新興宗教・真如苑 vol.130最終更新 2025/06/20 05:571.神も仏も名無しさんM3eFr☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。2024/03/23 08:36:36446コメント欄へ移動すべて|最新の50件397.神も仏も名無しさんTuf9V1 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】身は低く常に人にと和合して 高く菩提を求めあゆまん【教主注釈】実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。↑信者が謙ったら、何か企んでいると思った方が良い。2025/05/01 05:52:32398.神も仏も名無しさんoNb3h2 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】日日に踏まれて渡す橋のごと 菩提の橋となるぞ尊き【教主注釈】お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。↑勧誘すると疑惑をもたれる。それは、霊感商法をはじめとした手口を使うからである。2025/05/02 05:51:45399.神も仏も名無しさんSy4Sf3 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】相手をば鏡となせのことのりも 涅槃に示す教えなりけり【教主注釈】「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。↑相手を教えを信じられるように変えようとする。それは自分を見返っているようで、ただの信教の自由の侵害である。2025/05/03 14:04:04400.神も仏も名無しさん6J0wW4 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛にまかせまつりて常ぞつね 送る日日浄土なりけり【教主注釈】自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。↑この教えのみ仏は教祖一家であるが、そのお力の為に取り組むのはカルトに加担することになるのである。2025/05/04 06:42:17401.神も仏も名無しさんYROl95 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】月日ごと慈悲をこうむる人まして 真如みひかり世にぞ知らるる【教主注釈】涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。↑ネットを使う人が増え、霊感商法を使う教団に解散命令が出て、この教えも危険であると気づく人が増えてきているのである。護法の霊言とは裏腹に。2025/05/05 08:19:22402.神も仏も名無しさんVU6YL6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑こんな素晴らしい教えに今まで出会えなくて勿体無かった。そう思っても、霊感の言葉で後から事実にこじつけられた結果である。2025/05/06 07:16:03403.神も仏も名無しさんxlsy87 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑教えのグッズを揃え、何でも教えに準えて考える信者を目標にする人は殆どいないだろう。2025/05/07 05:48:44404.神も仏も名無しさん0CXdg8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑救いの実態が霊感商法カルトへの勧誘であることを相手に知られていても笑みが続くのか。それに気づけば、信者の態度は一変するだろう。2025/05/08 05:50:11405.神も仏も名無しさんCHEi49 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑人を救うことで自分も救われるという理屈の中には、仏教でカモフラージュされたねずみ講や霊感商法の手法が隠れているのである。2025/05/09 05:53:43406.神も仏も名無しさん5CWVL10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑仏教の修行で何故霊が出てくるのか。あらゆる教えが行き着いたからか。霊感商法などあらゆる手口が取り入れられているからである。2025/05/10 08:23:05407.神も仏も名無しさんdqcQM11 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑その書には霊言で示された教えのストーリーに従うと救われることが書いてある。「水ぶくれ真如苑~急成長の秘密と欺瞞の構図~」の方が時代が変わっても教えの実態がよく書かれている。2025/05/11 09:07:42408.神も仏も名無しさんMdvVJ12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑大船に乗るのが大乗であるが、実は霊感商法やねずみ講の手法を使う泥舟に乗せられているのに気付けなければ、心は不安定なままである。2025/05/12 05:54:11409.神も仏も名無しさんshPaz13 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑信者のやっていることに釘が刺される。信者は自分の教えが否定される被害者意識を反動に上から目線にならざるを得ないのである。2025/05/13 05:46:48410.神も仏も名無しさんD7YuJ14 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑このお力に魅せられて、信じない人を貶めるようになった信者は危険である。2025/05/14 05:56:38411.神も仏も名無しさん73aUJ15 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑この上ないありがたい教えはない、と思っているだけでは救われない。人を同じように救わなければお力はいつまでも続かないのである。2025/05/15 05:59:00412.神も仏も名無しさんZuc4Y16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑信者にこれを言われると不快に思う人がいるのは、この教えが信じられていないからである。2025/05/16 05:52:11413.神も仏も名無しさんPxJxp17 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑全身全霊で毛穴からお力が入り込むと信じる信者が世間では明らかに人為的に信じない人を貶めている。それはただのハラスメントである。2025/05/17 07:36:45414.神も仏も名無しさんh7qdb18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑この教えに準えて誠実に尽くそうとしても、基本が霊感商法やねずみ講の手法であるから、嘘をつかざるを得ないだろう。2025/05/18 08:24:09415.神も仏も名無しさんNqxvD19 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑やっていることが霊感商法やねずみ講の手口だから非難されるのである。2025/05/19 05:51:51416.神も仏も名無しさんCusQb20 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑接心で洗脳された心には、教えを信じなければどう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こすだろう。2025/05/20 05:48:20417.神も仏も名無しさんZ7f8e21 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑お力を求める心が芽生えれば、この教えの取り組みを求められる。勧誘、献金、無償労働である。2025/05/21 05:57:03418.神も仏も名無しさんNARZT22 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑あらゆる騙しの手口が行き着いた教えに導く教師は、いつまでそれを続けるのだろうか。2025/05/22 06:00:11419.神も仏も名無しさんd56q723 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑指導者の「知ったようなことを言う」は困ったときの方便である。「教えは深すぎて分からない」と言っていれば済むのである。2025/05/23 05:49:12420.神も仏も名無しさんF9eON24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑「こんなに救われているのに報謝ですよ」と言われるが、霊言で不幸を示して救われた気にさせるマッチポンプである。2025/05/24 09:09:08421.神も仏も名無しさんszM8i25 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑霊感商法を伴う教えの呵責はただのハラスメントである。それを真に受けていると、いつまでも騙され続けるだろう。2025/05/25 07:23:02422.神も仏も名無しさん71LZQ27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑この教えの中の言葉を聞くと、あらゆる宗教が寄せ集められているのが分かる。仏教を強調するのはその手法のカモフラージュである。2025/05/27 05:53:55423.神も仏も名無しさんtGlk428 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の執着から教えのお力へ執着が変わっても、安らぎを得ることはできない。それは、カルトに人を誘い込まなければならないからである。2025/05/28 06:02:49424.神も仏も名無しさん4UOUV29 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑この教えに過去の過ちを懺悔するならば、霊感の言葉で新たな因縁を示されて取り組まされる。それは、霊感商法の手法である。2025/05/29 05:52:33425.神も仏も名無しさん3rS7p30 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】常に世は移り変れどみ佛の み法は永遠に変らざるなり【教主注釈】 ”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。↑世の中は移り変わり、教えの手法も変わらない。しかし、過去の情報がAIでかき集められてしまう時代である。2025/05/30 05:53:56426.神も仏も名無しさんwrrso31 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】夢みせて出離の道を教ゆるも 佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり【教主注釈】夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。↑夢までも霊感の言葉に結びつけ、教えに都合の良い様に取り組ませようとする。その目的は勧誘、無償労働、献金である。2025/05/31 07:43:27427.神も仏も名無しさん2HTqL1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑この教えに大船に乗った気分にさせられると、霊感商法やねずみ講の手法に取り組まされる泥舟に乗せられてしまうことになる。2025/06/01 07:30:27428.神も仏も名無しさん8KM9o2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑教法を学ぶどころか、騙しのデパートにどの様な手法があるか学んだほうが身を守ることができる。2025/06/02 05:46:03429.神も仏も名無しさんGrc2p3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑因縁は消除するものではない。この教えに心を揺さぶられて霊的に示されて創り出されるものである。2025/06/03 05:59:01430.神も仏も名無しさん3CRwX4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが 喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑周囲の信者が喜んで取り組み、自分もそう言われる。その違和感を感じたならばやっていることを顧みよう。2025/06/04 05:39:54431.神も仏も名無しさんLijdS5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑教祖一家の因縁を信者に対して戒めようとしている。2025/06/05 06:46:09432.神も仏も名無しさん2m5Sl6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑教えへの疑いはお力が流れてこなくなり、どう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こす。霊感商法によるマインドコントロールである。2025/06/06 06:04:53433.神も仏も名無しさんXHmJb7 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑苦と喜びを教えのお力にこじつけられ、感情が揺さぶられる。そして、お力が何時までも続かないと脅されて勧誘行動をさせられるのである。2025/06/07 06:19:29434.神も仏も名無しさん74QXf8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑この教えのみ仏の為に何をさせられるのか。み仏は何をしてくれるのか。よく考えてみるのが良いだろう。2025/06/08 08:55:01435.神も仏も名無しさんs0OMa9 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑多くを語ると教えの意図を知られてしまうが、教えを疑うとお力が流れて来ない。教えの取り組みは人を騙すことと認められない信者が人の不幸を観察する。2025/06/09 06:17:23436.神も仏も名無しさんkpIM210 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑世の欲望を教えの中で捨てようとしても、教えの中の同じ様な欲望を求めさせられるのである。特に、霊因縁の恐怖を植え付けられたお力への欲望は教えに操られるための最大の欲望である。2025/06/10 05:46:48437.神も仏も名無しさん9Y2co10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑それまでの自分の苦しい状況から救ってくれた聖なるもの。そこに世のあらゆる騙しの要素があることに気づけなければ、その加担者となってしまうだろう。2025/06/11 05:59:53438.神も仏も名無しさんsb8Uc12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑この教えに自己犠牲になるのは、勧誘、献金、無償労働に取り組むのだが、信者が高貴に思っていても、人を犠牲にすることになる。2025/06/12 05:55:47439.神も仏も名無しさんEkSBu13 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】よきことも悪しきことをも目にみせて 身の行いにあるを示さむ【教主注釈】良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。↑良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りない。そういった後から教えにこじつけるやり取りは不毛である。2025/06/13 05:47:06440.神も仏も名無しさんclrMl14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑お力に目がくらんで、教えの手法に気づくことなく周囲に教えを勧めれば、世間での居場所が無くなるのである。2025/06/14 07:12:40441.神も仏も名無しさんU44LK15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑教祖一家に理想の親、理想の子どもを見せられ、教えに取り組むため歩む道を示される。仏教を隠れ蓑に新興宗教の手法をカモフラージュされながら信者は歩まされる。2025/06/15 06:35:00442.神も仏も名無しさんM1WGX16 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑一切お任せは思考停止。それは霊因縁の恐怖から始まる。2025/06/16 05:52:07443.神も仏も名無しさんBhqbC17 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑信者による無理のある笑顔は、教えが流れてこなくなる恐怖の裏返しであろう。2025/06/17 05:49:06444.神も仏も名無しさんZwHJD18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑他が為は自分の実績が上がるための取り組みであり、人の信教の自由の信じない自由を侵害することに繋がる。それがこの教えの取り組みである。2025/06/18 05:52:11445.神も仏も名無しさん9RtKC19 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑他に幸いの歩みを与えることはない。信教の自由の信じない自由を侵害するのであるから。2025/06/19 05:49:28446.神も仏も名無しさんkxmYs20 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑この教えに人を救う人と思わされる信者の心理はメサイアコンプレックスである。2025/06/20 05:57:57
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
信者が謙ったら、何か企んでいると思った方が良い。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
勧誘すると疑惑をもたれる。それは、霊感商法をはじめとした手口を使うからである。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
相手を教えを信じられるように変えようとする。それは自分を見返っているようで、ただの信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
この教えのみ仏は教祖一家であるが、そのお力の為に取り組むのはカルトに加担することになるのである。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
ネットを使う人が増え、霊感商法を使う教団に解散命令が出て、この教えも危険であると気づく人が増えてきているのである。護法の霊言とは裏腹に。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
こんな素晴らしい教えに今まで出会えなくて勿体無かった。そう思っても、霊感の言葉で後から事実にこじつけられた結果である。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
教えのグッズを揃え、何でも教えに準えて考える信者を目標にする人は殆どいないだろう。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
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救いの実態が霊感商法カルトへの勧誘であることを相手に知られていても笑みが続くのか。それに気づけば、信者の態度は一変するだろう。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
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人を救うことで自分も救われるという理屈の中には、仏教でカモフラージュされたねずみ講や霊感商法の手法が隠れているのである。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
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仏教の修行で何故霊が出てくるのか。あらゆる教えが行き着いたからか。霊感商法などあらゆる手口が取り入れられているからである。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
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その書には霊言で示された教えのストーリーに従うと救われることが書いてある。「水ぶくれ真如苑~急成長の秘密と欺瞞の構図~」の方が時代が変わっても教えの実態がよく書かれている。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
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大船に乗るのが大乗であるが、実は霊感商法やねずみ講の手法を使う泥舟に乗せられているのに気付けなければ、心は不安定なままである。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
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信者のやっていることに釘が刺される。信者は自分の教えが否定される被害者意識を反動に上から目線にならざるを得ないのである。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
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このお力に魅せられて、信じない人を貶めるようになった信者は危険である。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
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この上ないありがたい教えはない、と思っているだけでは救われない。人を同じように救わなければお力はいつまでも続かないのである。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
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信者にこれを言われると不快に思う人がいるのは、この教えが信じられていないからである。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
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全身全霊で毛穴からお力が入り込むと信じる信者が世間では明らかに人為的に信じない人を貶めている。それはただのハラスメントである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
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この教えに準えて誠実に尽くそうとしても、基本が霊感商法やねずみ講の手法であるから、嘘をつかざるを得ないだろう。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
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やっていることが霊感商法やねずみ講の手口だから非難されるのである。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
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接心で洗脳された心には、教えを信じなければどう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こすだろう。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
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お力を求める心が芽生えれば、この教えの取り組みを求められる。勧誘、献金、無償労働である。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
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あらゆる騙しの手口が行き着いた教えに導く教師は、いつまでそれを続けるのだろうか。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
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指導者の「知ったようなことを言う」は困ったときの方便である。「教えは深すぎて分からない」と言っていれば済むのである。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
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「こんなに救われているのに報謝ですよ」と言われるが、霊言で不幸を示して救われた気にさせるマッチポンプである。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
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霊感商法を伴う教えの呵責はただのハラスメントである。それを真に受けていると、いつまでも騙され続けるだろう。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
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この教えの中の言葉を聞くと、あらゆる宗教が寄せ集められているのが分かる。仏教を強調するのはその手法のカモフラージュである。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
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世の執着から教えのお力へ執着が変わっても、安らぎを得ることはできない。それは、カルトに人を誘い込まなければならないからである。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
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この教えに過去の過ちを懺悔するならば、霊感の言葉で新たな因縁を示されて取り組まされる。それは、霊感商法の手法である。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
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世の中は移り変わり、教えの手法も変わらない。しかし、過去の情報がAIでかき集められてしまう時代である。
【今日の苑歌】
夢みせて出離の道を教ゆるも
佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり
【教主注釈】
夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。
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夢までも霊感の言葉に結びつけ、教えに都合の良い様に取り組ませようとする。その目的は勧誘、無償労働、献金である。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
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この教えに大船に乗った気分にさせられると、霊感商法やねずみ講の手法に取り組まされる泥舟に乗せられてしまうことになる。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
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教法を学ぶどころか、騙しのデパートにどの様な手法があるか学んだほうが身を守ることができる。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
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因縁は消除するものではない。この教えに心を揺さぶられて霊的に示されて創り出されるものである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
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周囲の信者が喜んで取り組み、自分もそう言われる。その違和感を感じたならばやっていることを顧みよう。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
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教祖一家の因縁を信者に対して戒めようとしている。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
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教えへの疑いはお力が流れてこなくなり、どう因縁に倒されるか分からないという妄想を引き起こす。霊感商法によるマインドコントロールである。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
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苦と喜びを教えのお力にこじつけられ、感情が揺さぶられる。そして、お力が何時までも続かないと脅されて勧誘行動をさせられるのである。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
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この教えのみ仏の為に何をさせられるのか。み仏は何をしてくれるのか。よく考えてみるのが良いだろう。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
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多くを語ると教えの意図を知られてしまうが、教えを疑うとお力が流れて来ない。教えの取り組みは人を騙すことと認められない信者が人の不幸を観察する。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
世の欲望を教えの中で捨てようとしても、教えの中の同じ様な欲望を求めさせられるのである。特に、霊因縁の恐怖を植え付けられたお力への欲望は教えに操られるための最大の欲望である。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
それまでの自分の苦しい状況から救ってくれた聖なるもの。そこに世のあらゆる騙しの要素があることに気づけなければ、その加担者となってしまうだろう。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
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この教えに自己犠牲になるのは、勧誘、献金、無償労働に取り組むのだが、信者が高貴に思っていても、人を犠牲にすることになる。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
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良ければ教えのお陰、悪ければ修行が足りない。そういった後から教えにこじつけるやり取りは不毛である。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
お力に目がくらんで、教えの手法に気づくことなく周囲に教えを勧めれば、世間での居場所が無くなるのである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
教祖一家に理想の親、理想の子どもを見せられ、教えに取り組むため歩む道を示される。仏教を隠れ蓑に新興宗教の手法をカモフラージュされながら信者は歩まされる。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
一切お任せは思考停止。それは霊因縁の恐怖から始まる。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
信者による無理のある笑顔は、教えが流れてこなくなる恐怖の裏返しであろう。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他が為は自分の実績が上がるための取り組みであり、人の信教の自由の信じない自由を侵害することに繋がる。それがこの教えの取り組みである。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
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他に幸いの歩みを与えることはない。信教の自由の信じない自由を侵害するのであるから。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
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この教えに人を救う人と思わされる信者の心理はメサイアコンプレックスである。