【唯識論の聖典】唯識三十頌【世親著】 Part2最終更新 2025/10/29 18:571.◆JBLfMwCXhY1hA7m宇多田ヒカルも、唯識三十頌を写経している前スレ【さようなら】唯識三十頌の解釈を巡る批難について【JBL】https://talk.jp/boards/psy/17568595442025/10/29 08:34:0923コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhY1hA7m関連スレ【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/1759535455【仏教の標準理論】 倶舎論 【世親著】 Part3https://talk.jp/boards/psy/1761643017中論https://talk.jp/boards/psy/17387112042025/10/29 08:34:333.◆JBLfMwCXhY1hA7m倶舎論・中論・唯識論2025/10/29 08:35:014.◆JBLfMwCXhY1hA7m仏教界の三大理論2025/10/29 08:35:435.◆JBLfMwCXhY1hA7m唯識を体得して幻から解き放たれていくステップは下記の通りです。2025/10/29 08:36:416.◆JBLfMwCXhY1hA7m第1ステージ(資糧位)まずはすべては思考の産物にすぎない(唯識)ことをを理解しましょう。とはいえ理解することと完全に体得することは別物です。この段階では世界があって自分がいる(二取)という思考を潜在的に持っている(随眠)ままです。2025/10/29 08:36:547.◆JBLfMwCXhY1hA7m修行の第2ステージ(加行位)すべては思考の産物にすぎないということの理解が進みこれを体得しようという気力に満ちて修行にはげみます。しかしながら思考のなかにはあいかわらず自我意識によって生み出された幻への執着が依然として残っている(有所得)状態です。2025/10/29 08:37:078.◆JBLfMwCXhY1hA7m修行の第3ステージ(通達位)修行を重ねていくと思考の対象(所縁)となるものを理解(智)しようという執着が完全になくなる(無所得)瞬間が訪れます。このときにはじめて思考する対象も思考する自分もなくなりすべて思考の産物にすぎないということわりを体感するのです。2025/10/29 08:37:219.◆JBLfMwCXhY1hA7m修行の第4ステージ(修習位)先のステージで正しいことわりを体感することができた瞬間は執着を完全にはなれた(無得)不可思議(不思議)な境地に他なりません。この瞬間に世俗的な知見とはまるで違う知の地平(出世間智)が開かれてきます。しかしながらはるか昔からあやまった考えとくもった心を持って生きてきたことの影響が私たちの奥底に習慣化されて根強く残っています。これらの二種の障害(麁重)をたむまぬ努力の果てに絶やしてしまうとき私たちの存在のありかたは根本的に変わります(転依)。2025/10/29 08:37:3310.◆JBLfMwCXhY1hA7m修行の第5ステージ(究竟位)私たちのありかたが根本的にかつ永続的に変わったときそこにあるのは迷いなき世界(無漏界)であり言語を超えた不可思議な世界(不思議)であり極めて安穏な(善)であり生滅のことわりを離れて(常)おり悩むことなく寂静(安楽)なる世界です。二種の障害のうちくもった心をすべて断ち切って解脱して自由になった境地(解脱身)を享受するだけでも平穏な境地に至れるかもしれません。しかし大乗仏教はあらゆる人々と平穏に生きるためのものですから正しいことわりを知り尽くして迷える人々を教え導こうと志してください。それが聖者(大牟尼)のごとく世界に遍在する真理(法)として生きることです。https://ryuganji.jp/buddhism/1104/2025/10/29 08:37:4911.◆JBLfMwCXhY1hA7m元ネタは倶舎論「倶舎論」では修行階梯は「三道」で構成されますが、実際には準備段階を入れると5段階で構成されます。「順解脱分」→「順決択分」→「見道」→「修道」→「無学道」の5つです。この5段階は大乗仏教にも受け継がれ、「五道」と言われます。大乗では「順解脱分」は「資糧道」、「順決択分」は「加行道」と呼ばれます。2025/10/29 08:38:4812.神も仏も名無しさんMReCwまぁ、唯識三十頌がここで上がっているが。中身が分からなければどうしようもない。取れ会えず、現代語訳にしてあるので、読んでください。間違っている部分があれば訂正をお願いする。2025/10/29 18:20:5713.神も仏も名無しさんMReCw曹洞宗の葬儀で唱えられる代表的なお経曹洞宗の葬儀は、故人を仏弟子として迎え入れる「授戒」と、仏の世界へ導く「引導」の二大儀式を中心に構成されます。その中で唱えられるお経には以下のようなものがあります:お経名内容と役割修証義(しゅしょうぎ)道元禅師の教えをまとめた曹洞宗独自の経典。仏道修行の根本を説く。葬儀の中心経典。般若心経空の思想を説く代表的な経典。死者の迷いを断ち、悟りへ導くために読誦される。舎利礼文(しゃりらいもん)お釈迦様の遺骨(舎利)に礼拝する文。故人を仏弟子として迎える儀式で唱えられる。観音経(かんのんきょう)観音菩薩の慈悲を讃える経典。故人の安寧と遺族の心の安らぎを祈る場面で読まれることがある。大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)観音菩薩の真言。故人の罪障消滅と成仏を願って唱えられることがある。2025/10/29 18:22:1014.神も仏も名無しさんMReCw>>13間違いw失礼。2025/10/29 18:23:0315.神も仏も名無しさんMReCw現代語訳と解説稽首唯識性 満分清浄者 →「私は、唯識の本性にして、完全に清浄なる存在に深く礼拝します。」 ※「稽首」は頭を地につけて礼拝すること。「満分清浄者」は仏や菩薩を指します。我今釈彼説 利楽諸有情 →「今、私はその教えを解き明かし、すべての生きとし生けるものに利益と安楽をもたらします。」 ※「彼説」は唯識の教え。「有情」は感情や意識を持つ存在=衆生。由假説我法 有種種相轉 →「仮に我(自我)と法(対象)を説くことで、さまざまな現象が生じます。」 ※唯識では「我」と「法」は仮の存在であり、実体はないとされます。彼依識所變 此能變唯三 →「それらはすべて識の変化によって生じ、この変化を担う識は三つだけです。」 ※「識」は心の働き。「能変」は変化を起こす主体。2025/10/29 18:34:0316.神も仏も名無しさんMReCw謂異熟思量 及了別境識 →「それは、異熟識・思量識・了別境識の三種です。」 ※それぞれ阿頼耶識(潜在意識)、末那識(自我意識)、意識(認識作用)を指します。初阿頼耶識 異熟一切種 →「第一は阿頼耶識で、過去の業によって熟したすべての種子を含みます。」 ※「異熟」は業の結果として現れるもの。不可知執受 處了常與觸 →「それは認識できず、執着と受け取りの働きがあり、常に触れられています。」 ※阿頼耶識は直接認識できないが、常に作用している。作意受想思 相應唯捨受 →「意志・感受・想像・思考といった心の働きに対応し、ただ捨受(快でも不快でもない感受)だけが伴います。」 ※阿頼耶識は中立的な感受(捨受)しか持たないとされます。是無覆無記 触等亦如是 →「これは善でも悪でもない“無記”であり、触などの心の働きも同様です。」 ※阿頼耶識は価値判断を超えた中立的な性質。恒転如暴流 阿羅漢位捨 →「常に激流のように流動し、阿羅漢の境地ではこの識は捨てられます。」 ※悟りの境地では阿頼耶識は消滅する。次第二能変 是識名末那 →「次に第二の変化を起こす識は“末那識”と呼ばれます。」 ※自我意識の根源。依彼転縁彼 思量為性相 →「阿頼耶識に依存し、それを対象として思いを巡らす性質を持ちます。」四煩悩常倶 謂我癡我見 并我慢我愛 及余触等倶 →「常に四つの煩悩(我癡・我見・我慢・我愛)とともにあり、触などの心所とも結びついています。」有覆無記攝 随所生所繋 阿羅漢滅定 出世道無有 →「覆いがあり無記に分類され、生じた場所に応じて繋がり、阿羅漢の境地や深い禅定では存在しません。」2025/10/29 18:35:2817.神も仏も名無しさんMReCw第三能変:意識と心所次第三能変 差別有六種 →「第三の変化を起こす識は六種に分かれます。」 ※六識(眼・耳・鼻・舌・身・意識)了境為性相 善不善倶非 →「対象を認識する性質を持ち、善でも不善でもない場合もあります。」此心所遍行 別境善煩悩 随煩悩不定 皆三受相応 →「心所は遍行(常に働くもの)、別境(特定の対象に働くもの)、善・煩悩・随煩悩・不定に分類され、すべて三種の受(苦・楽・捨)に対応します。」初遍行触等 次別境謂欲 勝解念定慧 所縁事不同 →「遍行には触などが含まれ、別境には欲・勝解・念・定・慧があり、それぞれ対象が異なります。」善謂信慚愧 無貪等三根 勤安不放逸 行捨及不害 →「善の心所には、信・恥・羞・無貪・無瞋・無癡・精進・軽安・不放逸・行・捨・不害などがあります。」煩悩謂貪瞋 癡慢疑悪見 →「煩悩には貪・瞋・癡・慢・疑・悪見があります。」随煩悩謂忿 恨覆惱嫉慳 誑諂與害憍 無慚及無愧 →「随煩悩には怒り・恨み・隠し・嫉妬・けち・欺き・へつらい・害意・慢心・無恥・無羞などがあります。」掉擧與惛沈 不信并懈怠 放逸及失念 散乱不正知 →「さらに、心の浮き沈み・不信・怠惰・放逸・忘却・散乱・誤った認識なども含まれます。」不定謂悔眠 尋伺二各二 →「不定の心所には、後悔・眠気・尋(粗い思考)・伺(細かい思考)があります。」2025/10/29 18:38:4318.神も仏も名無しさんMReCw識の流れと唯識の結論依止根本識 五識随縁現 或倶或不倶 如濤波依水 →「五識(感覚)は根本識に依存し、縁に応じて現れ、同時に起こることもあればそうでないこともあり、波が水に依るような関係です。」意識常現起 除生無想天 及無心二定 睡眠與悶絶 →「意識は常に現れますが、無想天や無心定、睡眠・昏絶の時は現れません。」是諸識転変 分別所分別 由此彼皆無 故一切唯識 →「これらの識の変化によって分別が起こりますが、実体はなく、すべては唯識であるとされます。」2025/10/29 18:39:4819.神も仏も名無しさんMReCw三性・三無性・仏の密意由一切種識 如是如是変 以展転力故 彼彼分別生 →「一切種子を持つ識がこのように変化し、展転(連鎖的)な力によって分別が生じます。」由諸業習気 二取習気倶 前異熟既尽 復生餘異熟 →「業と執着の習気によって、前の異熟が尽きると新たな異熟が生じます。」由彼彼遍計 遍計種種物 此遍計所執 自性無所有 →「遍計(妄想)によって種々の物が想定されますが、それらには本質的な自性はありません。」依他起自性 分別縁所生 圓成実於彼 常遠離前性 →「依他起(条件によって生じる性)と分別によって生じるが、円成実(真実の性)はそれらを超越しています。」故此與依他 非異非不異 如無常等性 非不見此彼 →「円成実と依他起は異なるようで異ならず、無常などの性と同様に、両者は否定されるものではありません。」即依此三性 立彼三無性 故佛密意説 一切法無性 →「この三性(遍計・依他起・円成実)に基づいて、三無性(相無性・自然無性・得無性)が立てられ、仏は密意として“一切法は無性”と説かれました。」2025/10/29 18:40:2720.神も仏も名無しさんMReCw現代語訳と解説(終盤)初即相無性 次無自然性 →「まず“相無性”とは、現れる現象に実体がないこと。次に“無自然性”とは、物事が自らの力で成立する本性を持たないことです。」後由遠離前 所執我法性 →「最後に“得無性”とは、我や法に対する執着を離れた状態を指します。」此諸法勝義 亦即是眞如 →「これらの真理は、すなわち“真如”(究極の実相)です。」常如其性故 即唯識實性 →「それは常にそのままの性質であり、唯識の真実の本性です。」2025/10/29 18:41:0221.神も仏も名無しさんMReCw唯識の実践と悟りへの道乃至未起識 求住唯識性 →「まだ識(意識)が起こっている間に、唯識の本性にとどまろうと求めても、」於二取隨眠 猶未能伏滅 →「主客の二元的執着(能取と所取)の潜在的な習気は、まだ滅していません。」現前立少物 謂是唯識性 →「目の前に何らかの対象を立てて“これが唯識だ”とするのは、」以有所得故 非實住唯識 →「“何かを得た”という執着があるため、真に唯識に住しているとは言えません。」若時於所縁 智都無所得 →「もし対象に対して、いかなる知識も得ることがないとき、」爾時住唯識 離二取相故 →「そのときこそ、唯識に住しており、主客の二元的な相を離れているのです。」悟りと転依(心の根本的転換)無得不思議 是出世間智 →「“何も得ない”という不可思議な境地こそが、世俗を超えた智慧です。」捨二麤重故 便證得轉依 →「二つの粗重(煩悩と執着)を捨てることで、“転依”(心の根本的転換)を証得します。」此即無漏界 不思議善常 →「これは煩悩の漏れのない清浄な境地であり、不可思議で、善で、常住するものです。」安樂解脱身 大牟尼名法 →「それは安楽と解脱の身体であり、偉大なる聖者(大牟尼=釈迦牟尼仏)の教えと呼ばれます。」2025/10/29 18:41:4822.神も仏も名無しさんMReCw結びの願文已依聖教及正理 分別唯識性相義 →「ここまで、聖なる教えと正しい論理に基づいて、唯識の本性とそのあり方を解き明かしてきました。」所獲功徳施群生 願共速證無上覺 →「この功徳をすべての衆生に施し、共に速やかに無上の悟りを得られますように。」2025/10/29 18:42:1923.◆JBLfMwCXhYdVOO4乙!👍️2025/10/29 18:57:48
【親ガチャ】「両親とも高卒で、自分も勉強ができません。結局、学びも『親ガチャ』なのではないでしょうか」。学力と育ちに関係はあるのか考えるニュース速報+8731614.82025/11/03 20:57:02
前スレ
【さようなら】唯識三十頌の解釈を巡る批難について【JBL】
https://talk.jp/boards/psy/1756859544
【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1759535455
【仏教の標準理論】 倶舎論 【世親著】 Part3
https://talk.jp/boards/psy/1761643017
中論
https://talk.jp/boards/psy/1738711204
まずはすべては思考の産物にすぎない(唯識)ことをを理解しましょう。
とはいえ理解することと完全に体得することは別物です。
この段階では世界があって自分がいる(二取)という思考を
潜在的に持っている(随眠)ままです。
すべては思考の産物にすぎないということの理解が進み
これを体得しようという気力に満ちて修行にはげみます。
しかしながら思考のなかにはあいかわらず
自我意識によって生み出された幻への
執着が依然として残っている(有所得)状態です。
修行を重ねていくと思考の対象(所縁)となるものを
理解(智)しようという執着が完全になくなる(無所得)瞬間が訪れます。
このときにはじめて思考する対象も思考する自分もなくなり
すべて思考の産物にすぎないということわりを体感するのです。
先のステージで正しいことわりを体感することができた瞬間は
執着を完全にはなれた(無得)不可思議(不思議)な境地に他なりません。
この瞬間に世俗的な知見とはまるで違う知の地平(出世間智)が開かれてきます。
しかしながらはるか昔からあやまった考えとくもった心を持って生きてきたことの影響が私たちの奥底に習慣化されて根強く残っています。
これらの二種の障害(麁重)をたむまぬ努力の果てに絶やしてしまうとき
私たちの存在のありかたは根本的に変わります(転依)。
私たちのありかたが根本的にかつ永続的に変わったとき
そこにあるのは迷いなき世界(無漏界)であり
言語を超えた不可思議な世界(不思議)であり
極めて安穏な(善)であり
生滅のことわりを離れて(常)おり
悩むことなく寂静(安楽)なる世界です。
二種の障害のうちくもった心をすべて断ち切って
解脱して自由になった境地(解脱身)を享受するだけでも
平穏な境地に至れるかもしれません。
しかし大乗仏教はあらゆる人々と平穏に生きるためのものですから
正しいことわりを知り尽くして迷える人々を教え導こうと志してください。
それが聖者(大牟尼)のごとく世界に遍在する真理(法)として生きることです。
https://ryuganji.jp/buddhism/1104/
「倶舎論」では修行階梯は「三道」で構成されますが、実際には準備段階を入れると5段階で構成されます。
「順解脱分」→「順決択分」→「見道」→「修道」→「無学道」の5つです。
この5段階は大乗仏教にも受け継がれ、「五道」と言われます。
大乗では「順解脱分」は「資糧道」、「順決択分」は「加行道」と呼ばれます。
曹洞宗の葬儀は、故人を仏弟子として迎え入れる「授戒」と、仏の世界へ導く「引導」の二大儀式を中心に構成されます。その中で唱えられるお経には以下のようなものがあります:
お経名内容と役割
修証義(しゅしょうぎ)道元禅師の教えをまとめた曹洞宗独自の経典。仏道修行の根本を説く。葬儀の中心経典。
般若心経空の思想を説く代表的な経典。死者の迷いを断ち、悟りへ導くために読誦される。
舎利礼文(しゃりらいもん)お釈迦様の遺骨(舎利)に礼拝する文。故人を仏弟子として迎える儀式で唱えられる。
観音経(かんのんきょう)観音菩薩の慈悲を讃える経典。故人の安寧と遺族の心の安らぎを祈る場面で読まれることがある。
大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)観音菩薩の真言。故人の罪障消滅と成仏を願って唱えられることがある。
間違いw失礼。
稽首唯識性 満分清浄者 →「私は、唯識の本性にして、完全に清浄なる存在に深く礼拝します。」 ※「稽首」は頭を地につけて礼拝すること。「満分清浄者」は仏や菩薩を指します。
我今釈彼説 利楽諸有情 →「今、私はその教えを解き明かし、すべての生きとし生けるものに利益と安楽をもたらします。」 ※「彼説」は唯識の教え。「有情」は感情や意識を持つ存在=衆生。
由假説我法 有種種相轉 →「仮に我(自我)と法(対象)を説くことで、さまざまな現象が生じます。」 ※唯識では「我」と「法」は仮の存在であり、実体はないとされます。
彼依識所變 此能變唯三 →「それらはすべて識の変化によって生じ、この変化を担う識は三つだけです。」 ※「識」は心の働き。「能変」は変化を起こす主体。
初阿頼耶識 異熟一切種 →「第一は阿頼耶識で、過去の業によって熟したすべての種子を含みます。」 ※「異熟」は業の結果として現れるもの。
不可知執受 處了常與觸 →「それは認識できず、執着と受け取りの働きがあり、常に触れられています。」 ※阿頼耶識は直接認識できないが、常に作用している。
作意受想思 相應唯捨受 →「意志・感受・想像・思考といった心の働きに対応し、ただ捨受(快でも不快でもない感受)だけが伴います。」 ※阿頼耶識は中立的な感受(捨受)しか持たないとされます。
是無覆無記 触等亦如是 →「これは善でも悪でもない“無記”であり、触などの心の働きも同様です。」 ※阿頼耶識は価値判断を超えた中立的な性質。
恒転如暴流 阿羅漢位捨 →「常に激流のように流動し、阿羅漢の境地ではこの識は捨てられます。」 ※悟りの境地では阿頼耶識は消滅する。
次第二能変 是識名末那 →「次に第二の変化を起こす識は“末那識”と呼ばれます。」 ※自我意識の根源。
依彼転縁彼 思量為性相 →「阿頼耶識に依存し、それを対象として思いを巡らす性質を持ちます。」
四煩悩常倶 謂我癡我見 并我慢我愛 及余触等倶 →「常に四つの煩悩(我癡・我見・我慢・我愛)とともにあり、触などの心所とも結びついています。」
有覆無記攝 随所生所繋 阿羅漢滅定 出世道無有 →「覆いがあり無記に分類され、生じた場所に応じて繋がり、阿羅漢の境地や深い禅定では存在しません。」
次第三能変 差別有六種 →「第三の変化を起こす識は六種に分かれます。」 ※六識(眼・耳・鼻・舌・身・意識)
了境為性相 善不善倶非 →「対象を認識する性質を持ち、善でも不善でもない場合もあります。」
此心所遍行 別境善煩悩 随煩悩不定 皆三受相応 →「心所は遍行(常に働くもの)、別境(特定の対象に働くもの)、善・煩悩・随煩悩・不定に分類され、すべて三種の受(苦・楽・捨)に対応します。」
初遍行触等 次別境謂欲 勝解念定慧 所縁事不同 →「遍行には触などが含まれ、別境には欲・勝解・念・定・慧があり、それぞれ対象が異なります。」
善謂信慚愧 無貪等三根 勤安不放逸 行捨及不害 →「善の心所には、信・恥・羞・無貪・無瞋・無癡・精進・軽安・不放逸・行・捨・不害などがあります。」
煩悩謂貪瞋 癡慢疑悪見 →「煩悩には貪・瞋・癡・慢・疑・悪見があります。」
随煩悩謂忿 恨覆惱嫉慳 誑諂與害憍 無慚及無愧 →「随煩悩には怒り・恨み・隠し・嫉妬・けち・欺き・へつらい・害意・慢心・無恥・無羞などがあります。」
掉擧與惛沈 不信并懈怠 放逸及失念 散乱不正知 →「さらに、心の浮き沈み・不信・怠惰・放逸・忘却・散乱・誤った認識なども含まれます。」
不定謂悔眠 尋伺二各二 →「不定の心所には、後悔・眠気・尋(粗い思考)・伺(細かい思考)があります。」
依止根本識 五識随縁現 或倶或不倶 如濤波依水 →「五識(感覚)は根本識に依存し、縁に応じて現れ、同時に起こることもあればそうでないこともあり、波が水に依るような関係です。」
意識常現起 除生無想天 及無心二定 睡眠與悶絶 →「意識は常に現れますが、無想天や無心定、睡眠・昏絶の時は現れません。」
是諸識転変 分別所分別 由此彼皆無 故一切唯識 →「これらの識の変化によって分別が起こりますが、実体はなく、すべては唯識であるとされます。」
由一切種識 如是如是変 以展転力故 彼彼分別生 →「一切種子を持つ識がこのように変化し、展転(連鎖的)な力によって分別が生じます。」
由諸業習気 二取習気倶 前異熟既尽 復生餘異熟 →「業と執着の習気によって、前の異熟が尽きると新たな異熟が生じます。」
由彼彼遍計 遍計種種物 此遍計所執 自性無所有 →「遍計(妄想)によって種々の物が想定されますが、それらには本質的な自性はありません。」
依他起自性 分別縁所生 圓成実於彼 常遠離前性 →「依他起(条件によって生じる性)と分別によって生じるが、円成実(真実の性)はそれらを超越しています。」
故此與依他 非異非不異 如無常等性 非不見此彼 →「円成実と依他起は異なるようで異ならず、無常などの性と同様に、両者は否定されるものではありません。」
即依此三性 立彼三無性 故佛密意説 一切法無性 →「この三性(遍計・依他起・円成実)に基づいて、三無性(相無性・自然無性・得無性)が立てられ、仏は密意として“一切法は無性”と説かれました。」
初即相無性 次無自然性 →「まず“相無性”とは、現れる現象に実体がないこと。次に“無自然性”とは、物事が自らの力で成立する本性を持たないことです。」
後由遠離前 所執我法性 →「最後に“得無性”とは、我や法に対する執着を離れた状態を指します。」
此諸法勝義 亦即是眞如 →「これらの真理は、すなわち“真如”(究極の実相)です。」
常如其性故 即唯識實性 →「それは常にそのままの性質であり、唯識の真実の本性です。」
乃至未起識 求住唯識性 →「まだ識(意識)が起こっている間に、唯識の本性にとどまろうと求めても、」
於二取隨眠 猶未能伏滅 →「主客の二元的執着(能取と所取)の潜在的な習気は、まだ滅していません。」
現前立少物 謂是唯識性 →「目の前に何らかの対象を立てて“これが唯識だ”とするのは、」
以有所得故 非實住唯識 →「“何かを得た”という執着があるため、真に唯識に住しているとは言えません。」
若時於所縁 智都無所得 →「もし対象に対して、いかなる知識も得ることがないとき、」
爾時住唯識 離二取相故 →「そのときこそ、唯識に住しており、主客の二元的な相を離れているのです。」
悟りと転依(心の根本的転換)
無得不思議 是出世間智 →「“何も得ない”という不可思議な境地こそが、世俗を超えた智慧です。」
捨二麤重故 便證得轉依 →「二つの粗重(煩悩と執着)を捨てることで、“転依”(心の根本的転換)を証得します。」
此即無漏界 不思議善常 →「これは煩悩の漏れのない清浄な境地であり、不可思議で、善で、常住するものです。」
安樂解脱身 大牟尼名法 →「それは安楽と解脱の身体であり、偉大なる聖者(大牟尼=釈迦牟尼仏)の教えと呼ばれます。」
已依聖教及正理 分別唯識性相義 →「ここまで、聖なる教えと正しい論理に基づいて、唯識の本性とそのあり方を解き明かしてきました。」
所獲功徳施群生 願共速證無上覺 →「この功徳をすべての衆生に施し、共に速やかに無上の悟りを得られますように。」