【歴史】古代史で最も有名な人物「卑弥呼」はなぜ古代史の記述が残る『日本書紀』『古事記』に登場しないのか?最終更新 2025/09/20 14:381.Saba缶 ★???卑弥呼は、日本の古代史のみならず、日本史全体のなかでも最も知られた人物のひとりである。しかし、卑弥呼のことを知る手がかりは、中国の陳寿(ちんじゅ)が著した『三国志』のなかの『魏書』の「烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)」の倭人条、すなわち、『魏志』倭人伝条にみられる2000字ほどの邪馬台国に関する記述のなかにしかないのである。これほど知られた卑弥呼が、『古事記』にも『日本書紀』にも具体的な姿をみせないことは、いっそう卑弥呼を謎の人物としていると同時に、その理由が問題になってこよう。その理由を探る手がかりとして、邪馬台国の位置は、やはり避けて通ることができない。なぜならば、邪馬台国がもし北部九州に所在していたならば、大和に成立したヤマト政権とは直接、関係がみられないという可能性が出てくるからだ。邪馬台国とヤマト政権が無関係であれば、ヤマト政権の影響下で編纂された「記・紀」に卑弥呼が登場しないことも不思議ではない。続きはこちらhttps://news.yahoo.co.jp/articles/05c57c6ac1abc70fc503729067d90b98d24063072025/09/20 07:40:59214コメント欄へ移動すべて|最新の50件165.匿名8NoZ0卑弥呼は日巫女。個人ではない。初代卑弥呼は天照大御神と同一視されている可能性もあるし、他の人物や神に置き換えられている可能性もある。2025/09/20 12:22:44166.名無しさんc3Dan魏史倭人伝に書いてあるだけで小さな村だったのだろう2025/09/20 12:23:50167.名無しさんtGCZC卑弥呼幾多の部族長が臣従した事実から、男性にとって魅惑的な美人で、ベースは温和だが時に硬軟織り交ぜて対応するような女性かな~と妄想する、会ってみたい。2025/09/20 12:24:06168.名無しさんA9ni5天壌無窮の神勅といえば、今の日本国憲法の制定にむけておこなわれた戦後の政府部内の会合で、神道学者は、天壌無窮の神勅があるんだから国民主権なんてのは受け入れられないと主張した。2025/09/20 12:32:28169.名無しさんsy4Deあの金印のやつか2025/09/20 12:33:20170.名無しさんmmDbp当時の帯方郡にはどんな人種が住んでいたのかな?矩因奏?曰:高麗之地,本孤竹國也。周代以之封於箕子,漢世分為三郡,晉氏亦統遼東。今乃不臣,別為外域,故先帝疾焉,欲征之久矣。2025/09/20 12:34:47171.名無しさんoBlsX日本書紀と古事記て神話たろ2025/09/20 12:35:55172.名無しさんeUkBr>>29南蛮とか言っちゃうジャップの精神も中国様から受け継いだものだねやっぱ 中国様は偉大だわ2025/09/20 12:38:28173.名無しさんL86MTヤマト政権に都合の悪い歴史書はヤマト政権が焚書した。2025/09/20 12:40:34174.名無しさんeUkBr>>167宇宙人か未来人でしょ2025/09/20 12:40:45176.名無しさんirLxr邪馬台国はどこですかっていう鯨統一郎氏の本面白かったなー確か東北説だった記憶2025/09/20 12:42:15177.名無しさんBnTar古朝鮮の記録によれば・・・百済帝国に卑弥呼の記載がないのでおそらくは九州でもないもっと西のほうの小さな島だろうw2025/09/20 12:46:04178.名無しさんjUPdcあの女、ナニモノじゃー?と魏の猟師が訪ねた。土地の者はあの者は陽を見る巫女じゃよと答えた。そして編纂するに当たって東に倭の国があってそこのくび長が陽を見る巫女と聞いたと記す。編纂時にはこれを詰めて陽巫女とすればよかったが話言葉から当て字で卑弥呼とやっちまった。後世、卑弥呼の名がつかわれるようになる。記紀は朝鮮半島を南下した御一行様が列島にたどり着き今の奈良に落ち着いた。ゆえに卑弥呼の存在すら知る由もないから編纂しようもないというのが一般的解釈だ。つまり畿内説はあり得ない。御用学者の解釈は間違っている。2025/09/20 12:52:30179.名無しさんnlHeL>>72神代文字2025/09/20 12:56:49180.名無しさん760Ef中国のでまかせを信じるあられな奴ら倭国なんて存在しないし卑弥呼も存在しない吉野ケ里遺跡とか見てみなよあの妄想建築物全部妄想2025/09/20 12:58:11181.名無しさんnlHeL>>76中国語は今では半分が和製漢字2025/09/20 12:58:21182.名無しさんnlHeLだいたい卑弥呼は中国人が付けた名前で日本では違う名前なんだろそれだけよ2025/09/20 13:00:55183.名無しさんZKXNu>>179神代文字をマヤ人にも教えチチェンにも書き残された偉大な文字神武天皇が世界を作った2025/09/20 13:01:38184.名無しさんnlHeL>>180魏志倭人伝に普通に倭国がでるだろ2025/09/20 13:01:54185.名無しさん7HoBm>>184それは何処で作られたものですか?2025/09/20 13:06:19186.名無しさんBnTar儒教文化圏では起源を重視するが捏造・改竄が当たり前すぎて真実など誰にもわからないw2025/09/20 13:12:22187.名無しさんCfhde日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本であり邪馬台国だ。百済、新羅、高句麗は倭国」2025/09/20 13:14:39188.名無しさんA9ni5儒教にもとづいて書かれた水戸藩の大日本史やべえじゃん2025/09/20 13:16:20189.名無しさんrPY6w他国の記述だぞ。又聞きの又聞きで、クソ怪しい内容だよ。こんなの本気で取り扱う代物じゃない。当時の中国からはそう見えていた、レベルの事でしか無い。2025/09/20 13:18:37190.名無しさんBnTar天狗党か何かだろ?水戸藩お察しでしょう・・・w2025/09/20 13:18:44191.名無しさんdyZgK>>115日巫女または姫御子という説が有力2025/09/20 13:21:27192.名無しさんA9ni5いや儒教にもとづくと、日本は天皇の統治がすぐれているから王朝が変わらないんだという話になってくる。王朝がつづくには天命が必要だというのが儒教の歴史観なので。もし主君が人の道を外れて、ていさめても聞かないのであれば、君臣の関係はなくなる、という孟子の湯武放伐論がある。2025/09/20 13:24:43193.名無しさんZN404>>1自分に都合の良い推測をすればどうとでも出来るだろ卑弥呼は口に出す文字として残す事すらおそれ奉られる最強の巫女だっただけかもしれんしなそれも個人名ではなく役職名だったりとか2025/09/20 13:31:43194.名無しさんoBlsX記紀て別にリアタイで記された歴史書じゃないからね2025/09/20 13:33:17195.名無しさんoBlsX>>193日本には長らく文字がなかった2025/09/20 13:34:00196.名無しさんRk0us魏国に船団や文字や文明が存在してたのに日本は神含めウホウホサルのように混紡持って潮干狩りをしていたメデタシメデタシ2025/09/20 13:42:24197.名無しさん22mzL>>194文字を覚えたのが嬉しくて夢日記にしたのがホントのところ2025/09/20 13:44:23198.名無しさんBnTar北京原人の研究解析が進めばもう少しアレだったかもしれないがどこにいったんだろうな北京原人の・・・ねw2025/09/20 13:44:45199.名無しさんzVoOr卑弥呼は、二人いた!2025/09/20 13:49:07200.名無しさんjUPdc>>196それは戦争という厄介なものがあったゆえだ。日本(倭国)にも小競り合いはあったが中国ほどえげつではなかった。当時は熊襲(いまの熊本県以南か?)とも争ってはいたがお互い侵略するほどでもなかった。そこが中国と大きく異なる点だ。ゆえに文字も必要ではないし船団も必要ではなかったと思われる。元々、文字は暗号文としての立ち位置だからマル秘扱いでもあった。2025/09/20 13:51:44201.名無しさんMMidnそもそも文字無かったんだから全部誰かの創作小説だと思ってる2025/09/20 13:53:05202.名無しさんdKPNJ>>50宗像大社がまっすぐ朝鮮半島を向いてるっていうのもあるしねえ2025/09/20 13:53:39203.名無しさんI2Wv1どっちにしても、最高のAIを駆使して結論だして!2025/09/20 14:09:02204.名無しさんjUPdc>>201それ当時の日本になかったというだけのことだ。魏の国にはすでに存在していた。それゆえその記述が現存するわけだ。なので当時を知る手掛かりにはなるがこれがかなり大雑把で信用に値するかは疑問の余地はある。文字ではないが縄を使った絵文字?はすでに存在していた。のちの国字というのがそれに匹敵する。2025/09/20 14:09:08205.名無しさんyQYTD>>200文字もない時代の物がどこに記されてるの?2025/09/20 14:17:29206.名無しさんvHqhr>>23当時の中国語文化には、外来語(現地人の発声音)を漢字に置き換えて表記する時似た発音の漢字の中から敢えてネガティブな意味を含む漢字、あるいは各種ケモノ(人間より劣った生物)を意味する漢字をわざと選んで当ててたんだよなので「卑弥呼」も「邪馬壹国」もそう言うルールに沿った外来語表記になってるそのルールを前提に当時のヤマタイ国民の発音だけを同じ音の漢字に置き換えたんだとすると、ヤマタイ民の意味として卑弥呼は「日巫女」だったんではないか?とも(一部では)言われてるね2025/09/20 14:20:17207.名無しさんSf28K魏志倭人伝の倭をなんの確証もないのに日本だと思い込んでる?他に誇れるものが無いからこじつけたいだけなのかもしれん2025/09/20 14:23:43208.名無しさんvHqhr>>29そうそう日本人が漢字を習得する時、同時に「卑字」の風習も入って来たので中大兄皇子たちに虐殺された蘇我氏も馬子だの入鹿だのケモノの漢字をあてがわれた、とも言われてるね2025/09/20 14:26:45209.名無しさんuMqJ2軍事的にはともかく文化的に向こう(邪馬台国/後継の北九州の連合)のほうが圧倒的に洗練されていたそれを認めたくなくて、畿内政権では独立直後から本国に関して箝口令を敷いていた2025/09/20 14:29:24210.名無しさんmmDbp白村江の戦いで唐に敗北したから奈良時代に唐風の制度や大仏みたいな宗教や日本書記とか作って唐と交流したwww2025/09/20 14:31:05211.名無しさんJdnoq三国志は所詮、フィクションだろ?w2025/09/20 14:33:48212.名無しさんoBlsX>>207九州で金印が出たけど2025/09/20 14:33:53213.名無しさんNQlhf>>207クソ食いチョンゴキブリ頭腐ってんか?2025/09/20 14:36:37214.名無しさんbPq97帥升はスサノオしかも悪い意味の漢字は持ちいられていないから相手方からも敬意を持たれていた存在だと分かるやはり葦原瑞穂国の国主だったのが分かる卑弥呼なんていうヤマトは元々朝鮮半島からやって来て国を騒擾させて国主から国を奪ったのが分かるわ2025/09/20 14:38:04
これほど知られた卑弥呼が、『古事記』にも『日本書紀』にも具体的な姿をみせないことは、いっそう卑弥呼を謎の人物としていると同時に、その理由が問題になってこよう。
その理由を探る手がかりとして、邪馬台国の位置は、やはり避けて通ることができない。なぜならば、邪馬台国がもし北部九州に所在していたならば、大和に成立したヤマト政権とは直接、関係がみられないという可能性が出てくるからだ。邪馬台国とヤマト政権が無関係であれば、ヤマト政権の影響下で編纂された「記・紀」に卑弥呼が登場しないことも不思議ではない。
続きはこちら
https://news.yahoo.co.jp/articles/05c57c6ac1abc70fc503729067d90b98d2406307
初代卑弥呼は天照大御神と同一視されている可能性もあるし、他の人物や神に置き換えられている可能性もある。
幾多の部族長が臣従した事実から、男性にとって魅惑的な美人で、ベースは温和だが時に
硬軟織り交ぜて対応するような女性かな~と妄想する、会ってみたい。
神道学者は、天壌無窮の神勅があるんだから国民主権なんてのは受け入れられないと主張した。
矩因奏?曰:高麗之地,本孤竹國也。周代以之封於箕子,漢世分為三郡,晉氏亦統遼東。今乃不臣,別為外域,故先帝疾焉,欲征之久矣。
南蛮とか言っちゃうジャップの精神も中国様から受け継いだものだね
やっぱ 中国様は偉大だわ
宇宙人か未来人でしょ
っていう鯨統一郎氏の本面白かったなー
確か東北説だった記憶
おそらくは九州でもないもっと西のほうの小さな島だろうw
土地の者はあの者は陽を見る巫女じゃよと答えた。
そして編纂するに当たって東に倭の国があってそこのくび長が陽を見る巫女と
聞いたと記す。編纂時にはこれを詰めて陽巫女とすればよかったが話言葉から
当て字で卑弥呼とやっちまった。後世、卑弥呼の名がつかわれるようになる。
記紀は朝鮮半島を南下した御一行様が列島にたどり着き今の奈良に落ち着いた。
ゆえに卑弥呼の存在すら知る由もないから編纂しようもないというのが一般的
解釈だ。つまり畿内説はあり得ない。御用学者の解釈は間違っている。
神代文字
倭国なんて存在しないし卑弥呼も存在しない
吉野ケ里遺跡とか見てみなよあの妄想建築物全部妄想
中国語は今では半分が和製漢字
日本では違う名前なんだろ
それだけよ
神代文字をマヤ人にも教えチチェンにも書き残された偉大な文字神武天皇が世界を作った
魏志倭人伝に普通に倭国がでるだろ
それは何処で作られたものですか?
又聞きの又聞きで、クソ怪しい内容だよ。
こんなの本気で取り扱う代物じゃない。
当時の中国からはそう見えていた、レベルの事でしか無い。
日巫女または姫御子という説が有力
王朝がつづくには天命が必要だというのが儒教の歴史観なので。
もし主君が人の道を外れて、ていさめても聞かないのであれば、君臣の関係はなくなる、という孟子の湯武放伐論がある。
自分に都合の良い推測をすればどうとでも出来るだろ
卑弥呼は口に出す文字として残す事すらおそれ奉られる最強の巫女だっただけかもしれんしな
それも個人名ではなく役職名だったりとか
日本には長らく文字がなかった
日本は神含めウホウホサルのように混紡持って潮干狩りをしていたメデタシメデタシ
文字を覚えたのが嬉しくて夢日記にしたのがホントのところ
どこにいったんだろうな北京原人の・・・ねw
それは戦争という厄介なものがあったゆえだ。
日本(倭国)にも小競り合いはあったが中国ほどえげつではなかった。
当時は熊襲(いまの熊本県以南か?)とも争ってはいたがお互い
侵略するほどでもなかった。そこが中国と大きく異なる点だ。
ゆえに文字も必要ではないし船団も必要ではなかったと思われる。
元々、文字は暗号文としての立ち位置だからマル秘扱いでもあった。
宗像大社がまっすぐ朝鮮半島を向いてるっていうのもあるしねえ
それ当時の日本になかったというだけのことだ。
魏の国にはすでに存在していた。それゆえその記述が現存
するわけだ。なので当時を知る手掛かりにはなるがこれが
かなり大雑把で信用に値するかは疑問の余地はある。
文字ではないが縄を使った絵文字?はすでに存在していた。
のちの国字というのがそれに匹敵する。
文字もない時代の物がどこに記されてるの?
当時の中国語文化には、外来語(現地人の発声音)を漢字に置き換えて表記する時
似た発音の漢字の中から敢えてネガティブな意味を含む漢字、あるいは各種ケモノ(人間より劣った生物)を意味する漢字をわざと選んで当ててたんだよ
なので「卑弥呼」も「邪馬壹国」もそう言うルールに沿った外来語表記になってる
そのルールを前提に当時のヤマタイ国民の発音だけを同じ音の漢字に置き換えたんだとすると、ヤマタイ民の意味として卑弥呼は「日巫女」だったんではないか?とも(一部では)言われてるね
他に誇れるものが無いからこじつけたいだけなのかもしれん
そうそう
日本人が漢字を習得する時、同時に「卑字」の風習も入って来たので
中大兄皇子たちに虐殺された蘇我氏も馬子だの入鹿だのケモノの漢字をあてがわれた、とも言われてるね
それを認めたくなくて、畿内政権では独立直後から本国に関して箝口令を敷いていた
奈良時代に唐風の制度や大仏みたいな宗教や
日本書記とか作って唐と交流したwww
九州で金印が出たけど
クソ食いチョンゴキブリ頭腐ってんか?
しかも悪い意味の漢字は持ちいられていないから
相手方からも敬意を持たれていた存在だと分かる
やはり葦原瑞穂国の国主だったのが分かる
卑弥呼なんていうヤマトは元々朝鮮半島からやって来て
国を騒擾させて国主から国を奪ったのが分かるわ