諸行無常と諸法無我は同じ? 3最終更新 2025/11/03 06:091.◆JBLfMwCXhYwGwVL諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静前スレ仏教の諸行と諸法って同じじゃない? 2https://talk.jp/boards/psy/16807618422025/11/03 05:26:4231コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYwGwVL四法印諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静2025/11/03 05:34:233.◆JBLfMwCXhYwGwVLこのうち、「一切皆苦」については、宗派によっては好まないところもある2025/11/03 05:34:544.◆JBLfMwCXhYwGwVLだが、他の3つ諸行無常、諸法無我、涅槃寂静については、まず異論は出ない2025/11/03 05:35:285.◆JBLfMwCXhYwGwVLキリスト教圏では「父と子と聖霊」の三位一体これを認めるかどうかを、正統と異端の基準にしている2025/11/03 05:36:186.◆JBLfMwCXhYwGwVLローマ・カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教、ロシア正教これらは、三位一体を認めているから、キリスト教の正統とされている2025/11/03 05:37:137.◆JBLfMwCXhYwGwVLセブンスデー・アドベンチストとか、ペンテコステとかこれらは、かなり新興宗教に近いノリでやってる教派だが三位一体を認めているだから、これらも「キリスト教の教派」と認定されている2025/11/03 05:38:388.◆JBLfMwCXhYwGwVLそれに対して統一教会、モルモン教、エホバの証人これらは、三位一体を否定しているこのため(まあ、それだけが理由じゃないが😅)、キリスト教圏の総意として「異端」と認定されている「これらは、キリスト教の教派ではありません」という警告文がつく2025/11/03 05:40:349.◆JBLfMwCXhYwGwVLこのように、キリスト教圏では「三位一体を認めるかどうか」これが、キリスト教とそうでない別の宗教とを区別する、線引きの基準となっている2025/11/03 05:41:3510.◆JBLfMwCXhYwGwVLこれと同じように、仏教でも「三法印を掲げているかどうか」を、仏教とそうでない別の宗教とを区別する基準にしたらどうかという話もある2025/11/03 05:43:0111.◆JBLfMwCXhYwGwVLキリスト教と比べても、仏教界のバラバラぶりは凄まじい宗派によって、主張内容はまるきり異なる2025/11/03 05:43:4512.◆JBLfMwCXhYwGwVL「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」せめて、これくらいは仏教界の総意として認めましょうやこれが無かったら、仏教ではなく別の宗教だと認定しましょうよ・・・ということだ2025/11/03 05:44:5313.◆JBLfMwCXhYwGwVLだが、創価学会や幸福の科学だって、三法印は認めている創価学会はまだ仏教の一派と言えなくもないが幸福の科学は明らかに違う😅2025/11/03 05:46:2514.◆JBLfMwCXhYwGwVL線引きに使えるかどうかは怪しい😅2025/11/03 05:47:1215.◆JBLfMwCXhYwGwVLそれはともかく「諸行」と「諸法」は異なるこれについては、前スレで結論が出た2025/11/03 05:48:1516.◆JBLfMwCXhYwGwVLポイントをまとめよう2025/11/03 05:49:5017.◆JBLfMwCXhYwGwVL1、行(サンカーラ)は、現象とか作用であり、有為法に限定される。だが、法(ダンマ)には有為法だけでなく、無為法も含まれる→ つまり、諸行は無常だが、諸法は必ずしも無常ではない2025/11/03 05:50:0018.◆JBLfMwCXhYwGwVL2、行(サンカーラ)も法(ダンマ)も意味は広く、文脈によって、さまざまな意味に使われる用語だが基本的には、行(サンカーラ)は「要素を寄せ集めて形成する作用、もしくは形成された事物」であり、法(ダンマ)は「寄せ集められて、行を形成する要素」のことである2025/11/03 05:50:2819.◆JBLfMwCXhYwGwVL3、一言でいえば行(サンカーラ)は、「現象」法(ダンマ)は、「存在」である2025/11/03 05:50:5020.◆JBLfMwCXhYwGwVL4、狭義の解釈ではサンカーラ(行)「因縁によって起こる現象」ダンマ(法)存在を意味する「法」とは、具体的に「存在している個々のもの」をいう。現象を構成する要素である2025/11/03 05:52:5321.◆JBLfMwCXhYwGwVL5、このやり取りにおいて、行(サンカーラ)に相当するの「車」法(ダンマ)に相当するのが「長柄・車軸・車体・くびき・車輪・車棒」である↓尊者「大王よ、あなたは車でやって来たと言いましたが、何が車であるかを私に告げてください。長柄が車なのですか?」大王「そうではありません」尊者「車軸が車なのですか?」大王「そうではありません」尊者「車体が車なのですか?」大王「いいえ、そうではありません」尊者「くびきが車なのですか?」大王「いいえ、ちがいます」尊者「車輪が車なのですか?」大王「いいえ、そうではありません」尊者「車棒が車なのですか?」大王「いいえ、そうではありません」尊者「大王よ、いったい車はどこにあるのですか?ここにあるのはあなたがこの場所までやって来た車ではないですか?あなたは全インドの大王にもかかわらず『車は存在しない』と嘘を語ったのです」2025/11/03 05:54:1922.◆JBLfMwCXhYwGwVLまあ、こうして見ると明らかに、まったく意味が異なる2025/11/03 05:55:1523.◆JBLfMwCXhYwGwVLまあ、こうして見ると明らかに、まったく意味が異なる2025/11/03 05:55:2924.◆JBLfMwCXhYwGwVL同じなわけがない2025/11/03 05:55:5525.◆JBLfMwCXhYwGwVLこうして、このテーマには結論が出た2025/11/03 05:56:1826.◆JBLfMwCXhYwGwVL「存在する、あらゆるもの」がなんで「法」なのか?これは、日本語の語感としては違和感がある2025/11/03 05:56:5827.◆JBLfMwCXhYwGwVLしかし、インドでは「ダンマ」は非常に幅が広い言葉だパーリ語では、ダンマサンスクリット語では、ダルマものすごく意味が広い2025/11/03 05:57:4928.◆JBLfMwCXhYwGwVLスマナサーラ長老いわく(法則もダンマ、法律もダンマ、真理もダンマ、規則もダンマ、あらゆる存在もダンマ・・・)このように「ダンマ」には幅広い意味があります。インドの人は文章の脈略の中で容易く意味を捉えますが、よほど原語に慣れていないと、正しく翻訳するのは難しい言葉のひとつだということができるでしょう。2025/11/03 06:01:2129.◆JBLfMwCXhYwGwVL考えてみれば、日本語だってそうだ法則も「法」だし法律も「法」だし真理も「法」だ規則も「法」だ方法も「法」だ「所得税法」は法律だが、「賢い節税法」なら方法だ意味がまるきり異なるが、どの意味で使われているのか、日本人なら容易に見分けがつくから問題ない2025/11/03 06:06:3030.◆JBLfMwCXhYwGwVLというわけで、このテーマには結論が出た2025/11/03 06:06:5131.◆JBLfMwCXhYwGwVL行(サンカーラ)も、法(ダンマ)も、それぞれに意味が広い両方とも、「あらゆるもの」、「すべてのもの」と訳すことは可能だそんな日本語訳を見て、前スレのスレ主は「両方とも『すべてのもの』って意味なら、同じだよな?」と勘違いしてしまったわけだが狭義では、この2つは明らかに意味が異なる2025/11/03 06:09:58
【親ガチャ】「両親とも高卒で、自分も勉強ができません。結局、学びも『親ガチャ』なのではないでしょうか」。学力と育ちに関係はあるのか考えるニュース速報+8731614.82025/11/03 20:57:02
前スレ
仏教の諸行と諸法って同じじゃない? 2
https://talk.jp/boards/psy/1680761842
諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静
については、まず異論は出ない
「父と子と聖霊」の三位一体
これを認めるかどうかを、正統と異端の基準にしている
これらは、三位一体を認めているから、キリスト教の正統とされている
これらは、かなり新興宗教に近いノリでやってる教派だが
三位一体を認めている
だから、これらも「キリスト教の教派」と認定されている
統一教会、モルモン教、エホバの証人
これらは、三位一体を否定している
このため(まあ、それだけが理由じゃないが😅)、キリスト教圏の総意として「異端」と認定されている
「これらは、キリスト教の教派ではありません」という警告文がつく
「三位一体を認めるかどうか」
これが、キリスト教とそうでない別の宗教とを区別する、線引きの基準となっている
「三法印を掲げているかどうか」
を、仏教とそうでない別の宗教とを区別する基準にしたらどうかという話もある
宗派によって、主張内容はまるきり異なる
せめて、これくらいは仏教界の総意として認めましょうや
これが無かったら、仏教ではなく別の宗教だと認定しましょうよ
・・・ということだ
創価学会はまだ仏教の一派と言えなくもないが
幸福の科学は明らかに違う😅
「諸行」と「諸法」は異なる
これについては、前スレで結論が出た
→ つまり、諸行は無常だが、諸法は必ずしも無常ではない
基本的には、行(サンカーラ)は「要素を寄せ集めて形成する作用、もしくは形成された事物」であり、法(ダンマ)は「寄せ集められて、行を形成する要素」のことである
行(サンカーラ)は、「現象」
法(ダンマ)は、「存在」
である
サンカーラ(行)
「因縁によって起こる現象」
ダンマ(法)
存在を意味する「法」とは、具体的に
「存在している個々のもの」をいう。
現象を構成する要素である
行(サンカーラ)に相当するの「車」
法(ダンマ)に相当するのが
「長柄・車軸・車体・くびき・車輪・車棒」である
↓
尊者「大王よ、あなたは車でやって来たと言いましたが、
何が車であるかを私に告げてください。
長柄が車なのですか?」
大王「そうではありません」
尊者「車軸が車なのですか?」
大王「そうではありません」
尊者「車体が車なのですか?」
大王「いいえ、そうではありません」
尊者「くびきが車なのですか?」
大王「いいえ、ちがいます」
尊者「車輪が車なのですか?」
大王「いいえ、そうではありません」
尊者「車棒が車なのですか?」
大王「いいえ、そうではありません」
尊者「大王よ、いったい車はどこにあるのですか?
ここにあるのはあなたがこの場所まで
やって来た車ではないですか?
あなたは全インドの大王にもかかわらず
『車は存在しない』と嘘を語ったのです」
明らかに、まったく意味が異なる
明らかに、まったく意味が異なる
これは、日本語の語感としては違和感がある
パーリ語では、ダンマ
サンスクリット語では、ダルマ
ものすごく意味が広い
(法則もダンマ、法律もダンマ、真理もダンマ、規則もダンマ、あらゆる存在もダンマ・・・)
このように「ダンマ」には幅広い意味があります。
インドの人は文章の脈略の中で容易く意味を捉えますが、よほど原語に慣れていないと、正しく翻訳するのは難しい言葉のひとつだということができるでしょう。
法則も「法」だし
法律も「法」だし
真理も「法」だ
規則も「法」だ
方法も「法」だ
「所得税法」は法律だが、「賢い節税法」なら方法だ
意味がまるきり異なるが、どの意味で使われているのか、日本人なら容易に見分けがつくから問題ない
両方とも、「あらゆるもの」、「すべてのもの」と訳すことは可能だ
そんな日本語訳を見て、前スレのスレ主は「両方とも『すべてのもの』って意味なら、同じだよな?」と勘違いしてしまったわけだが
狭義では、この2つは明らかに意味が異なる