわれている。
道昌は讃岐の出身で、早くから空海の弟子となり、空海の片腕となって活躍した僧である。)。
そこでどうやって寺を存続させたかというと、一般庶民の信者を集め、喜捨を募ったり、病魔退散の真言を唱えて
祈祷料を取ったりした。そのために薬師如来を本尊としたのである。
当時、薬師如来は、その名前から病気を治す功験があると信じられ、信仰の対象として人気を集めていた。
広隆寺には信者が雲集したという。
https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-277.html
しかし、数十年經ち、いくら薬師如来を拝んでも病気は治らないことが理解されてくると人気は下火になった。
そこで今度は太子信仰を始めたのである。
太子信仰とは、聖徳太子は観音の化身であるする観音信仰の一種である。
法隆寺の僧がはじめたもので、法隆寺さえもこうした信仰を編み出して庶民を集めなければ存続できなくなっていた。
広隆寺では、木像に公卿風の服を着せ、特別な日に特別な喜捨をした信者に開帳し庶民に拝ませた。
僧が講師となり、聖徳太子絵巻を見せながら太子の超人的な業績を解説したりもした。
https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-277.html
これにより、広隆寺は京における太子信仰の中心となり、今日まで命脈を保つことが出来たのである。
仏とされ、そのため公卿やその家族は熱心に観音参りをした。
京では清水寺、近江の石山寺、奈良の長谷寺などが有名である。
長谷寺の十一面観音はとくに人気があり、公家たちが京から牛車をつらねて参詣した。長谷寺は枕草子や源氏物語にも登場する。
石山寺の如意輪観音も信仰を集め、紫式部はここに参籠中に源氏物語の着想を得、宿坊に部屋を借りて源氏物語を書いたという。
寺に庶民が参詣するようになり、筑紫観世音寺も、その子院である安楽寺もおおいに栄えたが、安楽寺の隆盛は本尊が
観音であることも関係している。
道真が手ずから彫ったという観音像が本尊であることが、この当時の観音ブームにマッチしたのである。
安楽寺の繁盛はすぐに京に伝わった。太宰府には官人がたくさん赴任しているのだから、情報が伝わるのは当たり前である。
すると、民衆の中に、菅公の霊にお参りしたいという願いが兆しはじめ、僧たちは敏感にその雰囲気を察した。
(以下、山田雄司「怨霊とは何か」中公文庫の68ページ以下による。)
西京(右京)七条二坊に多治比の女奇子(たじひのむすめあやこ)という老婆がいた。自分の家の隣の空き地に
瑞垣(みずがき、神社などの垣根)を結回し、菅公の祠を建てて拝み始めた。
人に問われると、自分は道真公の乳母だったと語り、参詣者に昔話などをしたという。
実はこの女に道真公が降り、託宣を下したのであった。しかし奇子は自分の身分を恥じ、五年の間、禿倉 (ほこら)を
営み、畏み祀っていただけで、お上には何も訴え出なかった。
しかし、久しく託宣に心を悩まされて耐え難いので、5年後の天暦元年6月9日に北野に移したという。
道真公の託宣の内容は以下のようなものであった。
「私が昔世にあったとき、しばしば右近の馬場にあそぶことがあった。京都近くの閑勝の地で、そこに優るところはない。
それゆえ無実の罪で鎮西におもむいてから、宿業を思ったが、心の中に怨みに思う気持ちが燃え上がり、都に帰るのは
いつかわからぬが、ひそかにかの馬場に向かうときには、胸の炎が少し安らぐので、祠を構えて立ち寄るたよりとして
ほしい」。そのときに松の種から芽が出て、たちまち数町歩の松林になったという。
は林頼できるけど、どこの誰が書いたかも分からない個人ブログの信頼性はとても低い。
は信頼できるけど、どこの誰が書いたかも分からない個人ブログの信頼性はとても低い。
菅原道真は従二位 右大臣(贈正一位)
跡取りの菅原高視は従五位上 大学頭
普通に遜色あるし、なんだったら道真の父 菅原是善の従三位・参議にも届いていない
菅原氏は土師古人にはじまり
古人の子 清公、是善、道真と三代続いて公卿(従三位以上)になったけど
高視以降はほとんど貴族(従五位下以上正四位上以下)で終わっている
菅原氏から当たり前のように公卿が出るようになったのは道真の死後300年以上経って
ライバルの大江氏が没落してからだ
自分の息子の太郎丸という童に道真公の霊が降り、宣託を下したと言い出した。
「北野の千本の松が生えたあたりに祠を建てよ」と宣わったというのである。
ちなみに、この祢宜はすでに比良神社に道真の御霊を祀る祠を建てていたという。
神好種はこの託宣を携えて右近馬場に来て、そこに昔からある朝日寺の僧最鎮、法儀、鎮世などに向かって話をした
ところ、その夜、一夜のうちに寺の周りに数十本の松が生え、松林となっていた。
託宣の内容は以下のようなものである。
「松は自分の象徴である。我が怒りの炎は天に満ち、もろもろの雷神鬼類はみな我が従類となって十万五千いる。
我が所業により世界に災難がもたらされる。帝釈天も私に任せている。それゆえ(帝釈天様が)「不信の者が世に
多くなった。疫癘(疫病)を起こせ」といえば、私がその命令を受けて我が従類をつかわせて行わしめるのである。
(だから、私の言うことを聞かなければ)不信の人を雷公に頼んで踏み殺させるぞ。悪瘡もよい物であろう。
このように言うばかりではない。私は、世界にわび悲しんでいる衆生を見ると、何とかして救おうとばかり考えている。
(だから私の祠を作り、人々が詣でるようにせよ)。我が社のちかくでは殺生をしないように。怒りの心が増すと、
災いをもたらそうと思う心が起こるのである。みな人は賀茂・八幡ばかり崇め、我をなんとも思っていない。
私は、われを頼りにする人を守ろうと思う心は深い。いずれの神であっても我を押さえつけることはできないだろう。
右近馬場こそ興宴の地であるので、われはそのそばに遷りたい。その地には松を生じさせよう。そこに法華三昧堂を建て、
時ごとに大法の大法螺を吹き鳴らしてくれたのなら、どれほど嬉しいだろう 」。
神良種の息子の四歳の童は、一挙にこのように語って正気に戻ったという。
神好種が朝日寺話をして、その一夜のうちに寺のまわりは松林になっていた。
寺僧たちはこのことに驚き、伴類(大衆だいしゅや神人たち)とともに力を合わせ、心を一つにして祠を作った。
その後、十四年間に祠を五回も建て直したという。
五回も建てたというのは建て増しも入るだろう。ほうぼうから喜捨が集まり、多数の堂塔が建ったということである。
新書とか文庫って
歴史的価値はあるとは言えんよなぁ
弥助で回答出ているやろ
新書も文庫も普通に専門の学者が書いてることも知らないバカ。
まあ「歴史的価値」はあるw
それはそうだ。
ただ、最先端の研究、少数の人しか知らない情報、人を出し抜くのに有用かという下世話な観点にたてば、広く普及させるのが目的なものが新書、文庫だからその価値はないとはいえるよな
逆に一定の知識、知見を広く広めるという別の大きな価値があるけどな
道真の祟りを恐れて祀ったなんて常識レベルで何も新しいこと言ってないのは明白だろ。
新しい発見だなんて誰も言っていない。むしろ、常識レベルの話なのに、それを否定してきたバカがいたからソース示しただけ。
会話調で書いたりしててな、笑える
いつものウィキ坊やか
本なんか読んだこともないのに新書がどうしたとか、これも笑える
よっぽど学問にコンプレックスがあるんだろうな、哀れ
妄想やべえな。てっきりお前が貼ったんだと思ったが。スタイルがお前臭い。
ソース示された記述にソースなしで喚く低学歴が何言ってもだめだからあきらめろ。高学歴ならソース提示する。まともなソースもないのに、ソースありの記述にソースなしに立ち向かわない。
馬鹿が書くことは面白い
お前はソースソースというが、ソースと参考文献は違うんだよ
お前はウィキの文章をコピペし、そのウィキの文章に参考文献の記載があるからソースが
示したあると言うんだよな。これが大馬鹿なの
哀れなほどに低知能。
ウィキのコピペがなにかの文献の引用でない限り、そのウィキの文章がソースなのだ。
その文章に参考文献の記載があろうと、その(参考文献の)記載はソースではない。
要するに、お前は、どこの誰が書いたか分からないウィキの文章をコピペしてるだけなの
その馬鹿らしさがわからず得意そうにやってるお前は馬鹿の極地。
目も当てられないほどの馬鹿なんだな
>高学歴ならソース提示する。
そんなことはないよ。ソースに依拠するのではなく、反対に批判する論考もある。
ソースのない限り著述ができないのだったら、オリジナリティのある論文など出てこない。
分野によっては十年まえの論文など何の約にも立たなくなっていることもある。
>まともなソースもないのに、ソースありの記述にソースなしに立ち向かわない。
これお前じゃん。
ウィキのコピペしてソースあり、だって(笑笑
ソースを理解できてない間抜けを晒す低学歴。
参考資料がないことを主張したいなら、その主張の根拠となる発掘調査の記録だったり、データだったりがソースになる。
ソースなしに喚くのは低学歴だけ。しかも、ソース提示されてんのにそれを繰り返してるんだから救いようがない。
低学歴バカののためにさらに詳しく説明してやると、
実験データたったり、調査データをソースにして何かを主張することはできる。
今回のように学会で一般的に受け入れられてるような内容だったら書籍をソースにできる。
低学歴がいきればいきるほど低学歴を晒して自爆。
もうソースソース言うのやめれ
ソースってのは2ちゃん用語だろうが
2ちゃんの情報ってのはネタが多くて、それで ソースは? って聞くのが流行った。
しかし、いつのまにか廃れたな
ソースは?なんて聞く必要もない。自分で判断すればいいんで
情報の真偽は自分で判断するというのがネットの醍醐味でもある。
一部の馬鹿の間にだけ ソースソース とわめく伝統が残った。
ソースは?と聞くと、相手はこれは馬鹿だと分かるんで消える。
それを議論に勝ったと誤解して嬉しがり、クセになってしまうんだな
今でもそういう馬鹿はいたのだ。それがお前
学問とか教養とかのレベルで議論しているのなら、基本文献とか参考文献とか言いなさい。
もとになる本からも、正確に引用する場合もあるし、概要・概略を書く場合もある。
さらに、そこから理論上当然に導かれるような論述は、別に文献を示す必要もない。
さらに、分野によっては10年前の文献だの資料だの、いっさい意味がなくなっているものもある。
そういうことも注意しないとな。
さらに、歴史学には一般に証明も証拠もない。
たとえば信長が本能寺で死んだという事実は証明できない。
調査データとか何言ってんだかw
考古学と混同しちゃいかんよ
ほんと馬鹿だよな。人間というより犬だよな。
お前はこのスレのペットだ。
ソースが好きなんで、 ウスター君 と呼ぼう。
論文にソース付けるのは常識。
低学歴はかわいそう。無知を晒してる自覚なく、ガチで恥さらしてんぞ。
で、自分じゃソースだせないというのが恥の上塗り。
華麗に完全論破されてから発狂し続けてて笑う。
>>541
馬鹿向きのウィキの解説を文字通りに受け取って幸せな厨房 いや、小学生かもな
>>544
延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した[47]。これも道真の怨霊が原因とされ、天暦元年(947年)に北野天満宮において神として祀られるようになった[47]。
^ a b c 滝川幸司 2019, p. 246.
滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。ISBN 978-4-12-102559-3。
専門で書いていても
間違いがないと言うことにはならん。
君の言っていることは
「どんな学者でも書いてあることは全部正解」で
それなら学会はイランよ。
専門家が間違えないなんて言ってねえだろ。低学歴アスペ。
専門家が書いた書籍の信頼度は高い。どこの誰が書いたかすら分からない個人ブログ持ち出して反論になると勘違いしてるのがアホ。反論したいならもっとまともなソース出せと言った。
君の方がアスぺやろw
専門家でも個人ブログと大して差はない。
出すだけ出せるかは知名度のある無しだけ
ジェンダー問題とか
その手の本が溢れているが
何の役に立ってるの?
専門家と個人ブログが同等の信頼度…。
で、社会学者なる人たちのジェンダー論なんか
ただの男性差別やろw
何が「信頼」だよw
あと、新書とか廃れたのは
あまりに共産主義信奉が強すぎて
現実と乖離しすぎて嫌われたと言う
現実とも向き合わないと
岩波とかマジ潰れると思うわ
映画館とか持っていたけど
やめちゃったし。
アレも不動産にして貸さないと
会社が持たないからじゃね?
>参考資料がないことを主張したいなら、その主張の根拠となる発掘調査の記録だったり、データだったりがソースになる。
ほんと馬鹿だな。
「発掘調査の記録だったり、データだったりがソースになる」って文章おかしいって分からないの?
恥ずかしくないのかよ?
「発掘調査の記録やデータ」と言えばいいじゃん。
それを何故さらにソースといわなければならないんだww
ソースなんて言葉、学術的な記述に使われることはないよ
ソースってのは2ちゃん用語なの
お前は2ちゃんでソースって言葉覚えて、それが格好いい言葉だと思って嬉しがって使ってるわけだろ
そこが馬鹿なの
今どきソースなんて使ってるやついないぞ
逝ってよしでつか ← これと変わらないの分からないのかよ馬鹿
まったくウスター君には困ったもんだよ 脳みそも薄いわ
「発掘調査の記録だったり、データだったりがソースになる」って文章おかしいってどこがおかしいのか明確に言えよ。まったくおかしくないから。
伝統って何年続いたら伝統になるのよ
一応お前の中での理由は書いてあったのか。あまりに間抜けで理由とは思えなかったわw
「発掘調査の記録やデータ」と言えばいいじゃん。
と言ってるが、データとソースは違う概念だということすら理解できてないバカ。
データに限定してないんだからデータ出せ!じゃねんだわ。データでも参考文献でもいいからソースを求めた。データ限定で求めてねえだろ。
ほんと低学歴バカアスペでかわいそう。
>江戸時代は400年
?
お前の脳内では2000年頃まで江戸時代だったのか?
お前、日本人じゃないやろw
3年ぐらいだろ?
日本人が日本らしいと思っている物事の歴史は実は浅い
天皇に限らず皇族を神として扱うのは古代からだよ
だから皇族の住まいは「宮」というのよ
ついでに
平安時代中期以降、譲位前に天皇を死なせない(在任中に急死したときは記録を改竄して譲位していたたことにする)という慣習ができたのも
天皇=神であったから
明治政府はいろいろ捏造したからな。
天皇はずっと仏教徒。現人神ではなかった。
天皇はずっと仏教徒。明らかに神じゃねえ。
天照大御神は祀っていたがそれは祖先神。人間として実在する天皇を神として祀るのは明治政府が捏造したデマカルト。
神が仏教を信仰しても全く問題ない
普賢菩薩が釈迦牟尼を崇拝するようなもんだ
日本の神の正体は仏教の仏だという思想であって、人間でしかない天皇が神なんてことではない。
お前、中学もろくに行ってないだろ
ソースなんて言葉使ってるのはお前だけなの
ソースってのは2ちゃん用語なんだよ馬鹿
こういう馬鹿なこと書いた後は、ズラズラ書き込み並べて逃げる
いつも同じじゃねえかw
ソースとデータの区別もできない間抜け晒したバカがいきっててみっともない。
はは、馬鹿
データソースというのはあるけどね
シンクタンクとかそういう方面ね
学術論文に ソースは、、、、なんて書かない。
逃げる逃げる。
データ限定で求めていねえんだから、「データ出せ!」は間違い。データと言え!と喚いた低学歴恥ずかしいーw
専門家と個人ブログが同等の信頼度と喚いた低学歴が高学歴騙ってるのは笑う。
実際、社会学や経済学で
そんなことになっているのが悪いw
ソースなしの戯言とソースついてる学者の論述の区別もできねえのな。低学歴だからそう見えるんだろう。
正しいソースあっても思考が間違って
間違った回答しか出てこないのが
ヤバいんでしょ
何にも理解してないなぁw
今の学者の問題点を何も理解してないね
都合の良いソースだけ並べて
自分たちの論理を推し進めようとするんだけど
それ以外に起きて起きている事象は
全部、無視して現実理解が捻じ曲がっている
あたりまで深刻な問題になっている。
数字は嘘をつかないけど
嘘をつく人間は数字を使って嘘をつく。
コレを「ソース」と置き換えると
オールドメディア系の学者は
コレで嘘の情報をばら撒いている。
バレンタインにチョコ
クリスマスにはケーキと同レベルの話
間違っていると喚くならどこが間違っているが論証しろよ。
道真の祟りを恐れて祀ったという常識にしつこく反対した挙句に、何のソースも出せずに逃亡した低学歴くん。
だから、反論に使えるソースがあるなら提示しろよ、間抜け。
ソースなしに喚いてるからお前はバカにされてるんだといい加減自覚しろ。
オールドメディアわめいてるバカかよw
そういう類のバカに言えるのは、あるソースが信頼できないと喚くなら、それ以上に信頼できるソース出せよ。
オールドメディアーー!と喚いてるバカに限ってソースはどこの誰かも分からない奴の偏向ツイートや動画。まさにお前。
なんで、オールドメディアは高市報道を
歪曲して報道するんですかね?
それだけで他のことの反証いらないくらいの
問題になってますよ。
経済学の本が正しかったら
ソ連は崩壊してないし、資本主義は崩壊している。
本が出ているから正しいこそ間違いで
自然科学ですら
後から「正しい」上書きされることがある。
それらの事実も見ずに
「本が出ているから正しい」は
むしろ、学がある人のコメントじゃないよ。
みたいな頭の悪い有名大卒が
世の中に出て碌に使えないで
集まったのが今のオールドメディアとかなのかな?と
かなり思う部分はあって
世の中って色んな要素が絡み合って動いているのに
一つの要素だけでコレが絶対に正しい!とはならんのに
それに縋り付いている人があまりに多いんよな。
明治になってみんな墓作って土葬したら
環境汚染がw
まあ、わかる話ではあるが
江戸時代までは流行り病の原因は不明で
とにかく埋めていた。
科学が進んだら火葬は流行病の大きな抑止対策になると
わかったから火葬するようになった。が
正しいとは思う。
土葬にこだわる国は
教育の価値がない国なんじゃないかと思う。
江戸時代でも前半と後半は違うから
後半は埋めてたかもなあ
戦国時代までは庶民の遺体は川に流すのが一般的だったらしい
だから処刑場も川原だったんだとか
ここでは土葬や水葬より火葬が疫学的に良いので
明治以降は火葬になった。
という認識をして貰えばいいし
その議論が通じない人は
科学者は名乗ってほしくないなぁ。
と、いう話だな。
だから、喚くならソース出せよ。無能。
藁人形叩くなよ、無能低学歴。
「反論するならソース出せ」
が低学歴捏造バカの中では
「占いによる白黒診断、霊媒による残存数の予測」
に歪曲される。
坊主のでまかせ?
マジかw
寺の坊主の金儲けのために
歴史を捻じ曲げたんかw
なんかバレンタインデーみたいなもんだな
業界が都合いいように話を作る
川柳らしく、五七五にスペースいれろや
でまかせで 商売してた 糞坊主
墓が無くても普通に払うんちゃう
現代でいえば町内会費の延長線上みたいなイメージ?
ってか昭和中期頃までは地元の有力者(大地主とか)は
地域で何かあったら積極的に負担しないといけないって暗黙の了解があったんよ
地域の祭りの資金、入会地や防風林の手入れ、役所に頼むまでもない水路のちょっとした修繕とかさ
寺や社もそんな感じ
中卒の有名大卒に対するルサンチマンがバッチリ現れてる
なんか哀れ
頑張れよ ウスター君
637
ソースは?w
638
ソースは?w
まともな教育受けてればソースなしに喚かんのよ。そんなのしてるのはバカだけ。
俺はちゃんとソースを提示したのに、お前はソースを提示できない。
その事実が、お前が低学歴である証拠。
明治以降は火葬になったのソースは?
昭和になって公営の火葬場が作られるまでは土葬が一般的だったはずだが。
戦国時代までは庶民の遺体は川に流すのが一般的だったのソースは?
そんな話は初めて聞いた。
むかし村人の死体を落としてたという崖があるぞ
昭和に入ってから燃やすようになって崖は使わなくなったけど
戦時中は燃料不足で燃やせなくなって何体か落としたと近所の爺ちゃんが言うとった
>江戸時代までは流行り病の原因は不明で
>とにかく埋めていた。
>科学が進んだら火葬は流行病の大きな抑止対策になると
>わかったから火葬するようになった。が
ソースは?w
638
>戦国時代までは庶民の遺体は川に流すのが一般的だったらしい
>だから処刑場も川原だったんだとか
ソースは?w
ソース出したやろ
「ソ連崩壊」「移民優遇」「lgbt」
現実が結果出しているやろ。
時代は多少ズレるかもしれんが
火葬が推奨されるようになった背景が大切だと思うし
墓石を家で建てるようになるのは
だいたい火葬になっているから
青山霊園とか見ると
都会では明治時代にはそうなっていたのは
間違いないやろ。
たぶん地域差は結構あると思うよ
江戸時代以前はもちろん明治大正あたりでも今よりずっと地域による違いは大きかったはずだし
人口の格差は
現在の方が大きい
大正7年 東京 372万 大阪 289万 最下位 鳥取 46万
令和2年 東京 1405万 神奈川 923万 最下位 鳥取 55万
人口格差はそりゃ今のほうが大きいさ
昔は人口の大半が農業に従事=農村に定住しないと食料生産が賄えなかったんだし
大正7年なんて輸送も鉄道(ほぼ幹線のみ)と馬車とかでしょ
毎日何万台の冷蔵トラックが生鮮食品運びまくってる現在ほどの大都市が養えるわけないじゃん
戦後は逆に都会に人が来すぎないために
中小農家を優遇する
補助金制作したんよね。
それが今になって仇になっているが
今回の米不足にも関連している
単語出すだけでソースだと喚く低学歴。
墓石を家で建てるようになるのは
だいたい火葬になっているから
はそんなことないはずだと言ったあ。昭和になって公営の火葬場が作られるまでは土葬が一般的だったはずであり、墓石は江戸時代以降に広まったとこの記事に書いてある。
青山霊園とか見ると
都会では明治時代にはそうなっていた
というのもロジック不明。
青山霊園は火葬が多かったというソースは?少し探したがそんな記述は見つからなかった。
仮にそのようなことがあったとしても、それは火葬場があったからというだろう。火葬場がない地域でも火葬場が一般的とは言えないし、むしろない地域では火葬にしないほうが多かったはずと考えられる。
高度成長期に上京して就職するようになる前は、都内にも森も土地も残っていた。
何の情報?
そもそも、葬儀のやり方で、都会でしか得られない情報なんてないだろ。現代ですら葬儀なんて坊主とか葬儀会社に言われるままにやってるだけ。
火葬が随時推奨されたが
燃料不足などもあり地方では実施が遅れた可能性は
普通にあるわな。
推奨されていたのに実施されないからと言って
土葬が推奨とはそれこそどこに書いてあるの?
火葬と土葬の比率(1925年・大正14年)
https://share.google/lrt8abpzTmGUbjfUY
https://share.google/leYFtO8QeKneFiVHI
1918年(大正7年)には、全国の火葬場数が統計開始以来最高の37,522か所になり、重油使用や設備も改善し、火葬率は増加して1935年(昭和10年)には全国の火葬率が50パーセントを超え、土葬は半数以下へと減っていった[5]。
推奨と実際の話と別なのに
なぜ、そこにこだわるの?
葬儀も同じ
跡目をハッキリさせるためにやってたこと
そうしないと相続で揉め事が起こるからな
それは相続だが
コレは疫学的検知で意味がかなり違うし
そう言う話も
散々してきた
何度、振り出しに戻させるの?
?
まあこれかな?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E8%91%AC
明治政府は仏教での葬法としての火葬に反対した神道派の主張を受け入れ、1873年(明治6年)7月18日太政官布告による火葬禁止令を出した。準備として、大規模な土葬用の東京府営の霊園を港区の府立青山霊園「神葬墓地」として、火葬禁止の太政官布告前に設立され、さらに雑司ヶ谷霊園、谷中霊園が造成された。これらには明治初期の土葬墓が残るが、1区画でかなり広い[5]。
一方で、仏教側や東京府では火葬場も加わった反対建白書の提出が相次いだ。また、衛生面からも火葬が好ましいとの意見が出たり、都市部での土葬用の土地が不足する問題もあったため、約2年後の1875年(明治8年)5月23日に火葬禁止令を解除した。同時に、近代的な火葬場設置の基準が定められ、コレラなど指定伝染病患者の土葬が禁止され、違反した土葬墓は3年間改葬を禁止した[2]。1918年(大正7年)には、全国の火葬場数が統計開始以来最高の37,522か所になり、重油使用や設備も改善し、火葬率は増加して1935年(昭和10年)には全国の火葬率が50パーセントを超え、土葬は半数以下へと減っていった[5]。
だから、江戸時代にか火葬が推奨されたというソースは?
なお、お前の主張を否定するソース。
明治時代に至るまでは、火葬が増えてきたと言っても、火葬を奨励する仏教宗派の門徒や信者が多い地域や、人口密度が高く土地が逼迫したごく一部の地域に限ったことで、全国的に見れば日本の葬送儀礼として火葬は決して主流ではなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC%E5%A0%B4
なるほど。これを見ると、大正はまだ土葬が優勢で、昭和に入った頃に同じくらいになってその後火葬が多くなるという感じだな。思ってたより早く火葬が広がっていたんだな。それは参考にしていた書籍の書き方とは違った。
>戦国時代までは庶民の遺体は川に流すのが一般的だったらしい
>だから処刑場も川原だったんだとか
ソースは?w
ソースはまたウィキかよ
ウスター君 馬鹿全開
江戸時代の話をした覚えはないが
そこまでは疫学的発展がなかったから
日本で火葬が推進されている
みたいな話した覚えないし
言ってもないことで批判すんな
まともな教育受けてればソースなしに喚かんのよ。そんなのしてるのはバカだけ。
お前はソースを提示できないww その事実が、お前が低学歴である証拠。