日蓮仏法を語る最終更新 2025/10/19 09:371.風切りのフローラq4goQみんなで語ろう。2024/09/07 21:38:08127コメント欄へ移動すべて|最新の50件78.神も仏も名無しさんgzBzNまあ、日蓮は、法華経マンセーやりたかったんでしょう。密教や浄土教の勢いが止められない状態で天台宗も変わってきて法華経?何それおいしいの?って感じになってきたのが許せなくて浄土教の念仏をパクッて題目つくったし密教の曼荼羅をパクッて曼荼羅本尊つくった。そして、それらは浄土教や密教よりすごいって宣伝した。ただそれだけの話なんだよ。時代を刷新するような目新しいことは何もやってない。マイナーチェンジの連続ですよ2024/11/05 19:44:1379.神も仏も名無しさんwe4FF>>76結局ストーリーをまとめてみると、こんなかんじか?1. わたくし日蓮はじつは前世で、法華経湧出品に出てくる上行菩薩をやってたんですよお。2. ほけきょ湧出品を読んでもらえばわかるけど、その時霊鷲山にいるお釈迦さまの前に、地面から湧き上がって出現し、3. お釈迦さまから、こっそりと末法にのみ通用する、決して口外することのない、ヒミツの仏法を伝授されましたっ!※※そして二千年の時を経て、日本国の鎌倉という時代…。4. わたくし日蓮はごく平凡なふつーの人間なんですが、自分でも無意識に、ときおりなにやら口をついて出てくる、呪文のような言葉があるんですよねー、なむげきょお…。※※↑このしょーもないお花畑な物語は、日蓮教団内部では、「上行再誕」ストーリーとして流通してんだけど、幼稚園児の絵本レベル信じてる人が、ホントにいるんかな?法華経を俗物のサギ師が書いたニセ仏教とみるか、または、歴史的事実と信じるかが、運命の分かれ道だろうけど、結局は、何も相承をもたないニセ坊主だから、上行再誕みたいなヨタ話で庶民をだまくらかすしか、方法がないんだろね…。2024/11/24 09:23:0580.神も仏も名無しさんwe4FF>>79そんでさあ、三大秘宝の戒壇の記述も、創価学会の国立戒壇も、どちらも根本的にカン違いをしてると思うんで、とりあえず、戒壇の意味を説明したいのですが、戒壇には2種類あるんだな。1. 仏教の正統な相承で戒律を授ける場としての、戒壇A。2. 国家公務員の資格を授与する場としての、戒壇B。※※↑この2つがごっちゃになってるのが、話をややこしくしてる元凶で、戒壇A はまさに東大寺の戒壇堂ですよ、井上靖さんの名作「天平の甍」で、鑑真和上が5度の渡航を失敗して、6度目に日本にたどり着き、その時初めて日本国に、仏教の正式な戒律と相承がもたらされた…。この東大寺の戒壇がインドからつづく相承の系図を保証するわけで、そのために戒律を守る誓約が必要で、意味わかりますか?そして比叡山の戒壇は戒壇Bで、仏教系国家公務員の任免資格を授与するもので、仏教の系譜とはまったく別物で、あくまで職業資格を保証するもので、だから朝廷の勅許によって設立されるんだな。余計だけど、さらにいえば戒律 = 修行といってもいいから、末法無戒とかは、修行を嫌うイージーお手軽な手抜き仏教てことでしょ…。2024/11/24 09:46:3181.神も仏も名無しさんwe4FF>>80という戒壇A、戒壇Bの区別をアタマに置いて、改めて御書みると、(三大秘宝凛承事)時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か勅宣は京都朝廷が発し、御教書は鎌倉幕府の命令書のたぐいで、どちらも国家がかかわるものだから、この三大秘宝事は戒壇Bの部類で、上級国家公務員の資格認定のための施設、という意味合いをイメージしてて、戒壇Aの仏教としての、お釈迦様からつづく相承の系譜と戒律を受け継ぐ僧侶の資格証明とは、根本的に意味合いがちがいます。※※要は日蓮さんは霊鷲山のイメージと国家資格をごっちゃにして、日蓮法華宗を国家で庇護しつつ、ついでに仏教の正統も主張したいらしく、でも仏教の正統を主張したいなら、東大寺で受戒の一択すればいいだけで、それに縁がないのは、そもそもがニセ坊主でしかないのにしったかで他宗批判を繰り返しても、情弱な庶民すらなかなかダマせない現実。そこで国家権威を利用して、SNS的に世間をダマす発想になるわけで、どーも日蓮さんは、お釈迦さまからつづく仏教の系譜には一切触れずに、仏教もどきの営業をしたいだけらしく、戒壇への理解のなさもふくめて、やっぱニセ坊主なんだろうね、日蓮教団の目指す戒壇のイメージとは…。1. 国家権力による名声と権威 → 庶民をダマすのにぜったい必要。2. 仏教の正統な相承、戒律、修行 → めんどくさいから、要らない。2024/11/24 10:10:5782.神も仏も名無しさんKtrus日本には戒はあっても律はないでしょしかもサンガの独立性と出世間性が国家によって保障されてないでしょ2024/11/25 21:14:3983.神も仏も名無しさんCB3Zy>>80お釈迦さまからつづく正統な仏教の相承をもたない日蓮教なんで、てきとーに比叡山で修行しましたあ~♪ とか嘘はつけるけど、そんならそのときの導師さまは、どなたですか? などなど聞かれ。ここからが完全に困ったことになるわけで、単純に相承さえあれば、戒蝶、度蝶、菩薩戒蝶、みたいな身分証明書を示せば終わりだけど、ニセ坊主は途端にヤバい追い詰められた状況になりますからね。なんとかハナシをゴマかさなアカンわけで、どーせ庶民は難しいコトはわからんから、とタカをくくっててきとーに、オリジナル戒壇を作って受戒ごっこやればダマせんじゃないの?そこで「金剛宝器戒」という日蓮教ローカルで作った戒律の出番で、それは宇宙さいこーで、歴代さいきょーのラスボスですよという触れ込みで、ネットでひろってきた解説によれば、A. 末法においては…法華経本門寿量品の肝心、文底下種の妙法蓮華経の戒を…即身成仏の本懐を成就できるのです (題目こそ唯一絶対の仏法である)。B. …本門の本尊を信じて唱題に励む…(末法唯一の戒行)…。C.…一度この文底下種の妙戒を受持すれば…妙法の戒体は破られることがありません。※※これをざっくり現代語に翻訳すると、ダイヤモンドのように硬くて、一粒のめば一日の栄養がすべて満たされる、スーパードリンクですう~、みたいなオールマイティ戒律ごっこ? なんだそうな…。2024/12/07 21:40:0084.神も仏も名無しさんCB3Zy>>83末法でほけきょー南無南無を唱えれば、ダイヤモンドみたく壊れなくて、他の宗派の戒律なんて末法ではぜんぜん効き目ありませんからね。とかなんとか根拠ゼロのタワゴトを、難しい漢字熟語を混ぜたりして、全員でギャーギャーわめいてると、庶民はなんとなくダマされてしまい、スゴイ価値がありそな気がしてくるから、不思議なもんですが。でももし、出典元を聞いてくる厄介なヤローがいた場合、もちろん思い付きのでたらめで、元原稿なんてあるはずもないんで、そこで「文底下種」という、文章には書かれていないけれど、わかるやつには、わかるのさっ、という逃げ口上の四文字熟語が出番で。これはなかなかよく考えられた、詐欺師の決め台詞的なフレーズですね、ホログラムみたいに光の加減で文字が浮き出るんでしょうかね、きっと。いろいろあるどの経典にも文字としては書かれていないけれど、文字がなくても、それが (なむなむ) 仏教の根本真実ですよお、という一方的に根拠のない決めつけの構図に、ダレかが気がつくのでしょうか…。※※知れば知るほどこの珍妙なトリックには、文献根拠がまったくなくて、そもそも日蓮御書の元原稿をみても、一か所しか該当がなくて。(教行証御書)此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経…五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納め…金剛宝器戒とや申し…、本門の肝心てなんのこっちゃ? そしてそれが妙法蓮華経の五字であるとか、いったいどこのダレが、それを決定したんでしょうかね?2024/12/07 22:00:1885.神も仏も名無しさんCB3Zy>>84なんかわけわからんことを、延々とやってる金剛宝器戒ですが、話も無駄に長い方が、シロートの善男善女をダマくらかすのには、都合が良さそうですな、などなど感想を言ってみますが。結局はさあ、仏教の相承を証明する戒蝶があればよいだけなのに、でも肝心な証明書がないから、ニセ坊主と突っ込まれちゃうわけで、延々とグダグダな回り道をつづけるハメになるわけで、そこで金剛般若経からパクったらしい、金剛宝器戒みたいなへんなものを、考えついたんだろけど、結局は相承がないことの言い訳でしかなく、宗祖のニセ坊主を隠すために、なんだか妙なこと全員でやってるよねー。※※あの金色のとんがり帽子と袈裟を着て、いい年をしたおじいさんが、幼稚園児のお遊戯会レベルをやってるのもなんだかなー。※※そんで気が付くのは、妙法蓮華経の五字をナムナム連呼するって、戒律じゃなくて、行法なんじゃないの? という気がしなくもなくも…。>>83のB.のとこでは、「戒行」みたいな創作造語トリックでごっちゃにカクテルしながらゴマかしてますが。2024/12/07 22:20:3586.神も仏も名無しさんodLus妄想どまりの予報し2024/12/26 15:05:1087.神も仏も名無しさんXOsag>>85そもそも戒律と相承の関係をまったく理解してないんで、その無知っぷりからも日蓮さんニセ坊主確定とおもうけど、末法無戒なんて、修行ぎらいの言い訳でしかないもんね。そんでさっ、お釈迦さまを初祖とする仏教は、二祖としてマハーカッサバ迦葉を後継者として、その次の三祖がアーナンダ阿難ということになって、師匠が自分の目で見て判定をして、この人間なら自分の教えを後世にまちがいのないカタチで伝えてくれるだろう、という人事の資格判定する案件みたいなもんかね。とにかく師匠が弟子に後を託すわけでしょ?そしてね、その後継者は周囲の人間にも認めてもらわなアカン、ということで形式的な戒律の授与を=相承として、分かり易いビジュアルとしての習慣になったんだろけど。戒壇 = 戒律の授与 = 相承の証明。という資格認定になってんじゃないすか?日蓮教の問題は、この相承の証明をさりげなく省いて、戒壇ごっこと、戒律ごっこのビジュアルだけでゴマかしてるとこで…。2024/12/29 10:27:2288.神も仏も名無しさんXOsag>>87日蓮教は宗祖がニセ坊主だから、仏教の相承なんてまったく無いし、とーぜんのことながら、日蓮さんには仏教の相承を受け継いだ師匠の名前も存在してないわけよ。それはさ、清澄寺で子供たちの世話係をしている道善坊レベルでは、日蓮さんに仏教の相承を与える立場にはないはずだし。※※あげくの果てに、相承がないと仏教じゃなくて外道ってことだから、日蓮教 = 外道なのがバレないように、金剛宝器戒なるアヤしげな、仏教じゃない真似っこのおママごとを思いついたんだろね。これはさ、宗祖に相承がないんだったら、とーぜん自分たちにもお釈迦さまからはじまる相承の系譜がないわけで、(日蓮教Aさん) オレたちって外道なん? ひょっとして…。と気が付いたやつは、たぶんいっぱい多数いるんじゃないのお?でも金剛宝器戒なる、根拠ゼロで上っ面だけの仏教おママごとやって、世間の善男善女ダマくらかして、現金カツアゲすれば、宗教ビジネスとしては成り立ってて、嘘八百でもけっこー儲かる…。※※そんでこの仕組みは内部の人間でも、わりと気づかれないから、さらに外部の人間にバレて指摘されないように、本門の戒壇(国立戒壇)、本門の本尊(日蓮まんだら)、本門の題目(なむなむ法華経)、と要素を増やして、話を複雑化しつつ、元原稿の文献がなくて、仏教的な相承もないし、根拠もゼロだけど、漢字熟語もいっぱい増やして複雑な迷路化を図っていこう、というのが金剛宝器戒の真実かね…。2024/12/29 10:43:5889.神も仏も名無しさん5tQz8>>88とかなんとかで、金ぴかトンガリ帽子のお坊さんコスプレと、ものものしい金剛宝器戒の、幼稚園児おちんちんお遊戯会をやればさ、仏教知識にうとい世間の善男善女は、はあ~ありがたや~(泣)となり。でもどんだけイミフな漢字熟語と、金ぴかビジュアルで、豪華な演出をしたとしてもだよ、しょせんは宗祖がニセ坊主なんだから、結局は根拠ゼロな、仏教もどきの外道になるなんじゃないのかな?※※そこで日蓮さんてニセ坊主でしょ? のネタもずいぶんいっぱいけど、まだ芋づる式にタネがあって、それが清澄寺での身分なんだよな、それは日蓮さんが清澄寺で正式な僧侶であった、だとか清澄寺で出家した、という記録が御書の中にはまったく書いてないんじゃないのかい?中村錦之助さんの日蓮は、たしかに清澄寺の僧侶だったけど、あれはただの映画だしな…。その他は後世の論文もどきが、学者だかなんだかしらんが、日蓮さんは清澄寺で出家して、そのあと比叡山に遊学して、とかあって、ほお~なかなか立派な経歴ですな…。と言いたいんだけど、御書にはそんなことなにも書いてなくて。2025/01/12 16:26:2590.神も仏も名無しさん5tQz8>>89そんで清澄寺での日蓮さんのポジションはといえば、これは報恩抄がいちばんのネタみたいだけど。(報恩抄)父母も故道善房の聖霊も扶かり給う…故道善房はいたう(愛う)弟子なれば日蓮をば・にくし(憎)とは・をぼせざりける(思わない)らめども・きわめて臆病なりし上・清澄を・はなれじと執せし人なり、←←◎A地頭景信…円智・実成が上と下とに居てをどせしを(脅す)あながちにをそれて(恐れて)・いとをし(愛おし)と・をもう(思う)としごろの弟子等をだにも・すてられし人なれば後生はいかんがと疑わし、←←◎B其の上…力なき人にも・あらざりしがさどの国までゆきしに一度もとぶらはれ(訪らう?)ざりし事は、←←◎C※※たとえば←←◎Aの部分は、日蓮さんと険悪ではないんだけど、臆病なたちの人なので、清澄寺を離れることができないとある。この意味は、日蓮さんが清澄寺を退出するときに、道善房と一緒に行こうと誘ったと思われ、臆病な人でもあり寺に執着して離れることができなかった、という意味らしく、それは道善房が清澄寺の住持であるならば、東条景信とやくざ抗争中でも、寺を離れることは出来ないんで、それは貞永式目の条文にもあって、坊主が仕事をサボると罰則が付いてくるわけで…。2025/01/12 16:44:2891.神も仏も名無しさん5tQz8>>90日蓮さんが清澄寺を退出するということなら、貞永式目によると、第2条:「寺や塔を修理して、僧侶(そうりょ)としてのつとめを行うこと」僧侶は寺や塔の管理を正しく行い、日々のおつとめに励(はげ)むこと…、おつとめをはたさない僧侶は直ちに寺から追放すること。↑↑↑ここんとこですよね、僧侶は公的な資格らしく、寺から追放されるんならその逆に、勝手に寺から退出することも出来ないんじゃないのか。そして道善房も一緒に退出しないかと誘っているとこみると、住持であればそんなこと自由に出来ないから、その身分は寺の雑用をこなしている使用人レベルなのではないのかしら??そうすると自由に清澄寺を退出できるのは、僧侶の資格のない、寺の雑用をこなす使用人だけである、とすればつじつまは合いそうだけど、結局、道善房は日蓮さんに出家の資格を与える立場にはなくて、日蓮教が主張する、道善房が清澄寺の住持だから日蓮さんを出家させた、という主張は、御書的にも文献根拠がないんよねー、という…。そして←←◎Bのとこ、可愛がってた弟子にも見捨てられて、という部分は権力なくて、住持でも僧侶でもないのでわ?←←◎Cの部分は日蓮さんが佐渡の流罪になっても、手紙をくれたこともないって意味かね? 二人の関係が希薄らしく、これも道善房を出家の導師とするのには無理があるんだろなー…。道善房が住持でも僧侶でもない使用人なら、日蓮さんも使用人てことかな?2025/01/12 17:05:3092.神も仏も名無しさんMr8VM>>91そこで「道善房」ワードで御書検索してみると、五件ヒットして。(報恩抄)・・父母も1.『故道善房』の聖霊も扶かり給うらん・・・・南無妙法蓮華経なり、此の功徳は2.『故道善房』の聖霊の御身にあつまるべし(善無畏三蔵抄)今既に日蓮・師の恩を報ず定めて仏神・納受し給はんか、各各此の由を3.『道善房』に申し聞かせ給ふべし、(華果成就御書)与浄顕房・義浄房 於身延 其の後なに事もうちたへ申し承わらず候、・・4.『故道善房聖人』のために二札かきつかはし奉り候を嵩が森にてよませ給いて候よし悦び入つて候・・(富士一跡門徒存知の事) 一、報恩抄一巻・・身延山に於て5.『本師道善房聖霊』の為に作り清澄寺に送る日向が許に在りと聞く。※※1-4は道善房に敬称がなくてナニモノかわからんけど、5の富士一跡は日蓮さん葬式後に、六老僧が師匠の遺産の分捕り合戦を繰り広げてて、日蓮さんが自分で「本師」と言ってるわけではないんよね。六老僧の師匠である日蓮さんのさらに師だから、大本の師匠みたいな。これも弟子が勝手に言ってるだけで、日蓮さん本人は道善房のことナニも言ってません。2025/02/15 22:24:4793.神も仏も名無しさんMr8VM>>92ネットにある日蓮系の解説だと、道善房は「師」「僧」「(清澄山の)住持」とかいろんなこと書いてありますが、どれも元原稿の御書には記述がなくて、日蓮さんがなにも言ってないのに、勝手に決めつけてんのね。道善房ナニモノ? というナゾが深まるばかりで、まあハッキリいって、日蓮さんが清澄寺で出家したと主張すんなら、その出家を担当した導師の名前がなければダメだけど、日蓮教団は話の順序が逆で、A.日蓮さんは正式な僧侶である←根拠がない、B.だから日蓮さんは清澄寺で出家したに違いない←希望・願望のたぐい。どうもこのA→Bという論法でゴマかしてるけど、じっさいの順番はその逆で、清澄寺で出家したから正式な僧侶になるんであって正しい順番はB→Aとなるはず。だから清澄寺で出家した時の証拠の記述が、日蓮御書にはないわけで、致命的というか、それがなければ蓮祖さま正式な僧侶ではないのでは?日蓮教の営業上は、スーパー大日蓮祖師さまが清澄寺で出家した僧侶であって、その後比叡山に登り修行した立派な天台僧侶であるというストーリーで、ヘンな精神病の妄想を前面に打ち出して、信者さんダマさないと、カネが稼げないんだろうね。でもじっさいの御書には、清澄寺で出家したとも、比叡山に登って修行したとも書いてなくて、ぜーんぶ後世の怪しい書物が言ってるだけの、それら後だジャンケンでしかない、インチキ文書がネタ元なんですけどね…。2025/02/15 22:45:3994.神も仏も名無しさんMr8VM>>93んでさらに興味津々なんで、「清澄」「出家」のダブルキーワードで御書の全文検索をしてみると、結果は0件のヒットで空振り。なら「出家」だけで検索すると56件ヒットしますが、そのほとんどが経典や歴史上の有名人の出家について解説してるもので、日蓮さんと直接関係のある出家わーどは54番目に1件だけあって、検索結果54.(富士一跡門徒存知の事)五人一同に云く、聖人の法門は天台宗なり仍つて比叡山に於て出家授戒し畢んぬ。↑はあー、これもなにやら胡散臭い論法ですが、この御書は日蓮さん亡くなって葬式あとの、壮絶な身内の大ゲンカなわけで、日蓮さん本人が清澄寺で出家したとは言ってないことに注意します。そんでこの五人一同というのは、日興と対立する五人の高弟たちで、のちに身延山久遠寺につながる人たちなんですが、日興と教義対立するのもヘンだけど、相変わらず論理がオカしくて、●日蓮師匠は天台教義を語るから、比叡山で出家受戒をした(はずだ…)。となって、これもホントは左右が逆で、比叡山で出家授戒をしたから、その結果、安国論のオモテ書きにある天台沙門になったんで、だから日蓮さんは、天台教義を語っていました。という論法が正しいんであって、すべての大本は出家授戒にしかなくて、比叡山で出家した証拠がなければ、天台沙門はうそのニセ坊主だし、天台教義を語ったとしても、それは天台本家とはかかわりのない、シロートのでたらめ解釈としか言い様がないのですが…。これは単純に中学校で習う数学の、必要条件と十分条件で、その要素を満たしてなくて、日蓮さんが比叡山で出家したことの必要条件は、◎「菩薩戒蝶」を持ってる、ということで、●天台教義をよく引用する、ことではありませんよ…。2025/02/15 23:07:1995.神も仏も名無しさんXTwE7病名:発達障害ASDの症状尊大の雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろイヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)2025/03/05 18:37:3596.神も仏も名無しさん6SGfC>>94これ中学校数学だから、ん十年ぶりに調べてみたらネットはこんな解説が、A.日本に住んでいる → B.東京在住である。Aの日本に住むことはBの必要条件、Bの東京在住はAの十分条件 (Aの一部だけを満たす)。Aの日本が全体集合とすると、Bの東京はその部分集合(Aの一部)である、みたいな。※※そんでこれを五老僧の「富士一跡門徒存知の事」に当てはめればよくて、●A.日蓮は天台教義を語る → B.(だから) 比叡山で出家受戒をした。天台を語る事は十分条件でしかなく、必要条件である比叡山の出家授戒を満たしていない。〇A.日蓮は比叡山で出家授戒した天台僧 → B.(だから) 日蓮は天台教義を語る。正しくはこうなるはずで、向きを左右逆にして話を巧妙にゴマかしてるわけで、御書には天台教義の知ったか解説を連発してるけど、とにかく漢文の元原稿と文章合ってないデタラメが多すぎて、それだけでうさん臭いニセモノなんだよな。そこで五老僧の主張する、比叡山の出家授戒がもしホントならば、だけど…御書には出家授戒の記述がないし、そのときに比叡山から発行される、菩薩戒蝶という身分証があって、それも御書にはないし、2025年現在に至ってもどこかの寺や資料館に日蓮さんの菩薩戒蝶が保管されているという話はいまだに聞いたことありません。日蓮教はこの件わかってて、でも信者さんダマさないと商売にならんしな…。結局、菩薩戒蝶を提示することがすべての大本の根っこで、結局は身分証だからね、んでそれができなければ、日蓮さんはニセモノ天台ということになり、五老僧はあいまいな言い方で檀家さんだましてる確信犯ともいえるかな…。2025/03/08 11:02:0897.神も仏も名無しさん6SGfC>>96さらにこの必要条件十分条件を利用して、清澄寺の僧侶であることにあてはめてみると。A.日蓮は清澄寺で出家した = B.日蓮は僧侶である。AとBは同じ意味の集合?になり、とくに問題なさそうですが、でも日蓮教の解説をよく読んでみると。。C.日蓮は仏法に詳しい → B.(だから)日蓮は僧侶である→ A.(だから)日蓮は清澄寺で出家した。という反対向きの不思議な構造になってて、Cの仏法に詳しいのは御書を読めばある程度はそうで、間違いのない事実かもしらんが、でもBの日蓮が僧侶である、Cの清澄寺で出家したという二つは、御書には該当する記述が存在しません。これはたぶん後世の誰かさんが創作した文書の中の記述が、いつのまにか歴史の事実になってしまう、日蓮教に特有の論理構造というか精神世界なんだよねー。まあ後からテキトーに話を作っとけば、それが宇宙の絶対真理となる。みたいな論法で、後世の日蓮教の営業コピーライターが、どんどん話を作り続けたら、それが唯一無二の仏教奥義になるらしく…。2025/03/08 11:27:2598.神も仏も名無しさん6SGfC>>97 清澄寺で説法をしたという話も、御書検索で二か所見つけて、(清澄寺大衆中)建長五年(1253)…安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す、(聖人御難事)此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、※※清澄寺大衆中は1273文永十年、聖人御難事は1279-80弘安二年、1253年から二三十年後に、田舎の坊さんもどきが突然言い出すわけで、そんなムカシの事ダレも知らんがな、とゆー言いたい放題な感じ。注目は「持仏堂の南面」は二つの御書に共通しててホンモノぽいけど、でもその直前の「道善の房」と「諸仏坊」の記述が違ってて、これはもし、道善の房 = 諸仏坊。で間違っていないと仮定すると、日蓮の師とされる道善房って人は、仏像をいっぱい祀っている諸仏坊の堂守ってことでしょ?そうするとただの用務員ていどの人物で、御書の中で日蓮さんがわりかし上から目線で道善房を語ってて、気になるんですけど、それにも説明がつくし、もし日蓮さんが清澄寺で出家したのなら、そのときの導師さまは、仏教業界ならば、絶対服従系の物言いにならんとおかしいのよね、どうも清澄寺には日蓮さん出家の導師がいないのではないかと…?2025/03/08 11:49:5099.神も仏も名無しさん6SGfCそんでちょっと思い出したのが↓これで、比叡山・横川 定光院についてhttps://www.youtube.com/watch?v=05f-eaVwIK8五分34秒あたり、比叡山修行の期間について、〇21才から32才までの12年間ですよ…。※※↓「三十二」御書全文検索で1件だけ、でも数字合ってないよな。(妙法比丘尼御返事)禅宗・浄土宗…こまかに習はずとも…はしりまはり十二・十六の年より『三十二』に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等…あらあら習い回り候し程に19分25秒あたりから、織田信長の比叡山焼き討ちの話にはじまり、〇古い資料が残ってないとこもあり、いつからいつまでの記録は残ってないけれど、あのお、〇いたことは確かにわかってるんですけども…。〇いたことは確かにわかってるんですけども…。〇いたことは確かにわかってるんですけども…。※※古い資料も記録もないのにどうしてわかるんかな?日蓮教団は文献引用をしながら、正統性を主張する、学者ごっこ宗教の体裁が強いんですけど、肝心かなめのとこで、資料がないといって、逃げるつもりなんでしょうか??まあ御書根本を完全ガン無視して、話を作りほーだいですな。。2025/03/08 12:09:44100.神も仏も名無しさんyEHo5>>99そんでさ、比叡山は日蓮御書の全文検索しても日蓮さんと直接関係ある「叡山」は2箇所だけです(破良観等御書)…浄土宗・禅宗をきく・其の後「叡山」・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども(妙法比丘尼御返事)禅宗・浄土宗…こまかに習はずとも…はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・「叡山」・園城寺・高野・天王寺等…あらあら習い回り候し程に※※↑この2つの御書って、いろんな宗派をつまみ食いしながら、大体のとこ習って回りました、とかゆう意味みたいですが、当時は宗派間の交流はほとんど禁止ですから、あちこち回れないんだよな、とくに比叡山と園城寺 (三井寺) は激しく暴力やくざの抗争中だし、比叡山と高野山は最澄のあとすぐに絶縁になってて、ぜったいに両方の寺で習うことは不可能だったと思うのですが。情弱の道ばた乞食がテキトーなこと言ってるだけとも…。観光パンフレットに書いてある有名なお寺の名前を列挙して、自分はいろんなとこで修行した、宗派を超えたスーパー覚者の仏教業界のセレブお坊さんです、みたいな主張かね?2025/03/22 19:41:32101.神も仏も名無しさんekRUN>>983月にはじめて発見した清澄山で説法をはじめた記述ですが、(清澄寺大衆中)建長五年(1253)…清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す、(聖人御難事)此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、清澄寺道善の房持仏堂の南面 = 清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面↑この二つの御書はたぶん同じ説法始めのことを言ってるんだろう、という前提にしてみると、一か所だけ食い違いがあって、道善の房持仏堂の南面 = 諸仏坊の持仏堂の南面まあ持仏堂の南面はおなじだから、食い違ってる部分も、記述が違うだけで同一の場所を示しているのであるとすれば、道善の房 = 諸仏坊となって、道善房は諸仏房の世話係やってる人物だろから、下働きのおじさん?みたいな立場ではなかろうか、いちおう寺で働いてるから習慣で「房」の字がついてるだけで。そうするとここからが核心で、日蓮さんが師と呼ぶのは道善房だけだから、でもこの人が下働きのおじさん程度なら、清澄寺には日蓮さんの導師がいないことになって、必然的に日蓮=出家してない俗人てことにもなりそうですが…。2025/05/04 21:42:41102.神も仏も名無しさんekRUN>>101この辺のナゾはさらに深まりますが、日蓮教は全員でウソつき過ぎてんから、そのうち訳が分からなくなって、ディテールの詰めが甘いんだわな。たとえば黄色いとんがり帽子のR大系おじいちゃんなんかは、道善房が清澄寺の住職だったにちがいないとか、勝手に決めつけてますけど、住職さまが諸仏房の管理なんて雑用してるわけないだろ、とも思うし、寺伝によれば、鎌倉当時の清澄寺は天台密教系らしいんで、うちのご近所のお寺さんにあるような、小さな祠群が20個ぐらいはあったんかな、そういうのを毎日清掃管理してんのが、道善房だったのでは?だからこれも今ではよくわからんけど、明治のころに日蓮宗が真言宗から清澄寺を買収した時に、そこにあったほこら群は都合がマズいから、撤去整理したんじゃなかろうか、行ったことないんで、境内地図のどこら辺なのかわかりませんが。清澄寺、境内散策。http://www.seichoji.com/02_00_keidaisansaku.htmlんで地図を眺めてみると、寺伝にある立宗宣言をしたという設定の旭が森なんてありますけど、崖のきわみたいな場所なんですね、こっから太平洋の日の出に向かって拝んでる像みたいのがあって、それが動かしがたい歴史的事実のように主張宣伝されてます、、。これも日蓮御書の全文検索で、キーワード入れて探してみると、「旭」0件でヒットしない、「朝日」4ヒットするけど森の字がない、「森」12件ヒットでも旭/朝日の字がなく、唯一華果成就とやらの森の記述が。(華果成就御書) 五十七歳御作 与浄顕房・義浄房…於身延・故道善房聖人のため二札かきつかはし奉り候を「嵩が森」にてよませ給いて候。※嵩=高い山。けっきょく御書検索では「旭が森」は行方不明のようですね…。2025/05/04 22:13:53103.神も仏も名無しさんekRUN>>102この話に寺伝の清澄寺の旭が森の解説を、そのまま持ってきてみれば、建長5年(1253)4月28日、日蓮聖人はこの場所で初めてお題目を唱え、法華経の布教を決意なさ…毎年4月27・28日に『立教開宗会』を行います。↑これが清澄寺に限らず、日蓮教公式ってことなんでしょうけど、ただの寺伝が文献的、歴史的証拠になるんかな?よーわからん話だけど、そこでまた清澄寺大衆中にもどると、建長五年(1253)…清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す、※※1253年は寺伝と同じだけど結局、旭が森のことは書かれてなくて、なにやら日蓮教全員で、あやしげな話を宣伝してるような…。これね日蓮教の定番手法というか、まあ詐欺の手口とも言えるけど、御書根本とかいいながら、日蓮さんがなんも言ってない話を後世のダレかさんが作り話を始めると、それがバケツリレーされて、だんだん歴史のゼッタイ的な事実となり、2025年につづきます…。2025/05/04 22:36:27104.神も仏も名無しさんseu29>>2-103根本中堂炎上の件で突然の横槍が入ったもんで、へーそうなんだあ、と御書検索をしてみましたが、やっぱニセ坊主だよね~、と深堀りをつづけて、でももうそろそろネタ切れかな。1. 日蓮さんは天台僧侶ではなく、比叡山には行ったことがない。2. 日蓮さん自身は清澄寺で出家した、とはひとことも言ってない。※※まあ比叡山天台とは無縁の人で、清澄寺でも出家してない、ダブルニセ坊主なんだろうな、とは思いますが。この推理をひっくり返すのは簡単で、比叡山なら菩薩戒蝶、清澄寺なら、出家の時の書きつけの紙一枚あればよく、でもそういう証明書の類は、まったく話題にもならずに、日蓮さんは天台と密教に通じた、日本最高レベルのスーパー知性なお坊さんですぅ~♪とかみんなで騒いでるだけの、ただのインチキシロートだよね~。2025/06/29 21:58:02105.神も仏も名無しさんseu29>>104そんで坊さんの証明書を提示すればいいだけじゃん、と思うけど、それは断固かたくなに拒否してんのな。その一方で裏の事情はしらんけど、比叡山の横川定光院に日蓮宗の坊さんを住まわせて、ここが日蓮さんが叡山で修行した場所です、と主張しつつ記録がないとも言ってて、記録はないけど、修行したのは確かな事ですっ!などと言ってるし、延暦寺の大講堂には日蓮さんの肖像画かかってて、まるで叡山で修行してたかのように見せかける、錯覚を利用して勘違いさせる、詐欺の手口なんでしょうけど、まあ日蓮教の観光バス目当ての、インチキ営業とは思いますが。※※他にもいろいろあるんですけど、鎌倉辻説法の碑は、田中智学が寄付を集めて、鎌倉の一等地を買い、勝手に史跡にしてるけど、これも御書にはなんも書いてない。なんかほとんどありもしない後世の作り話を、みんなで連呼すれば、歴史の事実になるみたいですが、だんだん外堀を埋めていって、日蓮さんはスゴいお坊さんですよお~♪と刷り込む集団催眠術をやってるだけで、結局とどのつまり必要なのは、僧侶の証明書なんですけど、蓮祖としての日蓮さんが、自分は僧侶だとは言ってないんだよなあ・・。2025/06/29 22:22:04106.神も仏も名無しさんseu29いちおうまとめで、日蓮さんがニセ坊主とわかれば、さらにいろんなオカシイ事の理由もわかるわけで、でもどーせインチキなサークル活動だし、身内で勝手にやってればいいじゃん?とも思うんですが。でも国立戒壇みたく、国家権力を利用して国民を洗脳したいらしく、そんな風にカルトが偉そうに公共の場にしゃしゃり出てくると、やっぱなんか突っ込まないかんのかなー?ホントは触りたくないんだけど。などといいつつ、そろそろ本題に入ろうかな、それは日蓮教が国家権力を利用して国民を洗脳する、現在進行形のテーマについてですが、ニセ坊主とかは別にどーでもよかったんですけどね・・。2025/06/29 22:34:56107.神も仏も名無しさんUA9Ydで本題のネタこれね、かなり不自然に見える立正安国論年表ですが…。1260年文応元年7月 立正安国論を幕府に提出 (と八年後から話が始まる)。1261・・・62・・・63・・・64・・・文応元年を含め八年間、御書に安国論の記述がない65・・・66・・・67・・・…1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。・・同年4月 安国論御勘由来、←これが「安国論」ワードの初出でご真筆、・・同年10月 12通の安国論を書いたと主張する御書が現れる…。※※※※※※これは日蓮御書の全文検索に「安国論」のワードを入れて、検索結果の御書名を、平成新脩の目録にある成立年で並べたものだけど、幕府提出 (という設定) の1260文応元年から八年間は安国論記述がなく、提出した話は、実際には八年後の1268文永五年から始まってんですよね。八年間も沈黙した後、蒙古蝶状が届いてから3か月後の1268年4月から突然、安国論の予言が当たりましたあ~♪ と立て板に水の連呼しはじめる不自然さ。2025/07/12 10:15:09108.神も仏も名無しさんUA9Yd>>107これぶっちゃけ、安国論成立の1260年が真っ赤なウソの作り話で、実際の成立年が1268年なのをこの年表が教えてくれてんだけど。。八年後の1268年に蒙古からの属国要求の国書のうわさを聞いて、急遽やっつけ仕事で書き上げたのが安国論なんだなとわかって。錯覚を利用した簡単なトリックだけど、これが現代では意外と通用してて、でもよーく観察すると、八年間無言で黙ってる部分に不自然さがあります。※※日蓮さんが、なんでこんな嘘つきたいのかはよく知らんけど、八年前の話なら、現代と違って新聞記事もないから、バレないと思いついて、嘘の作り話で権威ぶってるんでしょうね。この1260年文応元年は、飢饉と疫病がすごくて、幕府が非常事態宣言で、各地の寺社仏閣が厄除け加持祈祷を盛んにやってた年らしく、みんなが幕府に意見したろうから、その無数の上申書にまぎれて、日蓮さんも意見したんだあ、と世間が勝手に勘違いしてくれるかもお、みたいに、あまり出来の良くない日蓮さんのアタマで考えた手品らしく。でもこの知恵遅れ気味な嘘は、当時はまったく世間には通用しなくて、1268年10月、安国論の予言が当たりましたあ♪と鎌倉の十一か所に送った宣伝文書は、すべて門前払いにされた、と種々御振舞御書にそのてん末が書かれています。日蓮さん本人が、有力者に相手にされなくて悔しがってるから、まあホントの話なんだろうな、と思いますよ。2025/07/12 11:41:47109.神も仏も名無しさんpd0ks>>108まあこの不自然な年表見る限りは、なんで蒙古の国書が来るまで、八年間もダマってたん? 宣伝すればよかったやんけ。と思うけど、結局はゲンブツが存在していないのでは?ということですよね、しかもその推理を裏付けるかのように、実際にも幕府に提出したはずの、1260文応元年の原本がなくて、さんざん日蓮業界で大騒ぎしてるわりには、2025年の現在、幕府提出本は、この日本国には存在していません。そんじゃ現代に伝わる立正安国論は、なにを元原稿にしてるのか?といえば、これは中山法華経寺に伝わる文化庁が国宝指定した、1269年版の「写本」と称されるご真筆の原本があって、この内容が安国論として、流通してるわけですが。地元の市川市教育委員会の説明によると、北条時頼に宛てて、と書いてあるけど、それは嘘で、じっさいは「最明寺」という謎の人物あてで、その形式も上奏、奏上、勘文、考えただけ、とかバラバラにいろんなこと言ってて、それだけでも作り話とわかり。立正安国論の幕府提出本などというものは存在してなくて、九年後に成立した、国宝指定の写本こそがじつは、オリジナルなんじゃないですかあ?ということに尽きるわけで、九年後の安国論が初出のオリジナルならば、これは文応元年の幕府提出がウソの作り話だったことになり、2025年7月現在、文応元年本が存在しないことの、説明もつきますよね…。2025/07/20 21:30:05110.神も仏も名無しさんpd0ks>>109そんでわたしの目から見た、日蓮さんの嘘を排除した安国論年表はこれで、1260年文応元年4月 立正安国論の元ネタである、護国経典解説本を丸写しした、災難対治抄を書くも、その後鎌倉で歴史に残る大火事と大水害が発生し、はー、これを予言の書として、もっと宣伝すればよかったと後で後悔する日蓮さん…。※※じつはこの年には、安国論は影も形もありません。1261・・・62・・・63・・・64・・・文応元年を含め八年間、御書に安国論の記述がない65・・・66・・・67・・・…1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。・・同年4月 安国論御勘由来、←これが「安国論」ワードの初出でご真筆、・・同年10月 11通の安国論の予言が当たったと主張する御書を、鎌倉各所にアポなしで届けるも、すべて門前払いにされる…。1269年12月 安国論の写本と詐称する、じつはオリジナル原本が完成して、第三者の証人として、中山の八木某という人物に預けた話を作ります。※※※※※※↑これがじっさいの話で、ただの嘘つきなおバカ坊主ってかんじですね。2025/07/20 21:54:19111.神も仏も名無しさんkvyI3>>108,109,110安国論年表の変なとこは、3レスでもう説明尽きて終わりですが。1. 1260年文応元年の立正安国論の幕府提出本は存在していない。2, じっさいの初稿は、1269年中山法華経寺にある国宝指定本で、それが最古の安国論でオリジナルなんじゃない?※※これがまとめで、それ以上はもう説明の必要もなさそうですね。2025/08/02 08:31:06112.神も仏も名無しさんkvyI3>>111といいつつ、またちょっと思い出したのは、安国論のオモテ書きにある、与 北条時頼。の一文ですが、これって日蓮御書の検索で「時頼」は1件ヒットだけで、とこれを掲示板に書いたら、お前はバカかw それは現代の注釈だあ!とののしられましたが、御書にある提出先は「最明寺殿」としかなくて、時頼って注釈なん? または日興が表書きを書いたという話もあるけど。でまったく駄目なのは「与」の字で、これは上奏じゃなかったのか?当時ゼッタイ身分制度の鎌倉で、名越えの切通しに掘立て小屋を建てて、勝手に住んでるだけの乞食坊主が、時の最高権力者に宛てて、上から目線で「与える」とかってどーなん??もうこれだけで安国論の幕府提出が作り話ってわかりますけど。2025/08/02 08:50:34113.神も仏も名無しさんkvyI3>>112そして御書にある安国論の上奏相手は「最明寺殿」の表現しかなく、最明寺入道、故最明寺、とかのビミョーなバリエーションもあるけどこの宛て名が、致命的な墓穴を掘っているわけで。●「最明寺」は北条時頼の戒名なんだな。カイミョウ、わかりますか?はー、戒名相手に上奏したわけですか、なかなか器用なことしてますが、そこで北条時頼の年表を持ち出すと、1256年11月、北条時頼は最明寺で出家し、覚了房道崇と号した1260年 立正安国論を提出(…と八年後の1268年から御書で主張し始める)。1263年 時頼は最明寺北亭で死去、享年37、法名最明寺道崇。(1268年、宿屋入道御書) 故最明寺入道殿へ…。※※1260年文応元年当時は、時頼は出家して覚了房道崇の法名を名乗ってんのよ。その3年後に最明寺で亡くなり、戒名は最明寺の墓石にも刻んであり・・、※※日蓮さんて、このお墓を直接見に行ったんでしょ、その墓石には「最明寺」という文字が刻まれていて、やったー!みたいな…。それと戒名をさらに故人とする、故最明寺殿ってなんなの?あと最明寺入道殿もあって、戒名が入道するってことですか??2025/08/02 09:08:35114.神も仏も名無しさんonV7M>>113日蓮さんは戒名を宛名に安国論を上奏したらしいんですが、時頼は1260年当時は出家して、法名を覚了坊道祟と名乗ってて。それと>>107奇妙な安国論年表は、1260文応元年の成立が嘘の作り話で、1268年ごろから書き始めたことを強く示唆していて…。、※※御書にある立正安国論を幕府に提出した話は、シチュエーションの3点セットが繰り返し出てくるわけで、それは、1.1260年文応元年に2.最明寺殿に宛てた上奏文を、3.取次の宿屋入道にあずけたの三つなんですよねー、このうち第一の矢である文応元年には、安国論はまだ書かれてなさそうで、第二の矢である最明寺殿は、戒名でしかなくて、上奏相手には不都合なんだよなー。そして第三の矢が取次人の宿屋入道なんですけどお…、御書によると、初出のご真筆が「屋戸野」でその四か月後から「宿屋」と書き替わり八年間つづき、最後の撰時抄で1回だけ記述がある「宿谷(しゅくや)」とようやく正しい名前を知ったらしく、でもその撰時抄を境に、最明寺殿に上奏した話はまだつづきますが、この取次人としての宿屋/宿谷の名前は御書から消えてしまいます…。2025/08/09 09:58:38115.神も仏も名無しさんonV7M>>114だからこの安国論を幕府に提出した状況の3点セットは、1.1260年文応元年にはまだ書いてない2.最明寺殿、は戒名なんで上奏できない3.宿屋入道、は名前の読みと漢字を両方とも間違えてると日蓮さんが連呼してる内容は、どれも有りそうもなくて、そんじゃあ、なんでこんな嘘つきデタラメな作り話が世の中に一般常識で流通してるんでしょーか?答えは日本史教科書が嘘ついて、脳みそがまだ真っ白な中高生に、洗脳刷り込みを何十年も続けてきた努力の成果のようですが、こちらも日本政府が洗脳刷り込みのお手伝いしてる3点セッがトあって1. 安国論幕府提出のウソが、日本史教科書に書いてある2. 文化庁がウソつき文書の安国論を、国宝指定にしている3. 宮内庁は大正末期、日蓮さんに立正大師号を贈ってるまあ日本史教科書は文部科学省の検定済みなんで保証付き、文部科学省-文化庁-宮内庁、の日本政府代表が立正安国論のスバラシさを全面的に宣伝してバックアップしてて。でも税金使って、特定宗教のウソを宣伝するってどうなの…。2025/08/09 10:47:56116.晃◆HOKKEvxAGE3XqIITalk 法華講https://talk.jp/boards/psy/1745362437/誘導2025/08/15 08:22:24117.神も仏も名無しさんKAfRYわたくしの楽しみの一つにJRA,競馬がある。胴元であるJRAが25%を先取しているから、長く長く競馬をしていると必ず損を出す。必勝は、勝ち逃げ、の一点しかない。だから、わたくしの宗旨はJRAへの助成金支出の連続である。ただ勝った負けた」のばくち打ちではない。2025/09/26 21:48:01118.◆JBLfMwCXhYe63fr>>117日蓮仏法を語ろう😫2025/09/27 06:05:28119.神も仏も名無しさんEfUvR倶舎論の動画見ているテーラワーダからやれているので専門用語の記憶は苦労しそうだがなんとかいけるだろうhttps://m.youtube.com/watch?v=ltnYXT_ZT9A&pp=0gcJCRsBo7VqN5tD2025/09/27 15:27:06120.神も仏も名無しさん12hpW公明党が連立離脱って、このスレ的にすごいニュースと思うけど、いままでこの日蓮仏法なる、嘘にうそを塗り固めたデタラメな仏教もどきが世間に流通してるのは、やっぱ創価学会の公称八百万世帯の選挙パワーに守られた部分もあるわけで、それを自ら放棄するわけですか。このあとの展開はどーなんのかね?2025/10/13 09:24:19121.神も仏も名無しさん12hpW>>115そんで3か月ぶりまたまた、安国論は幕府に提出してないでしょっ!のメインテーマで、日本史教科書にある1260文応元年には、まだ書いてなくて、元原稿すらなかったはずだよねー。という意見なんで、摩訶不思議な安国論年表貼っとくね。1260年文応元年4月 立正安国論の元ネタである、護国経典解説本を丸写しした、災難対治抄を書くも、その年鎌倉で歴史に残る大火事と大水害が発生し、はー、これを予言の書として、もっと宣伝すればよかったと後で後悔する日蓮さん…。※※じつはこの年には、安国論は影も形もありません。1261・・・62・・・63・・・64・・・文応元年を含め八年間、御書に安国論の記述がない65・・・66・・・67・・・…1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。・・同年4月 安国論御勘由来、←これが「安国論」ワードの初出でご真筆、・・同年10月 11通の安国論の予言が当たったと主張する御書を、鎌倉各所にアポなしで届けるも、すべて門前払いにされる…。1269年12月 安国論の写本と詐称する、じつはオリジナル原本が完成して、第三者である中山の八木某という人物に預けた話を作り、証拠をねつ造します。2025/10/13 09:34:44122.神も仏も名無しさん12hpW>>121しかしさあ、幕府に意見して処罰を受けたのは、昨日の大河で、蔦重がエロ本出版して、幕府に逮捕され身代半減処分とか、ああいうのはあるだろうなとか、思うけど。嘘ついてだれも覚えてない八年前に、幕府にキビシク諫言しましたあ~♪、という世間的に興味ゼロの作り話をしたら、鎌倉幕府に目をつけられて、ダレも名前を知らない道ばた乞食が、伊豆の流罪になるとかありえないだろ。立正安国論はただの、エア幕府提出で、エア国家諌暁だからな。あくまで日蓮というおバカなおっさんの頭の中の妄想にすぎなくて…。2025/10/13 09:47:19123.◆JBLfMwCXhYmBDG4大聖人を誹謗するか?😫2025/10/13 14:26:13125.神も仏も名無しさんBnlEz>>122これもわかりずらいから、年表にすると、1260文応元年七月 立正安国論で鎌倉幕府に意見する。同年 松葉が谷の草庵に、安国論の内容に怒り狂った念仏衆が、五万人ほど大挙して押し寄せ、日蓮師匠を●●しに来る。翌1261年5月 安国論で幕府に目を付けられて、伊豆へ流罪となる。※※ちなみにグーグルマップで松葉が谷を探してみると、松葉ヶ谷御草庵霊跡、神奈川県鎌倉市大町5丁目6↑と出てきて、鎌倉御所/鶴が岡八幡宮からは2.5kmぐらいかな、当時の名越えの切通しは、鎌倉への入り口で狭い谷らしく、中心部からはハズれた外敵に備える辺境地帯なわけで、草庵といえば聞こえはいいけど、草むらの中に建ってる乞食小屋ていどで、多摩川ほとりの段ボールハウスをイメージすれば。そしてどの宗派や寺にも所属していない、まったく無名の乞食坊主ということに注意すれば、鎌倉幕府が目をつけるとかありえなくて、統失の妄想なのもわかると思いますが。しかも文応元年には安国論が存在した証拠がなくて、国家諌暁は、頭の中のエア幕府提出って事で…。2025/10/18 10:29:37126.神も仏も名無しさんz5EuX>>125松葉が谷法難と伊豆流罪については、下山御消息に細かく書いてあって。(下山御消息)正嘉(※文応のまちがい)元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん其の夜の害もまぬかれぬ、然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて大事の政道を破る日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもかへりみざるか御式目をも破らるるか御起請文を見るに梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる、※※正嘉元年に安国論を上奏したけど、それについて聞かれることもなく、その内容を幕府が実行することもなくて。なんのお呼びもない法師ならば、意見がちがっても罰はないだろうと思い、ところが念仏衆が夜中になってわたしの小屋を襲い、数千人で●害しようとしたけれど、なぜか逃げることができて、ところが (有力者と?) 談合してた襲撃者たちもべつに罪にはならなくて、気に食わない日蓮がまだ生きてるから、それで伊豆の流罪にされました。あまりに自分の罪もかえりみないし、貞永式目の決まりも破っていて、そのお裁き文章?には神々の名前もちゃんと書いてあるんですけどね…。2025/10/19 09:08:04127.神も仏も名無しさんz5EuX>>126このお裁きには鎌倉幕府ツートップの一角、連署の北条重時が、念仏衆のバックにいて指図してると思い込んでるらしく、それで評定所の判定がインチキであると(御式目をも破らるるか)文句をいってます。なんであいつらの方が悪いのに罰がないのか(寄せたる者も科なくて)。これ大事なポイントで、評定所ならこの争いを訴え出た者がいるはずで、しかも念仏が悪くて、日蓮さんは被害者であると主張してることから、訴え出た人は日蓮さん本人じゃないのかしら?そうすると貞永式目の条文でさがしてみると、第28条:「いつわりの訴えをしてはならないこと」言葉たくみに人をだますことの罪は大変に重い。所領を望んで嘘の訴えをおこした者はその者の領地を没収する。領地がない場合は遠流(おんる)とする。伊豆流罪 = 遠流、嘘ついた作り話で、念仏衆をハメようとしたらバレてしまい、逆に自分が流罪になってしまうというオチに思われますね。日蓮教公式の、立正安国論で意見された幕府が怒って、伊豆に流罪されたとゆー事実は、まったく書かれていませんが…。2025/10/19 09:37:33
密教や浄土教の勢いが止められない状態で
天台宗も変わってきて法華経?何それおいしいの?って
感じになってきたのが許せなくて
浄土教の念仏をパクッて題目つくったし
密教の曼荼羅をパクッて曼荼羅本尊つくった。
そして、それらは浄土教や密教よりすごいって宣伝した。
ただそれだけの話なんだよ。
時代を刷新するような目新しいことは何もやってない。
マイナーチェンジの連続ですよ
結局ストーリーをまとめてみると、こんなかんじか?
1. わたくし日蓮はじつは前世で、法華経湧出品に出てくる
上行菩薩をやってたんですよお。
2. ほけきょ湧出品を読んでもらえばわかるけど、その時
霊鷲山にいるお釈迦さまの前に、地面から湧き上がって出現し、
3. お釈迦さまから、こっそりと末法にのみ通用する、
決して口外することのない、ヒミツの仏法を伝授されましたっ!
※※そして二千年の時を経て、日本国の鎌倉という時代…。
4. わたくし日蓮はごく平凡なふつーの人間なんですが、
自分でも無意識に、ときおりなにやら口をついて出てくる、
呪文のような言葉があるんですよねー、なむげきょお…。
※※
↑このしょーもないお花畑な物語は、日蓮教団内部では、
「上行再誕」ストーリーとして流通してんだけど、
幼稚園児の絵本レベル信じてる人が、ホントにいるんかな?
法華経を俗物のサギ師が書いたニセ仏教とみるか、または、
歴史的事実と信じるかが、運命の分かれ道だろうけど、
結局は、何も相承をもたないニセ坊主だから、上行再誕みたいな
ヨタ話で庶民をだまくらかすしか、方法がないんだろね…。
そんでさあ、三大秘宝の戒壇の記述も、創価学会の国立戒壇も、
どちらも根本的にカン違いをしてると思うんで、
とりあえず、戒壇の意味を説明したいのですが、
戒壇には2種類あるんだな。
1. 仏教の正統な相承で戒律を授ける場としての、戒壇A。
2. 国家公務員の資格を授与する場としての、戒壇B。
※※
↑この2つがごっちゃになってるのが、話をややこしくしてる元凶で、
戒壇A はまさに東大寺の戒壇堂ですよ、井上靖さんの名作「天平の甍」で、
鑑真和上が5度の渡航を失敗して、6度目に日本にたどり着き、
その時初めて日本国に、仏教の正式な戒律と相承がもたらされた…。
この東大寺の戒壇がインドからつづく相承の系図を保証するわけで、
そのために戒律を守る誓約が必要で、意味わかりますか?
そして比叡山の戒壇は戒壇Bで、仏教系国家公務員の任免資格を授与するもので、
仏教の系譜とはまったく別物で、あくまで職業資格を保証するもので、
だから朝廷の勅許によって設立されるんだな。
余計だけど、さらにいえば戒律 = 修行といってもいいから、
末法無戒とかは、修行を嫌うイージーお手軽な手抜き仏教てことでしょ…。
という戒壇A、戒壇Bの区別をアタマに置いて、改めて御書みると、
(三大秘宝凛承事)
時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん
最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か
勅宣は京都朝廷が発し、御教書は鎌倉幕府の命令書のたぐいで、
どちらも国家がかかわるものだから、この三大秘宝事は戒壇Bの部類で、
上級国家公務員の資格認定のための施設、という意味合いをイメージしてて、
戒壇Aの仏教としての、お釈迦様からつづく相承の系譜と戒律を
受け継ぐ僧侶の資格証明とは、根本的に意味合いがちがいます。
※※
要は日蓮さんは霊鷲山のイメージと国家資格をごっちゃにして、
日蓮法華宗を国家で庇護しつつ、ついでに仏教の正統も主張したいらしく、
でも仏教の正統を主張したいなら、東大寺で受戒の一択すればいいだけで、
それに縁がないのは、そもそもがニセ坊主でしかないのに
しったかで他宗批判を繰り返しても、情弱な庶民すらなかなかダマせない現実。
そこで国家権威を利用して、SNS的に世間をダマす発想になるわけで、
どーも日蓮さんは、お釈迦さまからつづく仏教の系譜には一切触れずに、
仏教もどきの営業をしたいだけらしく、戒壇への理解のなさもふくめて、
やっぱニセ坊主なんだろうね、日蓮教団の目指す戒壇のイメージとは…。
1. 国家権力による名声と権威 → 庶民をダマすのにぜったい必要。
2. 仏教の正統な相承、戒律、修行 → めんどくさいから、要らない。
しかもサンガの独立性と出世間性が国家によって保障されてないでしょ
お釈迦さまからつづく正統な仏教の相承をもたない日蓮教なんで、
てきとーに比叡山で修行しましたあ~♪ とか嘘はつけるけど、
そんならそのときの導師さまは、どなたですか? などなど聞かれ。
ここからが完全に困ったことになるわけで、単純に相承さえあれば、
戒蝶、度蝶、菩薩戒蝶、みたいな身分証明書を示せば終わりだけど、
ニセ坊主は途端にヤバい追い詰められた状況になりますからね。
なんとかハナシをゴマかさなアカンわけで、
どーせ庶民は難しいコトはわからんから、とタカをくくっててきとーに、
オリジナル戒壇を作って受戒ごっこやればダマせんじゃないの?
そこで「金剛宝器戒」という日蓮教ローカルで作った戒律の出番で、
それは宇宙さいこーで、歴代さいきょーのラスボスですよという触れ込みで、
ネットでひろってきた解説によれば、
A. 末法においては…法華経本門寿量品の肝心、文底下種の妙法蓮華経の戒を
…即身成仏の本懐を成就できるのです (題目こそ唯一絶対の仏法である)。
B. …本門の本尊を信じて唱題に励む…(末法唯一の戒行)…。
C.…一度この文底下種の妙戒を受持すれば…妙法の戒体は破られることがありません。
※※
これをざっくり現代語に翻訳すると、ダイヤモンドのように硬くて、
一粒のめば一日の栄養がすべて満たされる、スーパードリンクですう~、
みたいなオールマイティ戒律ごっこ? なんだそうな…。
末法でほけきょー南無南無を唱えれば、ダイヤモンドみたく壊れなくて、
他の宗派の戒律なんて末法ではぜんぜん効き目ありませんからね。
とかなんとか根拠ゼロのタワゴトを、難しい漢字熟語を混ぜたりして、
全員でギャーギャーわめいてると、庶民はなんとなくダマされてしまい、
スゴイ価値がありそな気がしてくるから、不思議なもんですが。
でももし、出典元を聞いてくる厄介なヤローがいた場合、
もちろん思い付きのでたらめで、元原稿なんてあるはずもないんで、
そこで「文底下種」という、文章には書かれていないけれど、
わかるやつには、わかるのさっ、という逃げ口上の四文字熟語が出番で。
これはなかなかよく考えられた、詐欺師の決め台詞的なフレーズですね、
ホログラムみたいに光の加減で文字が浮き出るんでしょうかね、きっと。
いろいろあるどの経典にも文字としては書かれていないけれど、
文字がなくても、それが (なむなむ) 仏教の根本真実ですよお、
という一方的に根拠のない決めつけの構図に、ダレかが気がつくのでしょうか…。
※※
知れば知るほどこの珍妙なトリックには、文献根拠がまったくなくて、
そもそも日蓮御書の元原稿をみても、一か所しか該当がなくて。
(教行証御書)
此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経…五字と為せり、
此の五字の内に豈万戒の功徳を納め…金剛宝器戒とや申し…、
本門の肝心てなんのこっちゃ? そしてそれが妙法蓮華経の五字であるとか、
いったいどこのダレが、それを決定したんでしょうかね?
なんかわけわからんことを、延々とやってる金剛宝器戒ですが、
話も無駄に長い方が、シロートの善男善女をダマくらかすのには、
都合が良さそうですな、などなど感想を言ってみますが。
結局はさあ、仏教の相承を証明する戒蝶があればよいだけなのに、
でも肝心な証明書がないから、ニセ坊主と突っ込まれちゃうわけで、
延々とグダグダな回り道をつづけるハメになるわけで、
そこで金剛般若経からパクったらしい、金剛宝器戒みたいなへんなものを、
考えついたんだろけど、結局は相承がないことの言い訳でしかなく、
宗祖のニセ坊主を隠すために、なんだか妙なこと全員でやってるよねー。
※※
あの金色のとんがり帽子と袈裟を着て、いい年をしたおじいさんが、
幼稚園児のお遊戯会レベルをやってるのもなんだかなー。
※※
そんで気が付くのは、妙法蓮華経の五字をナムナム連呼するって、
戒律じゃなくて、行法なんじゃないの? という気がしなくもなくも…。
>>83のB.のとこでは、「戒行」みたいな創作造語トリックで
ごっちゃにカクテルしながらゴマかしてますが。
そもそも戒律と相承の関係をまったく理解してないんで、
その無知っぷりからも日蓮さんニセ坊主確定とおもうけど、
末法無戒なんて、修行ぎらいの言い訳でしかないもんね。
そんでさっ、お釈迦さまを初祖とする仏教は、
二祖としてマハーカッサバ迦葉を後継者として、
その次の三祖がアーナンダ阿難ということになって、
師匠が自分の目で見て判定をして、この人間なら自分の教えを
後世にまちがいのないカタチで伝えてくれるだろう、
という人事の資格判定する案件みたいなもんかね。
とにかく師匠が弟子に後を託すわけでしょ?
そしてね、その後継者は周囲の人間にも認めてもらわなアカン、
ということで形式的な戒律の授与を=相承として、
分かり易いビジュアルとしての習慣になったんだろけど。
戒壇 = 戒律の授与 = 相承の証明。
という資格認定になってんじゃないすか?
日蓮教の問題は、この相承の証明をさりげなく省いて、
戒壇ごっこと、戒律ごっこのビジュアルだけでゴマかしてるとこで…。
日蓮教は宗祖がニセ坊主だから、仏教の相承なんてまったく無いし、
とーぜんのことながら、日蓮さんには仏教の相承を受け継いだ
師匠の名前も存在してないわけよ。
それはさ、清澄寺で子供たちの世話係をしている道善坊レベルでは、
日蓮さんに仏教の相承を与える立場にはないはずだし。
※※
あげくの果てに、相承がないと仏教じゃなくて外道ってことだから、
日蓮教 = 外道なのがバレないように、金剛宝器戒なるアヤしげな、
仏教じゃない真似っこのおママごとを思いついたんだろね。
これはさ、宗祖に相承がないんだったら、とーぜん自分たちにも
お釈迦さまからはじまる相承の系譜がないわけで、
(日蓮教Aさん) オレたちって外道なん? ひょっとして…。
と気が付いたやつは、たぶんいっぱい多数いるんじゃないのお?
でも金剛宝器戒なる、根拠ゼロで上っ面だけの仏教おママごとやって、
世間の善男善女ダマくらかして、現金カツアゲすれば、
宗教ビジネスとしては成り立ってて、嘘八百でもけっこー儲かる…。
※※
そんでこの仕組みは内部の人間でも、わりと気づかれないから、
さらに外部の人間にバレて指摘されないように、本門の戒壇(国立戒壇)、
本門の本尊(日蓮まんだら)、本門の題目(なむなむ法華経)、
と要素を増やして、話を複雑化しつつ、元原稿の文献がなくて、
仏教的な相承もないし、根拠もゼロだけど、漢字熟語もいっぱい増やして
複雑な迷路化を図っていこう、というのが金剛宝器戒の真実かね…。
とかなんとかで、金ぴかトンガリ帽子のお坊さんコスプレと、
ものものしい金剛宝器戒の、幼稚園児おちんちんお遊戯会をやればさ、
仏教知識にうとい世間の善男善女は、はあ~ありがたや~(泣)となり。
でもどんだけイミフな漢字熟語と、金ぴかビジュアルで、
豪華な演出をしたとしてもだよ、しょせんは宗祖がニセ坊主なんだから、
結局は根拠ゼロな、仏教もどきの外道になるなんじゃないのかな?
※※
そこで日蓮さんてニセ坊主でしょ? のネタもずいぶんいっぱいけど、
まだ芋づる式にタネがあって、それが清澄寺での身分なんだよな、
それは日蓮さんが清澄寺で正式な僧侶であった、だとか
清澄寺で出家した、という記録が御書の中には
まったく書いてないんじゃないのかい?
中村錦之助さんの日蓮は、たしかに清澄寺の僧侶だったけど、
あれはただの映画だしな…。
その他は後世の論文もどきが、学者だかなんだかしらんが、
日蓮さんは清澄寺で出家して、そのあと比叡山に遊学して、
とかあって、ほお~なかなか立派な経歴ですな…。
と言いたいんだけど、御書にはそんなことなにも書いてなくて。
そんで清澄寺での日蓮さんのポジションはといえば、
これは報恩抄がいちばんのネタみたいだけど。
(報恩抄)
父母も故道善房の聖霊も扶かり給う…
故道善房はいたう(愛う)弟子なれば日蓮をば・にくし(憎)とは・
をぼせざりける(思わない)らめども・きわめて臆病なりし上
・清澄を・はなれじと執せし人なり、←←◎A
地頭景信…円智・実成が上と下とに居てをどせしを(脅す)
あながちにをそれて(恐れて)・いとをし(愛おし)と
・をもう(思う)としごろの弟子等をだにも・すてられし人なれば
後生はいかんがと疑わし、←←◎B
其の上…力なき人にも・あらざりしがさどの国までゆきしに
一度もとぶらはれ(訪らう?)ざりし事は、←←◎C
※※
たとえば←←◎Aの部分は、日蓮さんと険悪ではないんだけど、
臆病なたちの人なので、清澄寺を離れることができないとある。
この意味は、日蓮さんが清澄寺を退出するときに、
道善房と一緒に行こうと誘ったと思われ、臆病な人でもあり
寺に執着して離れることができなかった、という意味らしく、
それは道善房が清澄寺の住持であるならば、東条景信とやくざ抗争中でも、
寺を離れることは出来ないんで、それは貞永式目の条文にもあって、
坊主が仕事をサボると罰則が付いてくるわけで…。
日蓮さんが清澄寺を退出するということなら、貞永式目によると、
第2条:「寺や塔を修理して、僧侶(そうりょ)としてのつとめを行うこと」
僧侶は寺や塔の管理を正しく行い、日々のおつとめに励(はげ)むこと…、
おつとめをはたさない僧侶は直ちに寺から追放すること。
↑↑↑ここんとこですよね、
僧侶は公的な資格らしく、寺から追放されるんならその逆に、
勝手に寺から退出することも出来ないんじゃないのか。
そして道善房も一緒に退出しないかと誘っているとこみると、
住持であればそんなこと自由に出来ないから、その身分は
寺の雑用をこなしている使用人レベルなのではないのかしら??
そうすると自由に清澄寺を退出できるのは、僧侶の資格のない、
寺の雑用をこなす使用人だけである、とすればつじつまは合いそうだけど、
結局、道善房は日蓮さんに出家の資格を与える立場にはなくて、
日蓮教が主張する、道善房が清澄寺の住持だから日蓮さんを出家させた、
という主張は、御書的にも文献根拠がないんよねー、という…。
そして←←◎Bのとこ、可愛がってた弟子にも見捨てられて、
という部分は権力なくて、住持でも僧侶でもないのでわ?
←←◎Cの部分は日蓮さんが佐渡の流罪になっても、
手紙をくれたこともないって意味かね? 二人の関係が希薄らしく、
これも道善房を出家の導師とするのには無理があるんだろなー…。
道善房が住持でも僧侶でもない使用人なら、日蓮さんも使用人てことかな?
そこで「道善房」ワードで御書検索してみると、五件ヒットして。
(報恩抄)
・・父母も1.『故道善房』の聖霊も扶かり給うらん・・
・・南無妙法蓮華経なり、此の功徳は2.『故道善房』の聖霊の御身にあつまるべし
(善無畏三蔵抄)
今既に日蓮・師の恩を報ず定めて仏神・納受し給はんか、
各各此の由を3.『道善房』に申し聞かせ給ふべし、
(華果成就御書)
与浄顕房・義浄房 於身延 其の後なに事もうちたへ申し承わらず候、
・・4.『故道善房聖人』のために二札かきつかはし奉り候を
嵩が森にてよませ給いて候よし悦び入つて候・・
(富士一跡門徒存知の事)
一、報恩抄一巻・・身延山に於て5.『本師道善房聖霊』の為に作り
清澄寺に送る日向が許に在りと聞く。
※※
1-4は道善房に敬称がなくてナニモノかわからんけど、5の富士一跡は
日蓮さん葬式後に、六老僧が師匠の遺産の分捕り合戦を繰り広げてて、
日蓮さんが自分で「本師」と言ってるわけではないんよね。
六老僧の師匠である日蓮さんのさらに師だから、大本の師匠みたいな。
これも弟子が勝手に言ってるだけで、日蓮さん本人は道善房のことナニも言ってません。
ネットにある日蓮系の解説だと、道善房は「師」「僧」「(清澄山の)住持」とか
いろんなこと書いてありますが、どれも元原稿の御書には記述がなくて、
日蓮さんがなにも言ってないのに、勝手に決めつけてんのね。
道善房ナニモノ? というナゾが深まるばかりで、
まあハッキリいって、日蓮さんが清澄寺で出家したと主張すんなら、
その出家を担当した導師の名前がなければダメだけど、
日蓮教団は話の順序が逆で、A.日蓮さんは正式な僧侶である←根拠がない、
B.だから日蓮さんは清澄寺で出家したに違いない←希望・願望のたぐい。
どうもこのA→Bという論法でゴマかしてるけど、じっさいの順番は
その逆で、清澄寺で出家したから正式な僧侶になるんであって
正しい順番はB→Aとなるはず。
だから清澄寺で出家した時の証拠の記述が、日蓮御書にはないわけで、
致命的というか、それがなければ蓮祖さま正式な僧侶ではないのでは?
日蓮教の営業上は、スーパー大日蓮祖師さまが清澄寺で出家した僧侶であって、
その後比叡山に登り修行した立派な天台僧侶であるというストーリーで、
ヘンな精神病の妄想を前面に打ち出して、信者さんダマさないと、
カネが稼げないんだろうね。
でもじっさいの御書には、清澄寺で出家したとも、比叡山に登って
修行したとも書いてなくて、ぜーんぶ後世の怪しい書物が言ってるだけの、
それら後だジャンケンでしかない、インチキ文書がネタ元なんですけどね…。
んでさらに興味津々なんで、「清澄」「出家」のダブルキーワードで
御書の全文検索をしてみると、結果は0件のヒットで空振り。
なら「出家」だけで検索すると56件ヒットしますが、
そのほとんどが経典や歴史上の有名人の出家について解説してるもので、
日蓮さんと直接関係のある出家わーどは54番目に1件だけあって、
検索結果54.(富士一跡門徒存知の事)
五人一同に云く、聖人の法門は天台宗なり仍つて比叡山に於て出家授戒し畢んぬ。
↑はあー、これもなにやら胡散臭い論法ですが、この御書は
日蓮さん亡くなって葬式あとの、壮絶な身内の大ゲンカなわけで、
日蓮さん本人が清澄寺で出家したとは言ってないことに注意します。
そんでこの五人一同というのは、日興と対立する五人の高弟たちで、
のちに身延山久遠寺につながる人たちなんですが、
日興と教義対立するのもヘンだけど、相変わらず論理がオカしくて、
●日蓮師匠は天台教義を語るから、比叡山で出家受戒をした(はずだ…)。
となって、これもホントは左右が逆で、比叡山で出家授戒をしたから、
その結果、安国論のオモテ書きにある天台沙門になったんで、
だから日蓮さんは、天台教義を語っていました。
という論法が正しいんであって、すべての大本は出家授戒にしかなくて、
比叡山で出家した証拠がなければ、天台沙門はうそのニセ坊主だし、
天台教義を語ったとしても、それは天台本家とはかかわりのない、
シロートのでたらめ解釈としか言い様がないのですが…。
これは単純に中学校で習う数学の、必要条件と十分条件で、
その要素を満たしてなくて、
日蓮さんが比叡山で出家したことの必要条件は、◎「菩薩戒蝶」を持ってる、
ということで、●天台教義をよく引用する、ことではありませんよ…。
『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。
煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。
みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。
俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
これ中学校数学だから、ん十年ぶりに調べてみたらネットはこんな解説が、
A.日本に住んでいる → B.東京在住である。
Aの日本に住むことはBの必要条件、Bの東京在住はAの十分条件 (Aの一部だけを満たす)。
Aの日本が全体集合とすると、Bの東京はその部分集合(Aの一部)である、みたいな。
※※
そんでこれを五老僧の「富士一跡門徒存知の事」に当てはめればよくて、
●A.日蓮は天台教義を語る → B.(だから) 比叡山で出家受戒をした。
天台を語る事は十分条件でしかなく、必要条件である比叡山の出家授戒を満たしていない。
〇A.日蓮は比叡山で出家授戒した天台僧 → B.(だから) 日蓮は天台教義を語る。
正しくはこうなるはずで、向きを左右逆にして話を巧妙にゴマかしてるわけで、
御書には天台教義の知ったか解説を連発してるけど、とにかく漢文の元原稿と
文章合ってないデタラメが多すぎて、それだけでうさん臭いニセモノなんだよな。
そこで五老僧の主張する、比叡山の出家授戒がもしホントならば、だけど…
御書には出家授戒の記述がないし、そのときに比叡山から発行される、
菩薩戒蝶という身分証があって、それも御書にはないし、2025年現在に至っても
どこかの寺や資料館に日蓮さんの菩薩戒蝶が保管されているという話は
いまだに聞いたことありません。
日蓮教はこの件わかってて、でも信者さんダマさないと商売にならんしな…。
結局、菩薩戒蝶を提示することがすべての大本の根っこで、結局は身分証だからね、
んでそれができなければ、日蓮さんはニセモノ天台ということになり、
五老僧はあいまいな言い方で檀家さんだましてる確信犯ともいえるかな…。
さらにこの必要条件十分条件を利用して、清澄寺の僧侶であることに
あてはめてみると。
A.日蓮は清澄寺で出家した = B.日蓮は僧侶である。
AとBは同じ意味の集合?になり、とくに問題なさそうですが、
でも日蓮教の解説をよく読んでみると。。
C.日蓮は仏法に詳しい → B.(だから)日蓮は僧侶である
→ A.(だから)日蓮は清澄寺で出家した。
という反対向きの不思議な構造になってて、Cの仏法に詳しいのは
御書を読めばある程度はそうで、間違いのない事実かもしらんが、
でもBの日蓮が僧侶である、Cの清澄寺で出家したという二つは、
御書には該当する記述が存在しません。
これはたぶん後世の誰かさんが創作した文書の中の記述が、
いつのまにか歴史の事実になってしまう、日蓮教に特有の
論理構造というか精神世界なんだよねー。
まあ後からテキトーに話を作っとけば、それが宇宙の絶対真理となる。
みたいな論法で、後世の日蓮教の営業コピーライターが、
どんどん話を作り続けたら、それが唯一無二の仏教奥義になるらしく…。
(清澄寺大衆中)
建長五年(1253)…安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして
浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて
其の後二十余年が間・退転なく申す、
(聖人御難事)
此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして
午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・
弘安二年太歳己卯なり、
※※
清澄寺大衆中は1273文永十年、聖人御難事は1279-80弘安二年、
1253年から二三十年後に、田舎の坊さんもどきが突然言い出すわけで、
そんなムカシの事ダレも知らんがな、とゆー言いたい放題な感じ。
注目は「持仏堂の南面」は二つの御書に共通しててホンモノぽいけど、
でもその直前の「道善の房」と「諸仏坊」の記述が違ってて、これはもし、
道善の房 = 諸仏坊。
で間違っていないと仮定すると、日蓮の師とされる道善房って人は、
仏像をいっぱい祀っている諸仏坊の堂守ってことでしょ?
そうするとただの用務員ていどの人物で、御書の中で日蓮さんが
わりかし上から目線で道善房を語ってて、気になるんですけど、
それにも説明がつくし、
もし日蓮さんが清澄寺で出家したのなら、そのときの導師さまは、
仏教業界ならば、絶対服従系の物言いにならんとおかしいのよね、
どうも清澄寺には日蓮さん出家の導師がいないのではないかと…?
比叡山・横川 定光院について
https://www.youtube.com/watch?v=05f-eaVwIK8
五分34秒あたり、比叡山修行の期間について、
〇21才から32才までの12年間ですよ…。
※※↓「三十二」御書全文検索で1件だけ、でも数字合ってないよな。
(妙法比丘尼御返事)
禅宗・浄土宗…こまかに習はずとも…はしりまはり
十二・十六の年より『三十二』に至るまで二十余年が間、
鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等…あらあら習い回り候し程に
19分25秒あたりから、織田信長の比叡山焼き討ちの話にはじまり、
〇古い資料が残ってないとこもあり、
いつからいつまでの記録は残ってないけれど、あのお、
〇いたことは確かにわかってるんですけども…。
〇いたことは確かにわかってるんですけども…。
〇いたことは確かにわかってるんですけども…。
※※古い資料も記録もないのにどうしてわかるんかな?
日蓮教団は文献引用をしながら、正統性を主張する、
学者ごっこ宗教の体裁が強いんですけど、肝心かなめのとこで、
資料がないといって、逃げるつもりなんでしょうか??
まあ御書根本を完全ガン無視して、話を作りほーだいですな。。
そんでさ、比叡山は日蓮御書の全文検索しても
日蓮さんと直接関係ある「叡山」は2箇所だけです
(破良観等御書)
…浄土宗・禅宗をきく・其の後「叡山」・薗城・高野・京中・
田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども
(妙法比丘尼御返事)
禅宗・浄土宗…こまかに習はずとも…はしりまはり
十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、
鎌倉・京・「叡山」・園城寺・高野・天王寺等…あらあら習い回り候し程に
※※
↑この2つの御書って、いろんな宗派をつまみ食いしながら、
大体のとこ習って回りました、とかゆう意味みたいですが、
当時は宗派間の交流はほとんど禁止ですから、あちこち回れないんだよな、
とくに比叡山と園城寺 (三井寺) は激しく暴力やくざの抗争中だし、
比叡山と高野山は最澄のあとすぐに絶縁になってて、
ぜったいに両方の寺で習うことは不可能だったと思うのですが。
情弱の道ばた乞食がテキトーなこと言ってるだけとも…。
観光パンフレットに書いてある有名なお寺の名前を列挙して、
自分はいろんなとこで修行した、宗派を超えたスーパー覚者の
仏教業界のセレブお坊さんです、みたいな主張かね?
3月にはじめて発見した清澄山で説法をはじめた記述ですが、
(清澄寺大衆中)
建長五年(1253)…清澄寺道善の房持仏堂の南面にして
浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて
其の後二十余年が間・退転なく申す、
(聖人御難事)
此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして
午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、
清澄寺道善の房持仏堂の南面 = 清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面
↑この二つの御書はたぶん同じ説法始めのことを言ってるんだろう、
という前提にしてみると、一か所だけ食い違いがあって、
道善の房持仏堂の南面 = 諸仏坊の持仏堂の南面
まあ持仏堂の南面はおなじだから、食い違ってる部分も、
記述が違うだけで同一の場所を示しているのであるとすれば、
道善の房 = 諸仏坊
となって、道善房は諸仏房の世話係やってる人物だろから、
下働きのおじさん?みたいな立場ではなかろうか、
いちおう寺で働いてるから習慣で「房」の字がついてるだけで。
そうするとここからが核心で、日蓮さんが師と呼ぶのは
道善房だけだから、でもこの人が下働きのおじさん程度なら、
清澄寺には日蓮さんの導師がいないことになって、
必然的に日蓮=出家してない俗人てことにもなりそうですが…。
この辺のナゾはさらに深まりますが、日蓮教は全員でウソつき過ぎてんから、
そのうち訳が分からなくなって、ディテールの詰めが甘いんだわな。
たとえば黄色いとんがり帽子のR大系おじいちゃんなんかは、道善房が
清澄寺の住職だったにちがいないとか、勝手に決めつけてますけど、
住職さまが諸仏房の管理なんて雑用してるわけないだろ、とも思うし、
寺伝によれば、鎌倉当時の清澄寺は天台密教系らしいんで、
うちのご近所のお寺さんにあるような、小さな祠群が20個ぐらいはあったんかな、
そういうのを毎日清掃管理してんのが、道善房だったのでは?
だからこれも今ではよくわからんけど、明治のころに
日蓮宗が真言宗から清澄寺を買収した時に、そこにあった
ほこら群は都合がマズいから、撤去整理したんじゃなかろうか、
行ったことないんで、境内地図のどこら辺なのかわかりませんが。
清澄寺、境内散策。
http://www.seichoji.com/02_00_keidaisansaku.html
んで地図を眺めてみると、寺伝にある立宗宣言をしたという設定の
旭が森なんてありますけど、崖のきわみたいな場所なんですね、
こっから太平洋の日の出に向かって拝んでる像みたいのがあって、
それが動かしがたい歴史的事実のように主張宣伝されてます、、。
これも日蓮御書の全文検索で、キーワード入れて探してみると、
「旭」0件でヒットしない、「朝日」4ヒットするけど森の字がない、
「森」12件ヒットでも旭/朝日の字がなく、唯一華果成就とやらの森の記述が。
(華果成就御書) 五十七歳御作 与浄顕房・義浄房…於身延・故道善房聖人のため
二札かきつかはし奉り候を「嵩が森」にてよませ給いて候。
※嵩=高い山。けっきょく御書検索では「旭が森」は行方不明のようですね…。
この話に寺伝の清澄寺の旭が森の解説を、そのまま持ってきてみれば、
建長5年(1253)4月28日、日蓮聖人はこの場所で初めてお題目を唱え、
法華経の布教を決意なさ…毎年4月27・28日に『立教開宗会』を行います。
↑これが清澄寺に限らず、日蓮教公式ってことなんでしょうけど、
ただの寺伝が文献的、歴史的証拠になるんかな?よーわからん話だけど、
そこでまた清澄寺大衆中にもどると、
建長五年(1253)…清澄寺道善の房持仏堂の南面にして
浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて
其の後二十余年が間・退転なく申す、
※※1253年は寺伝と同じだけど結局、旭が森のことは書かれてなくて、
なにやら日蓮教全員で、あやしげな話を宣伝してるような…。
これね日蓮教の定番手法というか、まあ詐欺の手口とも言えるけど、
御書根本とかいいながら、日蓮さんがなんも言ってない話を
後世のダレかさんが作り話を始めると、それがバケツリレーされて、
だんだん歴史のゼッタイ的な事実となり、2025年につづきます…。
根本中堂炎上の件で突然の横槍が入ったもんで、へーそうなんだあ、
と御書検索をしてみましたが、やっぱニセ坊主だよね~、
と深堀りをつづけて、でももうそろそろネタ切れかな。
1. 日蓮さんは天台僧侶ではなく、比叡山には行ったことがない。
2. 日蓮さん自身は清澄寺で出家した、とはひとことも言ってない。
※※
まあ比叡山天台とは無縁の人で、清澄寺でも出家してない、
ダブルニセ坊主なんだろうな、とは思いますが。
この推理をひっくり返すのは簡単で、比叡山なら菩薩戒蝶、
清澄寺なら、出家の時の書きつけの紙一枚あればよく、
でもそういう証明書の類は、まったく話題にもならずに、
日蓮さんは天台と密教に通じた、日本最高レベルの
スーパー知性なお坊さんですぅ~♪
とかみんなで騒いでるだけの、ただのインチキシロートだよね~。
そんで坊さんの証明書を提示すればいいだけじゃん、
と思うけど、それは断固かたくなに拒否してんのな。
その一方で裏の事情はしらんけど、比叡山の横川定光院に
日蓮宗の坊さんを住まわせて、ここが日蓮さんが
叡山で修行した場所です、と主張しつつ記録がないとも言ってて、
記録はないけど、修行したのは確かな事ですっ!
などと言ってるし、延暦寺の大講堂には日蓮さんの肖像画かかってて、
まるで叡山で修行してたかのように見せかける、
錯覚を利用して勘違いさせる、詐欺の手口なんでしょうけど、
まあ日蓮教の観光バス目当ての、インチキ営業とは思いますが。
※※
他にもいろいろあるんですけど、鎌倉辻説法の碑は、
田中智学が寄付を集めて、鎌倉の一等地を買い、
勝手に史跡にしてるけど、これも御書にはなんも書いてない。
なんかほとんどありもしない後世の作り話を、
みんなで連呼すれば、歴史の事実になるみたいですが、
だんだん外堀を埋めていって、日蓮さんはスゴいお坊さんですよお~♪
と刷り込む集団催眠術をやってるだけで、
結局とどのつまり必要なのは、僧侶の証明書なんですけど、
蓮祖としての日蓮さんが、自分は僧侶だとは言ってないんだよなあ・・。
さらにいろんなオカシイ事の理由もわかるわけで、
でもどーせインチキなサークル活動だし、
身内で勝手にやってればいいじゃん?とも思うんですが。
でも国立戒壇みたく、国家権力を利用して国民を洗脳したいらしく、
そんな風にカルトが偉そうに公共の場にしゃしゃり出てくると、
やっぱなんか突っ込まないかんのかなー?ホントは触りたくないんだけど。
などといいつつ、そろそろ本題に入ろうかな、
それは日蓮教が国家権力を利用して国民を洗脳する、
現在進行形のテーマについてですが、
ニセ坊主とかは別にどーでもよかったんですけどね・・。
1260年文応元年7月 立正安国論を幕府に提出 (と八年後から話が始まる)。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・文応元年を含め八年間、御書に安国論の記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
…
1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。
・・
同年4月 安国論御勘由来、←これが「安国論」ワードの初出でご真筆、
・・
同年10月 12通の安国論を書いたと主張する御書が現れる…。
※※
※※
※※
これは日蓮御書の全文検索に「安国論」のワードを入れて、検索結果の御書名を、
平成新脩の目録にある成立年で並べたものだけど、
幕府提出 (という設定) の1260文応元年から八年間は安国論記述がなく、
提出した話は、実際には八年後の1268文永五年から始まってんですよね。
八年間も沈黙した後、蒙古蝶状が届いてから3か月後の1268年4月から突然、
安国論の予言が当たりましたあ~♪ と立て板に水の連呼しはじめる不自然さ。
これぶっちゃけ、安国論成立の1260年が真っ赤なウソの作り話で、
実際の成立年が1268年なのをこの年表が教えてくれてんだけど。。
八年後の1268年に蒙古からの属国要求の国書のうわさを聞いて、
急遽やっつけ仕事で書き上げたのが安国論なんだなとわかって。
錯覚を利用した簡単なトリックだけど、これが現代では意外と通用してて、
でもよーく観察すると、八年間無言で黙ってる部分に不自然さがあります。
※※
日蓮さんが、なんでこんな嘘つきたいのかはよく知らんけど、
八年前の話なら、現代と違って新聞記事もないから、
バレないと思いついて、嘘の作り話で権威ぶってるんでしょうね。
この1260年文応元年は、飢饉と疫病がすごくて、幕府が非常事態宣言で、
各地の寺社仏閣が厄除け加持祈祷を盛んにやってた年らしく、
みんなが幕府に意見したろうから、その無数の上申書にまぎれて、
日蓮さんも意見したんだあ、と世間が勝手に勘違いしてくれるかもお、
みたいに、あまり出来の良くない日蓮さんのアタマで考えた手品らしく。
でもこの知恵遅れ気味な嘘は、当時はまったく世間には通用しなくて、
1268年10月、安国論の予言が当たりましたあ♪と鎌倉の十一か所に送った宣伝文書は、
すべて門前払いにされた、と種々御振舞御書にそのてん末が書かれています。
日蓮さん本人が、有力者に相手にされなくて悔しがってるから、
まあホントの話なんだろうな、と思いますよ。
まあこの不自然な年表見る限りは、なんで蒙古の国書が来るまで、
八年間もダマってたん? 宣伝すればよかったやんけ。
と思うけど、結局はゲンブツが存在していないのでは?
ということですよね、しかもその推理を裏付けるかのように、
実際にも幕府に提出したはずの、1260文応元年の原本がなくて、
さんざん日蓮業界で大騒ぎしてるわりには、2025年の現在、
幕府提出本は、この日本国には存在していません。
そんじゃ現代に伝わる立正安国論は、なにを元原稿にしてるのか?
といえば、これは中山法華経寺に伝わる文化庁が国宝指定した、
1269年版の「写本」と称されるご真筆の原本があって、
この内容が安国論として、流通してるわけですが。
地元の市川市教育委員会の説明によると、北条時頼に宛てて、
と書いてあるけど、それは嘘で、じっさいは「最明寺」という
謎の人物あてで、その形式も上奏、奏上、勘文、考えただけ、
とかバラバラにいろんなこと言ってて、それだけでも作り話とわかり。
立正安国論の幕府提出本などというものは存在してなくて、
九年後に成立した、国宝指定の写本こそがじつは、
オリジナルなんじゃないですかあ?
ということに尽きるわけで、九年後の安国論が初出のオリジナルならば、
これは文応元年の幕府提出がウソの作り話だったことになり、
2025年7月現在、文応元年本が存在しないことの、説明もつきますよね…。
そんでわたしの目から見た、日蓮さんの嘘を排除した安国論年表はこれで、
1260年文応元年4月 立正安国論の元ネタである、護国経典解説本を丸写しした、
災難対治抄を書くも、その後鎌倉で歴史に残る大火事と大水害が発生し、
はー、これを予言の書として、もっと宣伝すればよかったと後で後悔する日蓮さん…。
※※じつはこの年には、安国論は影も形もありません。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・文応元年を含め八年間、御書に安国論の記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
…
1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。
・・
同年4月 安国論御勘由来、←これが「安国論」ワードの初出でご真筆、
・・
同年10月 11通の安国論の予言が当たったと主張する御書を、
鎌倉各所にアポなしで届けるも、すべて門前払いにされる…。
1269年12月 安国論の写本と詐称する、じつはオリジナル原本が完成して、
第三者の証人として、中山の八木某という人物に預けた話を作ります。
※※
※※
※※
↑これがじっさいの話で、ただの嘘つきなおバカ坊主ってかんじですね。
安国論年表の変なとこは、3レスでもう説明尽きて終わりですが。
1. 1260年文応元年の立正安国論の幕府提出本は存在していない。
2, じっさいの初稿は、1269年中山法華経寺にある国宝指定本で、
それが最古の安国論でオリジナルなんじゃない?
※※
これがまとめで、それ以上はもう説明の必要もなさそうですね。
といいつつ、またちょっと思い出したのは、
安国論のオモテ書きにある、
与 北条時頼。
の一文ですが、これって日蓮御書の検索で「時頼」は1件ヒットだけで、
とこれを掲示板に書いたら、お前はバカかw それは現代の注釈だあ!
とののしられましたが、御書にある提出先は「最明寺殿」としかなくて、
時頼って注釈なん? または日興が表書きを書いたという話もあるけど。
でまったく駄目なのは「与」の字で、これは上奏じゃなかったのか?
当時ゼッタイ身分制度の鎌倉で、名越えの切通しに掘立て小屋を建てて、
勝手に住んでるだけの乞食坊主が、時の最高権力者に宛てて、
上から目線で「与える」とかってどーなん??
もうこれだけで安国論の幕府提出が作り話ってわかりますけど。
そして御書にある安国論の上奏相手は「最明寺殿」の表現しかなく、
最明寺入道、故最明寺、とかのビミョーなバリエーションもあるけど
この宛て名が、致命的な墓穴を掘っているわけで。
●「最明寺」は北条時頼の戒名なんだな。
カイミョウ、わかりますか?
はー、戒名相手に上奏したわけですか、なかなか器用なことしてますが、
そこで北条時頼の年表を持ち出すと、
1256年11月、北条時頼は最明寺で出家し、覚了房道崇と号した
1260年 立正安国論を提出(…と八年後の1268年から御書で主張し始める)。
1263年 時頼は最明寺北亭で死去、享年37、法名最明寺道崇。
(1268年、宿屋入道御書) 故最明寺入道殿へ…。
※※
1260年文応元年当時は、時頼は出家して覚了房道崇の法名を名乗ってんのよ。
その3年後に最明寺で亡くなり、戒名は最明寺の墓石にも刻んであり・・、
※※
日蓮さんて、このお墓を直接見に行ったんでしょ、その墓石には
「最明寺」という文字が刻まれていて、やったー!みたいな…。
それと戒名をさらに故人とする、故最明寺殿ってなんなの?
あと最明寺入道殿もあって、戒名が入道するってことですか??
日蓮さんは戒名を宛名に安国論を上奏したらしいんですが、
時頼は1260年当時は出家して、法名を覚了坊道祟と名乗ってて。
それと>>107奇妙な安国論年表は、1260文応元年の成立が嘘の作り話で、
1268年ごろから書き始めたことを強く示唆していて…。、
※※
御書にある立正安国論を幕府に提出した話は、
シチュエーションの3点セットが繰り返し出てくるわけで、それは、
1.1260年文応元年に
2.最明寺殿に宛てた上奏文を、
3.取次の宿屋入道にあずけた
の三つなんですよねー、このうち第一の矢である文応元年には、
安国論はまだ書かれてなさそうで、第二の矢である最明寺殿は、
戒名でしかなくて、上奏相手には不都合なんだよなー。
そして第三の矢が取次人の宿屋入道なんですけどお…、
御書によると、初出のご真筆が「屋戸野」でその四か月後から
「宿屋」と書き替わり八年間つづき、最後の撰時抄で1回だけ
記述がある「宿谷(しゅくや)」とようやく正しい名前を知ったらしく、
でもその撰時抄を境に、最明寺殿に上奏した話はまだつづきますが、
この取次人としての宿屋/宿谷の名前は御書から消えてしまいます…。
だからこの安国論を幕府に提出した状況の3点セットは、
1.1260年文応元年にはまだ書いてない
2.最明寺殿、は戒名なんで上奏できない
3.宿屋入道、は名前の読みと漢字を両方とも間違えてる
と日蓮さんが連呼してる内容は、どれも有りそうもなくて、
そんじゃあ、なんでこんな嘘つきデタラメな作り話が
世の中に一般常識で流通してるんでしょーか?
答えは日本史教科書が嘘ついて、脳みそがまだ真っ白な中高生に、
洗脳刷り込みを何十年も続けてきた努力の成果のようですが、
こちらも日本政府が洗脳刷り込みのお手伝いしてる3点セッがトあって
1. 安国論幕府提出のウソが、日本史教科書に書いてある
2. 文化庁がウソつき文書の安国論を、国宝指定にしている
3. 宮内庁は大正末期、日蓮さんに立正大師号を贈ってる
まあ日本史教科書は文部科学省の検定済みなんで保証付き、
文部科学省-文化庁-宮内庁、の日本政府代表が
立正安国論のスバラシさを全面的に宣伝してバックアップしてて。
でも税金使って、特定宗教のウソを宣伝するってどうなの…。
https://talk.jp/boards/psy/1745362437/
誘導
胴元であるJRAが25%を先取しているから、長く長く競馬をしていると必ず損を出す。
必勝は、勝ち逃げ、の一点しかない。
だから、わたくしの宗旨はJRAへの助成金支出の連続である。
ただ勝った負けた」のばくち打ちではない。
日蓮仏法を語ろう😫
テーラワーダからやれているので
専門用語の記憶は苦労しそうだが
なんとかいけるだろう
https://m.youtube.com/watch?v=ltnYXT_ZT9A&pp=0gcJCRsBo7VqN5tD
いままでこの日蓮仏法なる、嘘にうそを塗り固めた
デタラメな仏教もどきが世間に流通してるのは、
やっぱ創価学会の公称八百万世帯の選挙パワーに守られた部分も
あるわけで、それを自ら放棄するわけですか。
このあとの展開はどーなんのかね?
そんで3か月ぶりまたまた、安国論は幕府に提出してないでしょっ!
のメインテーマで、日本史教科書にある1260文応元年には、
まだ書いてなくて、元原稿すらなかったはずだよねー。
という意見なんで、摩訶不思議な安国論年表貼っとくね。
1260年文応元年4月 立正安国論の元ネタである、護国経典解説本を丸写しした、
災難対治抄を書くも、その年鎌倉で歴史に残る大火事と大水害が発生し、
はー、これを予言の書として、もっと宣伝すればよかったと後で後悔する日蓮さん…。
※※じつはこの年には、安国論は影も形もありません。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・文応元年を含め八年間、御書に安国論の記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
…
1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。
・・
同年4月 安国論御勘由来、←これが「安国論」ワードの初出でご真筆、
・・
同年10月 11通の安国論の予言が当たったと主張する御書を、
鎌倉各所にアポなしで届けるも、すべて門前払いにされる…。
1269年12月 安国論の写本と詐称する、じつはオリジナル原本が完成して、
第三者である中山の八木某という人物に預けた話を作り、
証拠をねつ造します。
しかしさあ、幕府に意見して処罰を受けたのは、昨日の大河で、
蔦重がエロ本出版して、幕府に逮捕され身代半減処分とか、
ああいうのはあるだろうなとか、思うけど。
嘘ついてだれも覚えてない八年前に、幕府にキビシク諫言しましたあ~♪、
という世間的に興味ゼロの作り話をしたら、鎌倉幕府に目をつけられて、
ダレも名前を知らない道ばた乞食が、伊豆の流罪になるとかありえないだろ。
立正安国論はただの、エア幕府提出で、エア国家諌暁だからな。
あくまで日蓮というおバカなおっさんの頭の中の妄想にすぎなくて…。
これもわかりずらいから、年表にすると、
1260文応元年七月 立正安国論で鎌倉幕府に意見する。
同年 松葉が谷の草庵に、安国論の内容に怒り狂った念仏衆が、
五万人ほど大挙して押し寄せ、日蓮師匠を●●しに来る。
翌1261年5月 安国論で幕府に目を付けられて、伊豆へ流罪となる。
※※
ちなみにグーグルマップで松葉が谷を探してみると、
松葉ヶ谷御草庵霊跡、神奈川県鎌倉市大町5丁目6
↑と出てきて、鎌倉御所/鶴が岡八幡宮からは2.5kmぐらいかな、
当時の名越えの切通しは、鎌倉への入り口で狭い谷らしく、
中心部からはハズれた外敵に備える辺境地帯なわけで、
草庵といえば聞こえはいいけど、草むらの中に建ってる
乞食小屋ていどで、多摩川ほとりの段ボールハウスをイメージすれば。
そしてどの宗派や寺にも所属していない、まったく無名の
乞食坊主ということに注意すれば、鎌倉幕府が目をつけるとか
ありえなくて、統失の妄想なのもわかると思いますが。
しかも文応元年には安国論が存在した証拠がなくて、
国家諌暁は、頭の中のエア幕府提出って事で…。
松葉が谷法難と伊豆流罪については、下山御消息に細かく書いてあって。
(下山御消息)
正嘉(※文応のまちがい)元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る
御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なれば
あやまちたりとも科あらじとやおもひけん
念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に
日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん
其の夜の害もまぬかれぬ、
然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて
大事の政道を破る日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、
されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもかへりみざるか
御式目をも破らるるか御起請文を見るに梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる、
※※
正嘉元年に安国論を上奏したけど、それについて聞かれることもなく、
その内容を幕府が実行することもなくて。
なんのお呼びもない法師ならば、意見がちがっても罰はないだろうと思い、
ところが念仏衆が夜中になってわたしの小屋を襲い、
数千人で●害しようとしたけれど、なぜか逃げることができて、
ところが (有力者と?) 談合してた襲撃者たちもべつに罪にはならなくて、
気に食わない日蓮がまだ生きてるから、それで伊豆の流罪にされました。
あまりに自分の罪もかえりみないし、貞永式目の決まりも破っていて、
そのお裁き文章?には神々の名前もちゃんと書いてあるんですけどね…。
このお裁きには鎌倉幕府ツートップの一角、連署の北条重時が、
念仏衆のバックにいて指図してると思い込んでるらしく、
それで評定所の判定がインチキであると(御式目をも破らるるか)
文句をいってます。
なんであいつらの方が悪いのに罰がないのか(寄せたる者も科なくて)。
これ大事なポイントで、評定所ならこの争いを訴え出た者がいるはずで、
しかも念仏が悪くて、日蓮さんは被害者であると主張してることから、
訴え出た人は日蓮さん本人じゃないのかしら?
そうすると貞永式目の条文でさがしてみると、
第28条:「いつわりの訴えをしてはならないこと」
言葉たくみに人をだますことの罪は大変に重い。
所領を望んで嘘の訴えをおこした者はその者の領地を没収する。
領地がない場合は遠流(おんる)とする。
伊豆流罪 = 遠流、
嘘ついた作り話で、念仏衆をハメようとしたらバレてしまい、
逆に自分が流罪になってしまうというオチに思われますね。
日蓮教公式の、立正安国論で意見された幕府が怒って、
伊豆に流罪されたとゆー事実は、まったく書かれていませんが…。