【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part4アーカイブ最終更新 2026/01/31 16:591.◆JBLfMwCXhYynqQv不滅にして不生、不断にして不常、不一にして不異、不来にして不去、戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する。根本中頌 帰敬偈前スレ【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part2https://talk.jp/boards/psy/1762525835【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part3https://talk.jp/boards/psy/17631681272026/01/14 16:19:241000すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYUV81M龍樹はナーガルジュナとも呼ばれ、紀元150年頃から250年頃にインドで活躍した偉大な高僧です。仏教史上において非常に重要な人物です。お釈迦様の説いた「空(くう)」の思想を理論的に体系化し、大乗仏教の教学の基盤を築きました。このため、「八宗の祖」と尊敬され、「小釈迦」とも称されます。彼の思想の中心は、あらゆるものが独立した実体を持たず、相互依存の関係によって成り立っているという「空」の思想です。彼は、固定不変の実体があるとする「有の見」と、何もかもが存在しないとする「無の見」という二つの極端な見方を否定し、「中道」を説きました。多くの優れた論書を著し、その著作は「千部の論師」と称されるほどです。代表的な著作としては、『中論(ちゅうろん)』があります。龍樹菩薩の『中論』は、大乗仏教の深い智慧を凝縮した、まさに思想の宝庫です。2026/01/14 18:58:233.◆JBLfMwCXhYUV81M宗学研究室 (チベット仏教ゲルク派)・・・では、空性(くうしょう)の現量了解(げんりょうりょうげ)は、どのようにしたら獲得できるのでしょうか?無念無想で座禅していて突如ひらめく・・・というようなものでは、決してありません。そうではなく、まず空性を推論的・概念的に理解することから始めるのです。そのためには、中観派の見解をよく学び、空の意味を徹底的に吟味する必要があります。自分の心の中で、「諸煩悩の大もとにある実体視の習性とは、どのような心の動きか? その心によって虚構された実体性とは何か? そのような実体性が本当に存在したら、どのような矛盾に陥るか?」といった点について検証を重ね、十分な納得を引き出すことが大切です。そのようにして得られた結論を、「聞と思による空性了解」といいます。2026/01/14 21:47:274.◆JBLfMwCXhYUV81Mしかしそれは、いわば頭の中の理解にすぎません。そこで次の段階として、止観の修習(瞑想)を通じ、これを体得してゆく必要があります。そのためにはまず、心の集中力を高める訓練(止の修習)が欠かせません。これを達成できたら、よく精神集中している三昧状態で、空性を観察します(観の修習)。このときは、既に十分納得している結論への流れに心を指向させるのであって、前述の段階のようにあれこれ散乱して考えるわけではありません。2026/01/14 21:50:205.◆JBLfMwCXhYUV81Mその次は、観を修習しながら、さらに心の集中力を高めます(止観不離の修習)。こうして止と観を分かち難く結びつける修行を徹底的に積み重ねてゆくことにより、いつか概念的な分別が全く介在しない状態で空を直観認識できるようになるといいます。これが、空性の現量了解なのです。2026/01/14 21:51:426.◆JBLfMwCXhYUV81M顕教の大乗仏教では、空性の現量了解を達成するのに、一阿僧祇劫という途方もない期間を要するといいます。つまり、空性の現量了解を得るまでに、無数の生まれ変わりを繰り返さなければならないということです。しかし密教では、それを大巾に短縮できます。所作・行・瑜伽タントラの場合、本尊ヨーガを維持しつつ空性の止観を修習する無相ヨーガによって、顕教より速やかに空性の現量了解を得られるといいます。2026/01/14 21:52:027.◆JBLfMwCXhYUV81M無上瑜伽タントラの究竟次第の場合、本尊ヨーガを維持しつつ空性を修習する点は同じですが、チャクラ、脉管、風、滴などを駆使する優れたヨーガの技法により、さらに大巾なスピードアップが可能です。これらのヨーガを通じて止観を修習することにより、倶生大楽で空性を了解するという、無上瑜伽タントラ独特の体験が得られます。そうした究竟次第の実践を積み重ねて達成した空性の現量了解を、無上瑜伽タントラの用語で「義の光明」といい、それによって諸煩悩を全て一気に断滅できると説かれています2026/01/14 21:52:308.◆JBLfMwCXhYUV81Mこれでみると、やはり教学による析空観をスッ飛ばしていきなり、瞑想による体空観に参入するのは無理がある中論の素養がない者に、空性の現量了解はできない2026/01/14 21:57:089.神も仏も名無しさん2Zm00新スレ乙ま、臨済宗禅なんかは公案使って強行突破😆ま無理矢理仕込んで貰ったけど内容少し解るのには三年かかったゲルク派はツォンカパ論書本をマジメに学習すれば、まーまー領域展開粒子マミレはやれる途中でも世捨て人状態になる😆2026/01/14 21:58:5310.神も仏も名無しさん2Zm00密教はセンスあればスイスイだ臨済宗は仏教の東大ハッスルなんかには無理だ😆2026/01/14 21:59:5311.神も仏も名無しさん2Zm00墓の主の域なんかは俺には無理だあんなのはできない人材育成の魔王だ😆2026/01/14 22:00:5312.◆JBLfMwCXhYUV81M臨済宗は、ハッスルには無理だったか~😭2026/01/14 22:01:3113.神も仏も名無しさん2Zm00人材育成能力であの芸を生むんだからなー😆2026/01/14 22:02:3614.◆JBLfMwCXhYUV81M領域展開 無量空処~😆2026/01/14 22:03:4415.神も仏も名無しさん2Zm00墓の主ら最近地元民に多少崇拝されて墓のお花が正月に新しかった命日以外は俺が墓参りしないと花は枯れっぱなしだったが😆2026/01/14 22:04:0616.神も仏も名無しさん2Zm00>>14教えると住所バレするので墓の主は教えないぞ経歴戦歴がオバケだあれは40分も遊んでもらったから一生の自慢モノだな😆2026/01/14 22:05:4417.神も仏も名無しさん2Zm00今回の正月は最初軽く歓迎して、後は無視、臨済宗僧侶はそんなものだ😆2026/01/14 22:09:2718.◆JBLfMwCXhYUV81Mなるほど2026/01/14 22:11:3319.◆JBLfMwCXhYUV81Mやはり、まずは中論を学んで、析空観を習得する2026/01/14 22:15:1520.◆JBLfMwCXhYUV81Mそれから、集中力を強化する訓練だ2026/01/14 22:15:3021.神も仏も名無しさん2Zm00さっと現れてさっと消えるプロフェッショナル臨済宗僧侶の特徴だ永遠の仏陀なんて無縁😆2026/01/14 22:15:4022.◆JBLfMwCXhYUV81M空性を観るには、尖った精神集中を要する2026/01/14 22:16:0323.神も仏も名無しさん2Zm00>>19それが順番だな一般的な天台小止観も割合丁寧なプロセスだよ😆2026/01/14 22:16:2624.◆JBLfMwCXhYUV81M「坐禅の回数がすべて」というのは、間違っていたのか😫2026/01/14 22:17:1325.神も仏も名無しさん2Zm00天台小止観が俺的には馴染み深い中論のイメージがある丁寧だから😆ツォンカパは快楽が濃い😆2026/01/14 22:17:3526.神も仏も名無しさん2Zm00>>24回数積む自慢なんて執着やなムイムイもだけど😆2026/01/14 22:18:1627.神も仏も名無しさん2Zm00さっと現れて、さっと消えるのが臨済宗のプロ😆墓の主の4特別サービス40分は墓の主の魂が震える案件だったのを後で理解した😆その40分は謎だった円覚寺のボンクラ管主のブログの記事で理解した😆2026/01/14 22:20:3828.◆JBLfMwCXhYUV81M執着のカタマリみたいなセイウン様とは、えらい違いだな~😭2026/01/14 22:21:3829.神も仏も名無しさん2Zm00師匠も大晦日に息子が事故で寺に戻れないから勤行しに現れて、俺は修行ネタたくさんくれてアリガトンやって勤行終えたら自部屋に、消えた😆2026/01/14 22:32:0230.神も仏も名無しさん2Zm00去年も顔を拝めるチャンスがあったが同居人がインフレにやられてたので寺にいき、すぐ帰ったら正月にインフルに軽くやられてた😆2026/01/14 22:34:0831.神も仏も名無しさん2Zm00ハッスル様的には禅的に俺が一番怖いだろなームイムイもだけどー😆2026/01/14 22:35:2832.神も仏も名無しさん2Zm00藤堂葵みたいに瞬間移動だ😆2026/01/14 22:45:2633.◆JBLfMwCXhYJYrjo前スレで久しぶりに中観派の思想全般を総復習したな~😄2026/01/15 06:01:3034.◆JBLfMwCXhYJYrjoもっとも、中論の話ばかりだがその後の後期中観派の話は、あまりしていない2026/01/15 06:02:2135.◆JBLfMwCXhYJYrjo唯識派だって、初期の無著・世親の頃と後世の法相宗じゃ、だいぶ違うもんな~😄2026/01/15 06:03:1836.◆JBLfMwCXhYJYrjoやはり、日本の三論宗や、チベットのゲルク派を見ていかないとな~😄2026/01/15 06:03:4837.◆JBLfMwCXhYJYrjo後期中観派(こうきちゅうがんは)とは、インド大乗仏教の中観派が発展・多様化したグループで、特に「瑜伽行中観派(スヴァータントリカ)」を指し、唯識派の思想を取り入れつつ「空」の思想をより厳密に論証しようとした学派で、チベット仏教の発展に大きな影響を与えました。初期中観派の龍樹(ナーガールジュナ)の「一切法空」の思想を継承しつつ、唯識派の「心(識)のみが実在する」という考え方と「空」の概念を統合しようとしたのが特徴です。2026/01/15 06:04:1138.◆JBLfMwCXhYJYrjo主な特徴と内容瑜伽行中観派(スヴァータントリカ): 後期中観派の代表的な流れで、瑜伽行派(唯識派)の「心(識)」の概念を中観派の「空」の思想に組み込み、実在を認めない「一切法空」をより深く追求しました。批判と発展: 唯識派が「空」を言葉や概念に限定して実在(識)を認めるのに対し、中観派は一切を空と見るため、両者の間で「空」の意味を巡る論争があり、後期中観派はその中で発展しました。チベット仏教への影響: 瑜伽行中観派の思想は、後のチベット仏教(ゲルク派など)に深く浸透し、その哲学体系の基礎を形成しました。2026/01/15 06:04:3339.◆JBLfMwCXhYJYrjoまとめ「後期中観派」は、インド仏教の「空」の思想が時代とともに深化し、他の学派(唯識派)の要素を取り込みながら発展した、より洗練された中観派の総称であり、特にチベット仏教思想の形成に不可欠な役割を果たしました。2026/01/15 06:04:4540.◆JBLfMwCXhYJYrjo初期の中観派は説一切有部の教義を否定するばかりで、教義らしい教義があんまりなかった2026/01/15 06:05:2941.◆JBLfMwCXhYJYrjoでも、それは初期の話後には、唯識派の教義を取り込んで、教義体系が整備されたそこを見ていかんと2026/01/15 06:06:0942.◆JBLfMwCXhYJYrjoそこはやはり法相宗が現代まで続いている唯識派と三論宗が廃れてしまった中観派の違い😫2026/01/15 06:12:0643.神も仏も名無しさんkM6w7ま、天台宗、華厳宗、真言宗でも禅定雰囲気ては唯識が入り込んだような感じはあるからなー識のみ→如来蔵的な😆2026/01/15 06:51:2244.神も仏も名無しさんkM6w7唯識的禅定感覚を一部あるけど全く異なったのは禅😆2026/01/15 06:52:3245.◆JBLfMwCXhYJYrjo結局のところ倶舎論・中論・唯識論3つともやらんといかんってこと2026/01/15 06:57:2746.◆JBLfMwCXhYJYrjoどれか1つをスルーすると他の2つもわからない(笑)2026/01/15 06:57:5347.夕5wJFc学派性と学問化三論は中観の精緻な論理(破邪顕正・四句分別など)を重視するため、学究的・論理的色彩が強く、庶民向けの布教や儀礼中心の展開に弱かった。他宗の魅力と政治的支援平安以降、天台・真言・華厳・法相(倶舎)などが官寺や貴族の支持を得て隆盛。実践・儀礼・密教的体験を前面に出す宗派が権力と結びつき、三論は相対的に影が薄くなった。兼学と吸収多くの日本僧が三論を学問的基盤として他宗(特に天台・真言・禅)と兼学したため、独立した宗派組織としての存在感が薄れた。私は、天台等が兼学していた。いや天台は総合大学的なところがあるから、吸収されたとみる。2026/01/15 07:29:3648.夕5wJFc吉蔵による八不解釈の要点① 八不は「中道」を示すための“否定の方法論”吉蔵は八不を、常見(実体視)と断見(虚無視)の両極端を破るための道具とみなした。不生・不滅 → 生まれる/消えるという実体視の否定不常・不断 → 永遠/断絶という極端の否定不一・不異 → 同一視/完全な差異視の否定不来・不去 → 時間的移動の実体視の否定つまり八不は、どの方向にも偏らないための“否定の網”。② 八不は「破執」のためであり、形而上学的主張ではない吉蔵は強調する。八不は「世界はこうだ」と言うためではなく、「こうだ」と思い込む心を壊すためにある。つまり八不は実在論でも虚無論でもない。八不は「真理の説明」ではなく、執着を破る薬。八不は「二諦円融」を示す吉蔵は二諦(世俗諦・勝義諦)を重視した。世俗諦:仮の存在(因果・言語・日常)勝義諦:空(無自性)八不はこの二つを矛盾なく成立させるための枠組み。世俗では「生じる」と言えるが、勝義では「不生」である。この二つを同時に成立させるのが中道であり、八不はその論理的支柱。2026/01/15 07:35:4649.神も仏も名無しさんoJur9ハッスル様の最大問題点は日本語訳、現在語訳でも原典を読まずに正誤不明瞭な仏教学者の説を読解力の無いアタマで学ぼうとすることろ禅でも同じようーなもんだが😭2026/01/15 07:41:2550.神も仏も名無しさんoJur9三論宗も末法思想に食われて念仏解決志向が強くなったからなー加藤師匠の研究する珍海は念仏修行へシフトしていたからな😆2026/01/15 07:42:5251.神も仏も名無しさんoJur9禅定体験が欲しいだろうしな僧侶としては念仏による禅定体験でもかなり、ありがたい、それが仏教修行法の廃れてきた平安時代末期の末法思想の時代そこから禅が中国から輸入されたみたいな流れ😆2026/01/15 07:44:1752.夕5wJFc③ 八不は「二諦円融」を示す吉蔵は二諦(世俗諦・勝義諦)を重視した。世俗諦:仮の存在(因果・言語・日常)勝義諦:空(無自性)八不はこの二つを矛盾なく成立させるための枠組み。世俗では「生じる」と言えるが、勝義では「不生」である。この二つを同時に成立させるのが中道であり、八不はその論理的支柱。④ 八不は「三観」(空・仮・中)の実践法吉蔵は天台の三観と似た枠組みを持つ。空観:不生不滅などで実体視を破る仮観:世俗の因果・言語を肯定する中観:空と仮の両方を離れた立場八不はこの三観を行き来するための“思考の訓練法”。⑤ 八不は「言語批判」である吉蔵は、言語が実体視を生むと考えた。「生じた」と言えば実体があるように錯覚する「滅した」と言えば実体があったように錯覚する八不は、言語が作る虚構を暴くための言語解体の技法。⑥ 八不は「動的な否定」であり、固定化してはならない吉蔵は八不そのものへの執着も戒めた。「八不に執着すれば、それもまた偏見である」つまり八不は固定的な教義ではなく、執着を破るための流動的な方法。2026/01/15 07:44:4553.神も仏も名無しさんoJur9比叡山ですら江戸時代の修行の中心は山伏が多数派だろう、千日回峰行など天台智顗の修行法四種三昧が復活できたのは戦後😆2026/01/15 07:45:5954.神も仏も名無しさんoJur9天台小止観を知っている僧侶は現在てすら少数だろう😆2026/01/15 07:46:2955.神も仏も名無しさんoJur9天台宗でも😆2026/01/15 07:46:4556.夕jNYad三論宗は二諦円融。天台は三諦円融、まぁ似ていると言えば似ている。天台に吸収されたとみる。2026/01/15 08:22:4857.夕jNYad吉蔵も破の人だ。2026/01/15 08:27:4958.夕jNYad吉蔵のは中観修行論だ。まぁ、現代なら会うかもしれな。魑魅魍魎の中世では密教の方が尊ばれるだろう。2026/01/15 08:32:5959.神も仏も名無しさんIUm6y日本中論は東大寺で消滅前はやっていた加藤師匠が言っていた😆2026/01/15 09:04:5260.◆JBLfMwCXhYJYrjo>>56似ているもなにも天台教学の三諦は、中論の発展形ですな2026/01/15 10:55:5061.◆JBLfMwCXhYJYrjo日本では三論宗が衰退したでも、チベット密教に生きている2026/01/15 10:56:2362.◆JBLfMwCXhYJYrjo集中力を強化することが重要だ2026/01/15 10:58:0963.◆JBLfMwCXhYJYrjo中論を学んで、止観瞑想する2026/01/15 11:11:2364.夕yXWcS10年前の私だと、吉蔵のいっていることがわからなかっただろうな。今だからこそわかる。逆にわかりやすい2026/01/15 11:25:0065.神も仏も名無しさんbq3PR>>60天台小止観のようなロジカルなのは天台宗門内では多数派ではないなー摩訶止観よほうが主流だ😆2026/01/15 11:37:4866.◆JBLfMwCXhYywR75吉蔵(きちぞう、549年-623年)は、中国六朝時代末から唐初期にかけての僧。俗姓は安氏で、先祖は安息国の人。金陵(江蘇省南京市)の出身。嘉祥大師とも言う。2026/01/15 12:46:0667.◆JBLfMwCXhYywR75隋唐はグローバルな移民国家だったから長安なら、イラン系でもそんな目立たんかったのではないかなでも、南京出身なんだな😅2026/01/15 12:47:3668.◆JBLfMwCXhYywR75日本に三論宗を伝えた高句麗の慧灌は、吉蔵の弟子にして、聖徳太子の師匠だ開祖の吉蔵の教えが、ほぼリアルタイムで日本に伝わった2026/01/15 12:49:2469.◆JBLfMwCXhYywR75飛行機がなかった時代に、よくそんな移動できたな2026/01/15 12:50:1670.◆JBLfMwCXhYywR75南朝の時代、南京では仏教が極めて栄えていた隋唐はそれを受け継いでいる2026/01/15 12:50:5971.◆JBLfMwCXhYywR75隋唐の前の南北朝時代、南朝梁の武帝は「皇帝菩薩」と呼ばれるほど、仏教に熱心だった「四百八十寺」と言われるほど、多くの寺が建った2026/01/15 12:54:3172.カムイ◆4zzhWyZTeatmZwSHvでおーの魂の本質は餓鬼道と修羅道そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる餓鬼道とは渇望・不足感・もっと欲しい「まだ足りない」承認・知識・評価・愛情への飢え手に入れても満たされない貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやねそして得た知識で周りから承認を求めるでおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ完全にでおーに当てはまる修羅道とは闘争・優劣・勝ち負け相手を倒して自分を保つでおーはやたら相手より優れてるをアピールする勝ち負けにもこだわる相手を倒すのに手段を選ばないまた、第三者同士対立させようと持って行ったりするそして、それを見て楽しむこれもでおーの行動に完全一致地獄道とは怒り・憎しみ「許せない」「ムカつく」心が焼け付く感じ 正義感が攻撃に変わるこれはでおーがわざと相手を挑発して怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる相手の正義感を攻撃に変えようとするまさにでおーが相手にやってる事やね2026/01/15 12:55:4373.◆JBLfMwCXhYywR75唐の杜牧(9世紀)の詩江南春千里鶯鳴いて緑紅(くれない)に映ず水村山郭酒旗の風南朝四百八十寺多少の楼台煙雨の中2026/01/15 12:56:1574.◆JBLfMwCXhYywR75梁の武帝の統治のもとで、六朝文化といわれる貴族文化が頂点に達した。『文選』を編集したことで知られる昭明太子は、武帝の皇太子であった。南朝の梁が安定した統治が行えた背景は、北朝の北魏が分裂し、東魏と西魏が争っていて南朝に介入できなかったからであった。2026/01/15 12:58:4975.◆JBLfMwCXhYywR75特にその晩年は深く仏教を信仰し、戒律を守り、自ら「三宝の奴」(仏法僧に帰依する意味)と称した。南朝の仏教はこの時代に最も栄え、都建康には700もの寺院があったという。朝鮮の百済は梁に使者を送り、仏像や経典を求めた。朝鮮の仏教は中国の江南の仏教を移植したものといえる。日本に百済から仏教が伝えられたという538年(一説に552年)も中国南朝では梁の時代である。聖徳太子は憲法十七条で「篤く三宝を敬え」と言い、聖武天皇も自らを「三宝の奴」と称したのはいずれも梁の武帝の影響である。また、伝承では武帝の時代の520年に、インドから広州に渡った達磨を南京に迎え、問答をしたという。達磨はのちに少林寺に入って坐禅の修行を重ね、中国の禅宗の開祖となる。2026/01/15 12:59:1476.◆JBLfMwCXhYywR75日本に伝わった仏教も、南京の仏教だ2026/01/15 13:00:4477.夕hbAjZ梁の武帝か。南北朝時代、梁の武帝(蕭衍)が達磨大師に「寺を建て僧を供養した功徳は何か」と問うた際、達磨が「無功徳」と答えたこんなことしかしらない。梁の武帝は、南朝梁を建国した名君政治・文化・仏教の全盛期を築いたしかし晩年は仏教偏重と政治の緩みから国が弱体化侯景の乱で幽閉され餓死という、栄光と悲劇が同居する皇帝だった。政治って難しよな。2026/01/15 13:35:1778.夕hbAjZ>>60智顗(538–597)は南北朝から隋にかけて活躍した僧で、天台山(浙江省)で修行し教義を整備した。天台宗の実質的な開祖とされ、後世では「天台大師」「智者大師」と尊称される。吉蔵の方が後か2026/01/15 13:40:3879.◆JBLfMwCXhYzWgVY>>78日本には、天台宗の方が後で伝わった2026/01/15 13:55:0480.◆JBLfMwCXhYzWgVY奈良時代の日本では、三論宗と法相宗が2大勢力で、学生がこの2派に集まって抗争してたらしいがなぜか、平安時代になって天台宗と真言宗に圧倒された2026/01/15 14:02:4781.◆JBLfMwCXhYzWgVY三論宗と法相宗ってことはつまり、奈良仏教は中観派と唯識派の争いだったわけで仏教哲学マニアにとっては胸熱だが😂唐朝からもたらされた密教の魅力には勝てなかった2026/01/15 14:05:5882.◆JBLfMwCXhY05LHJ立憲民主党と公明党の合併が決まったようだ新党の党名は「中道改革」になるらしい2026/01/15 16:34:5083.◆JBLfMwCXhY05LHJ中道ねえ「非右非左の中道」か(笑)2026/01/15 16:35:1184.◆JBLfMwCXhY05LHJ中道ってことは、左派を排除するんかな?2026/01/15 16:36:1085.◆JBLfMwCXhYjWqg4でないと、「中道」の看板はウソになる2026/01/15 17:19:2686.神も仏も名無しさんuTRwuしかし、奴らには困ったもんだ国民に投票だな?😆2026/01/15 18:28:2087.神も仏も名無しさんuTRwuゼネコンマミレ公明党利権が一番気に食わん😫2026/01/15 18:29:2888.神も仏も名無しさんuTRwu重税メガネパート2だ奴らが権力取れば😫2026/01/15 18:30:1389.カムイ◆4zzhWyZTeatmZmqm7でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、修羅道の性質と一致している。地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。つまり、自分は餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、驚くほど一致している。2026/01/15 21:14:3690.◆JBLfMwCXhYeJQhs中観派は、言語哲学だしばしば、20世紀の西洋哲学と比べられる2026/01/16 06:51:5891.◆JBLfMwCXhYeJQhs人は、世界を直接認識できない人が「世界」だと思っているものは、自分の心の中に作り上げた世界像にすぎない本当の世界を知ることは不可能だ2026/01/16 06:53:1392.◆JBLfMwCXhYeJQhs自分の心の中に作り上げた世界像それは、言語で出来ている2026/01/16 06:54:5093.神も仏も名無しさんniVjp>>91だが、ある、案件でまーまー認知判断レベル高く幸運を招いたケースがある墓の主の話いわねー😆2026/01/16 06:55:1294.神も仏も名無しさんniVjp人類宗教史上驚きの認知判断力😆2026/01/16 06:56:1595.◆JBLfMwCXhYeJQhs端的な例としては、遠く離れた外国だ現地を探索したことがなくても、「こういうところだ」というイメージは出来ているそのイメージのほとんどは、言語で出来ているまあ、現代人の場合は、映像によるものも大きいが昔の人は、人から聞いた話とか、文字情報でしか知りようがなかった2026/01/16 06:56:3096.◆JBLfMwCXhYeJQhsもう1つの端的な例は、大昔の歴史だろう平安時代の日本や、江戸時代の日本昔の遺跡とか、時代劇の映像とか参考になるものは多いが、こちらも大半が言語で作り上げた世界像だ2026/01/16 06:58:2497.神も仏も名無しさんniVjp運命の分かれ目終末論みたいなクソ混沌で合理的認知と判断力完璧にそれをプロデュースしたレベルはモンスターケラスだ😆2026/01/16 06:58:4598.◆JBLfMwCXhYeJQhs遠く離れた外国や、大昔の過去に限らない今いる、この場所だって「ここは日本の首都の片隅の住宅地で・・・」とかなんとか言語によって組み立てられたストーリーを抜きにして語れない2026/01/16 07:00:4699.神も仏も名無しさんniVjp狂人の行動を読み切り上手くコントロールする達人的認知力と判断力ま、モンスターだなんな、マネできんな、😆2026/01/16 07:01:13100.◆JBLfMwCXhYeJQhs言語を超越した直接認識それは、見果てぬ夢だ2026/01/16 07:01:33101.◆JBLfMwCXhYeJQhs>>99宗教板で鍛えられたおかげか?😂2026/01/16 07:02:06102.◆JBLfMwCXhYeJQhs哲学マニアは通常、文系インテリなので文字情報に対する依存度が、普通の人より高いだから、余計にそう思う2026/01/16 07:04:38103.神も仏も名無しさんniVjp>>101俺が語らないだけで人類宗教史上のモンスターはいる単なる認知力判断力という意味だけの😆2026/01/16 07:06:15104.◆JBLfMwCXhYeJQhs「人は、世界を直接認識していない。自分の心の中に言語で作り上げた世界像。それを、『世界とはこういうものだ』と思い込んでいるだけだ」これは、現代の哲学マニアにとっての共通認識と言ってよい2026/01/16 07:06:49105.◆JBLfMwCXhYeJQhs>>103確かに、常人を超える認識力の持ち主はいたそれは間違いない2026/01/16 07:07:35106.神も仏も名無しさんniVjp>>100リアルに限界恐怖ギリギリに適切な判断力認知力をやりこなせることがたまにある歴史上にあーいうのを見ると碧巌録みたいななんの役にも立ちそうになさそうなトレーニングも役にたつんだろうなーとは思うけど一般的には無用の長物だセッタンもそういうくらいに😆2026/01/16 07:10:57107.神も仏も名無しさんniVjp判断力のかけらのないハッスル、ムイムイ、麦のレスを見ると吐き気をもよおす😫2026/01/16 07:12:29108.神も仏も名無しさんniVjp道元禅師や、セッタンのような臨済宗批判は一般的汎用性スタイルではもっとも感がある😆2026/01/16 07:14:08109.神も仏も名無しさんniVjpバカが動中の工夫だと?みたいな?😁2026/01/16 07:15:13110.◆JBLfMwCXhYeJQhs>>109そうなのか~😫2026/01/16 07:26:50111.神も仏も名無しさん75eoPテーラワーダ動画https://m.youtube.com/shorts/TSgPbTdI8Vc2026/01/16 07:41:37112.神も仏も名無しさん75eoPテーラワーダや倶舎論から唯識がでてくる流れがわかるなー😆2026/01/16 07:42:54113.神も仏も名無しさん75eoP檻に放り込まれて死刑求刑された元韓国大統領、あれは判断力認知力の無い典型だな😆2026/01/16 07:49:13114.カムイ◆4zzhWyZTeatmU4q3hでおーの言動は餓鬼道(知識の貪り・渇望・承認欲求)と修羅道(優劣・勝ち負け)が強く出てる。加えて、相手を挑発して怒りを引き出し、地獄道に落とそうとする動きが目立つ。行動を見れば、一致してる。2026/01/16 10:27:17115.夕gF98k>>95いや、形、色、音、匂い、感触等でもあり得る。2026/01/16 13:11:34116.◆JBLfMwCXhYcNhfRインドのスパイスの匂いは、インドのイメージを膨らませるな2026/01/16 13:18:06117.◆JBLfMwCXhYcNhfR「インド」という名前が大事世界は名称と形態で出来ている2026/01/16 13:19:32118.◆JBLfMwCXhYcNhfRコンピュータのロールプレイングゲームは映像と音声という舞台装置の上で文字と数字が織り成す世界2026/01/16 13:20:47119.◆JBLfMwCXhYcNhfR世界のほとんどは、文字と数字で出来ている世間の一般人は、「リアルの世界はゲームと違う」と思っているがじつは、似たようなものだこのリアルの世界も、じつは文字と数字で出来ている2026/01/16 13:22:04120.◆JBLfMwCXhYcNhfR世界には意味があるただし、意味のほとんどは言語によって付与されている2026/01/16 13:23:51121.◆JBLfMwCXhYcNhfR眠くなってきた2026/01/16 13:32:44122.◆JBLfMwCXhYcNhfR昼寝してる場合じゃないんだが(笑)2026/01/16 13:33:00123.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAddWLQ諸法無我であるサピエンスという狂気の生命体――人類は「賢い」から生き残ったのではないhttps://note.com/royal_curlew4118/n/n42225a19da2b群体にならなかった理由蜂や蟻は、個体を捨てて群れを守る。だがサピエンスは違う。サピエンスは、個体の内側で自分を犠牲にする。群体化ではなく、**「自己分解による耐久性」**を選んだ。この設計は、自我の放棄とは真逆だ。自我があるからこそ、削れる。自分が戻ると信じているから、捨てられる。2026/01/16 17:47:36124.◆JBLfMwCXhYlK1yu我を捨てて、群体になるのか?2026/01/16 21:22:05125.◆JBLfMwCXhYlK1yu宇宙のどこかの惑星には、そういう人種もいるらしい2026/01/16 21:22:31126.◆JBLfMwCXhYeJQhs後期中観派(こうきちゅうがんは)とは、インド大乗仏教の中観派が発展・細分化した流れで、特に自立論証派(スヴァータントリカ)や、その教えを瑜伽行派(唯識派)と統合しようとした瑜伽行中観派などを指し、チベット仏教に大きな影響を与え、「空」の思想をより精緻化・体系化していった学派群です。2026/01/16 23:52:33127.◆JBLfMwCXhYeJQhs龍樹(ナーガールジュナ)の「中観派」の「空」の思想を継承しつつ、その解釈や論理展開を巡って初期の「実有(真実)」を認めない立場(自性空)から、概念(名言)を離れた実在(真実)を認めるか否か(形象真実論・形象虚偽論など)で論争を繰り広げました。2026/01/16 23:52:48128.◆JBLfMwCXhYeJQhs主な特徴と展開龍樹の思想の継承と発展: 龍樹の「一切法空(すべては実体がない)」という思想を基本としつつ、その論理を深めました。2026/01/16 23:53:12129.◆JBLfMwCXhYeJQhs後期中観派の分化:自立論証派(スヴァータントリカ): 唯識派との論争の中で、言葉や概念を超えた「真実」の存在(真実諦)をある程度認めることで、より実践的な「空」の理解を目指しました。2026/01/16 23:53:45130.◆JBLfMwCXhYeJQhs瑜伽行中観派: 瑜伽行派(唯識派)の教えを取り込み、中観派の「空」と融合させようとした学派で、チベット仏教のゲルク派などに影響を与えました。2026/01/16 23:54:02131.◆JBLfMwCXhYeJQhs「空」の論理の深化: 「空」を単なる「ない」と捉えるのではなく、いかなる実在も認めない絶対的な「空」から、概念(名言)の「空」と、それとは区別される「真実」のあり方を巡って、「形象真実論」「形象虚偽論」などの緻密な議論を展開しました。2026/01/16 23:55:24132.◆JBLfMwCXhYeJQhs意義「空」の思想を、より体系的・論理的に深め、インド仏教後期の思想を形成しました。その思想はチベット仏教の四大宗派(ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派)の教義の基盤となり、現代まで受け継がれています。2026/01/16 23:56:31133.◆JBLfMwCXhYeJQhs後期中観派を学ぶとはチベット仏教を学ぶことを意味する2026/01/16 23:57:11134.◆JBLfMwCXhYogVoz興味深いのは、やはり瑜伽行中観派だ2026/01/17 00:04:22135.◆JBLfMwCXhYogVoz瞑想メインのチベット密教は瑜伽行中観派をベースにしている2026/01/17 00:05:00136.神も仏も名無しさんur0nlある本にはサキャ派か、カギュ派のどちらかが唯識要素が濃いらしい😆2026/01/17 05:56:10137.カムイ◆4zzhWyZTeatmFoSuH✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/17 06:03:35138.神も仏も名無しさんoacN3😈2026/01/17 06:14:28139.◆JBLfMwCXhYogVoz瑜伽行中観派(ゆがぎょうちゅうがんは、Yogācāra-Madhyamaka)とは、大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)の教説を中観派へと吸収・統合することを志向した、後期中観派スヴァータントリカ(自立論証派)の総称。チベット仏教に多大な影響を与えたなお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」(Sautrāntika-Mādhyamaka)と呼ばれたりもした2026/01/17 07:10:02140.◆JBLfMwCXhYogVoz中観派の流れをくみ、瞑想を重視するゲルク派は「瑜伽行中観派」なんだな2026/01/17 07:14:17141.◆JBLfMwCXhYogVozもともとの中観派が、そこまで瞑想重視なわけではない2026/01/17 07:14:39142.神も仏も名無しさん5T89N瞑想重視大乗仏教で完成形残存しているのはチベット密教と禅だけだろな修道スタイルが安定しているのは世襲で天台、真言宗の大方は形式的になっぢろうしなー永平寺、総持寺ですら形式的だからな?😆2026/01/17 08:24:41143.神も仏も名無しさん5T89N唯識や三論宗は中国には何かあったんかもしれんが日本では末法と修験道と念仏が主流派だった歴史上まー、こんな風だ😆2026/01/17 08:26:06144.神も仏も名無しさん5T89N三論宗てすら加藤師匠が研究している珍海てすら念仏の行者だしなー😆2026/01/17 08:27:03145.神も仏も名無しさん5T89N中国の文革で中国大乗仏教のテキストは多くは燃やされたやろしなー😫2026/01/17 08:27:49146.◆JBLfMwCXhYlE0h9中国で仏教が本当に盛んだったのは、唐朝まで宋からは、儒教勢力が巻き返してきて完全に主流となった2026/01/17 08:45:00147.◆JBLfMwCXhYlE0h9もっとも明清時代の歴史ドラマでも、高貴な身分のお方が病気になるたび、チベット密教僧を招いて盛大に加持祈祷する場面が多い2026/01/17 08:46:25148.◆JBLfMwCXhYlE0h9とくに清朝の宮廷では、チベット密教が尊重された2026/01/17 08:46:55149.夕ytucr>>143禅宗(実践中心)浄土宗(民衆信仰)この辺は、まぁなんとなくわかる。哲学よりも実践・修行・信仰に重きを置いた宗派でした。唯識や三論のような純理論型の宗派は、中国社会の宗教文化(実践重視)と相性が悪かった。また、天台、華厳は思想だけが残ったみたいですね。清代はチベット仏教が流行ったということは知らなかった。神仏にすがりたいと思うのはどの時代でもありますからね。現世利益なのでしょう。2026/01/18 02:21:46150.夕ytucr東洋思想総合では、朱子学、陽明学等にもいきそうですね。JBLさんの得意分野だ。私と友達が、思想と言えるのは陽明学だけだとか言っていた。まぁ彼は河合継之助が好きみたいだ。そして司馬史観がすきだった。朱子学等は、仏教の宇宙観に対抗して、その分野を広げたみたいだ。2026/01/18 02:28:24151.神も仏も名無しさん7F0Td宋王朝と禅は王家よりも日本ほど国王にはひいきされる時期はゼロダろうなむしろ宋王朝の官僚の在家信者だろなこの辺が日本に来てたまに凄いことを引き起こす😆2026/01/18 05:04:16152.神も仏も名無しさん7F0Tdアビダルマにはそのような説明があったのねー生まれながらの俺は三因生まれだ😆必死に修行した覚えがないが預流果だ😆ま、アビダルマで輪廻論の一部を説かれているわけだな?😆https://m.youtube.com/watch?v=D3WqK0u7PIM&t=50s&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D2026/01/18 05:13:20153.神も仏も名無しさん7F0Tdテーラワーダの知識もオモロイねー〜 😆ユーチューブ時代はこっちが本気で関心あればスイスイと仏教知識が集まる😆2026/01/18 05:14:35154.神も仏も名無しさん7F0Tdお坊さんオンラインの動画の一を知って他宗派含めて、瞬時に模索やりだして百を知るからなー真言の表現知って天台、華厳、唯識、テーラワーダ、曹洞宗、浄土教まで、並列で解釈を深めるまー、そもそも臨済宗のやり方で既にあったのを、角度変えて模索しただけに過ぎんきもしれんけど😆2026/01/18 05:19:33155.神も仏も名無しさん7F0Td三因生まれは嗅覚が強い、俺該当ー😆神秘主義嗅覚が強力、神秘光明を見る眼くらいに発達している😆2026/01/18 05:22:02156.神も仏も名無しさん7F0Td香りは煩悩ではないスマナサーラの解説、まー臨済宗以外ならごもっとだ俺的には神秘主義禅定と香りはセットだ禅と高野山宿坊差以外は大方宗派で香りは一致している😆2026/01/18 05:25:10157.神も仏も名無しさん7F0Tdお坊さんオンラインの真言宗僧侶とスマナサーラは品がないが両者共に修道知識人だなかなり、いい動画があるなー😆2026/01/18 05:29:03158.◆JBLfMwCXhYLe0sF陽明学にテーラワーダか2026/01/18 07:01:59159.◆JBLfMwCXhYLe0sFますます、戦線が拡大する😅2026/01/18 07:02:14160.◆JBLfMwCXhYLe0sFテーラワーダの特徴はパーリ語仏典とヴィパッサナー瞑想2026/01/18 07:02:57161.◆JBLfMwCXhYYphFN三因か2026/01/18 08:23:25162.◆JBLfMwCXhYYphFN三因とは何ですか?仏性という仏さまの心の三つの要素です。 三つとは、正因(しょういん)仏性、了因(りょういん)仏性、縁因(えんいん)仏性のことです。2026/01/18 08:24:16163.◆JBLfMwCXhYYphFN仏性か本覚思想だな個人的に疎い分野だ😫2026/01/18 08:24:49164.◆JBLfMwCXhYOU53J仏性にも3つあるんだな2026/01/18 08:37:48165.神も仏も名無しさんnwgN7テーラワーダだから三因は別だ凡人は二因らしい俺みたいなエリートが三因ということらしい😆2026/01/18 08:43:13166.神も仏も名無しさんnwgN7五条悟の六眼の持ち主みたいなもんやろ三因😆2026/01/18 08:43:36167.◆JBLfMwCXhYOU53Jそうなのか~😆2026/01/18 08:43:46168.神も仏も名無しさんnwgN7必死で修行しなくてもまーまー悟れるまー俺は阿羅漢ではないけどなー預流果だ😆2026/01/18 08:44:52169.神も仏も名無しさんnwgN7ユーチューブ動画でお気楽に情報が集まってくるからなー😆2026/01/18 08:45:58170.神も仏も名無しさんyKNHx✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/18 16:49:29171.◆JBLfMwCXhY7faQO新たな1週間が始まった2026/01/19 08:40:16172.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G****************糞スレの為終了致しました。****************2026/01/19 08:41:32173.◆JBLfMwCXhY7faQO>>172糞スレが終わったのではないお前の心が終わったのだ2026/01/19 08:42:16174.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G458 j-data[sage] 2026/01/14(水) 20:09:56.39 ID:BD7KD0784下高井戸 ◆7ZPfzVcRoQNGNG帆帆タソの写真で抜いてみました。ドクドクと、いつもの3倍出てきて気持ちよかった~。感謝の気持ちでいっぱいです!!2026/01/19 08:48:01175.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G457 j-data[sage] 2026/01/14(水) 19:57:05.46 ID:BD7KD◆7zpfzvcroqRe: カタログ埋め(み~) 家具小物壁掛け( No.365 )日時: 2020/06/17 20:11名前: エム◆7ZPfzVcRoQクローバーさん、こんばんはキノコが出て来たと思ったらドングリと松ぼっくりが出なくなりガッカリしてます。JBBL5で開けてますので気が付かれましたらお越しください。0965一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ2009/09/14(月) 13:01:08ID:zTXOUzMWO…先生………オッパイ吸いたいです…0966一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ2009/09/14(月) 13:17:51ID:zTXOUzMWO最近は、道行く姉ちゃんの顔よりも先にオッパイの方に目が行ってしまう。これも呪いのせい。0967一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ2009/09/14(月) 13:23:37ID:zTXOUzMWOルックス中の上の貧乳より、ルックス中の下のD以上G未満の美乳。2026/01/19 08:49:00176.◆JBLfMwCXhY7faQO荒らすな(笑)2026/01/19 08:57:01177.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3Gwwwwwwwwwwwwwwwwwwえっ!?えっ!?えっ!?お前が今まで俺にやってきた事をやって何が悪い???2026/01/19 09:22:24178.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3Gつーか、お前、随分な趣味だなぁ?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/01/19 09:23:00179.◆JBLfMwCXhY7faQOなんだそりゃ?2026/01/19 09:23:55180.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G動物の森かぁw2026/01/19 09:24:44181.◆JBLfMwCXhY7faQO>>177埋めるなら、放置スレにしろ2026/01/19 09:26:03182.◆JBLfMwCXhY7faQO確かに、お前が立てたスレを埋めたがほんの10レスかそこら書いただけで、1年以上放置してたスレだったぞ(笑)2026/01/19 09:28:37183.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3Gまーーーーーた、嘘をついてるw2026/01/19 09:32:07184.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3Gセンシティブな内容が含まれている可能性のあるコメントです。表示するには、ログイン後に設定から変更してください。2026/01/19 09:33:28185.◆JBLfMwCXhY7faQOお前は何か勘違いしてるようだな?当方は巨乳好きではないぞ(笑)2026/01/19 09:34:54186.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3Gハロワ行けwww2026/01/19 09:38:03187.◆JBLfMwCXhY7faQO「俺は、お前らみたいな貧乏ヒマ無しではない。ヒマな年金生活者なのだ。時間があるから、いくらでも坐禅できるのだ。どうだ、うらやましいだろ~」と自慢してたかと思うと今度は「ハロワ行け」かどっちなんだよ?(笑)2026/01/19 09:41:52188.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3Gwwwwwwwwwwwwwwwwww俺はお前らみたいなヒキニープーボッチではない。二人の子供も社会人になり、定年延長して確定拠出年金を貰いながら会社勤めてしてる、仏教の居士だよwww2026/01/19 09:48:14189.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3GJBLさんよぉw悪い事は云わない、でおーとは距離を置け。分かってるんだろ?また、知識や体験について自分に素直に慣なれよ。そこで俺に関わるな、まるで次元が違うんだからな。その事で互いに不快な思いしてもつまらないだろ。2026/01/19 10:12:10190.神も仏も名無しさん4GOaUビッグハッスル🤡しとるやんけ〜🤡〜2026/01/19 10:28:55191.神も仏も名無しさん4GOaUハッスル🤡はJBLの何にゲキオコしたんた?😆2026/01/19 10:38:04192.◆JBLfMwCXhYUuMNtこのスレを立てたのを見て、怒ったようだ【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】https://talk.jp/boards/psy/17687706252026/01/19 10:52:42193.◆JBLfMwCXhYUuMNt「俺の真似するな」みたいな感じらしい2026/01/19 10:52:57194.◆JBLfMwCXhYUuMNtこちらは、テーラワーダ仏教スレの流れで立てただけだが2026/01/19 10:53:19195.◆JBLfMwCXhYUuMNt奇人変人の考えることは分からん2026/01/19 10:53:41196.◆JBLfMwCXhYUuMNt特級呪霊の徘徊だ👻2026/01/19 10:54:32197.神も仏も名無しさん4GOaU嫉妬の呪霊だな😱2026/01/19 10:58:29198.神も仏も名無しさん4GOaUカオリンの突然発作はハッスル🤡並みに謎だ😆2026/01/19 10:59:48199.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G確かに俺の真似して、しかも俺の立てたスレを嫌がらせて潰して、各論スレを乱立してるお前だけど、そういう事を云ってんじゃないよ。でおーとは距離を置って事な。それともう、まともな議論ならともかく、俺に変な事で噛みついて来るな。時間の無駄だからな。2026/01/19 11:00:51200.神も仏も名無しさん4GOaU辛いのハッスル🤡2026/01/19 11:02:21201.神も仏も名無しさん4GOaUハッスル🤡のボラ吹きが暴露され続けるからの〜🤡2026/01/19 11:02:48202.神も仏も名無しさんvHFHh✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/19 13:24:18203.◆JBLfMwCXhYN522Uハッスルは静かになったな?2026/01/19 14:21:52204.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKeTo4U****************糞スレの為終了致しました。****************2026/01/19 14:26:45205.神も仏も名無しさん7XMBb>>201気持ち悪い「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW気持ち悪い「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】2752026/01/19 23:12:06206.神も仏も名無しさん7XMBb🧻🧻🧻🧻身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】2752026/01/19 23:47:13207.◆JBLfMwCXhYkKtoHhiroaki-dialogueのブログhttps://ameblo.jp/hiroaki-dialogue/entry-12948372585.html️ 仏教における時間と因果律:説一切有部(せついっさいうぶ)から中観派への道のり2025-11-29 08:23:37テーマ:仏教2026/01/20 00:14:11208.◆JBLfMwCXhYkKtoH現代物理学が時間と空間の概念を絶えず問い直すように、古代インドの仏教思想家たちもまた、時間と因果律(縁起)がどのように存在し、作用するのかについて深く、そして熱い議論を交わしました。この壮大な思索の旅は、万物が実体を持つと考える一派から、すべては空であり、無常であると主張する革新的な思想へと展開していきます。本稿では、仏教における時間論と縁起の展開を、主要な宗派の視点から探り、その深い哲学的な意味を解き明かします。2026/01/20 00:14:56209.◆JBLfMwCXhYkKtoHⅠ. 説一切有部(せついっさいうぶ)の時間論:三世実有と実体としての「法」1. 「説一切有部」とは?「説一切有部(Sarvāstivāda)」は、紀元前後にインドで栄えた初期の有力な部派仏教の一派です。その名の通り、「一切有(すべてが存在する)」ことを説くのが特徴であり、特に過去・現在・未来の三世にわたって、構成要素(法)が実体として存在することを主張しました。2026/01/20 00:19:57210.◆JBLfMwCXhYkKtoH2. 「三世実有」の主張説一切有部の核となる思想が「三世実有(さんぜじつう)」です。これは以下の点を意味します。過去有(かこ・う):過去に滅した現象や行為(法)は、その作用力は失っても、実体としては今も存在し続けている。現在有(げんざい・う):現在の現象は、もちろん実体として存在する。未来有(みらい・う):未来にまだ生じていない現象も、実体としては既に存在している。彼らは、世界を構成する最小の実在的な要素を「法(ダルマ)」と名付けました。この法は「自性(svabhāva)」、すなわち固有の本質を持つ、固定された実体であると捉えられました。説一切有部にとって、時間が流れても、この「法」そのものは滅することなく、三世にわたって実体として存在し続けます。私たちが「時間」として認識しているものは、この法が過去・現在・未来という位(あり方や状態)を変化させることによって生じる現象に過ぎないのです。2026/01/20 00:22:26211.◆JBLfMwCXhYkKtoH3. 三世実有と因果律(縁起)の成立この「三世実有」の立場は、仏教の根本原理である因果律(縁起)を論理的に基礎づけるために不可欠なものでした。縁起とは、「これがあるから、あれがある」という相互依存の関係、すなわち原因と結果の法則です。説一切有部は、三世実有によって、この因果律を以下のように説明しました。過去の業の作用:もし過去の行為(業)が完全に「無」になって消滅してしまうならば、なぜその過去の業が、現在の結果(苦や楽)を生み出すことができるのでしょうか。説一切有部は、過去の業が実体として存在し続けるからこそ、それが因となって現在の果を引き起こすという、業の持続性と因果の確実性を担保したのです。過去の法(因)が実体としてあり続け、それが現在の法(果)を生じさせるというメカニズムによって、彼らは仏教の核となる「業報思想」を強固に理論づけました。2026/01/20 00:24:04212.◆JBLfMwCXhYkKtoHなるほど、そういうことか2026/01/20 00:24:17213.◆JBLfMwCXhYkKtoHこれだな説一切有部の世界観には、「阿頼耶識」というデータベースが無いだけで宇宙そのものがデータベースの役割を果たしている2026/01/20 00:25:06214.◆JBLfMwCXhYkKtoH過去のデータは、表に現れないだけで、データとしては保存されているそして、現在に強力な作用を及ぼしている2026/01/20 00:26:05215.◆JBLfMwCXhYkKtoH倶舎論と唯識論の違いは、過去のデータの保存方法だ倶舎論では!宇宙そのものがデータベースの役割(果たしている唯識論では、深層意識の奥にある阿頼耶識に、データが格納されている本質的には、似たようなものだ2026/01/20 00:27:50216.◆JBLfMwCXhYkKtoHこのように、仏教思想は「過去も未来もない。今ここしかないのだ」というようなのとは、まるきりカケ離れている2026/01/20 00:28:31217.◆JBLfMwCXhYkKtoH好むと好まざるとにかかわらずそれが、仏教の特徴だ2026/01/20 00:28:54218.◆JBLfMwCXhYkKtoHⅡ. 中観派(ちゅうがんは)の登場:実体の否定と「一切皆空」の確立1. 中観派(ちゅうがんは)(Madhyamaka)の革新説一切有部の思想が、法に実体(自性)を認めたのに対し、後に現れた「中観派」は、その一切を徹底的に批判しました。中観派の祖は、紀元2世紀頃に活躍したナーガールジュナ(龍樹)であり、その思想は後の大乗仏教に決定的な影響を与えました。2026/01/20 00:30:35219.◆JBLfMwCXhYkKtoH2. 「一切皆空」と「諸行無常」中観派は、釈迦の教えをより忠実に、より厳密に理解しようと試み、「一切皆空(いっさいかいくう)」と「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の立場を極限まで推し進めました。諸行無常の徹底:仏教の根本教義である「無常(Anitya)」とは、すべての現象は絶えず変化し、留まることがないという事実です。もし説一切有部が言うように、過去・現在・未来にわたって法が自性(固定された実体)を持つならば、それは「不変」であることになり、「無常」の教えに矛盾します。中観派は、法に実体を認めると、それは変化しない常住なものとなり、仏教の根本を否定することになると主張しました。一切皆空:中観派の主張の核心は、「空(śūnyatā)」です。これは「何もない」という意味ではなく、「自性がない(無自性)」という意味です。あらゆる現象(法)は、それ自体で独立して存在する固有の実体を持たず、すべては他のものとの関係性(縁)によって仮に成り立っている(仮有)と捉えます。2026/01/20 00:30:59220.◆JBLfMwCXhYkKtoH中観派の批判の要点:説一切有部が過去の法に実体を認めることで、時間の流れや変化という概念自体が説明できなくなる。なぜなら、実体とは不変であるはずだからです。もし過去の法(因)が実体としてあり続けるなら、それは「過去」ではなくなり、また「因」も「果」に変化できないことになります。2026/01/20 00:32:28221.◆JBLfMwCXhYkKtoH3. 実体を否定して、なぜ縁起が成立するのか説一切有部が「三世実有」という実体論によって縁起を確立しようとしたのに対し、中観派は、実体(自性)を否定するからこそ、真の縁起が成立すると主張します。これは、ナーガールジュナの『中論』における、非常に逆説的で深遠な論理です。2026/01/20 00:32:45222.◆JBLfMwCXhYkKtoH1、説一切有部の論理存在:法は実体(自性)を持つから存在する。縁起:法が実体を持つから、因果律(縁起)が成立する。2、中観派の論理存在:法は実体を持たない(空)から存在する。縁起:法が実体を持たないからこそ、因果律(縁起)が成立する。2026/01/20 00:34:53223.◆JBLfMwCXhYkKtoH「空」と「縁起」は同義:中観派にとって、「空」と「縁起」は二つで一つの真理です。すべてが縁起によって生じる→自性(独立した実体)を持たない→空すべてが空である→他のものとの関係性(縁)によって仮に生じる→縁起実体があれば縁起は不可能:もし原因(因)と結果(果)がそれぞれ固有の実体を持っていたと仮定します。因と果が完全に同一であれば、それは単なる自己同一性であり、変化も生成もありません。縁起は成立しません。因と果が完全に別個であれば、両者の間には関係性がなく、因が果を生むという繋がりが論理的に説明できません。縁起は成立しません。ナーガールジュナは、因と果、生と滅、常と断といった二元論的な対立(二辺)を徹底的に論破し、その中道を空としました。法に実体がないからこそ、法は絶えず変化し、他の法と関係を結び、生じたり滅したりという「はたらき」を持つことができ、この「はたらき」こそが縁起なのです。2026/01/20 00:35:24224.◆JBLfMwCXhYkKtoH中道だな2026/01/20 00:35:53225.◆JBLfMwCXhYkKtoH余談だが、立憲民主党と公明党が合併して「中道」っていう党になったらしいけど政治評論家は皆、「中道とは右派でも左派でもないこと」と思っているだが、それはウソだ立憲サイドはともかく、創価学会・公明党サイドでは、仏教用語を党名にして、新たな宗教政党を立ち上げたつもりでいる彼らの内心では、立憲など眼中にないのは間違いない(笑)2026/01/20 00:39:52226.◆JBLfMwCXhYkKtoHⅢ. 原初仏教における時間と縁起の捉え方説一切有部と中観派の議論は、釈迦入滅後の哲学的な展開ですが、その根底には、釈迦の教え、すなわち原初仏教の思想があります。1. 時間についての態度の保留原初仏教、特にパーリ語経典に見られる教えでは、時間それ自体に関する抽象的・形而上学的な議論は、多くの場合、保留(無記)されました。実存的な時間:釈迦の関心は、衆生が直面する苦(Duhkha)と、そこからの解脱にありました。時間は、過去を悔い、未来を憂うという苦を生み出す心理的な枠組みとして捉えられましたが、時間が実体として存在するかどうかという問いは、解脱という目的から見て無益な議論であるとされました。「今」の重要性:修行においては、過去への執着や未来への期待を断ち切り、「今・ここ」に集中する正念(sati)が重視されました。時間は、固定された実体ではなく、絶えず変化し続ける瞬間(刹那)の連なりとして、動的な実存の中で体験されるものと捉えられていたと考えられます。2026/01/20 00:45:17227.◆JBLfMwCXhYkKtoH初期仏教では、過去・現在・未来を哲学的に追っかけることを好まなかった初期仏教は、いわゆる「今ここ」主義に近かった2026/01/20 00:47:48228.◆JBLfMwCXhYkKtoH228晴れたり、日本晴れ~🗻☀️2026/01/20 00:48:48229.◆JBLfMwCXhYkKtoHしかし、初期仏教にも「十二縁起」がある無明から生老病死へと至るメカニズムを、時系列的に説いたものだ2026/01/20 00:50:47230.◆JBLfMwCXhYkKtoHかつて、宗教板でこれを言うと、福音伝道って人が怒り出したものだった「十二縁起は、ブッダの教えには無かった。後世の人の思想だ」といって批判された確かに、項目を十二に増やしたのは後世の付け足しかもしれんが縁起思想そのものは、ブッダの生前からあったぞ(笑)2026/01/20 00:53:46231.◆JBLfMwCXhYkKtoHかなりの高齢者というウワサだったが福音伝道は、今どこに?2026/01/20 00:54:25232.神も仏も名無しさんU3TZZまともにレスするような元気はないんだろうな、しかし、俺の霊的匂いで光明を見る癖があるんだが、焼香とは徳の遍満という意味らしい、なるほどーと思ったhttps://m.youtube.com/watch?v=lpgpV-F1VnE&pp=0gcJCU8KAYcqIYzv2026/01/20 06:54:54233.神も仏も名無しさんU3TZZ徳の遍満なんていうのは唯識の四智以上のレベルでないとその霊的ニューアンスは掴めないだろう😆2026/01/20 06:58:04234.◆JBLfMwCXhYkKtoH徳の遍満か~😄2026/01/20 09:56:06235.神も仏も名無しさんfgWQh金光教みたいに合わん所以外の宗教施設では徳の遍満の香りがするキリスト教でも😆2026/01/20 10:39:24236.神も仏も名無しさんfgWQhハッスル🤡さまが大暴れ、ロンと仏のスレ主相手にはもえあがるようだ😆2026/01/20 10:40:13237.◆JBLfMwCXhYLG5F2いまや、仏のスレ主はパープル様の漫談に付き合ってくれる貴重か存在😆2026/01/20 10:52:42238.◆JBLfMwCXhYLG5F2でも、いつまで付き合ってくれるか分からんな?😫971 神も仏も名無しさん [sage] 2026/01/20(火) 10:38:41.02 ID:hndqjもしかして会話が成立しない方ですか?2026/01/20 10:53:49239.神も仏も名無しさんfgWQh優しいなー俺は破壊するけどなー😆2026/01/20 11:46:10240.神も仏も名無しさんtb9nO✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/20 14:03:24241.◆JBLfMwCXhYK5DAr中観派ではこのような分析を行い、析空観に至るようだ↓中観派の空観中観派は、インド大乗仏教の2大学派の一つで、「空性」(すべての存在には本質・実体性がない)を中心教義としています。インド、チベットの中観派の伝統の「観」の瞑想(真理を認識する瞑想)は、「空」の教学に沿って行われますので、広い意味で「空観」と呼ぶことができます。そうして、無概念の直観的な認識を得ると共に、それを概念的に理解する智慧も獲得します。2026/01/25 08:39:16242.◆JBLfMwCXhYK5DAr具体的には、まず、教義に沿って、例えば、以下のような概略に沿って瞑想します。「四念処(体、感覚、心、法には実体がない)」の瞑想によって、すべての存在が「空」であること(法無我)を考察します。つまり、すべての存在は実体ではなく、幻のようなものであると考察して、小乗の経量部などの実有論を避けます。五蘊(感覚器官・感覚・イメージ・連想や感情・思考)のどれも自分ではないと考察して、私という実体はないこと(人無我)を考察します。つまり、心(識)もまた実体ではなく、幻のようなものであると考察して、唯識派の唯心論を避けます。すべての存在は、他の存在を原因として生まれる(縁起)存在であるから、実体ではなく、本質を持たない(空)ことを考察します。実体を持たないといっても、何も存在しないということではなく、実体を持たないというあり方で存在しているのだと理解することで、「有」にも「無」にも偏ることがない立場(中)に至ると考察します。煩悩をなくして一切智を得て仏になるためには、「空性」を悟ことが必要であり、「空性」の認識によって慈悲の心を生み、功徳を積むことができると考察します。2026/01/25 08:39:56243.◆JBLfMwCXhYK5DArまた、「空」の考察の方法として、チベットも含めて密教時代以降は、帰謬法(背理法)を使うことが良く行われます。つまり、Aが実体であると仮定する。AはBであるか非Bであるかのどちらかである。しかし、Bは成り立たない or BだとAは実体ではない。また、非Bも成り立たない or 非BだとAは実体ではない。だからAは実体ではない。という論法で考察をします。例えば、「人無我」に関しては、人は五蘊と一体であるか別であるかのどちらかである。人が五蘊が同じならば、複数の存在に依っているので人は実体ではない。人と五蘊が別ならば、人としての五蘊とは別の何かが見つかるはずだが見つからない。従って、人は五蘊によって仮説されたものに過ぎなく、実体ではない。他にも、「〇〇は単数であるか複数であるかどちらかである」、「〇〇は一瞬前の存在と同じであるか違うかどちらかである」といった論法を使います。このような論証・考察を徹底的に行うことを経て初めて、無概念の「空」の認識に至ります。2026/01/25 08:40:47244.◆JBLfMwCXhYK5DArまた、論証ではなく、本質(自性)をつきつめて瞑想するうちに、それが否定される状態(空)に至るような瞑想の方法も行われます。例えば、目の前にある「本」について考察します。まず、「本」が実体であるとして、その本質を見極めようとします。これを「正理知」と言います。そのためには、「本」の偶有性、例えば、「厚い」とか、「カバーがある」とか、「本」が「本」たる所以となる本質的な属性でない性質を捨てていきます。すると、「本」そのものを見出すことができず、虚空のような無限の広がりを体験することに至ります。こうして、逆説的にも、無概念な状態で「空」を理解することになります。2026/01/25 08:41:25245.◆JBLfMwCXhYK5DAr以上のように、帰謬法であれ、正理知であれ、対象を分析的に観察することを通して、初めて無概念の直観的な「空」の認識に至ります。この無概念での認識を「等引智」、「虚空のような空性」と呼びます。その後、日常的な認識の状態に戻ると、また、「本」を「本」として認識することになります。しかし、今度は、以前のように「本」を実体としてではなく、「幻」のような存在として認識するようになります。この認識を「後得智」、「幻のような空性」と呼びます。そして、分析的な「観」と、無概念の「止」(集中一体化する瞑想)を順に等分に行うことで、「等引智」と「後得智」を深めていきます。やがて、分析を行っているうちに、それを意識的に行わずとも、自然に正しい認識が行われる状態になります。この時、「止」と「観」が同時に行われる「止観双運」の状態になっています。さらに続けていくことで、最終的には、「等引智」と「後得智」が一致することで、悟りに至ります。2026/01/25 08:41:47246.◆JBLfMwCXhYK5DArなるほど2026/01/25 08:41:57247.◆JBLfMwCXhYK5DArそういうものか2026/01/25 08:42:28248.神も仏も名無しさん4CJ1Tこの辺が中道とか仏のスレ主がだいすきな牛乳の話なんやろ😆>やがて、分析を行っているうちに、それを意識的に行わずとも、自然に正しい認識が行われる状態になります。この時、「止」と「観」が同時に行われる「止観双運」の状態になっています。さらに続けていくことで、最終的には、「等引智」と「後得智」が一致することで、悟りに至ります。2026/01/25 08:53:44249.神も仏も名無しさん4CJ1Tゲルク派はわかりやすくていいねー😆ハッスル、麦、ホーカイくん、リダン、デンパパ📶のレスなんか読むと意味不明迷路だねー😆2026/01/25 08:55:19250.◆JBLfMwCXhYK5DArハッスル軍団は意味不明だな~😫2026/01/25 09:08:10251.◆JBLfMwCXhYK5DAr中観派も、当初は学者の哲学理論っぽかったが後に密教化するにつれて、瞑想仏教と化した2026/01/25 09:21:12252.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKH4J1nJBLのいうそれは未だ析空観(分析知)だな。小乗(説一切有部等)等の観法大乗は体空観(直観知)。2026/01/25 09:48:57253.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKH4J1n『仏教聖典』から、つまり、基本からやり直しなさい。そんに風にHiGHアンドLOWの教理をつまみ食いしてコピペしても、支離滅裂になるだけだからな。2026/01/25 09:50:59254.◆JBLfMwCXhYdRtOI>>252だから、最初からそう言ってるだろ😅241 ◆JBLfMwCXhY 2026/01/25(日) 08:39:16.27 ID:K5DAr中観派ではこのような分析を行い、析空観に至るようだ2026/01/25 10:21:57255.◆JBLfMwCXhYdRtOI何なんだ、いったい2026/01/25 10:22:09256.神も仏も名無しさんUsMKr単なるバカハッスル🤡ー劣等感マシーン🤡2026/01/25 10:36:23257.◆JBLfMwCXhYhxeLr>>252> JBLのいうそれは未だ析空観(分析知)だな。> 小乗(説一切有部等)等の観法> 大乗は体空観(直観知)。おいおいこれは、中観派の析空観小乗仏教はこんなのやらないよ😅2026/01/25 12:30:40258.◆JBLfMwCXhYhxeLr聖ウンコ師は、「析空観は小乗仏教、体空観は大乗仏教」と思ってたのか両方とも大乗だよ「空観」そのものが大乗だ2026/01/25 12:32:20259.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKakdQU>>254> 中観派ではこのような分析を行い、析空観に至るようだwww中観派は析空観を批判して否定する立場だぞ。2026/01/25 14:05:25260.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKakdQU>>258 ↓「析空観(しゃくくうかん)」は小乗、「体空観(たいくうかん)」は大乗の教えであるという区分けは、仏教界において非常に一般的な定説です。その根拠は、主に中国の**天台智顗(てんだいちぎ)**による教理の整理(教相判釈)にあります。彼は仏教の膨大な教えを体系化する際、空の捉え方の深さによってこれらを分類しました。それぞれの根拠と違いを整理します。1. 析空観(しゃくくうかん):小乗仏教(部派仏教)「分析して空に到達する」考え方です。 * 根拠と手法: 主に『倶舎論(くしゃろん)』などのアビダルマ仏教に基づきます。物質や心を最小単位(極微や刹那)までバラバラに分解・分析し、「個別の要素はあるが、そこに『我(実体)』はない」と結論付けます。 * 特徴: 「壊して初めて空になる」というニュアンスが強いため、**「拙度(せつど:つたない悟り)」**とも呼ばれます。 * 例え: > 「家」という実体はない。柱、屋根、壁に解体してしまえば、どこにも「家」は残らない。2. 体空観(たいくうかん):大乗仏教「そのもの自体が、そのまま空である」と体得する考え方です。 * 根拠と手法: 『般若経』や、龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』に基づきます。因縁(条件)によって生じているものは、わざわざ分解するまでもなく、いま存在しているその姿のままで本質的な実体がない(自性がない)と説きます。 * 特徴: 分解というプロセスを経ずに本質を見抜くため、**「巧度(こうど:巧みな悟り)」**と呼ばれます。 * 例え: > 「家」を解体しなくても、それが因縁によって仮に組み合わさっているだけの存在だと即座に見抜く。天台宗の「四教(しきょう)」による分類天台大師・智顗は、仏教の教えを以下の4つに分類しました。これが「析空=小乗」「体空=大乗」という評価を決定づけました。| 教義の分類 | 空の捉え方 | 対応する仏教 ||---|---|---|| 蔵教(ぞうきょう) | 析空観 | 小乗仏教 || 通教(つうきょう) | 体空観 | 大乗仏教の入り口(三乗に共通) || 別教(べっきょう) | 中道観 | 大乗仏教(菩薩のみ) || 円教(えんきょう) | 即空即仮即中 | 究極の大乗(法華経) |まとめ「析空観=小乗、体空観=大乗」という図式は、インド仏教の変遷(アビダルマから般若・中観へ)を、中国の天台宗が**「空の理解の深浅」**として理論的に整理したことに大きな根拠があります。2026/01/25 14:10:47261.神も仏も名無しさんv4d5dハッタリハッスル〜🤡ハッスル〜🤡🤡〜〜〜2026/01/25 14:13:57262.◆JBLfMwCXhYeha0H>>259いや、お前は誤解している(笑)中観派も、まずは析空観から入るんだよ一足飛びに、体空観には行けない析空観は必要だ2026/01/25 16:39:32263.◆JBLfMwCXhYeha0H体空観は、その先にある車の両輪ってわけじゃないが析空観という一輪車の上に、体空観が乗っている2026/01/25 16:40:39264.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKOrbZR>>262まーーーーーたデタラメの吹聴かwそもそも析空観を否定するのに析空観を構築するのは矛盾だし、分析知(析空観)をいくら重ねても、直観知(体空観)には至らないよ。つまり、一足飛びに行くのが体空観な。2026/01/25 16:59:50265.◆JBLfMwCXhYeha0H>>264だったら、なんで、仏のスレであんなに熱くなって析空観を説いてるんだよ?「お茶」とか「牛乳」に関してお前が主張している理屈は、析空観そのものじゃないか(笑)そんなスッ飛ばして、一足飛びに体空観に行けば済む話なんじゃねえの?2026/01/25 17:04:28266.◆JBLfMwCXhYeha0Hそんなの2026/01/25 17:05:38267.神も仏も名無しさんv4d5dハッスル🤡は日々追い詰められていくのであったー😱2026/01/25 17:12:49268.神も仏も名無しさんv4d5dハッスル🤡包囲網は日々強まっている味方はリダンとアオリンだけだ😱2026/01/25 17:15:59269.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKOrbZR>>265???析空観とか体空観って観法だけど?2026/01/25 17:19:36270.神も仏も名無しさんv4d5dなんか変なハッスルしてるな?🤡〜〜〜😱2026/01/25 17:26:48271.◆JBLfMwCXhY6LDzG「牛乳の味は受に分類される」だのなんだのおもいっきり細かい分析だ(笑)2026/01/25 19:15:37272.◆JBLfMwCXhY6LDzGそういう分析によって、世界は空だと観ずるそれが、析空観仏のスレで聖ウンコ師がやってるのが、前ににそれ2026/01/25 19:16:52273.◆JBLfMwCXhY6LDzGまさにそれ2026/01/25 19:17:18274.神も仏も名無しさんv4d5d唯識のディグナーガの論理学が体空と思っているんやろな唯識の依他起性の部分なのになー俺に対抗心でメルロ・ポンティの認識云々とかやってやがるしなー😁2026/01/25 19:45:04275.神も仏も名無しさんv4d5dハッスルには中論、ましてや禅なんか無理、仏のスレ主とハッスルの議論内容の筋が北極、南極解説で少し見えてきたやろ😆2026/01/25 19:46:51276.神も仏も名無しさんv4d5dハッスル脳内では中論や禅はディグナーガの依他起性部分の論理学が究極やと思い込んでいるんやろそこから誤読や😆2026/01/25 19:47:44277.神も仏も名無しさんv4d5dざっと創作仏教はこんな感じ😆280.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-DIb-Ij-wvu6HqYE(2/7)すなわち根源的な命名と既に在るものに対して為される二次的な命名の二種類だって云うんです。ところでその命名を ことばによる分節 とも云うのですが、メルロー=ポンティは、上記のように >事物の命名は認識のあとになってもたらされるのではなくて、それは認識そのものであるって云っております。つまり、認識=分節だと2026/01/25 18:32:02282.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-DIb-Ij-wvu6HqYE(3/7)ところで仏教では認識についてはどの様に考えているのでしょうか?私は法相宗に親しいので、その筋に依って考察してみますが、『摂大乗論』によれば、 >かくの如く縁起は、大乗においては極めて細微で甚深である。 >もし略説すれば二種の縁起がある。 >一つは分別自性の縁起であり、二つは分別愛非愛の縁起である。 >(『摂大乗論』1:19 訳は小谷信千代 『唯識説の深層心理とことば 摂大乗論に基づいて』より)っていうんです。ここでいう分別は認識と同じ意味ですが、分別自性、つまり、自性※を分別するのが認識だと云うんです。※自性〜もの・ことが常に同一性と固有性を保ち続け、それ自身で存在するという本体、もしくは独立し孤立している実体を自性という。2026/01/25 18:32:542026/01/25 19:52:15278.神も仏も名無しさんv4d5dJBLには論理的な仏教学のトーク板の看板になってもらわんとなー俺はめんどくせーヤツにつたえる気がない実況だけやー😆2026/01/25 19:56:19279.神も仏も名無しさんv4d5dハッスルと仏のスレ主のやり取りは倶舎論の緯度=南極と思って闘ってる図😆麦は赤道が南極と思っている図😆2026/01/25 20:01:47280.神も仏も名無しさんv4d5d下手したら麦は唯識の緯度で南極くらいかも😆2026/01/25 20:02:13281.神も仏も名無しさんizZm9🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/25 20:15:19282.神も仏も名無しさんv4d5d日本土着仏教とキリスト教など他宗教はこの視点が有意義かもしれないhttps://news.yahoo.co.jp/articles/e99aad8309f760b864678f4a679aa49a2a7f6f22瞑想仏教でもあるといえばある慈悲の瞑想😆2026/01/25 20:29:11283.神も仏も名無しさんnqUZRハッスル脳内では強敵は俺、JBL>仏のスレ主、ロンぽいなー😁2026/01/25 21:02:37284.◆JBLfMwCXhYXGtwP仏のスレ主は、攻めやすいと感じてるのかもな~2026/01/26 08:02:03285.◆JBLfMwCXhYXGtwP「仮説」兵藤 一夫(教授 仏教学) 「仮説」は「仮説(けせつ)」と読まれて仏教の根本的な立場を示す用語であることを知る人は少ないであろう。「仮説」は現代では科学の分野などで重要な語として用いられている。科学の分野では、学説はなにがしかの真理を含んでいるとしても、すべて一つの「仮説」であると考えられている。たとえノーベル賞を獲得したような学説であっても、自然の現象や人間社会の現象を完全で恒久な形で一般化した法則ではなく、後に変更されなければならない、まさに「仮の説」と考えられている。このことはその学説を主張する当の本人も含めて誰もが認めることであり、科学は「仮説」によって発展すると言われる所以でもある。2026/01/26 09:35:33286.◆JBLfMwCXhYXGtwP仏教の「仮説(けせつ)(仮にことばで説く)」は、「仮設(けせつ)(仮に設定する)」「仮立(けりゅう)(仮に立てる)」「施設(せせつ)」などとも言われ、説明原理や法則だけでなく、より根本的なことがらである「ことば」を介した認識や表現そのものに対して適用される語である。2026/01/26 09:36:21287.◆JBLfMwCXhYXGtwP仏教では、すべては因縁によって生じた(縁起した)もので、刻々と変化し(無常で)、恒常不変な本性のないもので、対象を切り取って固定的に一般化して捉える「ことば」によっては認識・表現できないもの(不可言説、不立文字)とされる。そうであるのに、私たちは「ことば」を借りて認識・表現することに慣れ、そこに何の疑問も感じていない。実は、私たちの日常の見る・聞くなどにおける「ことば」を用いた認識は、ありのままの事実を捉えているのではなく、「ことば」を借りて仮の形で捉えたもの、すなわち「仮説」なのである。2026/01/26 09:36:41288.◆JBLfMwCXhYXGtwP「ことば」による認識は有用で便利であるが、自覚しないままに「ことば」の固定的な意味内容をことがらに付着して、執着や固定観念を生じさせ、苦悩を生み出す。 このように、私たちの執着や苦悩に満ちた現実は、私たち自身が「ことば」によって作り上げたもの、一種の「ヴァーチャル・リアリティー(仮想現実)」で、その中で自らもがき苦しんでいることになる。経典などでは、このありさまを「蚕が自ら吐き出した糸によって包み縛られるようなものである」と譬える。2026/01/26 09:37:28289.◆JBLfMwCXhYXGtwPなんだか、聖ウンコっぽくなってきた(笑)2026/01/26 09:37:43290.◆JBLfMwCXhYXGtwP中観派葉、一種の言語哲学だ2026/01/26 09:38:03291.◆JBLfMwCXhYXGtwPソシュールの言語哲学と通じるものがある2026/01/26 09:38:19292.◆JBLfMwCXhYXGtwP井筒俊彦がソシュールの影響を受ける→ セイウン様が井筒俊彦の影響を受ける→ リダンが洗脳される2026/01/26 09:39:23293.◆JBLfMwCXhYXGtwP影響の系譜だ(笑)2026/01/26 09:39:34294.◆JBLfMwCXhYXGtwP20世紀の西洋哲学を席巻した、ソシュールの言語哲学「それと似たものが、仏教の古典思想にもあるじゃないか」昭和の日本の学者の興味を惹きつけた2026/01/26 09:40:50295.◆JBLfMwCXhYXGtwP「お茶を飲めば、お茶の味がする」「牛乳を飲めば、牛乳の味がする」確かに、直接知覚には違いないだが、人間は言語の海にドップリ浸かった魚だ「これはお茶だ」、「これは牛乳だ」と無意識に言葉でラベリングしている自覚するのも難しい2026/01/26 09:44:05296.◆JBLfMwCXhYXGtwPさらには、「これは緑茶だ」「これは烏龍茶だ」「紅茶だ」「麦茶だ」「玄米茶」「ほうじ茶」・・・さらには「伊藤園のお茶」「百均で買ったパックのお茶」「専門店で買った高級宇治茶」とかこういう、言語による意味づけを抜きにして認識するのは、現代人には絶望的に困難だ2026/01/26 09:53:19297.◆JBLfMwCXhYXGtwPでも、これってやっぱり20世紀の西洋哲学だと思うんだよなあ中観派の「言語哲学」は、こうではない似て非なるものだ2026/01/26 09:54:09298.◆JBLfMwCXhYXGtwP古代インドは紙すらなく、葉っぱに炭で字を書いて、時間が経ったら消えてしまう世界経典を暗記する記憶力が重要だった現代の膨大な言語ワールドとは別世界だ2026/01/26 09:59:50299.◆JBLfMwCXhYXGtwP現代の文明は、書類の山だ国家とか、企業とか、家庭とか無数の契約や合意で出来上がっているまさに、言語で構築された仮想現実だ2026/01/26 10:06:13300.◆JBLfMwCXhYXGtwPでも、古代インドなんか現代の文明人から見たら、自然の野生に近い2026/01/26 10:06:47301.神も仏も名無しさんeWgKL仮説はテーラワーダ教義箇所ということだな😆2026/01/26 10:20:20302.神も仏も名無しさんeWgKL>「牛乳を飲めば、牛乳の味がする」確かに、直接知覚には違いないだが、人間は言語の海にドップリ浸かった魚だ北極テーラワーダとの違いは赤道の中道を通過した前提があること、やはり華厳真言の理解が必須😆2026/01/26 10:23:43303.◆JBLfMwCXhYJpaaa中観派は赤道か~😆2026/01/26 10:28:18304.神も仏も名無しさんcadLL中観派の如来蔵の永遠の仏陀が赤道😆2026/01/26 10:49:29305.◆JBLfMwCXhYiU3nw最強の組み合わせだ~😆2026/01/26 10:51:15306.神も仏も名無しさんcadLL倶舎論唯識から南に如来蔵の永遠仏陀という三論宗から少しずつ増えガチガチの永遠の仏陀、天台があり、赤道華厳真言の永遠の仏陀😆2026/01/26 10:51:47307.神も仏も名無しさんcadLL南極までいくとむしろ永遠の仏陀は消える😆2026/01/26 10:52:12308.神も仏も名無しさんcadLLハッスルは南極の禅を北極に近い唯識や、はたまたは依他起性の倶舎論で捉えようとして唯識の誤読の上に禅の誤読までする麦もせいぜい唯識で禅を捉えようとしている風情に見える😫2026/01/26 10:54:20309.神も仏も名無しさんcadLL麦がクレバーになるのはJBLの真言理解にかかっている😆2026/01/26 10:55:59310.リダン◆3y/i8XtGLYq1ctt>>293その通りだと思うぞ仮説、仮設は勝義と言えないであろう「空」と表記した時点でそれは勝義ではなく方便だなんでんな単純なことか分からんのか2026/01/26 14:02:22311.神も仏も名無しさんkSjUn🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/26 14:04:35312.リダン◆3y/i8XtGLYq1ctt仮説、仮設はアレフガルドに住まう人にたいしてあえて言語の導きのため「空」と表記しないとまず説明すら出来ないやろが2026/01/26 14:21:02313.リダン◆3y/i8XtGLYq1cttいいか?猿にスマホを教えるためにはスマホを扱うものが言語によって価値を認めるゆえならその言語を教えないとスマホの価値は分からんだろ2026/01/26 14:23:33314.リダン◆3y/i8XtGLY46uy6猿に言語を教えれるかはまた別問題だかな例えの話だ2026/01/26 14:24:39315.リダン◆3y/i8XtGLYq1cttいまのところ猿(安堂)言語を理解する猿(jbl)安堂はなかなかどうもならないお釈迦様級やないと2026/01/26 14:28:15316.神も仏も名無しさんeZaE3躁転発作NO1だ😁2026/01/26 14:30:38317.リダン◆3y/i8XtGLYq1cttお釈迦様の凄いところは猿にたいして勝義を猿の認識にあわせ自在に方便を操るところだよ2026/01/26 14:32:31318.リダン◆3y/i8XtGLYq1ctt前にこの話をしたときに趣旨を理解せず猿に言語は無理だろっていう明後日の感想をいう馬鹿が何人かいたな2026/01/26 14:34:45319.神も仏も名無しさんeZaE3ハッスルー🫥ハッスルー🫥2026/01/26 14:40:02320.リダン◆3y/i8XtGLYq1ctt普通に中論触ってりゃよあえて龍樹が空を仮説として置くと読み取れるやろが2026/01/26 14:40:03321.神も仏も名無しさんeZaE3ハッスル〜🫥ハッスル〜🫥2026/01/26 14:41:43322.リダン◆3y/i8XtGLY46uy6安堂にはこんな話はしない馬鹿だからjblはとにかく鹿ちゃんアンチをとりあえずそこにおけば分かるはず2026/01/26 14:43:24323.神も仏も名無しさんeZaE3ハッスル〜🫥ハッスル〜🫥2026/01/26 14:44:22324.麦◆MUGITANx95DjZnYrA∞ノノハ∞川^○^ハレリダン語の通訳がまず必要wwwそれからだね方便♪2026/01/26 14:50:58325.神も仏も名無しさんeZaE3不可能でしょう😭2026/01/26 14:51:41326.リダン◆3y/i8XtGLYq1ctt>>324いま通訳してやるよどこが分からんのやおサルさん2026/01/26 14:52:48327.リダン◆3y/i8XtGLYq1cttほれはよ2026/01/26 14:54:08328.神も仏も名無しさんeZaE3ハッスル🫥ハッスル〜🫥2026/01/26 14:54:25329.リダン◆3y/i8XtGLYq1cttいちいち人のやることに(5チャンに帰る、スリップを建てる)右往左往してちゃ分からんで?麦ちゃんよ2026/01/26 14:56:13330.神も仏も名無しさんeZaE3ハッスル〜🫥ハッスル〜🫥2026/01/26 15:00:00331.リダン◆3y/i8XtGLYq1ctt逃げたか麦ちゃん正解や2026/01/26 15:02:14332.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>329∞ノノハ∞川^○^ハレそんなのもう忘れてたよwww思い出させたいのいやらしいwww2026/01/26 15:06:16333.神も仏も名無しさんeZaE3ハッスル〜🫥かちい〜〜🫥😁2026/01/26 15:06:28334.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>332なんやならはよ通訳いるとこ言えや2026/01/26 15:10:27335.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r馬鹿にも分かるよう説明したるわ2026/01/26 15:10:57336.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>334∞ノノハ∞川^○^ハレサラダボール状態で何が言いたいの?www突然支離滅裂でwww>jblはとにかく鹿ちゃんアンチをとりあえずそこにおけば322.ユーザーリダン◆3y/i8XtGLY46uy6(2/2)安堂にはこんな話はしない馬鹿だからjblはとにかく鹿ちゃんアンチをとりあえずそこにおけば分かるはず2026/01/26 15:14:30337.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>336何を言ってんだおバカそのサラダボール状態の箇所を具体的にだせよそれじゃ鹿ちゃんに過剰反応してるだけやないか2026/01/26 15:18:31338.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7rあほやなあ2026/01/26 15:18:57339.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7rサラダボールもなんも勝義、方便、言語、仮説は中論で言われてることやろが2026/01/26 15:21:14340.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7rはよしろよ何がサラダボールなんやとろくせえやつだな2026/01/26 15:30:25341.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r時間があるときに絡んでこいよ馬鹿2026/01/26 15:31:29342.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>337∞ノノハ∞川^○^ハレリダンたんの妄想が分からないんだよ>jblはとにかく鹿ちゃんアンチをとりあえずそこにおけば分かるはず猿チップ埋め込んでもらえば言語必要ないかもねwww2026/01/26 15:31:37343.麦◆MUGITANx95DjZnYrA∞ノノハ∞川^○^ハレせわしないやっちゃねwww瞑想しても落ち着きがないとかwww2026/01/26 15:32:58344.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>342なんやとにかくその箇所か単純にお前が鹿ちゃんに過剰反応してるだけ話おわり2026/01/26 15:35:30345.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>344∞ノノハ∞川^○^ハレ麦が自分自身にとって嫌な部分なんだろうね2026/01/26 15:37:07346.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>343瞑想やめりゃ随時煩悩が増殖するからなそれをどうするか?ってのが修道論なわけだオッケー?おバカちゃん2026/01/26 15:38:42347.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>345ブーメラン過ぎwお前が突っ込んだ話題だろw馬鹿すぎ2026/01/26 15:39:29348.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>347∞ノノハ∞川^○^ハレ嫌な部分だから麦自身は気お付けているよwww2026/01/26 15:42:43349.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>346∞ノノハ∞川^○^ハレ知足を知りなさい♪2026/01/26 15:44:35350.神も仏も名無しさんeZaE3ハッスル〜🫥2026/01/26 15:44:51351.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>345あん?お前自身にとっての嫌な部分にすぎない事柄で人をサラダボール扱いすんのか?お前大丈夫か2026/01/26 15:45:03352.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>351∞ノノハ∞川^○^ハレリダンたんの妄想は理解できないよwwwサラダボールでwww2026/01/26 15:47:40353.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>352だからお前のいうサラダボールがw単純にお前が嫌な事柄なだけじゃねえか知らねえよ馬鹿w2026/01/26 15:49:01354.麦◆MUGITANx95DjZnYrA∞ノノハ∞川^○^ハレリダンはごちゃごちゃでサラダボールだから話が分からないwwwでおーたんなら分かるかなぁwww2026/01/26 15:50:18355.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>354だから分からん箇所言えっての2026/01/26 15:53:30356.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7rサラダボールもなんも勝義、方便、言語、仮説は中論で言われてることやろが2026/01/26 15:56:12357.麦◆MUGITANx95DjZnYrA∞ノノハ∞川^○^ハレつ >>342JBLなんなら分かるかなぁwww2026/01/26 15:57:24358.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7rどっちが支離滅裂やねんドアホ2026/01/26 15:57:45359.麦◆MUGITANx95DjZnYrA訂正∞ノノハ∞川^○^ハレつ >>342JBLたんなら分かるかなぁwww2026/01/26 15:58:43360.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r>>357jblはよ自身ではうっすら分かってんだろしかし鹿ちゃんが言語で表記されたものは方便(空)っていうもんやからアンチ行為しとるだけ2026/01/26 16:00:06361.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r空って定義はどこまでも方便だよ分かるように仮説してんだから2026/01/26 16:01:18362.麦◆MUGITANx95DjZnYrA>>360∞ノノハ∞川^○^ハレJBLたん待ち♪www2026/01/26 16:02:14363.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7rアンチゆえに空と表記され仮説されたもんを方便と認めないただそれだけ2026/01/26 16:02:21364.リダン◆3y/i8XtGLYgtg7r何故か勿論鹿アンチもあるがjblはどこか世俗諦を格下にみている節があるゆえにお釈迦の説法は全て方便というと拒否反応をおこす違う、お釈迦様の凄いところは方便を自在にあやつり生きとし生けるものを勝義に導くこと2026/01/26 16:08:43365.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1鹿ちゃんと俺との違いは鹿ちゃんの場合は何かしら仏性への導きがある(おのずから)の部分かおれはその部分も方法論の一つと思う(神に導かれる、神の愛に包まれる)2026/01/26 17:26:13366.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1大乗の在家にたいする信仰による方法論2026/01/26 17:26:57367.神も仏も名無しさんeZaE3まだ躁転していたのか?🫥2026/01/26 18:04:20368.神も仏も名無しさんeZaE3お前も一人でネズミ回転車回すの好きだな?😁2026/01/26 18:05:02369.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1jbl用に簡単にいえば0と1の相依にて表現されるアバターと世界がいまの現し世とjblであってそれらは言語で成り立つわけやなしかしよ0と1の相依、その前提を言語でさらに構築するわけよ(ドットの組み合わせをさらに定義し自分、また大地)まあここまではjblも理解出来るやろんでそれを相依である、空である、組み合わせにすぎないと定義し、0と1の相依で形成された自我にたいし説明するこれが方便2026/01/26 18:07:50370.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1PCは0と1でしかないわけやなしかしそれだけでアレフガルドを表現するわけだんでそこに住まうものたちにそれを分かるように説明する空という定義は仮説であり方便だと言うこと2026/01/26 18:10:16371.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1何故か0と1の相依にて形成されるものに「分かる」ように仮説としてあえて置くからだ2026/01/26 18:19:15372.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1ここの違いがわからんと仮説でおいたにすぎないことをあたかも月と見間違えるそれをずっと指摘しているし中論を触ってりゃわかることだ2026/01/26 18:21:37373.神も仏も名無しさん994EDハッスル〜🫥ハッスル〜🫥2026/01/26 18:22:34374.神も仏も名無しさん994EDNO1ぐらいしかレスしてね〜😁2026/01/26 18:23:35375.神も仏も名無しさんwGbqD🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/26 18:32:58376.神も仏も名無しさん994EDNO1、俺の代わりにムイムイを相手してやれ😁2026/01/26 18:34:45377.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1まぁはやい話しが空って定義はどこまでも方便だよ分かるように仮説してんだからってこと2026/01/26 18:34:57378.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1では空という真理、勝義はなにか?それも方便、定義にて導いている「戯論寂滅」と2026/01/26 18:37:03379.リダン◆3y/i8XtGLYqVDE1戯論、言語拡張により自我、器世間が実体化するそれを寂滅せよ2026/01/26 18:50:46380.神も仏も名無しさんvsjle独り回転NO1😁2026/01/26 19:30:05381.麦◆MUGITANx95DjZnYrA∞ノノハ∞川^○^ハレネズミ回転車カラカラカラカラカラカラ🐹💨💨💨💨💨2026/01/26 20:16:57382.神も仏も名無しさんNZGHGNO1当人は楽しいのだろな?😁2026/01/26 20:45:38383.◆JBLfMwCXhYPFW1mハッスルNo.1😅2026/01/26 21:55:35384.◆JBLfMwCXhYPFW1m聖ウンコ師は、「現量/比量」リダンは、「勝義諦/世俗諦」異常にコダワっている(笑)2026/01/26 21:56:38385.◆JBLfMwCXhYPFW1mもっと、芸域を広げてもらいたいものだ(笑)2026/01/26 22:00:19386.◆JBLfMwCXhYPFW1m1つのテーマに対する執念が凄まじい2026/01/26 22:01:16387.◆JBLfMwCXhYPFW1m龍樹がそれを推奨すると思うか?2026/01/26 22:01:49388.◆JBLfMwCXhYPFW1m麦は洗脳が解けつつある2026/01/26 22:03:22389.◆JBLfMwCXhYPFW1m勝義諦のことになると、リダンは熱くなる2026/01/26 22:04:07390.◆JBLfMwCXhYPFW1mもはや、聖ウンコ教というより勝義諦教だ2026/01/26 22:04:30391.◆JBLfMwCXhYPFW1mリダンと対話できる者はいない聖ウンコ師ですら、対話を避けている(笑)2026/01/26 22:05:41392.◆JBLfMwCXhYPFW1m「勝義諦」という言葉を信仰している2026/01/26 22:50:52393.◆JBLfMwCXhYPFW1mリダンは「言語で説かれた教えは、すべて世俗諦である。言語で説き得ないのが勝義諦である」と、カタクナに信じているが確かに、そういう解釈もあるのは事実だだが、それはリダンが思うほど、一般的な解釈ではない2026/01/26 22:54:20394.◆JBLfMwCXhYPFW1m倶舎論では、もっとシンプルな意味だ「世俗諦」というのは文字通り、世俗的な真理世間の一般人が聞いて「いいこと言ってるな~👍️」と思うような、世間智のことだそれに対して「勝義諦」は、限られた求道者にしか分からない高度な真理のこと2026/01/26 22:58:15395.◆JBLfMwCXhYPFW1m唯識論でも、似たようなものだ唯識派では、「遍計所執性/依他起性/円成実性」の三性説が興り「勝義諦/世俗諦」は相対的に影が薄くなった2026/01/26 23:00:04396.◆JBLfMwCXhYPFW1mリダンが言ってるような意味での「勝義諦/世俗諦」というのはなんといっても、中観派のそれであるわけだがそれにしたって、龍樹の真意がそこにあったかは異論が出る2026/01/26 23:00:59397.◆JBLfMwCXhYPFW1m龍樹の「根本中頌」をよく読めば分かることだが龍樹は、こう言っている「最高の真理も、世俗の言語を用いなければ説くことはできない。お釈迦さまでさえ、最高の真理を説くのは無理と断念しかけた」↓「その難しいことをやり遂げて最高の真理を説ききり、見事に戯論を寂滅した。偉大なる釈尊に最敬礼!!」2026/01/26 23:04:18398.◆JBLfMwCXhYPFW1mこれを見て「言語で説かれた教えは、すべて世俗諦である。言語で説き得ないのが勝義諦である」というのが龍樹の真意だと思う人は読解が甘く、理解が浅い2026/01/26 23:05:36399.◆JBLfMwCXhYPFW1mそうではなくて、「釈尊は、勝義諦を、世俗の言語によって見事に説き切った」というのが、龍樹の言いたいことだ2026/01/26 23:06:49400.◆JBLfMwCXhYPFW1mつまり、「縁起=空=中道」は、勝義諦だそれが、龍樹の真意2026/01/26 23:07:38401.◆JBLfMwCXhYPFW1m確かに「言語で説かれた教えは、すべて世俗諦である。言語で説き得ないのが勝義諦である」↑これは、中観派ではよく出てくる話だが通俗的な解釈だ龍樹の真意ではない2026/01/26 23:10:11402.◆JBLfMwCXhYXGtwP「お釈迦さまの教えは、世間の一般人に向けた方便にすぎない。私は縁起=空性=中道の教えを説いたが、これだって本当の真理ではない。本当の真理を得たければ、ひたすら坐禅するしかないのだ」↑龍樹はこんなこと言ってないっつ~のどこかの坐禅中毒のジジイが書いた創作仏教にダマされてるだけだ(笑)2026/01/26 23:35:08403.◆JBLfMwCXhYXGtwP聖ウンコ師にかかれば中観派も唯識派も、おもいっきり坐禅中毒者に寄せた解釈になるアイツの話の流れはいつも、「ひたすら坐禅するのが正しい」という結論になるように出来ている単なる坐禅中毒の患者だ依存症だから何を見ても全部、「俺は間違っていない」となる方向にネジ曲がる😅2026/01/26 23:43:48404.リダン◆3y/i8XtGLYmuLHoあほ龍樹は戯論、言語拡張により自我、器世間が実体化するからそれを寂滅せよと言ってんだ2026/01/26 23:51:01405.リダン◆3y/i8XtGLYmuLHoなんで仮説として空をおいたか考えたら分かる話やろ2026/01/26 23:52:15406.◆JBLfMwCXhYXGtwP>>405わかった、わかったいつまでもやってろ(笑)2026/01/26 23:53:16407.神も仏も名無しさん6iygO麦やらの勝義諦の違和感は調べて分かった天台で三諦論を提示したより向こうに行った、華厳、真言、禅では天台の、構造も、二諦とかのそういう構造の理屈を関心薄くなった天台の中道の範囲をメインのテーマになったようだ😆2026/01/27 06:01:56408.神も仏も名無しさんM71Yi八宗綱要で天台は理事無碍法界だと定義したのは中道の定義が確定して、その上に華厳があるという設定の論理建てをしたんだろうと八宗綱要はかなり面白い本であったまーまー大乗仏教を整理てきているんたろう😆2026/01/27 07:01:05409.神も仏も名無しさんM71Yi中論に一番近似値はやはり、当然ながら三論宗だろな😆2026/01/27 07:02:04410.麦◆MUGITANx95DjWcuTf>>407∞ノノハ∞川^○^ハレ>400.ユーザー◆JBLfMwCXhYPFW1m(18/19)つまり、「縁起=空=中道」は、勝義諦だそれが、龍樹の真意2026/01/26 23:07:38JBLたんの見解でイイと思う♪因縁仮和合の現象で自性がない空で勝義諦2026/01/27 07:09:34411.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrwwwwwwwwwwwwwwwwww龍樹が考えていた「勝義諦」とは何か?それは『根本中頌(中論)』の十八章に示されている。18-5行為と煩悩の止滅によって解脱がある。行為と煩悩は思惟より生じる。それらはことばの虚構による。ことばの虚構は空性によって滅せられる。18-7心の対象が止滅するときにはことばの対象は止息する。というのは、ものの本性は涅槃のように、生じたものでも、滅したものでもない。18-9他のものをとおして知られず、静寂で、ことばの虚構によって論じられることなく、思惟を離れて、種々性を越える。これが真実の形である。ヤージュニャヴァルキヤがアートマンについて「〜に非ず、〜に非ず……としか云いようがない(『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』)」と喝破した様に、般若系思想家たちも「勝義諦」については、それが何であるかという形で示されるよりも、それが何でないかという形で間接的に暗示されるだけであり、龍樹もその域を出るものではないよ。いわゆる「否定神学」ってやつな。キリスト教では、俺がよく素材に出していたトマス・アクイナスやマイスター・エックハルト、ニコラウス・クザーヌスなんかがそれだな。ニコラウス・クザーヌスは面白いぞw2026/01/27 07:20:27412.神も仏も名無しさんM71Yiハッスル🤡は面白いぞ空振りで 😆2026/01/27 07:22:44413.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr龍樹は>われわれは縁起を空と説く。それは仮に設けたものである。それは実に中道である。>(『根本中頌』24-9)って、空(観)は仮設って説示してるし、>一切の見を捨離することが空である>(『根本中頌』13-9)と説いている。また、先日紹介した中谷論文でも、最・最古層の仏典と比定される『スッタニパータ』の「八郡品」で、お釈迦さまの説法の原点は「見解からの厭離」と云われてる、ってあったよな。2026/01/27 07:36:27414.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrでは、「見解からの厭離」の具体的な方法は何か?その端的が坐禅だろw勿論、坐禅に限らないけども。そして、「見解が尽きる事はないのだから、時時に払拭しなさいよ、それが涅槃ですよ」というのが、中谷論文の示すところだよ。であれば、坐禅であれば、その時時の払拭は回数に還元されるだろ?当たり前。2026/01/27 07:44:12415.麦◆MUGITANx95DjWcuTf∞ノノハ∞川^○^ハレ諸法実相(無相)ありのままでそのものが勝義諦だと思います非有非無2026/01/27 07:49:57416.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrお~ぅ、山田くーん!この馬鹿🤡(>>412)を外に捨ててきて!(会場、大爆笑😂wwwwwww)2026/01/27 08:04:59417.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr無限後退的な"非ず、非ず……"ではなくて、「非ずというもの」って実体視するのは外れてるよ。本件に関しては、リダンが正鵠を得てる。JBLや麦は理解してないね。あ、でおーはそれ未満w2026/01/27 08:09:02418.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrでおーを讃美する歌です🥰!!!https://www.nicovideo.jp/watch/sm38653354?ref=nicoiphone_other2026/01/27 08:18:39419.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrみなさん、でおーを讃美する歌のその2です🥰!!https://nico.ms/sm38545823?ref=other_cap_off2026/01/27 08:22:16420.麦◆MUGITANx95DjWcuTf∞ノノハ∞川^○^ハレJBLたんも実体視なんてしてないでしょうwww即心即仏も非心非仏も同じなのにねぇwww2026/01/27 08:29:50421.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>413> >われわれは縁起を空と説く。それは仮に設けたものである。それは実に中道である。> >(『根本中頌』24-9)だから、それが「空−仮−中」の三諦なんだっつ~の後に、天台教学の重要な柱になったやっぱり、本気で誤解しているんだな(笑)2026/01/27 08:49:32422.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr「非ず、非ず……」と「非ざるもの」とでは全然違う。実体視とは自性の肯定だから後者がまさにそれに該当する。つまり、「縁起-空-中道」を勝義諦とするのは、上記の後者に該当し、それは自性の肯定に他ならないから、実体視に他ならないよ。2026/01/27 08:51:40423.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>421> やっぱり、本気で誤解しているんだな(笑)???何処がwwwそもそも龍樹の「空-仮-中」のそれはシノニム(空=仮=中)だけど、天台の三諦はそれを魔改造wしたものだよ。2026/01/27 09:00:06424.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr110 鹿野園 ◆00MWura8lSZF sage 2023/08/14(月) 08:08:17.06 ID://64qryEいわゆる「三諦偈」なのですが、ここで中村先生は、>因縁によって生ぜられたもの(因縁所生法)は空である。これは確かに真理であるが、しかしわれわれは空という特殊な原理を考えてはならない。空というのも仮名であり、空を実体視してはならない。故に空をさらに空じたところの境地に中道が現われる。>因縁によって生ぜられたもの事物を空ずるから非有でありその空をも空ずるから非空であり、このようにして「非有非空の中道」が成立する。すなわち中道は二重の否定を意味する。>ほぼこの様に中国以来伝統的に解釈されてきた。と述べ、更に>しかし、この天台以降の解釈がはたしてナーガーリュジュナの原意を得てるであろうか。と疑義を呈している訳です。2026/01/27 09:08:19425.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr115 鹿野園 ◆00MWura8lSZF sage 2023/08/14(月) 10:00:06.82 ID://64qryEで、>要するに第二十四章の第十八句に関して後世中国においては三論宗も天台宗も種々複雑な説明を試みるに至ったのであるが、インドの諸注釈によってその原意を探るならば、縁起、空、仮名、中道の四つの概念が同趣意でものであるということを説いたにほかならず、後世におけるように空をさらに空じた境地に中道が現われると考えたのではないということが明白だろう。>もちろんわれわれは中国仏教思想の独自の意義を認めるのにやぶさかではない。>ただわれわれとしては、中国仏教における解釈がインドのもとのものと違うということを指摘するのである。>(中村元 『龍樹』 講談社学術文庫 より)な訳です。2026/01/27 09:09:06426.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr0723 鹿野園 ◆00MWura8lSZF 2023/08/14(月) 07:59:44.02中論頌24:18中村訳(『龍樹』講談社学術文庫) >どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。 >それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。桂・五島訳(『龍樹『根本中頌』を読む 』 春秋社) >縁として生起することを、我々は空であることと言う。 >それは因として、概念設定されることであり、その同じものが中道である。鳩摩羅什訳 >衆因縁生の法、我即ち是れ無なりと説く。 >亦たこれ仮名と為す。亦これ中道の義なり。流通している訳 >衆因縁生の法、我即ち是れ空なりと説く。 >亦たこれ仮名と為す。亦これ中道の義なり。ID://64qryE(1/3)2026/01/27 09:12:48427.神も仏も名無しさんBbV94ハッスル🤡バカ🟣なのに頑張ってるな?🤡2026/01/27 09:13:45428.◆JBLfMwCXhYSXwMu>われわれは縁起を空と説く。それは仮に設けたものである。それは実に中道である。>(『根本中頌』24-だから、ここは「空=仮=中」である、この3つは同じなのであると説いた1節だ天台の三諦の根拠条文とされ、古来から有名だ「縁起=空の教えは仮説なのである」と言ってるわけではない(笑)2026/01/27 09:17:31429.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>しかしわれわれは空という特殊な原理を考えてはならない。>空というのも仮名であり、空を実体視してはならない。2026/01/27 09:18:14430.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>428> 「縁起=空の教えは仮説なのである」と言ってるわけではない(笑)?????以下、桂・五島訳(『龍樹『根本中頌』を読む 』 春秋社)より >縁として生起することを、我々は空であることと言う。 >それは因として、概念設定されることであり、その同じものが中道である。縁起=空の教えは仮説だけど?0118 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/10/08(木) 05:13:34.50>縁起であるものをすべてわれわれはすなわち空であると説く。>その空は相対的な仮説である。>これが実に中道である。インド仏教思想史 三枝充悳2026/01/27 09:24:27431.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>4280340 鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe 2022/07/03(日) 20:17:28.21縁起であるものをすべて われわれはすなわち 空であると説く。その空は相対的な仮説である。これが実に中道である。(龍樹 「中論」)空であると説くべきではない。空ではないとも同様である。その両者であるとも、その両者でもないとも説くべきではない。それは仮の名称のために説かれる。(龍樹 「中論」)依存性(縁起)をわれわれは空性であるというのである。その空性は仮の名づけであり、それは中道と同じことである。依存しないで生じたものなぞ何もないのであるから、空でないものなぞ何もない。(龍樹 「中論」)2026/01/27 09:24:44432.◆JBLfMwCXhYSXwMu>要するに第二十四章の第十八句に関して後世中国においては三論宗も天台宗も種々複雑な説明を試みるに至ったのであるが、インドの諸注釈によってその原意を探るならば、縁起、空、仮名、中道の四つの概念が同趣意でものであるということを説いたにほかならず、後世におけるように空をさらに空じた境地に中道が現われると考えたのではないということが明白だろう。>もちろんわれわれは中国仏教思想の独自の意義を認めるのにやぶさかではない。>ただわれわれとしては、中国仏教における解釈がインドのもとのものと違うということを指摘するのである。>(中村元 『龍樹』 講談社学術文庫 より)ここで中村元が言ってるのは、「中国では、ここは空をさらに空じた『非有非空の中道』だと解釈されてきたが、それは中国独自の解釈である。インドの原文には、そんなこと書かれていない」という話だでは、インドではどういう主旨だったかというと「『縁起=空=仮=中』、この4つは同じものである」ということ2026/01/27 09:24:49433.◆JBLfMwCXhYSXwMuインド的には、「非有非無の中道」が空なのであり、「非有非空」は意味をなさないそういう話だ。お前が主張してるようなこと(龍樹が説いた空の教えは仮説にすぎない。真理に到達したかったら、坐禅の回数をこなすしかない)とは関係ない😅2026/01/27 09:26:29434.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>428その空は相対的な仮説である。それは仮の名称のために説かれる。その空性は仮の名づけであり2026/01/27 09:26:48435.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr筏の喩えというのがある。彼岸(涅槃=あらゆる見解からの払拭)に至る最高の筏が空観だろ。空観が彼岸ではない。勿論、空観だけが筏ではないけども。2026/01/27 09:33:56436.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>430いや、違うんだよ(笑)そこは、「すべてのものは、縁起であり、空である。空だけど、無ではなく、仮に存在している。仮=空、それこそが中道なのである」というところ「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは、仮説なのである」と言ってるわけではない😂2026/01/27 09:34:45437.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>432???最初からそう云ってるが?2026/01/27 09:35:21438.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>433>お前が主張してるようなこと(龍樹が説いた空の教えは仮説にすぎない。真理に到達したかったら、坐禅の回数をこなすしかない)とは関係ない😅仮設って書いてあるけど?www見解を離れるのが空じる事で、その端的が坐禅だろ?www2026/01/27 09:37:58439.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>436> 「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは、仮説なのである」 ↓その空は相対的な仮説である。それは仮の名称のために説かれる。その空性は仮の名づけであり、2026/01/27 09:39:00440.◆JBLfMwCXhYSXwMu中論の全文、特にこの1節の前後を読んでみろここは「中観派が説く『縁起=空』は、一切は無いと主張する虚無主義の主張である。彼らの言うことが本当なら、仏陀の教えですら虚無になってしまう」という対立学派(説一切有部)からの批判に対する、龍樹からの反論だ『縁起=空』が虚無主義ではなく、戯論を滅した勝義諦であることを力強く主張している「私が説いている内容は、仮説なんです。正直スマンカッタ」と言ってるわけではない(笑)2026/01/27 09:39:43441.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr訂正>>436>「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは、仮説なのである」と言ってるわけではない😂 ↓>その空は相対的な仮説である。>それは仮の名称のために説かれる。>その空性は仮の名づけであり2026/01/27 09:40:28442.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>440引用元とその前後を出せよw2026/01/27 09:41:55443.◆JBLfMwCXhYSXwMu大乗仏教、とくに中観派で言われる「空」というのは、何も無い=「無」というわけじゃないんだ「仮に有る」、仮の姿としては存在する「空=仮」なんだよそれこそが中道だ「空性=仮設=中道」の三諦だ2026/01/27 09:43:45444.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr>>440> 「中観派が説く『縁起=空』は、一切は無いと主張する虚無主義の主張である。彼らの言うことが本当なら、仏陀の教えですら虚無になってしまう」という対立学派(説一切有部)からの批判に対する、龍樹からの反論これについては『廻諍論』で龍樹から反証されてるけど、まさにその仮設であることを以ってそれがされてるんだよ。>自分のことばも、空であるからこそ本体のないことを証明するはたらきをするのである。>(『廻諍論』21〜22)2026/01/27 09:56:07445.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrGoogleで「龍樹 廻諍論 仮説」で検索したら、以下の通り出て来た。???もあるけど、まぁ、そんなところだな。 ↓AI による概要龍樹(ナーガールジュナ)の『廻諍論』(かいじょうろん、Vigrahavyāvartanī)は、主に実在論者(ニヤーヤ学派など)からの「すべてのものは空(無自性)である」という主張に対する反論を、「論破(否定)の論破」によって切り返す論書です。この論書における「空」と「仮設(仮名、prajñapti)」に関する中心的な仮説・論理は以下のようにまとめることができます。1. 『廻諍論』における核心的仮説:「空であるからこそ、成立する」実在論者が「もし万物が空(無自性)なら、空であるという言葉も空であり、論争自体が成立しない(空という主張が実在してしまう矛盾)」と批判したのに対し、龍樹は以下のように仮説を立てて返しました。空性=縁起(相依性): 空とは「何も存在しない(虚無)」という意味ではなく、「それ単独で自律的に存在する固定的な実体(自性)を持たない」という意味である。仮設の合理性: 自性がない(空である)からこそ、ものごとは相互依存して初めて成り立つ(縁起)。言語は「仮に設けられたもの(仮説)」: 空を論じる言葉自体もまた、空(実体がない)である。したがって、空論は実在論を否定するが、自らを実体化することはない(「否定の否定」)。2. 「否定の否定」による論破実在論者の反論: 「お前の言葉(空)も『自性』を持つのなら、すべてのものが空ではないことになり、自説と矛盾する。逆に、『空』という言葉も自性を持たないなら、それは論証にならない」。龍樹の回答: 私は自性(固定的な本質)を認めない。私の言葉(空)もまた無自性(空)である。私の空論は、実在論者の「実体がある」という誤った見方(増益)を否定し、消え去る。薬が病気を治した後に薬自体も体から消えるようなものである。(続く)2026/01/27 10:16:47446.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbr(続き)3. 「仮設」の役割『廻諍論』では、言語や概念は「実在を指し示す」ものではなく、「世俗的に仮に設けられたもの(仮説)」として機能するとします。世俗諦(言語)と勝義諦(空): 言葉はあくまで「実体を離れる(空)」ための便利な手段(方便)として機能していると見なす。4. 結論としての「空性論」龍樹は『廻諍論』において、「空を空として認める」ことが、全ての論争を寂滅(沈黙、無矛盾)させる道であると説きます。実在論的な「ある/ない」の二辺を離れた「中道」にこそ真理があるという立場です。この論理は、後の中国仏教や日本仏教の「仮(仮説)の思想」の根幹にもなりました。2026/01/27 10:16:59447.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrふむふむ🤨Geminiの方がまともだなw ↓はい、その通りです。龍樹(ナーガールジュナ)は『廻諍論(えじょうろん)』において、「空」という概念自体もまた**「仮設(けせつ)」**、つまり便宜上の呼び名に過ぎないということを非常に明快に説いています。龍樹のロジックは徹底しており、「すべてのものに実体がない(空)」と言うとき、その「空」という言葉自体に実体があってはならない、と考えます。1. 「空」もまた空である『廻諍論』の中で龍樹は、対論者からの「もしすべての言葉が空(実体がない)なら、お前の『空』という言葉も空であり、何も否定できないはずだ」という論法に対して、以下のように答えています。 * 言葉の道具性: 私の言葉が「空」であるからこそ、執着を去らせる働き(用)を持つのだ。 * 指し示す指: 「空」という言葉は、何らかの実在する「空という状態」を指しているのではなく、事物に固定的な実体がないことを理解させるための**仮の手段(アップーヤ/方便)**に過ぎません。2. 仮名(けみょう)と中道これは『中論』第24章18偈にある有名な一節とも深く関連しています。> 「衆因縁生法、我説即是空、亦為是仮名、亦是中道義」> (因縁によって生じているものは、私は空であると説く。それはまた仮に名づけられたもの(仮名)であり、また中道の意味でもある。)>ここでの「仮名」が、ご質問にある**「仮設(プラジュニャプティ)」**にあたります。なぜ「仮設」である必要があるのか?もし「空」が仮設ではなく「絶対的な真理という実体」になってしまうと、それは「空」という新しい教条(ドグマ)への執着を生んでしまいます。龍樹はこれを**「空に病む」**と呼び、厳しく戒めました。 * 薬の例え: 「空」という言葉は、実体があると思い込む「病」を治すための薬です。病が治れば、薬そのものも体から排泄されなければなりません。薬(空という概念)が体に残って実体化してしまっては、別の病気になってしまいます。> ポイント:> 龍樹にとって「空」とは、何かの存在を肯定するものでも否定するものでもなく、私たちの認識の誤りを解体するためのダイナミックなプロセスであり、そのための仮のラベルなのです。>この「空」の捉え方について、さらに『中論』などの他の著作との比較や、具体的な論理展開(四句分別など)についても詳しくお話ししましょうか?2026/01/27 10:19:06448.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrおっとっと😅、質問が抜けてたw >龍樹の廻諍論にて空というのは仮設であると云われてますか?2026/01/27 10:20:02449.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrお前らさぁ?俺は即応即答の 子供電話相談室 じゃねーからw先にGemini等で下調べしてからにしたらどうだ?あん?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/01/27 10:22:04450.神も仏も名無しさん0Oasfハッスル🤡〜ハッスル🤡〜🟣〜〜〜〜2026/01/27 10:44:55451.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrふむふむ🤨(Geminiより 『般若灯論』に於ける「随順勝義」について)清弁(バーヴィヴェーカ)の『般若灯論(はんにゃとうろん)』における**随順勝義(ずいじゅんしょうぎ)**は、龍樹の「空」を論理的に解釈しようとする中観派(自立論証派)において、極めて重要な概念です。一言で言えば、随順勝義とは**「究極の真理(勝義諦)へと導くための、論理的なステップ」**のことです。1. 随順勝義の定義清弁は、勝義諦(最高の真理)を以下の2つのレベルに分けました。 * 非安立勝義(ひあんりゅうしょうぎ): 言葉や概念、思考が一切及ばない、絶対的な悟りの境地。分別(区別)が完全に消滅した状態。 * 随順勝義(ずいじゅんしょうぎ): 「すべてのものは自性がない(空である)」と言葉や論理(推論)を使って正しく理解すること。「随順」とは「従う、近づく」という意味です。つまり、文字通りの真理そのものではないが、真理に合致した(随順した)正しい思考プロセスを指します。2. なぜ「随順勝義」が必要なのか?龍樹が『廻諍論』で言ったように、「空」もまた「仮設」です。しかし、いきなり「言葉も思考も不要だ」と言っても、凡夫は悟りへ至ることができません。そこで清弁は、「正しい論理(分別)」を用いることで、誤った認識を一つずつ打ち消していくプロセスを重視しました。 * 「不生不滅」などの否定的な言葉を使って、執着を剥がしていく知。 * この知は「分別(思考)」ではありますが、真理に向かっているため、通常の迷いの分別とは区別されます。3. 後得智との関係ご質問の「後得智」との関係で言えば、以下のような構造になります。 * 根本智: 「非安立勝義」を直接体験している状態。 * 後得智: 悟りから戻り、「随順勝義」の論理を使って人々に空性を説いたり、現象を「空である」と正しく分析したりしている状態。4. 論理的な特徴:自立論証(スヴァータントリカ)清弁が『般若灯論』でこの概念を強調したのは、彼が**「空を論理的に証明できる」**と考えたからです。対論者に対して「不生である」と論理(比量)を立てて論証する行為自体、まさに「随順勝義」の現れです。> 整理:> * 究極の勝義: 沈黙(言葉を超えている)。> * 随順勝義: 「空」という言葉や論証。これが「仮設」であり、かつ「正しい分別」としての後得智の働きと重なります。2026/01/27 10:49:24452.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrまぁ、JBLや麦は、その「随順勝義」を「非安立勝義」と思ってたって事だな。仮設な、仮設。2026/01/27 10:51:35453.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKZCkbrお~ぅい、山田くーん!この馬鹿🤡(>>450)を外に捨ててきて!(会場、大爆笑😂wwwwwww)2026/01/27 11:01:01454.神も仏も名無しさんeAHH0ウンチクでゴマカシハッスル🤡でステイタス防衛しておる模様🤡〜😁2026/01/27 11:29:56455.◆JBLfMwCXhYSXwMu「縁起ということ、それをわれわれは空性と説く(空)。それは因りて仮設であり(仮)、それはすなわち中道である(中)」↑これこそ、「空 = 仮 = 中」の三諦が登場した古来に名高いフレーズであり、後に中国に渡って、天台教学の柱となったお前には、これが「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」と読めるのか?(笑)2026/01/27 11:39:45456.◆JBLfMwCXhYSXwMuそもそも、これを「仮説(仮設)」と訳したのは大昔の漢訳者でありサンスクリット原文から直訳すると、こうなるらしい↓『中論』第二十四章十八偈およそ縁によって生起するもの,それを空性と見る。それは「(言葉を紡いで)知らせるというはたらき」によっており,それこそまさに「中道」である。yah pratityasamutpadah sunyatam taw pracaksmahe /sa prajnaptirupadaya pratipatsaiva madhyama/2026/01/27 11:55:25457.◆JBLfMwCXhYSXwMu「言語で説かれた教えは、すべて世俗諦である。言語で説き得ないのが勝義諦である」というのは、よくある通俗的な解釈だ中論をよく読めば、龍樹はそんなこと言ってない2026/01/27 12:00:02458.◆JBLfMwCXhYSXwMu「最高の真理も、世俗の言語を用いなければ説くことはできない」というのは、裏を返せば、「世俗の言語を用いて説くことは可能」ということだ龍樹は、世俗の言語で勝義諦を説くことがいかに困難であるかを力説し、「あまりにも困難なため、あの釈尊でさえ断念しかけた」という話をした後で「その難しいことをやり遂げて最高の真理を説ききり、見事に戯論を寂滅した。偉大なる釈尊に最敬礼!!」と言っている要するに、「釈尊は世俗の言語を用いて勝義諦を説き切った」ということだ2026/01/27 12:04:29459.神も仏も名無しさんeAHH0ハッスル🤡議論よりもウンチクの山盛りでなんか議論できた気分になるよーだな?😁2026/01/27 12:08:30460.◆JBLfMwCXhYSXwMu『中論』第二十四章三十六偈あなたが縁起と空性を認めないことは,一切の言葉の正しい使用(samvyavahara)を退けることになる。2026/01/27 12:10:10461.◆JBLfMwCXhYSXwMu龍樹によると、重要なのは「言葉の正しい使用」だ「言葉を止滅することだ」とは言っていない2026/01/27 12:11:12462.◆JBLfMwCXhYSXwMuハッスル軍団の粘りは凄まじいな(笑)2026/01/27 12:13:21463.◆JBLfMwCXhYSXwMu気づけば、こちらもいつの間にか聖ウンコ派が好む「現量/比量」、「勝義諦/世俗諦」の話題にさんざん付き合わされているそもそも、ここにこだわること自体がおかしいんだが😅2026/01/27 12:15:54464.◆JBLfMwCXhYSXwMuなんか、こんな話ばかりしてるとこれが仏教の最重要テーマであるかのように錯覚するな2026/01/27 12:16:27465.◆JBLfMwCXhYSXwMuこれじゃ、仏教の話というより聖ウンコ教の話だ😅2026/01/27 12:18:15466.神も仏も名無しさんeAHH0ハッスルウンチク自慢の話だな?増殖して、あっちこっちへ飛ぶしな😁デンパパセイジン👽もそれに近いけど😁2026/01/27 12:21:46467.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKVvJlt>>455> 「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」>> と読めるのか?(笑)あのなぁw😚、仮説(けせつ)な?仮設(かせつ)と勘違いしてないか?それそのものは名付け様がないから、仮に「空」って命名してるって事な。>その空は相対的な仮説である。>それは仮の名称のために説かれる。>その空性は仮の名づけであり2026/01/27 12:24:13468.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKVvJlt訂正>>455> 「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」>> と読めるのか?(笑)あのなぁw😚、仮説(けせつ)な?証明されたわけではないとか、それ、仮説(かせつ)と勘違いしてないか?龍樹のそれは仮説(かせつ、hypothesis)じゃないぞ?!仮設・仮説(けせつ)、説仮(せつけ)、仮名(けみょう)なんて云われるそれな🤭それそのものは名付け様がないから、仮に「空」って命名してるって事な。>その空は相対的な仮説である。>それは仮の名称のために説かれる。>その空性は仮の名づけであり2026/01/27 12:28:59469.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKVvJlt根本的なところで致命的な勘違いをしてるな。仮説(けせつ)を仮説(かせつ)と思ってたとかwww通りで話の辻褄が全く合わない訳だ。2026/01/27 12:30:43470.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>469それはお前だよ「お前がそう誤読している」と、こちらは指摘している2026/01/27 12:35:22471.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKqYYSN>龍樹によると、重要なのは「言葉の正しい使用」だうんうん、その通り、その通り!まさにその通りだ!!仮説(かせつ)じゃなくて仮説(けせつ)な!!!言葉は正しく使用しような!!!!2026/01/27 12:35:59472.◆JBLfMwCXhYSXwMu何なんだ、お前はいったい?😅2026/01/27 12:36:01473.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>471お前は、龍樹のいう「空性=仮説=中道」の意味を誤解し「私(龍樹)の説く『縁起=空』の教えは仮説(かせつ)にすぎず、本当の真理ではない。本当の真理を知りたければ、ひたすら坐禅の回数をこなすしかないのだ」と、誤読している🤣2026/01/27 12:38:39474.◆JBLfMwCXhYSXwMuここでいう仮説(けせつ)ってのは、「仮の存在」ってことだよ空といっても、何も無いわけではない仮の姿としては存在するそれこそが中道だそれが、「空=仮=中」の三諦2026/01/27 12:39:56475.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjああ、そこかあjblなんでこんなに分かりやすく言ってんのに話が通らないやろ?と思ってたわ空を仮説として置くが分かってなかったんかいな2026/01/27 12:41:27476.◆JBLfMwCXhYSXwMuこれは、お前の勘違いに対するストレートな皮肉だよ(笑)お前には、これが当方の主張に見えるのか?↓455 ◆JBLfMwCXhY [sage] 2026/01/27(火) 11:39:45.15 ID:SXwMu「縁起ということ、それをわれわれは空性と説く(空)。それは因りて仮設であり(仮)、それはすなわち中道である(中)」↑これこそ、「空 = 仮 = 中」の三諦が登場した古来に名高いフレーズであり、後に中国に渡って、天台教学の柱となったお前には、これが「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」と読めるのか?(笑)2026/01/27 12:44:25477.◆JBLfMwCXhYSXwMuまったく少しヒネった言い回しをすると、たちまち誤読される申し訳ないが、お前の読解力じゃ哲学なんか無理だろ(笑)2026/01/27 12:45:33478.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKVLWEc>>470> それはお前だよ>> 「お前がそう誤読している」と、こちらは指摘しているwwwwwwwwwwwwwwwwww俺はちゃんと「仮の名づけ」って>>431以降、7回も説明してるけど?2026/01/27 12:46:26479.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKVLWEc>>474> ここでいう仮説(けせつ)ってのは、「仮の存在」ってことだよはぁ?仮の存在?????wwwwwwwwwwwwwwwwww仮の名づけだろ?2026/01/27 12:48:08480.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjあんだけ仮説って単語を混ぜて話してんだから分からんでもピンときそうだがなあ流石jbl馬鹿、仮説の字面ばかりみとるわ2026/01/27 12:48:12481.◆JBLfMwCXhYSXwMuおいおい、マジかよ😅>お前には、これが「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」と読めるのか?(笑)↑これは、どう見ても、お前に対する皮肉だろお前にはこれが、当方の真意に見えるのか?2026/01/27 12:50:38482.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBj戯論、言語拡張によるそれの寂滅で考えても導くためにあえて仮名として空を置いたよってことだよ2026/01/27 12:51:46483.◆JBLfMwCXhYSXwMuお前の読解力は、常にこちらの想定を下回る小学校の頃から、国語のテストが苦手だっただろ?哲学談義には、根本的に向いていない2026/01/27 12:52:30484.◆JBLfMwCXhYSXwMuハッスルNo.1まで登場かどうやら、ハッスル軍団のゲキリンに触れたな🤣2026/01/27 12:54:14485.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjなんでこんなに字面ばかり追って趣旨に疎いんだjblは馬鹿なんかちゃんと読んでないかのどちらかだな2026/01/27 12:54:32486.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKVLWEc冷汗三斗とは?例えば、JBLくんが、龍樹の仮説(けせつ)を"かせつ"と誤読して、それが仮の名づけではなくて、事物を証明するための命題って勘違いし、その間違いを指摘された今の状況をいいます。チィーーーン。な〜む〜🙏2026/01/27 12:56:12487.◆JBLfMwCXhYSXwMuまあ、確かに「言葉では、法を説けない。言葉は、正しい認識をさまたげる。釈迦の教えは方便だ。龍樹の中論も方便だ。本当の真理ではない」↓「本当の真理を知りたかったら、ひたすら坐禅するしかない。坐禅の回数で決まるのだ」これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあこのドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣2026/01/27 12:59:50488.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK3K1U5空が仮の名づけであるという佛様の後得知を直観的に感得して証する手段の一つが坐禅ですよ、JBLさん。2026/01/27 13:00:48489.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>486例によって、強引なレスを連投する物量作戦こちらの根気が尽きるのを待つ作戦かそればっかりだな、いつも😅2026/01/27 13:01:11490.◆JBLfMwCXhYSXwMu好きにしろ、バカめ(笑)2026/01/27 13:01:51491.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK3K1U5>>487別にw坐禅も一つの方便、筏だしw2026/01/27 13:02:22492.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjまあ一つ真諦に近づいたな!jblそれ自体は喜ばしいことだよ2026/01/27 13:02:35493.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK3K1U5>>489うんうん、ショックだったよね😭大恥かいたよね😱でもさ、こうして指摘されなければ、一生そのままだったんだから。2026/01/27 13:09:27494.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>491 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK 2026/01/27(火) 13:02:22.49 ID:3K1U5別にw坐禅も一つの方便、筏だしw↑それは、その通り坐禅など必要ないというのには賛成2026/01/27 13:11:20495.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>493わかった、わかったご苦労さん!!(笑)2026/01/27 13:11:44496.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK3K1U5>>494そうじゃないよ。"自分合った筏を探しなさい"って事だよ。2026/01/27 13:13:41497.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>496そろそろ、坐禅という筏を乗り捨てたらどうか?執着が過ぎるぞ2026/01/27 13:15:48498.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK3K1U5308 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK (50-STd-Ij-wvu)[] 2026/01/27(火) 13:17:47.97 ID:3K1U5>>307www筏そのものになって筏を漕ぎ続けるのが涅槃なんだけどな。行く先に 我が家 有りけり 蝸牛(かたつむり)by 山岡鉄舟2026/01/27 13:29:56499.◆JBLfMwCXhYSXwMu不滅にして不生、不断にして不常、不一にして不異、不来にして不去、戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する。根本中頌 帰敬偈2026/01/27 13:38:42500.◆JBLfMwCXhYSXwMu5002026/01/27 13:39:03501.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGMpusそーいゃあ"でおータイムスリップ事件"って、アルティメットギガワロスな事件があったよなあwww ↓鬼子、ぴっぴ、不思議現象が起きている。鬼子、ぴっぴのレスのタイムが午後6時になっている、なんだ、これは?18:24:19.86ID:k57qVemMだぞ、時間が後退した笑。 ↓実は別の日のレスを見てただけだったというオチw2026/01/27 13:55:19502.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGMpusお前らのやってる事は皆この類だよなぁwww2026/01/27 13:56:07503.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjつかお前仮名、仮説、仮設がわからんけりゃ中論なんも分からんやんけ前から指摘しとるけど唯識が何故否定された法有を仮有として準拠したか?考えたら分かるやろ2026/01/27 14:07:38504.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKYnH1d此処迄の流れを簡単にまとめるとwwwリダン 龍樹は空を仮説(けせつ)と説示してる。 ↓JBL 龍樹は空を仮説(かせつ)なんて言ったないじょー😡! ↓リダン えっ😅www栖雲 JBLは仮説(けせつ)をかせつ(仮説)と勘違いしてるw ↓JBL 😱😱😱(冷汗三斗)そして>>503へ2026/01/27 14:22:31505.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKYnH1d麦 (あっ、やば、即逃げ 😨💨💨💨)2026/01/27 14:25:35506.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjウイキばっかみて貼り付けて分かったきになってないでai翻訳なり解説本なり読めば?2026/01/27 14:27:36507.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKYnH1d水戸黄門ってテレビドラマに"うっかり八兵衛"っていたけどさぁ。JBLってしょっちゅう"しくじる"よなwしくじりJBLってか?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/01/27 14:29:09508.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBj結局ここがなってねえからよ仮説としておかれた方便であるを真諦とごちゃごちゃにすっからそのままでいいんだつー馬鹿が増えるんだよ(安堂、ロン)だからしつこくいってんの安堂に限っては世俗と勝義を勘違いしてたし2026/01/27 14:37:29509.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjロンにいたっては指し示す指が勝義とかな無茶苦茶2026/01/27 14:38:46510.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBjあと麦か2026/01/27 14:40:26511.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKYnH1dまぁ今日は別スレで、話の成り行きで清弁まで行っちゃったけど、仮の名である「空」がその「随順勝義」にしても、畢竟それも空じられるものってなるな。空亦復空。284 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/27(火) 10:55:38.55 ID:ZCkbrまぁ、無分別知が清弁(バヴィヤ)のいう「非安立勝義」なら、無分別知後の分別知は「随順勝義」って事だな。2026/01/27 14:53:44512.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBj結局な仏教の歴史ってなあよお釈迦様の教えの魔改造なんよなんでか?方便だからその都度、その時世にあった対機説法極端な話、それで勝義に導けるならなんでもいいんだよ方法論だから2026/01/27 14:56:03513.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBj日蓮宗なんか顕著だろ南無妙法蓮華経の七文字でええのロジックを解明するならまだしも法怪みたいにわざわざ馬鹿みたいな持論を馬鹿みたいに解釈してたら意味ねえ2026/01/27 15:03:48514.◆JBLfMwCXhYSXwMuまだ、やってんのかよ(笑)2026/01/27 15:04:55515.◆JBLfMwCXhYSXwMu痛いところを突かれて、発狂しているな「言葉では、法を説けない。言葉は、正しい認識をさまたげる。釈迦の教えは方便だ。龍樹の中論も方便だ。本当の真理ではない」↓「本当の真理を知りたかったら、ひたすら坐禅するしかない。坐禅の回数で決まるのだ」これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあこのドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣2026/01/27 15:05:47516.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBj>>515はいはいウイキ貼り付けて分かったきになってないで一度ちゃんと読めよ2026/01/27 15:07:05517.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKYnH1d>>515あっ、しくじりくんだ!ドンマイだよ😉!> これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあ>> このドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣だなら、筏は坐禅だけじゃないってw自分の筏を見つけてね😘2026/01/27 15:10:42518.リダン◆3y/i8XtGLYhFgBj鹿アンチで話曲げてんのかと勘違いしたは単純に仮説がわからんかったんやなやれやれ2026/01/27 15:16:06519.リダン◆gEV3xsS//k7r43qリダンと対話できないのは単純にお前が足りてねえだけやないかいw2026/01/27 15:23:28520.リダン◆gEV3xsS//k7r43q改めていうがjbl何で龍樹がなんで仮説として空をおいたか考えたら分かる話やろ?2026/01/27 15:25:00521.◆JBLfMwCXhYSXwMuわかった、わかった(笑)2026/01/27 15:25:13522.リダン◆gEV3xsS//k7r43q趣旨を理解しろ、字面並べて悦に浸ってるだけやお前2026/01/27 15:26:12523.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKEh59Dでおーとは距離を置いた方がいいぞ?でおーの法則がはたらいて、いつの間にか仮説(けせつ)をかせつと読む様な、変なものに取り憑かれるからな。2026/01/27 15:28:21524.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKEh59Dつまり、馬鹿はでおーと通して感染する。2026/01/27 15:29:57525.リダン◆gEV3xsS//k7r43qつか普通に仮設でつたわるやろ建物(勝義)を建てる(導く)ための仮組みやろが2026/01/27 15:48:58526.リダン◆gEV3xsS//k7r43q龍蛇は言語により成り立つのは相依にすぎないと勝義は戯論の寂滅であるとしかしながらそれを説明するためには仮設として「八不中道」「戯論寂滅」「空」とあえて置いたんだよ2026/01/27 15:52:53527.リダン◆gEV3xsS//k7r43qそこを理解しねえから「空」と言う定義、方便をあたかも真諦と見間違い龍樹の意図と真逆のことをやるんだよ特にお前2026/01/27 15:56:33528.リダン◆gEV3xsS//k7r43q分かったんかこの馬鹿野郎2026/01/27 16:02:35529.神も仏も名無しさん0RZms妖怪軍団ハッスルしてるな?🤡2026/01/27 19:27:20530.◆JBLfMwCXhYSXwMuハッスル軍団が熱い🔥2026/01/27 19:34:48531.神も仏も名無しさんWnEMx連投ハッスル🔥でビクトリーだいっ‼️〜〜🤡〜2026/01/27 19:35:33532.神も仏も名無しさんWnEMx連投すれば事実となるを信仰だ〜〜🤡🔥2026/01/27 19:40:22533.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKC9SvXお~ぅい、山田くーん!この馬鹿🤡(>>532)を外に連れてって!(会場、大爆笑😂wwwwwww)2026/01/27 20:14:04534.◆JBLfMwCXhYSXwMu>>533まだいたのかよ(笑)2026/01/27 20:41:55535.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKEm1wy>>534あ、しくじりくんだ!ドンマイ😉!2026/01/27 21:05:32536.神も仏も名無しさんWnEMxかなり必死🤡ハッスル〜🤡ハッスル〜🤡2026/01/27 21:36:47537.リダン◆gEV3xsS//kI8V6e建物が建ってしまえば「空」って仮組みはバラされるんだよ字面を追うばかりだから表記された「空」が拡張(戯論)し実体化しとんのお前は馬鹿だなあ2026/01/27 22:10:26538.リダン◆gEV3xsS//kI8V6e中論に詳しいとか言っとったがダメダメやんそもそもウィキでみただけやろ2026/01/27 22:13:22539.神も仏も名無しさんWnEMxNO1躁転タイムか?😁2026/01/27 22:40:32540.◆JBLfMwCXhYb5NIB昨日のハッスル軍団はすごかったな~😆2026/01/28 05:42:13541.◆JBLfMwCXhYb5NIB荒れ狂っていた😂2026/01/28 05:42:25542.◆JBLfMwCXhYb5NIB空は英語で “emptiness”2026/01/28 05:46:56543.◆JBLfMwCXhYb5NIBどうでもいいか(笑)2026/01/28 05:47:15544.◆JBLfMwCXhYb5NIBハッスル軍団は空しい(笑)2026/01/28 06:21:24545.◆JBLfMwCXhYb5NIBそれにしても、現代の日本では中観派といえば、龍樹の中論だが2026/01/28 06:25:29546.◆JBLfMwCXhYb5NIBチベット仏教の話を見るにつけ龍樹の中論は出発点にすぎず、後のチャンドラキールティを始めとする後期中観派こそが重要なんだってことを痛感する2026/01/28 06:26:59547.◆JBLfMwCXhYb5NIBチベット仏教でも、昔は龍樹の中論がテキストとされていたが後に、チャンドラキールティを学ぶカリキュラムに変わったらしい2026/01/28 06:27:52548.◆JBLfMwCXhYb5NIBチャンドラキールティは、「中観五蘊論」の作者説一切有部の五位七十五法を研究し、中観派の教義に取り入れた異色の書2026/01/28 06:29:13549.◆JBLfMwCXhYb5NIB唯識派だって、そうだ法相宗では、開祖の世親より、ダルマパーラ(護法)のテキストが中心になっている2026/01/28 06:32:16550.◆JBLfMwCXhYb5NIB三論宗が廃れたせいで日本では、中観派の流れが途絶えてしまった2026/01/28 06:32:46551.◆JBLfMwCXhYb5NIBもしも、三論宗が続いていたら日本でも、チャンドラキールティが正義とされていたのかも2026/01/28 06:36:01552.◆JBLfMwCXhYb5NIB月称月称(げっしょう、チャンドラキールティ)は、7世紀のインド仏教の中観派の思想家・注釈家である。ナーランダ僧院で学んだ学生の一人。生誕西暦600年ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』の注釈に関連して仏護を批判した清弁への再批判を行って帰謬論法の有効性を主張し、中観派における帰謬論証派(プラーサンギカ)と自立論証派(スヴァータントリカ)の二派対立の端緒になった。主著の『入中論』においては、克明な唯識批判を行った。また、ナーガールジュナやアーリヤデーヴァの著作に対する注釈を著した。月称はチベットで論師として重視され、諸作品はチベット大蔵経に収められている。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Candrakirti.gif/500px-Candrakirti.gif2026/01/28 06:38:43553.◆JBLfMwCXhYb5NIB中観派の巨匠チャンドラキールティ(月称)唯識派の巨匠ダルマキールティ(法称)と名前が似てて、紛らわしい2026/01/28 06:40:16554.◆JBLfMwCXhYb5NIBチャンドラは月、ダルマは法キールティは名声、高評価という意味らしい漢訳者は、シッカリと意訳している2026/01/28 06:41:13555.◆JBLfMwCXhYb5NIB5552026/01/28 06:42:18556.◆JBLfMwCXhYyCkLYチャンドラキールティ(6-7世紀)は、中観派の立場から部派仏教(アビダルマ)の「五蘊(ごうん)」概念を整理・再解釈した『中観五蘊論』の著者です。この書で、身体と心の5つの構成要素(色・受・想・行・識)が自性(不変の実体)を持たず、空(くう)であることを明らかにし、人間存在を構造的に分析しました。2026/01/29 09:08:34557.◆JBLfMwCXhYyCkLYチャンドラキールティと五蘊の主な特徴:『中観五蘊論』(Pancaskandhaprakarana):説一切有部などのアビダルマが説く五蘊の分類を基にしながら、空の思想で解説した論書です。2026/01/29 09:10:11558.◆JBLfMwCXhYyCkLY自性の否定:五蘊のそれぞれ(色蘊:物質、受蘊:感受、想蘊:表象、行蘊:意志、識蘊:認識)が固定的な実体(自性)を持つというアビダルマの主張を批判し、中観派の「空」を説きました。2026/01/29 09:10:21559.◆JBLfMwCXhYyCkLYインド・チベット仏教の基礎:部派仏教の教理を理解しつつ、それを中観の視点で再解釈する、重要な文献とされています。この論書は、人間存在を5つの要素(五蘊)に分けて観察し、その全てが空であると気づくことで、実体への執着を離れることを目指しています。2026/01/29 09:10:31560.◆JBLfMwCXhYyCkLY龍樹の中論は、説一切有部の教義をバッサバサと斬りまくった2026/01/29 09:11:05561.◆JBLfMwCXhYyCkLYそれ自体はいいのだが、斬りすぎたおかげで、独自の教義内容が乏しいのが弱点2026/01/29 09:12:14562.◆JBLfMwCXhYyCkLY教義内容を大幅に補充したのが、中観派の巨匠・チャンドラキールティ(月称)だ日本の法相宗(唯識派)で、開祖の世親より、ダルマパーラ(護法)が正統とされているようにチベットのゲルク派(中観派)では、龍樹よりチャンドラキールティの著作が標準テキストとして使われているらしい2026/01/29 09:15:27563.◆JBLfMwCXhYyCkLY初期仏教の「五蘊仮和合」は、中観派と非常に相性が良いチャンドラキールティによって、中観派に取り入れられた2026/01/29 09:16:28564.◆JBLfMwCXhYyCkLY日本ではマイナーだが(ていうか、護法だって唯識論マニアの間で有名なだけで、世間一般には知られてないが)チャンドラキールティは、チベットでは中観派を代表する論師とされている2026/01/29 09:18:51565.◆JBLfMwCXhYyCkLY日本人が知らない、ディープな仏教思想史に入ってきた(笑)2026/01/29 09:19:44566.◆JBLfMwCXhYyCkLY中観派(特に月称など)は、説一切有部が定めた全75種の存在要素(五位七十五法)を自性(不変の実体)として肯定せず、すべてが相互依存(縁起)によって成り立つ「空」であると解釈しました。チャンドラキールティは『中観五蘊論』で、有部の体系を「虚構」として分析し、「空」の立場から再定義しました。2026/01/29 09:22:05567.◆JBLfMwCXhYyCkLY中観派における五位七十五法の扱いと意義五位七十五法とは:説一切有部が説く、存在(有為法72+無為法3)を5つのグループ(位)に分類した75の要素。中観派の立場:有部が主張する、各法が自性(実体)を持つとする「実有論」を否定(一切法空)。『中観五蘊論』の役割:中観派の視点から、有部アビダルマの法体系を「世俗諦(慣習的な現実)」の範囲内で説明する教理的ツールとして利用。空と実体:中観派は、諸法が独立不変の実体を持たないからこそ、縁起が可能であると主張し、七十五法を「空なる存在」のリストとして解説。2026/01/29 09:22:34568.◆JBLfMwCXhYyCkLY中観派は、五位七十五法が「無」であることを強調するのではなく、固定的な実体としては存在しない(空)と説くことで、事象は依存的に成立していることを示しました。2026/01/29 09:22:45569.◆JBLfMwCXhYyCkLYA.I.の言うことが本当なら説一切有部の五位七十五法これは、「実体のある存在のリスト」だ龍樹によって「実体がない」と退けられたがチャンドラキールティが「空の存在リスト」として復活させたようだ2026/01/29 09:24:33570.◆JBLfMwCXhYyCkLYホンマかいな?2026/01/29 09:24:44571.◆JBLfMwCXhYyCkLYだが、専門の研究者もそう言っている↓法の体系が担う役割と機能をめぐって―『中観五蘊論』に基づく考察―横山剛チャンドラキールティ(Candrakīrti, 7世紀頃)が著したと伝えられる『中観五蘊論』( Madhyamakapancaskandhaka, チベット語訳のみ現存)は、中観派の視点から説一切有部の法の体系(いわゆる「五位七十五法」)を解説する特異な中観論書である。同論は中観思想と有部の教理の関係を考察する際に貴重な資料となる。本発表では、具体的な問題としては同論の著者問題(本当にチャンドラキールティが書いたのかどうか)を扱うが、そのために有部の法体系が担う役割と機能にまで踏み込んで考察を行う。2026/01/29 09:28:43572.◆JBLfMwCXhYyCkLY「空の思想に基づいて、五位七十五法を書き直した」と言えば、唯識の五位百法だが中観派もそれをやっていたのか2026/01/29 09:30:38573.◆JBLfMwCXhYyCkLY「空の存在リスト」つまり、「無いわけではなく、仮に存在するもののリスト」ってわけだな2026/01/29 09:31:36574.◆JBLfMwCXhYyCkLY中観派と唯識派どちらも大乗仏教であり、「空の思想」なのだが程度の差ってものがある中観派は、より尖鋭に「空」を強調する唯識派は「識」の存在を認めているため、中観派ほど空度(?)が高くない2026/01/29 09:42:47575.神も仏も名無しさんYSoA4>>573その辺は天台宗、華厳真言と、内容を変化させていったのだろう仮は事空は理、八宗綱要で理事無碍法界と天台を設定し華厳真言は事事無碍法界と提示すると仮としての存在の無碍すなわち一即多、多即一となるわけだ少し理解が、これて進むだろう😆2026/01/29 09:43:12576.神も仏も名無しさんYSoA4唯識は識=空なのだろう😆2026/01/29 09:44:14577.神も仏も名無しさんYSoA4空度合いがマックスなのは三論宗のライバル成実論だろな😆2026/01/29 09:45:09578.神も仏も名無しさんYSoA4仏智としての識=空という設定なんやろ😆2026/01/29 09:45:49579.◆JBLfMwCXhYyCkLYとはいっても中観派も、初期仏教以来の「五蘊・十二処・十八界」をしっかりと受け継いでいた2026/01/29 09:46:16580.◆JBLfMwCXhYyCkLY>>575なるほどね~😆2026/01/29 09:46:48581.神も仏も名無しさんYSoA4>>579だから色即是空とかやってるんだろ😆2026/01/29 09:47:23582.◆JBLfMwCXhYyCkLY>>578識が、空の代わりになってるんだな~😆2026/01/29 09:48:04583.◆JBLfMwCXhYyCkLY>>581確かに2026/01/29 09:48:20584.神も仏も名無しさんYSoA4有部復活傾向にあったのが真言とチベット密教だ、物質の構成要素が禅定に現れる当然禅定認知は俺はできる😆2026/01/29 09:49:00585.神も仏も名無しさんYSoA4チベット密教はルンとか光明とかの粒子真言は六大だ😆2026/01/29 09:49:47586.神も仏も名無しさんYSoA4チベット密教はガンダムユニコーンか、ガンダムダブルオーみたいなノリがある😆2026/01/29 09:50:21587.◆JBLfMwCXhYyCkLY真言宗の六大で復活したんだな😆2026/01/29 09:50:24588.◆JBLfMwCXhYyCkLY>>586わからん😅2026/01/29 09:50:47589.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>570それが唯識の仮有につながるやろ2026/01/29 11:17:09590.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz『中観五蘊論』の役割:中観派の視点から、有部アビダルマの法体系を「世俗諦(慣習的な現実)」の範囲内で説明する教理的ツールとして利用。教理的ツールようは一時的な仮組として有用なわけや2026/01/29 11:18:24591.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz何故か?アレフガルドに住む人にとって法有とは圧倒的現実だからだまずこっから仮組を使って強固なそれを解体しなけりゃならない2026/01/29 11:20:12592.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>588なんやいつもみたいにそうなんだ😀や素晴らしいな😆と言ってやらないのか?2026/01/29 11:22:10593.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz天台でもまずは仮諦からだしなちょっとずつ解体していって円融とまあ日蓮宗はそれじゃ時間かかるから密教方向で解決するわけだ南無妙法蓮華経の七文字で2026/01/29 11:39:36594.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzだからまずは一度否定したそれを仮にまずあえて認め(仮設)(即非)ツールとして扱うってことやなその理論内容が空の定義(仮設)2026/01/29 11:42:18595.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzこれをずっと仏スレのスレ主に言ってんだよなコーヒーはコーヒーに非ずゆえにコーヒーと名づく2026/01/29 11:44:57596.神も仏も名無しさんLoADSハッスルNO1🫥2026/01/29 11:46:00597.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzあいつもjblと同じで字面ばかりで趣旨に疎いこれは誰が言ったこのように言ったそれ知らないの?とかまあ知っておくべきであるがそこじゃないんたま何故そう言ったかやな重要なんは国語で単語の成績はいいが作者の意図、出題者の趣旨を読み取る成績が0点なんだろうそれは国語が得意とは言わないけどなjblに至っては得意な単語すらやらかしたしそうなったら国語の何が得意なんだよってなるよね2026/01/29 11:50:48598.神も仏も名無しさんLoADSハッスル〜🫥ハッスル〜🫥2026/01/29 11:51:52599.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz一度否定したそれを仮にまずあえて認め(仮設)(即非)ツールとして扱うってことやなその理論内容が空の定義(仮設)これが中論の主題だ龍樹が法有を否定し空という仮組を設置し再定義したと言う事だ当然仮組、仮名、仮説、仮設であるため方便であって導かれれば解体とともに仮組もバラされる2026/01/29 12:11:20600.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzもちろん戯論寂滅の様(勝義)へ導くための仮組2026/01/29 12:14:01601.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz流石の馬鹿にもここまで噛み砕けば理解するであろう2026/01/29 12:17:29602.神も仏も名無しさんLoADS躁転タイムハッスル〜🫥🫥🫥2026/01/29 12:20:10603.◆JBLfMwCXhYyCkLYハッスル火山の噴火ですな~🌋2026/01/29 12:26:02604.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz「空」「戯論寂滅」「八不中道」と表記されたそれは仮設、いわば方便であるということ何故ならば拡張(戯論)するからだしかしその仮設を用いなければ勝義を説くことは出来ない2026/01/29 12:27:42605.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>603国語が得意設定はやめたら?無理があるぞ2026/01/29 12:28:38606.◆JBLfMwCXhYyCkLYわかった、わかったまあ、そうムキになるな(笑)2026/01/29 12:30:14607.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>606漢字単語得意にしては一度のバツが致命的やないか仮説(かせつ)と思ってりゃいままでの俺の説明はそりゃ全く分からんわw2026/01/29 12:32:53608.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzだからまず中論の解説本でいいから読めと言ってんだ話す土台が出来とらん2026/01/29 12:34:36609.◆JBLfMwCXhYyCkLY>>607お前はバカか(笑)こっちは、年季の入った仏教哲学マニアだぞ仮説(けせつ)くらい知らんわけないだろ頭を冷やせ😂2026/01/29 12:36:01610.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>609そうかい?なら話しはわかるやろ2026/01/29 12:36:30611.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz空と表記されたそれはなんでしょう?1,勝義2,仮説2026/01/29 12:37:56612.◆JBLfMwCXhYyCkLYお前はいつも、「聖ウンコ師が正しくて、他が間違っている」と思い込み、頭から決めつけている常に冷静さを欠いており、何も分かっていない(笑)2026/01/29 12:38:52613.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>612いいから答えろよw2026/01/29 12:39:55614.◆JBLfMwCXhYyCkLYそれでいて、じつは当の聖ウンコ師からも煙たがられているなぜなのか、その理由が分かるか?・・・いつもカッカきてるせいで、対話が成り立たねえんだよ(笑)2026/01/29 12:40:16615.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>614いいから答えろよwwww2026/01/29 12:40:52616.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz空と表記したそれを勝義であるとしてしまうと言語であるため拡張し実体化しいわゆる煩悩となってしまうわけだな2026/01/29 12:43:06617.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzお前は答えが分かったくせに鹿アンチのせいでまともな判断をくだせず曲げてしまうその事実に気がつくべきだなあ2026/01/29 12:46:08618.◆JBLfMwCXhYyCkLYいや、別に当方は、聖ウンコ師のレスを全否定しているわけではない仏教学者の論文のコピペは参考にしている彼の読解に問題があるだけで(笑)2026/01/29 12:53:31619.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>618今回に関しては君の読解に問題があったなあ2026/01/29 12:58:13620.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzてか大乗で一番重要部分ここ外したら唯識なんか無理よ2026/01/29 12:59:06621.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz即非なくしてそのままでいいなんてなあ信仰の方法論信仰してねえのにそうほざくロンは問題外2026/01/29 13:00:41622.◆JBLfMwCXhYyCkLYお前はいつも、自分の主張を一方的に書き殴り続けるだけで、相手のレスをマトモに見てもいないかなり長く対話したあとでも、確認してみると、こちらのレス内容をまったく理解していない対話するのは無意味だ一方的に連投するだけにしてくれや後で読むから(笑)2026/01/29 13:05:19623.◆JBLfMwCXhYyCkLYこちらは、宗教板に長くいるおかげで、そういう奴を見慣れているから言うほど気にしていない(笑)2026/01/29 13:10:40624.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzじゃあ確認するが空と表記されたのはまだ勝義と言い張る?2026/01/29 13:13:30625.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz釈迦が勝義を説き切ったってのは仮設を用いなければ勝義を説くことは出来ないということだよ2026/01/29 13:15:25626.◆JBLfMwCXhYyCkLY対話するのが無意味な理由は、単に「ウザいから」ではないお前は「中観派の勝義諦/世俗諦」というテーマに、極端にこだわっているこのテーマへの執着は凄まじい😂それに付き合ってると、こっちもその話ばっかりすることになるんでなあそんなヒマはない(笑)2026/01/29 13:15:52627.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>626なんのスレかみてこいよ2026/01/29 13:16:28628.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzてか大乗で一番重要部分ここ外したら唯識なんか無理よ2026/01/29 13:17:16629.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK4Vp59>609 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/01/29(木) 12:36:01.58 ID:yCkLY>>こっちは、年季の入った仏教哲学マニアだぞ仮説(けせつ)くらい知らんわけないだろ ↓>「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。JBLさぁwww知らないのは恥じゃないから。知ったかするのが恥なんだよ。2026/01/29 13:17:42630.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK4Vp59>彼の読解に問題があるだけで(笑)俺はレスする前に大抵の事は下調べしてからするから、それはまずないよ。2026/01/29 13:20:28631.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzつかお前常用語の仮説でもある程度意味は通るじゃねぇかよ2026/01/29 13:24:21632.◆JBLfMwCXhYyCkLY仏のスレ主は、ご苦労にも聖ウンコ師の大好きな「陳那の現量/比量」の話に、何日も延々と付き合わされてたな~😫2026/01/29 13:24:40633.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzおい、いい加減この低レベルな話は終わりにしようはよ答えろ2026/01/29 13:27:25634.◆JBLfMwCXhYyCkLY浅田彰の「逃走論」によれば人間には、偏執的な「パラノ型」と、分裂的な「スキゾ型」がいるらしい当方やでお~様のように、話題がコロコロ変わるのは「スキゾ型」リダンやセイウン様のように、執着が強いのは「パラノ型」だから、合わない(笑)2026/01/29 13:28:33635.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>634あほか最重要だからしつこく言ってんだよ2026/01/29 13:29:59636.◆JBLfMwCXhYyCkLYなにが「最重要」だ(笑)どんだけ付き合わされるんだよ、このテーマに毎回、同じような回答をしているもう飽きた2026/01/29 13:33:40637.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>636終わりにしたるからはよ答えろ2026/01/29 13:35:09638.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz飽きたじゃねえよ空の理を間違えてたら以降全部間違うやろが2026/01/29 13:36:12639.◆JBLfMwCXhYyCkLY勝義諦もいいが、それよりその執念深い性格をなんとかした方がいいぞ飄々とした、流れる雲のような人になれ2026/01/29 13:39:08640.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>639はいはいはよ答えて2026/01/29 13:47:44641.◆JBLfMwCXhYyCkLY>>629> >「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」それは、お前の主張内容を要約してやったんだよ😂当方が「坐禅の回数をこなすしかない」なんて言うわけないだろバカめ!!2026/01/29 13:47:47642.◆JBLfMwCXhYyCkLY痛いところを突かれて、発狂しているな「言葉では、法を説けない。言葉は、正しい認識をさまたげる。釈迦の教えは方便だ。龍樹の中論も方便だ。本当の真理ではない」↓「本当の真理を知りたかったら、ひたすら坐禅するしかない。坐禅の回数で決まるのだ」これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあこのドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣2026/01/29 13:49:14643.◆JBLfMwCXhYyCkLYだが、さんざん坐禅してきた結果が、お前じゃなあ「坐禅をしすぎると、こんな壊れたバカになるんだな」「だったら、ヤメとこう」となるだろ禅宗にとっては、迷惑な話だ😫2026/01/29 13:51:41644.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz答えたくないのか?まあ分かる認めたくないよね自分の間違いをただそれは手放すべきじゃないかな?2026/01/29 13:52:22645.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzようわからんがそもそもjblが空と表記されたのは方便であるということに突っかかったのか?2026/01/29 13:55:10646.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKrPhnI>>641それはJBLの妄想的願望だよ。仏教用語の読み方から教わらなきゃならないレベルがあなたなんだし、そこは自覚してレスには注意した方がいいね。2026/01/29 14:11:15647.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKrPhnI>>642まーーーーーーーた、電波📡⚡️⚡️が飛んでるの? 精神病院にレリゴー💕 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆そんな事は一切云ってないし、世俗諦の解釈も紹介してるけどな。 ↓0013 スジャータ大山 2018/10/26(金) 20:37:12.17諸仏の説法は、二諦によっておこなわ れる。世俗諦と勝義諦とである。これら二種の諦の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深い真実を理解しない。ことばによる説明によらなくては、勝義は説かれ得ない。勝義にもとづかなくては、ニルヴァーナはさとられない。(龍樹 「中論」)2026/01/29 14:15:09648.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz分かったか?ここが分からいなら唯識の仮有が分からんってことになる仮説として置くのは俺らに分かるよう説明するからだそれを方便っていうんだよ2026/01/29 14:21:48649.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzその方便を真諦とか言ってちゃあ仮有やなくて法有になっちゃうだろ空も同じ空って定義、言語に囚われると言語拡張(戯論)により実体化してしまうということ2026/01/29 14:25:31650.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz一つ賢くなったなjblあとはそのくだらんプライドを捨てろ2026/01/29 14:26:50651.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzある種常用語の仮説でもいいわけだそれらは空であるということを龍樹は延々と中論で証明していくわけだから2026/01/29 14:35:17652.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzそれはあくまで空という仮説であって勝義への証明が終われば一緒に瓦解する2026/01/29 14:38:05653.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzとにかく作者の意図、出題者の趣旨(スレタイ)を理解しろよ馬鹿2026/01/29 14:39:42654.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzjblが脳死でウィキを貼り付けるだけの馬鹿と証明されてしまったな悔しいな?くだらんくだらんそんなしょうもないプライドは捨てろ2026/01/29 14:44:48655.◆JBLfMwCXhYtkYwt>>646前から思ってたが、お前は発達障害だな単刀直入、ストレートな表現でないと、お前には伝わらない皮肉やヒネッた言い回しは通じない(笑)この人生、コミュニケーション能力の不足で、さぞかし苦労しただろな2026/01/29 14:45:51656.◆JBLfMwCXhYtkYwt悪いことは言わん坐禅なんかヤメとけまあ、ヤメなくてもいいが、回数を減らすこったなますます壊れたバカになるだけだぞ(笑)2026/01/29 14:48:24657.◆JBLfMwCXhYtkYwt・・・とまあ、これくらい突き刺すような直球攻撃でないとお前には、こちらの言いたいことが伝わらんのだよなあ皮肉や嫌味は、まず通じない(笑)2026/01/29 14:49:24658.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzなんかそんな話があったろ薬は体内において役割を果たせば、毒と一緒に流れでて消えていくそう言うことだよ2026/01/29 14:55:02659.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzjblよ何も俺はお前がとんでもねぇ馬鹿と言ってるんじゃねえ話がわかると思っているとんでもねえ馬鹿はロンと安堂あいつらにこんな話しても猫に小判2026/01/29 15:01:24660.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzjblなら分かるだろうと思うからしつこく言ってんだ安堂にゃこんな話はしねえ2026/01/29 15:02:51661.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz例えばアレフガルドの話してもスレ主や安堂にゃ通らないだろ2026/01/29 15:03:55662.神も仏も名無しさんJs5EOでおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。2026/01/29 15:11:04663.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzでおーは除外2026/01/29 15:11:54664.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQedf4>>655wwwwwwwwwwwwwwwwwwいや、俺が出向行ってた研究機関って、そういう枠なかつたし、前任は文部省からの出向者だったし🤭2026/01/29 15:12:39665.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzあいつらはまず仮諦からだ2026/01/29 15:12:59666.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKsCE75つーか、仏教スレに中論や唯識、倶舎等を持ち込んだのは俺だけどな。それまでは、主に仏教の原点を巡るレスの応酬が殆どだったし。2026/01/29 15:16:52667.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>666非常に役にたちましたよ紹介してくれた本いまだ中論までしか読んでませんが2026/01/29 15:23:57668.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz成唯識論はjblが貼ってくれたやつを読んだまあ細かい翻訳かaiだからってのはあるだろうけど趣旨は読み取れるね2026/01/29 15:27:23669.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz貼った本人が(jbl)がろくに読んでないっていう2026/01/29 15:28:19670.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzなんであれ良く説かれたものは釈尊の言葉だよjbl鹿アンチで曲げてたらしょうもない話だ2026/01/29 15:43:54671.◆JBLfMwCXhYvyqlLわかった、わかった好きにしてくれ2026/01/29 15:52:50672.◆JBLfMwCXhYvyqlLところで、チャンドラキールティの話に戻ると2026/01/29 15:53:13673.◆JBLfMwCXhYvyqlLチャンドラキールティの中観思想(岸根 敏幸)本論文では,中観思想史上における位置づけを指向しながら,チャンドラキールティの中観思想を考察したものである.そのための視点として,(a)二真理説,(b)空性論述の方法,(c)実践論との関係,(d)唯識思想批判という四点を設定し,その視点に沿いながら,チャンドラキールティ以前の中観思想との比較を行いつつ,チャンドラキールティの思想的な特色の解明につとめた.その考察の結果はつぎのようにまとめられる.2026/01/29 15:54:35674.◆JBLfMwCXhYvyqlL1.二真理説(1)二真理説は,まず個別の認識主体の差異に重点を置いた構成上の特色と,空性論述に伴う問題を回避する意図で,排斥(badha)の回避という機能をもつ.(2)チャンドラキールティにとって世俗とは,否定的なニュアンスが強く,それがヴィチャーラを介在させて世間の営為と交錯する.そのかぎり,世間の営為は世俗と同一視される.この点は,世俗を世間営為と一義的に捉える解釈とは大きく異なる.(3)チャンドラキールティは世俗の構造そのものにも注目した.世俗真理を基準とし,それより下位の「世間からして虚偽」と上位の唯世俗を想定したのである.その結果,彼の二真理説は現象世界を想定する理論の様相を呈する.(4)チャンドラキールティは勝義を聖者との関わりで捉えようとしている.勝義に関しては聖者の見方に従うべきであるとし,さらに,勝義は仏陀の認識対象であるとしつつも,聖者の勝義をも,それに準じた形で真実と捉えようとしている.2026/01/29 15:54:49675.◆JBLfMwCXhYvyqlL2.空性論述の方法(1)ブッダパーリタが推論式を使用していない点を批判するバーヴィヴェーカに対して,チャンドラキールティは反論する.彼は,中観論者の主張非定立という立場から,中観論者本来の空性論述の方法として「プラサンガ論法」(prasanga-apatti)を提唱する.(2)ただし,チャンドラキールティは推論式の使用を拒否せず,実際にブッタパーリタの文章を推論式に書き換えてもいる.その推論式の特色は,自らの主張を定立せず,対論者の主張だけで構成される点にあり,プラサンガ論法と同様の構造をもつ.(3)チャンドラキールティはバーヴィヴェーカの推論式を批判した.その論点は,バーヴィヴェーカが主張命題に付加した「勝義において」という限定に集中し,世俗のレヴェルに属するものを勝義のレヴェルに持ち込むことを論理学的に問題とする点にある.2026/01/29 15:55:28676.◆JBLfMwCXhYvyqlL3.実践論との関係(1)チャンドラキールティは,菩薩となるべき三要因中の大悲を再優先するという独自の視点を提示し,大乗の意義を,大悲などの,従来にない新たな実践論の提示と法無我の詳細な説明に帰する.彼が大悲を強調するのは,中観思想に大乗としての意義を与える意図があったと思われる.さらに,菩薩の三要因を有力な実践理論の一つ十地説と結びつけてもいる.この結合こそが彼の主著Madhyamakavatara(MA)の原理的な基盤となる.(2)チャンドラキールティはMA第6章で中観思想を提示する二つの理論を用意する.第一は,般若への止住による止滅の獲得を最終目標とし,そのための方法を,縁起の観察,ナーガールジュナの方法への追従,中観思想の論述という順序を追って提示するものである.第二は,十種の平等性を現前地への移行条件とするDasabhumikasutra(DBh)の記述に注目し,それから中観思想論述の妥当性を引き出すものである.これらの理論から,中観思想の提示をあくまでも実践論的な視座から捉えようとする意図が伺える.(3)チャンドラキールティが空性分類説を,MA第6章の大きなテーマとして取り上げた動機としてつぎの二点が推定される.第一は,空性分類説を法無我の詳細な説明と捉える点であり,第二は,十六空性説の中の自相空性で実践論に言及する点である.それは,実践論を空性論的な視座から意識的に捉えようとしたことを意味すると思われる.2026/01/29 15:55:46677.◆JBLfMwCXhYvyqlL4.唯識思想批判(1)チャンドラキールティは唯識学派を「認識論者」や「表象論者」と呼び,唯識学派を認識の存在性を主張する一派として位置づけ,唯識思想批判も認識の存在性の問題に限定される傾向にある.これはバーヴィヴェーカが唯識学派を「ヨーガの実践者」と呼び,唯識思想全般をトータルに批判しようとした点と対比される.(2)チャンドラキールティは,アーラヤ識の想定を不要と主張するが,その存在を便宜的に認める.ただし,それは真実としてアーラヤ識を説く唯識学派の主張とは異なり,唯識学派の独自性を失わせた形でである.(3)チャンドラキールティは唯識思想批判の中心テーマとして唯識無境を徹底的に批判する.というのも,認識の存在性を認めることは,実在論的な発想につながり,かつ,世間的な見方に反することにもなり,二重の意味で容認できなかったからである.(4)自己認識説は精緻な理論であるが,チャンドラキールティの批判の仕方はそれとは異質であり,唯識学派の主張とまったく噛み合っていない.彼の批判が異質なのは精緻な理論体系が勝義の指向にとって意味をなさないという発想に立つからと思われる.(5)DBhの唯心説は唯識無境の重要な根拠である.チャンドラキールティもその説を中観学派の立場から捉え直す必要があった.彼は唯心を,世間の行為主体と解釈し,さらに,唯識学派の唯心解釈を批判するために,心が物質に対して「主たるもの」と解釈する.2026/01/29 15:56:02678.◆JBLfMwCXhYvyqlL学者が書いた要約だから、ハードすぎるな(笑)マイナーなテーマなので、こういう専門的なのしかない2026/01/29 15:58:24679.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz簡単に言えばよ現実に即した方便としては俺の主張がもっとも適しているって話なだけ2026/01/29 16:02:50680.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz時流、その時に流行った方法論それの改良ってだけ何故ならばドグマ化を嫌うからだいつの間にかその方便が意図と外れひとり歩きするからゆえにお釈迦様は説法を文字で残すのを嫌ったのさ2026/01/29 16:05:19681.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzそのときその時勢にあった方便があるべき姿なわけだな2026/01/29 16:06:16682.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz当然お釈迦様が現代にいれば違う方便を説く当然、適した方便だと主張するものたちは勝義がなんたるか?をしるものであるから自在に方便を変えるのだ2026/01/29 16:09:01683.◆JBLfMwCXhYHkllsチベット仏教のゲルク派では、まずチャンドラキールティ(だけじゃないが)のテキストを猛勉強する。教学の猛勉強を通じて、徹底的に存在の分析を行う。存在を要素に解体することを通して、万物に実体がなく、空の存在であることを確信するに至る析空観を身につけるプロセスだ。だが、それだけでは終わらない今度は、瞑想を集中的に行う。深い瞑想状態の中で、空性を現量了解するのだそれが、体空観だチベット仏教では、この両方が必要とされている。「車の両輪」というより、析空観という一輪車の上に、体空観が乗っているという感じだ2026/01/29 16:12:47684.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzそれを踏まえた上でウィキをみるべし2026/01/29 16:13:04685.◆JBLfMwCXhYHkllsこのように、中観派の系譜を受け継いだチベット仏教では密教化するにつれて、瞑想仏教そのものと化していった現代における中観派のイメージには、コレがおおきく影響している2026/01/29 16:13:55686.◆JBLfMwCXhYHkllsそんな瞑想仏教化を確立したのは、ツォンカパ大師だが理論的な基礎を築いたのは、月称ことチャンドラキールティだ2026/01/29 16:14:50687.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzでないとまた字面に引っ張られて迷子になるぞjbl2026/01/29 16:16:36688.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz仏典、経典ってなあ方便なんだ2026/01/29 16:17:48689.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzゆえに仏教は何千の門が開かれているということだ2026/01/29 16:19:39690.◆JBLfMwCXhYHklls聖ウンコ派が好む「勝義諦/世俗諦」の話もチベット密教には当てはまると言っていいだろう😄2026/01/29 16:20:48691.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz有名なんが無我であるのに私はとお釈迦様を説く基本的にはお釈迦様は私が言うとはいわないが重要な箇所では私がと言う何故か?当然無我なのに私?と突っ込まれたしるものは巧みに言語(方便)を巧みにあやつるのですと2026/01/29 16:23:46692.◆JBLfMwCXhYHkllsバウッダAIに訊く:チャンドラキールティの思想チャンドラキールティ(月称)の思想:論理、二諦、そして実践チャンドラキールティ(Candrakīrti、月称、ca. 600-650)は、インド大乗仏教中観派の論師であり、ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』に対する注釈書『プラサンナパダー(明句論)』や、中観思想を菩薩の修行階梯(十地)に沿って説いた『入中論』の著者として知られています。彼は後に「帰謬論証派(プラサンギカ・マードヤミカ)」の確立者として、特にチベット仏教において極めて重要な地位を占めることになりました。以下に、提供された研究資料に基づき、彼の思想を「論理学的手法」「二諦説と存在論」「菩薩の実践論」の観点からまとめます。2026/01/29 16:24:19693.◆JBLfMwCXhYHkllsチャンドラキールティは、龍樹以後で最大の、中観派の論師だ法相宗でダルマパーラ(護法)を正義としているようにチベット仏教では、チャンドラキールティ(月称)が極めて重要な位置を占めている2026/01/29 16:26:08694.◆JBLfMwCXhYHklls1. 帰謬論証と論理学的方法帰謬論証(Prasaṅga)の重視と自立論証の批判チャンドラキールティの思想を特徴づける最大の要素は、その論証方法にあります。彼は、論敵の主張を仮に受け入れ、そこから論理的な矛盾や不合理な帰結を導き出すことで相手の説を破る「帰謬論証(Prasaṅga)」を中観派の正当な方法として位置づけました。これは、先行する中観派論師であるブッダパーリタの手法を擁護し、逆に論理式を用いて自らの立場の正しさを積極的に証明しようとするバーヴィヴェーカ(清弁)の「自立論証(Svātantra-anumāna)」を批判するものでした。吉水千鶴子の研究によれば、チャンドラキールティの「論理学」は、具体的には「帰謬」と「対論者に成立していることにもとづく推論(他比量)」を指します。彼は「中観派には自らの主張命題(svapratijñā)はない」と明言し、実在論的な前提に立つ自立論証を拒絶しました。これは、中観派にとって論証の主題となる事物が実在しない以上、論証因の主題所属性が成立せず、ディグナーガ(陳那)の定める推論式の規定(立敵双方が主題の実在を認めること)を満たせないと判断したためです(吉水 2010)。2026/01/29 16:26:29695.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzなんか古参に絡まれとるぞjbl2026/01/29 16:27:52696.◆JBLfMwCXhYHklls後期中観派は、「帰謬論証派」と「自立論証派」に分岐した「帰謬論証派」といえば難しそうだが、要は「反対しかしない」左翼野党みたいなスタンスチャンドラキールティは、「中観派には自らの主張命題は無い」とまで断言してるという2026/01/29 16:28:48697.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>696そら主張命題があったら己がいう四句否定でカウンターくらうからな2026/01/29 16:30:23698.◆JBLfMwCXhYHklls「唯識派と違って、中観派には教義らしい教義が無いな?」というのが、長年の疑問だったのだがどうやら、これは正しかったようだ中観派、とくに帰謬論証派は、「お前の言ってることは間違いだ」とツッコミを入れることに特化した、ツッコミ芸人みたいな宗派2026/01/29 16:31:06699.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzあくまで仮説として勝義に導くことが中論だよ2026/01/29 16:31:41700.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>698そうそれが即非だ2026/01/29 16:32:11701.◆JBLfMwCXhYHklls対論者に成立する推論(他比量)チャンドラキールティは、ディグナーガ論理学における「共通成立(ubhayasiddhi)」の原則、すなわち「議論の前提となる主題や証因は、立論者と対論者の両者によって認められたものでなければならない」というルールを否定しました。(中略)ただし、チャンドラキールティはディグナーガの論理学を全面的に否定したわけではありません。吉水は、彼が他者を教化するための「他者のための推論」の規則や、帰謬論証の方法論においてディグナーガと共通する要素を持っていることを指摘しています。彼は世間的な約束事としての論理規則を「世間のみで認められたもの」として承認し、それを用いて相手を真実へと導こうとしました(吉水 2010)。2026/01/29 16:33:58702.◆JBLfMwCXhYHklls帰謬派の開祖として後代のチベット仏教(特にゲルク派)において、チャンドラキールティは「帰謬派」の開祖、あるいはその体系を大成した人物として認識されています。西沢史仁によれば、ゲルク派のチャンキャ・ロルペー・ドルジェらは、ブッダパーリタが最初に帰謬の論法を用いたものの、自立論証派説を否定して帰謬派説のみが妥当であることを論証し確立したのはチャンドラキールティであるとして、彼を開祖と見なしています(西沢 2017)。2026/01/29 16:34:16703.◆JBLfMwCXhYHkllsなるほどだんだん分かってきたな、後期中観派ってものが2026/01/29 16:36:46704.◆JBLfMwCXhYHkllsおっ、聖ウンコ派が喜びそうなテーマだぞ?「勝義諦と世俗諦の二諦説」だ😄2026/01/29 16:37:31705.◆JBLfMwCXhYHklls2. 二諦説と世俗の解釈世俗における自性の否定存在論において、チャンドラキールティは徹底した無自性説をとります。特筆すべき点は、彼が勝義(究極的な真実)においてのみならず、世俗(日常的な現実)においても事物の「自性(svabhāva)」や「自相(svalakṣaṇa)」による成立を認めないことです。彭毛才旦が指摘するように、チャンドラキールティは『入中論』において、もし事物が自相に基づいて存在するならば、空性を観ることが事物を破壊することになってしまうと論じ、世俗における自相の成立も否定しました。この点は、世俗においては自相の成立を認める自立論証派(と目される論師たち)との決定的な相違点とされています(彭毛 2019)。2026/01/29 16:38:14706.◆JBLfMwCXhYHklls世俗諦と凡夫の視点那須真裕美の研究によれば、チャンドラキールティの二諦説における「世俗諦(saṃvṛtisatya)」は、あくまで凡夫(異生)にとっての真実であり、聖者(ヨーガ行者)にとっては単なる「唯世俗(saṃvṛtimātra)」に過ぎません。聖者は世俗諦の真理性を否定します。バーヴィヴェーカが世俗諦を「勝義へ到達するための階梯」として肯定的に捉え、考察(vicāra)の対象としたのに対し、チャンドラキールティは世俗諦そのものを「考察する必要のないもの」「真実ではないもの」としました(那須 2002; 那須 2004)。2026/01/29 16:38:31707.◆JBLfMwCXhYHklls勝義への階梯:言説諦(vyavahārasatya)では、どのようにして勝義に至るのでしょうか。那須によれば、チャンドラキールティは「世俗諦(saṃvṛtisatya)」とは区別される「言説諦(vyavahārasatya)」という概念を用いています。これは勝義の説示であり、方便として生じたものです。世俗諦そのものは考察の対象ではありませんが、この言説諦(教えとしての言葉)は「考察(vicāra)」されるべき対象であり、これを考察し否定することを通じて、言葉を超えた勝義へと志向することが可能になります(那須 2000)。2026/01/29 16:38:50708.◆JBLfMwCXhYHklls二種の真実と縁起新作慶明によれば、チャンドラキールティは縁起の教説を、凡夫の知に関係する「生の縁起」(生などが説かれる未了義の教え)と、聖者の知に関係する「不生の縁起」(不生などが説かれる了義の教え)に区別しています。凡夫にとっての「此縁性(これが縁となってあれが生じる)」は、聖者にとっては、事物が固有の特徴を持って成立していないことを見抜く「唯此縁性」となります。チャンドラキールティは、凡夫の知る「世間的な真実」を認めつつ、聖者の視点からそれを「唯世俗」として相対化する構造を持っています(新作 2020)。2026/01/29 16:39:03709.◆JBLfMwCXhYHkllsなるほどそうだったのか!!2026/01/29 16:39:18710.◆JBLfMwCXhYHkllsこの論文によると、チャンドラキールティにとって世俗諦は「凡夫にとっての真実」勝義諦は「聖者にとっての真実」なんだそうな2026/01/29 16:40:21711.◆JBLfMwCXhYHklls>>707> 勝義への階梯:言説諦(vyavah?rasatya)>> では、どのようにして勝義に至るのでしょうか。那須によれば、チャンドラキールティは「世俗諦(sa?v?tisatya)」とは区別される「言説諦(vyavah?rasatya)」という概念を用いています。これは勝義の説示であり、方便として生じたものです。お~い、聖ウンコ!!これが、どういうことか分かるか?😆チャンドラキールティは、言葉によって説かれた方便としての真理を「言説諦」と呼び、「世俗諦」(凡夫にとっての真実)とは区別してたらしいぞ2026/01/29 16:42:58712.◆JBLfMwCXhYHkllsこれは当方も、この論文を読むまで知らんかった「ひょっとして、チャンドラキールティの二諦説は、聖ウンコ派が言ってるような内容かもしれないな?」と思いながらコピペしたのだが・・・やはり、違ってた(笑)2026/01/29 16:44:39713.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz>>711言葉によって説かれた方便としての真理をって書いてるやんお前の目は節穴か2026/01/29 16:45:38714.◆JBLfMwCXhYHkllsまあ、それほど大きく異なるわけではないが😂2026/01/29 16:46:05715.◆JBLfMwCXhYHklls4. 思想史的影響チャンドラキールティの思想は、インドにおいては一時期目立たない存在でしたが、後にアティーシャ(Atiśa)などを通じてチベットに伝えられ、決定的な影響を与えました。アティーシャはチャンドラキールティをナーガールジュナの正統な後継者として高く評価しました(宮崎 2009)。また、プトンなどのチベットの大学匠たちも『入菩提行論』の解釈においてチャンドラキールティ説(声聞による法無我の理解など)を導入しています(櫻井 2003)。結論として、チャンドラキールティの思想は、厳密な帰謬論証による実在論の徹底的な否定(論理)、世俗における自性をも認めない徹底した空の立場(存在論)、そして大悲に裏打ちされた菩薩の実践(倫理)の三者を統合した点に特徴があります。彼は、論理的な厳密さを追求しつつも、あくまでそれを「他者を覚らせるため」の慈悲の手段として位置づけ、大乗仏教の核心である空と慈悲の融合を理論的に体系化しようとした論師であると言えます。2026/01/29 16:48:41716.◆JBLfMwCXhYHklls長いので、途中は省略した九州インドブログhttp://kaula.blog110.fc2.com/blog-entry-6873.html2026/01/29 16:51:07717.◆JBLfMwCXhYHkllsなるほど言葉によって説かれた方便としての真理、「言説諦」かこれは良いことを知ったな😆2026/01/29 16:51:59718.◆JBLfMwCXhYHkllsさすがは、中観派最大の論師・チャンドラキールティだ😆2026/01/29 16:52:47719.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjy>>667あざーす🫡2026/01/29 16:54:40720.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjy284 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/27(火) 10:55:38.55 ID:ZCkbrまぁ、無分別知が清弁(バヴィヤ)のいう「非安立勝義」なら、無分別知後の分別知は「随順勝義」って事だな。2026/01/29 16:57:47721.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjy世俗という語の哲学的解釈 たとえばチャンドラキールティはさきの二四・八の詩頌を注釈するに際して、サムヴリティという語に対して三つの解釈をしている。一つは、意味の上からサムヴリティを言語契約とか、世間のことばのシノニムである、という。これはほぼ一般の理解という原意に近いが、サムヴリティという語義を分解してそう解釈しているわけではない。チャンドラキールティが与えるあと二つの解釈はサムヴリティという語の語源解釈としては妥当でない、独断的・哲学的語義解釈である。一つは、語形の見かけの上での類似から、サムヴリティをサムヴリッティ(savtti)とひっかけ、後者の意味、ともに起こること、を根拠にして、相互に依存して存在すること、の意味を引き出すものである。これは、依存性(縁起)の意味をこの語に託したものであるから、ことばは本体をもたないものである、という哲学的な意味をもってくる。ことばはその対象を指示するのでなくて、他のことばとの関係においてのみなりたつ虚構である、という意味をくみ取ることもできる。もう一つの解釈は、「蔽う」という語根を利用して、「あまねく蔽うものであるから、一般の理解といわれる」とするものである。これも語学的にはなりたたない解釈であるけれども、哲学的には的を射た、興味深い解釈である。2026/01/29 17:10:52722.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjyヴィヤバーハラサトヤ。2026/01/29 17:15:09723.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjy中観哲学では、ことばの世界(vyavahāra 言説)、世間のことば(lokavyavahāra 世間言説)と一般の理解の世界(savti 世俗)とはシノニムとなっている。ここに一般の理解と訳したもののサンスクリット原語サムヴリティの語源解釈には不明な点が多いが、本来は、そのパーリ語形 sammuti が意味するように、一般の人々が一致して認めることを意味したのであろう。一般の人々というのは、最高の真実を見ているヨーガ行者以外の人々ということで、ふつうの世間の人々や学者などのこと。したがって、サムムティというのは、世間的・科学的な一般的理解、常識のことである。2026/01/29 17:15:31724.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjyサトヤ(サンスクリット語:Satya、सत्य)は、サンスクリット語で「真実」「誠実」「真理」「正直」を意味する言葉です2026/01/29 17:16:18725.◆JBLfMwCXhY9qiAl>>721なるほどチャンドラキールティは、そこまで言語哲学に深く入り込んでいたのか7世紀にしては本当に進んでいるな!2026/01/29 17:19:34726.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjyヴィヤバーハラ 言説サトヤ 真理ローカ 世間サムヴリティ 世俗2026/01/29 17:19:48727.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGSAjyいきなり清弁や月称に行く前に、先ず龍樹をしっかり抑えておいた方が……😅まぁ、もはや古典だけど、『仏教の思想 3 空の論理<中観>』 (角川ソフィア文庫)はKindleで¥704.-だし、目を通しておいた方がいいよ。2026/01/29 17:23:39728.◆JBLfMwCXhY9qiAl中村元の「龍樹」が、かつての愛読書だなにせ、この本で学んだ「不常不断の中道」のネタで、新興宗教の信者どもを責め立ててたからな😂2026/01/29 17:28:14729.◆JBLfMwCXhY9qiAl>>727> 『仏教の思想 3 空の論理<中観>』 (角川ソフィア文庫)それは読んでないが2026/01/29 17:28:43730.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzまあ、全く面白くねぇけどな中論2026/01/29 17:42:21731.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzで?っていう2026/01/29 17:42:41732.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz再構築の方法論仮説、を利用した唯識のほうが面白くはある2026/01/29 17:44:02733.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzロジック化、言語化という意味では中論は根幹の話だから2026/01/29 17:45:23734.神も仏も名無しさん0pySzハッスルは早速西洋哲学創作してるな?🤡〜2026/01/29 19:09:49735.神も仏も名無しさんJs5EOでおーは承認欲求(餓鬼道)と勝敗執着(修羅道)で動き、他人を怒らせて地獄道に落とすことで存在を保っている。2026/01/29 19:32:24736.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzロジック化でみたらやっぱ日蓮宗か真言が面白いやろな2026/01/29 19:50:20737.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz日蓮は実にシステマチックだ2026/01/29 19:52:43738.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz天台教義を七文字に収め曼荼羅の導線が素晴らしい2026/01/29 19:53:46739.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz日本人ってなあ必要に迫られ、制限されると逆に想定以上に洗練されたもんを出してくるな2026/01/29 19:57:08740.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz必要に迫られ(南無阿弥陀仏対抗)制限(識字率の問題)2026/01/29 20:02:20741.リダン◆gEV3xsS//k5BjSzまあ在家にたいしては密教方向しかないから真言とかを参考にしたんだろうが2026/01/29 20:06:53742.リダン◆gEV3xsS//k5BjSz国教には何が足りなかったのか?まあ信仰ブーストのための他宗派排斥だろうな2026/01/29 20:12:14743.神も仏も名無しさんTgNMP躁転ハッスルNO1大活動期だ😁2026/01/29 21:20:20744.神も仏も名無しさんJs5EOでおーは他人の怒りを燃料にしないと立てない。2026/01/29 21:28:47745.◆JBLfMwCXhYyCkLYハッスル津波ですな~🌊2026/01/29 22:23:15746.◆JBLfMwCXhYyCkLYやっぱり後期中観派と臨済宗は似ているな2026/01/29 23:25:42747.◆JBLfMwCXhYyCkLYていうか、以前から分かってることだが倶舎論・中論・唯識論聖ウンコ師には、全部が臨済宗に見えている全部、思いっきり臨済宗に寄せた解釈いつものことだ(笑)2026/01/29 23:34:31748.◆JBLfMwCXhYyCkLY「言葉を捨てろ」「無に集中しろ」「ひたすら坐禅するしかない」「見性体験が悟りである」↑アイツに言わせれば、どの部派も全部、コレになる😂2026/01/29 23:36:41749.◆JBLfMwCXhYyCkLYまあ、それは聖ウンコ師だけの問題ではないんだが2026/01/29 23:40:51750.◆JBLfMwCXhYyCkLY法介師匠が語る、倶舎論・中論・唯識論あれも正直、思いっきり日蓮宗に寄せた解釈日蓮宗を語ってるようにしか見えんかった(笑)2026/01/29 23:41:45751.◆JBLfMwCXhYyCkLY法介師匠と聖ウンコ派は、「外界の実在」を巡って、いつもモメていたがあれは唯識論の解釈を巡る対立というより、日蓮宗と臨済宗の宗派対立だった「外界は実在しない」というのは、日蓮宗の世界観にはまったく馴染まない一方、臨済宗は「無」が大好きだ日蓮大聖人から「禅天魔」と言われただけあって、本当に相性が悪い😅2026/01/29 23:46:50752.神も仏も名無しさんTgNMP>>758正宗自体が本覚思想に寄せた日蓮解釈だからそこから発展したんやろな😆2026/01/29 23:47:44753.神も仏も名無しさんTgNMPホーカイくんとハッスル🤡との対談とかホーカイくんとリダン、デンパパの対談とか、そもそも成り立たない戯論だった😆2026/01/29 23:48:45754.神も仏も名無しさんTgNMPま、俺は唯識はどちらかというと密教解釈の倶舎論知らずだった唯識の禅定、仏智の解釈が密教的発想で理解して満足してたので些末な唯識の理論のテイストは倶舎論を理解てきるまでハッキリしていなかった😆2026/01/29 23:50:53755.神も仏も名無しさんTgNMP唯識の四智を密教の五智的に捉える傾向があるま、浄土宗や真宗や日蓮宗ですら天台華厳真言的に味わうタイプだったので、リアルな浄土宗や真宗や日蓮宗の理解は長年の謎であったThe山伏念仏の謎😆2026/01/29 23:53:14756.◆JBLfMwCXhYyCkLYかくいう当方も、当然、どの宗派も偏見なく公平に見ているわけではない禅宗に対してはかなり偏見が入っており、アンチのスタンスに近いそれは認める(笑)2026/01/29 23:54:02757.◆JBLfMwCXhYyCkLY当方も、根が神秘主義者で、密教が好きなんだよな~どの宗派にも所属していないが、真言宗に最も傾斜している智山派の護摩焚きによく行くし、高野山の宿坊にも泊まった2026/01/29 23:56:53758.神も仏も名無しさんTgNMP本覚思想自体がずっと理解できなかったまー既存のキリスト教やイスラームみたいな発想があるんやろなーキリスト教やイスラームよりも多神教的だが😆2026/01/29 23:59:38759.◆JBLfMwCXhYyCkLYだが、幸か不幸か加持祈祷が好きなだけで、真言宗の教義体系を正直あんまり知らんので仏教哲学を真言宗に寄せて解釈するということがない(笑)2026/01/29 23:59:53760.神も仏も名無しさんBxuFy理論無視の臨済宗やニンマ派に馴染み過ぎて日本仏教の勤行する価値が理解しにくかったタイプてある本来的には勤行熱心ではないタイプ好奇心とお役目的に週1回か冬にはたまに二回か勤行するようになったくらい😆2026/01/30 00:01:22761.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>758ロン師匠の本覚思想には、なかなかナジメんかったなあ😅2026/01/30 00:02:09762.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>760こちらも、真言宗の勤行をやろうとは思ってるのだが、なかなかできない2026/01/30 00:02:49763.神も仏も名無しさんBxuFy真言宗のキーワードはいくつかのポイントはあるまー空海著作をヒントにチベット密教ニンマ派をやろうと発想してたくらいだからなー2004年〜2006年までは😆2026/01/30 00:03:39764.◆JBLfMwCXhYs97Sgまあ、こっちは基本的に日本の伝統仏教をあんまり知らんからなあ😂2026/01/30 00:04:51765.神も仏も名無しさんBxuFy空海の真言宗思想を引用しながらチベット密教ニンマ派の観相真言やりまくりながら肉体労働してたからなー😆2005年がピークだった😆2026/01/30 00:05:34766.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>765すごいな?😆2026/01/30 00:07:25767.神も仏も名無しさんBxuFy坐禅はオリジナルで2007年あたりまではニンマ派禅定→臨済宗坐禅みたいな変則坐禅をしてた、2008年あたりからぼったんをボコボコしながら臨済宗専門坐禅へとシフトしてた😆2026/01/30 00:08:38768.神も仏も名無しさんBxuFy煩悩、メンタル不安定をニンマ派、粒子分解してから臨済宗の坐禅でパワー注入とか正統派臨済宗坐禅ではなかった2007年以降は、そっち方面を努力しだした😆2026/01/30 00:10:27769.神も仏も名無しさんBxuFy2007年以降は、正統派臨済宗坐禅の方面を努力しだした😆2026/01/30 00:11:17770.◆JBLfMwCXhYs97Sg勤行はサボってるが、瞑想はやってるぞ~😆2026/01/30 00:19:22771.神も仏も名無しさん9WvLpでおーの言動は、承認への渇望(餓鬼道)と勝敗への執着(修羅道)**に強く支配されている。議論は理解のためではなく優劣確認のために行われ、相手の正義感や怒りを煽り、地獄道へ引きずり込むことで自分を保つ。これは思想の違いではなく、行動様式の問題である。2026/01/30 01:17:53772.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK1G1xG……ドリフの馬鹿兄弟みたいだな🫵🤣wwwしかも、また電波📡⚡️⚡️⚡️が飛んでる。 ↓> 「言葉を捨てろ」> 「無に集中しろ」> 「ひたすら坐禅するしかない」> 「見性体験が悟りである」 精神病院にレリゴー💕 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆2026/01/30 03:19:51773.神も仏も名無しさん4DNwvハッスル🤡ムイムイににてきたな?😱2026/01/30 06:06:59774.◆JBLfMwCXhYs97Sg怨念レスだな😱2026/01/30 08:50:07775.◆JBLfMwCXhYs97Sgチャンドラキールティは、仏教の基本的な教えである五蘊について、主著の一つである『中観五蘊論』で詳しく論じています。この論書では、部派仏教の「アビダルマ」における五蘊説を要約しつつ、彼独自の「空」の思想から解釈を加えています。2026/01/30 08:54:40776.◆JBLfMwCXhYs97Sg五蘊の構成要素五蘊(ごうん、サンスクリット語: skandha)とは、人間の心身を構成する5つの要素(集まり)を指します。これらは以下の通りです。色蘊(しきうん、Rūpa): 物質的な存在、すなわち肉体や外界の物質・現象のことです。受蘊(じゅうん、Vedanā): 感受作用、すなわち経験に対する快・不快・どちらでもないという感覚・感情のことです。想蘊(そううん、Saṃjñā): 表象作用や知覚作用、すなわち対象を認識し、識別・概念化する働きのことです。行蘊(ぎょううん、Saṅkhāra): 意志や形成力、すなわち意思決定や心の作用、思考、動機づけなど、意識的な活動全般のことです。識蘊(しきうん、Viññāṇa): 認識作用や意識、すなわち感覚器官が対象を認識する根本的な意識のことです。2026/01/30 08:55:14777.◆JBLfMwCXhYs97Sg⭐️777⭐️2026/01/30 08:55:29778.◆JBLfMwCXhYs97Sgチャンドラキールティの「空」の思想チャンドラキールティは、これら五蘊が相互に依存して成り立っており、それ自体に固定的な実体(自性)は存在しない(空である)と主張しました。これは、部派仏教が五蘊の要素に何らかの実体(究極的実在)を認めていたのに対し、大乗仏教中観派の立場からその見解を批判的に検討したものです。彼の哲学では、五蘊は私たちが「私」という統一的な自己(アートマン)があると錯覚する基盤となりますが、実際には常に変化し続ける相互依存的なプロセスの集まりに過ぎません。この「我執(自己への執着)」が苦しみの原因であるため、五蘊の「空」を理解することが解脱への道につながると説いています。チャンドラキールティの『中観五蘊論』は、伝統的な五蘊の分析に中観派の「空」の視点を導入した重要な文献として知られています。2026/01/30 08:56:00779.◆JBLfMwCXhYs97Sgチャンドラキールティは7世紀のインド中観派の僧で、ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』を正統に継承・擁護し、実在を否定する「空」の理論を確立した思想家。すべての事物は固定した本質を持たないという「縁起」を徹底し、二真理説(世俗諦・勝義諦)に基づき唯識思想などを批判、大悲(慈悲)を重視した実践的な空の思想を説いた。2026/01/30 08:57:42780.◆JBLfMwCXhYs97Sgチャンドラキールティの「空の思想」に関する主なポイントは以下の通りです。1.中観派の擁護者中観帰謬論証派(プラサンギカ)の確立: 対論者の主張の矛盾を突く「帰謬法(きびゅうほう)」を用いて、あらゆる実在論や概念を否定した。龍樹の正統な解釈: ナーガールジュナの『中論』を正しく解釈する立場(注釈書『プラサンナパダー』)を確立した。2026/01/30 08:58:06781.◆JBLfMwCXhYs97Sg2.空性の詳細な論述縁起と空: 事物が依存関係の中で成り立っているため、自性(不変の本質)を持たない「空」であると主張した。二真理説の強調: 世俗の認識(世俗諦)と、究極的な実在の無さ(勝義諦)の二つの視点を用いて「空」を解説した。二我(人無我・法無我): 執着の対象となる「我(実体)」が、人間にも物事にも存在しないことを主張した。2026/01/30 08:58:35782.◆JBLfMwCXhYs97Sg3.独自の実践的な視点大悲の強調: 「空」の理解に加え、すべての衆生に対する「大悲(大きな慈悲)」を菩薩(菩薩となるべき者)の最も重要な要件とした。大乗の意義: 中観思想を、単なる理屈ではなく、大悲に基づく実践論として位置づけた。2026/01/30 08:58:51783.◆JBLfMwCXhYs97Sg4.唯識思想への批判「認識のみ」の否定: 唯識学派が主張する「認識(識)は実在する」という立場に対し、認識自体も空であるとして批判した。主な著書には、ナーガールジュナの『中論』を注釈した『プラサンナパダー』や、独自の『入中論(マディヤマカヴァターラ)』があります。2026/01/30 08:59:36784.◆JBLfMwCXhYs97Sg中観派のスタンダードであるチャンドラキールティの思想いろんな面で参考になる2026/01/30 09:01:04785.◆JBLfMwCXhYs97Sg度學 佛教 學研 究第51巻 第1号 平 成14年12月考察(vicara)から見た中観派の世俗諦那 須 真 裕 美1、 はじめに初期中観派における世俗諦とは、あくまで「勝義諦を示すための手段」 であった。しかし、中期中観派以降の論師たちは、勝義諦を不仮説のものとする思想 を踏襲すると同時に、言葉によって示される二義的な勝義諦を設定するように なった.筆者はこれらを仮に「ヨーガ行者を勝義へ志向させる諦」と総称している。この二義的な勝義諦が生じることに伴って、世俗諦は「勝義諦を示すための手段」 から 「世間一般に正しいとされる事柄」 へと変化した。2026/01/30 09:18:37786.◆JBLfMwCXhYs97Sg本 稿では、その転換期にあたるバーヴィヴェーカ(Bhavivekaca.490-570)と チャンドラキールティ(Candrakirtica.600-650)の世俗諦説を中心に、「考察」(vicara)の観 点から、とくに中期 中観派 の世俗諦が如何に捉えられたかを再考する。2026/01/30 09:21:17787.神も仏も名無しさん4DNwv>>776これを改めてみると空海の密教思想は五蘊そのものがかなり全般的に復活させている要素があるなそれを梵字で聖なるという意味て復活させているな今気づいた😆2026/01/30 09:21:56788.神も仏も名無しさん4DNwv>大悲の強調: 「空」の理解に加え、すべての衆生に対する「大悲(大きな慈悲)」を菩薩(菩薩となるべき者)の最も重要な要件とした。これを欠くから、中論は哲学的に見えてしまうんやろなー最初から俺は大般若経をみながら中論読まないと的外れになると何度もレスしているけどな〜😆2026/01/30 09:24:13789.◆JBLfMwCXhYs97Sg2、バーヴィヴェーカ とチャンドラキールティの世俗諦中期中観派の始まりと目されるブッダパーリタも、二諦説に関しては初期中観派と同様の見解を持っていた。これに対して、バー ヴィヴェーカ ・チャンドラキールティが想定 した世俗諦には,彼ら以前の論師が想定 した性 質以外 の要 素 をうかがうことができる.両者の世俗諦の性質 を、「A 共通した性質」 「B 多少の異同が見られる性質」「C 一方には見られない性質」 「D 相反する性質」として整理する。2026/01/30 09:25:01790.◆JBLfMwCXhYs97SgA. 共通した性質バ ーヴィヴェーカとチャンドラキールティともに、世俗諦を「世間の言語慣用 として誤りでない もの」 勝義を得るための手段」 と考える点 に変わりはない。B.多 少 の異 同が見 られ る性質しか し,二 諦の区別 を何 に対応 させ るか は、両者 の見解 は完全 に は一致 しない.バ ーヴィヴェーカは二諦の区別 を智慧 に結 び付け、世俗諦 を実世俗智 に対応 させ るが,チ ャン ドラキール ティは認識 に結び付け、世俗諦を正しい感覚器官 に よってな され た認識 に関連す る もの と理解する。この為に,後者の二諦説 を考える中で,傷付いた感覚器官に基づく認識による「非世間世俗」(alokasamvrti,世俗説でない世間の知識)が 生ず るので ある。2026/01/30 09:26:29791.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKw09el清弁(バヴィヤ)の「非安立勝義」と「随順勝義」の問題な🤭つーか、馬鹿呼ばわりされてる奴が、悔しさの余り一発逆転狙って難しい事に手を出すってよくあるけど、それって結局、基本が出来てないから、ものにならない断片知識で終わるんだけどな。学問に王道なし、急がば回れ。お前ら統失知障ヒキニープーボッチーズは、先ず『仏教聖典』から始めるべきなんだよ。最初から清弁や月称とか、法律の勉強するのにいきなり六法全書買うようなもんだよwww2026/01/30 09:29:23792.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKw09elこの馬鹿二匹と梅毒野郎は、宗教板の馬鹿の枢軸だよな😗しかもこの二匹って、氷河期底辺のヒキニープーボッチだし、統失知障で頭がタリラリラーンのアウアウアー🤪wwwまた、丹光を魔境扱いするのが自慢だとか、細胞が壊死だとか、弟子でないとか、毎日毎日、脳内怪電波📡⚡️⚡️⚡️⚡️がピピピのピーで発狂状態。更には、健常者に対する異常なまでの妬みや嫉みを露骨に態度しては、憎しみ100倍の誹謗中傷のストーカー行為な毎日。典型的な餓鬼憑きだろ、こいつら😧2026/01/30 09:31:09793.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGl2Eqそうやって分かりもしない論文をコピペして、やった積もりになって、分かった積もりになるとか、授業中に必死にノートを取って分かった積もりになって、いざ試験で成果が出ない奴らと同じだな。でおーなんか見てみろよwあれだけ"論文見たじょー🤡!"ってドヤ顔してて、その実は目に映してただけで、全然ものになってないし、記憶もされてないwww頭のいい奴は、勉強論から入るんだけど、仏教の学びも同じだけどなw2026/01/30 09:37:13794.◆JBLfMwCXhYs97SgC、一方にしか見 られ ない性質 誤った認識によって捉えられたものが 「非世間考察(vicara)か ら見 た中観派の世俗諦世俗」 として否定されるのは妥当だが、チャンドラキールティの世俗諦の性質には,「 正 しくない見解 の対 象」であるとして、世俗諦の真理性を否定す るという、バ ーヴィヴェーカには見られない要素 があらわれる。ここでは、凡 夫にとっての諦に対する考え方とヨーガ行者の立場からの考え方が重なり合 っている。正しい感覚器官を持つ凡夫が世俗諦と解するものは、ヨーガ行者にとっては諦 で はな く,唯 世 俗(samvrtimatra)に過ぎない.ヨ ーガ 行 者 が 諦と解するものはvyavaharasatyaであるが 、これも諸仏にとっては諦ではなく、不可説の勝義諦ではない。しかし、このvyavaharasatyaは ,勝 義を得るための 考察の対象となるものであ る。対するバーヴィヴェーカは、凡夫の立場から非世間世俗を想定せず 、また二 諦説の中に、凡夫とヨーガ行者と諸仏という複数の立場を設定しない。これはバ ーヴ ィ ヴ ェー カ の想 定 した 二諦 説 が,ヨ ー ガ 行 者 か らの 立 場 の み 想 定 され て い た ため だ と推測 され る.D. 相反する性質さらに、両者の世俗諦 に対する考え方 の違いが顕著に表れるの は、「 世 俗 として 自性 の存 在 を認 め る か」 「勝 義 を得 るた め の考 察 とな るか 否 か 」の2点 に お い て で あ る。バ ーヴィヴェーカは世俗として自性を認め、勝義という観点からはその存在を否定する。しかし、チャンドラキールティは世俗諦 としても自性の存在を認めない。2026/01/30 09:38:23795.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>793わかった、わかったお前は偉い!!(笑)2026/01/30 09:38:59796.◆JBLfMwCXhYs97Sgこの研究論文によって、いろんなことが分かるな2026/01/30 09:39:22797.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>785> 初期中観派における世俗諦とは、あくまで「勝義諦を示すための手段」 であった。しかし、中期中観派以降の論師たちは、勝義諦を不仮説のものとする思想 を踏襲すると同時に、言葉によって示される二義的な勝義諦を設定するように なった.初期中観派では、「勝義諦 = 言葉で説くことができない究極の真理」「世俗諦 = 勝義諦を示すための手段」という理解でOKのようだだが、後期中観派では「言説諦 = 言葉によって示される勝義諦」というのが登場した2026/01/30 09:43:41798.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKCRecbwwwwwwwwwwwwwwwwwwコピペして分かった積もりになってるだけで、全然頭に入ってないwww例の「かせつ」事件がいい例だよなwww論文なんかは読む者の知識の前提条件を設けてるから、振り仮名なんてしないケースが多い。「仮説」とある時、我々は「けせつ」って読むけど、前提知識を満たしてない奴は「かせつ」って読むwそこからあの壮絶な、根本的に致命的な勘違いを起こして、噛み付いて来ては、ボロカスに云われるの繰り返しw2026/01/30 09:44:19799.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>785> 筆者はこれらを仮に「ヨーガ行者を勝義へ志向させる諦」と総称している。この二義的な勝義諦が生じることに伴って、世俗諦は「勝義諦を示すための手段」 から 「世間一般に正しいとされる事柄」 へと変化した。これに伴って、世俗諦は本来の意味である「世間一般に正しいとされる事柄」(世間智)へと変化した2026/01/30 09:45:49800.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKCRecb悪い事は云わない。お前らは明らかな馬鹿なんだから、見栄を張っての難しい論文のコピペなんてやめなさい。先ずは『仏教聖典』から始めなさい。基本から学びなさい。今やってる事は無駄だから😟2026/01/30 09:46:50801.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>790> バ ーヴィヴェーカは二諦の区別を智慧に結 び付け、世俗諦を実世俗智に対応 させ るが、チャンドラキールティは認識に結び付け、世俗諦を正しい感覚器官 に よってな され た認識 に関連す る もの と理解する。この為に、後者の二諦説 を考える中で,傷付いた感覚器官に基づく認識による「非世間世俗」(alokasamvrti、世俗説でない世間の知識)が 生ず るので ある。ここは興味深いバーヴィヴエーカ(清弁)は、世俗諦を「実世俗智」としたチャンドラキールティ(月称)は、世俗諦を「正しい感覚器官によってなされた認識」(←『現量による直接知覚』ですな)であるとした2026/01/30 09:50:09802.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>800> 悪い事は云わない。>> お前らは明らかな馬鹿なんだから、見栄を張っての難しい論文のコピペなんてやめなさい。お前がゆうか😂バカめ!!😂2026/01/30 09:51:00803.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>793> そうやって分かりもしない論文をコピペして、やった積もりになって、分かった積もりになるとか、授業中に必死にノートを取って分かった積もりになって、いざ試験で成果が出ない奴らと同じだな。お前がゆうか😂笑かすな!!😂2026/01/30 09:52:00804.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>787確かに空海思想の「六大」は、五蘊を復活・発展させた概念どちらかといえばネガティブな要素だった五蘊を超ポジティブな六大に変えた2026/01/30 09:53:59805.◆JBLfMwCXhYs97Sg>>788中観派も、慈悲の瞑想をテーラワーダ仏教から受け継いでいたんだな~😆2026/01/30 09:54:35806.◆JBLfMwCXhYs97Sg聖ウンコ派は、現量、現量といつも言ってるがチャンドラキールティによれば、感覚器官による現量認識は「世俗諦」ということになる2026/01/30 09:56:17807.◆JBLfMwCXhYs97Sg説一切有部・・・五位七十五法は実在する唯識派・・・識は実在する中観派・・・どちらも実体がなく、空である2026/01/30 09:58:40808.◆JBLfMwCXhYaLXuM中観派も面白いもんだな2026/01/30 10:03:40809.◆JBLfMwCXhYaLXuM清弁インドの仏教哲学者(500年~578年)清弁(しょうべん、梵:Bhāviveka,バーヴィヴェーカ、梵:Bhavya, バヴィヤ、梵:Bhāvaviveka, バーヴァヴィヴェーカ)は、490年頃から570年頃のインド仏教の中観派の学者である。唯識派の陳那の影響を受け、龍樹の『中論』に表れる空の思想を論理学的な推論式によって積極的に論証するという方法を確立した。しかしその論理学的方法は、後に月称(7世紀)によって批判された。チベット仏教の教学においては、この月称による批判をもって中観派は自立論証派(スヴァータントリカ)と帰謬論証派(プラーサンギカ)に分裂したとする。著作『中観心論』 - 論理学的推論式によって空を論証できることを明らかにして、他学派の説を批判する『般若灯論』(はんにゃとうろん) - 『中論』の注釈書。『大乗掌珍論』(だいじょうしょうちんろん) - 空思想の概説書。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7e/Legdan.jpg/500px-Legdan.jpg2026/01/30 10:06:03810.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKCRecb……コピペしてもそれはただの一過性のもので、数時間後には何の事だか憶えてないんだろ?wwwなんでもそうだけど、知識っていうのは反復継続して初めて身につくものなんだよ😟。JBLはあちこちに手を出しては、ただの一過性のもので終わって、結局はなーーーんも知識として身に付いてない。2026/01/30 10:43:10811.◆JBLfMwCXhYaLXuM>>810お前とはそもそも、宗教板をやってる目的が違うんでなあお前の場合は「俺様は、こんな難しい仏教用語を知ってるんだじょ~」とか「俺様は、こんな難しい本を読んでるんだじょ~」とか自己顕示のためにやっている当方はそうではないとっくに知ってる基本中の基本みたいな内容も復習のためにちょくちょくコピペするそのたびに「こんな初歩的なことやってるのか~」「幼稚園の仏教入門かよ~」とかなんとか、うるさくてしょうがないバカはいるけどな😂2026/01/30 10:57:02812.◆JBLfMwCXhYaLXuMでもって、ここがお前との最大の違いなんだが当方は、難しい文章をコピペしたときは、必ず自分の言葉で解説を付けるお前には無理だ。読解力も説明力もないから😂2026/01/30 10:59:05813.神も仏も名無しさん4DNwv貧乏人的スネ夫自慢ハッスル🤡〜〜😱2026/01/30 11:03:01814.◆JBLfMwCXhYkFn5V>>811> そのたびに「こんな初歩的なことやってるのか~」「幼稚園の仏教入門かよ~」とかなんとか、 うるさくてしょうがないバカはいるけどな😂いや、「よいこの仏教教室かよ~」だったかな?なんでもいいが、とにかく、うるさくて偉そうな奴がいる😂2026/01/30 11:05:29815.神も仏も名無しさん9WvLpでおーの投稿傾向には、以下の特徴が一貫して見られる。他者への優劣誇示・勝敗への過度な固執議論を理解ではなく対立激化の方向へ誘導挑発により他者の感情的反応を引き出し、混乱を拡大これらは偶発的ではなく、継続的・反復的な行動パターンである。本記述は人格評価ではなく、行動観察の要約である。2026/01/30 11:06:24816.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKCRecb>>811> 当方はそうではない>> とっくに知ってる基本中の基本みたいな内容も> 復習のためにちょくちょくコピペする>> そのたびに> 「こんな初歩的なことやってるのか~」> 「幼稚園の仏教入門かよ~」とかなんとか、> うるさくてしょうがないバカはいるけどな😂wwwwwwwwwwwwwwwwwwえっ?!えっ?!えっ?!なんか言いましたか?かせつくんwww2026/01/30 11:22:38817.神も仏も名無しさん4DNwvお怒り🤡2026/01/30 11:24:46818.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKCRecb嘘を誤魔化す為に嘘の上塗りをして、それがとうとう嘘バブルになり、ボロカスに論破されて崩壊したのにwww2026/01/30 11:27:21819.リダン◆gEV3xsS//kM0CM4>>806そらまあ感覚器官が捉える現量は世俗を映すからそうやろな2026/01/30 11:30:26820.神も仏も名無しさん4DNwvハッタリウンチクバブルはこれからだな?🤡〜2026/01/30 11:37:01821.◆JBLfMwCXhYkFn5V>>818まだいたのかよ😅2026/01/30 11:42:03822.神も仏も名無しさん4DNwvまだまだ威張り足りないようだ煩悩満載ハッスルだからな〜🤡〜2026/01/30 11:44:27823.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKr75ZIまぁ、歴史板や哲学板でも此処と同じ振る舞いで、識者からは馬鹿扱いにされてたんだろ。で、宗教板に新天地を求めて来たけど、結果は同じだったと🤭なんせあのL相手に何も出来なかったのもその証左だしな。今更だけど、俺はLやKだのGだのとかを論理的に追求して壊滅させたし。2026/01/30 11:48:05824.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKr75ZIコピペしておこうw342 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK (50-wTs-Ij-wvu)[] 2026/01/30(金) 11:50:38.15 ID:r75ZIちょっと今日は真面目にお前ら統失知障のヒキニープーボッチに問答を仕掛けてみるか?語も也た得からず、黙も也た得からず。語も黙も総に得からず、子、作麼生?wwwどうだ?2026/01/30 11:51:08825.◆JBLfMwCXhYkFn5Vいや、単に、Talkには歴史板や哲学板がないんだよ「文系学問板」に統合されてしまった2026/01/30 11:51:42826.神も仏も名無しさん4DNwvハッスルで参禅30年の立証ハッスル〜🤡ハッスル〜🤡2026/01/30 12:01:56827.リダン◆gEV3xsS//kRB1Sj>>824不立文字生き生きとした様からしか得られない栄養があるみたいな2026/01/30 12:03:52828.リダン◆gEV3xsS//kRB1Sj語、黙でなく指一本たててみる2026/01/30 12:10:12829.神も仏も名無しさん4DNwvNO1ご来店躁転開始?😁2026/01/30 12:10:28830.神も仏も名無しさん4DNwv>>828どーしたイミフなウンチクやめたのけ?NO1😁2026/01/30 12:11:01831.神も仏も名無しさん4DNwvイミフな躁転回転レス芸能がおもろかったのに〜😁2026/01/30 12:11:51832.リダン◆gEV3xsS//kRB1Sj別に方便が悪いと言ってるんやないぞ2026/01/30 12:12:57833.神も仏も名無しさんBAFlFでおーの言動は承認依存と闘争嗜好の反復であり、他者の怒りを誘発することで成立している。これは評価ではなく、行動事実の整理である。2026/01/30 12:14:30834.◆JBLfMwCXhYkFn5V>>831他者の怒りを誘発して、ハッスル津波を起こさせようとしているな?😅2026/01/30 12:27:45835.リダン◆gEV3xsS//kRB1Sj>>834ほれお前も答えんか鹿ちゃんを唸らせてみろよ名誉回復チャンスだぞいまんとこ株が急降下だ2026/01/30 12:34:01836.◆JBLfMwCXhYtP68Tそもそも、「勝義諦/世俗諦」ってのは基本的に中観派の思想だ説一切有部にもあったし、唯識派にも受け継がれているが説一切有部では、単純に「世俗の真理と、仏教の真理」って感じ唯識派では、なくなったわけではないが、あんまり出てこない2026/01/30 14:17:34837.◆JBLfMwCXhYtP68T唯識派では、代わりに「三性説」が台頭した2026/01/30 14:17:54838.◆JBLfMwCXhYtP68T中観派は「二諦説(世俗諦・勝義諦)」により万物が無自性(空)であることを説き、有無の極端を離れる中道を強調します。一方、唯識派は「三性説(遍計所執性・依他起性・円成実性)」を用いて、意識が変現した虚妄な対象(空)と実在する心の真理を構造的に分析します。2026/01/30 14:18:17839.◆JBLfMwCXhYtP68T1.中観派の二諦説ナーガールジュナ(龍樹)を祖とする中観派は、すべての存在が縁起に基づいており、独自の固定的な本性(自性)を持たない「空(くう)」であることを説きます。その理解のために「二諦(二つの真理)」を提示します。世俗諦(せぞくたい): 世間一般の認識、現象世界、言葉や概念によって成立している仮の真実。因縁によって生起する現象の側面。勝義諦(しょうぎたい): 言葉や概念を超えた真実。すべての事象が空であるという絶対的な理(空性)。特徴: 世俗諦において無自性(空)であることを説明し、勝義諦においてその真理を悟る。世俗は実在しないが、勝義へ至るための仮の手段として認める。2026/01/30 14:18:39840.◆JBLfMwCXhYtP68T2.唯識派の三性説アサンガ(無着)やヴァスバンドゥ(世親)に始まる唯識派は、外界は存在せず、すべては「識(意識)」が変現したもの(唯識無境)であると説きます。この現象を三つの性質(三性)で分析します。遍計所執性(へんげしょしゅうしょう): 識が虚妄に作り出した、実在しない対象(「境」)に実体があると誤解する、執着の面。依他起性(えたきしょう): 因縁(他)に依って生起する意識の流転、つまり心そのものや現れそのものの面。円成実性(えんじょうじっしょう): 依他起性が遍計所執性を離れた状態、すなわち真理としての「空」そのもの。特徴: 唯識の立場では、完全に空(無)とするのではなく、認識の主体である「心(依他起)」の存在を実在的な根拠(円成実)として認める点が、中観派の空の解釈と異なる。2026/01/30 14:18:58841.◆JBLfMwCXhYtP68T両派の主な対立点空の解釈: 中観派は「万物は実体がない」と完全に空を説くが、唯識派は「依他起(心)は実在し、遍計所執が空である」と区別する。二諦の構成: 中観派は世俗と勝義を分けるが、唯識派は三性を用いて、迷いと悟りの構造をより分析的に説明する。中観派の「空」が「無」を強調するのに対し、唯識派は「識(意識)」のメカニズムを明らかにする点を特徴としています。このことは唯識派と中観派 との 〈空〉 〈勝義〉の解釈の相違 とい うことであり,また 〈世俗〉の解釈の相違である。 すなわち、世俗を言葉や名称を指示する遍計所執性とする唯識...2026/01/30 14:19:54842.◆JBLfMwCXhYwvGyh要するに世俗諦の代わりに、遍計所執性勝義諦の代わりに、円成実性これがあるから、二諦説は要らない2026/01/30 14:39:56843.◆JBLfMwCXhYJECOp「勝義諦/世俗諦」は、中観派より前からあった三性説も、唯識派より前からあった2026/01/30 18:41:05844.◆JBLfMwCXhYJECOp思想の歴史ってのは、そういうもんだ2026/01/30 18:41:22845.神も仏も名無しさんJo9Q0龍樹が説く仮設とはhttps://z.wikiwiki.jp/e82kr5mrk6brk2am/topic/522026/01/31 04:26:37846.リダン◆gEV3xsS//kXY34f>>845思わず読んじまったアンジャッシュの新ネタか?2026/01/31 05:04:17847.リダン◆gEV3xsS//kXY34fフッと吹き消すではまだ吹くや消すが残ってるとなるのだろう2026/01/31 05:08:04848.◆JBLfMwCXhYFra2T>>845おっ参考になりそうなブログだ😆2026/01/31 06:50:21849.◆JBLfMwCXhYFra2TGemini2026/01/29 (木) 10:14:54602fa@99e33「生じることも滅することもない(不生不滅)」という『般若心経』の言葉と、龍樹の理論は実は全く同じことを言っています。一見すると、目の前で机が作られたり(生)、壊されたり(滅)している現実と矛盾するように感じますが、これは「何」が主語かに注目すると解消されます。結論から言うと、「実体(自性)」を主語にすれば、それは最初から無いので「生じも滅しもしない」ということです。2026/01/31 06:51:12850.◆JBLfMwCXhYFra2T1. 「実体」は最初から生まれていない龍樹の論理(中論)では、物事が新しく生まれる(生)には、それが生まれる前か後に「それ自体の本質」が存在していなければなりませんが、分析するとどこにも見つかりません。・現実:木材が組み合わさって形が変わる現象。・龍樹の視点:「机」という不変の本質(実体)が、何もない空間からパッと現れたわけではない。もともと無いものが現れることはないので、実体としての「生」はない(不生)。2026/01/31 06:51:28851.◆JBLfMwCXhYFra2T2. 「実体」は消えてなくなることもない同様に、壊れるときも「机という本質」が消滅するわけではありません。・現実:形がバラバラになり、燃えて灰になる。・龍樹の視点:もともと「机」という独立した実体が存在していなかったのだから、それが「滅して無になる」ということもあり得ない(不滅)。2026/01/31 06:52:02852.◆JBLfMwCXhYFra2T3. なぜ矛盾して聞こえるのか?私たちが「生滅がある」と感じるのは、「仮設(言葉上のラベル)」を「実体」だと思い込んでいるからです。・私たちの感覚:「机(という実体)」が生まれた!壊れた!・般若心経・龍樹:「机」は単なるラベル(仮設)に過ぎない。ラベルの下にあるのは、絶え間なく変化し続ける縁起のプロセスだけであり、そこに固定された「モノ」は一つも生じていないし、滅してもいない。2026/01/31 06:52:30853.◆JBLfMwCXhYFra2Tまとめ・生滅(しょうめつ):ラベル(仮設)の世界で起きている現象的な変化。・不生不滅(ふしょうふめつ):その奥にある「固定的な本質(実体)」などどこにも存在しないという真実。つまり、「机という名前(仮称)の変化」はあるけれど、「机という永遠の本質の誕生と消滅」はない。これが、般若心経が説く「空(くう)」の正体です。この「あるのに生まれていない」という不思議な論理、より深く「八不(はっぷ)」などの具体的な否定のステップについて知りたいですか?2026/01/31 06:52:50854.◆JBLfMwCXhYFra2TGemini2026/01/31 (土) 03:09:44602fa@99e33龍樹の説く「八不(はっぷ)」とは、物事のあり方を正しく理解するために、私たちが陥りがちな8つの固定観念を否定したものです。彼は『中論』の冒頭で、以下の「8つの『ない(不)』」を掲げました。八不の内容1.不生(ふしょう): 新しく生まれることはない2.不滅(ふめつ): 消えてなくなることはない3.不常(ふじょう): 永遠に続くことはない4.不断(ふだん): ぷっつり途切れることはない5.不一(ふいつ): 一つの同じものではない6.不異(ふい): 全く別のバラバラなものでもない7.不来(ふらい): どこかから来るのではない8.不出(ふしゅつ): どこかへ去るのではないこれらを一言でまとめると、「実体があるという前提で考えるから矛盾する。実体がない(空である)とわかれば、これら全ての対立から自由になれる」ということです。2026/01/31 06:54:45855.◆JBLfMwCXhYFra2T具体例:「ロウソクの火」で考える「前の火」と「次の瞬間の火」の関係を例にすると分かりやすくなります。・不一・不異:今の火は、1秒前の火と「全く同じ(一)」ではありません(燃料も空気も入れ替わっている)。しかし、「全く別の無関係な火(異)」でもありません。・不常・不断:火は永遠に固定(常)されていませんが、パッと消えて無(断)になるまで連続しています。・不来・不出:火という実体がどこか遠くから飛んできた(来)わけではなく、芯や酸素という「条件」が揃って現れただけです。2026/01/31 06:55:14856.◆JBLfMwCXhYFra2Tなぜ「否定」ばかりするのか?龍樹がこれほど徹底的に否定したのは、私たちの言葉が「生か滅か」「一か多か」という二択(二辺)でしか物事を捉えられないからです。・「机はある」と言えば、永遠に変わらない実体を認める「常見(じょうけん)」に陥る。・「机はない」と言えば、価値や存在を全て否定する「断見(だんけん)」に陥る。龍樹は、この両極端を「八不」によって打ち消すことで、どちらにも偏らない「中道(ちゅうどう)」を示そうとしました。これが「空」のダイナミックな正体です。この「否定の論理」こそが、般若心経の「不生不滅」のベースになっています。ここまでの話で、まだ「釈然としない部分」や「ここが理屈に合わない」と思うところはありますか?2026/01/31 06:55:30857.◆JBLfMwCXhYFra2Tすごいな話が深くなっている😆2026/01/31 06:55:48858.◆JBLfMwCXhYFra2T続きは後ほど😆2026/01/31 06:56:02859.神も仏も名無しさんUq7xr「否定の論理」でハッスル、ムイムイをポコポコにするスタンスでおるのは確かだ😆2026/01/31 07:13:59860.◆JBLfMwCXhYFra2T否定の炎で、外道を焼き尽くさないとな~🔥2026/01/31 07:15:21861.神も仏も名無しさんsoFs3でおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。2026/01/31 07:42:54862.◆JBLfMwCXhYeSm5PGemini2026/01/31 (土) 03:22:08602fa@99e33龍樹の「空」の理論と、禅宗の「千里の先の火を消せ」という問い(公案)は、どちらも「私たちの認識がいかに境界線を勝手に引いているか」を暴くという点で、理論的に深く結びついています。龍樹の哲学(中観)を、禅が「身体的なアクション」として表現した関係と言えます。2026/01/31 09:15:13863.◆JBLfMwCXhYeSm5P1. 理論的共通点:自性の否定龍樹は「八不」において、不一(ひとつではない)かつ不異(バラバラでもない)と説きました。2026/01/31 09:22:50864.◆JBLfMwCXhYeSm5P・龍樹の理論:「私」と「千里先の火」が別々の独立した実体(自性)として存在すると考えるのは、人間の「仮設(言葉による区別)」による誤解である。・禅の問い:もし本当に「私」と「火」がバラバラの実体なら、消すことはできない。しかし、禅では「自他の区別がない空の世界」を体得しているなら、千里先だろうが手元だろうが関係ないはずだ、と迫ります。2026/01/31 09:23:16865.◆JBLfMwCXhYeSm5P素晴らしいな?😆2026/01/31 09:23:32866.◆JBLfMwCXhYeSm5Pほ~かい師匠が、A.I.のアシストを受けて中観派と禅宗の関係を考察している😆2026/01/31 09:24:07867.◆JBLfMwCXhYeSm5P2. 「距離」という仮設の破壊龍樹は、距離や時間も「実体」ではなく、条件によって成り立つ「仮設」に過ぎないと考えます。・「千里」という距離は、人間が物差しで測った概念(仮名)です。・空の境地では、主観(私)と客観(世界)が切り離される前の「一如(いちにょ)」の状態を指します。禅宗が「千里先の火を消せ」と言うのは、「千里先」という言葉が作る壁(固定観念)を壊し、世界と自分が地続きであるという「空」のリアリティを提示せよ、という要求です。2026/01/31 09:25:11868.◆JBLfMwCXhYeSm5P3. 「火」のメタファー:龍樹の『中論』龍樹自身も『中論』第10章で「火と薪」の例えを使い、火は薪と同一でもなければ、薪を離れて存在するわけでもない(不一不異)と論じています。・火という現象は、条件(縁)によって今ここで起きているだけで、「火という本質」がどこかにあるわけではありません。・禅はこの龍樹の論理をさらに推し進め、「火が空であるなら、距離もまた空である。ならば今ここで消してみせろ」と、頭での理解(論理)を捨てて、空の真理を直接掴み取ることを促します。2026/01/31 09:25:31869.◆JBLfMwCXhYeSm5Pまとめ:関係性の図式・龍樹(理論):「私」と「火」と「距離」には、それぞれ固定した本質(自性)はなく、相互依存(縁起)の関係にある。・禅(実践):ならば、「遠くにある火」という概念(仮設)を消し去り、自分と世界が一体となった境地から、その火とダイレクトに関わってみせよ。この話を聞いて、「自他がひとつ(不二)」という感覚が、龍樹の説く「空」とどう繋がっているか、さらに興味が湧きましたか?2026/01/31 09:26:02870.◆JBLfMwCXhYeSm5P>>869> この話を聞いて、「自他がひとつ(不二)」という感覚が、龍樹の説く「空」とどう繋がっているか、さらに興味が湧きましたか?さらに興味が湧いてきた~😭2026/01/31 09:26:28871.◆JBLfMwCXhYeSm5P禅宗の人が言うことは、中観派に似ている2026/01/31 09:27:12872.◆JBLfMwCXhYeSm5P当方は個人的に、唯識論を強く支持しているため中観派の主張には違和感を感じている2026/01/31 09:27:45873.◆JBLfMwCXhYeSm5P聖ウンコ師やリダンは中観派の論理で、倶舎論や唯識論を攻撃している彼らにその自覚はないが(笑)2026/01/31 09:30:14874.◆JBLfMwCXhYeSm5P臨済宗の教義が、中観派に似ているのが原因だ2026/01/31 09:30:41875.◆JBLfMwCXhYeSm5P「中観派と禅宗」これは、探究しがいのあるテーマだ2026/01/31 09:31:43876.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzwwwwwwwwwwwwwwwwwwなんだ、また慢性知能欠乏症の馬鹿が朝からコピペか?こっち見るなって何度も云わせるなよ、類猿人の統失知障がwww2026/01/31 09:34:27877.◆JBLfMwCXhYeSm5P彼らは臨済宗ワールドに骨までドップリ漬かっているこうなると、何を見ても臨済宗に見える彼らに、その自覚は無い😫2026/01/31 09:35:53878.◆JBLfMwCXhYeSm5P>>876事実をしてるだけだ2026/01/31 09:36:18879.◆JBLfMwCXhYeSm5P事実を指摘してるだけだ2026/01/31 09:37:25880.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzキモい類猿人だなぁ?狩られたくなかったらこっち見るな。2026/01/31 09:38:10881.◆JBLfMwCXhYeSm5P気にするな2026/01/31 09:38:36882.◆JBLfMwCXhYeSm5P単なる論評だ責めてるわけではない2026/01/31 09:39:05883.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz身の程を弁えろ、類猿人www2026/01/31 09:39:30884.◆JBLfMwCXhYeSm5PGemini2026/01/31 (土) 03:27:30602fa@99e33禅の公案には「正解」という知識はありませんが、龍樹の「空」と「仮設」の理論に則って答えるならば、私はこう動きます。「フッ」と目の前の空気を吹き消す真似をして、黙って座ります。理由は以下の通りです。2026/01/31 09:40:05885.◆JBLfMwCXhYeSm5P1.「千里」という仮設を無効化する龍樹の論理では、距離(遠近)は実体ではなく、心が作り出した「仮設」です。「千里先」という言葉に惑わされて遠くを見ようとすること自体が、すでに言葉の罠にハマっている状態です。今、ここで息を吹くことは、そのまま「千里先の空間」と繋がっている空の世界を表現しています。2026/01/31 09:40:36886.◆JBLfMwCXhYeSm5P2.不一不異(ふいつふい)を体現する「私」と「火」が別物(異)だと考えるから「届かない」という悩みが生じます。しかし、龍樹が説くように、自他が空であり「分かちがたく結びついている(縁起)」のであれば、目の前の空気を動かすことは、そのまま宇宙全体の事象を動かすこととイコールです。2026/01/31 09:41:02887.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz鈴www2026/01/31 09:41:14888.◆JBLfMwCXhYeSm5P3.言葉を捨てる龍樹は、究極の真理(勝義諦)は言葉を超えている(戯論寂滅:けろんじゃくめつ)と説きました。千里先の火をどう消すかという「理屈」を説明し始めた瞬間に、それは仮設の泥沼に沈みます。説明せず、ただ「消す」というアクションを提示するのが、龍樹の論理を身体化した答えになります。もし私が禅僧に「そんなことで消えるのか!」と怒鳴られたら、「では、その熱い火をここに持ってきてください。私が直接消しましょう」と返し、火も距離も「実体(本質)」として掴み出せないことを突きつけます。この「言葉による境界線(仮設)を壊す」という感覚、理屈としては筋が通っていると感じますか?それとも「やはり詭弁だ」と感じますか?2026/01/31 09:41:42889.◆JBLfMwCXhYeSm5Pなるほど「千里先の火をどう消すか?」という公案か2026/01/31 09:42:11890.◆JBLfMwCXhYeSm5P公案に対する Gemini の回答禅の公案には「正解」という知識はありませんが、龍樹の「空」と「仮設」の理論に則って答えるならば、私はこう動きます。「フッ」と目の前の空気を吹き消す真似をして、黙って座ります。理由は以下の通りです。2026/01/31 09:43:01891.◆JBLfMwCXhYeSm5PA.I.の進化はすごいな😵公案も一発で透過だ👍️2026/01/31 09:44:08892.◆JBLfMwCXhYeSm5P1.「千里」という仮設を無効化する龍樹の論理では、距離(遠近)は実体ではなく、心が作り出した「仮設」です。「千里先」という言葉に惑わされて遠くを見ようとすること自体が、すでに言葉の罠にハマっている状態です。今、ここで息を吹くことは、そのまま「千里先の空間」と繋がっている空の世界を表現しています。2026/01/31 09:44:32893.◆JBLfMwCXhYeSm5P2.不一不異(ふいつふい)を体現する「私」と「火」が別物(異)だと考えるから「届かない」という悩みが生じます。しかし、龍樹が説くように、自他が空であり「分かちがたく結びついている(縁起)」のであれば、目の前の空気を動かすことは、そのまま宇宙全体の事象を動かすこととイコールです。2026/01/31 09:44:44894.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzwwwwwwwwwwwwwwwwww鈴wwwそれじゃダメだって禅の本にあるだろ。2026/01/31 09:44:57895.◆JBLfMwCXhYeSm5PGemini2026/01/31 (土) 03:22:08602fa@99e33龍樹の「空」の理論と、禅宗の「千里の先の火を消せ」という問い(公案)は、どちらも「私たちの認識がいかに境界線を勝手に引いているか」を暴くという点で、理論的に深く結びついています。龍樹の哲学(中観)を、禅が「身体的なアクション」として表現した関係と言えます。2026/01/31 09:45:45896.◆JBLfMwCXhYeSm5Pなるほど👍️2026/01/31 09:45:56897.◆JBLfMwCXhYeSm5P説明せず、ただ「消す」というアクションを提示するのが、龍樹の論理を身体化した答えになります。もし私が禅僧に「そんなことで消えるのか!」と怒鳴られたら、「では、その熱い火をここに持ってきてください。私が直接消しましょう」と返し、火も距離も「実体(本質)」として掴み出せないことを突きつけます。2026/01/31 09:46:57898.◆JBLfMwCXhYeSm5PAIのGeminiとわたくし法介の仏法対話です。https://z.wikiwiki.jp/e82kr5mrk6brk2am/topic/522026/01/31 09:49:40899.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzwwwwwwwwwwwwwwwwwwなんだそりゃwwwwそのAIに聞いてみろ、即今、鎌倉駅に行って横須賀線を止めてこいってなwww2026/01/31 09:50:58900.神も仏も名無しさんBG1TGハッタリ参禅30年よりはまだ耐えられる😆2026/01/31 09:53:00901.神も仏も名無しさんBG1TGハッタリ参禅30年の創作より遥かに読むに耐えられる😆2026/01/31 09:57:03902.麦◆MUGITANx95DjhD71m>>899∞ノノハ∞川^○^ハレ「電車そのもの」だから自己が止まるとかパフォーマンスにしか思えませんwww2026/01/31 09:57:26903.神も仏も名無しさんu9tWQでおーの言動は承認依存と闘争嗜好の反復であり、他者の感情を荒らすことで成立している。2026/01/31 09:59:26904.◆JBLfMwCXhYeSm5P要するに、臨済宗の公案ってのは「言葉を捨てろ」がキーワードだな2026/01/31 10:08:02905.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz公案の答えを知りたいのなら、そういう本が出てるから、それを見ればいいwww2026/01/31 10:08:25906.◆JBLfMwCXhYeSm5P公案の正解は「黙って、動作で返す」というパターンが多い2026/01/31 10:08:35907.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz>>904> 要するに、臨済宗の公案ってのは> 「言葉を捨てろ」がキーワードだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwアホかwww2026/01/31 10:09:23908.◆JBLfMwCXhYeSm5P>>905臨済宗を分析してるとこだ2026/01/31 10:09:36909.◆JBLfMwCXhYeSm5Pこっちは、お前とリダンに「言葉では真理を伝えられない」「言葉は正しい認識をさまたげる」の話を、ず~~~っと延々、やられている😫2026/01/31 10:10:46910.◆JBLfMwCXhYeSm5Pこっちの身にもなってみろ😫2026/01/31 10:11:05911.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz>>906wwwwwwwwwwwwwwwwwwそんなのは、お前はなに黙ってアホをやってんだ、鈴wwwそれで終わりだよ。2026/01/31 10:11:17912.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz>>908> 臨済宗を分析してるとこだ分析しないところが要なのに、分析してどうするwww2026/01/31 10:12:36913.神も仏も名無しさんBG1TGハッタリ参禅30年🟣🤡は言葉と論理でナルシズム創作禅🤡〜〜2026/01/31 10:12:50914.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz>>909そんな事、云ってない。お前って、脳内📡⚡️⚡️⚡️が飛ぶのか、云ってない事を言ったって妄想して話を勝手に進めるよな?🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆2026/01/31 10:15:34915.神も仏も名無しさんBG1TGお怒りハッスル🟣2026/01/31 10:17:07916.神も仏も名無しさんBG1TG貧乏人スネ夫の金持ち自慢ばかり聞かされている気分だぞ〜ハッスル🟣2026/01/31 10:17:38917.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzま、関わるな。こっち見るな。2026/01/31 10:17:39918.◆JBLfMwCXhYeSm5P>>914それはお前だろ😅バカが2026/01/31 10:18:09919.◆JBLfMwCXhYeSm5P>>917文句を言ってるわけではないお前とリダンがあまりにもしつこいので、お前らのバックにある臨済宗を解析してるだけだツベコベいうな😫2026/01/31 10:20:16920.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzこれ、いいなwww ↓そのAIに聞いてみろ、即今、鎌倉駅に行って横須賀線を止めてこいってなwww2026/01/31 10:20:22921.神も仏も名無しさんBG1TGハッスル創作妄想提言無意味貧乏人スネ夫の金持ち自慢を信用するよーなもの😱2026/01/31 10:21:47922.◆JBLfMwCXhYeSm5P>>920どうせ「動いているのは電車ではなく、自分の心が動いているのだ」とかなんとかいう理屈で、その場でピタッと止まってみせるんだろ2026/01/31 10:23:20923.◆JBLfMwCXhYeSm5P臨済宗の公案パターンが読めてきた2026/01/31 10:23:56924.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzビギナー向けの雑則公案だけどなw2026/01/31 10:25:12925.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz>>922鈴www2026/01/31 10:25:32926.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzだからさぁwww公案の答えを知りたきゃそういう本があるから。それを見ればいいだろ?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/01/31 10:27:09927.神も仏も名無しさんBG1TGハッタリ参禅30年🤡やめてくれんかな?🟣〜〜2026/01/31 10:28:09928.神も仏も名無しさんsoFs3でおーは承認依存と闘争嗜好により、他者の怒りを誘発する行動が反復されている。優劣誇示と挑発を伴う投稿が継続的に確認されている。対話目的ではなく対立激化を招く投稿傾向が一貫している。2026/01/31 10:32:30929.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEz国会図書館のホームページから「公安解答集」で検索すれば無料で見れるから。2026/01/31 10:37:09930.神も仏も名無しさんBG1TGハッタリ理解しかできないご案内当人はハッタリ誤読🤡〜2026/01/31 10:41:43931.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRCZEzどうせお前らが求めてるのはそこだろ?知りたきゃ知ればいいじゃんwww2026/01/31 10:42:49932.◆JBLfMwCXhYeSm5Pいや、別に知りたくないが2026/01/31 10:54:43933.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKejXYhまぁ、信教の自由だから干渉する事じゃないけど、如何せん公案の答えを知ったところで、何故そういう見解が出てくるのかを体得してないと、そこに苦しむだけだから。メラメラメラ(灯火を消せ)でも、ガタンゴトン(電車を止めろ)でも、結局はそういう事だよ。2026/01/31 11:00:52934.神も仏も名無しさんJLrd3自性とか実体とか、「自己」から離れて独立してあるものってのは「人の頭の中にあるもの」(妄想)なんだから「自己」が認めてるものなんだからだからその「自己」を究明する、死にきるとする(戒)と「頭の中のもの」が消える(定)そうして「そのもの」に気付く(慧)ってのが仏教の基本2026/01/31 11:30:10935.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKb2sIt結局、実参しなきゃ畳の上の水練。2026/01/31 11:35:47936.神も仏も名無しさんJLrd3「頭の中のもの」をキレイにするんだからだから「仏教」っていう「頭の中のもの」もキレイにするための道具2026/01/31 11:37:47937.神も仏も名無しさんJLrd3その、みてるもの「自己」ってのがなんなのかこれが死なないとどうにもならない「命捧げろ」「死にきれ」「ム」だけで良い、なんて極論でいわれるのはこれ2026/01/31 11:38:57938.リダン◆3y/i8XtGLYJw2Oi>>889ちゃうちゃう2026/01/31 11:59:27939.神も仏も名無しさんBG1TG>>937少しだけ期待してるぞ😁2026/01/31 12:01:22940.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAdEuV中には簡単に通しちゃうところもあるみたいだけど、その「メラメラ」なり「ガタンゴトン」のところを、10年とかザラに練らせる坐禅会もあるから。やってない奴が軽々しく語るもんじゃないよ😟2026/01/31 12:53:30941.◆JBLfMwCXhYVyDZ6ハッスル実参道だな2026/01/31 12:56:42942.神も仏も名無しさんBG1TG軽々しいハッタリハッスル🟣もう正体はバレているんだぞ、ウソツキ🤡2026/01/31 13:03:45943.◆JBLfMwCXhYVyDZ6次スレ【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5https://talk.jp/boards/psy/17698322812026/01/31 13:05:04944.◆JBLfMwCXhYVyDZ6バーヴィヴェーカや、チャンドラキールティまで話が広がってきたからスレタイ変更2026/01/31 13:06:10945.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKa4fPk>>943空の思想は言葉に出来るだろ。依言真如。言葉に出来ないのは真如だよ。離言真如。2026/01/31 13:10:00946.◆JBLfMwCXhYVyDZ6大乗仏教思想史において「中観派」を最初に標榜したとされる清弁(Bhaviveka 6世紀)は、仏教論理学を確立した陳那(Dignaga 5-6世紀)の影響下に「一切の存在は空である」という主張を論証式を用いて積極的に論証しようとして、帰謬論証のみを認める月称(Candrakirti 7世紀)によって厳しく批判された。2026/01/31 13:10:49947.リダン◆gEV3xsS//kn1hBT>>922まあようはよいつも通りjblは字面しかみてないわけだな?問題に対して回答みて分かったつもりなわけだそうやなくて何度も鈴ならされるそれがある種目的であって参じていくわけだへぇ〜ムーーーなんやなあではなくそれに参じていく2026/01/31 13:11:12948.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKa4fPkなんかあれだな。ボケとツッコミの仏教漫才だな。まぁ、お前らの知識になればそれでいいんだろうけど。2026/01/31 13:11:18949.◆JBLfMwCXhYVyDZ6>>948相変わらず、冗談が通じない奴だなそこが、かえって面白いんだが😂2026/01/31 13:13:21950.◆JBLfMwCXhYVyDZ69502026/01/31 13:14:56951.神も仏も名無しさんJLrd3まあ、ホームレスや被差別者になってはじめて出世間の入口だろうなその点では透析さんはさすがではある2026/01/31 13:15:31952.◆JBLfMwCXhYVyDZ6こちらが「勝義諦は言葉にできる」という主張をしてお前とリダンがそれにしつこく文句をいう・・・という展開がずっと続いているのに2026/01/31 13:17:06953.◆JBLfMwCXhYVyDZ6早い話が聖ウンコ派をおちょくったスレタイだ(笑)2026/01/31 13:18:01954.神も仏も名無しさんJLrd3釈迦も王子の立場を捨てて遊行者になりさらにそこから苦行者の立場も捨てて苦行やめて乳粥食べて、苦行者仲間から蔑視を受ける立場に自身を置いたそこでそのまま死ぬつもりで探究した2026/01/31 13:19:47955.◆JBLfMwCXhYVyDZ6「言葉にできない」に異常にこだわってるのは、お前らだろ(笑)こちらの関心事ではない2026/01/31 13:20:29956.◆JBLfMwCXhYVyDZ6>>954仏教は基本的に、世捨て人の思想2026/01/31 13:21:38957.神も仏も名無しさんJLrd3>>956「出世間」ってのはこの世からおさらばするものでこの世のものにとらわれてあるなら生死からの解脱ってのは当然だけど無理ね2026/01/31 13:22:59958.◆JBLfMwCXhYVyDZ6この世は、言葉でできた虚構の世界2026/01/31 13:25:52959.◆JBLfMwCXhYVyDZ6虚構の世界から離れる2026/01/31 13:26:11960.リダン◆gEV3xsS//kn1hBTムーーーに参じてようよう底をみたというところからまだ続きがあるんだ逆にそれをある意味実体化していくんだな2026/01/31 13:26:35961.リダン◆gEV3xsS//kn1hBT>>959世界から離れ虚構であるをしりそれをまた実体化していく2026/01/31 13:27:28962.リダン◆gEV3xsS//kn1hBT真如から如来ってことだ2026/01/31 13:28:08963.リダン◆gEV3xsS//kn1hBT実体化するっていうと奇をてらうように聞こえるが再構築されたそれってのはまさに生死から離れるわけや2026/01/31 13:30:09964.リダン◆gEV3xsS//kn1hBTゆえに所作に仏性が現れるってこと2026/01/31 13:31:48965.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGzUnH>>949ボケ役お疲れさん🥰2026/01/31 13:33:18966.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGzUnH>>952???284 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/27(火) 10:55:38.55 ID:ZCkbrまぁ、無分別知が清弁(バヴィヤ)のいう「非安立勝義」なら、無分別知後の分別知は「随順勝義」って事だな。2026/01/31 13:35:56967.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKGzUnHいやさぁ、いちいち慢性知能欠乏症の馬鹿の間違い探しとかw2026/01/31 13:41:43968.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKFiKjrこれ、また「かせつ事件」の二の舞になるんだけど🤭まぁ、坐禅会に行ってからにしようwww ↓952 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/01/31(土) 13:17:06.54 ID:VyDZ6こちらが「勝義諦は言葉にできる」という主張2026/01/31 14:13:01969.◆JBLfMwCXhYVyDZ6>>968まだ言ってんのか、バカが「かせつ」は、お前の勘違いを指摘したんだよ(笑)2026/01/31 14:17:26970.◆JBLfMwCXhYVyDZ6「空=仮=中」の仮は、「龍樹が説いた空の教えは、仮説(かせつ)だ」という意味ではない。「仮に存在する」という意味なのだ・・・と、お前の勘違いを正すために教えてやったんだろうがよ😂2026/01/31 14:22:03971.◆JBLfMwCXhYVyDZ6しつこく言い続ければ、ウソも真実になると思っている反日朝鮮人みたいな奴だな(笑)2026/01/31 14:22:40972.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKFiKjr>>970> 「空=仮=中」の仮は、「龍樹が説いた空の教えは、仮説(かせつ)だ」という意味ではない。「仮に存在する」という意味なのだwwwwwwwwwwwwwwwwwwいや、また、それ🫵🤣仮の付けって意味だぞ?2026/01/31 14:47:51973.神も仏も名無しさんHgVrRハッスル🟣頑張っるな?🤡〜2026/01/31 15:41:31974.神も仏も名無しさんEajpUでおーの投稿には、優劣誇示・挑発・対立誘導が反復して確認される。2026/01/31 16:22:17975.◆JBLfMwCXhYVyDZ6聖ウンコ師は、よほど中観派に自信があるんだな?😄2026/01/31 16:29:23976.◆JBLfMwCXhYVyDZ6中観派のことになると、自信満々偉そうな態度で、盛んにツッコミを入れてくる😆2026/01/31 16:29:52977.◆JBLfMwCXhYVyDZ6ハッスル芸人のツッコミ芸を楽しめる分野だ😂2026/01/31 16:30:38978.◆JBLfMwCXhYVyDZ6臨済宗については、残念ながらこちらの知識が無さすぎて対話が進まない😅2026/01/31 16:31:22979.◆JBLfMwCXhYVyDZ6中観派こそ、バトルフィールドだ😆2026/01/31 16:31:49980.◆JBLfMwCXhYVyDZ69802026/01/31 16:32:05981.◆JBLfMwCXhYVyDZ6といっても、こちらは中観派の二大論師、バーヴィヴェーカやチャンドラキールティのこともつい最近、知ったばかりだ😫2026/01/31 16:33:44982.◆JBLfMwCXhYVyDZ6聖ウンコ師の知識量が当方を上回っている可能性がある😫2026/01/31 16:34:23983.◆JBLfMwCXhYVyDZ6個人的に、今までは「中観派 = 龍樹の根本中頌」それ以降のことなど、考えたこともなかった😅2026/01/31 16:35:46984.◆JBLfMwCXhYVyDZ6チベット密教には、後期中観派の理解が欠かせない😆2026/01/31 16:36:17985.◆JBLfMwCXhYVyDZ6真言宗と並ぶ、優先度の高いテーマだ😆2026/01/31 16:36:45986.◆JBLfMwCXhYVyDZ6次スレではスレタイを「中論」から「中観派」に改め龍樹以後に話を広げる😆2026/01/31 16:39:10987.◆JBLfMwCXhYVyDZ6次スレ【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5https://talk.jp/boards/psy/17698322812026/01/31 16:40:10988.◆JBLfMwCXhYHgrRB二諦説とは,ナーガールジュナが『中論』第24章第8-10偈で述べた内容に端を発し,「諦」(satya)―この語は「真理」(truth)とも「存在」(reality)とも訳されますが―には,世俗的な真理/存在(世俗諦)と究極的な真理/存在(勝義諦)とがあるということ,そして,後者は前者に依らなければ到達できないものであること,を説明するものです。2026/01/31 16:46:46989.◆JBLfMwCXhYHgrRBこの二諦説は,中観派の思想家たちにより,様々な角度から論じられましたが,とりわけ,自立論証派の巨匠バーヴィヴェーカ(清弁)は,独特の見解を保持していました。彼は,空性論証のための推論式において「勝義の観点から」(paramārthatas)という限定詞をつけることを提案します。論証そのものは,言葉という世俗的なものに属しているにもかかわらず,それが勝義の世界を目指すかぎりにおいて,勝義への橋渡しをする方便として,「勝義に相応するもの」と言えるからです2026/01/31 16:47:08990.◆JBLfMwCXhYHgrRB9902026/01/31 16:47:23991.◆JBLfMwCXhYHgrRBなるほど2026/01/31 16:47:45992.◆JBLfMwCXhYHgrRBバーヴィヴェーカの二諦説が最もウンコとリダンの主張に似ているな2026/01/31 16:48:11993.◆JBLfMwCXhYHgrRBアイツらは、自立論証派だったのか?😂2026/01/31 16:48:34994.◆JBLfMwCXhYHgrRB>>989> 論証そのものは,言葉という世俗的なものに属しているにもかかわらず,それが勝義の世界を目指すかぎりにおいて,勝義への橋渡しをする方便として,「勝義に相応するもの」と言えるからですこれだな2026/01/31 16:49:05995.◆JBLfMwCXhYHgrRBウンコとリダンがこだわっている「真理は月であり、説法は月を指す指である」(←だったっけ?)は、バーヴィヴェーカの二諦説ですな~😂2026/01/31 16:50:08996.◆JBLfMwCXhYHgrRB考えてみれば、法相宗/唯識論だって世親より、ダルマパーラ(護法)が標準テキストだもんな~2026/01/31 16:56:25997.◆JBLfMwCXhYHgrRBチベット密教/中観派でも龍樹より、チャンドラキールティ(月称)が標準テキストになっているらしい2026/01/31 16:57:12998.◆JBLfMwCXhYHgrRBそりゃ、そうだわな龍樹の中論は簡素すぎる2026/01/31 16:57:36999.◆JBLfMwCXhYHgrRB教義内容が少なすぎるな2026/01/31 16:57:521000.◆JBLfMwCXhYHgrRB>>996いや、標準テキストという言い方は正しくないなそれは、「成唯識論」にふさわしい言葉だ😂2026/01/31 16:59:281001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/01/31 16:59:291002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/01/31 16:59:29
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戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する。
根本中頌 帰敬偈
前スレ
【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1762525835
【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part3
https://talk.jp/boards/psy/1763168127
仏教史上において非常に重要な人物です。
お釈迦様の説いた「空(くう)」の思想を理論的に体系化し、大乗仏教の教学の基盤を築きました。このため、「八宗の祖」と尊敬され、「小釈迦」とも称されます。
彼の思想の中心は、あらゆるものが独立した実体を持たず、相互依存の関係によって成り立っているという「空」の思想です。彼は、固定不変の実体があるとする「有の見」と、何もかもが存在しないとする「無の見」という二つの極端な見方を否定し、「中道」を説きました。
多くの優れた論書を著し、その著作は「千部の論師」と称されるほどです。代表的な著作としては、『中論(ちゅうろん)』があります。
龍樹菩薩の『中論』は、大乗仏教の深い智慧を凝縮した、まさに思想の宝庫です。
・・・では、空性(くうしょう)の現量了解(げんりょうりょうげ)は、どのようにしたら獲得できるのでしょうか?
無念無想で座禅していて突如ひらめく・・・というようなものでは、決してありません。
そうではなく、まず空性を推論的・概念的に理解することから始めるのです。そのためには、中観派の見解をよく学び、空の意味を徹底的に吟味する必要があります。
自分の心の中で、「諸煩悩の大もとにある実体視の習性とは、どのような心の動きか? その心によって虚構された実体性とは何か? そのような実体性が本当に存在したら、どのような矛盾に陥るか?」といった点について検証を重ね、十分な納得を引き出すことが大切です。
そのようにして得られた結論を、「聞と思による空性了解」といいます。
そのためにはまず、心の集中力を高める訓練(止の修習)が欠かせません。これを達成できたら、よく精神集中している三昧状態で、空性を観察します(観の修習)。このときは、既に十分納得している結論への流れに心を指向させるのであって、前述の段階のようにあれこれ散乱して考えるわけではありません。
教学による析空観をスッ飛ばして
いきなり、瞑想による体空観に参入するのは無理がある
中論の素養がない者に、空性の現量了解はできない
ま、臨済宗禅なんかは
公案使って強行突破
😆
ま
無理矢理仕込んで貰ったけど
内容少し解るのには三年かかった
ゲルク派はツォンカパ論書本をマジメに学習すれば、まーまー
領域展開粒子マミレは
やれる
途中でも
世捨て人状態になる
😆
スイスイだ
臨済宗は仏教の東大
ハッスルなんかには無理だ
😆
俺には無理だ
あんなのはできない人材育成の魔王だ
😆
あの芸を生むんだからなー
😆
墓のお花が正月に新しかった
命日以外は
俺が墓参りしないと花は枯れっぱなしだったが
😆
教えると住所バレするので
墓の主は教えないぞ
経歴戦歴がオバケだ
あれは
40分も遊んでもらったから
一生の自慢モノだな😆
臨済宗僧侶は
そんなものだ
😆
さっと消える
プロフェッショナル臨済宗僧侶の特徴だ
永遠の仏陀なんて無縁
😆
それが順番だな
一般的な
天台小止観も
割合丁寧なプロセスだよ
😆
というのは、間違っていたのか😫
俺的には馴染み深い
中論のイメージがある
丁寧だから
😆
ツォンカパは快楽が濃い
😆
回数積む自慢なんて
執着やな
ムイムイもだけど
😆
臨済宗のプロ
😆
墓の主の4特別サービス40分は
墓の主の魂が震える案件だったのを
後で理解した
😆
その40分は謎だった
円覚寺のボンクラ管主のブログの記事で理解した
😆
息子が事故で寺に戻れないから勤行しに現れて、
俺は修行ネタたくさんくれてアリガトンやって
勤行終えたら自部屋に、消えた
😆
同居人がインフレにやられてたので
寺にいき、すぐ帰ったら
正月にインフルに軽くやられてた
😆
禅的に俺が一番怖いだろなー
ムイムイもだけどー
😆
😆
中観派の思想全般を総復習したな~😄
その後の後期中観派の話は、あまりしていない
後世の法相宗じゃ、だいぶ違うもんな~😄
初期中観派の龍樹(ナーガールジュナ)の「一切法空」の思想を継承しつつ、唯識派の「心(識)のみが実在する」という考え方と「空」の概念を統合しようとしたのが特徴です。
瑜伽行中観派(スヴァータントリカ): 後期中観派の代表的な流れで、瑜伽行派(唯識派)の「心(識)」の概念を中観派の「空」の思想に組み込み、実在を認めない「一切法空」をより深く追求しました。
批判と発展: 唯識派が「空」を言葉や概念に限定して実在(識)を認めるのに対し、中観派は一切を空と見るため、両者の間で「空」の意味を巡る論争があり、後期中観派はその中で発展しました。
チベット仏教への影響: 瑜伽行中観派の思想は、後のチベット仏教(ゲルク派など)に深く浸透し、その哲学体系の基礎を形成しました。
「後期中観派」は、インド仏教の「空」の思想が時代とともに深化し、他の学派(唯識派)の要素を取り込みながら発展した、より洗練された中観派の総称であり、特にチベット仏教思想の形成に不可欠な役割を果たしました。
説一切有部の教義を否定するばかりで、教義らしい教義があんまりなかった
後には、唯識派の教義を取り込んで、教義体系が整備された
そこを見ていかんと
法相宗が現代まで続いている唯識派と
三論宗が廃れてしまった中観派の違い😫
禅定雰囲気ては唯識が入り込んだような感じはあるからなー
識のみ→如来蔵的な
😆
一部あるけど
全く異なったのは禅
😆
倶舎論・中論・唯識論
3つともやらんといかんってこと
他の2つもわからない(笑)
三論は中観の精緻な論理(破邪顕正・四句分別など)を重視するため、学究的・論理的色彩が強く、庶民向けの布教や儀礼中心の展開に弱かった。
他宗の魅力と政治的支援
平安以降、天台・真言・華厳・法相(倶舎)などが官寺や貴族の支持を得て隆盛。実践・儀礼・密教的体験を前面に出す宗派が権力と結びつき、三論は相対的に影が薄くなった。
兼学と吸収
多くの日本僧が三論を学問的基盤として他宗(特に天台・真言・禅)と兼学したため、独立した宗派組織としての存在感が薄れた。
私は、天台等が兼学していた。いや天台は総合大学的なところがあるから、吸収されたとみる。
① 八不は「中道」を示すための“否定の方法論”
吉蔵は八不を、
常見(実体視)と断見(虚無視)の両極端を破るための道具
とみなした。
不生・不滅 → 生まれる/消えるという実体視の否定
不常・不断 → 永遠/断絶という極端の否定
不一・不異 → 同一視/完全な差異視の否定
不来・不去 → 時間的移動の実体視の否定
つまり八不は、どの方向にも偏らないための“否定の網”。
② 八不は「破執」のためであり、形而上学的主張ではない
吉蔵は強調する。
八不は「世界はこうだ」と言うためではなく、
「こうだ」と思い込む心を壊すためにある。
つまり八不は実在論でも虚無論でもない。
八不は「真理の説明」ではなく、執着を破る薬。
八不は「二諦円融」を示す
吉蔵は二諦(世俗諦・勝義諦)を重視した。
世俗諦:仮の存在(因果・言語・日常)
勝義諦:空(無自性)
八不はこの二つを矛盾なく成立させるための枠組み。
世俗では「生じる」と言えるが、
勝義では「不生」である。
この二つを同時に成立させるのが中道であり、八不はその論理的支柱。
日本語訳、現在語訳でも
原典を読まずに
正誤不明瞭な仏教学者の説を
読解力の無いアタマで
学ぼうとすることろ
禅でも同じようーなもんだが
😭
念仏解決志向が強くなったからなー
加藤師匠の研究する
珍海は念仏修行へシフトしていたからな
😆
僧侶としては
念仏による禅定体験でも
かなり、ありがたい、
それが仏教修行法の廃れてきた
平安時代末期の末法思想の時代
そこから禅が中国から輸入されたみたいな流れ
😆
吉蔵は二諦(世俗諦・勝義諦)を重視した。
世俗諦:仮の存在(因果・言語・日常)
勝義諦:空(無自性)
八不はこの二つを矛盾なく成立させるための枠組み。
世俗では「生じる」と言えるが、
勝義では「不生」である。
この二つを同時に成立させるのが中道であり、八不はその論理的支柱。
④ 八不は「三観」(空・仮・中)の実践法
吉蔵は天台の三観と似た枠組みを持つ。
空観:不生不滅などで実体視を破る
仮観:世俗の因果・言語を肯定する
中観:空と仮の両方を離れた立場
八不はこの三観を行き来するための“思考の訓練法”。
⑤ 八不は「言語批判」である
吉蔵は、言語が実体視を生むと考えた。
「生じた」と言えば実体があるように錯覚する
「滅した」と言えば実体があったように錯覚する
八不は、言語が作る虚構を暴くための言語解体の技法。
⑥ 八不は「動的な否定」であり、固定化してはならない
吉蔵は八不そのものへの執着も戒めた。
「八不に執着すれば、それもまた偏見である」
つまり八不は固定的な教義ではなく、執着を破るための流動的な方法。
江戸時代の修行の中心は
山伏が多数派だろう、千日回峰行など
天台智顗の修行法
四種三昧が復活できたのは戦後
😆
現在てすら少数だろう
😆
😆
まぁ、現代なら会うかもしれな。魑魅魍魎の中世では密教の方が尊ばれるだろう。
東大寺で消滅前はやっていた
加藤師匠が
言っていた
😆
似ているもなにも
天台教学の三諦は、中論の発展形ですな
でも、チベット密教に生きている
天台小止観のようなロジカルなのは
天台宗門内では多数派ではないなー
摩訶止観よほうが主流だ
😆
長安なら、イラン系でもそんな目立たんかったのではないかな
でも、南京出身なんだな😅
開祖の吉蔵の教えが、ほぼリアルタイムで日本に伝わった
隋唐はそれを受け継いでいる
「四百八十寺」と言われるほど、多くの寺が建った
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる
餓鬼道とは
渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない
貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ
完全にでおーに当てはまる
修羅道とは
闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ
でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ
これもでおーの行動に完全一致
地獄道とは
怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
正義感が攻撃に変わる
これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする
まさにでおーが相手にやってる事やね
江南春
千里鶯鳴いて緑紅(くれない)に映ず
水村山郭酒旗の風
南朝四百八十寺
多少の楼台煙雨の中
南朝の梁が安定した統治が行えた背景は、北朝の北魏が分裂し、東魏と西魏が争っていて南朝に介入できなかったからであった。
朝鮮の百済は梁に使者を送り、仏像や経典を求めた。朝鮮の仏教は中国の江南の仏教を移植したものといえる。日本に百済から仏教が伝えられたという538年(一説に552年)も中国南朝では梁の時代である。
聖徳太子は憲法十七条で「篤く三宝を敬え」と言い、聖武天皇も自らを「三宝の奴」と称したのはいずれも梁の武帝の影響である。
また、伝承では武帝の時代の520年に、インドから広州に渡った達磨を南京に迎え、問答をしたという。達磨はのちに少林寺に入って坐禅の修行を重ね、中国の禅宗の開祖となる。
南北朝時代、梁の武帝(蕭衍)が達磨大師に「寺を建て僧を供養した功徳は何か」と問うた際、達磨が「無功徳」と答えた
こんなことしかしらない。
梁の武帝は、
南朝梁を建国した名君
政治・文化・仏教の全盛期を築いた
しかし晩年は仏教偏重と政治の緩みから国が弱体化
侯景の乱で幽閉され餓死
という、栄光と悲劇が同居する皇帝だった。
政治って難しよな。
智顗(538–597)は南北朝から隋にかけて活躍した僧で、天台山(浙江省)で修行し教義を整備した。天台宗の実質的な開祖とされ、後世では「天台大師」「智者大師」と尊称される。
吉蔵の方が後か
日本には、天台宗の方が後で伝わった
なぜか、平安時代になって天台宗と真言宗に圧倒された
仏教哲学マニアにとっては胸熱だが😂
唐朝からもたらされた密教の魅力には勝てなかった
新党の党名は「中道改革」になるらしい
「非右非左の中道」か(笑)
国民に投票だな?
😆
😫
奴らが権力取れば
😫
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、修羅道の性質と一致している。
地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
つまり、
自分は餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、
驚くほど一致している。
しばしば、20世紀の西洋哲学と比べられる
人が「世界」だと思っているものは、自分の心の中に作り上げた世界像にすぎない
本当の世界を知ることは不可能だ
それは、言語で出来ている
だが、ある、案件で
まーまー認知判断レベル高く
幸運を招いたケースがある
墓の主の話
いわねー
😆
驚きの認知判断力
😆
現地を探索したことがなくても、「こういうところだ」というイメージは出来ている
そのイメージのほとんどは、言語で出来ている
まあ、現代人の場合は、映像によるものも大きいが
昔の人は、人から聞いた話とか、文字情報でしか知りようがなかった
平安時代の日本や、江戸時代の日本
昔の遺跡とか、時代劇の映像とか
参考になるものは多いが、こちらも大半が言語で作り上げた世界像だ
終末論みたいなクソ混沌で
合理的認知と判断力
完璧にそれをプロデュースしたレベルは
モンスターケラスだ
😆
今いる、この場所だって
「ここは日本の首都の片隅の住宅地で・・・」とかなんとか
言語によって組み立てられたストーリーを抜きにして語れない
上手くコントロールする
達人的認知力と判断力
ま、モンスターだな
んな、マネできんな、
😆
それは、見果てぬ夢だ
宗教板で鍛えられたおかげか?😂
文字情報に対する依存度が、普通の人より高い
だから、余計にそう思う
俺が語らないだけで
人類宗教史上のモンスターはいる
単なる認知力判断力という意味だけの
😆
自分の心の中に言語で作り上げた世界像。
それを、『世界とはこういうものだ』と
思い込んでいるだけだ」
これは、現代の哲学マニアにとっての共通認識と言ってよい
確かに、常人を超える認識力の持ち主はいた
それは間違いない
リアルに限界恐怖ギリギリに
適切な判断力認知力を
やりこなせることが
たまにある
歴史上に
あーいうのを見ると
碧巌録みたいな
なんの役にも立ちそうになさそうな
トレーニングも役にたつんだろうなー
とは思うけど
一般的には無用の長物だ
セッタンもそういうくらいに
😆
ハッスル、ムイムイ、麦のレスを見ると吐き気をもよおす
😫
臨済宗批判は
一般的汎用性スタイルでは
もっとも感がある😆
動中の工夫だと?
みたいな?
😁
そうなのか~😫
https://m.youtube.com/shorts/TSgPbTdI8Vc
唯識がでてくる流れがわかるなー
😆
死刑求刑された
元韓国大統領、
あれは判断力認知力の無い典型だな
😆
餓鬼道(知識の貪り・渇望・承認欲求)と
修羅道(優劣・勝ち負け)が強く出てる。
加えて、相手を挑発して怒りを引き出し、
地獄道に落とそうとする動きが目立つ。
行動を見れば、一致してる。
いや、形、色、音、匂い、感触等でもあり得る。
世界は名称と形態で出来ている
映像と音声という舞台装置の上で
文字と数字が織り成す世界
世間の一般人は、「リアルの世界はゲームと違う」と思っているが
じつは、似たようなものだ
このリアルの世界も、じつは文字と数字で出来ている
ただし、意味のほとんどは言語によって付与されている
サピエンスという狂気の生命体――人類は「賢い」から生き残ったのではない
https://note.com/royal_curlew4118/n/n42225a19da2b
群体にならなかった理由
蜂や蟻は、個体を捨てて群れを守る。
だがサピエンスは違う。
サピエンスは、個体の内側で自分を犠牲にする。
群体化ではなく、**「自己分解による耐久性」**を選んだ。
この設計は、自我の放棄とは真逆だ。
自我があるからこそ、削れる。
自分が戻ると信じているから、捨てられる。
龍樹の思想の継承と発展: 龍樹の「一切法空(すべては実体がない)」という思想を基本としつつ、その論理を深めました。
自立論証派(スヴァータントリカ): 唯識派との論争の中で、言葉や概念を超えた「真実」の存在(真実諦)をある程度認めることで、より実践的な「空」の理解を目指しました。
「空」の思想を、より体系的・論理的に深め、インド仏教後期の思想を形成しました。
その思想はチベット仏教の四大宗派(ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派)の教義の基盤となり、現代まで受け継がれています。
チベット仏教を学ぶことを意味する
瑜伽行中観派だ
瑜伽行中観派をベースにしている
サキャ派か、カギュ派のどちらかが
唯識要素が濃いらしい
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
なお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」(Sautrāntika-Mādhyamaka)と呼ばれたりもした
「瑜伽行中観派」なんだな
チベット密教と禅だけだろな
修道スタイルが安定しているのは
世襲で
天台、真言宗の大方は形式的になっぢろうしなー
永平寺、総持寺ですら形式的だからな?
😆
中国には何かあったんかもしれんが
日本では末法と修験道と念仏が主流派だった歴史上
まー、こんな風だ
😆
加藤師匠が研究している
珍海てすら
念仏の行者だしなー
😆
多くは燃やされたやろしなー
😫
宋からは、儒教勢力が巻き返してきて完全に主流となった
明清時代の歴史ドラマでも、高貴な身分のお方が病気になるたび、チベット密教僧を招いて盛大に加持祈祷する場面が多い
禅宗(実践中心)
浄土宗(民衆信仰)
この辺は、まぁなんとなくわかる。
哲学よりも実践・修行・信仰に重きを置いた宗派でした。
唯識や三論のような純理論型の宗派は、
中国社会の宗教文化(実践重視)と相性が悪かった。
また、天台、華厳は思想だけが残ったみたいですね。
清代はチベット仏教が流行ったということは知らなかった。神仏にすがりたいと思うのはどの時代でもありますからね。現世利益なのでしょう。
王家よりも
日本ほど国王にはひいきされる時期は
ゼロダろうな
むしろ宋王朝の
官僚の在家信者だろな
この辺が
日本に来て
たまに
凄いことを引き起こす
😆
そのような説明があったのねー
生まれながらの俺は
三因生まれだ
😆
必死に修行した覚えがないが預流果だ
😆
ま、アビダルマで輪廻論の一部を説かれているわけだな?
😆
https://m.youtube.com/watch?v=D3WqK0u7PIM&t=50s&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D
オモロイねー〜 😆
ユーチューブ時代はこっちが本気で関心あればスイスイと仏教知識が集まる
😆
一を知って
他宗派含めて、瞬時に模索やりだして
百を知るからなー
真言の表現知って
天台、華厳、唯識、テーラワーダ、曹洞宗、浄土教まで、
並列で解釈を深める
まー、そもそも臨済宗のやり方で既にあったのを、角度変えて
模索しただけに過ぎんきもしれんけど
😆
嗅覚が強い、
俺該当ー😆
神秘主義嗅覚が
強力、神秘光明を見る眼くらいに
発達している
😆
スマナサーラの解説、
まー臨済宗以外なら
ごもっとだ
俺的には神秘主義禅定と香りは
セットだ
禅と高野山宿坊差以外は
大方宗派で香りは一致している
😆
スマナサーラは品がないが
両者共に修道知識人だな
かなり、いい動画があるなー
😆
パーリ語仏典とヴィパッサナー瞑想
仏性という仏さまの心の三つの要素です。 三つとは、正因(しょういん)仏性、了因(りょういん)仏性、縁因(えんいん)仏性のことです。
本覚思想だな
個人的に疎い分野だ😫
三因は別だ
凡人は二因らしい
俺みたいなエリートが
三因ということらしい
😆
三因
😆
まーまー悟れる
まー俺は阿羅漢ではないけどなー
預流果だ
😆
情報が集まってくるからなー
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
糞スレの為終了致しました。
****************
糞スレが終わったのではない
お前の心が終わったのだ
0784下高井戸 ◆7ZPfzVcRoQ
NGNG
帆帆タソの写真で抜いてみました。ドクドクと、いつもの3倍出てきて気持ちよかった~。
感謝の気持ちでいっぱいです!!
◆7zpfzvcroq
Re: カタログ埋め(み~) 家具小物壁掛け( No.365 )
日時: 2020/06/17 20:11
名前: エム◆7ZPfzVcRoQ
クローバーさん、こんばんは
キノコが出て来たと思ったら
ドングリと松ぼっくりが出なくなり
ガッカリしてます。
JBBL5で開けてますので気が付かれましたら
お越しください。
0965一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ
2009/09/14(月) 13:01:08ID:zTXOUzMWO
…先生………
オッパイ吸いたいです…
0966一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ
2009/09/14(月) 13:17:51ID:zTXOUzMWO
最近は、道行く姉ちゃんの顔よりも先にオッパイの方に目が行ってしまう。
これも呪いのせい。
0967一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ
2009/09/14(月) 13:23:37ID:zTXOUzMWO
ルックス中の上の貧乳より、ルックス中の下のD以上G未満の美乳。
えっ!?
えっ!?
えっ!?
お前が今まで俺にやってきた事をやって何が悪い???
wwwwwwwwwwwwwwwwww
埋めるなら、放置スレにしろ
ほんの10レスかそこら書いただけで、1年以上放置してたスレだったぞ(笑)
センシティブな内容が含まれている可能性のあるコメントです。
表示するには、ログイン後に設定から変更してください。
当方は巨乳好きではないぞ(笑)
今度は「ハロワ行け」か
どっちなんだよ?(笑)
俺はお前らみたいなヒキニープーボッチではない。
二人の子供も社会人になり、定年延長して確定拠出年金を貰いながら会社勤めてしてる、仏教の居士だよwww
悪い事は云わない、でおーとは距離を置け。
分かってるんだろ?
また、知識や体験について自分に素直に慣なれよ。
そこで俺に関わるな、まるで次元が違うんだからな。
その事で互いに不快な思いしてもつまらないだろ。
🤡〜
JBLの何にゲキオコしたんた?
😆
【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】
https://talk.jp/boards/psy/1768770625
😱
ハッスル🤡並みに謎だ
😆
でおーとは距離を置って事な。
それともう、まともな議論ならともかく、俺に変な事で噛みついて来るな。
時間の無駄だからな。
ハッスル🤡
暴露され続けるからの〜
🤡
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
糞スレの為終了致しました。
****************
気持ち悪い「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW
気持ち悪い「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW
身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
https://ameblo.jp/hiroaki-dialogue/entry-12948372585.html
️ 仏教における時間と因果律:説一切有部(せついっさいうぶ)から中観派への道のり
2025-11-29 08:23:37
テーマ:仏教
この壮大な思索の旅は、万物が実体を持つと考える一派から、すべては空であり、無常であると主張する革新的な思想へと展開していきます。本稿では、仏教における時間論と縁起の展開を、主要な宗派の視点から探り、その深い哲学的な意味を解き明かします。
1. 「説一切有部」とは?
「説一切有部(Sarvāstivāda)」は、紀元前後にインドで栄えた初期の有力な部派仏教の一派です。その名の通り、「一切有(すべてが存在する)」ことを説くのが特徴であり、特に過去・現在・未来の三世にわたって、構成要素(法)が実体として存在することを主張しました。
説一切有部の核となる思想が「三世実有(さんぜじつう)」です。これは以下の点を意味します。
過去有(かこ・う):過去に滅した現象や行為(法)は、その作用力は失っても、実体としては今も存在し続けている。
現在有(げんざい・う):現在の現象は、もちろん実体として存在する。
未来有(みらい・う):未来にまだ生じていない現象も、実体としては既に存在している。
彼らは、世界を構成する最小の実在的な要素を「法(ダルマ)」と名付けました。この法は「自性(svabhāva)」、すなわち固有の本質を持つ、固定された実体であると捉えられました。
説一切有部にとって、時間が流れても、この「法」そのものは滅することなく、三世にわたって実体として存在し続けます。私たちが「時間」として認識しているものは、この法が過去・現在・未来という位(あり方や状態)を変化させることによって生じる現象に過ぎないのです。
この「三世実有」の立場は、仏教の根本原理である因果律(縁起)を論理的に基礎づけるために不可欠なものでした。
縁起とは、「これがあるから、あれがある」という相互依存の関係、すなわち原因と結果の法則です。説一切有部は、三世実有によって、この因果律を以下のように説明しました。
過去の業の作用:もし過去の行為(業)が完全に「無」になって消滅してしまうならば、なぜその過去の業が、現在の結果(苦や楽)を生み出すことができるのでしょうか。説一切有部は、過去の業が実体として存在し続けるからこそ、それが因となって現在の果を引き起こすという、業の持続性と因果の確実性を担保したのです。
過去の法(因)が実体としてあり続け、それが現在の法(果)を生じさせるというメカニズムによって、彼らは仏教の核となる「業報思想」を強固に理論づけました。
説一切有部の世界観には、「阿頼耶識」というデータベースが無いだけで
宇宙そのものがデータベースの役割を果たしている
そして、現在に強力な作用を及ぼしている
倶舎論では!宇宙そのものがデータベースの役割(果たしている
唯識論では、深層意識の奥にある阿頼耶識に、データが格納されている
本質的には、似たようなものだ
「過去も未来もない。今ここしかないのだ」
というようなのとは、まるきりカケ離れている
それが、仏教の特徴だ
1. 中観派(ちゅうがんは)(Madhyamaka)の革新
説一切有部の思想が、法に実体(自性)を認めたのに対し、後に現れた「中観派」は、その一切を徹底的に批判しました。中観派の祖は、紀元2世紀頃に活躍したナーガールジュナ(龍樹)であり、その思想は後の大乗仏教に決定的な影響を与えました。
中観派は、釈迦の教えをより忠実に、より厳密に理解しようと試み、「一切皆空(いっさいかいくう)」と「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の立場を極限まで推し進めました。
諸行無常の徹底:仏教の根本教義である「無常(Anitya)」とは、すべての現象は絶えず変化し、留まることがないという事実です。もし説一切有部が言うように、過去・現在・未来にわたって法が自性(固定された実体)を持つならば、それは「不変」であることになり、「無常」の教えに矛盾します。中観派は、法に実体を認めると、それは変化しない常住なものとなり、仏教の根本を否定することになると主張しました。
一切皆空:中観派の主張の核心は、「空(śūnyatā)」です。これは「何もない」という意味ではなく、「自性がない(無自性)」という意味です。あらゆる現象(法)は、それ自体で独立して存在する固有の実体を持たず、すべては他のものとの関係性(縁)によって仮に成り立っている(仮有)と捉えます。
説一切有部が過去の法に実体を認めることで、時間の流れや変化という概念自体が説明できなくなる。なぜなら、実体とは不変であるはずだからです。もし過去の法(因)が実体としてあり続けるなら、それは「過去」ではなくなり、また「因」も「果」に変化できないことになります。
説一切有部が「三世実有」という実体論によって縁起を確立しようとしたのに対し、中観派は、実体(自性)を否定するからこそ、真の縁起が成立すると主張します。
これは、ナーガールジュナの『中論』における、非常に逆説的で深遠な論理です。
存在:法は実体(自性)を持つから存在する。
縁起:法が実体を持つから、因果律(縁起)が成立する。
2、中観派の論理
存在:法は実体を持たない(空)から存在する。
縁起:法が実体を持たないからこそ、因果律(縁起)が成立する。
すべてが縁起によって生じる→自性(独立した実体)を持たない→空
すべてが空である→他のものとの関係性(縁)によって仮に生じる→縁起
実体があれば縁起は不可能:もし原因(因)と結果(果)がそれぞれ固有の実体を持っていたと仮定します。
因と果が完全に同一であれば、それは単なる自己同一性であり、変化も生成もありません。縁起は成立しません。
因と果が完全に別個であれば、両者の間には関係性がなく、因が果を生むという繋がりが論理的に説明できません。縁起は成立しません。
ナーガールジュナは、因と果、生と滅、常と断といった二元論的な対立(二辺)を徹底的に論破し、その中道を空としました。法に実体がないからこそ、法は絶えず変化し、他の法と関係を結び、生じたり滅したりという「はたらき」を持つことができ、この「はたらき」こそが縁起なのです。
政治評論家は皆、「中道とは右派でも左派でもないこと」と思っている
だが、それはウソだ
立憲サイドはともかく、創価学会・公明党サイドでは、仏教用語を党名にして、新たな宗教政党を立ち上げたつもりでいる
彼らの内心では、立憲など眼中にないのは間違いない(笑)
説一切有部と中観派の議論は、釈迦入滅後の哲学的な展開ですが、その根底には、釈迦の教え、すなわち原初仏教の思想があります。
1. 時間についての態度の保留
原初仏教、特にパーリ語経典に見られる教えでは、時間それ自体に関する抽象的・形而上学的な議論は、多くの場合、保留(無記)されました。
実存的な時間:釈迦の関心は、衆生が直面する苦(Duhkha)と、そこからの解脱にありました。時間は、過去を悔い、未来を憂うという苦を生み出す心理的な枠組みとして捉えられましたが、時間が実体として存在するかどうかという問いは、解脱という目的から見て無益な議論であるとされました。
「今」の重要性:修行においては、過去への執着や未来への期待を断ち切り、「今・ここ」に集中する正念(sati)が重視されました。時間は、固定された実体ではなく、絶えず変化し続ける瞬間(刹那)の連なりとして、動的な実存の中で体験されるものと捉えられていたと考えられます。
初期仏教は、いわゆる「今ここ」主義に近かった
無明から生老病死へと至るメカニズムを、時系列的に説いたものだ
「十二縁起は、ブッダの教えには無かった。後世の人の思想だ」といって批判された
確かに、項目を十二に増やしたのは後世の付け足しかもしれんが
縁起思想そのものは、ブッダの生前からあったぞ(笑)
福音伝道は、今どこに?
しかし、
俺の霊的匂いで光明を見る癖があるんだが、
焼香とは徳の遍満
という意味らしい、
なるほどーと
思った
https://m.youtube.com/watch?v=lpgpV-F1VnE&pp=0gcJCU8KAYcqIYzv
なんていうのは
唯識の四智以上のレベルでないと
その霊的ニューアンスは掴めないだろう
😆
宗教施設では
徳の遍満の香りがする
キリスト教でも
😆
ロンと
仏のスレ主相手には
もえあがるようだ
😆
パープル様の漫談に付き合ってくれる貴重か存在😆
971 神も仏も名無しさん [sage] 2026/01/20(火) 10:38:41.02 ID:hndqj
もしかして会話が成立しない方ですか?
俺は破壊するけどなー
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
↓
中観派の空観
中観派は、インド大乗仏教の2大学派の一つで、「空性」(すべての存在には本質・実体性がない)を中心教義としています。
インド、チベットの中観派の伝統の「観」の瞑想(真理を認識する瞑想)は、「空」の教学に沿って行われますので、広い意味で「空観」と呼ぶことができます。
そうして、無概念の直観的な認識を得ると共に、それを概念的に理解する智慧も獲得します。
「四念処(体、感覚、心、法には実体がない)」の瞑想によって、すべての存在が「空」であること(法無我)を考察します。
つまり、すべての存在は実体ではなく、幻のようなものであると考察して、小乗の経量部などの実有論を避けます。
五蘊(感覚器官・感覚・イメージ・連想や感情・思考)のどれも自分ではないと考察して、私という実体はないこと(人無我)を考察します。
つまり、心(識)もまた実体ではなく、幻のようなものであると考察して、唯識派の唯心論を避けます。
すべての存在は、他の存在を原因として生まれる(縁起)存在であるから、実体ではなく、本質を持たない(空)ことを考察します。
実体を持たないといっても、何も存在しないということではなく、実体を持たないというあり方で存在しているのだと理解することで、「有」にも「無」にも偏ることがない立場(中)に至ると考察します。
煩悩をなくして一切智を得て仏になるためには、「空性」を悟ことが必要であり、「空性」の認識によって慈悲の心を生み、功徳を積むことができると考察します。
つまり、
Aが実体であると仮定する。
AはBであるか非Bであるかのどちらかである。
しかし、Bは成り立たない or BだとAは実体ではない。
また、非Bも成り立たない or 非BだとAは実体ではない。
だからAは実体ではない。
という論法で考察をします。
例えば、「人無我」に関しては、人は五蘊と一体であるか別であるかのどちらかである。
人が五蘊が同じならば、複数の存在に依っているので人は実体ではない。
人と五蘊が別ならば、人としての五蘊とは別の何かが見つかるはずだが見つからない。
従って、人は五蘊によって仮説されたものに過ぎなく、実体ではない。
他にも、「〇〇は単数であるか複数であるかどちらかである」、「〇〇は一瞬前の存在と同じであるか違うかどちらかである」といった論法を使います。
このような論証・考察を徹底的に行うことを経て初めて、無概念の「空」の認識に至ります。
例えば、目の前にある「本」について考察します。
まず、「本」が実体であるとして、その本質を見極めようとします。
これを「正理知」と言います。
そのためには、「本」の偶有性、例えば、「厚い」とか、「カバーがある」とか、「本」が「本」たる所以となる本質的な属性でない性質を捨てていきます。
すると、「本」そのものを見出すことができず、虚空のような無限の広がりを体験することに至ります。
こうして、逆説的にも、無概念な状態で「空」を理解することになります。
この無概念での認識を「等引智」、「虚空のような空性」と呼びます。
その後、日常的な認識の状態に戻ると、また、「本」を「本」として認識することになります。
しかし、今度は、以前のように「本」を実体としてではなく、「幻」のような存在として認識するようになります。
この認識を「後得智」、「幻のような空性」と呼びます。
そして、分析的な「観」と、無概念の「止」(集中一体化する瞑想)を順に等分に行うことで、「等引智」と「後得智」を深めていきます。
やがて、分析を行っているうちに、それを意識的に行わずとも、自然に正しい認識が行われる状態になります。
この時、「止」と「観」が同時に行われる「止観双運」の状態になっています。
さらに続けていくことで、最終的には、「等引智」と「後得智」が一致することで、悟りに至ります。
中道とか
仏のスレ主がだいすきな
牛乳の話なんやろ
😆
>やがて、分析を行っているうちに、それを意識的に行わずとも、自然に正しい認識が行われる状態になります。
この時、「止」と「観」が同時に行われる「止観双運」の状態になっています。
さらに続けていくことで、最終的には、「等引智」と「後得智」が一致することで、悟りに至ります。
わかりやすくていいねー
😆
ハッスル、麦、ホーカイくん、リダン、
デンパパ📶の
レスなんか読むと
意味不明迷路だねー
😆
後に密教化するにつれて、瞑想仏教と化した
小乗(説一切有部等)等の観法
大乗は体空観(直観知)。
そんに風にHiGHアンドLOWの教理をつまみ食いしてコピペしても、支離滅裂になるだけだからな。
だから、最初からそう言ってるだろ😅
241 ◆JBLfMwCXhY 2026/01/25(日) 08:39:16.27 ID:K5DAr
中観派ではこのような分析を行い、析空観に至るようだ
ハッスル🤡ー
劣等感マシーン🤡
> JBLのいうそれは未だ析空観(分析知)だな。
> 小乗(説一切有部等)等の観法
> 大乗は体空観(直観知)。
おいおい
これは、中観派の析空観
小乗仏教はこんなのやらないよ😅
「析空観は小乗仏教、体空観は大乗仏教」
と思ってたのか
両方とも大乗だよ
「空観」そのものが大乗だ
> 中観派ではこのような分析を行い、析空観に至るようだ
www
中観派は析空観を批判して否定する立場だぞ。
↓
「析空観(しゃくくうかん)」は小乗、「体空観(たいくうかん)」は大乗の教えであるという区分けは、仏教界において非常に一般的な定説です。
その根拠は、主に中国の**天台智顗(てんだいちぎ)**による教理の整理(教相判釈)にあります。彼は仏教の膨大な教えを体系化する際、空の捉え方の深さによってこれらを分類しました。
それぞれの根拠と違いを整理します。
1. 析空観(しゃくくうかん):小乗仏教(部派仏教)
「分析して空に到達する」考え方です。
* 根拠と手法: 主に『倶舎論(くしゃろん)』などのアビダルマ仏教に基づきます。物質や心を最小単位(極微や刹那)までバラバラに分解・分析し、「個別の要素はあるが、そこに『我(実体)』はない」と結論付けます。
* 特徴: 「壊して初めて空になる」というニュアンスが強いため、**「拙度(せつど:つたない悟り)」**とも呼ばれます。
* 例え: > 「家」という実体はない。柱、屋根、壁に解体してしまえば、どこにも「家」は残らない。
2. 体空観(たいくうかん):大乗仏教
「そのもの自体が、そのまま空である」と体得する考え方です。
* 根拠と手法: 『般若経』や、龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』に基づきます。因縁(条件)によって生じているものは、わざわざ分解するまでもなく、いま存在しているその姿のままで本質的な実体がない(自性がない)と説きます。
* 特徴: 分解というプロセスを経ずに本質を見抜くため、**「巧度(こうど:巧みな悟り)」**と呼ばれます。
* 例え: > 「家」を解体しなくても、それが因縁によって仮に組み合わさっているだけの存在だと即座に見抜く。
天台宗の「四教(しきょう)」による分類
天台大師・智顗は、仏教の教えを以下の4つに分類しました。これが「析空=小乗」「体空=大乗」という評価を決定づけました。
| 教義の分類 | 空の捉え方 | 対応する仏教 |
|---|---|---|
| 蔵教(ぞうきょう) | 析空観 | 小乗仏教 |
| 通教(つうきょう) | 体空観 | 大乗仏教の入り口(三乗に共通) |
| 別教(べっきょう) | 中道観 | 大乗仏教(菩薩のみ) |
| 円教(えんきょう) | 即空即仮即中 | 究極の大乗(法華経) |
まとめ
「析空観=小乗、体空観=大乗」という図式は、インド仏教の変遷(アビダルマから般若・中観へ)を、中国の天台宗が**「空の理解の深浅」**として理論的に整理したことに大きな根拠があります。
ハッスル〜🤡
🤡〜〜〜
いや、お前は誤解している(笑)
中観派も、まずは析空観から入るんだよ
一足飛びに、体空観には行けない
析空観は必要だ
車の両輪ってわけじゃないが
析空観という一輪車の上に、体空観が乗っている
まーーーーーたデタラメの吹聴かw
そもそも析空観を否定するのに析空観を構築するのは矛盾だし、分析知(析空観)をいくら重ねても、直観知(体空観)には至らないよ。
つまり、一足飛びに行くのが体空観な。
だったら、なんで、仏のスレであんなに熱くなって析空観を説いてるんだよ?
「お茶」とか「牛乳」に関してお前が主張している理屈は、析空観そのものじゃないか(笑)
そんなスッ飛ばして、一足飛びに体空観に行けば済む話なんじゃねえの?
日々追い詰められていく
のであったー
😱
日々強まっている
味方はリダンとアオリンだけだ
😱
???
析空観とか体空観って観法だけど?
🤡〜〜〜
😱
おもいっきり細かい分析だ(笑)
それが、析空観
仏のスレで聖ウンコ師がやってるのが、前ににそれ
体空と
思っているんやろな
唯識の依他起性の部分なのになー
俺に対抗心で
メルロ・ポンティの認識云々とかやってやがるしなー
😁
中論、ましてや禅なんか
無理、
仏のスレ主とハッスルの議論内容の筋が
北極、南極解説で少し見えてきたやろ
😆
ディグナーガの依他起性部分の論理学が究極やと思い込んでいるんやろ
そこから誤読や
😆
こんな感じ😆
280.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-DIb-Ij-wvu
6HqYE(2/7)
すなわち根源的な命名と既に在るものに対して為される二次的な命名の二種類だって云うんです。
ところでその命名を ことばによる分節 とも云うのですが、メルロー=ポンティは、上記のように
>事物の命名は認識のあとになってもたらされるのではなくて、それは認識そのものである
って云っております。つまり、認識=分節だと
2026/01/25 18:32:02
282.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-DIb-Ij-wvu
6HqYE(3/7)
ところで仏教では認識についてはどの様に考えているのでしょうか?
私は法相宗に親しいので、その筋に依って考察してみますが、『摂大乗論』によれば、
>かくの如く縁起は、大乗においては極めて細微で甚深である。
>もし略説すれば二種の縁起がある。
>一つは分別自性の縁起であり、二つは分別愛非愛の縁起である。
>(『摂大乗論』1:19 訳は小谷信千代 『唯識説の深層心理とことば 摂大乗論に基づいて』より)
っていうんです。
ここでいう分別は認識と同じ意味ですが、分別自性、つまり、自性※を分別するのが認識だと云うんです。
※自性〜もの・ことが常に同一性と固有性を保ち続け、それ自身で存在するという本体、もしくは独立し孤立している実体を自性という。
2026/01/25 18:32:54
論理的な仏教学の
トーク板の看板になってもらわんとなー
俺は
めんどくせーヤツにつたえる気がない
実況だけやー
😆
仏のスレ主のやり取りは
倶舎論の緯度=南極
と思って闘ってる図
😆
麦は赤道が
南極と思っている図
😆
唯識の緯度で南極くらいかも
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
この視点が
有意義かもしれない
https://news.yahoo.co.jp/articles/e99aad8309f760b864678f4a679aa49a2a7f6f22
瞑想仏教でもあるといえばある
慈悲の瞑想
😆
強敵は
俺、JBL>仏のスレ主、ロン
ぽいなー
😁
兵藤 一夫(教授 仏教学)
「仮説」は「仮説(けせつ)」と読まれて仏教の根本的な立場を示す用語であることを知る人は少ないであろう。「仮説」は現代では科学の分野などで重要な語として用いられている。科学の分野では、学説はなにがしかの真理を含んでいるとしても、すべて一つの「仮説」であると考えられている。たとえノーベル賞を獲得したような学説であっても、自然の現象や人間社会の現象を完全で恒久な形で一般化した法則ではなく、後に変更されなければならない、まさに「仮の説」と考えられている。このことはその学説を主張する当の本人も含めて誰もが認めることであり、科学は「仮説」によって発展すると言われる所以でもある。
このように、私たちの執着や苦悩に満ちた現実は、私たち自身が「ことば」によって作り上げたもの、一種の「ヴァーチャル・リアリティー(仮想現実)」で、その中で自らもがき苦しんでいることになる。経典などでは、このありさまを「蚕が自ら吐き出した糸によって包み縛られるようなものである」と譬える。
→ セイウン様が井筒俊彦の影響を受ける
→ リダンが洗脳される
「それと似たものが、仏教の古典思想にもあるじゃないか」
昭和の日本の学者の興味を惹きつけた
「牛乳を飲めば、牛乳の味がする」
確かに、直接知覚には違いない
だが、人間は言語の海にドップリ浸かった魚だ
「これはお茶だ」、「これは牛乳だ」と
無意識に言葉でラベリングしている
自覚するのも難しい
「これは緑茶だ」
「これは烏龍茶だ」
「紅茶だ」「麦茶だ」「玄米茶」「ほうじ茶」・・・
さらには
「伊藤園のお茶」
「百均で買ったパックのお茶」
「専門店で買った高級宇治茶」
とか
こういう、言語による意味づけを抜きにして認識するのは、現代人には絶望的に困難だ
20世紀の西洋哲学だと思うんだよなあ
中観派の「言語哲学」は、こうではない
似て非なるものだ
経典を暗記する記憶力が重要だった
現代の膨大な言語ワールドとは別世界だ
国家とか、企業とか、家庭とか
無数の契約や合意で出来上がっている
まさに、言語で構築された仮想現実だ
現代の文明人から見たら、自然の野生に近い
テーラワーダ教義箇所ということだな
😆
確かに、直接知覚には違いない
だが、人間は言語の海にドップリ浸かった魚だ
北極テーラワーダとの違いは
赤道の中道を通過した前提があること、
やはり華厳真言の理解が必須
😆
😆
唯識から南に
如来蔵の永遠仏陀という
三論宗から
少しずつ増え
ガチガチの永遠の仏陀、天台があり、
赤道華厳真言の永遠の仏陀
😆
むしろ永遠の仏陀は消える
😆
南極の禅を
北極に近い唯識や、はたまたは依他起性の倶舎論で捉えようとして
唯識の誤読の上に
禅の誤読までする
麦もせいぜい唯識で禅を捉えようとしている風情に見える
😫
JBLの真言理解にかかっている
😆
その通りだと思うぞ
仮説、仮設は勝義と言えないであろう
「空」と表記した時点で
それは勝義ではなく方便だ
なんでんな単純なことか分からんのか
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
アレフガルドに住まう人にたいして
あえて言語の導きのため
「空」と表記しないと
まず説明すら出来ないやろが
猿にスマホを教えるためには
スマホを扱うものが
言語によって価値を認めるゆえ
ならその言語を教えないと
スマホの価値は分からんだろ
例えの話だ
猿(安堂)
言語を理解する猿(jbl)
安堂はなかなかどうもならない
お釈迦様級やないと
😁
猿にたいして勝義を
猿の認識にあわせ
自在に方便を操るところだよ
趣旨を理解せず
猿に言語は無理だろっていう
明後日の感想をいう馬鹿が何人かいたな
ハッスルー🫥
あえて龍樹が空を仮説として置くと
読み取れるやろが
ハッスル〜🫥
jblはとにかく鹿ちゃんアンチを
とりあえずそこにおけば
分かるはず
ハッスル〜🫥
川^○^ハレリダン語の通訳がまず必要www
それからだね方便♪
😭
いま通訳してやるよ
どこが分からんのやおサルさん
ハッスル〜🫥
(5チャンに帰る、スリップを建てる)
右往左往してちゃ分からんで?
麦ちゃんよ
ハッスル〜🫥
正解や
∞ノノハ∞
川^○^ハレそんなのもう忘れてたよwww
思い出させたいのいやらしいwww
かちい〜〜🫥
😁
なんや
ならはよ通訳いるとこ言えや
∞ノノハ∞
川^○^ハレサラダボール状態で何が言いたいの?www
突然支離滅裂でwww
>jblはとにかく鹿ちゃんアンチを
とりあえずそこにおけば
322.
ユーザー
リダン◆3y/i8XtGLY
46uy6(2/2)
安堂にはこんな話はしない馬鹿だから
jblはとにかく鹿ちゃんアンチを
とりあえずそこにおけば
分かるはず
何を言ってんだおバカ
そのサラダボール状態の箇所を
具体的にだせよ
それじゃ鹿ちゃんに過剰反応してるだけやないか
勝義、方便、言語、仮説は
中論で言われてることやろが
何がサラダボールなんや
とろくせえやつだな
∞ノノハ∞
川^○^ハレリダンたんの妄想が分からないんだよ
>jblはとにかく鹿ちゃんアンチを
とりあえずそこにおけば
分かるはず
猿チップ埋め込んでもらえば言語必要ないかもねwww
川^○^ハレせわしないやっちゃねwww
瞑想しても落ち着きがないとかwww
なんやとにかくその箇所か
単純にお前が鹿ちゃんに過剰反応してるだけ
話おわり
∞ノノハ∞
川^○^ハレ麦が自分自身にとって嫌な部分なんだろうね
瞑想やめりゃ
随時煩悩が増殖するからな
それをどうするか?
ってのが修道論なわけだ
オッケー?おバカちゃん
ブーメラン過ぎw
お前が突っ込んだ話題だろw
馬鹿すぎ
∞ノノハ∞
川^○^ハレ嫌な部分だから麦自身は気お付けているよwww
∞ノノハ∞
川^○^ハレ知足を知りなさい♪
あん?
お前自身にとっての嫌な部分にすぎない
事柄で
人をサラダボール扱いすんのか?
お前大丈夫か
∞ノノハ∞
川^○^ハレリダンたんの妄想は理解できないよwww
サラダボールでwww
だからお前のいうサラダボールがw
単純にお前が嫌な事柄なだけじゃねえか
知らねえよ馬鹿w
川^○^ハレリダンはごちゃごちゃでサラダボールだから話が分からないwww
でおーたんなら分かるかなぁwww
だから分からん箇所言えっての
勝義、方便、言語、仮説は
中論で言われてることやろが
川^○^ハレつ >>342
JBLなんなら分かるかなぁwww
∞ノノハ∞
川^○^ハレつ >>342
JBLたんなら分かるかなぁwww
jblはよ
自身ではうっすら分かってんだろ
しかし鹿ちゃんが
言語で表記されたものは方便(空)
っていうもんやから
アンチ行為しとるだけ
どこまでも方便だよ
分かるように仮説してんだから
∞ノノハ∞
川^○^ハレJBLたん待ち♪www
空と表記され仮説されたもんを
方便と認めない
ただそれだけ
勿論鹿アンチもあるが
jblはどこか世俗諦を格下にみている節がある
ゆえに
お釈迦の説法は全て方便というと
拒否反応をおこす
違う、お釈迦様の凄いところは
方便を自在にあやつり
生きとし生けるものを勝義に導くこと
鹿ちゃんの場合は
何かしら仏性への導きがある
(おのずから)
の部分か
おれはその部分も方法論の一つと思う
(神に導かれる、神の愛に包まれる)
信仰による方法論
🫥
😁
0と1の相依にて表現される
アバターと世界がいまの現し世とjblであって
それらは言語で成り立つわけやな
しかしよ
0と1の相依、その前提を言語でさらに
構築するわけよ(ドットの組み合わせをさらに定義し自分、また大地)
まあここまではjblも理解出来るやろ
んでそれを
相依である、空である、組み合わせにすぎない
と定義し、0と1の相依で形成された
自我にたいし説明する
これが方便
しかし
それだけでアレフガルドを表現するわけだ
んで
そこに住まうものたちに
それを分かるように説明する
空という定義は仮説であり方便だと言うこと
0と1の相依にて形成されるものに
「分かる」ように
仮説としてあえて置くからだ
仮説でおいたにすぎないことを
あたかも月と見間違える
それをずっと指摘しているし
中論を触ってりゃわかることだ
ハッスル〜🫥
レスしてね〜
😁
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
俺の代わりにムイムイを相手してやれ
😁
空って定義は
どこまでも方便だよ
分かるように仮説してんだから
ってこと
それも方便、定義にて導いている
「戯論寂滅」
と
自我、器世間が実体化する
それを寂滅せよ
川^○^ハレネズミ回転車カラカラカラカラカラカラ🐹💨💨💨💨💨
😁
リダンは、「勝義諦/世俗諦」
異常にコダワっている(笑)
勝義諦教だ
聖ウンコ師ですら、対話を避けている(笑)
「言語で説かれた教えは、すべて世俗諦である。
言語で説き得ないのが勝義諦である」
と、カタクナに信じているが
確かに、そういう解釈もあるのは事実だ
だが、それはリダンが思うほど、一般的な解釈ではない
「世俗諦」というのは文字通り、世俗的な真理
世間の一般人が聞いて「いいこと言ってるな~👍️」と思うような、世間智のことだ
それに対して「勝義諦」は、限られた求道者にしか分からない高度な真理のこと
唯識派では、「遍計所執性/依他起性/円成実性」の三性説が興り
「勝義諦/世俗諦」は相対的に影が薄くなった
なんといっても、中観派のそれであるわけだが
それにしたって、龍樹の真意がそこにあったかは異論が出る
龍樹は、こう言っている
「最高の真理も、世俗の言語を用いなければ説くことはできない。
お釈迦さまでさえ、最高の真理を説くのは無理と断念しかけた」
↓
「その難しいことをやり遂げて最高の真理を説ききり、
見事に戯論を寂滅した。偉大なる釈尊に最敬礼!!」
「言語で説かれた教えは、すべて世俗諦である。
言語で説き得ないのが勝義諦である」
というのが龍樹の真意だと思う人は
読解が甘く、理解が浅い
「釈尊は、勝義諦を、世俗の言語によって見事に説き切った」
というのが、龍樹の言いたいことだ
それが、龍樹の真意
「言語で説かれた教えは、すべて世俗諦である。
言語で説き得ないのが勝義諦である」
↑
これは、中観派ではよく出てくる話だが
通俗的な解釈だ
龍樹の真意ではない
私は縁起=空性=中道の教えを説いたが、これだって本当の真理ではない。
本当の真理を得たければ、ひたすら坐禅するしかないのだ」
↑
龍樹はこんなこと言ってないっつ~の
どこかの坐禅中毒のジジイが書いた創作仏教にダマされてるだけだ(笑)
中観派も唯識派も、おもいっきり坐禅中毒者に寄せた解釈になる
アイツの話の流れはいつも、「ひたすら坐禅するのが正しい」という結論になるように出来ている
単なる坐禅中毒の患者だ
依存症だから何を見ても全部、「俺は間違っていない」となる方向にネジ曲がる😅
龍樹は
戯論、言語拡張により
自我、器世間が実体化するから
それを寂滅せよと言ってんだ
考えたら分かる話やろ
わかった、わかった
いつまでもやってろ(笑)
調べて分かった
天台で三諦論を提示したより
向こうに行った、華厳、真言、禅では
天台の、構造も、二諦とかの
そういう構造の理屈を
関心薄くなった
天台の中道の範囲をメインのテーマになったようだ
😆
天台は理事無碍法界だと
定義したのは
中道の定義が確定して、
その上に華厳があるという設定の
論理建てをしたんだろうと
八宗綱要は
かなり
面白い本であった
まーまー大乗仏教を整理てきているんたろう
😆
やはり、当然ながら三論宗だろな
😆
∞ノノハ∞
川^○^ハレ
>400.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PFW1m(18/19)
つまり、「縁起=空=中道」は、勝義諦だ
それが、龍樹の真意
2026/01/26 23:07:38
JBLたんの見解でイイと思う♪
因縁仮和合の現象で自性がない空で勝義諦
龍樹が考えていた「勝義諦」とは何か?
それは『根本中頌(中論)』の十八章に示されている。
18-5
行為と煩悩の止滅によって解脱がある。
行為と煩悩は思惟より生じる。
それらはことばの虚構による。
ことばの虚構は空性によって滅せられる。
18-7
心の対象が止滅するときにはことばの対象は止息する。
というのは、ものの本性は涅槃のように、生じたものでも、滅したものでもない。
18-9
他のものをとおして知られず、静寂で、ことばの虚構によって論じられることなく、思惟を離れて、種々性を越える。
これが真実の形である。
ヤージュニャヴァルキヤがアートマンについて「〜に非ず、〜に非ず……としか云いようがない(『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』)」と喝破した様に、般若系思想家たちも「勝義諦」については、それが何であるかという形で示されるよりも、それが何でないかという形で間接的に暗示されるだけであり、龍樹もその域を出るものではないよ。
いわゆる「否定神学」ってやつな。
キリスト教では、俺がよく素材に出していたトマス・アクイナスやマイスター・エックハルト、ニコラウス・クザーヌスなんかがそれだな。
ニコラウス・クザーヌスは面白いぞw
空振りで 😆
>われわれは縁起を空と説く。それは仮に設けたものである。それは実に中道である。
>(『根本中頌』24-9)
って、空(観)は仮設って説示してるし、
>一切の見を捨離することが空である
>(『根本中頌』13-9)
と説いている。
また、先日紹介した中谷論文でも、最・最古層の仏典と比定される『スッタニパータ』の「八郡品」で、お釈迦さまの説法の原点は「見解からの厭離」と云われてる、ってあったよな。
その端的が坐禅だろw
勿論、坐禅に限らないけども。
そして、「見解が尽きる事はないのだから、時時に払拭しなさいよ、それが涅槃ですよ」というのが、中谷論文の示すところだよ。
であれば、坐禅であれば、その時時の払拭は回数に還元されるだろ?
当たり前。
川^○^ハレ諸法実相(無相)ありのままでそのものが勝義諦だと思います
非有非無
この馬鹿🤡(>>412)を外に捨ててきて!
(会場、大爆笑😂wwwwwww)
本件に関しては、リダンが正鵠を得てる。
JBLや麦は理解してないね。
あ、でおーはそれ未満w
https://www.nicovideo.jp/watch/sm38653354?ref=nicoiphone_other
https://nico.ms/sm38545823?ref=other_cap_off
川^○^ハレJBLたんも実体視なんてしてないでしょうwww
即心即仏も非心非仏も同じなのにねぇwww
> >われわれは縁起を空と説く。それは仮に設けたものである。それは実に中道である。
> >(『根本中頌』24-9)
だから、それが「空−仮−中」の三諦なんだっつ~の
後に、天台教学の重要な柱になった
やっぱり、本気で誤解しているんだな(笑)
実体視とは自性の肯定だから後者がまさにそれに該当する。
つまり、「縁起-空-中道」を勝義諦とするのは、上記の後者に該当し、それは自性の肯定に他ならないから、実体視に他ならないよ。
> やっぱり、本気で誤解しているんだな(笑)
???
何処がwww
そもそも龍樹の「空-仮-中」のそれはシノニム(空=仮=中)だけど、天台の三諦はそれを魔改造wしたものだよ。
いわゆる「三諦偈」なのですが、ここで中村先生は、
>因縁によって生ぜられたもの(因縁所生法)は空である。これは確かに真理であるが、しかしわれわれは空という特殊な原理を考えてはならない。空というのも仮名であり、空を実体視してはならない。故に空をさらに空じたところの境地に中道が現われる。
>因縁によって生ぜられたもの事物を空ずるから非有でありその空をも空ずるから非空であり、このようにして「非有非空の中道」が成立する。すなわち中道は二重の否定を意味する。
>ほぼこの様に中国以来伝統的に解釈されてきた。
と述べ、更に
>しかし、この天台以降の解釈がはたしてナーガーリュジュナの原意を得てるであろうか。
と疑義を呈している訳です。
で、
>要するに第二十四章の第十八句に関して後世中国においては三論宗も天台宗も種々複雑な説明を試みるに至ったのであるが、インドの諸注釈によってその原意を探るならば、縁起、空、仮名、中道の四つの概念が同趣意でものであるということを説いたにほかならず、後世におけるように空をさらに空じた境地に中道が現われると考えたのではないということが明白だろう。
>もちろんわれわれは中国仏教思想の独自の意義を認めるのにやぶさかではない。
>ただわれわれとしては、中国仏教における解釈がインドのもとのものと違うということを指摘するのである。
>(中村元 『龍樹』 講談社学術文庫 より)
な訳です。
中論頌24:18
中村訳(『龍樹』講談社学術文庫)
>どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。
>それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。
桂・五島訳(『龍樹『根本中頌』を読む 』 春秋社)
>縁として生起することを、我々は空であることと言う。
>それは因として、概念設定されることであり、その同じものが中道である。
鳩摩羅什訳
>衆因縁生の法、我即ち是れ無なりと説く。
>亦たこれ仮名と為す。亦これ中道の義なり。
流通している訳
>衆因縁生の法、我即ち是れ空なりと説く。
>亦たこれ仮名と為す。亦これ中道の義なり。
ID://64qryE(1/3)
バカ🟣なのに
頑張ってるな?🤡
>(『根本中頌』24-
だから、ここは「空=仮=中」である、この3つは同じなのであると説いた1節だ
天台の三諦の根拠条文とされ、古来から有名だ
「縁起=空の教えは仮説なのである」と言ってるわけではない(笑)
>空というのも仮名であり、空を実体視してはならない。
> 「縁起=空の教えは仮説なのである」と言ってるわけではない(笑)
?????
以下、桂・五島訳(『龍樹『根本中頌』を読む 』 春秋社)より
>縁として生起することを、我々は空であることと言う。
>それは因として、概念設定されることであり、その同じものが中道である。
縁起=空の教えは仮説だけど?
0118 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/10/08(木) 05:13:34.50
>縁起であるものをすべてわれわれはすなわち空であると説く。
>その空は相対的な仮説である。
>これが実に中道である。
インド仏教思想史 三枝充悳
0340 鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe 2022/07/03(日) 20:17:28.21
縁起であるものをすべて われわれはすなわち 空であると説く。
その空は相対的な仮説である。
これが実に中道である。
(龍樹 「中論」)
空であると説くべきではない。
空ではないとも同様である。
その両者であるとも、その両者でもないとも説くべきではない。
それは仮の名称のために説かれる。
(龍樹 「中論」)
依存性(縁起)をわれわれは空性であるというのである。
その空性は仮の名づけであり、それは中道と同じことである。
依存しないで生じたものなぞ何もないのであるから、空でないものなぞ何もない。
(龍樹 「中論」)
>もちろんわれわれは中国仏教思想の独自の意義を認めるのにやぶさかではない。
>ただわれわれとしては、中国仏教における解釈がインドのもとのものと違うということを指摘するのである。
>(中村元 『龍樹』 講談社学術文庫 より)
ここで中村元が言ってるのは、
「中国では、ここは空をさらに空じた『非有非空の中道』だと解釈されてきたが、それは中国独自の解釈である。インドの原文には、そんなこと書かれていない」
という話だ
では、インドではどういう主旨だったかというと
「『縁起=空=仮=中』、この4つは同じものである」
ということ
そういう話だ。お前が主張してるようなこと(龍樹が説いた空の教えは仮説にすぎない。真理に到達したかったら、坐禅の回数をこなすしかない)とは関係ない😅
その空は相対的な仮説である。
それは仮の名称のために説かれる。
その空性は仮の名づけであり
彼岸(涅槃=あらゆる見解からの払拭)に至る最高の筏が空観だろ。空観が彼岸ではない。
勿論、空観だけが筏ではないけども。
いや、違うんだよ(笑)
そこは、
「すべてのものは、縁起であり、空である。
空だけど、無ではなく、仮に存在している。
仮=空、それこそが中道なのである」
というところ
「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは、仮説なのである」
と言ってるわけではない😂
???
最初からそう云ってるが?
>お前が主張してるようなこと(龍樹が説いた空の教えは仮説にすぎない。真理に到達したかったら、坐禅の回数をこなすしかない)とは関係ない😅
仮設って書いてあるけど?
www
見解を離れるのが空じる事で、その端的が坐禅だろ?
www
> 「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは、仮説なのである」
↓
その空は相対的な仮説である。
それは仮の名称のために説かれる。
その空性は仮の名づけであり、
ここは
「中観派が説く『縁起=空』は、一切は無いと主張する虚無主義の主張である。彼らの言うことが本当なら、仏陀の教えですら虚無になってしまう」
という対立学派(説一切有部)からの批判に対する、龍樹からの反論だ
『縁起=空』が虚無主義ではなく、戯論を滅した勝義諦であることを力強く主張している
「私が説いている内容は、仮説なんです。正直スマンカッタ」と言ってるわけではない(笑)
>>436
>「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは、仮説なのである」と言ってるわけではない😂
↓
>その空は相対的な仮説である。
>それは仮の名称のために説かれる。
>その空性は仮の名づけであり
引用元とその前後を出せよw
「仮に有る」、仮の姿としては存在する
「空=仮」なんだよ
それこそが中道だ
「空性=仮設=中道」の三諦だ
> 「中観派が説く『縁起=空』は、一切は無いと主張する虚無主義の主張である。彼らの言うことが本当なら、仏陀の教えですら虚無になってしまう」という対立学派(説一切有部)からの批判に対する、龍樹からの反論
これについては『廻諍論』で龍樹から反証されてるけど、まさにその仮設であることを以ってそれがされてるんだよ。
>自分のことばも、空であるからこそ本体のないことを証明するはたらきをするのである。
>(『廻諍論』21〜22)
???もあるけど、まぁ、そんなところだな。
↓
AI による概要
龍樹(ナーガールジュナ)の『廻諍論』(かいじょうろん、Vigrahavyāvartanī)は、主に実在論者(ニヤーヤ学派など)からの「すべてのものは空(無自性)である」という主張に対する反論を、「論破(否定)の論破」によって切り返す論書です。
この論書における「空」と「仮設(仮名、prajñapti)」に関する中心的な仮説・論理は以下のようにまとめることができます。
1. 『廻諍論』における核心的仮説:「空であるからこそ、成立する」
実在論者が「もし万物が空(無自性)なら、空であるという言葉も空であり、論争自体が成立しない(空という主張が実在してしまう矛盾)」と批判したのに対し、龍樹は以下のように仮説を立てて返しました。
空性=縁起(相依性): 空とは「何も存在しない(虚無)」という意味ではなく、「それ単独で自律的に存在する固定的な実体(自性)を持たない」という意味である。
仮設の合理性: 自性がない(空である)からこそ、ものごとは相互依存して初めて成り立つ(縁起)。
言語は「仮に設けられたもの(仮説)」: 空を論じる言葉自体もまた、空(実体がない)である。したがって、空論は実在論を否定するが、自らを実体化することはない(「否定の否定」)。
2. 「否定の否定」による論破
実在論者の反論: 「お前の言葉(空)も『自性』を持つのなら、すべてのものが空ではないことになり、自説と矛盾する。逆に、『空』という言葉も自性を持たないなら、それは論証にならない」。
龍樹の回答: 私は自性(固定的な本質)を認めない。私の言葉(空)もまた無自性(空)である。私の空論は、実在論者の「実体がある」という誤った見方(増益)を否定し、消え去る。薬が病気を治した後に薬自体も体から消えるようなものである。
(続く)
3. 「仮設」の役割
『廻諍論』では、言語や概念は「実在を指し示す」ものではなく、「世俗的に仮に設けられたもの(仮説)」として機能するとします。
世俗諦(言語)と勝義諦(空): 言葉はあくまで「実体を離れる(空)」ための便利な手段(方便)として機能していると見なす。
4. 結論としての「空性論」
龍樹は『廻諍論』において、「空を空として認める」ことが、全ての論争を寂滅(沈黙、無矛盾)させる道であると説きます。実在論的な「ある/ない」の二辺を離れた「中道」にこそ真理があるという立場です。
この論理は、後の中国仏教や日本仏教の「仮(仮説)の思想」の根幹にもなりました。
Geminiの方がまともだなw
↓
はい、その通りです。龍樹(ナーガールジュナ)は『廻諍論(えじょうろん)』において、「空」という概念自体もまた**「仮設(けせつ)」**、つまり便宜上の呼び名に過ぎないということを非常に明快に説いています。
龍樹のロジックは徹底しており、「すべてのものに実体がない(空)」と言うとき、その「空」という言葉自体に実体があってはならない、と考えます。
1. 「空」もまた空である
『廻諍論』の中で龍樹は、対論者からの「もしすべての言葉が空(実体がない)なら、お前の『空』という言葉も空であり、何も否定できないはずだ」という論法に対して、以下のように答えています。
* 言葉の道具性: 私の言葉が「空」であるからこそ、執着を去らせる働き(用)を持つのだ。
* 指し示す指: 「空」という言葉は、何らかの実在する「空という状態」を指しているのではなく、事物に固定的な実体がないことを理解させるための**仮の手段(アップーヤ/方便)**に過ぎません。
2. 仮名(けみょう)と中道
これは『中論』第24章18偈にある有名な一節とも深く関連しています。
> 「衆因縁生法、我説即是空、亦為是仮名、亦是中道義」
> (因縁によって生じているものは、私は空であると説く。それはまた仮に名づけられたもの(仮名)であり、また中道の意味でもある。)
>
ここでの「仮名」が、ご質問にある**「仮設(プラジュニャプティ)」**にあたります。
なぜ「仮設」である必要があるのか?
もし「空」が仮設ではなく「絶対的な真理という実体」になってしまうと、それは「空」という新しい教条(ドグマ)への執着を生んでしまいます。龍樹はこれを**「空に病む」**と呼び、厳しく戒めました。
* 薬の例え: 「空」という言葉は、実体があると思い込む「病」を治すための薬です。病が治れば、薬そのものも体から排泄されなければなりません。薬(空という概念)が体に残って実体化してしまっては、別の病気になってしまいます。
> ポイント:
> 龍樹にとって「空」とは、何かの存在を肯定するものでも否定するものでもなく、私たちの認識の誤りを解体するためのダイナミックなプロセスであり、そのための仮のラベルなのです。
>
この「空」の捉え方について、さらに『中論』などの他の著作との比較や、具体的な論理展開(四句分別など)についても詳しくお話ししましょうか?
>龍樹の廻諍論にて空というのは仮設であると云われてますか?
俺は即応即答の 子供電話相談室 じゃねーからw
先にGemini等で下調べしてからにしたらどうだ?
あん?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ハッスル🤡〜
🟣〜〜〜〜
(Geminiより 『般若灯論』に於ける「随順勝義」について)
清弁(バーヴィヴェーカ)の『般若灯論(はんにゃとうろん)』における**随順勝義(ずいじゅんしょうぎ)**は、龍樹の「空」を論理的に解釈しようとする中観派(自立論証派)において、極めて重要な概念です。
一言で言えば、随順勝義とは**「究極の真理(勝義諦)へと導くための、論理的なステップ」**のことです。
1. 随順勝義の定義
清弁は、勝義諦(最高の真理)を以下の2つのレベルに分けました。
* 非安立勝義(ひあんりゅうしょうぎ):
言葉や概念、思考が一切及ばない、絶対的な悟りの境地。分別(区別)が完全に消滅した状態。
* 随順勝義(ずいじゅんしょうぎ):
「すべてのものは自性がない(空である)」と言葉や論理(推論)を使って正しく理解すること。
「随順」とは「従う、近づく」という意味です。つまり、文字通りの真理そのものではないが、真理に合致した(随順した)正しい思考プロセスを指します。
2. なぜ「随順勝義」が必要なのか?
龍樹が『廻諍論』で言ったように、「空」もまた「仮設」です。しかし、いきなり「言葉も思考も不要だ」と言っても、凡夫は悟りへ至ることができません。
そこで清弁は、「正しい論理(分別)」を用いることで、誤った認識を一つずつ打ち消していくプロセスを重視しました。
* 「不生不滅」などの否定的な言葉を使って、執着を剥がしていく知。
* この知は「分別(思考)」ではありますが、真理に向かっているため、通常の迷いの分別とは区別されます。
3. 後得智との関係
ご質問の「後得智」との関係で言えば、以下のような構造になります。
* 根本智: 「非安立勝義」を直接体験している状態。
* 後得智: 悟りから戻り、「随順勝義」の論理を使って人々に空性を説いたり、現象を「空である」と正しく分析したりしている状態。
4. 論理的な特徴:自立論証(スヴァータントリカ)
清弁が『般若灯論』でこの概念を強調したのは、彼が**「空を論理的に証明できる」**と考えたからです。
対論者に対して「不生である」と論理(比量)を立てて論証する行為自体、まさに「随順勝義」の現れです。
> 整理:
> * 究極の勝義: 沈黙(言葉を超えている)。
> * 随順勝義: 「空」という言葉や論証。これが「仮設」であり、かつ「正しい分別」としての後得智の働きと重なります。
仮設な、仮設。
この馬鹿🤡(>>450)を外に捨ててきて!
(会場、大爆笑😂wwwwwww)
ステイタス防衛しておる模様🤡〜
😁
それをわれわれは空性と説く(空)。
それは因りて仮設であり(仮)、
それはすなわち中道である(中)」
↑
これこそ、「空 = 仮 = 中」の三諦が登場した古来に名高いフレーズであり、後に中国に渡って、天台教学の柱となった
お前には、これが
「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」
と読めるのか?(笑)
サンスクリット原文から直訳すると、こうなるらしい
↓
『中論』第二十四章十八偈
およそ縁によって生起するもの,それを空性と見る。それは「(言葉を紡
いで)知らせるというはたらき」によっており,それこそまさに「中道」
である。
yah pratityasamutpadah sunyatam taw pracaksmahe /
sa prajnaptirupadaya pratipatsaiva madhyama/
言語で説き得ないのが勝義諦である」
というのは、よくある通俗的な解釈だ
中論をよく読めば、龍樹はそんなこと言ってない
というのは、裏を返せば、「世俗の言語を用いて説くことは可能」ということだ
龍樹は、世俗の言語で勝義諦を説くことがいかに困難であるかを力説し、「あまりにも困難なため、あの釈尊でさえ断念しかけた」という話をした後で
「その難しいことをやり遂げて最高の真理を説ききり、
見事に戯論を寂滅した。偉大なる釈尊に最敬礼!!」
と言っている
要するに、「釈尊は世俗の言語を用いて勝義諦を説き切った」ということだ
ウンチクの山盛りで
なんか議論できた気分になるよーだな?
😁
あなたが縁起と空性を認めないことは,一切の言葉の正しい使用
(samvyavahara)を退けることになる。
「言葉を止滅することだ」とは言っていない
聖ウンコ派が好む「現量/比量」、「勝義諦/世俗諦」の話題にさんざん付き合わされている
そもそも、ここにこだわること自体がおかしいんだが😅
これが仏教の最重要テーマであるかのように錯覚するな
聖ウンコ教の話だ😅
増殖して、あっちこっちへ飛ぶしな
😁
デンパパセイジン👽も
それに近いけど
😁
> 「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」
>
> と読めるのか?(笑)
あのなぁw😚、仮説(けせつ)な?
仮設(かせつ)と勘違いしてないか?
それそのものは名付け様がないから、仮に「空」って命名してるって事な。
>その空は相対的な仮説である。
>それは仮の名称のために説かれる。
>その空性は仮の名づけであり
>>455
> 「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」
>
> と読めるのか?(笑)
あのなぁw😚、仮説(けせつ)な?
証明されたわけではないとか、それ、仮説(かせつ)と勘違いしてないか?
龍樹のそれは仮説(かせつ、hypothesis)じゃないぞ?!
仮設・仮説(けせつ)、説仮(せつけ)、仮名(けみょう)なんて云われるそれな🤭
それそのものは名付け様がないから、仮に「空」って命名してるって事な。
>その空は相対的な仮説である。
>それは仮の名称のために説かれる。
>その空性は仮の名づけであり
仮説(けせつ)を仮説(かせつ)と思ってたとかwww
通りで話の辻褄が全く合わない訳だ。
それはお前だよ
「お前がそう誤読している」と、こちらは指摘している
うんうん、その通り、その通り!
まさにその通りだ!!
仮説(かせつ)じゃなくて仮説(けせつ)な!!!
言葉は正しく使用しような!!!!
お前は、龍樹のいう「空性=仮説=中道」の意味を誤解し
「私(龍樹)の説く『縁起=空』の教えは仮説(かせつ)にすぎず、本当の真理ではない。本当の真理を知りたければ、ひたすら坐禅の回数をこなすしかないのだ」
と、誤読している🤣
空といっても、何も無いわけではない
仮の姿としては存在する
それこそが中道だ
それが、「空=仮=中」の三諦
jblなんでこんなに分かりやすく言ってんのに
話が通らないやろ?
と思ってたわ
空を仮説として置くが分かってなかったんかいな
お前には、これが当方の主張に見えるのか?
↓
455 ◆JBLfMwCXhY [sage] 2026/01/27(火) 11:39:45.15 ID:SXwMu
「縁起ということ、
それをわれわれは空性と説く(空)。
それは因りて仮設であり(仮)、
それはすなわち中道である(中)」
↑
これこそ、「空 = 仮 = 中」の三諦が登場した古来に名高いフレーズであり、後に中国に渡って、天台教学の柱となった
お前には、これが
「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」
と読めるのか?(笑)
少しヒネった言い回しをすると、たちまち誤読される
申し訳ないが、お前の読解力じゃ哲学なんか無理だろ(笑)
> それはお前だよ
>
> 「お前がそう誤読している」と、こちらは指摘している
wwwwwwwwwwwwwwwwww
俺はちゃんと「仮の名づけ」って>>431以降、7回も説明してるけど?
> ここでいう仮説(けせつ)ってのは、「仮の存在」ってことだよ
はぁ?
仮の存在?????
wwwwwwwwwwwwwwwwww
仮の名づけだろ?
話してんだから分からんでも
ピンときそうだがなあ
流石jbl馬鹿、仮説の字面ばかりみとるわ
>お前には、これが
「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」
と読めるのか?(笑)
↑
これは、どう見ても、お前に対する皮肉だろ
お前にはこれが、当方の真意に見えるのか?
導くためにあえて仮名として空を置いたよ
ってことだよ
小学校の頃から、国語のテストが苦手だっただろ?
哲学談義には、根本的に向いていない
どうやら、ハッスル軍団のゲキリンに触れたな🤣
趣旨に疎いんだjblは
馬鹿なんかちゃんと読んでないかの
どちらかだな
例えば、JBLくんが、龍樹の仮説(けせつ)を"かせつ"と誤読して、それが仮の名づけではなくて、事物を証明するための命題って勘違いし、その間違いを指摘された今の状況をいいます。
チィーーーン。
な〜む〜🙏
「言葉では、法を説けない。
言葉は、正しい認識をさまたげる。
釈迦の教えは方便だ。
龍樹の中論も方便だ。
本当の真理ではない」
↓
「本当の真理を知りたかったら、
ひたすら坐禅するしかない。
坐禅の回数で決まるのだ」
これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあ
このドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣
例によって、強引なレスを連投する物量作戦
こちらの根気が尽きるのを待つ作戦か
そればっかりだな、いつも😅
別にw
坐禅も一つの方便、筏だしw
それ自体は喜ばしいことだよ
うんうん、ショックだったよね😭
大恥かいたよね😱
でもさ、こうして指摘されなければ、一生そのままだったんだから。
別にw
坐禅も一つの方便、筏だしw
↑
それは、その通り
坐禅など必要ないというのには賛成
わかった、わかった
ご苦労さん!!(笑)
そうじゃないよ。
"自分合った筏を探しなさい"って事だよ。
そろそろ、坐禅という筏を乗り捨てたらどうか?
執着が過ぎるぞ
>>307
www
筏そのものになって筏を漕ぎ続けるのが涅槃なんだけどな。
行く先に 我が家 有りけり 蝸牛(かたつむり)
by 山岡鉄舟
戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する。
根本中頌 帰敬偈
↓
鬼子、ぴっぴ、不思議現象が起きている。
鬼子、ぴっぴのレスのタイムが午後6時になっている、なんだ、これは?
18:24:19.86ID:k57qVemM
だぞ、時間が後退した笑。
↓
実は別の日のレスを見てただけだったというオチw
仮名、仮説、仮設がわからんけりゃ
中論なんも分からんやんけ
前から指摘しとるけど
唯識が何故否定された法有を仮有として
準拠したか?
考えたら分かるやろ
リダン
龍樹は空を仮説(けせつ)と説示してる。
↓
JBL
龍樹は空を仮説(かせつ)なんて言ったないじょー😡!
↓
リダン
えっ😅www
栖雲
JBLは仮説(けせつ)をかせつ(仮説)と勘違いしてるw
↓
JBL
😱😱😱(冷汗三斗)
そして>>503へ
(あっ、やば、即逃げ 😨💨💨💨)
分かったきになってないで
ai翻訳なり解説本なり読めば?
JBLってしょっちゅう"しくじる"よなw
しくじりJBLってか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
仮説としておかれた方便である
を真諦とごちゃごちゃにすっから
そのままでいいんだつー
馬鹿が増えるんだよ(安堂、ロン)
だからしつこくいってんの
安堂に限っては世俗と勝義を勘違いしてたし
指し示す指が勝義とかな
無茶苦茶
空亦復空。
284 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/27(火) 10:55:38.55 ID:ZCkbr
まぁ、無分別知が清弁(バヴィヤ)のいう「非安立勝義」なら、無分別知後の分別知は「随順勝義」って事だな。
仏教の歴史ってなあよ
お釈迦様の教えの魔改造なんよ
なんでか?方便だから
その都度、その時世にあった対機説法
極端な話、それで勝義に導けるなら
なんでもいいんだよ
方法論だから
南無妙法蓮華経の七文字でええの
ロジックを解明するならまだしも
法怪みたいにわざわざ
馬鹿みたいな持論を
馬鹿みたいに解釈してたら意味ねえ
「言葉では、法を説けない。
言葉は、正しい認識をさまたげる。
釈迦の教えは方便だ。
龍樹の中論も方便だ。
本当の真理ではない」
↓
「本当の真理を知りたかったら、
ひたすら坐禅するしかない。
坐禅の回数で決まるのだ」
これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあ
このドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣
はいはい
ウイキ貼り付けて分かったきになってないで
一度ちゃんと読めよ
あっ、しくじりくんだ!
ドンマイだよ😉!
> これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあ
>
> このドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣
だなら、筏は坐禅だけじゃないってw
自分の筏を見つけてね😘
単純に仮説がわからんかったんやな
やれやれ
単純にお前が足りてねえだけやないかいw
何で龍樹がなんで仮説として空をおいたか
考えたら分かる話やろ?
悦に浸ってるだけやお前
でおーの法則がはたらいて、いつの間にか仮説(けせつ)をかせつと読む様な、変なものに取り憑かれるからな。
建物(勝義)を建てる(導く)ための
仮組みやろが
勝義は戯論の寂滅であると
しかしながら
それを説明するためには
仮設として
「八不中道」
「戯論寂滅」
「空」
と
あえて置いたんだよ
「空」と言う定義、方便を
あたかも真諦と見間違い
龍樹の意図と真逆のことをやるんだよ
特にお前
🤡
で
ビクトリーだいっ‼️〜〜
🤡〜
信仰だ〜〜
🤡
🔥
この馬鹿🤡(>>532)を外に連れてって!
(会場、大爆笑😂wwwwwww)
まだいたのかよ(笑)
あ、しくじりくんだ!
ドンマイ😉!
ハッスル〜🤡
ハッスル〜🤡
「空」って仮組みはバラされるんだよ
字面を追うばかりだから
表記された「空」が拡張(戯論)し
実体化しとんのお前は
馬鹿だなあ
ダメダメやん
そもそもウィキでみただけやろ
😁
中観派といえば、龍樹の中論だが
龍樹の中論は出発点にすぎず、
後のチャンドラキールティを始めとする
後期中観派こそが重要なんだってことを
痛感する
後に、チャンドラキールティを学ぶカリキュラムに変わったらしい
説一切有部の五位七十五法を研究し、中観派の教義に取り入れた異色の書
法相宗では、開祖の世親より、ダルマパーラ(護法)のテキストが中心になっている
日本では、中観派の流れが途絶えてしまった
日本でも、チャンドラキールティが正義とされていたのかも
月称(げっしょう、チャンドラキールティ)は、7世紀のインド仏教の中観派の思想家・注釈家である。ナーランダ僧院で学んだ学生の一人。
生誕西暦600年
ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』の注釈に関連して仏護を批判した清弁への再批判を行って帰謬論法の有効性を主張し、中観派における帰謬論証派(プラーサンギカ)と自立論証派(スヴァータントリカ)の二派対立の端緒になった。
主著の『入中論』においては、克明な唯識批判を行った。また、ナーガールジュナやアーリヤデーヴァの著作に対する注釈を著した。
月称はチベットで論師として重視され、諸作品はチベット大蔵経に収められている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Candrakirti.gif/500px-Candrakirti.gif
唯識派の巨匠ダルマキールティ(法称)と名前が似てて、紛らわしい
キールティは名声、高評価という意味らしい
漢訳者は、シッカリと意訳している
この書で、身体と心の5つの構成要素(色・受・想・行・識)が自性(不変の実体)を持たず、空(くう)であることを明らかにし、人間存在を構造的に分析しました。
『中観五蘊論』
(Pancaskandhaprakarana):説一切有部などのアビダルマが説く五蘊の分類を基にしながら、空の思想で解説した論書です。
この論書は、人間存在を5つの要素(五蘊)に分けて観察し、その全てが空であると気づくことで、実体への執着を離れることを目指しています。
日本の法相宗(唯識派)で、開祖の世親より、ダルマパーラ(護法)が正統とされているように
チベットのゲルク派(中観派)では、龍樹よりチャンドラキールティの著作が標準テキストとして使われているらしい
チャンドラキールティによって、中観派に取り入れられた
チャンドラキールティは、チベットでは中観派を代表する論師とされている
五位七十五法とは:説一切有部が説く、存在(有為法72+無為法3)を5つのグループ(位)に分類した75の要素。
中観派の立場:有部が主張する、各法が自性(実体)を持つとする「実有論」を否定(一切法空)。
『中観五蘊論』の役割:中観派の視点から、有部アビダルマの法体系を「世俗諦(慣習的な現実)」の範囲内で説明する教理的ツールとして利用。
空と実体:中観派は、諸法が独立不変の実体を持たないからこそ、縁起が可能であると主張し、七十五法を「空なる存在」のリストとして解説。
説一切有部の五位七十五法
これは、「実体のある存在のリスト」だ
龍樹によって「実体がない」と退けられたが
チャンドラキールティが「空の存在リスト」として復活させたようだ
↓
法の体系が担う役割と機能をめぐって
―『中観五蘊論』に基づく考察―
横山剛
チャンドラキールティ(Candrakīrti, 7世紀頃)が著したと伝えられる『中観
五蘊論』( Madhyamakapancaskandhaka, チベット語訳のみ現存)は、中観派の視点から説一切有部の法の体系(いわゆる「五位七十五法」)を解説する特異な中観論書である。
同論は中観思想と有部の教理の関係を考察する際に貴重な資料となる。本発表では、具体的な問題としては同論の著者問題(本当にチャンドラキールティが書いたのかどうか)を扱うが、そのために有部の法体系が担う役割と機能にまで踏み込んで考察を行う。
中観派もそれをやっていたのか
つまり、「無いわけではなく、仮に存在するもののリスト」ってわけだな
どちらも大乗仏教であり、「空の思想」なのだが
程度の差ってものがある
中観派は、より尖鋭に「空」を強調する
唯識派は「識」の存在を認めているため、中観派ほど空度(?)が高くない
その辺は
天台宗、華厳真言と、内容を変化させていったのだろう
仮は事
空は理、
八宗綱要で
理事無碍法界と天台を設定し
華厳真言は事事無碍法界と提示すると
仮としての存在の無碍
すなわち
一即多、多即一
となるわけだ
少し理解が、
これて進むだろう
😆
識=空なのだろう
😆
三論宗のライバル成実論だろな
😆
という設定なんやろ
😆
中観派も、初期仏教以来の「五蘊・十二処・十八界」をしっかりと受け継いでいた
なるほどね~😆
だから色即是空とか
やってるんだろ
😆
識が、空の代わりになってるんだな~😆
確かに
真言とチベット密教だ、
物質の構成要素が禅定に現れる
当然禅定認知は俺はできる
😆
ルンとか光明とかの粒子
真言は六大だ
😆
ガンダムユニコーンか、ガンダムダブルオーみたいなノリがある
😆
わからん😅
それが
唯識の仮有につながるやろ
教理的ツール
ようは一時的な仮組として有用なわけや
アレフガルドに住む人にとって
法有とは
圧倒的現実だからだ
まずこっから仮組を使って
強固なそれを解体しなけりゃならない
なんやいつもみたいに
そうなんだ😀
や
素晴らしいな😆
と言ってやらないのか?
ちょっとずつ解体していって
円融と
まあ日蓮宗は
それじゃ時間かかるから
密教方向で解決するわけだ
南無妙法蓮華経の七文字で
一度否定したそれを
仮にまずあえて認め(仮設)(即非)
ツールとして扱うってことやな
その理論内容が空の定義(仮設)
言ってんだよな
コーヒーはコーヒーに非ずゆえに
コーヒーと名づく
趣旨に疎い
これは誰が言った
このように言った
それ知らないの?とか
まあ知っておくべきであるが
そこじゃないんたま
何故そう言ったかやな
重要なんは
国語で単語の成績はいいが
作者の意図、出題者の趣旨を
読み取る成績が0点なんだろう
それは国語が得意とは言わないけどな
jblに至っては得意な単語すら
やらかしたし
そうなったら国語の何が得意なんだよってなるよね
ハッスル〜🫥
仮にまずあえて認め(仮設)(即非)
ツールとして扱うってことやな
その理論内容が空の定義(仮設)
これが中論の主題だ
龍樹が法有を否定し
空という仮組を設置し再定義した
と言う事だ
当然仮組、仮名、仮説、仮設であるため
方便であって
導かれれば解体とともに仮組もバラされる
戯論寂滅の様(勝義)へ導くための
仮組
ここまで噛み砕けば理解するであろう
🫥🫥🫥
と表記されたそれは
仮設、いわば方便であるということ
何故ならば
拡張(戯論)するからだ
しかしその仮設を用いなければ
勝義を説くことは出来ない
国語が得意設定はやめたら?
無理があるぞ
まあ、そうムキになるな(笑)
漢字単語得意にしては
一度のバツが致命的やないか
仮説(かせつ)と思ってりゃ
いままでの俺の説明は
そりゃ全く分からんわw
中論の解説本でいいから読めと言ってんだ
話す土台が出来とらん
お前はバカか(笑)
こっちは、年季の入った仏教哲学マニアだぞ
仮説(けせつ)くらい知らんわけないだろ
頭を冷やせ😂
そうかい?
なら話しはわかるやろ
1,勝義
2,仮説
「聖ウンコ師が正しくて、他が間違っている」
と思い込み、頭から決めつけている
常に冷静さを欠いており、何も分かっていない(笑)
いいから
答えろよw
なぜなのか、その理由が分かるか?
・・・いつもカッカきてるせいで、対話が成り立たねえんだよ(笑)
いいから答えろよwwww
してしまうと
言語であるため拡張し
実体化し
いわゆる煩悩となってしまうわけだな
鹿アンチのせいでまともな判断をくだせず
曲げてしまう
その事実に気がつくべきだなあ
当方は、聖ウンコ師のレスを全否定しているわけではない
仏教学者の論文のコピペは参考にしている
彼の読解に問題があるだけで(笑)
今回に関しては
君の読解に問題があったなあ
ここ外したら唯識なんか無理よ
そのままでいいなんてなあ
信仰の方法論
信仰してねえのにそうほざく
ロンは問題外
かなり長く対話したあとでも、確認してみると、こちらのレス内容をまったく理解していない
対話するのは無意味だ
一方的に連投するだけにしてくれや
後で読むから(笑)
言うほど気にしていない(笑)
空と表記されたのは
まだ勝義と言い張る?
仮設を用いなければ
勝義を説くことは出来ない
ということだよ
お前は「中観派の勝義諦/世俗諦」というテーマに、極端にこだわっている
このテーマへの執着は凄まじい😂
それに付き合ってると、こっちもその話ばっかりすることになるんでなあ
そんなヒマはない(笑)
なんのスレかみてこいよ
ここ外したら唯識なんか無理よ
>>こっちは、年季の入った仏教哲学マニアだぞ
仮説(けせつ)くらい知らんわけないだろ
↓
>「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」
> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。
> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。
> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。
> 仮説にすぎず、証明されたわけではない。
JBLさぁwww
知らないのは恥じゃないから。
知ったかするのが恥なんだよ。
俺はレスする前に大抵の事は下調べしてからするから、それはまずないよ。
常用語の仮説でも
ある程度意味は通るじゃねぇかよ
聖ウンコ師の大好きな「陳那の現量/比量」の話に、何日も延々と付き合わされてたな~😫
終わりにしよう
はよ答えろ
人間には、偏執的な「パラノ型」と、分裂的な「スキゾ型」がいるらしい
当方やでお~様のように、話題がコロコロ変わるのは「スキゾ型」
リダンやセイウン様のように、執着が強いのは「パラノ型」
だから、合わない(笑)
あほか
最重要だからしつこく言ってんだよ
どんだけ付き合わされるんだよ、このテーマに
毎回、同じような回答をしている
もう飽きた
終わりにしたるから
はよ答えろ
空の理を間違えてたら
以降全部間違うやろが
その執念深い性格をなんとかした方がいいぞ
飄々とした、流れる雲のような人になれ
はいはい
はよ答えて
> >「私(龍樹)が説いている『縁起=空』の教えは仮説にすぎず、証明されたわけではない。真実を知りたければ、坐禅の回数をこなすしかないのだ」
それは、お前の主張内容を要約してやったんだよ😂
当方が「坐禅の回数をこなすしかない」なんて言うわけないだろ
バカめ!!
「言葉では、法を説けない。
言葉は、正しい認識をさまたげる。
釈迦の教えは方便だ。
龍樹の中論も方便だ。
本当の真理ではない」
↓
「本当の真理を知りたかったら、
ひたすら坐禅するしかない。
坐禅の回数で決まるのだ」
これが、聖ウンコ教の中核教義(セントラル・ドグマ)だもんなあ
このドグマを否定されたら、聖ウンコ教は終わり🤣
「坐禅をしすぎると、こんな壊れたバカになるんだな」
「だったら、ヤメとこう」
となるだろ
禅宗にとっては、迷惑な話だ😫
まあ分かる
認めたくないよね
自分の間違いを
ただそれは手放すべきじゃないかな?
そもそもjblが
空と表記されたのは方便であると
いうことに
突っかかったのか?
それはJBLの妄想的願望だよ。
仏教用語の読み方から教わらなきゃならないレベルがあなたなんだし、そこは自覚してレスには注意した方がいいね。
まーーーーーーーた、電波📡⚡️⚡️が飛んでるの?
精神病院にレリゴー💕
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
そんな事は一切云ってないし、世俗諦の解釈も紹介してるけどな。
↓
0013 スジャータ大山 2018/10/26(金) 20:37:12.17
諸仏の説法は、二諦によっておこなわ れる。
世俗諦と勝義諦とである。
これら二種の諦の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深い真実を理解しない。
ことばによる説明によらなくては、勝義は説かれ得ない。
勝義にもとづかなくては、ニルヴァーナはさとられない。
(龍樹 「中論」)
ここが分からいなら
唯識の仮有が分からんってことになる
仮説として置くのは
俺らに分かるよう説明するからだ
それを方便っていうんだよ
仮有やなくて法有になっちゃうだろ
空も同じ
空って定義、言語に囚われると
言語拡張(戯論)により
実体化してしまうということ
あとはそのくだらんプライドを捨てろ
常用語の仮説でもいいわけだ
それらは空であるということを
龍樹は延々と中論で証明していくわけだから
空という仮説であって
勝義への証明が終われば
一緒に瓦解する
作者の意図、出題者の趣旨
(スレタイ)
を理解しろよ馬鹿
馬鹿と証明されてしまったな
悔しいな?
くだらんくだらん
そんなしょうもないプライドは捨てろ
前から思ってたが、お前は発達障害だな
単刀直入、ストレートな表現でないと、お前には伝わらない
皮肉やヒネッた言い回しは通じない(笑)
この人生、コミュニケーション能力の不足で、さぞかし苦労しただろな
坐禅なんかヤメとけ
まあ、ヤメなくてもいいが、回数を減らすこったな
ますます壊れたバカになるだけだぞ(笑)
お前には、こちらの言いたいことが伝わらんのだよなあ
皮肉や嫌味は、まず通じない(笑)
薬は体内において
役割を果たせば、毒と一緒に流れでて
消えていく
そう言うことだよ
お前がとんでもねぇ馬鹿と言ってるんじゃねえ
話がわかると思っている
とんでもねえ馬鹿は
ロンと安堂
あいつらにこんな話しても
猫に小判
しつこく言ってんだ
安堂にゃこんな話はしねえ
スレ主や安堂にゃ通らないだろ
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。
wwwwwwwwwwwwwwwwww
いや、俺が出向行ってた研究機関って、そういう枠なかつたし、前任は文部省からの出向者だったし🤭
それまでは、主に仏教の原点を巡るレスの応酬が殆どだったし。
非常に役にたちましたよ
紹介してくれた本
いまだ中論までしか読んでませんが
jblが貼ってくれたやつを読んだ
まあ
細かい翻訳かaiだからってのはあるだろうけど
趣旨は読み取れるね
釈尊の言葉だよjbl
鹿アンチで曲げてたら
しょうもない話だ
好きにしてくれ
本論文では,中観思想史上における位置づけを指向しながら,チャンドラキールティの中観思想を考察したものである.そのための視点として,(a)二真理説,(b)空性論述の方法,(c)実践論との関係,(d)唯識思想批判という四点を設定し,その視点に沿いながら,チャンドラキールティ以前の中観思想との比較を行いつつ,チャンドラキールティの思想的な特色の解明につとめた.その考察の結果はつぎのようにまとめられる.
(1)二真理説は,まず個別の認識主体の差異に重点を置いた構成上の特色と,空性論述に伴う問題を回避する意図で,排斥(badha)の回避という機能をもつ.
(2)チャンドラキールティにとって世俗とは,否定的なニュアンスが強く,それがヴィチャーラを介在させて世間の営為と交錯する.そのかぎり,世間の営為は世俗と同一視される.この点は,世俗を世間営為と一義的に捉える解釈とは大きく異なる.
(3)チャンドラキールティは世俗の構造そのものにも注目した.世俗真理を基準とし,それより下位の「世間からして虚偽」と上位の唯世俗を想定したのである.その結果,彼の二真理説は現象世界を想定する理論の様相を呈する.
(4)チャンドラキールティは勝義を聖者との関わりで捉えようとしている.勝義に関しては聖者の見方に従うべきであるとし,さらに,勝義は仏陀の認識対象であるとしつつも,聖者の勝義をも,それに準じた形で真実と捉えようとしている.
(1)ブッダパーリタが推論式を使用していない点を批判するバーヴィヴェーカに対して,チャンドラキールティは反論する.彼は,中観論者の主張非定立という立場から,中観論者本来の空性論述の方法として「プラサンガ論法」(prasanga-apatti)を提唱する.
(2)ただし,チャンドラキールティは推論式の使用を拒否せず,実際にブッタパーリタの文章を推論式に書き換えてもいる.その推論式の特色は,自らの主張を定立せず,対論者の主張だけで構成される点にあり,プラサンガ論法と同様の構造をもつ.
(3)チャンドラキールティはバーヴィヴェーカの推論式を批判した.その論点は,バーヴィヴェーカが主張命題に付加した「勝義において」という限定に集中し,世俗のレヴェルに属するものを勝義のレヴェルに持ち込むことを論理学的に問題とする点にある.
3.実践論との関係
(1)チャンドラキールティは,菩薩となるべき三要因中の大悲を再優先するという独自の視点を提示し,大乗の意義を,大悲などの,従来にない新たな実践論の提示と法無我の詳細な説明に帰する.彼が大悲を強調するのは,中観思想に大乗としての意義を与える意図があったと思われる.さらに,菩薩の三要因を有力な実践理論の一つ十地説と結びつけてもいる.この結合こそが彼の主著Madhyamakavatara(MA)の原理的な基盤となる.
(2)チャンドラキールティはMA第6章で中観思想を提示する二つの理論を用意する.第一は,般若への止住による止滅の獲得を最終目標とし,そのための方法を,縁起の観察,ナーガールジュナの方法への追従,中観思想の論述という順序を追って提示するものである.第二は,十種の平等性を現前地への移行条件とするDasabhumikasutra(DBh)の記述に注目し,それから中観思想論述の妥当性を引き出すものである.これらの理論から,中観思想の提示をあくまでも実践論的な視座から捉えようとする意図が伺える.
(3)チャンドラキールティが空性分類説を,MA第6章の大きなテーマとして取り上げた動機としてつぎの二点が推定される.第一は,空性分類説を法無我の詳細な説明と捉える点であり,第二は,十六空性説の中の自相空性で実践論に言及する点である.それは,実践論を空性論的な視座から意識的に捉えようとしたことを意味すると思われる.
(1)チャンドラキールティは唯識学派を「認識論者」や「表象論者」と呼び,唯識学派を認識の存在性を主張する一派として位置づけ,唯識思想批判も認識の存在性の問題に限定される傾向にある.これはバーヴィヴェーカが唯識学派を「ヨーガの実践者」と呼び,唯識思想全般をトータルに批判しようとした点と対比される.
(2)チャンドラキールティは,アーラヤ識の想定を不要と主張するが,その存在を便宜的に認める.ただし,それは真実としてアーラヤ識を説く唯識学派の主張とは異なり,唯識学派の独自性を失わせた形でである.
(3)チャンドラキールティは唯識思想批判の中心テーマとして唯識無境を徹底的に批判する.というのも,認識の存在性を認めることは,実在論的な発想につながり,かつ,世間的な見方に反することにもなり,二重の意味で容認できなかったからである.
(4)自己認識説は精緻な理論であるが,チャンドラキールティの批判の仕方はそれとは異質であり,唯識学派の主張とまったく噛み合っていない.彼の批判が異質なのは精緻な理論体系が勝義の指向にとって意味をなさないという発想に立つからと思われる.
(5)DBhの唯心説は唯識無境の重要な根拠である.チャンドラキールティもその説を中観学派の立場から捉え直す必要があった.彼は唯心を,世間の行為主体と解釈し,さらに,唯識学派の唯心解釈を批判するために,心が物質に対して「主たるもの」と解釈する.
マイナーなテーマなので、こういう専門的なのしかない
現実に即した方便としては
俺の主張がもっとも適している
って話なだけ
それの改良ってだけ
何故ならば
ドグマ化を嫌うからだ
いつの間にかその方便が意図と外れ
ひとり歩きするから
ゆえにお釈迦様は説法を文字で残すのを
嫌ったのさ
方便があるべき姿なわけだな
違う方便を説く
当然、適した方便だと主張するものたちは
勝義がなんたるか?をしるものであるから
自在に方便を変えるのだ
存在を要素に解体することを通して、万物に実体がなく、空の存在であることを確信するに至る
析空観を身につけるプロセスだ。だが、それだけでは終わらない
今度は、瞑想を集中的に行う。深い瞑想状態の中で、空性を現量了解するのだ
それが、体空観だ
チベット仏教では、この両方が必要とされている。「車の両輪」というより、析空観という一輪車の上に、体空観が乗っているという感じだ
ウィキをみるべし
密教化するにつれて、瞑想仏教そのものと化していった
現代における中観派のイメージには、コレがおおきく影響している
理論的な基礎を築いたのは、月称ことチャンドラキールティだ
迷子になるぞjbl
方便なんだ
ということだ
チベット密教には当てはまると言っていいだろう😄
私はとお釈迦様を説く
基本的にはお釈迦様は
私が言うとはいわない
が
重要な箇所では私がと言う
何故か?
当然無我なのに私?
と突っ込まれた
しるものは巧みに言語(方便)を
巧みにあやつるのですと
チャンドラキールティ(月称)の思想:論理、二諦、そして実践
チャンドラキールティ(Candrakīrti、月称、ca. 600-650)は、インド大乗仏教中観派の論師であり、ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』に対する注釈書『プラサンナパダー(明句論)』や、中観思想を菩薩の修行階梯(十地)に沿って説いた『入中論』の著者として知られています。彼は後に「帰謬論証派(プラサンギカ・マードヤミカ)」の確立者として、特にチベット仏教において極めて重要な地位を占めることになりました。以下に、提供された研究資料に基づき、彼の思想を「論理学的手法」「二諦説と存在論」「菩薩の実践論」の観点からまとめます。
法相宗でダルマパーラ(護法)を正義としているように
チベット仏教では、チャンドラキールティ(月称)が極めて重要な位置を占めている
帰謬論証(Prasaṅga)の重視と自立論証の批判
チャンドラキールティの思想を特徴づける最大の要素は、その論証方法にあります。彼は、論敵の主張を仮に受け入れ、そこから論理的な矛盾や不合理な帰結を導き出すことで相手の説を破る「帰謬論証(Prasaṅga)」を中観派の正当な方法として位置づけました。これは、先行する中観派論師であるブッダパーリタの手法を擁護し、逆に論理式を用いて自らの立場の正しさを積極的に証明しようとするバーヴィヴェーカ(清弁)の「自立論証(Svātantra-anumāna)」を批判するものでした。
吉水千鶴子の研究によれば、チャンドラキールティの「論理学」は、具体的には「帰謬」と「対論者に成立していることにもとづく推論(他比量)」を指します。彼は「中観派には自らの主張命題(svapratijñā)はない」と明言し、実在論的な前提に立つ自立論証を拒絶しました。これは、中観派にとって論証の主題となる事物が実在しない以上、論証因の主題所属性が成立せず、ディグナーガ(陳那)の定める推論式の規定(立敵双方が主題の実在を認めること)を満たせないと判断したためです(吉水 2010)。
「帰謬論証派」といえば難しそうだが、要は「反対しかしない」左翼野党みたいなスタンス
チャンドラキールティは、「中観派には自らの主張命題は無い」とまで断言してるという
そら主張命題があったら
己がいう四句否定で
カウンターくらうからな
というのが、長年の疑問だったのだが
どうやら、これは正しかったようだ
中観派、とくに帰謬論証派は、「お前の言ってることは間違いだ」とツッコミを入れることに特化した、ツッコミ芸人みたいな宗派
勝義に導くことが中論だよ
そうそれが即非だ
チャンドラキールティは、ディグナーガ論理学における「共通成立(ubhayasiddhi)」の原則、すなわち「議論の前提となる主題や証因は、立論者と対論者の両者によって認められたものでなければならない」というルールを否定しました。
(中略)
ただし、チャンドラキールティはディグナーガの論理学を全面的に否定したわけではありません。吉水は、彼が他者を教化するための「他者のための推論」の規則や、帰謬論証の方法論においてディグナーガと共通する要素を持っていることを指摘しています。彼は世間的な約束事としての論理規則を「世間のみで認められたもの」として承認し、それを用いて相手を真実へと導こうとしました(吉水 2010)。
後代のチベット仏教(特にゲルク派)において、チャンドラキールティは「帰謬派」の開祖、あるいはその体系を大成した人物として認識されています。西沢史仁によれば、ゲルク派のチャンキャ・ロルペー・ドルジェらは、ブッダパーリタが最初に帰謬の論法を用いたものの、自立論証派説を否定して帰謬派説のみが妥当であることを論証し確立したのはチャンドラキールティであるとして、彼を開祖と見なしています(西沢 2017)。
だんだん分かってきたな、後期中観派ってものが
「勝義諦と世俗諦の二諦説」だ😄
世俗における自性の否定
存在論において、チャンドラキールティは徹底した無自性説をとります。特筆すべき点は、彼が勝義(究極的な真実)においてのみならず、世俗(日常的な現実)においても事物の「自性(svabhāva)」や「自相(svalakṣaṇa)」による成立を認めないことです。彭毛才旦が指摘するように、チャンドラキールティは『入中論』において、もし事物が自相に基づいて存在するならば、空性を観ることが事物を破壊することになってしまうと論じ、世俗における自相の成立も否定しました。この点は、世俗においては自相の成立を認める自立論証派(と目される論師たち)との決定的な相違点とされています(彭毛 2019)。
那須真裕美の研究によれば、チャンドラキールティの二諦説における「世俗諦(saṃvṛtisatya)」は、あくまで凡夫(異生)にとっての真実であり、聖者(ヨーガ行者)にとっては単なる「唯世俗(saṃvṛtimātra)」に過ぎません。聖者は世俗諦の真理性を否定します。バーヴィヴェーカが世俗諦を「勝義へ到達するための階梯」として肯定的に捉え、考察(vicāra)の対象としたのに対し、チャンドラキールティは世俗諦そのものを「考察する必要のないもの」「真実ではないもの」としました(那須 2002; 那須 2004)。
では、どのようにして勝義に至るのでしょうか。那須によれば、チャンドラキールティは「世俗諦(saṃvṛtisatya)」とは区別される「言説諦(vyavahārasatya)」という概念を用いています。これは勝義の説示であり、方便として生じたものです。世俗諦そのものは考察の対象ではありませんが、この言説諦(教えとしての言葉)は「考察(vicāra)」されるべき対象であり、これを考察し否定することを通じて、言葉を超えた勝義へと志向することが可能になります(那須 2000)。
新作慶明によれば、チャンドラキールティは縁起の教説を、凡夫の知に関係する「生の縁起」(生などが説かれる未了義の教え)と、聖者の知に関係する「不生の縁起」(不生などが説かれる了義の教え)に区別しています。凡夫にとっての「此縁性(これが縁となってあれが生じる)」は、聖者にとっては、事物が固有の特徴を持って成立していないことを見抜く「唯此縁性」となります。チャンドラキールティは、凡夫の知る「世間的な真実」を認めつつ、聖者の視点からそれを「唯世俗」として相対化する構造を持っています(新作 2020)。
そうだったのか!!
世俗諦は「凡夫にとっての真実」
勝義諦は「聖者にとっての真実」
なんだそうな
> 勝義への階梯:言説諦(vyavah?rasatya)
>
> では、どのようにして勝義に至るのでしょうか。那須によれば、チャンドラキールティは「世俗諦(sa?v?tisatya)」とは区別される「言説諦(vyavah?rasatya)」という概念を用いています。これは勝義の説示であり、方便として生じたものです。
お~い、聖ウンコ!!
これが、どういうことか分かるか?😆
チャンドラキールティは、言葉によって説かれた方便としての真理を「言説諦」と呼び、「世俗諦」(凡夫にとっての真実)とは区別してたらしいぞ
「ひょっとして、チャンドラキールティの二諦説は、聖ウンコ派が言ってるような内容かもしれないな?」
と思いながらコピペしたのだが
・・・やはり、違ってた(笑)
言葉によって説かれた方便としての真理を
って書いてるやん
お前の目は節穴か
チャンドラキールティの思想は、インドにおいては一時期目立たない存在でしたが、後にアティーシャ(Atiśa)などを通じてチベットに伝えられ、決定的な影響を与えました。アティーシャはチャンドラキールティをナーガールジュナの正統な後継者として高く評価しました(宮崎 2009)。また、プトンなどのチベットの大学匠たちも『入菩提行論』の解釈においてチャンドラキールティ説(声聞による法無我の理解など)を導入しています(櫻井 2003)。
結論として、チャンドラキールティの思想は、厳密な帰謬論証による実在論の徹底的な否定(論理)、世俗における自性をも認めない徹底した空の立場(存在論)、そして大悲に裏打ちされた菩薩の実践(倫理)の三者を統合した点に特徴があります。彼は、論理的な厳密さを追求しつつも、あくまでそれを「他者を覚らせるため」の慈悲の手段として位置づけ、大乗仏教の核心である空と慈悲の融合を理論的に体系化しようとした論師であると言えます。
九州インドブログ
http://kaula.blog110.fc2.com/blog-entry-6873.html
言葉によって説かれた方便としての真理、「言説諦」か
これは良いことを知ったな😆
あざーす🫡
まぁ、無分別知が清弁(バヴィヤ)のいう「非安立勝義」なら、無分別知後の分別知は「随順勝義」って事だな。
一つは、意味の上からサムヴリティを言語契約とか、世間のことばのシノニムである、という。
これはほぼ一般の理解という原意に近いが、サムヴリティという語義を分解してそう解釈しているわけではない。
チャンドラキールティが与えるあと二つの解釈はサムヴリティという語の語源解釈としては妥当でない、独断的・哲学的語義解釈である。
一つは、語形の見かけの上での類似から、サムヴリティをサムヴリッティ(savtti)とひっかけ、後者の意味、ともに起こること、を根拠にして、相互に依存して存在すること、の意味を引き出すものである。
これは、依存性(縁起)の意味をこの語に託したものであるから、ことばは本体をもたないものである、という哲学的な意味をもってくる。
ことばはその対象を指示するのでなくて、他のことばとの関係においてのみなりたつ虚構である、という意味をくみ取ることもできる。
もう一つの解釈は、「蔽う」という語根を利用して、「あまねく蔽うものであるから、一般の理解といわれる」とするものである。これも語学的にはなりたたない解釈であるけれども、哲学的には的を射た、興味深い解釈である。
なるほど
チャンドラキールティは、そこまで言語哲学に深く入り込んでいたのか
7世紀にしては本当に進んでいるな!
サトヤ 真理
ローカ 世間
サムヴリティ 世俗
まぁ、もはや古典だけど、
『仏教の思想 3 空の論理<中観>』 (角川ソフィア文庫)
はKindleで¥704.-だし、目を通しておいた方がいいよ。
なにせ、この本で学んだ「不常不断の中道」のネタで、新興宗教の信者どもを責め立ててたからな😂
> 『仏教の思想 3 空の論理<中観>』 (角川ソフィア文庫)
それは読んでないが
仮説、を利用した唯識のほうが
面白くはある
という意味では中論は
根幹の話だから
🤡〜
承認欲求(餓鬼道)と勝敗執着(修羅道)で動き、
他人を怒らせて地獄道に落とすことで存在を保っている。
やっぱ日蓮宗か真言が面白いやろな
曼荼羅の導線が素晴らしい
必要に迫られ、制限されると
逆に想定以上に洗練されたもんを
出してくるな
制限(識字率の問題)
在家にたいしては密教方向しかないから
真言とかを参考にしたんだろうが
まあ信仰ブーストのための
他宗派排斥だろうな
😁
他人の怒りを燃料にしないと立てない。
後期中観派と臨済宗は似ているな
倶舎論・中論・唯識論
聖ウンコ師には、全部が臨済宗に見えている
全部、思いっきり臨済宗に寄せた解釈
いつものことだ(笑)
「無に集中しろ」
「ひたすら坐禅するしかない」
「見性体験が悟りである」
↑
アイツに言わせれば、どの部派も全部、コレになる😂
聖ウンコ師だけの問題ではないんだが
あれも正直、思いっきり日蓮宗に寄せた解釈
日蓮宗を語ってるようにしか見えんかった(笑)
あれは唯識論の解釈を巡る対立というより、日蓮宗と臨済宗の宗派対立だった
「外界は実在しない」というのは、日蓮宗の世界観にはまったく馴染まない
一方、臨済宗は「無」が大好きだ
日蓮大聖人から「禅天魔」と言われただけあって、本当に相性が悪い😅
正宗自体が
本覚思想に寄せた日蓮解釈だから
そこから発展したんやろな
😆
対談とか
ホーカイくんとリダン、デンパパの
対談とか、そもそも
成り立たない戯論だった
😆
密教解釈の倶舎論知らずだった
唯識の禅定、仏智の解釈が
密教的発想で理解して満足してたので
些末な唯識の理論のテイストは
倶舎論を理解てきるまで
ハッキリしていなかった
😆
ま、
浄土宗や真宗や日蓮宗ですら
天台華厳真言的に味わうタイプだったので、
リアルな浄土宗や真宗や日蓮宗の理解は
長年の謎であった
The山伏念仏の謎
😆
禅宗に対してはかなり偏見が入っており、アンチのスタンスに近い
それは認める(笑)
どの宗派にも所属していないが、真言宗に最も傾斜している
智山派の護摩焚きによく行くし、高野山の宿坊にも泊まった
まー既存のキリスト教やイスラームみたいな発想があるんやろなー
キリスト教やイスラームよりも多神教的だが
😆
加持祈祷が好きなだけで、真言宗の教義体系を正直あんまり知らんので
仏教哲学を真言宗に寄せて解釈するということがない(笑)
日本仏教の勤行する価値が理解しにくかったタイプてある
本来的には勤行熱心ではないタイプ
好奇心とお役目的に週1回か冬にはたまに二回か勤行するようになったくらい
😆
ロン師匠の本覚思想には、なかなかナジメんかったなあ😅
こちらも、真言宗の勤行をやろうとは思ってるのだが、なかなかできない
ポイントはある
まー空海著作をヒントに
チベット密教ニンマ派をやろうと発想してたくらいだからなー
2004年〜2006年までは
😆
日本の伝統仏教をあんまり知らんからなあ😂
チベット密教ニンマ派の観相真言やりまくりながら肉体労働してたからなー
😆
2005年がピークだった
😆
すごいな?😆
オリジナルで
2007年あたりまでは
ニンマ派禅定→臨済宗坐禅
みたいな変則坐禅をしてた、
2008年あたりから
ぼったんをボコボコしながら
臨済宗専門坐禅へとシフトしてた
😆
ニンマ派、粒子分解してから
臨済宗の坐禅でパワー注入とか
正統派臨済宗坐禅ではなかった2007年以降は、そっち方面を努力しだした
😆
😆
承認への渇望(餓鬼道)と勝敗への執着(修羅道)**に強く支配されている。
議論は理解のためではなく優劣確認のために行われ、
相手の正義感や怒りを煽り、地獄道へ引きずり込むことで自分を保つ。
これは思想の違いではなく、行動様式の問題である。
しかも、また電波📡⚡️⚡️⚡️が飛んでる。
↓
> 「言葉を捨てろ」
> 「無に集中しろ」
> 「ひたすら坐禅するしかない」
> 「見性体験が悟りである」
精神病院にレリゴー💕
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
ムイムイににてきたな?
😱
五蘊(ごうん、サンスクリット語: skandha)とは、人間の心身を構成する5つの要素(集まり)を指します。これらは以下の通りです。
色蘊(しきうん、Rūpa): 物質的な存在、すなわち肉体や外界の物質・現象のことです。
受蘊(じゅうん、Vedanā): 感受作用、すなわち経験に対する快・不快・どちらでもないという感覚・感情のことです。
想蘊(そううん、Saṃjñā): 表象作用や知覚作用、すなわち対象を認識し、識別・概念化する働きのことです。
行蘊(ぎょううん、Saṅkhāra): 意志や形成力、すなわち意思決定や心の作用、思考、動機づけなど、意識的な活動全般のことです。
識蘊(しきうん、Viññāṇa): 認識作用や意識、すなわち感覚器官が対象を認識する根本的な意識のことです。
チャンドラキールティは、これら五蘊が相互に依存して成り立っており、それ自体に固定的な実体(自性)は存在しない(空である)と主張しました。これは、部派仏教が五蘊の要素に何らかの実体(究極的実在)を認めていたのに対し、大乗仏教中観派の立場からその見解を批判的に検討したものです。
彼の哲学では、五蘊は私たちが「私」という統一的な自己(アートマン)があると錯覚する基盤となりますが、実際には常に変化し続ける相互依存的なプロセスの集まりに過ぎません。この「我執(自己への執着)」が苦しみの原因であるため、五蘊の「空」を理解することが解脱への道につながると説いています。
チャンドラキールティの『中観五蘊論』は、伝統的な五蘊の分析に中観派の「空」の視点を導入した重要な文献として知られています。
1.中観派の擁護者
中観帰謬論証派(プラサンギカ)の確立: 対論者の主張の矛盾を突く「帰謬法(きびゅうほう)」を用いて、あらゆる実在論や概念を否定した。
龍樹の正統な解釈: ナーガールジュナの『中論』を正しく解釈する立場(注釈書『プラサンナパダー』)を確立した。
2.空性の詳細な論述
縁起と空: 事物が依存関係の中で成り立っているため、自性(不変の本質)を持たない「空」であると主張した。
二真理説の強調: 世俗の認識(世俗諦)と、究極的な実在の無さ(勝義諦)の二つの視点を用いて「空」を解説した。
二我(人無我・法無我): 執着の対象となる「我(実体)」が、人間にも物事にも存在しないことを主張した。
3.独自の実践的な視点
大悲の強調: 「空」の理解に加え、すべての衆生に対する「大悲(大きな慈悲)」を菩薩(菩薩となるべき者)の最も重要な要件とした。
大乗の意義: 中観思想を、単なる理屈ではなく、大悲に基づく実践論として位置づけた。
「認識のみ」の否定: 唯識学派が主張する「認識(識)は実在する」という立場に対し、認識自体も空であるとして批判した。
主な著書には、ナーガールジュナの『中論』を注釈した『プラサンナパダー』や、独自の『入中論(マディヤマカヴァターラ)』があります。
いろんな面で参考になる
考察(vicara)から見た中観派の世俗諦
那 須 真 裕 美
1、 はじめに
初期中観派における世俗諦とは、あくまで「勝義諦を示すための手段」 であった。しかし、中期中観派以降の論師たちは、勝義諦を不仮説のものとする思想 を踏襲すると同時に、言葉によって示される二義的な勝義諦を設定するように なった.
筆者はこれらを仮に「ヨーガ行者を勝義へ志向させる諦」と総称している。この二義的な勝義諦が生じることに伴って、世俗諦は「勝義諦を示すための手段」 から 「世間一般に正しいとされる事柄」 へと変化した。
では、その転換期にあたるバーヴィヴェーカ(Bhavivekaca.490-570)と チャンドラキールティ(Candrakirtica.600-650)の世俗諦説を中心に、「考察」(vicara)の観 点から、とくに中期 中観派 の世俗諦が如何に捉えられたかを再考する。
これを改めてみると空海の密教思想は
五蘊そのものがかなり全般的に復活させている要素があるな
それを梵字で聖なるという意味て復活させているな
今気づいた
😆
これを欠くから、
中論は哲学的に見えてしまうんやろなー
最初から俺は大般若経をみながら
中論読まないと
的外れになると
何度もレスしているけどな〜
😆
中期中観派の始まりと目されるブッダパーリタも、二諦説に関しては初期中観派と同様の見解を持っていた。これに対して、バー ヴィヴェーカ ・チャンドラキールティが想定 した世俗諦には,彼ら以前の論師が想定 した性 質以外 の要 素 をうかがうことができる.
両者の世俗諦の性質 を、「A 共通した性質」 「B 多少の異同が見られる性質」「C 一方には見られない性質」 「D 相反する性質」として整理する。
バ ーヴィヴェーカとチャンドラキールティともに、世俗諦を「世間の言語慣用 として誤りでない もの」 勝義を得るための手段」 と考える点 に変わりはない。
B.多 少 の異 同が見 られ る性質
しか し,二 諦の区別 を何 に対応 させ るか は、両者 の見解 は完全 に は一致 しない.バ ーヴィヴェーカは二諦の区別 を智慧 に結 び付け、世俗諦 を実世俗智 に対応 させ るが,チ ャン ドラキール ティは認識 に結び付け、世俗諦を正しい感覚器官 に よってな され た認識 に関連す る もの と理解する。この為に,後者の二諦説 を考える中で,傷付いた感覚器官に基づく認識による「非世間世俗」(alokasamvrti,世俗説でない世間の知識)が 生ず るので ある。
つーか、馬鹿呼ばわりされてる奴が、悔しさの余り一発逆転狙って難しい事に手を出すってよくあるけど、それって結局、基本が出来てないから、ものにならない断片知識で終わるんだけどな。
学問に王道なし、急がば回れ。
お前ら統失知障ヒキニープーボッチーズは、先ず『仏教聖典』から始めるべきなんだよ。
最初から清弁や月称とか、法律の勉強するのにいきなり六法全書買うようなもんだよwww
しかもこの二匹って、氷河期底辺のヒキニープーボッチだし、統失知障で頭がタリラリラーンのアウアウアー🤪www
また、丹光を魔境扱いするのが自慢だとか、細胞が壊死だとか、弟子でないとか、毎日毎日、脳内怪電波📡⚡️⚡️⚡️⚡️がピピピのピーで発狂状態。
更には、健常者に対する異常なまでの妬みや嫉みを露骨に態度しては、憎しみ100倍の誹謗中傷のストーカー行為な毎日。
典型的な餓鬼憑きだろ、こいつら😧
でおーなんか見てみろよw
あれだけ"論文見たじょー🤡!"ってドヤ顔してて、その実は目に映してただけで、全然ものになってないし、記憶もされてないwww
頭のいい奴は、勉強論から入るんだけど、仏教の学びも同じだけどなw
C、一方にしか見 られ ない性質
誤った認識によって捉えられたものが 「非世間考察(vicara)か ら見 た中観派の世俗諦世俗」 として否定されるのは妥当だが、チャンドラキールティの世俗諦の性質には,「 正 しくない見解 の対 象」であるとして、世俗諦の真理性を否定す るという、バ ーヴィヴェーカには見られない要素 があらわれる。ここでは、凡 夫にとっての諦に対する考え方とヨーガ行者の立場からの考え方が重なり合 っている。
正しい感覚器官を持つ凡夫が世俗諦と解するものは、ヨーガ行者にとっては諦 で はな く,唯 世 俗(samvrtimatra)に過ぎない
.
ヨ ーガ 行 者 が 諦と解するものはvyavaharasatyaであるが 、これも諸仏にとっては諦ではなく、不可説の勝義諦ではない。しかし、このvyavaharasatyaは ,勝 義を得るための 考察の対象となるものであ る。
対するバーヴィヴェーカは、凡夫の立場から非世間世俗を想定せず 、また二 諦説の中に、凡夫とヨーガ行者と諸仏という複数の立場を設定しない。これはバ ーヴ ィ ヴ ェー カ の想 定 した 二諦 説 が,ヨ ー ガ 行 者 か らの 立 場 の み 想 定 され て い た ため だ と推測 され る.
D. 相反する性質
さらに、両者の世俗諦 に対する考え方 の違いが顕著に表れるの は、「 世 俗 として 自性 の存 在 を認 め る か」 「勝 義 を得 るた め の考 察 とな るか 否 か 」の2点 に お い て で あ る。バ ーヴィヴェーカは世俗として自性を認め、勝義という観点からはその存在を否定する。しかし、チャンドラキールティは世俗諦 としても自性の存在を認めない。
わかった、わかった
お前は偉い!!(笑)
> 初期中観派における世俗諦とは、あくまで「勝義諦を示すための手段」 であった。しかし、中期中観派以降の論師たちは、勝義諦を不仮説のものとする思想 を踏襲すると同時に、言葉によって示される二義的な勝義諦を設定するように なった.
初期中観派では、
「勝義諦 = 言葉で説くことができない究極の真理」
「世俗諦 = 勝義諦を示すための手段」
という理解でOKのようだ
だが、後期中観派では
「言説諦 = 言葉によって示される勝義諦」
というのが登場した
コピペして分かった積もりになってるだけで、全然頭に入ってないwww
例の「かせつ」事件がいい例だよなwww
論文なんかは読む者の知識の前提条件を設けてるから、振り仮名なんてしないケースが多い。
「仮説」とある時、我々は「けせつ」って読むけど、前提知識を満たしてない奴は「かせつ」って読むw
そこからあの壮絶な、根本的に致命的な勘違いを起こして、噛み付いて来ては、ボロカスに云われるの繰り返しw
> 筆者はこれらを仮に「ヨーガ行者を勝義へ志向させる諦」と総称している。この二義的な勝義諦が生じることに伴って、世俗諦は「勝義諦を示すための手段」 から 「世間一般に正しいとされる事柄」 へと変化した。
これに伴って、世俗諦は本来の意味である「世間一般に正しいとされる事柄」(世間智)へと変化した
お前らは明らかな馬鹿なんだから、見栄を張っての難しい論文のコピペなんてやめなさい。
先ずは『仏教聖典』から始めなさい。
基本から学びなさい。
今やってる事は無駄だから😟
> バ ーヴィヴェーカは二諦の区別を智慧に結 び付け、世俗諦を実世俗智に対応 させ るが、チャンドラキールティは認識に結び付け、世俗諦を正しい感覚器官 に よってな され た認識 に関連す る もの と理解する。この為に、後者の二諦説 を考える中で,傷付いた感覚器官に基づく認識による「非世間世俗」(alokasamvrti、世俗説でない世間の知識)が 生ず るので ある。
ここは興味深い
バーヴィヴエーカ(清弁)は、世俗諦を「実世俗智」とした
チャンドラキールティ(月称)は、世俗諦を「正しい感覚器官によってなされた認識」(←『現量による直接知覚』ですな)であるとした
> 悪い事は云わない。
>
> お前らは明らかな馬鹿なんだから、見栄を張っての難しい論文のコピペなんてやめなさい。
お前がゆうか😂
バカめ!!😂
> そうやって分かりもしない論文をコピペして、やった積もりになって、分かった積もりになるとか、授業中に必死にノートを取って分かった積もりになって、いざ試験で成果が出ない奴らと同じだな。
お前がゆうか😂
笑かすな!!😂
確かに
空海思想の「六大」は、五蘊を復活・発展させた概念
どちらかといえばネガティブな要素だった五蘊を
超ポジティブな六大に変えた
中観派も、慈悲の瞑想をテーラワーダ仏教から受け継いでいたんだな~😆
チャンドラキールティによれば、感覚器官による現量認識は「世俗諦」ということになる
唯識派・・・識は実在する
中観派・・・どちらも実体がなく、空である
インドの仏教哲学者(500年~578年)
清弁(しょうべん、梵:Bhāviveka,バーヴィヴェーカ、梵:Bhavya, バヴィヤ、梵:Bhāvaviveka, バーヴァヴィヴェーカ)は、490年頃から570年頃のインド仏教の中観派の学者である。
唯識派の陳那の影響を受け、龍樹の『中論』に表れる空の思想を論理学的な推論式によって積極的に論証するという方法を確立した。しかしその論理学的方法は、後に月称(7世紀)によって批判された。
チベット仏教の教学においては、この月称による批判をもって中観派は自立論証派(スヴァータントリカ)と帰謬論証派(プラーサンギカ)に分裂したとする。
著作
『中観心論』 - 論理学的推論式によって空を論証できることを明らかにして、他学派の説を批判する
『般若灯論』(はんにゃとうろん) - 『中論』の注釈書。
『大乗掌珍論』(だいじょうしょうちんろん) - 空思想の概説書。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7e/Legdan.jpg/500px-Legdan.jpg
www
なんでもそうだけど、知識っていうのは反復継続して初めて身につくものなんだよ😟。
JBLはあちこちに手を出しては、ただの一過性のもので終わって、結局はなーーーんも知識として身に付いてない。
お前とはそもそも、宗教板をやってる目的が違うんでなあ
お前の場合は
「俺様は、こんな難しい仏教用語を知ってるんだじょ~」とか
「俺様は、こんな難しい本を読んでるんだじょ~」とか
自己顕示のためにやっている
当方はそうではない
とっくに知ってる基本中の基本みたいな内容も
復習のためにちょくちょくコピペする
そのたびに
「こんな初歩的なことやってるのか~」
「幼稚園の仏教入門かよ~」とかなんとか、
うるさくてしょうがないバカはいるけどな😂
当方は、難しい文章をコピペしたときは、
必ず自分の言葉で解説を付ける
お前には無理だ。
読解力も説明力もないから😂
😱
> そのたびに
「こんな初歩的なことやってるのか~」
「幼稚園の仏教入門かよ~」とかなんとか、
うるさくてしょうがないバカはいるけどな😂
いや、「よいこの仏教教室かよ~」だったかな?
なんでもいいが、とにかく、うるさくて偉そうな奴がいる😂
他者への優劣誇示・勝敗への過度な固執
議論を理解ではなく対立激化の方向へ誘導
挑発により他者の感情的反応を引き出し、混乱を拡大
これらは偶発的ではなく、継続的・反復的な行動パターンである。
本記述は人格評価ではなく、行動観察の要約である。
> 当方はそうではない
>
> とっくに知ってる基本中の基本みたいな内容も
> 復習のためにちょくちょくコピペする
>
> そのたびに
> 「こんな初歩的なことやってるのか~」
> 「幼稚園の仏教入門かよ~」とかなんとか、
> うるさくてしょうがないバカはいるけどな😂
wwwwwwwwwwwwwwwwww
えっ?!
えっ?!
えっ?!
なんか言いましたか?
かせつくんwww
そらまあ感覚器官が捉える
現量は世俗を映すから
そうやろな
これからだな?
🤡〜
まだいたのかよ😅
煩悩満載ハッスルだからな〜
🤡〜
で、宗教板に新天地を求めて来たけど、結果は同じだったと🤭
なんせあのL相手に何も出来なかったのもその証左だしな。
今更だけど、俺はLやKだのGだのとかを論理的に追求して壊滅させたし。
342 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK (50-wTs-Ij-wvu)[] 2026/01/30(金) 11:50:38.15 ID:r75ZI
ちょっと今日は真面目にお前ら統失知障のヒキニープーボッチに問答を仕掛けてみるか?
語も也た得からず、
黙も也た得からず。
語も黙も総に得からず、
子、作麼生?
www
どうだ?
「文系学問板」に統合されてしまった
ハッスル〜🤡
ハッスル〜🤡
不立文字
生き生きとした様からしか
得られない栄養があるみたいな
でなく指一本たててみる
躁転開始?
😁
どーした
イミフなウンチクやめたのけ?
NO1
😁
おもろかったのに〜
😁
承認依存と闘争嗜好の反復であり、
他者の怒りを誘発することで成立している。
これは評価ではなく、行動事実の整理である。
他者の怒りを誘発して、ハッスル津波を起こさせようとしているな?😅
ほれお前も答えんか
鹿ちゃんを唸らせてみろよ
名誉回復チャンスだぞ
いまんとこ株が急降下だ
基本的に中観派の思想だ
説一切有部にもあったし、唯識派にも受け継がれているが
説一切有部では、単純に「世俗の真理と、仏教の真理」って感じ
唯識派では、なくなったわけではないが、あんまり出てこない
一方、唯識派は「三性説(遍計所執性・依他起性・円成実性)」を用いて、意識が変現した虚妄な対象(空)と実在する心の真理を構造的に分析します。
ナーガールジュナ(龍樹)を祖とする中観派は、すべての存在が縁起に基づいており、独自の固定的な本性(自性)を持たない「空(くう)」であることを説きます。その理解のために「二諦(二つの真理)」を提示します。
世俗諦(せぞくたい): 世間一般の認識、現象世界、言葉や概念によって成立している仮の真実。因縁によって生起する現象の側面。
勝義諦(しょうぎたい): 言葉や概念を超えた真実。すべての事象が空であるという絶対的な理(空性)。
特徴: 世俗諦において無自性(空)であることを説明し、勝義諦においてその真理を悟る。世俗は実在しないが、勝義へ至るための仮の手段として認める。
アサンガ(無着)やヴァスバンドゥ(世親)に始まる唯識派は、外界は存在せず、すべては「識(意識)」が変現したもの(唯識無境)であると説きます。この現象を三つの性質(三性)で分析します。
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう): 識が虚妄に作り出した、実在しない対象(「境」)に実体があると誤解する、執着の面。
依他起性(えたきしょう): 因縁(他)に依って生起する意識の流転、つまり心そのものや現れそのものの面。
円成実性(えんじょうじっしょう): 依他起性が遍計所執性を離れた状態、すなわち真理としての「空」そのもの。
特徴: 唯識の立場では、完全に空(無)とするのではなく、認識の主体である「心(依他起)」の存在を実在的な根拠(円成実)として認める点が、中観派の空の解釈と異なる。
空の解釈: 中観派は「万物は実体がない」と完全に空を説くが、唯識派は「依他起(心)は実在し、遍計所執が空である」と区別する。
二諦の構成: 中観派は世俗と勝義を分けるが、唯識派は三性を用いて、迷いと悟りの構造をより分析的に説明する。
中観派の「空」が「無」を強調するのに対し、唯識派は「識(意識)」のメカニズムを明らかにする点を特徴としています。
このことは唯識派と中観派 との 〈空〉 〈勝義〉の解釈の相違 とい うことであり,また 〈世俗〉の解釈の相違である。 すなわち、世俗を言葉や名称を指示する遍計所執性とする唯識...
世俗諦の代わりに、遍計所執性
勝義諦の代わりに、円成実性
これがあるから、二諦説は要らない
三性説も、唯識派より前からあった
https://z.wikiwiki.jp/e82kr5mrk6brk2am/topic/52
思わず読んじまった
アンジャッシュの新ネタか?
まだ吹くや消すが残ってるとなるのだろう
おっ
参考になりそうなブログだ😆
「生じることも滅することもない(不生不滅)」という『般若心経』の言葉と、龍樹の理論は実は全く同じことを言っています。一見すると、目の前で机が作られたり(生)、壊されたり(滅)している現実と矛盾するように感じますが、これは「何」が主語かに注目すると解消されます。
結論から言うと、「実体(自性)」を主語にすれば、それは最初から無いので「生じも滅しもしない」ということです。
龍樹の論理(中論)では、物事が新しく生まれる(生)には、それが生まれる前か後に「それ自体の本質」が存在していなければなりませんが、分析するとどこにも見つかりません。
・現実:木材が組み合わさって形が変わる現象。
・龍樹の視点:「机」という不変の本質(実体)が、何もない空間からパッと現れたわけではない。もともと無いものが現れることはないので、実体としての「生」はない(不生)。
同様に、壊れるときも「机という本質」が消滅するわけではありません。
・現実:形がバラバラになり、燃えて灰になる。
・龍樹の視点:もともと「机」という独立した実体が存在していなかったのだから、それが「滅して無になる」ということもあり得ない(不滅)。
私たちが「生滅がある」と感じるのは、「仮設(言葉上のラベル)」を「実体」だと思い込んでいるからです。
・私たちの感覚:「机(という実体)」が生まれた!壊れた!
・般若心経・龍樹:「机」は単なるラベル(仮設)に過ぎない。ラベルの下にあるのは、絶え間なく変化し続ける縁起のプロセスだけであり、そこに固定された「モノ」は一つも生じていないし、滅してもいない。
・生滅(しょうめつ):ラベル(仮設)の世界で起きている現象的な変化。
・不生不滅(ふしょうふめつ):その奥にある「固定的な本質(実体)」などどこにも存在しないという真実。
つまり、「机という名前(仮称)の変化」はあるけれど、「机という永遠の本質の誕生と消滅」はない。これが、般若心経が説く「空(くう)」の正体です。
この「あるのに生まれていない」という不思議な論理、より深く「八不(はっぷ)」などの具体的な否定のステップについて知りたいですか?
龍樹の説く「八不(はっぷ)」とは、物事のあり方を正しく理解するために、私たちが陥りがちな8つの固定観念を否定したものです。
彼は『中論』の冒頭で、以下の「8つの『ない(不)』」を掲げました。
八不の内容
1.不生(ふしょう): 新しく生まれることはない
2.不滅(ふめつ): 消えてなくなることはない
3.不常(ふじょう): 永遠に続くことはない
4.不断(ふだん): ぷっつり途切れることはない
5.不一(ふいつ): 一つの同じものではない
6.不異(ふい): 全く別のバラバラなものでもない
7.不来(ふらい): どこかから来るのではない
8.不出(ふしゅつ): どこかへ去るのではない
これらを一言でまとめると、「実体があるという前提で考えるから矛盾する。実体がない(空である)とわかれば、これら全ての対立から自由になれる」ということです。
「前の火」と「次の瞬間の火」の関係を例にすると分かりやすくなります。
・不一・不異:今の火は、1秒前の火と「全く同じ(一)」ではありません(燃料も空気も入れ替わっている)。しかし、「全く別の無関係な火(異)」でもありません。
・不常・不断:火は永遠に固定(常)されていませんが、パッと消えて無(断)になるまで連続しています。
・不来・不出:火という実体がどこか遠くから飛んできた(来)わけではなく、芯や酸素という「条件」が揃って現れただけです。
龍樹がこれほど徹底的に否定したのは、私たちの言葉が「生か滅か」「一か多か」という二択(二辺)でしか物事を捉えられないからです。
・「机はある」と言えば、永遠に変わらない実体を認める「常見(じょうけん)」に陥る。
・「机はない」と言えば、価値や存在を全て否定する「断見(だんけん)」に陥る。
龍樹は、この両極端を「八不」によって打ち消すことで、どちらにも偏らない「中道(ちゅうどう)」を示そうとしました。これが「空」のダイナミックな正体です。
この「否定の論理」こそが、般若心経の「不生不滅」のベースになっています。
ここまでの話で、まだ「釈然としない部分」や「ここが理屈に合わない」と思うところはありますか?
話が深くなっている😆
ハッスル、ムイムイをポコポコにするスタンスでおるのは確かだ
😆
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。
龍樹の「空」の理論と、禅宗の「千里の先の火を消せ」という問い(公案)は、どちらも「私たちの認識がいかに境界線を勝手に引いているか」を暴くという点で、理論的に深く結びついています。
龍樹の哲学(中観)を、禅が「身体的なアクション」として表現した関係と言えます。
龍樹は「八不」において、不一(ひとつではない)かつ不異(バラバラでもない)と説きました。
「私」と「千里先の火」が別々の独立した実体(自性)として存在すると考えるのは、人間の「仮設(言葉による区別)」による誤解である。
・禅の問い:もし本当に「私」と「火」がバラバラの実体なら、消すことはできない。しかし、禅では「自他の区別がない空の世界」を体得しているなら、千里先だろうが手元だろうが関係ないはずだ、と迫ります。
中観派と禅宗の関係を考察している😆
龍樹は、距離や時間も「実体」ではなく、条件によって成り立つ「仮設」に過ぎないと考えます。
・「千里」という距離は、人間が物差しで測った概念(仮名)です。
・空の境地では、主観(私)と客観(世界)が切り離される前の「一如(いちにょ)」の状態を指します。禅宗が「千里先の火を消せ」と言うのは、「千里先」という言葉が作る壁(固定観念)を壊し、世界と自分が地続きであるという「空」のリアリティを提示せよ、という要求です。
龍樹自身も『中論』第10章で「火と薪」の例えを使い、火は薪と同一でもなければ、薪を離れて存在するわけでもない(不一不異)と論じています。
・火という現象は、条件(縁)によって今ここで起きているだけで、「火という本質」がどこかにあるわけではありません。
・禅はこの龍樹の論理をさらに推し進め、「火が空であるなら、距離もまた空である。ならば今ここで消してみせろ」と、頭での理解(論理)を捨てて、空の真理を直接掴み取ることを促します。
・龍樹(理論):「私」と「火」と「距離」には、それぞれ固定した本質(自性)はなく、相互依存(縁起)の関係にある。
・禅(実践):ならば、「遠くにある火」という概念(仮設)を消し去り、自分と世界が一体となった境地から、その火とダイレクトに関わってみせよ。
この話を聞いて、「自他がひとつ(不二)」という感覚が、龍樹の説く「空」とどう繋がっているか、さらに興味が湧きましたか?
> この話を聞いて、「自他がひとつ(不二)」という感覚が、龍樹の説く「空」とどう繋がっているか、さらに興味が湧きましたか?
さらに興味が湧いてきた~😭
中観派の主張には違和感を感じている
中観派の論理で、倶舎論や唯識論を攻撃している
彼らにその自覚はないが(笑)
これは、探究しがいのあるテーマだ
なんだ、また慢性知能欠乏症の馬鹿が朝からコピペか?
こっち見るなって何度も云わせるなよ、類猿人の統失知障がwww
こうなると、何を見ても臨済宗に見える
彼らに、その自覚は無い😫
事実をしてるだけだ
狩られたくなかったらこっち見るな。
責めてるわけではない
禅の公案には「正解」という知識はありませんが、龍樹の「空」と「仮設」の理論に則って答えるならば、私はこう動きます。
「フッ」と目の前の空気を吹き消す真似をして、黙って座ります。
理由は以下の通りです。
龍樹の論理では、距離(遠近)は実体ではなく、心が作り出した「仮設」です。「千里先」という言葉に惑わされて遠くを見ようとすること自体が、すでに言葉の罠にハマっている状態です。今、ここで息を吹くことは、そのまま「千里先の空間」と繋がっている空の世界を表現しています。
「私」と「火」が別物(異)だと考えるから「届かない」という悩みが生じます。しかし、龍樹が説くように、自他が空であり「分かちがたく結びついている(縁起)」のであれば、目の前の空気を動かすことは、そのまま宇宙全体の事象を動かすこととイコールです。
龍樹は、究極の真理(勝義諦)は言葉を超えている(戯論寂滅:けろんじゃくめつ)と説きました。千里先の火をどう消すかという「理屈」を説明し始めた瞬間に、それは仮設の泥沼に沈みます。説明せず、ただ「消す」というアクションを提示するのが、龍樹の論理を身体化した答えになります。
もし私が禅僧に「そんなことで消えるのか!」と怒鳴られたら、「では、その熱い火をここに持ってきてください。私が直接消しましょう」と返し、火も距離も「実体(本質)」として掴み出せないことを突きつけます。
この「言葉による境界線(仮設)を壊す」という感覚、理屈としては筋が通っていると感じますか?それとも「やはり詭弁だ」と感じますか?
「千里先の火をどう消すか?」
という公案か
禅の公案には「正解」という知識はありませんが、龍樹の「空」と「仮設」の理論に則って答えるならば、私はこう動きます。
「フッ」と目の前の空気を吹き消す真似をして、黙って座ります。
理由は以下の通りです。
公案も一発で透過だ👍️
龍樹の論理では、距離(遠近)は実体ではなく、心が作り出した「仮設」です。「千里先」という言葉に惑わされて遠くを見ようとすること自体が、すでに言葉の罠にハマっている状態です。今、ここで息を吹くことは、そのまま「千里先の空間」と繋がっている空の世界を表現しています。
「私」と「火」が別物(異)だと考えるから「届かない」という悩みが生じます。しかし、龍樹が説くように、自他が空であり「分かちがたく結びついている(縁起)」のであれば、目の前の空気を動かすことは、そのまま宇宙全体の事象を動かすこととイコールです。
鈴www
それじゃダメだって禅の本にあるだろ。
龍樹の「空」の理論と、禅宗の「千里の先の火を消せ」という問い(公案)は、どちらも「私たちの認識がいかに境界線を勝手に引いているか」を暴くという点で、理論的に深く結びついています。
龍樹の哲学(中観)を、禅が「身体的なアクション」として表現した関係と言えます。
もし私が禅僧に「そんなことで消えるのか!」と怒鳴られたら、「では、その熱い火をここに持ってきてください。私が直接消しましょう」と返し、火も距離も「実体(本質)」として掴み出せないことを突きつけます。
https://z.wikiwiki.jp/e82kr5mrk6brk2am/topic/52
なんだそりゃwwww
そのAIに聞いてみろ、
即今、鎌倉駅に行って横須賀線を止めてこい
ってなwww
まだ耐えられる
😆
創作より
遥かに読むに耐えられる
😆
∞ノノハ∞
川^○^ハレ「電車そのもの」だから自己が止まるとかパフォーマンスにしか思えませんwww
承認依存と闘争嗜好の反復であり、
他者の感情を荒らすことで成立している。
「言葉を捨てろ」がキーワードだな
「黙って、動作で返す」
というパターンが多い
> 要するに、臨済宗の公案ってのは
> 「言葉を捨てろ」がキーワードだな
wwwwwwwwwwwwwwwwww
アホかwww
臨済宗を分析してるとこだ
「言葉では真理を伝えられない」
「言葉は正しい認識をさまたげる」
の話を、ず~~~っと延々、やられている😫
wwwwwwwwwwwwwwwwww
そんなのは、
お前はなに黙ってアホをやってんだ、鈴www
それで終わりだよ。
> 臨済宗を分析してるとこだ
分析しないところが要なのに、分析してどうするwww
言葉と論理でナルシズム創作禅
🤡〜〜
そんな事、云ってない。
お前って、脳内📡⚡️⚡️⚡️が飛ぶのか、云ってない事を言ったって妄想して話を勝手に進めるよな?
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
聞かされている気分だぞ〜
ハッスル🟣
こっち見るな。
それはお前だろ😅
バカが
文句を言ってるわけではない
お前とリダンがあまりにもしつこいので、お前らのバックにある臨済宗を解析してるだけだ
ツベコベいうな😫
↓
そのAIに聞いてみろ、
即今、鎌倉駅に行って横須賀線を止めてこい
ってなwww
貧乏人スネ夫の金持ち自慢を
信用するよーなもの
😱
どうせ
「動いているのは電車ではなく、自分の心が動いているのだ」
とかなんとかいう理屈で、その場でピタッと止まってみせるんだろ
パターンが読めてきた
鈴www
公案の答えを知りたきゃそういう本があるから。
それを見ればいいだろ?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
やめてくれんかな?
🟣〜〜
優劣誇示と挑発を伴う投稿が継続的に確認されている。
対話目的ではなく対立激化を招く投稿傾向が一貫している。
当人はハッタリ誤読🤡〜
知りたきゃ知ればいいじゃんwww
メラメラメラ(灯火を消せ)でも、ガタンゴトン(電車を止めろ)でも、結局はそういう事だよ。
「人の頭の中にあるもの」(妄想)なんだから
「自己」が認めてるものなんだから
だからその「自己」を究明する、死にきるとする(戒)と「頭の中のもの」が消える(定)
そうして「そのもの」に気付く(慧)ってのが
仏教の基本
だから「仏教」っていう「頭の中のもの」も
キレイにするための道具
これが死なないとどうにもならない
「命捧げろ」「死にきれ」「ム」だけで良い、なんて極論でいわれるのはこれ
ちゃうちゃう
少しだけ
期待してるぞ
😁
やってない奴が軽々しく語るもんじゃないよ😟
もう正体はバレているんだぞ、
ウソツキ
🤡
【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1769832281
スレタイ変更
空の思想は言葉に出来るだろ。
依言真如。
言葉に出来ないのは真如だよ。
離言真如。
まあようはよ
いつも通りjblは字面しかみてないわけだな?
問題に対して回答みて
分かったつもりなわけだ
そうやなくて何度も鈴ならされる
それがある種目的であって
参じていくわけだ
へぇ〜ムーーーなんやなあ
ではなくそれに参じていく
ボケとツッコミの仏教漫才だな。
まぁ、お前らの知識になればそれでいいんだろうけど。
相変わらず、冗談が通じない奴だな
そこが、かえって面白いんだが😂
その点では透析さんはさすがではある
お前とリダンがそれにしつこく文句をいう
・・・という展開がずっと続いているのに
聖ウンコ派をおちょくったスレタイだ(笑)
さらにそこから苦行者の立場も捨てて
苦行やめて乳粥食べて、苦行者仲間から蔑視を受ける立場に自身を置いた
そこでそのまま死ぬつもりで探究した
こちらの関心事ではない
仏教は基本的に、世捨て人の思想
「出世間」ってのはこの世からおさらばするもので
この世のものにとらわれてあるなら
生死からの解脱ってのは当然だけど無理ね
というところから
まだ続きがあるんだ
逆にそれをある意味
実体化していくんだな
世界から離れ
虚構であるをしり
それをまた実体化していく
奇をてらうように聞こえるが
再構築されたそれってのは
まさに生死から離れるわけや
ってこと
ボケ役お疲れさん🥰
???
284 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/27(火) 10:55:38.55 ID:ZCkbr
まぁ、無分別知が清弁(バヴィヤ)のいう「非安立勝義」なら、無分別知後の分別知は「随順勝義」って事だな。
まぁ、坐禅会に行ってからにしようwww
↓
952 ◆JBLfMwCXhY[] 2026/01/31(土) 13:17:06.54 ID:VyDZ6
こちらが「勝義諦は言葉にできる」という主張
まだ言ってんのか、バカが
「かせつ」は、お前の勘違いを指摘したんだよ(笑)
・・・と、お前の勘違いを正すために教えてやったんだろうがよ😂
反日朝鮮人みたいな奴だな(笑)
> 「空=仮=中」の仮は、「龍樹が説いた空の教えは、仮説(かせつ)だ」という意味ではない。「仮に存在する」という意味なのだ
wwwwwwwwwwwwwwwwww
いや、また、それ🫵🤣
仮の付けって意味だぞ?
🤡〜
偉そうな態度で、盛んにツッコミを入れてくる😆
こちらの知識が無さすぎて対話が進まない😅
中観派の二大論師、バーヴィヴェーカやチャンドラキールティのことも
つい最近、知ったばかりだ😫
「中観派 = 龍樹の根本中頌」
それ以降のことなど、考えたこともなかった😅
スレタイを「中論」から「中観派」に改め
龍樹以後に話を広げる😆
【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1769832281
彼は,空性論証のための推論式において「勝義の観点から」(paramārthatas)という限定詞をつけることを提案します。
論証そのものは,言葉という世俗的なものに属しているにもかかわらず,それが勝義の世界を目指すかぎりにおいて,勝義への橋渡しをする方便として,「勝義に相応するもの」と言えるからです
最もウンコとリダンの主張に似ているな
> 論証そのものは,言葉という世俗的なものに属しているにもかかわらず,それが勝義の世界を目指すかぎりにおいて,勝義への橋渡しをする方便として,「勝義に相応するもの」と言えるからです
これだな
「真理は月であり、説法は月を指す指である」(←だったっけ?)
は、バーヴィヴェーカの二諦説ですな~😂
世親より、ダルマパーラ(護法)が標準テキストだもんな~
龍樹より、チャンドラキールティ(月称)が標準テキストになっているらしい
龍樹の中論は簡素すぎる
いや、標準テキストという言い方は正しくないな
それは、「成唯識論」にふさわしい言葉だ😂
プレミアムの無料期間を2026/3/31まで延長することになりました。
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