あーIDなし最終更新 2025/06/13 19:151.夢見る名無しさんまじでどうすればいい?2025/03/02 04:45:45140コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.夢見る名無しさんな資格がない60代男性社員にクレーンに荷物をつる業務をさせたとして、労働安全衛生法違反の疑いで書類送検された京都府京田辺市のプラスチック製品製造会社「アナン通商」と男性社長(69)を不起訴処分にした。19日付。処分の理由は明らかにしていない。昨年2月、この男性社員が落下した荷物の下敷きとなり死亡する2025/03/28 20:52:003.夢見る名無しさんFC2創業者の被告の男(51)の初公判が24日、京都地裁であった。男は罪状認否で、「事実関係は争わないが、私が米国で生活していたので犯罪という意識は薄かった」と述べた。 起訴状などによると、男は、FC2を共に管理運営する会社役員ら3人と共謀し、2013年6月19日、男が管理するサーバーに大阪市内からわいせつ動画を送信させて記録し、インターネット上で不特定多数が閲覧できる状態するなどした、としている。 京都府警は15年、海外に住んでいた男の逮捕状を取得。昨年11月、帰国のため韓国から関西国際空港に到着2025/03/28 20:53:465.夢見る名無しさん325名無しどんぶらこ垢版 | 大砲2025/04/04(金) 11:46:45.03ID:ep5ogxos0な?馬鹿だろ?→>>320老害+アスペルガーはマイクロ好き因みに濃度はマグロ>>クジラ👆キチガイ死ね!2025/04/04 11:52:556.夢見る名無しさんhttps://video.twimg.com/ext_tw_video/1181670670633062401/pu/vid/540x960/lqkNB8NP7JekGSyp.mp42025/05/05 08:20:487.夢見る名無しさんhttps://video.twimg.com/ext_tw_video/1690225179870547968/pu/vid/1280x720/IeI2tyAgWqGMU7b-.mp42025/05/05 08:22:148.夢見る名無しさん7月5日のフィリピン沖に30~300メートルの巨大隕石の落下?または、ロシア中国の原潜からのポセイドン二発発射🚀で日本のおよそ四分の一が水没するとの!未来最高予言👍ちな沖縄は軽く水没するとの以上2025/05/05 08:33:169.夢見る名無しさんないない2025/05/06 08:33:4310.夢見る名無しさん第一幕アルゴスの広場。蝿たちと死の神、ジュピテルの像。眼は白く、顔は血で汚れている。第一場黒い衣服を着た数名の老女たちが列を作って登場し、ジュピテルの像の前で奠酒を注ぐ。一人の白痴、舞台奥の地面に座っている。オレストと教僕、登場。次いでジュピテル。2025/06/10 14:51:2111.夢見る名無しさんオレスト おい、お婆さん達!老女たちは皆叫びを上げて、振り向く。教僕 お尋ねしたいことがあるんだがね?老女たちは一歩後ずさりながら、地面に唾を吐く。教僕 聞いてくれ、みんな、儂どもは道に迷った旅の者なんだ、ちょっと一言教えて貰いたい。老女たちは手にした壺を投げ捨てて、逃げ去る。教僕 仕様のない婆どもだ! まさかあいつらのお色気に文句をつけるわけでもあるまいしさ? ああ、お坊ちゃま、大した愉快な旅ですなあ! なんだってまたお坊ちゃまはイタリアにだってローマにだって、 酒はよく、宿屋ももてなしがよく、往来にも沢山の人たちが行き来している町が五百と下らないというのに、 よりによってこんなところへやってくる気持ちになったんでしょうね。 この辺の山の人たちはまるで旅行者というものには出会ったことがないみたいですな。 この太陽の照り付ける忌々しい村で、手前はもう何度道を訪ねたか分かりはしません。 どこへ行っても、奴らは同じようにびっくりしたような叫び声をあげ、同じように散り散りばらばらに逃げ出し、 目も眩むような街路には、黒い衣服を着た連中が重っ苦しい足取りで歩いている。 あああ! この人気のない街路、震える空気、それにこの太陽……まったく太陽みたいな不吉なものが他にありますでしょうか?オレスト 僕はここで生まれたんだ……教僕 そのようですな。ただし、私がお坊ちゃまだったら、そんなことは自慢しませんね。オレスト 僕はここで生まれた。なのに僕はまるで通りすがりの旅人のように道を聞かなければならないのだ。この家の戸を叩いてごらん。2025/06/10 14:53:4412.夢見る名無しさん教僕 叩いてどうするっていうんです? 返事をして現れるとでも思っていらっしゃいますか? まあ、一寸ごらんなさい、この家々を。なんてまあへんてこな家々を。 何てまあへんてこな家ばかりじゃありませんか? 窓は一体どこにあります? 窓はどうやらすっかり鎖された薄暗い中庭の方に空いているようですし、 往来の方には尻を向けているんだね、こりゃあ? (オレスト、催促する) よろしい。叩きましょう、ですがまあ望みはありませんね。彼は戸を叩く。沈黙。再び叩く。戸が少し開く。声 何の御用だね?教僕 一寸お尋ねしたいんです。実はご存じでしたら教えていただきたいと思いまして、あの……戸は突然再び閉まる。教僕 畜生、首でもくくっちまえ! どうですね、オレスト様、お気が済みましたか、どうすればご満足なんですかね? 何だったら、戸という戸を全部叩いて差し上げてもいいですよ。オレスト いいよ、ほっとけ!2025/06/10 14:59:2213.夢見る名無しさん教僕 おや! ここに誰かおりますぜ。(彼は白痴の方に近付く)もし、もし!白痴 うう!教僕 すみませんが、エヂストの邸を教えてくれませんか?白痴 うう!教僕 エヂスト、アルゴスの王様の邸ですよ。白痴 うう! うう!ジュピテル、奥を通り過ぎる。教僕 駄目だ! 初めて逃げださない奴に出くわしたと思ったら、白痴だ。 (ジュピテル、再び通る)どうです、あれは! あの男はここまで儂らの後をつけてきましたぜ。オレスト 誰さ?教僕 あの髭ですよ。オレスト 夢でも見てるんだろ。教僕 でも、たった今ここを通るのを見かけました。オレスト 勘違いだよ。教僕 そんなはずはあるもんですか。生まれてこかた、あんなの髭にはお目にかかったことがございません、そうそう、そういえば一度だけ見かけたことがあります、あれはパレルモにあった銅髭ジュピテルの像の顔についていたブロンズの奴でしたよ。ほら、またあそこを通っていきます。一体私ども用があるんでしょう?オレスト 旅をしてるのさ、僕達のように。2025/06/10 15:00:5614.夢見る名無しさん教僕 そんな馬鹿な! 私どもはあいつをアルプオイの路上でも見かけました。 それから私どもがイテアの港で乗船した時も、あの男はいつの間にかもう船の上であの髭をひけらかしておりました。 ナウプリアでも、彼奴がうるさくつきまとって困ったじゃありませんか、 それに、また今、ここにもやって来ている。お坊ちゃまはきっと単なる偶然の一致だくらいに思っているんでしょう? (彼は手で蝿どもを追い払う)ええ! こいつ奴! アルゴスでは蝿どもの方が人間たちよりもよっぽど愛想がいいですな。 おや、あれをご覧なさい。まあ、ご覧なさい、あれを! (彼は白痴の目を指す) 蝿のやつら、あいつの目に、まるでお菓子かなんぞにたかるみたいに、じーっと静かにたかってます。 しかもあの男はどうです、あいつは天使に微笑みを送っている。 まるで自分の眼から甘い汁を吸われるのを喜んでいるようじゃありませんか。 どうやらこの様子じゃ、あの目から凝乳のような白い分泌液を出すんですな。 (彼は蝿どもを追い払う)もう沢山だ、畜生、沢山だよ! さて、これでお坊ちゃまもお気が済むでしょう。 ご自分の生まれたお国で誰一人相手にしてくれないってお嘆きになられったが、 この昆虫どもは大層な歓待ぶり。こいつらだけはお坊ちゃまのことを覚えているらしいじゃありませんか。 (彼は蝿どもを追う)ええっ。うるさい! うるさい! 分かった、分かった! こいつら一体どこから来やがるんだ? こいつらときたら、子供のガラガラよりもうるさい音を立てやがるし、 トンボよりも大きな図体だ。ジュピテル (近寄って)こいつらは一寸ばかり肥った肉蝿にすぎません。 もう十五年前ですが、ある屍肉の強い臭気がこいつらを町におびき寄せたんですよ。 その時以来こいつらは肥っています。これから十五年もたてば小さな蛙ほどの大きさになるでしょう。2025/06/10 15:05:0615.夢見る名無しさん沈黙教僕 失礼ですが、誰方でしょう?ジュピテル 私の名はデメトリオス。アテネから来ました。オレスト 確か船の上でお会いしたと思いますが、二週間ほど前。ジュピテル 私もお逢いしました。宮殿内に恐ろしい叫び声教僕 おや! おや! ねえ、お坊ちゃま、あの様子じゃどうもろくなことはなさそうだし、 私どもはどうやら逃げ出した方がよさそうですぜ。オレスト お前は黙ってろ。ジュピテル 怖がることはありませんよ。今日は死者のお祭りがあるのです。 あの叫び声はその儀式の始まるしらせなんです。オレスト あなたはアルゴスの事には随分通じていらっしゃるようですね。2025/06/10 15:07:4716.夢見る名無しさんジュピテル 私はよく来るのですよ。例えばですね、アガメムノン王が帰還して、 凱旋したローマの艦隊がナウプリアの湾内に投錨した時も、いました。 城壁の上から白い帆がたくさん見えましてね。(彼は蝿を追い払う)その頃は、まだ蝿どもはいませんでした。 アルゴスはまだほんの地方の小都会だったわけで、 太陽の下でだるそうに退屈しきっていました。 それから後の数日は、私はほかの連中と一緒に巡邏路に上りましてね。 平野を行進してやって来る国王軍の行列を長いこと眺めました。 二日目の夕方には、クリテムネストル女王が、 現王のエヂストとご一緒に、城壁の上に現れました。 アルゴスの人民たちは、二人の顔が夕日に照り映えて赤らむのを見ました。 彼らは二人が頂銃眼に身を屈めて、長いこと海の方を眺めているのを見たのです。 そして彼らはこう考えました。《醜いことが起こりそうだ》と。 ただし、彼らは口には出して言いませんでした。 エヂストは、ご存じの事と思いますが、あの人はクリテムネストル王妃の愛人だったのです。 大変な道楽者で、その当時既に、憂鬱症の傾きがあったのですよ。 お疲れのようですね?2025/06/10 15:11:2717.夢見る名無しさんオレスト 随分長い道のりを歩いてきましたからね。それにこの酷い暑さでね。 でも、お話は面白いですよ。ジュピテル アガメムノンは善人でした。ただし、とんだ間違いをしたわけなんですよ。 彼は死刑が公衆の面前で行われることを許可しなかったんです。 困ったものです。絞首刑というやつは、地方ではいい気晴らしになります。 そして、こいつは死に対する人々の恐怖心をいくらか麻痺させるんです。 ここの人民達はなにもいわなかった。何故と言えば、彼らは退屈を託っていたし、 何か一度でもいいから手荒な死に様を見たいものだと望んでいたからですよ。 彼らは王様が町の入り口に現れるのを見た時も何も言わなかった。 それから、クリテムネストルがその香水を振りかけた美しい腕を彼に差し伸べるのを見た時も、何も言わなかった。 その時、一言、たった一言言うだけで十分だったでしょう。 ただし、彼らは黙して何も言わなかった。 そして、頭の中では、誰も彼もが、引き裂かれた顔をした大きな死体を思い描いていたのです。オレスト で、あなたは、何も言わなかったんですか?ジュピテル ははあ、それがどうやらあなたのお気に召さぬわけですね。 いや、大変結構です。それこそあなたの立派な徳義心を証明しています。 ところで、私はそうしなかった、何も言いませんでしたよ。 私はここの人間ではありません、で、私の知ったことではなかったのですよ。 アルゴスの人民たちはどうかというと、その翌日、 自分たちの王様が宮殿の中で苦しみのあまり悲鳴を上げるのを耳にした時も、 やはり何も言わなかった。彼らは情欲に掻き立てられたような眼差しに重たげな目蓋を垂れました、 そして町全体は異様な興奮で盛りのついた女のようだったのです。2025/06/10 15:16:0418.夢見る名無しさんオレスト その暗殺者が国を治めているというのか。彼は十五年の幸福を味わってきた。 僕は神々が正義であると信じていたのに。ジュピテル まあ、まあ! そう性急に神々を非難してはいけません。 唯矢鱈に罰を加えるばかりが能じゃありません。 この騒ぎを精神的な秩序に役立つように仕向けた方がよかったんではないでしょうかね?オレスト 神々はそうしたのですか?ジュピテル 神々は蝿どもを遣わしたのです。教僕 蝿どもはそこでいったい何をせねばならぬわけなんです?ジュピテル ああ! こりゃまあ一種の象徴ですよ。ただし、奴らのしたことといえば、 まあこんなことでご判断ください。あすこに、ほら、年取ったワラジムシがいるでしょう。 壁とすれすれに小さな黒い足で小刻みに歩いているあの女ですよ、あいつが、 例の壁の割れ目の中などにうようよしている黒くて平べったいあの小動物の立派な見本です。 あの虫けらに飛び掛かって、捕まえて、あいつをここへ連れて来てみましょう。 (彼は老婆に踊りかかり部隊前面に連れて来る)さあ、生け捕ったぞ。 儂をよく見ろ、醜女め! ええ! お前は目をぱちくりとしてるな、 だが、お前たちは太陽にギラギラ光る血濡れの剣には慣れているはずだ。 どうです、まるで釣り糸の先の魚のようにぴょんぴょん跳ねているこの様は。 やい、婆、そんな恰好は息子の一ダースも死ななきゃできないはずだぞ。 お前は頭の先から足の先まで黒づくめだ。さあ、言え、そうすれば放してやろう。 この喪服は一体誰のために来ているんだ?老女 こりゃアルゴスの制服ですだ。2025/06/10 15:19:4319.夢見る名無しさんジュピテル アルゴスの制服? はあ! 分かった。お前の着ているのはお前の王様、 殺されたお前の王様のための喪服だろう。老女 お黙んなせえ! どうか後生のお願いだ。お黙んなせえ!ジュピテル そうか、お前はだいぶ年寄りだから、あの叫び声は聞いたに違いないな、 朝の間中ずっと街路を巡り巡ったあの異様な叫び声をさ。あの時お前は何をした?老女 あたしの亭主は畑に行ってただ、あたしに何ができるもんかね? あたしは、閂をかけて家の中に引っ込んでただ。ジュピテル そうだ、そしてお前は窓を半ば開けて、その叫び声をもっとはっきり聞こうとした、 そしてお前はカーテンの影で、息を殺して、腰の辺りに何やら奇妙なくすぐったさを感じながら、じっと見張っていたのだ。老女 お黙んなせえ!ジュピテル あの晩、お前は酷く色気を出した筈だ。大したお祭り気分だった、なあ?老女 ああ! 旦那様、あれは……、恐ろしいお祭りだっただ。ジュピテル お前がその思い出を葬り去ることの出来なかった血のお祭りだったのだ。老女 旦那様、あなたは死人かね?ジュピテル 死人? 行け、行け、気違い! わしが誰だろうと余計なお世話だ。 他人のお節介など焼かずに、自分の罪を後悔して天の赦しを受けるように心掛けた方がいいぞ。2025/06/10 15:22:2320.夢見る名無しさん老女 ああ! あたしは後悔しておりますだ、旦那様、あたしがどんなに悔い改めるかご存じないのかねえ、 あたしの娘も後悔しておりますだ、そしてあたしのところの婿などは毎年、牝牛を犠牲に供えておりますだ、 それから、孫息子は、今年で満七つを超しましただが、あたしどもはこの子を後悔の中に育て上げました。 全く利口な子でして、頭はすっかり金髪で、今からもう原罪の感情に染まりきっておりますだ。ジュピテル よし、行け、糞婆あ、行ってせいぜい悔恨に身をやつすようにするがいい。 それがお前の救われる唯一の機会さ。(老婆逃げ去る) さて、私が大変な間違いをしてるんでなければ、 御二方、これが例の、昔風に、しっかりと恐怖に根を下ろしているいわゆる厚い信仰心という奴ですかな。オレスト あなたは一体どういう人なんです?ジュピテル 私の事なんか心配することはないですよ。私達は神々の事を話していたんです。 ところで、エジストを殺す必要があったというんですかね?オレスト そうですよ。つまり……ああ! どうしたらよかったか、僕には分かりません、 それにそんなことどうだっていいんです。僕はここの人間ではないのです。 エジストは罪を悔いているんでしょうか?2025/06/10 15:25:3021.夢見る名無しさんジュピテル エジスト? そうとはとても考えられませんね。まあただし、そんなことは大したことじゃない。 一つの街全体が彼の代わりに悔悟しているんです。 後悔という奴は、その深さが問題でしてね。(宮殿の中で恐ろしい叫び声) お聞きなさい! 彼らは自分たちの王の苦しみの叫び声を夢忘れぬため、 声が大きいというので選ばれた牛飼いが、ああして、毎年の記念日に宮殿の大広間の中で叫び声をあげるのです。 (オレスト、不快の身振りをする)なあに! こんなことは何でもありません。 そんなことでは今に死者を開放するところをご覧になったら、何と仰いますかな? アガメムノンが暗殺されてからちょうど今日で十五年目です。ああ! あれ以来、あの身軽だったアルゴスの人民たちは何て変わったもんだろう、 そして今では何と私の心に近付いていることか!オレスト あなたの心に?ジュピテル いや、いや、何でもありません、何でもありませんよ、お若い人。 私は独り言を言ってたんです。こう言った方がよかったかもしれませんね。 神々の心に近付いている、と。オレスト 本当ですか? 血で汚された壁、何百万という蝿、殺戮の臭気、ワラジムシの発情、 人気のない街路、やりきれないような顔つきをした神の像、 自分の家で自分の胸を叩く恐怖に憑かれた幼虫ども?-それにあの叫び声、 聞くに忍びないあの叫び声。あれがジュピテルのお気に召すというのですか?ジュピテル ああ! 神々を判断してはいけませんな、お若い方、神々にも秘かな苦しみがあるのです。2025/06/10 15:29:1122.夢見る名無しさん沈黙。オレスト アガメムノンには娘が一人いましたね、確か? エレクトルとかいう名前の娘が?ジュピテル そう。ここに住んでいます。エジストの宮殿の中に?-あれがそうです。オレスト ああ! あれがエジストの宮殿なんですか? で、エレクトルはこういったことをどう考えているんです?ジュピテル さあね! まだほんの子供ですからね。むすこもひとりいたんですよ。確かオレストという。人々はもう死んだと思っています。オレスト 死んだ! そうだったのか……教僕 そうですとも。お坊ちゃま。確かにその方は死んだんですよ。 ナウプリアの人達は、エジストがアガメムノンの死後まもなくオレストを暗殺せよとの命令を出したとか、そんな話をしてたじゃありませんか。ジュピテル 中にはまだ生きていると言った人もある。彼を殺そうとした人たちが、不憫になって森の中に捨ててしまったのかもしれない。 それからその子は拾われ、誰かアテネのお金持ちにでも育てられたかもしれない。私としては死んでいてくれた方がいいと思いますね。2025/06/10 15:34:0323.夢見る名無しさんオレスト 何故です、それは?ジュピテル まあ考えてもご覧なさい。ある日その息子がこの町の入り口に姿を現したとして……オレスト ふん、それで?ジュピテル まあまあ! それでですよ、いいですか、もし私がその時彼に会ったとしたらですよ。 こう言うでしょう……こんな風に言うでしょうな。《お若い方……》そう私は呼ぶでしょう。何故ってその人ももし生きていたら大体あなたと同じ年頃ですからね。ところで、あなたはお名前は何と仰います?オレスト 僕の名はフィレエブ、コリントの者です。僕はこうして修養のために、僕の教師だった奴隷と一緒に旅行しているんです。2025/06/10 15:36:5424.夢見る名無しさんジュピテル 分かりました。さて、私はこう言うでしょう。《お若い方、お行きなさい! ここに何が御用なんです? あなたは自分の権利を主張なさりたいんですか? ははあ! あなたは中々熱心でしっかりしている、 連戦軍隊の立派な隊長さんになれるでしょう。あなたには半ば死んでいる街、 蝿どもに悩まされている屍のような街に君臨するよりもっと良い仕事がありますよ。この土地の人達は皆大罪人です。 だが、今一生懸命その償いをやっているところです。放っておきなさい、お若い方、そっとしておいておやりなさい。 彼らの苦悩に満ちた企てに敬意を払って、そっと忍び足で離れておやりなさい。 あなたには彼らと悔恨を共にすることはお出来になりますまい。あなたは彼らの罪の分け前は貰ってないわけなんですからね。 それにあなたの無作法な無邪気さは彼らとの間に深い溝を作るでしょう。さあ、少しでも彼らを愛するなら、お行きなさい。 お行きなさい、あなたは彼らを破滅させてしまいますよ。たとえ少しでも途中で立ち止まらせたり、 一瞬間なりと彼らの後悔から心を逸らしたりしたら、彼らの全ての罪は冷却脂肪のようにそのまま凝結してしまうのです。 彼らは卑しい良心を持っています、彼らは恐れています?-そしてその恐れは、その卑しい良心は、 神々の鼻孔には何とも言えぬ香気です。左様、その哀れな魂たちこそ神々のお気に召すわけなんですよ。 彼らから神の恩恵を奪おうと仰るのですか? そして、その代わりに彼らに何を与えようとなさるんです? 静かな食後の休憩、憂鬱な田舎の平和、そして倦怠、ああ! あの極めてありふれた幸福の倦怠、旅をお続けなさい、 お若い方、ご達者でね。町の秩序と魂の秩序とは変わりやすいものです。あなたが一度手を触れたら最後、大災害が起こりますよ。 (彼の眼をじっと凝視しながら)恐ろしい大災害があなたの上にも降りかかってくるのですよ。2025/06/10 15:40:3725.夢見る名無しさんオレスト 本当ですか? あなたが仰りたいのはそういうことなんですね? ところで、僕は、もし僕がその若い人だったら、 僕ならこうお答えするでしょうね……<彼らはお互いに凝と見つめあう。教僕は咳払いする> さあ! 僕はどう答えたらいいか分かりませんね。おそらくあなたの言う方が正しいでしょう、 それにそんなことは僕の知ったことじゃありませんからね。ジュピテル やれやれ。まあ本物のオレストもあなたのように理性的であってもらいたいものですね。それじゃ、ご無事でね。 自分の仕事をしに行かねばなりませんから。オレスト あなたもどうぞご無事で。ジュピテル それはそうと、もしこの蝿どもがあなたに五月蠅くつきまとうようでしたら、こいつらを厄介払いするいい方法があります。 ご覧なさい、あなたの周りでぶんぶん飛び回っているこの蝿どもの群れを。 いいですか、こうして手首を一振りやります、こういう腕の仕草をして、それからこう言うんですよ。 《アブラクサス、ガラ、ガラ、ツェ、ツェ》すると、ほら、ご覧なさい。 みんな地面に落っこちて、毛虫のように這い回り始めたじゃありませんか。オレスト こいつは凄い!ジュピテル 何でもありませんよ。ちょっとした隠し芸です。私は暇な時は、蝿使いをやります。さよなら。また会いましょう。ジュピテル、退場。2025/06/10 15:42:5826.夢見る名無しさん第二場オレスト?-教僕。教僕 ご用心なさいよ。あの人間はどうやらあなたの素性を知っているらしい。オレスト あれは人間なのかい?教僕 ああ! お坊ちゃま、何とつまらんことを仰います? 一体私のお教えした学科とあの微笑の懐疑主義をどうなさるんです? <あれは人間なのかい?>ですって。そうですとも。世の中には人間だけしか居りませんよ、それだけでもう充分です。 あの髭だって人間ですよ、エヂストの間諜か何かですよ。オレスト 哲学は止めてくれ。そいつは耳が痛くなるほど聞いた。教僕 耳が痛いですって! すると哲学は人々に精神の自由を与えるというより、かえって害をなすというわけですな。 ああ! あなたは何と変わってしまわれたんでしょう! 以前は私でもお坊ちゃまのみ心が読めたものです…… よくお考えの上でそう仰るのですか? 何故私をこんな所へ引っ張って来られたんです? そして、ここでどうしようと仰るんです。オレスト 僕が何かしなければならないなんて言ったかい? さあ! もう何も言うな。 (彼は宮殿に近寄る)これが僕の宮殿だ。僕の父が生まれたのはあそこなんだ。淫婦とその女衒めがあの人を暗殺したのもあそこなんだ。 僕もあの宮殿の中で生まれた。エジストの老兵達が僕を連れ出した時、僕はまだ三つかそこらの子供だった。 僕たちはきっとこの門をくぐって出たんだ。彼らのうちの誰かが僕を腕に抱いてたんだ、 僕は大きな目を見開いて、きっと泣き続けていたに違いない……ああ! まるで記憶がない。 大きな石造りの建築が、田舎風の威厳を持って物々しく、ものも言わずに立っている。僕はあれを今初めて見るのだ。2025/06/10 15:47:4027.夢見る名無しさん教僕 記憶がないですって? ああ、恩知らずのお坊ちゃま、この私が一生のうちの十年間をお捧げしてあなたにそれをお授けしたというのに。 では私どもの致したあの旅行の数々も? 私どもが訪問したあの街々も? そしてあなただけにご教授申し上げたあの考古学の講義も? ちっとも記憶がないと仰いますか? 先程まではあなたの記憶の中には、あんなに沢山の宮殿の知識、 聖堂の神殿の知識がいっぱいつまっていて、あの地理学者のパウサニアスの様にギリシアの案内図さえ書ける程だったではございませんか?オレスト ―――宮殿か! ああ、そうだ、宮殿、柱石、彫像! 何故僕は、頭の中にこんなに沢山の石を持った僕は、なぜもう少し重くならないんだろう? それからあのエペソの都の神殿の三百八十七段の階段、お前はあのことは言わないの? 僕はあの階段を一段一段よじ登った、 僕は今でもその一つ一つをはっきり思い出すよ。確か十七段目のは壊れていたっけな。 ああ! 犬だって、暖炉の傍に寝ていて体を温めている老いぼれ犬だって、自分の主人が入って来ると、挨拶しようと低く唸りながら、 身を起こす。犬だって僕よりはずっと覚えがいいんだ。犬が忘れないのは、その主人なんだよ。その主人なんだ。 でも、僕には一体誰がいるっていうんだい?2025/06/10 15:50:0928.夢見る名無しさん教僕 教養はどうなさいます、お坊ちゃま? それはあなたのものではありませんか。あなたの教養は。 私はそれを、花束のように、私の知恵の果実や私の経験の宝を取り揃えて、愛情を込めてお坊ちゃまのために作って差し上げた。 私は、早くから、お坊ちゃまを様々な人間の意見の多様さに親しませようと万巻の書物をお読ませしましたし、 また人間の習慣というものがいかに変化の多いものであるかをあらゆる状況に即してご説明申し上げながら、 あらゆる国々を歩き回らせて差し上げたではございませんか。今ではお坊ちゃまは、こうしてご立派な青年、金持ちで美しく、 老人のように思慮深く、あらゆる隷属から、またあらゆる信仰から解放され、家もなく、祖国もなく、宗教もなく、職もなく、 あらゆる約束事に対して自由であり、決して自らを拘束すべきでないことを知っていらっしゃるし、要するに卓抜なお方、 おまけに大学のある大都市では哲学をお教えなさることも、建築学を講ずることも出来ようというご立派な御身分、 それなのに何をお嘆きあそばすことがありましょう!2025/06/10 15:52:2529.夢見る名無しさんオレスト いいや、僕は嘆きはしない。嘆くことさえ出来ないんだ。お前は、風が蜘蛛の巣から引き離し地面からわずかばかりのところに浮かんでいる蜘蛛糸のような自由を与えてくれたんだ。 僕は一本の糸の重さしかなく、僕は虚空の中に生きている。そりゃあ勿論僕にとって都合のいいことだし、僕も僕なりに有り難いと思っているよ。 (間)生まれながらに拘束されている人間もいるんだ。彼らには選びようがない。いわば彼らは路上に放り出されたんだ。 その道の果てには一つの行為が待っている。彼らの行為だ。彼らは進む、そして彼らの裸の足は力強く大地を押し、 砂利のために皮がすりむける。どこかへ行くという悦びは、お前には、お前にとっては凡俗に見えるんだろう? またこういう人間もいるんだ、 黙っている人間、つまり心の奥底で、濁った地上的な彫像の重さを感じている人間だ。彼らの一生は変えられてしまった、 何故ならば、彼らは幼年時代のある日、五つの時、七つの時……まあ、いい。こういう連中は優れた人間ではないのさ。 僕は、七つの時、既に自分が追放の身であることを知っていた。様々な臭いも、響きも、屋根を打つ雨の音も、光の振動も、 僕はそういうものはみんな自分の体に沿って滑らし、僕の周りに落としてしまったものだった。僕は、そういうものはみんな他人のものであり、 それを僕の思い出にすることは不可能だってことを知っていた。 何故って、思い出なんてものは、家や、獣たちや、召使たちや、田畑を持った人たちにとっての脂っこい滋養物にすぎないんだからね。 だけど、僕は……僕はおかげさまで、自由だ。ああ、僕は何て自由なんだろう。そして僕の魂ほど見事な不在があろうか。 (彼は宮殿に近寄る)2025/06/10 15:57:2630.夢見る名無しさん 僕はあそこで育ったかもしれないのだ。あそこで育ったら、僕はお前の教えてくれたあの数々の書物なんか一冊も読まなかったかもしれない。 そして恐らくは読むことすら出来なかっただろう。宮中の王子に読書ができるなんてことからして稀なことだ。 ただし、この戸をくぐって、おそらくは僕は一万度も出入りしたことだろう。幼い頃は、この扉で遊び戯れたに違いない。 僕はこの扉にしっかりと踏ん張って寄りかかり、扉は屈することなく軋んだことだろう、そして僕の腕はこの扉の抵抗を理解したに違いない。 それから少し大きくなってから、僕は夜など、こっそりと娘たちに会いに行くために、この扉を押したことだろう。 それから、もっと大きくなると、丁年の日には、奴隷たちが扉を大きく開け放ってくれると、僕は馬に乗ってその敷居を飛び越えたことだろう。 僕の古い木の扉、僕は目を瞑っていても、お前の錠のありかを知ることが出来たろう。 そしてあの下の方にある疵は、あれはきっと僕がつけたものに違いない。皆が初めて僕に槍をあてがった日なんかに、 きっと僕がへまをやってつけた疵だ。(彼は遠ざかる)小ドリア式、だろ? あの金をちりばめた象眼をどう思うね? ドドナでも同じようなやつを見たことがあるよ、まったく見事だ。さあ、いいかい、お前を喜ばしてやる。 これは僕の宮殿ではないさ。僕の扉でもない。僕たちはここには何も用はないのだよ。教僕 さあ、それでこそ物の分かったお坊ちゃま。こんな所に住んだって、いったい何の益があったでしょう? あなたの魂は、今自分は卑しい後悔に苛まれていたことでしょうよ。2025/06/10 15:59:4331.夢見る名無しさん教僕 さあ、それでこそ物の分かったお坊ちゃま。こんな所に住んだって、いったい何の益があったでしょう? あなたの魂は、今自分は卑しい後悔に苛まれていたことでしょうよ。オレスト (声を弾ませて)うん、少なくともそれだけは僕のものになっていただろう。それに、この僕の髪を焦がす熱気、 これも僕のものになっていただろう。そしてこのぶんぶん飛び回る蝿どもも。 今頃の時刻には、宮殿の小暗い部屋の中で裸になって、鎧戸の隙間から夕焼けの赤い色を眺めていたことだろう。 僕は太陽が西に傾くのを、そして地面から、何かの香りのように、アルゴスの一夜の新鮮な影が、幾千万の他の夜と同じようでいて、 しかも常に新しい、僕のものである一夜の影が立ち上がってくるのを待っていたことだろう。さあ、行こうや、教僕。 お前には分からないのかい、僕たちは他人の熱気の中で澱んじまっているんだぜ?教僕 ああ! お坊ちゃま、私は本当にほっとしましたよ。---この数ヶ月というもの--- 正確に申せば、私がお坊ちゃまの出生の経緯を申し上げて以来というもの--- 私はお坊ちゃまが日に日に変わっていらっしゃるのを拝見して、夜もろくに眠れませんでしたよ、本当に心配で、心配で……オレスト 何がさ?教僕 でも、お坊ちゃまはお怒りになりますもの。オレスト 怒りはしない。言ってみろ。教僕 実は私の心配しておりましたのはー――つまらぬことですが、人間というものは古くから懐疑的な皮肉にとりつかれてしまうものでして、 そういう馬鹿げた考えがあなただって時々は浮かんでくるわけですよ―――要するにですな、私は坊ちゃまがエジストを追放して、 その位を奪うことをお考えになっていらっしゃるんじゃないか、と思って。2025/06/10 16:02:3032.夢見る名無しさんオレスト (ゆっくりと)エジストを追放する? (間)心配しなくたっていいよ、爺さん。第一もう時機が遅すぎる。 そりゃ、僕にだってあの畜生めの髭をひっとらえて、僕のお父さんの王冠をはぎ取ってやりたい気持ちもないわけではない。 だけど、そんなことをしたって何になろう? 僕がこの町の人達と何をしなければならないっていうんだ? 僕は彼らの子供が生まれるのを一人として見たことはない、彼らの娘たちの結婚式にも列席したことはない、彼らと懺悔を共にしたこともない。 彼らのうちで名前を知っているものも一人としていない。あの髭の男の言うことは尤もだよ。 王たるものはその臣民と同じ思い出を持たねばならないのだ。彼らは放っておくことにしよう。さあ、行こうじゃないか、そっと忍び足でね。 ああ! だけどもし、いいかい、もし彼らと同じ市民の権利を僕に与えることの出来る行為があるとしたら、 もし、たとえ罪を犯しても、自分の心の空虚を満たすために彼らの思い出や彼らの恐怖や彼らの希望を奪い取ることができるとしたら、 よしんば僕は自分の実の母上を殺したって……教僕 お坊ちゃま!オレスト そうだ。みんな夢なんだ。行こう。誰か僕たちに馬を調達してくれる人がいないか探してくれ、そうすれば、僕たちはスパルタまで行ける。 あすこへ行けば、僕の友達がいるのだ。エレクトル、登場する。2025/06/10 16:05:0333.夢見る名無しさん第三場同上---エレクトル。2025/06/10 16:07:0934.夢見る名無しさんエレクトル (箱を持って来て、二人は見ずにジュピテルの像に近寄る)汚らわしい! さあ、あたしを見つめるがいい! お前のその木苺の汁で汚れた顔の中の丸い目でたんとあたしの顔を見つめるがいい、あたしはちっとも怖くはないよ。 どう、あの女たちが今朝もまたやって来たんだろう、あの聖女達めが、あの黒い衣装を着けた老いぼれの女どもがさ。 あの女どもはお前の周りでまたあの大きな短靴をきゅうきゅう鳴らしたんだろう。お前は至極ご満悦だったね。 化け物め、お前はあの女どもが好きなんだろう、あの老婆どもが。あいつらが死人たちに似れば似るほど、 お前はあの女どもが好きになるんだね。あいつらはお前の足許に、今日はお前のお祭りだというんで一番高価なお酒を注ぎかけたんだろう、 そして黴臭い臭気があいつらのスカートからお前の鼻の辺りに立ち昇っていったんだ。 お前の鼻孔はまだその快い香りにくすぐられている。(彼に体をこすり付けて)さあ、今度は、あたしの匂いを嗅いでごらん。 あたしは若いのよ、あたしは生き生きとしてるわ、これにはお前だって恐れをなすだろう。 あたしも町中の人達がお祈りをやっている間に、お前に捧げものをしにやって来たのさ。 さあ、ここに剥皮と竈の灰をすっかりかき集めて持ってきた、それから、蛆の一杯うようよした古い腐れ肉を少しと泥だらけのパン一片、 みんな家の豚どもが食い残したものさ。お前の蝿どもはさぞ喜ぶことだろう。 お祝いだ、さあ、お祝いだ、そしてこれが最後のお祝いであってほしいもんだわ。あたしはあまり力が強くないから、 お前を地面に叩きつけてやることができない。だけど顔に唾をひっかけてやることは出来るわ。 あたしに出来ることったらそれだけさ。だけど、今にあの人がやってくる、あたしの待っているあの人が、大きな剣を持って。2025/06/10 16:10:0735.夢見る名無しさん あの人は、こんな風に、ふざけた様子で、手を腰に当てて、仰向けに反り返ってお前を睨みつけるわ。 それからあの人は剣を抜いて、お前を上から下まで真っ二つにばっさり切ってしまうのさ、こんな風に! そうすれば、二つに割れたジュピテルの体は転がり落ちるわ、一つは左に、一つは右に、 そうして世の中の人達はみんなジュピテルが木で作ったものだってことがわかるのさ。 死者の神様だなんていうジュピテルは、真っ白な木で作られた偶像なのさ。顔の上に見える恐ろしさも、血も、それからお前の眼の暗緑色も、 みんな塗っただけのものなのさ。そうだろ? お前は、お前だけは自分でも内側は白い、まるで乳児の体のように真っ白いんだということを知っている。 剣の一撃でお前の体は真っ二つに割れて、お前は一滴の血も流すことが出来ないんだということを知っている、 白い木! 唯真っ白な木! よく燃えるに違いないわ。(彼女はオレストに気がつく)あ!オレスト 怖がることはありません。エレクトル 怖くはないわ。ちっとも。あなたは誰?オレスト 他所から来た者です2025/06/10 16:11:5136.夢見る名無しさんエレクトル よく来てくれたわ。この町で他所のものっていったらあたしには何でも嬉しい。あんたの名前は?オレスト 僕の名はフィレエブ。僕はコリントのものです。エレクトル まあ、コリントの人? あたしはエレクトルっていうの。オレスト エレクトル。(教僕に)あっちへ行ってくれ。教僕は去る。2025/06/10 16:13:2337.夢見る名無しさん第四場オレストーーーエレクトルエレクトル 何故そんなにあたしを見るの?オレスト お前は美しい。この町の人達とは似ても似つかない。エレクトル 美しい? 本当にあたしが美しいと思う? コリントの娘達と同じくらい美しい?オレスト うん。エレクトル みんなそう言ってくれないわ。ここの人達は。あたしがそう思うことを快く思わないの。 だけど、そんなことを言ってくれたって何の役にも立ちはしないわ。あたしはただの召使に過ぎないんですもの。オレスト 召使? お前が?エレクトル 召使の中でも一番賤しい召使。あたしは王様と王妃様の下着を洗濯するのよ。 あの人たちの下のものはみんな、あの人たちの腐った体を包んでいた肌着。王様が一緒に寝る時クリテムネストルが着るもの。 そういうものをみんなあたしが洗濯しなければならないの。あたしは目を瞑って力一杯擦るの。それから皿洗いもやるわ。 あたしの言うことを信じないの? あたしの手をご覧。ひびやあかぎれで一杯でしょう? まあ、何て変な目つきをするの。 ねえ、まさかこれが王女様の手だと思えて?オレスト 可哀想な手。思えるもんか。とても王女様の手だとは思えない。だけど先をお続け。その他にどんなことをお前にやらせるの?エレクトル それから、毎朝、あたしはごみ箱を捨てなければならないの。あたしはそれをお城の外まで引き摺って、 そして……ほら、あたしがそうするのをさっきご覧になったでしょ、汚いごみを。この木で作った人形はジュピテル、死と蝿の神様よ。 この間、大祭司様が礼拝にいらっしゃった時、キャベツや株の芯の上を、貝殻の殻の上を歩いてらした。 あの人腹を立てて気も狂わんばかりだったわ。ねえ、あたしの事言いつける?オレスト いいや。2025/06/10 16:16:3838.夢見る名無しさんエレクトル 言いつけるんなら言いつけたっていいわ。あたしは平気よ、あの人たちあたしにこれ以上どんな酷い事が出来るっていうの? あたしを殴るって? あの人達もう何度あたしを殴ったか分からないわ。あたしを、とても高い、大きな塔の中に閉じ込めるって? それなら別に悪くないわ。あたしはもうあの人達の顔を見ないで済むもの。夜になってね、いいこと、 あたしが仕事を終えると、あの人たちはあたしを慰めてくれるの。あたしは髪を染めた、肥った大きな女の人の傍に行かなければならないの。 その女の人は、脂ぎった唇をして、手は真っ白、まるで蜜蜂のような臭いのする王妃様の手なの。 その人はその手をあたしの肩にかけて、唇をあたしの額にくっつけて言うの。《こんばんは、エレクトル》って。 毎晩よ、毎晩、あたしは自分の皮膚にあの熱い、貪欲な体がもたれかかって息づいて入るのを感じる。 だけど、あたしはじーっと立っている、決して倒れたことはないわ。分かる? それがあたしのお母さんなの。 もし塔の中に閉じ込められたら、あの人に接吻だけはされないで済むわ。オレスト お前は逃げようと思ったことはないの?エレクトル そんな勇気はないわ。きっと恐ろしくなってしまうわ、たった一人ぼっちで、逃げる途中で。オレスト 一緒に行ってくれそうなお友達もないの?エレクトル ないわ。あたしは一人ぼっち。あたしは疥癬みたいなもの。ペストみたいなものよ。ここの人達はあんたにきっとそう言うわ。あたしにはお友達はいないの。オレスト 何だって、じゃ、乳母もいないのかい? お前が生まれる時から面倒を見て、お前を少しでも愛してくれる婆やか誰かもいないのかい?エレクトル そんな人もいないわ。お母さんに聞いて。あたしはとても優しい心の人達さえがっかりさせてしまうような女なの。2025/06/10 16:20:3039.夢見る名無しさんオレスト で、お前は一生ここに住んでいるつもりなのかい?エレクトル (叫んで)ああ! 一生なんて! そんな事、嫌よ。ねえ、聞いて。あたしは何かを待っているの。オレスト 何かって、誰かをかい?エレクトル それは言えないわ。それより、もっと話して。あんたも奇麗ね。長いこと此処にいらっしゃるの?オレスト 僕は、今日にも出発しなければならない……それに、今なら……エレクトル 今なら?オレスト 僕には何て言ったらいいか、分からない。エレクトル 美しい街なの、コリントって?オレスト とても美しい。エレクトル コリントはお好き? ご自慢なさる?オレスト 勿論。エレクトル そんな事って、あたしには、とても考えられないおかしなことだわ、自分の生まれた町を自慢するなんて。どうしてなの、教えて頂戴。オレスト それはね……僕には分からない。僕には何を言ったらいいか分からない。エレクトル 分からないの? (間)じゃ、コリントには木陰のある広場がたくさんあるって本当? 夕方なんか人が散歩したりする広場があるんですって?2025/06/10 16:22:5540.夢見る名無しさんオレスト 本当だ。エレクトル そして皆外に出るの? 皆散歩をするの?オレスト 皆。エレクトル 男の子は女の子と一緒?オレスト 男の子は女の子と一緒だ。エレクトル そして、その子達は何時でも何か話し合ってるんですって? そしてお互い同士でとても楽しそうにしてるんですって? 夜遅くなっても、一緒に笑い合っている声が聞こえるんですって?オレスト そうだ。エレクトル あたし、馬鹿みたいに見えるかしら? それは、あたしが一生懸命になってその散歩の事や、歌声や、笑い声の事を想像しているからなのよ。 ここの人達は恐怖のために苦しめられているの。そして、あたしは……オレスト お前は?エレクトル 憎しみのために……それで、一日中何をしているの、コリントの若い娘たちは?オレスト 娘たちは美しく着飾り、それから歌を歌ったり、竪琴を鳴らしたり、それから女友達の所へ訪れ、そして夜になれば、みんな舞踏会へ行く。エレクトル そして、何の心配もないの?オレスト あったってほんの僅かさ。エレクトル 本当? じゃあ、ねえ、コリントの人達は後悔をするってことはあるの?オレスト 時にはね。始終ではない。2025/06/10 16:25:1941.夢見る名無しさんエレクトル それじゃ、みんな自分の好きなことをして、後になってからは、もうそのことをくよくよ考えるなんてことはないの?オレスト そうさ。エレクトル 不思議ねぇ。(間)じゃ、もう一つだけ言ってちょうだい。何故ってこの事はあたし、ある人のために是非とも知っておかねばならないの…… あたしの待っているある人のために。例えば、コリントのある若者が、夜になれば娘たちと楽しそうに笑っている若者の一人がよ、 ある時旅行をして帰って来てみると、自分の父親は殺され、母親はその暗殺者と一緒に寝床で寝ていて、 その妹は奴隷の身分になっていることが分かったら、そのコリントの若者は大人しく黙っていられるかしら。 その人は別れの挨拶をして、踵をかえして、その女友達の所へ慰めを求めに行ってしまうことが出来るかしら? そうでなかったら、その人は剣を抜いてその暗殺者に打ってかかっていって、頭をぶち割ってしまうかしら? ねえ、返事をしてくれないの?オレスト 僕には分からない。エレクトル 何ですって? 分からないって?クリテムネストルの声 エレクトル!オレスト 誰なの?エレクトル あたしのお母さん、クリテムネストル王妃だわ。2025/06/10 16:27:4042.夢見る名無しさん第五場オレスト?-エレクトル---クリテムネストルエレクトル まあ、フィレエブ? それじゃあなたはあの人が怖いのね?オレスト あの顔、僕は何度あれを想像してみたか知れない、 そして、輝くような厚化粧をした、疲れた活気のないその顔を何時しか僕は目の当たりに見ていたのだ。 だが、あんな死んだような目つきを僕は予想もしていなかった。クリテムネストル エレクトル、王様が式に出る支度をするようにとのご命令です。黒い衣装と宝石をつけるんですよ。 まあ、どうしたの? その伏目はどういう意味? お前ったら、肘を痩せた腰に押し付けて、体をくねらせて…… お前はよくあたしの前でそういう格好をするね。だけど、あたしはもうこれ以上お前にそんな猿真似をさせてはおかないよ。 今しがた、窓から、あたしはもう一人のエレクトルを見たのだ。鷹揚な科をし、目は燃えていた…… あたしをまともに見られるのかい? 終いにはあたしに答えるのかい?エレクトル あなたのお祭りに輝きを増すためにあたしのような卑しい下女が必要なの?クリテムネストル ふざけるのはおよし。お前は王女だよ、エレクトル、人民たちは毎年のように、お前を待っているんだ。エレクトル あたしが王女、本当に? そしてあなたは一年に一度でも、例えば、人民たちが精神教化のためにあたしたちの家庭生活の絵を頂きたいって言ってくる時なんか、 その事をお考えになって? 美しい王女様が、皿を洗ったり、豚の番をしたり! エジストは、去年みたいに、 腕をあたしの肩に回して、あたしの耳に嚇し文句を囁きながら、あたしの頬に顔を寄せて笑いかけて来るの?クリテムネストル あの人がそうしなくなるのもお前次第なんだよ。エレクトル そうね、もしあたしがあなたたちの後悔に伝染するままになって、あたしの犯したこともない罪の赦しを神々に請い願いさえすればね。 そうだわ、もしあたしが「お父さん」と言いながら、エジストの手に接吻しさえすればね! ああ、考えても厭! あの人は血も涙もない人だわ。2025/06/10 16:35:2143.夢見る名無しさんクリテムネストル 勝手にしなさい。あたしはもうとうの昔からあたしの名前でお前に命令することは諦めていたのさ。お前のことは全て王様にお任せしてあるのだよ。エレクトル エジストの命令をどうしてあたしが守らなければならないっていうの。あの人はあなたの夫でしょ、お母さん、あなたのとても大切な夫、あたしの人ではないわ。クリテムネストル お前にはもう何も言うことはないよ、エレクトル。お前のやっていることはお前の為にもならないし、あたしたちの為にもならないのさ。 だけど、あたしは、たった一日の午前中の間に一生を破滅させてしまったこのあたしは、お前に何と言って忠告してやったらいいだろうかね? お前はあたしを憎んでいる、ねえ、エレクトル、だけどそれよりもっと気になることはお前があたしによく似ているってことなのだよ。 あたしも昔はそんな鋭い顔をしていた。そんな落ち着きのない性質、そんな陰険な目つきをしていたものだった---だけど、 そんなことは何一ついいことにならなかったよ。エレクトル あたしはあなたなんかに似たくないわ! ねえ、フィレエブ、行って、あたしたち二人こうして並んでいると、どう、 ねえ、嘘でしょ、あたしはこの人に似てないわね。オレスト 何と言ったらいいだろう? その人の顔は雷や雹ですっかり荒れ果てている畑のようだ。 だけど、お前の顔の方には嵐が潜んでいる。いつの日かその情熱は燃え上がって骨まで焼き焦がすだろう。2025/06/10 16:40:4244.夢見る名無しさんエレクトル 嵐が潜んでいる? いいわ。そういう風に似ているっていうなら、あたしも認めるわ。本当にそうだったらいい。クリテムネストル おや、お前は? そんな風に人の顔をじろじろ見つめたりして、お前は一体誰なの? じゃ、今度はあたしの方でじっと見てやるよ。ここで何をしてるんだね?エレクトル (溌剌と)この人はコリントの人で、フィレエブって名前、旅の人なの。クリテムネストル フィレエブ? ああ!エレクトル なんだか他の名前を恐れている様だったわね?クリテムネストル 恐れてるって? あたしが身を破滅させたお陰で何か得したことがあるとすれば、 それはあたしにはもう何も恐れることがなくなったということなのさ。こっちへお寄り、旅の人、よく来てくれましたね。 まあなんてお若いこと。一体年はお幾つ?オレスト 十八です。クリテムネストル ご両親はご健在なの?オレスト 父は死にました。クリテムネストル お母さんは? きっとあたし位の年齢でしょうね? 何も言わないの? その人がきっとあたしなんかよりずっと若々しく見えるからでしょう。 その人はまだお前と一緒になって笑ったり、歌ったりすることが出来るのね。お母さんが好き? さあ、返事をなさい! 何故お母さんと別れてきたの?オレスト 僕は傭兵に加わって、スパルタに志願しに行くんです。クリテムネストル 旅の人達は、普通ならば、あたしたちの町を避けて、二十里も回り道をするんです。 じゃあ、誰もあんたにはそのことを教えなかったのね? 平野の人達はあたし達と交際を絶っている。 あの人達はあたし達の懺悔をまるでペストかなんぞのように考えて、感染するのを恐れている。2025/06/10 16:47:2445.夢見る名無しさんオレスト それは知ってます。クリテムネストル あの人達は、もう十五年も前に犯された償いえない罪悪があたし達を苦しめているってことをお前に言って?オレスト そう言いました、クリテムネストル それから、王妃のクリテムネストルが一番罪が深いってことも? その名前が皆の間で呪われた名前であることも?オレスト 言いました。クリテムネストル それなのに、お前はやって来たの? 旅の人、あたしがその王妃クリテムネストルなのですよ。エレクトル 気を許しちゃだめよ、フィレエブ。王妃はあたし達のお国の遊戯を楽しんでいるの。公の告白の遊戯を。 この国じゃ誰も彼もが自分の罪の数々を皆の前で訴えるの。休祭日の日には、商人なんかが、自分の店の鉄の扉を下ろしてから、 髪に埃を擦り付けたり、自分は人殺しだ、姦夫だ、涜職者だ何ぞと大声で呼ばわりながら、街々で膝をついていざり歩いたりするのが、 よく見られるわ。だけど、アルゴスの人民はすっかり麻痺し始めているの。誰も彼もが他人の罪悪を空で覚えている。 特に王妃様の罪なんかにはもう誰も興味を持ってない。それは、まあ、謂わば、お上の罪悪、基本の罪悪なんだわ。 この人が、とても若くて、初心で、自分の名前さえ知らないあんたに逢って、どんなに喜んだかご想像にまかせるわ。 こんなことって滅多にない事よ! この人はまるで初めて告白するみたいな気持ちらしいわ。クリテムネストル お黙り。誰にだってあたしを罪人と呼び、淫婦と呼んで、あたしの顔に唾をひっかけることは出来る。 だけど、あたしの後悔を批判する権利は誰にもないのさ。2025/06/10 16:49:4046.夢見る名無しさんエレクトル いい事、フィレエブ。これがその遊戯の規則なの。人民たちはあんたが彼らの罪を非難してくれるようにって嘆願するわ。 だけど、彼らが自分で告白する罪だけしか判断しないようにしなければ駄目よ。 その他の事は誰にも関係のない事なの。それを詮索したらあんたの事をよく思わないわ。クリテムネストル 十五年前、あたしは希臘で一番奇麗な女だった。あたしの顔を見て、あたしがどんなに苦しんできたかを判断するがいい。 あたしは何も隠しはしない。あたしが後悔しているのはあの老いぼれ山羊が死んだことではないのさ。 あの人が浴槽の中で血を流して死ぬのを見た時、あたしは悦びのあまり歌い、踊ったものさ。 そして十五年経った今日になっても、あたしはあの時の事を思い出すと、快感で体が震える程だよ。 だけど、あたしには息子が一人いた---生きていれば、ちょうどお前くらいの年頃さ。 エジストがあの子を傭兵の手に手渡した時あたしは……エレクトル お母さん、あなたは娘も一人持っていらしたんじゃないかしら。あなたはその娘を皿洗いになさった。 だけど、その過ちの方にはあなたはあまり苦になさらないのね。2025/06/10 16:52:5447.夢見る名無しさんクリテムネストル お前は若いのさ、エレクトル。若くて悪事を犯すだけの経験を積んでいない者には、口喧しく他人を非難することは易しいんだよ。 でもまあ、暫くお待ち。今にお前だって取り返しのつかない程の罪を後ろに引き摺って行くようになるから。 お前が一歩毎にそれから離れていったと思っても、それは何時までもやはり同じように重くお前の後に引き摺られていくのさ。 お前は後を振り向く、と、お前にはそれが、手も届かぬ後の方に、ちょうど黒水晶のように黒く純黒色に光って見えるのさ。 そして、お前にはそれがどういう意味なのかさえ分からない、お前は言うだろう。《あたしじゃないわ。そんなことあたしはした覚えはないわ》 それは何時までもつきまとう、何度否定しても、いつもそこに逢って、後ろからお前を引っ張るのだ。 そして最後にはお前には分かるだろう、お前は今度という今度はお前の一生を唯一回の骰子の一振りで抵当に入れてしまったことを、 そして、お前はもう死ぬまでお前の罪を引き摺っていく他はないのだということを。正しくても、正しくなくても、それが改悛の掟なのさ。 お前の若さの傲慢がどういう風になっていくかはやがて分かるさ。エレクトル あたしの若さの傲慢? あなたが悔やんでいるのは、あなたの罪というよりはあなたの若さじゃないの。 あなたの憎んでいるのは、あたしの潔白というよりはあたしの若さなんだわ。クリテムネストル あたしがお前の裡に憎んでいるものは、エレクトル、それはあたし自身だよ。 お前の若さじゃない---ああ、それは違う!---それは私の若さなのさ。エレクトル あたしは、あなただわ、あたしの憎んでいるのはあなたなのよ。2025/06/10 16:55:3948.夢見る名無しさんクリテムネストル ああ、恥ずかしい! あたしたちはまるでお互いに恋の恨みで立ち向かい合った二人の同い年の女たちのようにいがみ合っている。 だけど、そうは言うものの、あたしはお前の母親なんだよ。ねえ、お若い人、あたしはお前が誰だか知らないし、 またあたしたちの所へ何をしに来なさったかも知らない、だけどお前は何かしら不吉な感じのする人だ。 エレクトルはあたしを憎んでいる、あたしにはちゃんと分ってるんだ。だけど、あたし達は十五年間、その事は口には出さなかった、 ただあたし達はお互いの眼付きでそれが分かっていたのだよ。お前はここへやって来た、お前はあたし達に話をした、 そしてそのあたし達は、ご覧の通り、こうして犬のように歯をむき、唸りながら、向き合っている。 都市の法律ではあんたには手厚いもてなしをしてあげねばならない事になっている。だが、包み隠さず本当の気持ちを言うと、 あたしはお前に一刻も早く行ってもらいたいんだよ。それからお前はね、エレクトル、あたしにそっくりなエレクトル、 あたしはお前をちっとも愛してなんかいない、本当だよ。だけど、あたしはお前に害を加えるよりは、 寧ろ自分の右手を切っちまう方がいいのさ。ただお前にはその事がよく分かりすぎているんで、 お前はあたしの弱点に付け込んでくるわけさ。だけど、あたしはお前が毒々しいお前の頭を擡げてエジストに食って掛かることだけはすすめないよ。 あの人はね、棒の一撃で蝮の腹を叩き潰すことが出来るんだ。あたしの言うことをお信じ、あの人の言う通りにおし、 そうしないと後悔するよ。2025/06/10 16:58:3549.夢見る名無しさんエレクトル あたし式には顔を出しませんって、そう王様に申し上げて頂戴。あの人達のすることをご存じ、フィレエブ? 街の上の方にね、洞窟があるの、その奥の方はどうなってるか若い人たちは見たことがないの。 何でも話によるとそれは地獄に通じているんですって、大祭司様が大きな石でその洞窟を塞がせたのよ。 ねえ、そんな事って信じられて? 毎年の記念日には、人々はこの洞窟の前に集って、兵隊たちがその入り口を塞いでいる石を横から押し退けるの、 そうするとあたし達の死者たちが、そう言うのよ、みんな地獄から上がってきて、町中のあちこちに姿を現すんですって。 街の人達は食卓の上には彼らのお膳立てをしてやり、彼らの為に椅子や寝台を持ち出し、 夜の時間には少しずつ体を押し合って彼らの座る席を作ってやるの。 彼らは至る所歩き回る、皆もう彼らの事だけしか考えない。あんたにだって生きている人たちの嘆き声が分かるわ。 《ああ、可哀想な死者、あたしの可愛い人、あたしにはお前に罪を犯そうなんて気持ちはなかったんだよ。許しておくれ》 そして翌朝になって一番鶏が鳴くと、死人たちはまた地下へ戻って行くわけなの。 人々がその石をその洞窟の入り口に転がして塞ぐと、それでもう次の年までそれはお終い。 ああ、あたしはこんな心にもない虚礼に加わるのはまっぴらだわ。そりゃあの人達の死者達かもしれないけど、 あたしの死者達ではないもの。クリテムネストル お前が自分から進んで言うことを聞かなくたって、王様はお前を無理にでも連れて行くようにって命令なさったんだよ。2025/06/10 17:01:4250.夢見る名無しさんエレクトル 無理に? はっ! 無理にですって? いいわ、お母様、どうぞ王様にあたしは大人しく言いつけを守りますって、そう言って頂戴。 あたし、お祭りには顔を出しますわ。人民たちもあたしが現れるのを望んでいるんですから、望みをかなえてあげるわ。 あんたはね、フィレエブ、出発を延ばして頂戴。そしてあたし達のお祭りのお手伝いをして頂戴。 きっとあんたには可笑しくって笑ってしまうような事があるわ。じゃ、またね、あたしは支度してきます。エレクトル、退場。クリテムネストル (オレストに)お行き、お前はあたし達を不幸にするに違いない。お前にはあたし達を恨むことは出来ないよ、 あたし達はお前には何もしなかった。お行き。お前のお母さんのためにお願いするよ、お行き。クリテムネストル、退場。オレスト お母さんの為に……ジュピテル、登場する。2025/06/10 17:03:2351.夢見る名無しさん 第六場オレスト?-ジュピテル。ジュピテル あなたの従僕のお話では、お発ちになるんだそうですね。あの人は街中馬を探し回っているが、見つからんそうですよ。 だが、私が馬具をつけた値頃の牝馬を二頭調達して差し上げましょう。オレスト 僕はもう発たないよ。ジュピテル (ゆっくりと)お発ちにならないって? (間。活発に)それじゃあ、私もあなたとお付き合いしましょう、あなたは私のお客様というわけです。 この町の外れに一寸いい宿屋がありますから、そこでご一緒に泊まろうじゃありませんか。 私が旅の道連れではお気に召さないですかな? 先ずと---アブラクサス、ガラ、ガラ、ツェ、ツェ---こうしてまず蝿どもを追い払って差し上げて、と。 それに、何ですよ、私どもの年配の者は時には大変良いご相談相手になりますものでしてね。 わたしがお父上代わりになって差し上げることも出来ましょう、私に身の上話をなさって下さい。 さあ、いらっしゃい、お若い方、ご遠慮なく。こういっためぐり逢いは、後になってみると思いがけない利益があるものですよ。 例えば、テレマコスの例をご覧なさい。ご存じでしょう、ユリシーズ王の息子です。彼はある日、メントオルという名前の老人に逢いましてね。 その男は彼の運命に付き纏って、どこへでも彼の後に従ったのです。さて、ご存じですかな、このメントオルという男が何者だったか?彼は話しながら、オレストを引っ張っていく。そして幕が下りる。 ---幕---2025/06/10 17:08:2852.夢見る名無しさん 第二幕 第一景山の中の祭式台。右手には洞窟。入口は大きな黒い石で塞がれている。左手には階段があって神殿に通じている。 第一場群衆、次いでジュピテル、オレスト、そして教僕。2025/06/10 20:53:1753.夢見る名無しさん一人の女 (自分の小さな子供の前にひざまずいて)ほら、ネクタイをきちんとして。これで三度目だよ、結び直してやったのは。 (手で払う)さあ、これで綺麗になった。お利口さんにしてるんだよ。そうして、そう言われたら他の人達と一緒に泣くんだよ。子供 あそこからみんな出て来るの?女 そうだよ。子供 怖いよ。女 恐がるがいいんだよ、坊や。うんと怖がり。そういう風にして人間というものはだんだん正直な人間になって行くのさ。男 今日はいいお天気で、さぞお喜びだ。別の男 お陰様でね。あの人達だってまだ太陽の熱は感じるらしいからな。去年は雨だったで、あの人達は……ひどく機嫌が悪かった。第一の男 ひどいもんだったよ。第二の男 全くなあ!第三の男 あの人達が洞窟ん中へ戻って行って、儂らだけになったら、ここだけの話だが、儂あ此処へ上ってきて、この石を見ながらこう思うだろう。 《さあ、これでまずまず一年間は息災だ》ってな。第四の男 そうかね? 俺だったら、そんな事じゃ気は済まないね。明日からはまた俺はこう思い始めるんだ。 《来年はあの人達はどうだろう》ってな。あの人達は来る年来る年毎に段々意地が悪くなって行く。第二の男 黙れ。もし誰かが岩の裂け目かなんかから出て来ていて、俺たちの間にうろつき回っていたらどうするつもりだ…… 死人の中には、先発で来て集っているのがいるんだぞ。彼等、不安そうに顔を見合わす。2025/06/10 20:55:0554.夢見る名無しさん若い女 ああ、せめて今すぐに始められたらねえ。何をしているんだろう、お城の人達は? 随分のんびりしているんだねえ。 あたしは、本当にこうして待ってるのがたまらないよ。皆、こうして熱い太陽の照り付ける下で、 じっとこの真っ黒な石から目を離さずに見つめながら、地団太を踏んでいる……ああ! 死んだ人達も皆あそこに来てるんだよ。 あの石の向こうに。皆あたし達と同じように待ってるんだよ、皆あたし達にどんな悪いことをしてやろうかと考えながら、心を躍らせてるんだよ。老女 分かったよ、あばずれ女め! あの女が何を恐れているか、みんな承知だ。あいつの亭主はこの春に死んだが、 もう十年も前からあいつはその亭主を騙して来たんだ。若い女 ああ、そうさ、そうに違いないさ。あたしは確かに亭主を騙した、あたしは、したい放題な事をしてあの人を騙して来た。 だけど、あたしはあの人を愛してたんだよ。そして、あたしはあの人に安楽な生活をさせてやった、 あの人は全然あたしを疑ったりなんかしなかったんだ。あの人は死ぬ時には犬のような優しい感謝の眼差しをあたしに向けながら死んで行ったよ。 あの人は今では皆知っている。皆があの人の喜びを目茶目茶にしちまった、あの人は今ではあたしを怨んでいる、あの人は苦しんでるんだ。 今に、あの人はあたしの傍にやって来るよ、あの人の蒸気のような体があたしの体を抱いてくれる。 生きてる人が誰もしなかったようにしっかりとあたしを抱いてくれる。ああ! あたしはあの人を家に連れて行くんだ、 まるで毛皮のように首に巻いて。あたしはあの人の為に美味しいご馳走、甘いお菓子、手軽な間食なんかをあの人が好きだったように作ってあるわ。 だけど、何をしたってあの人の恨みは和らげることは出来ないんだよ。そして、今夜は……今夜はあの人はあたしの寝床に入って来る。男 あいつの言う事は尤もだよ、全く。一体、エジストは何をしているんだ? 何を考えているんだ? ……こうしてじっと待っているのは、たまらない。2025/06/10 20:58:0255.夢見る名無しさん別の男 不平を鳴らすがいい! お前はエジストが我々よりも恐れを感じてないってのかい! お前はあの方の身の上になりたいってのか、え、そして四六時中アガメムノンと顔を突き合わして苦しみたいってのかい?若い女 ああ、恐ろしい恐ろしい、この待ち遠しさ。あんたたちはみんな段々とあたしから遠ざかっていくようだわ。 石はまだどけられていないというのに、もう誰も彼も死人たちに悩まされている、みんな一人ぼっちで、雨の雫のように。ジュピテル、オレスト、教僕、登場。ジュピテル こちらへいらっしゃい、こっちの方がいいですよ。オレスト ああ、これがアルゴスの人民たち、アガメムノン王の忠実な臣下達なのか?2025/06/10 20:59:4056.夢見る名無しさん教僕 何て醜いんでしょう! ご覧なさい、お坊ちゃま。あいつらのあの蝿のような顔色、あのくぼんだ眼。 この人たちは恐怖のために死ぬ思いをしています。これもみんな迷信の然らしめる所ですよ。ご覧なさい、ほら、あの連中の顔を。 ところで、今度は私の哲学の優秀さが分かりたいと思ったら、さあ、あたしのこの生き生きとした顔色をよくご覧じろ。ジュピテル 生き生きとした顔色何てつまらん者さ。頬っぺたが少しくらいひなげしの花のように赤くなったって、いいかな、そんなことくらいでは、 ここの連中と同じように、ジュピテルの眼にはやっぱり汚い糞屑にしか見えやしませんよ。さて、さて、お前さんは鼻持ちならん。 それでいてご自分でも臭いのをご存じないんだからね。ところでこの連中は鼻孔一杯に自分たちの臭気を感じている。 奴らの方がよっぽどお前さんより己を知っているわけだ。群衆達、がやがや言う。一人の男 (神殿の階段に上って、群衆に呼びかける)俺たちを気狂いにする気なのか? さあ、皆声をそろえてエジストを呼ぼうじゃないか。 あの方が、これ以上式を延ばすんだったら、もう俺たちは我慢できない。群衆 エジスト! エジスト! お願いです!一人の女 ああ、そうです! お願いです! 憐れんでください! ああ、誰もこのあたしを憐れんでくれないんですか! ああ、あの人が、あんなに憎らしかったあの人が傷口の開いた咽喉をしてやって来るわ、 あの人は目に見えないべとべとした手にあたしを抱きしめる、あの人は一晩中あたしの情夫になるんだわ、ああ、一晩中!彼女は気を失う。2025/06/10 21:02:0357.夢見る名無しさんオレスト 馬鹿々々しい! あの連中にそう言ってやらなけりゃ……ジュピテル 何ですって、お若い方、たかが目を回した女一人にそんな大声を出しなさるのか? 他にだってまだいますよ。一人の男 (がくんと膝をついて)ああ、俺は忌まわしい! 忌まわしい! 俺は汚らわしい腐れ肉だ。 見ろ、俺の上には鳥の様に蝿どもが寄ってたかる! 食え、ほじくれ、穴を開けろ、復讐の蝿どもめ、 俺の肉体を汚らわしい胸の奥まで食い漁れ。俺は罪を犯した、俺は数え切れぬほど罪を犯した、俺は下水だ、糞溜だ……ジュピテル 正直な奴だ!男達 (抱え上げて)さあ、いいんだ、いいんだ。そんなことは、もう少し経ってから、あの人達がいらしてから言えばいいんだよ。その男は呆けたようにぼんやりしている、彼は目をくりくりさせながら、喘いでいる。群衆 エジスト! エジスト! お願いです! 始めるように命令してください! もう我慢がならねえです!エジストが神殿の階段の上に現れる。後にはクリテムネストル、大祭司が続く、それに衛兵たち。2025/06/10 21:04:1558.夢見る名無しさん 第二場同上---エジスト---クリテムネストル---大祭司---衛兵たち。エジスト 犬どもめ! 何をぶつぶつ言ってるのか? お前たちはもうあの卑劣な思い出を忘れたのか? よし、ジュピテルにかけて、儂は思い出させてやる。(彼はクリテムネストルの方を振り向いて) あの娘が来なくても始めることにしなければなるまい。あいつめ、今にどんな目にあうか用心するがいい。見せしめに儂が罰してやろう。クリテムネストル 言いつけ通りにするって約束したんですのにねえ。あの娘は支度してるんですよ。きっとそうですわ。 きっと鏡の前で暇取ってるのに違いありません。エジスト (衛兵に)誰か宮殿にエレクトルを探しに行って、否でも応でも此処へ連れて来るように。 (衛兵、去る。群衆に向かって)それでは、皆の衆、席に着け。男たちは儂の向かって右手。左手には女たちと子供だ。宜しい。沈黙。エジスト待つ。大祭司 この連中はもう待ち切れないんですよ。エジスト 分かっとる。衛兵たちさえ来れば……衛兵達、戻って来る。衛兵の一人 王様、自分達は王女様をあちこち探しましたが、宮殿には人っ子一人おりません。エジスト よし。その事は明日けりをつけることにしよう。(大祭司に)始め。大祭司 石を除れ。群衆 ああ!衛兵達は石を除ける。大祭司は洞窟の入り口まで進み出る。2025/06/10 21:06:2159.夢見る名無しさん大祭司 みまし等、忘れられたる者、捨てられたる者、迷いの夢から覚めたる者よ、みまし等、暗闇の中に、蒸気の如く、地上をさ迷い歩く者、 己が物とては唯大いなる遺恨のみしか持たざる者、みまし等、死にたる者よ、いざ立て、みまし等の祭りの時が来た! 来たれ、風に靡く巨大なる硫黄の蒸気の如く地面より立ち昇れ。地球の奥底から立ち昇れ、ああ、みまし等、百度死にたる者、 我らは心臓の一打ち毎にみまし等をさらに新たなる死に追いやる。今、ここにみまし等に祈祷を捧ぐるは、 その怒りと苦しみと復讐の念のために他ならず。来たれ、みまし等の憎しみを生ける者の上に飽くなく充たせ! 来たれ、濃い霧となって我らが街々にくまなくいきわたれ、みまし等の密集した軍勢を母と子の間に、恋人と恋人の間に推し進め、 我らに未だ死なざることを悔いさせよ。立て、夜叉よ、怨霊よ、亡霊よ、魔女よ、我らが夜の恐怖よ、立て、 烈しき呪いの言葉を叫びつつ死にたる兵士等、立て、不運なりし者、辱めを受けし者、立て、 苦しみのあまり呪詛の言葉を叫びつつ飢えのために死にたる者よ。見よ、生ける者たちは今ここにあり。 生きたるままの脂ぎった餌食どもが! 立て、彼らの上に雲霞の如く押し寄せて、骨の髄までかじり尽くせ! 立て! 立て! 立て!銅鑼の音。彼は洞窟の入り口の前で踊る。最初はゆっくりと、それから次第に早くなり、終いにはすっかり疲れて倒れる。エジスト 死人たちがやって来た!群衆 ああ、恐ろしい!オレスト もう沢山だ。僕は……ジュピテル 私をよくご覧、お若い方、私を真向かいからじーっとごらん、ほら! ほら! 分かったでしょう。今は黙って。オレスト あなたは誰なんです?ジュピテル もう少し経てば分かりますよ。2025/06/10 21:09:0060.夢見る名無しさんエジストはゆっくりと宮殿の階段から降りて来る。エジスト 死人たちがやって来たぞ。(沈黙)ああ、あそこにやって来た、アリシー、お前が恥をかかせた夫だ。彼がそこへやって来た。 お前の傍に、お前に接吻している。ああ、しっかりとお前を抱きしめている。何とお前を愛していることか、何とお前を憎んでいることか! ああ、あの女がやって来たぞ、ニシアス、そこへやって来た、お前の母親だ、世話をしてやらなかったので死んだのだ。 それからお前だ、セジエスト、破廉恥な高利貸め、皆あそこにやって来たぞ、あの不運な債務者達が、悲遇の裡に死んだ人達、 お前が破滅させたんで首を吊って死んだ人達だ。皆、ほら、そこへやって来てるぞ、そして今日こそはお前の債務者になるんだ。 それから、お前たち、親御達よ、優しい心の両親たちよ、目を少し下に向けて、もっと下の方、地面の方をご覧。 あすこにやって来たぞ、死んだ子供たちが、みんな小さな手をお前たちの方に差し伸べている。 そしてお前たちが与えてやらなかったあらゆる悦び、お前たちが与えたあらゆる苦しみが、 彼らの恨めしそうな、悲嘆にくれた小さな魂の上に鉛のように重くのしかかっている。群衆 ああ、お願いです! 憐れんでください!2025/06/10 21:11:5161.夢見る名無しさんエジスト ふん、成程! 憐れんでだと! お前たちは死人たちには憐みの心なんかもうこれっぽっちもないってことを知らないのか! 彼らの嘆きは永久に消えはしないのさ、なぜって彼らの勘定はもう永久に締切られてしまってるんだからね。 エシアス、お前は自分でこれから善行を施せば、お前が母親に対して為したあの不孝な悪徳を消すことが出来ると思っているのか? 一体どんな善行がそこまで及ぶと思ってるんだ。死んだ者の魂とは焼けつくような南国だ、風一つそよがず、何も動くものはない、 何も変わるものはない、何も生きてるものはない、むき出しの太陽、じっと動かない太陽がその魂を永遠にじりじりと焼き尽くしているのだ。 死者などはもはやいないのさ。---わかるな、この無慈悲な言葉の意味が---彼らはもはやいないのさ、 だから彼らはこうしてお前たちの罪の厳しい看守になって執拗にお前たちを苦しめるのだ。群衆 お願いです! 憐れんでください!エジスト 憐れんでだと! ああ! 哀れな喜劇役者ども、お前たちには今日は観客がいるのだ。 お前たちの顔やお前たちの手の上に、じっと注がれた絶望的な何百万という眼差しがのしかかっているのが分かるか? 皆我々を見ている、我々を見ている、我々は死者達の集いの前で裸なのだ。 はっ! はっ! さあ、お前たちは今では債務を負った窮屈な身の上だ。 あの目に見えない純潔な視線がお前たちを焼き焦がす、思い出よりももっと永久不変な視線だ。群衆 憐れんでください!男達 お許しください、あなた達が死者であるのに私達はこうして生きています。2025/06/10 21:15:0362.夢見る名無しさん女達 憐れんで下さい! あたし達はあなた方の顔、あなた方のものだった色々なものに取り巻かれています。 あたし達は何時までも何時までもあなた方の喪に服します。暁方から夜中まで、夜中から暁方まで泣き続けます。 でも何をしても無駄なのです、あなた方の思い出はほぐれ、指の間から滑り落ちていきます。毎日その思い出が少しずつ色褪せるたびに、 あたし達は少しずつ罪深くなっていきます。ああ、あなた方は離れる、あたし達から離れていく、 あなた方はあたし達から溢血のように流れ出していく。でももしあなた方の激しい魂を鎮めることが出来るというんでしたら、申し上げます、 ああ、愛しい死んだ人達、あなた方の為にあたしたちは一生を棒に振ったんです。男達 お許しください、あなた達が死者であるのに私たちはこうして生きています。子供達 お願いです! 僕達は何も別に生まれたかったわけじゃありません、僕達は皆大きくなるのが恥ずかしいんです、 何で僕たちにあなたを害することなど出来たでしょう? 見て下さい、僕達は辛うじて生きています、僕たちは痩せ衰えて、青白く、 ちっぽけな子供達です。僕達は大きな音を立てたりしません、周りの空気さえ動かさないように、滑るように歩きます。 そして僕達はあなた方が怖いのです。ああ、とっても怖いのです!男達 お許しください、あなた達が死者であるのに、私達はこうして生きています。2025/06/10 21:17:1563.夢見る名無しさんエジスト 静かに! 静かに! お前たちがそんなに嘆き悲しんでは、儂は、お前達の王は何と言ったらいいのだ? 私の苦しみが始まったんだぞ。 大地が揺らぎ、空が掻き曇って来た。死者の中でも最も偉大なる者が現れて来るのだ。わしがこの手で殺した男、アガメムノンだ。オレスト (剣を抜いて)悪党め! お前の猿芝居に父の名前を使うことは許さないぞ!ジュピテル (男に抱き着いて抑える)---止めなさい、若い方、止めなさい!エジスト (振り向いて)誰だ? (エレクトル、白い衣装を着て、寺院の階段に現れる。エジスト、それを認めて)エレクトル!群衆 エレクトル!2025/06/10 21:18:3664.夢見る名無しさん 第三場同上---エレクトル。エジスト エレクトル、その衣装はどういうわけだ?エレクトル 一番奇麗な衣装を着たんです。今日はお祭りの日ではないこと?大祭司 死者を馬鹿にしに来なさったのか? 今日は死者達のお祭りだ。よくご存じの筈ではないか、あんたは喪服を着て現れなければいけなかったんじゃ。エレクトル 喪服、なぜ喪服でなければいけないの? あたしは自分の死者達なんてちっとも怖くないし、あなた達の死者にだって何の用もないわ!エジスト それは確かにそうだ。お前の死者達は儂らの死者達ではない。皆の者、これを見ろ、淫売婦の衣装を着て、これはアトレウスの孫娘だ、 あの自分の生い立ちを卑怯にも殺してしまったアトレウスのな。お前は呪われた家系の最後の子孫でなくて何だろう? わしはお前を可哀想に思って、儂の宮殿の中では黙ってお前のするがままにさせておいた、 だが今日こそそれが間違いだったということが分かったのだ、というのはお前の血管を流れているのは相も変らぬあのアトレウス一家の古い腐った血なのだし、 これは何とか決まりをつけねばお前は我々皆にまで害毒を及ぼさぬとも限らぬからな。しばらく待っておれ、牝犬め、 儂がどんな罰を与えることが出来るか今に分かるぞ。お前は今に泣こうったって泣けないような目に遭うのだ。群衆 涜神者!エジスト 聞いたか、哀れな娘、お前があまり酷い事を言ったのでこの人民達が喚いているのだ。お前の事を何と呼んだか聴こえたか? 儂がいてあの激怒を抑えてやらなければ、お前はたちどころに八つ裂きにされてしまう所だぞ。群衆 涜神者!エレクトル 陽気にしている事が涜神者なの? 何故陽気になれないのかしら、この人達? 誰がそうさせないの?エジスト 微笑っている、死んだあの娘の父親が、顔に血を凝らせて現れているというのに……2025/06/10 21:21:2765.夢見る名無しさんエレクトル 何だってアガメムノンの事など仰るの? あの人が夜になるとあたしの耳元に話をしに来るかどうかってこと御存知? どんな愛と悲しみの言葉をあの人がしわがれ声であたしに囁くか、御存知なの? あたしは笑っているわ。本当よ。 あたしがこんな風に笑うのは生まれて初めてだわ、あたしは幸福よ。あたしの幸福がお父様の心を悦ばせないとでも思ってらっしゃるの? ああ! もしあの方が本当にここにいらして、自分の娘が、あなたが卑しい奴隷の身分にまで引き下げてしまった自分の娘が白い衣装を着ているのを見たら、 そしてその娘が堂々としていて、不幸な境遇に少しもその自尊心を傷つけられていないということが分かったら、あの人は、そりゃあきっと、 夢にもあたしを呪ってやろうなんてお考えにならないはずだわ。死刑にされたあの惨たらしいお顔の中に輝いている両の眼、 血だらけのあの唇が一生懸命笑おうとなさっている。若い女 あの人の言うのが本当かもしれないよ?声々 本当なもんか、嘘をついて言るんだ。気が狂っているんだ。エレクトル、さっさと行ってくれ、さもないとお前の不敬が俺たちにも禍するからな。2025/06/10 21:24:5366.夢見る名無しさんエレクトル 一体あんた達は何を恐れているの? あんた達の周りを見たって、あんた達の影だけしか見えやしないじゃないの。 だけど一寸あたしの話をお聞き、これはあたしが今聞いてきたばかりで、あんた達はきっとご存知ないと思うから言うわ。 希臘にね、幸福な街が幾つかあるのよ。蜥蜴のように暖かい太陽の下で白く光ってじーっとしている街なの。 今時分だってそこでは、この同じ空の下でよ、子供たちが楽しそうにコリントの広場で遊び戯れているの。 そしてその母親達だって子供達をこの世に産んでしまったことをこれっぽっちも後悔なんかしていないの。 母親達はにこにこ笑いながら子供たちを見守っている、子供達が自慢で仕様がないの。ああ、それに反してアルゴスの母親達はどう? 分かって? 本当にあんた達には一人の女が自分の子供を眺めて、《ああ、この子があたしのお腹を痛めた子なのかしら》 なんて考えている、その得意な気持ちが分かるかしら?エジスト いい加減にして、黙らんか? さもないと無理にも黙らしてしまうぞ。声々 (群衆の中より)そうだ、そうだ! 黙るがいい。沢山だ、もう沢山だ!他の声々 いいや、喋らせろ! 喋らせろ! あの娘にはアガメムノンがのりうつっているんだ。2025/06/10 21:26:5067.夢見る名無しさんエレクトル いいお天気だわ。あちこちで、平野の中で、人々が頭を上げて言っている。《いいお天気だ》って。彼らはみんな満足なんだわ。 ああ、それなのに、あんた達は自分で自分を責め苛んで、あんた達は農夫が自分の土地の上を歩き回って、 《いい天気だな》っていうあの慎ましやかな満足の気持ちを忘れたの? 今のあんた達はどう? 腕をだらんと垂れて、頭を低くうなだれて、 苦しそうな息遣い。あんた達は死者に纏いつかれて、彼らを押しのめしてはいけないと思って肩身の狭い思いでじーっと動かないでいる。 さぞ恐ろしい事でしょうね? もしあんた達の手が、あんたのお父さんの魂かお祖父さんの魂か知らないけれど、 ちょっとでも湿っぽい蒸気の中を付図かすめ通ったりしたら。---あたしをご覧。あたしは両手を差し伸べるわ、 あたしは思い切って拡げるわ、目を覚ました許りの男の人のように伸びをするわ、 あたしは太陽に照らされて自分の場所を思いのままに占領している。空があたしの頭の上におっこちて来るとでも言うの? あたしは踊るわ、ご覧、踊って見せるわ。あたしは髪の毛に風がそよぐ他には何も感じやしない。死人たちなんて一体どこにいるの? あたしと一緒に、拍子を合わせて、踊っているとでも思うの?大祭司 アルゴスの人民諸君。この女は讀神者だ。この女に禍あれ、またお前たちの中でこの女の言葉に耳を貸すものにも禍あれ。2025/06/10 21:29:2768.夢見る名無しさんエレクトル ああ、あたしの懐かしい死んだ人達、お姉さんのイフィジェニイ、お父さんのそしてあたしの唯一人の王様のアガメムノン、 あたしのお祈りを聞いて頂戴。もしもあたしが讀神者で、あなたの痛々しい霊魂を傷つけているというんだったら、 何か合図をして頂戴、さあ早く、あたしにそれが分かるように早く何か合図をして頂戴。 だけど、もしあたしの言う事が正しいと思ったら、その時はいいこと、黙ってて頂戴ね。木の葉一枚も動かしては厭よ、 草の一片だって動かしては厭、私の神聖な踊りの邪魔になるような物音一つ立てないで頂戴。 何故ってあたしは悦びの為に踊るんですもの。人々の平和のために踊るんですもの、あたしは幸福の為に、生命の為に踊るんですもの。 ああ。あたしの死んだ人達、あたしはあなた方に沈黙を要求するわ。それはこのあたしを取り巻いている人達にあなた方の心が あたしと共にあるってことを知ってもらいたいためなの。彼女は踊る。声 (群衆の中から)ああ、あの娘は踊っている! 見ろ、炎のように軽やかに、あの娘は太陽の下で踊っている、 まるではたはたと翻る旗のようだ---それなのに死人たちは皆黙っているじゃないか!若い女 ほら、あの恍惚とした様子をご覧。---まあ、あれが不敬な女とはとても見えないわ。さあ、どうなの? エジスト、エジスト! あんたは何も言わないのね? どうして返事をしないの?2025/06/10 21:31:5869.夢見る名無しさんエジスト ええ、こんな厚かましい獣どもと諍いなどしていられるか? 皆殺しにしてしまえ! 彼奴を大目に見てやっていたのが間違いだった。 だが、今からでも取り返しのつかぬものでもない。心配するな、儂は彼奴を地面に叩きつけて、あいつ諸共、血筋を絶滅してやる。群衆 脅かしたって返事にはならんぞ、エジスト! 俺たちにそれだけしか言う事はないのか?若い女 ああ、あの娘は踊っている。笑っている、あの娘は幸福なんだよ、死人達だってあの娘を守ってやってるようだ。 ああ! なんて羨ましいエレクトル! ほら、ご覧、あたしも、あたしも両手を広げるよ、太陽に向かって思い切り胸を突き出すよ!声 (群衆の中から)死人達は黙っている。エジスト、お前は俺たちに嘘を吐いたんだな!オレスト ああ、かわいいエレクトル!ジュピテル よし、儂があのお転婆女を黙らせてやる。(彼は腕を差し伸べ)ボジドン、カリブウ、カリボン、ララバイ。洞窟の入り口を塞いでいた大きな石ががらがらっと音を立てて神殿の階段の方へ転がる。エレクトルは踊りを止める。群衆 ああ、恐ろしい!長い沈黙。2025/06/10 21:33:5670.夢見る名無しさん大祭司 ああ、臆病な軽率極まる人民達、死者達の復讐だぞ! 見よ、蝿どもが群れをなして、我々の上にたかって来た! お前たちが讀神の女の言葉に耳を傾けたから、我々に呪いが降りかかって来たのだ!群衆 私達は何もしません、私達の罪ではございません。あいつがやって来て、毒のある言葉で私達をそそのかしたんです! 川へ行け、魔女め、川へ行け! 火炙台へ行くがいい!一人の老女 (若い女を指して)それから、あそこにいる、あの女だ。あの女はあいつのお説教をまるで蜂蜜かなんぞのように吸い取ったのさ、 あの女の服をはぎ取れ、真っ裸にして、骨の髄まで鞭打ってやれ。人々は若い女をひっ捕らえる。男たちは階段を上って、エレクトルの方へ突進する。エジスト (また威儀を正して)静かにせんか、犬ども。皆自分の席について、きちんとして俺。処罰は儂がする。 (沈黙)どうだ? 儂の言う事をきかぬ奴はどんな目に遭うかはっきり分かっただろう? まだお前たちの元首を疑う気か? 皆自分の家へ帰れ、死者達がお前たちの後から跟いて行く、彼らは一日中、一晩中お前たちのお客になるのだ。 お前たちの食卓に、暖炉に、寝床に彼らの場所を準備してやれ、そうして一生懸命模範的な行いをしてこういう無様な醜態を忘れて貰うように努めるがいい。 儂は、お前達の疑いでひどく傷つけられはしたが、まあお前たちを許してやろう。併し、お前はだな、エレクトル……エレクトル 何だって言うの? あたしは見事失敗したわ。この次の時にはもっと巧くやってみせるわ。2025/06/10 21:36:0071.夢見る名無しさんエジスト そんなことはもう二度とさせるものか。都市の法律では今日のような祭日に罰を下すことを禁じている。お前はそれを知っていたので、 その法律を悪用したんだ。だがお前にはもう都市の一員たるの資格を無くしてやる。お前は追放だ。 お前は荷物もなく、裸足で、その破廉恥な白い衣装を身体に纏ったまま出発するのだ。分かったな、 もし明日の暁方、お前がまだこの城の壁の内にいたら、儂は誰でもお前を見つけ次第、 海鮮にかかった羊の様にお前をぶち殺すように命令するぞ。彼は衛兵たちを従えて、退場する。群衆は彼女に拳を握り示しながら、エレクトルの前を列を作って通る。ジュピテル (オレストに)さあ、如何ですな? 少しは敬神の心が起こりましたかな? 私のとんでもない間違い。 でなければ、これはまあ一つの教訓話とでも申しましょうか、悪い奴らが罰せられ、良い連中が報いを受けた。 (エレクトルを指して)あの女は……オレスト あの女は僕の妹だ、お爺さん! 行ってくれ給え、僕はあの娘と話したいのだ。ジュピテル (一寸彼を見つめ、それから肩を聳やかす)どうぞ御随意に。ジュピテル、退場、次いで教僕も退場する。2025/06/10 21:38:2672.夢見る名無しさん第四場エレクトルは神殿の階段の上---オレスト。オレスト エレクトル!エレクトル (顔を上げて、彼を見つめる)---あら! ここに来てたの、フィレエブ?オレスト お前はもうこの街にいてはいけない、エレクトル。危険だよ。エレクトル 危険? ああ、それはそうだわ! あんた、あたしが先刻見事に失敗したのを見てらしたのね。あれは幾らかはあんたのせいもあるのよ、 そうでしょ。だけどあたしは別にあんたを非難するわけじゃないわ。オレスト 一体僕が何をしたって言うんだ!エレクトル あたしを騙したわ。(彼女は階段を下りて彼の方にやって来る)さあ、あんたの顔をよく見せて。本当に、あんたの眼には惹きつけられるわ。オレスト ぐずぐずしていてはいけない、エレクトル。いいかい、僕達は一緒に逃げるんだ。誰かに頼めばきっと馬を世話してくれる、 僕はお前を後ろに乗せよう。エレクトル 厭よ。オレスト 僕と一緒に逃げるのが厭なのかい?エレクトル あたしは逃げるのが厭なの。オレスト 僕はお前をコリントに連れて行くんだ。2025/06/10 21:40:3573.夢見る名無しさんエレクトル (笑って)まあ! コリントですって……、いいこと、あんたはわざとそんなことをする人じゃないけど、あたしを騙してるんだわ。 あたしがコリントで何をするって言うの? あたしは理性的にならなければいけないわ。昨日までは、あたしは随分慎み深い欲望を持っていた。 あたしが食卓で目を伏せながらお給仕していた時、あたしは睫毛の間からそっと王様夫婦を見つめたの、 死んだような顔つきをしたあの美しい老婦人、王様の方は、デブで肥って青白く、意気地のない口元、 顔には片一方の耳からもう一方の耳までずーっとまるで蜘蛛がいっぱいたかったように生えている黒い髯、 その時あたしは、何時か一条の煙が、小さなまっすぐな一条の煙が、丁度寒い朝に吐く息みたいに、 あの人達の切り開かれたお腹から立ち昇るのを見たいものだ、とそんなことを夢想したわ。あたしが願ったことはそれだけ、 フィレエブ、本当にそれだけよ。あんたがどういうことを望んでるかあたしは知らないけれど、あたしはあんたを信じてはいけないんだわ。 あんたは慎み深い目をしていない。あたしがあんたと知り合う前はどんな事を考えていたかご存知? それはね、賢人という者は地上では何も望むことは出来ない、ただ世の中の人が彼を苦しめた悪に対していつの日か報いてやるだけだ、 という事なの。オレスト エレクトル、もしお前が僕について来たら、賢人でいながらも我々にはまだ沢山いろんな事を望むことが出来るって事が分かるだろうよ。2025/06/10 21:43:0274.夢見る名無しさんエレクトル もうあんたの話は聞きたくないわ。あんたはあたしを随分酷い目に遭わせたわ。 あんたは娘のような優しい顔に飢えたような目をしてやってきた、そしてあたしの憎しみを忘れさせてしまったわ。 あたしは両手を広げたので、たった一つの大事な宝物を足元に落としてしまった。 あたしはこの町の人達を言葉で治してあげることが出来ると信じたかった。だけど、どういう事になったかは先刻ご覧になった通りだわ。 あの人達は自分達の苦しみを愛しているの、あの人達は、いつも何か一つ身近な傷跡を汚い爪で引っ掻きながら後生大事に持っていることが必要なんだわ。 あの人達を治すなら暴力による外はないわ、なぜって一つの悪を滅ぼすなら一つの悪を以ってするより他はないんですもの。 さようなら、フィレエブ、言って頂戴、あたしは一人でいろんな悪い事を考えたいの。オレスト あの人達はお前を殺すよ。エレクトル この街に聖殿があるわ、アポロンの神殿なの。あそこには犯人がよく逃げ込むの。そして、あの中にじっと隠れている限りは、 誰も髪の毛一本触れることは出来ないの。あたしはあそこに隠れるわ。オレスト どうしてお前は僕の援助を拒絶するの?エレクトル あたしを助けるのはあんたの役目じゃないわ。他の或る人があたしを助け出しに来てくれる筈なの。(間) あたしの兄さんが生きているのよ、確かに生きているの。あたしはその人を待ってるんだわ。オレスト でももしその人が来なかったら?2025/06/10 21:45:4375.夢見る名無しさんエレクトル きっと来るわ。来ないなんて筈はないわ。あの人はあたし達と同じ血筋なの、分かるでしょ。 あの人はあたしと同じような罪と不幸の血をひいているの。その人は、あたしのお父さんと同じような大きな血走った眼をした、ある立派な兵士か何かで、 何時も心の中で怒っているような人なの。あの人は苦しんでいる、あの人は、丁度お腹を割かれた馬達がたれ下った腸の中に足をもつらせて困っているように、 自分の運命の中ですっかり混乱しているんだわ。 だから今、あの人は少しでも動こうとすれば、自分の内臓を毟り取らねばならないの。あの人はやって来るわ、この街があの人を呼び寄せる、 それは確かだわ、だってここでこそあの人は最も大きな禍を引き起こすことが出来るのですもの、自分でも一番苦しむことが出来るわけですもの。 あの人はやって来るわ。頭を垂れて、苦しそうに、虚勢を張って。何だか怖いようだわ。毎晩毎晩あたしは夢であの人を見るの、 そしていつもうなされて目を覚ます。だけどあたしはあの人が来るのを待っている。あの人を愛してるわ。 あたしはここにいて、あの人の怒りを導いてあげなければならないんだわ---だってあたしにだってそれくらいの判断力はあるわ--- あの人に罪人達を指で指していってやるの。《やっつけて、オレスト、やっつけて。あの人達がそうよ!》って。オレスト でももしその人がお前の考えているような人でなかったら?エレクトル どんな人だったらって言うの、アガメムノンとクリテムネストルの息子が?オレスト 例えば、幸福な街に育って、そういう流血沙汰にはすっかり嫌気のさしている男だったとしたら?2025/06/10 21:48:2076.夢見る名無しさんエレクトル そうしたらあたしは顔に唾を引っかけて、言ってやるわ。《行って頂戴、犬め、女達の所へ帰って頂戴、あんたはまるで女みたいだわ。 だけどあんたはとんだ勘定違いをしているわね。あんたはアトレウスの孫よ。アトレウス一家の運命から逃れられやしないわ。 あんたには罪を犯すよりも恥辱を受ける方がよかったのね。勝手にするがいいわ。だけど運命はきっとあんたの寝床の中にまであんたを呼びに来るわ。 あんたはまず恥じ入るわ、それからあんたは不本意ながら罪を犯すだろう!》って。オレスト エレクトル、僕がオレストなのだ。エレクトル (叫んで)嘘おつき!オレスト 父アガメムノンの霊魂に誓って言う。本当なのだ。僕はオレストだ。(沈黙)さあ、どうだい? 何故僕の顔に唾をひっかけようとしないの?エレクトル どうしてあたしにそんな事が出来て? (彼女はオレストをじっと見つめる) この美しい額があたしのお兄さんの額。この輝いている両の眼があたしのお兄さんの眼だわ……。 ああ! あんたがフィレエブのままでいて、本当の兄さんは死んでいてくれた方がずっとよかったわ。 (おそるおそる)あんたコリントにずっと住んでらしたって本当?オレスト いや、僕を育ててくれたのはアテネのブルジョワ達なんだ。エレクトル 何てあんたは若々しいんだろう。あんたは戦争をしたことはないの? 腰に差しているその剣、あんたはそれを一度も使ったことはないの?オレスト 一度も。2025/06/10 21:51:0277.夢見る名無しさんエレクトル あたし、あんたをまだ知らなかった時はもっと孤独を感じないでいられたわ。あたしには他に待っている人がいたから。 あたしはただその人の強さだけしか考えていなかった。自分の弱さなんてちっとも考えなかった。今ではあんたはここにいる。 オレスト、あんただったのね。こうしてあんたの顔を見つめていると、あたし達はたった二人っきりの孤児だってことがはっきり分かるわ。 (沈黙)だけど、あたしはあんたを愛している、分かるでしょ。あたしがあの人を愛したよりずっと。オレスト おいで、僕を愛してくれるなら。一緒に逃げよう。エレクトル 逃げる? あんたと一緒に? 厭だわ。アトレウス家の運命が演ぜられるのはここでなんだわ。 それにあたしだってアトレウスの血筋をひいた娘。あたしはあんたには何も頼まないわ。 フィレエブにはもう何も頼みたいとは思わないわ。でも、あたしはここに残るの。ジュピテルが舞台奥に現れて、二人の話を聞くために身を隠す。オレスト エレクトル。僕はオレストだ……お前の兄だ。僕だってアトレウス家の一員だし、お前だって僕と同じ身内の人間じゃないか。2025/06/10 21:52:5778.夢見る名無しさんエレクトル 違うわ。あんたはあたしの兄さんじゃないし、それにあんたなんか知らないわ。オレストは死んだの、 そしてその方があの人にとってもずっといいんだわ。これからはあたしはあの人の霊魂をお父さんやお姉さんの霊魂と一緒に敬うの。 だけどあんたは、アトレウスの名前を申し立てにやって来て、自分であたし達の身内だなんて、あんたは一体誰なの? あんたは殺人という恐ろしい暗い影に生きてきたの? あんたはきっと聞き分けのいい穏やかな物腰の落ち着いた子供だったに違いないわ。 育ててくれた養父の自慢の種で、体は綺麗に洗われ、目は信頼感に輝いていた。あんたは人々を信頼しきっていたのね、 なぜなら彼らは食卓ででも、寝床でも、階段の上ででもいつも仰々しく微笑みかけてくれたし、 その人達はその人の忠実な召使だったんですものね。それに毎日の生活だって、あんたはお金持ちだったろうし、 玩具だって沢山持ってらしたろうからね。時には世の中ってものもそう悪く出来たもんでもないとか、満足げに溜息をつきながら、 ちょうどいい塩梅のぬるま湯のお風呂につかるようになるがままに身を任せておくのもいいもんだなどと思ったりしたに違いないわ。 ところがあたしは、六つの時、もう召使の身の上だった。そしてあらゆることを疑ったもんだわ。 (間)美しい魂なんて、真っ平。あたしには美しい魂なんて用はないの、あたしの欲しかったのは共犯者だわ。オレスト 僕がお前を一人ぼっちにするとでも思ってるの? お前は最後の希望まで失ってしまっているというのに、 一体ここで何をしようって言うの?エレクトル あんたの知ったことじゃないわ。さようなら、フィレエブ。2025/06/10 21:56:1479.夢見る名無しさんオレスト 僕を追い出す気なんだね? (彼は数歩行って、立ち止まる)お前が待っていたというその怒った騎士に、この僕が似ていなかったとしても、 それが僕のせいなのかい? そりゃお前はその人に逢ったら早速腕を捕まえて、《やっつけて!》って言ったことだろう。 僕にはお前は何も言わなかった。実の妹までが、試してみることさえしないで追い返してしまうなんて、ああ、僕は一体何者なんだ?エレクトル ああ! フィレエブ、あたしは憎しみの影もないあんたの心にそんな思い負担をかけるなんて、とても出来やしないわ。オレスト (萎れて)全くそうだ。憎しみもない。愛だってありはしない。お前をだって僕はきっと愛することが出来たろう。 きっと出来たろう……だが、それがどうだって言うんだ? 愛するためには、憎むためには、我と我が身を捧げなければならない。 裕福な金持ちに生まれ、幸福の中にしっかりと根を下ろして育てられた男が、或る日のこと恋に、憎しみに一身を捧げ切って、 自分と一緒に土地も、家も、思い出も全てを与えてしまうとしたら、彼は立派な男だ。それに引き換え僕は何者だろう。 与えるものなど何があろう? 僕は辛うじて生きている。今日街を彷徨っているどの亡霊だって、この僕程に亡霊らしくはない。 僕は、蒸気のように躊躇い、散らばっていく亡霊の愛を知った。だが生きている人間たちの張りつめた情熱を僕は知らない。 (間)恥かしい! 僕は生まれ故郷の町へ帰って来た、それなのに妹はこの兄を認めてくれようとしない。 これから、僕はどこへ行ったらいいんだろう? どこの町へ姿を現したらいいんだろう?エレクトル 誰か美しい顔をした娘さんが待っているような街はないの?2025/06/10 21:58:5880.夢見る名無しさんオレスト 誰一人僕を待っている者なんかいないさ。僕は街から街を歩き回る、向こうにとっても僕自身にとってもお互いは赤の他人さ、 そしてどの街も皆出て行ってしまえば何事もなかったように門を閉ざしてしまう。僕がアルゴスの町を出て行ってしまったら、 お前の心の悲しい幻滅の他にどんな足跡が残るだろう?エレクトル あんたは幸福な街々の事を話してくれたじゃないの……オレスト 僕はとても幸福を望んでいる。僕はアルゴスの人達の中に僕の思い出を、僕の土地を、僕の地位を求めたいのだ。 (沈黙)エレクトル、僕はここから出てはいかないよ。エレクトル フィレエブ、行って頂戴。お願いだわ。あたしはあんたが可哀想なの。あたしが可愛いんだったら行って頂戴。 ここにいたら悪い事しか起こらないわ。あんたの無邪気さがあたしのせっかくの計画を駄目にしてしまうわ。オレスト 僕は行かないよ。エレクトル じゃ、あたしが、あんたのそのやりきれない潔白さの中で、 あんたにあたしの行動の威嚇的な無言の審判をさせるままにしておくとでも思っているの? 何故あんたはそう頑固なの? ここでは誰もあんたなんか欲していないわ。2025/06/10 22:01:5981.夢見る名無しさんオレスト 僕にとってはこれが唯一の機会なんだ。エレクトル、お前は僕にそれまで拒絶することは出来やしないさ。 分かっておくれ、僕は何処かに籍のある人間になりたいんだ、人々の間にある一人の人間としてさ。 そうだ、例えば一人の奴隷としてだっていい、重い荷物を背負い、疲れ果てて不機嫌そうに顔をしかめ、足を引き摺って、 自分の足許を見つめながら、ただ何とかして転ばないようにと、ひたすら自分の足許を見つめながら歩いている時だって、 彼は兎も角も自分の町の中にいるんだ、木の葉が茂みの中にちゃんとついている様に、気が森の中にある様に、 アルゴスが彼の周りにあるんだ、全く重苦しく、全く暑苦しく、全くそれらしくありのままの姿で、彼の周りにあるんだ。 僕はその奴隷になりたいんだ、エレクトル、僕は自分の周りに街全体を引き寄せて、夜具かなんかに包まるようにそれに体を押しつけたいんだよ。 僕は出て行かないとも。エレクトル たとえあたし達の街に百年とどまったって、あんたは何時までもただの見知らぬ他人、街道を旅している時よりももっと孤独なだけだわ。 町の人達は半ば閉じた目蓋の間からあんたをじっと見つめることだろう。そしてあんたが近くを通り過ぎる時、彼らは声を潜めて囁くんだわ。オレスト お前たちの役に立つのはそんなに難しいことなのかな? 僕の腕はこの街を防御することだってできる、 それに街の貧民たちを救済する金だって持っている。エレクトル この街は、隊長さん達にだって、慈善を施す信心家達にだって不自由はしてないわ。オレスト そうか、じゃあ……彼はうなだれて、数歩行く。ジュピテルが現れて、手を擦りながら彼を見つめる。2025/06/10 22:05:2982.夢見る名無しさんオレスト (頭を上げて)それにしてもせめて前からこのことがはっきり分かっていたらなあ! ああ、ゼウス、ゼウス、大空の王よ、 僕は滅多にお前の方に目を向けたことはなかった、そしてお前も僕にはちっとも恩恵を与えてくれなかった。 だが僕がこれまでにただ「善」だけしか望まなかったという事をお前だけは知っているはずだ。 今僕は疲れ果てて、もう僕には「善」と「悪」の区別がつかない。僕おは誰かに僕の行くべき道を示してもらわなければならないのだ。 ゼウスよ、生まれ故郷を追放された王の一人息子は、本当に、聖人らしく諦めてその追放に甘んじ、 野良犬のように頭をうなだれてその場所を去らなければならないというのか? それがお前の意思なのか? 僕にはそれは信じられない。 ああ、だが……。だがお前は血を流すことは禁じている…。ああ! 血を流すなんて言ってるのは誰だ、 僕はもう自分で何を言っているのか分からない……。ゼウスよ。お願いだ。もし諦めと憐れむべき卑下がお前の僕に課する掟だというのなら、 お前の意思を何かの啓示で示してくれ、僕には何もかもはっきり分からなくなってしまったんだ。ジュピテル (独白)さてそれではどうしてやるかな。よし、こうしてやろう! アブラクサス、アブラクサス、ツェ、ツェ!光が石の周りにぼーっと燃え立つ。エレクトル (笑い出して)はっ! はっ! 今日はまるで雨の様に奇跡が降るじゃないの! 御覧、信心深いフィレエブ、 神々に願をかけるとこういうご利益があるのよ! (エレクトルは狂気じみた笑いにとらわれる)善良なお若い人……。信心深いフィレエブ。 《啓示を見せて下さい、ゼウス、啓示を見せて!》すると、どう、あんな光が神聖な石の周りに燃え立ち始めたわ。 行って頂戴! コリントへ! コリントへ! 行って!2025/06/10 22:08:1583.夢見る名無しさんオレスト (石を見つめながら)そうか……。それが「善」なのか? (間。彼は相変わらずじっと石を見つめている)大人しくすること。静かにすること。 いつも<ご免なさい>と<有難う>を言う事……つまり、それが「善」なんだな? (間。彼は相変わらずじっと石を見つめている) 「善」。彼らの「善」さ……。(間)エレクトル!エレクトル 早く行って、早く行って。オリンポスの山の上からあんたに心を傾けているあの賢い乳母を裏切っては駄目よ。 (彼女は、驚いて、止める)どうかしたのあんた?オレスト (声が変わっている)もう一つの道があるんだ。エレクトル (恐怖して)意地悪しないで、フィレエブ、あんたは神々の指図を求めた。さあ、どうなの! あんたにはそれが分かったのね。オレスト 指図? ああ、そうか、つまりお前は、あの大きな石ころの周りの、あの光の事を言ってるんだな? あの光は、あれは僕の為のもんじゃない。 それにもう今は誰だろうと僕に指図をすることは出来ないんだ。エレクトル あんたはまるで謎みたいなことを言うのね。オレスト ああ、なんてお前は、急に、僕から遠ざかってしまったんだ……何もかもすっかり変わってしまった! 先刻までは僕の周りには何か生き生きとした熱っぽいものがあった。それが、何かこう今しがた死んでしまったようだ。 今ではなんて全てが空虚なんだろう……ああ! 何という無限の空虚さだ、見渡す限り……(彼は数歩歩く)夜がやって来た…… お前、寒いとは思わないかい? ……だが一体何だろうこれは? この今しがた死んだばかりのものは一体なんだろう?エレクトル フィレエブ……2025/06/10 22:11:1184.夢見る名無しさんオレスト もう一つの道があるんだよ……僕の道が。お前にはそれが見えないの? それはここから始まってずっと街の方へ下って行ってる。 下りなきゃならない、分かるかいお前たちの所まで下りて行かなきゃならない、お前たちは穴倉の奥にいるんだ、ずっと奥に…… (彼はエレクトルの方へ進み出る)お前は僕の妹だ、エレクトル、そしてこの街は僕の街だ。僕の妹!彼はエレクトルの腕をつかむ。エレクトル 放して頂戴! 痛いじゃないの、怖いじゃないの---あたしはあんたの身内なんかじゃないわ。オレスト 知っている。まだなんだ。僕も身は余りにも軽すぎる。 僕は、アルゴスの底まで僕をまっすぐに沈めてくれる重い罪悪の砂嚢の錘をつけなければならない。エレクトル あんたは一体何をしようって言うの?オレスト お待ち。先ず僕のものだったこの汚れない軽快感に別れを告げさせてくれ。僕の青春に告別の言葉を言わせてくれ。 ああ、あの楽しい夜……コリントやアテネの、喜びの歌声や香りに満ちた幾夜、あれはもう永久に僕のものではなくなるんだ…… さあ、さよなら! 永久にさよなら! (彼はエレクトルの方にやって来る)ほら、エレクトル、僕達の街をご覧。あれが僕達の街だ。 太陽の下に赤々と照り輝き、夏の日の午後の頑固な物憂さの中で、人間どもや蝿どもがざわめいている。 あの街の壁という壁、屋根という屋根、閉ざされた戸という戸が僕を追い払おうとする。だがしかし、あの街は僕のものになるんだ。 僕は今朝からそういう気がしていた。それから、お前もさ、エレクトル、お前も僕のものになるんだ。僕はお前達を自分のものにしてやる。 僕は斧になって、この頑固な城壁を真っ二つに割り、この偏狭な迷信者の家々を切開してやるんだ、 きっとその大きく開いた傷口から食物と香の匂いをぷんぷん発散することだろう。 僕は鉞になって丁度鉞が樫の幹の芯の中に打ち込まれるようにこの街の只中に突っ込んでいってやるんだ。2025/06/10 22:14:0885.夢見る名無しさんエレクトル 何てあんたは変わったんだろう。あんたの眼はもう輝いていない。どんよりとして陰鬱だわ。 ああ! あんたはあんなに優しかったのに、フィレエブ。 今のあんたの話し方はもう一人のあの人が夢の中であたしに話したのと同じようだわ。オレスト いいかい。あの薄暗い部屋の中で愛する死人達に囲まれて震えて言う人たち、 例えばこの僕が自ら進んで「後悔の盗人」という名前を受け入れて、僕の心の内に彼らの悔恨の全て、夫を騙した妻の悔恨も、 自分の母親を死なせた商人の悔恨も、債権者達を死ぬまで搾取して苦しめ抜いた高利貸しの悔恨も皆一手に引き受けて取り入れてやるとしたら? ねえ、いつの日か、僕がそうしてアルゴスの町の蝿の数よりも多い後悔に、街中のありとあらゆる後悔に付き纏われるようになったとしたら、 その時には僕は君達の間で市民権を獲得していないだろうか? その時は、僕は丁度赤い前掛けをした肉屋の主人が 今皮をはいだばかりの牛肉の間で、自分の店に納まって寛いでいるように、お前たちの血生臭い城壁に囲まれて自分の家にいるような 寛いだ気持ちになってはいないだろうか?エレクトル あんたはあたし達に代わって、償いをしたいと仰るの?オレスト 償い? 僕はお前たちの後悔を自分の中に取り入れてやろうとは言ったが、あの騒々しい野禽どもをどうするかという事は言わなかった。 多分僕はあいつらの首を絞めてしまうだろう。エレクトル だけど一体どうしてあたし達の不幸を引き受けることなんか出来て?オレスト お前たちは唯それを払いのけさえすればいいんだ。王と王妃だけがお前たちの心に無理にそれを押し付けているのさ。エレクトル 王と王妃……フィレエブ!2025/06/10 22:17:3286.夢見る名無しさんオレスト 僕が彼らの血を流すことを望まなかったという事は神々だけがご存知だ。(長い間)エレクトル あんたは若すぎるわ、弱すぎるわ……オレスト 今度は、尻込みするのかい? 僕を宮殿の中に隠してくれ、今夜僕を王の寝室まで連れて行ってくれ、 そうすれば僕が弱すぎるかどうか分かるだろう。エレクトル オレスト!オレスト エレクトル! お前は初めてオレストと呼んでくれたね。エレクトル そうよ。今度こそ本当にあんただわ。あんたはオレストだわ。あたしにははっきりあんたとは分からない、 だってまさかこんな風に会うなんて夢にも思ってなかったんですもの。だけど、この口の中の苦い味、この熱っぽい味、 あたしは夢の中でこれと同じ味を何度感じたか知れない、それを今はっきりと思い出したわ。じゃあ本当に来てくれたのね、オレスト、 そしてあんたの決心ももうついている、そしてあたしも何度も夢に見たように、これから取り返しのつかない行動を始める所なんだわ! あたしは怖いわ---夢の中のように。ああ、待ちに待った、あんなにも恐れていた機会! これからは、瞬間瞬間が機械仕掛けの歯車のようにかみ合っていくのよ、そうしてあたし達は、 彼ら二人がまるでつぶれた桑の実のような顔をして仰向けに打倒されるまで、一刻もぐずぐずしてはいけないんだわ。 ああ、その一杯の血! そしてそれを流すのはあんたなのね、あんなに優しい目をしていたあんたが、ああ、 あたしはもう二度とあの優しい眼差しは見られないのね、もう二度とフィレエブには会えないわけなのね。 オレスト、あんたはあたしの兄さん、そしてあたし達の家族の長よ、あたしをあんたの腕の中に抱いて頂戴、あたしを守って頂戴、 何故ってあたし達はこれからとても大変な苦しみを招きに行こうとしているんですもの。オレストはエレクトルを腕に抱く、ジュピテルは隠れていた場所から出て、抜足差足で行ってしまう。―幕―2025/06/10 22:20:0687.夢見る名無しさん第二景宮殿の内部。王の居室。恐ろしい血に染まったジュピテルの像。太陽が沈む頃。第一場エレクトル、まず登場して、入って来る様にとオレストに合図する。オレスト 誰か来た! (彼は手に剣をとる)エレクトル 巡察をしている兵隊よ。あたしの後についてらっしゃい。この辺りに隠れましょう。彼らは玉座の背後に身を隠す。2025/06/10 22:22:1888.夢見る名無しさん 第二場同上(隠れている)---兵士二人。第一の兵士 今日はまた蝿どもめ、どうしたっていうんだろう。まるで気違い沙汰だ。第二の兵士 こいつらは死人の臭いを嗅ぎつけたんで、それで大喜びなのさ。全く、口を開けると蝿の奴らが飛び込んで来て、 咽喉の奥で大騒ぎをしやがるんじゃねえかと思うと、うっかり欠伸も出来ねえよ。 (エレクトル、一寸顔を出し、また隠れる)あれっ、なんか変な音がしたようだぜ。第一の兵士 そりゃあ、アガメムノンが来て玉座についたのさ。第二の兵士 で、その大きな尻が椅子の板木を軋ませたってわけか? そんなことはねえよ、兄弟、死人には重さってもなあねえもの。第一の兵士 重さのねえのは並みの人間だけよ。だけど、あの方あ、王家の死人になりなさる前から大した立派な体格だった。 そうさな、一年ならしにして、百二十五キロ位はあったろう。あれだけの目方で何ポンドかでも残ってねえなんて、とても考えられねえこった。第二の兵士 じゃあ……本当にここに来てなさるというのかね?第一の兵士 他に何処にいなさるって言うんだい? もしもあっしが死んだ王様だったら、そしてお前、毎年二十四時間だけ外出を許されるとしたら、 そりゃお前、なんてったって自分のいた玉座に戻って来てさ、一日中其処に座って、誰に害を加えるってこともなしに、 昔の楽しい思い出なんかを頭に浮かべて過ごすさ。第二の兵士 そりゃお前、生きてるからそう言うのさ。だけどお前、死んじまってたとしたら、お前だって他の奴と同じように悪いこともするさ。 (第一の兵士が彼の横面をぴしゃりと殴る)痛てえっ! 何てことしやがるんだ!第一の兵士 お前の為にやったことよ。見ろ、一遍に七匹やっつけた。固まってる所をな。第二の兵士 死人をか?第一の兵士 いや、蝿さ。畜生、手が血だらけだ。(彼は半ズボンに擦って拭く)癪に障る蝿どもよ。2025/06/10 22:25:0889.夢見る名無しさん第二の兵士 死んで生まれりゃよかったのによ。ここにいる死んだ人達を見ろよ、皆一言も口を利かねえ、 他人の邪魔にならないようにやってるじゃねえか。蝿どもだって死んじまえば、同じことだろうよ。第一の兵士 黙れよっ、そんなこと言って、お前、その上死んだ蝿の幽霊までがここら辺にいるとしたら、それこそお前……第二の兵士 いないわけはねえじゃねえか?第一の兵士 お前は本当に分かってるのか? こいつはお前、日に何万って死んでるわけなんだぜ、この虫どもは。 例えば、去年の夏から勘定してこの死んだ奴らを皆街から放したとしたら、 一匹の生きた奴につき三百六十五匹ぐらいの割の死んだ蝿がいて、そいつらが俺たちの周りをぶんぶん飛び回ってるわけだぜ。 ペッ! 空気はお前、蝿どもでたっぷり甘くなってるわけだ、俺たちは蝿を食い、蝿を吸ってるわけだ、 奴らはねっとり流れるように俺たちの気管支や臓腑の中に下りてくるわけだ……なあお前、それだからだよ、 きっと、この部屋へ入ると何とも言えない妙な臭いがしてくるなあ。第二の兵士 馬鹿言え! ここみたいな百尺四方ぐらいの部屋じゃあ、何人か死んだ人間がいるだけで結構臭うわ。話によると俺たちの死人は臭い息を吐くって事じゃないかい。第一の兵士 ほら、聴いてみな! 身内の者同士で食い合ってるんだ、あの辺の奴らよ……第二の兵士 だから何かいるって言ってるじゃねえかよ。床板がぎいぎいなるさ。彼らは右手の方から逆座の背後を見に行く。オレストとエレクトル、左手から飛び出し、玉座の階段の前を通り過ぎて、兵士たちが左手に出て来る時には右手の方にまた隠れ場所を見つけて身を隠す。2025/06/10 22:28:2090.夢見る名無しさん第一の兵士 見ろ、誰もいないじゃねえかよっ。だから俺がアガメムノンだと言ってるんだ。アガメムノン様だよ! この座布団の上に座ってらっしゃるに違いない。真っ直ぐにIの字みたいによ---そんで俺たちを見てらっしゃるんだ。 あの方は、御在世の頃から唯俺たちをじっと見つめてらっしゃるだけだった。第二の兵士 姿勢を正しくした方がよさそうだな、蝿の野郎どもが鼻を擽りやがるんで困ったもんさ。第一の兵士 俺は、仲間のもんと一緒に、愉快にやりながら、衛兵隊にいる方がよっぽど好きだね。 あそこなら、やってくる死人達も皆仲間だし、皆俺たちと同じような唯の兵隊どもばかりだ。 だが、ここじゃ、あそこに死んだ王様がいらしてよ、俺の上衣のボタンが足りねえなんて勘定してらっしゃると思うと、 どうも変な気持ちにならあ、まるで閲兵式に将軍が俺たちの前を通る時みたいだ。エジスト、クリテムネストル、燈火を持った召使達、登場。エジスト もう退ってよろしい。2025/06/10 22:29:5591.夢見る名無しさん 第三場エジスト---クリテムネストル---オレストとエレクトル(隠れている)クリテムネストル どうなすったの?エジスト あなたも見ただろう? ああやって儂が嚇かしてやらなかったら、彼らは忽ち後悔の気持ちを追いやってしまう所だった。クリテムネストル あなたのご心配なさるのは、その事なんでしょう? けれどあなたは何時だってお好きな時に彼らの勇気を挫いてしまうことがお出来になるじゃありませんか?エジスト それはまあそうだ。わしは唯ああした芝居をするのが酷く上手いというだけさ。 (間)エレクトルを罰しなければならなかったことを儂は遺憾に思っている。クリテムネストル あの娘が私のお腹を痛めた子だからですの? あなたがそうなさる方がよいと思われたんですもの、 私だってあなたのなさることはみんな正しいと思いますわ。エジスト 后、儂がその事を遺憾に思ってるのはお前の為にではない。クリテムネストル まあ、何故ですの? 貴方はエレクトルを愛してはいらっしゃらなかったの?エジスト 儂は疲れている。わしが全国民の後悔の全てを引き受けて、此の腕の先に支え上げてからもう十五年になる。 儂がこうして案山子のように衣装を著てからもう十五年になるのだ。この点い衣服のお陰で遂に儂の魂まで色褪せてしまった。2025/06/13 11:57:1792.夢見る名無しさんクリテムネストル だけど、あなた、私だって……エジスト 分かってる、后、分かってるよ、お前は自分の後悔の気持ちを儂に話そうというんだろう。 まあ、いい、儂にはそれが羨ましいのさ、そういう後悔の気持ちはお前の一生の飾りになる。 儂は、それを持っとらんのだ。だがアルゴスの街には儂程悲しい人間は唯一人いない筈だ。クリテムネストル ああ、あなた……(彼女は王に近寄る)エジスト 放っておいてくれ、娼婦め! 恥かしいとは思わぬのか、あの眼が見ているというのに……クリテムネストル あの眼って? 誰が一体あたし達を見てますの?エジスト 何だって? 王さ。今朝、死者達を放したではないか。クリテムネストル あなた、どうかそんなこと仰らないで……死者達は地下にいて、そんなに早くからあたし達の邪魔はしませんわ。 あなたはお忘れになったの、人民達をだますためにこんな作り話をお考えになったのはあなたご自身じゃありませんか?エジスト それはそうだ。后。それで? いいか、儂は大変疲れているんだよ? 一人にしてくれ、儂は考え事をしたいのだ。クリテムネストル、退場。2025/06/13 11:58:3193.夢見る名無しさん 第四場エジスト---オレストとエレクトル(隠れている)エジスト この儂が、ああ、ジュピテル、この儂がアルゴスの為にお前の要求した王だというのか? 儂は行ったり、来たり、また大声で叫ぶことも出来る。儂は至る所に恐ろしい勿体ぶった姿を引っ張りまわす、 そして儂の姿を見る者は骨の髄まで罪悪を感じるのだ。だが儂は空ろな一箇の殻に過ぎない。 一匹の獣が儂の知らないうちに儂の中身を食ってしまったのだ。今儂はじっと儂自信を眺めてみる、 儂はアガメムノンよりももっと哀れな死者なのだ。儂は悲しいと言ったかな? それは嘘だ。 儂は悲しくもない、陽気でもない、砂漠だ、澄み切った大空の虚無の下の無数の真砂の虚無だ。それは不吉だ。 ああ! 儂に唯の一滴の涙を流させてくれるなら儂は自分の王国をやってもいいと思う!ジュピテル、登場する。2025/06/13 12:00:4694.夢見る名無しさん 第五場同上---ジュピテル。ジュピテル 嘆くがいい。お前はあらゆる王と同じような一人の王なのだ。エジスト お前は誰だ? ここへ何しに来た?ジュピテル 儂をご存知ないかな?エジスト 出て行け、さもないと衛兵を呼んでぶちのめすぞ。ジュピテル 儂をご存知ないって? しかしお前は儂に逢ったことがあるがね。あれは夢の中だった。儂がもっと恐ろしい格好をしていたことは確かだ。(雷鳴、雷光、ジュピテルは恐ろしい形相をしてみせる)こんな風だったかな?エジスト ジュピテル!ジュピテル その通りだ。(彼は再び笑い顔になり、像の方へ近寄っていく)これが儂ってわけか、え? こんな風にアルゴスの住民たちは皆、お祈りをする時に儂の顔を見るわけなんだな? 全く、神にとっては面と向かって自分の姿をつくづく眺めるなんてことはめったにない。(間)何て醜い顔をしているんだ! こんな風じゃ皆儂の事をあまり好いていないに違いないな。エジスト 皆あなたを恐れております。ジュピテル 結構! 儂は好いて貰いたいなどとは思ってもいないさ。お前は儂が好きかね?エジスト あなたは私にどうしろと仰るんです? 私は充分に償いませんでしたか?ジュピテル 充分なものか!エジスト 私は生命をすり減らして務めています。2025/06/13 12:03:3695.夢見る名無しさんジュピテル 大袈裟に言うな! お前は充分元気で、肥っているじゃないか! まあしかし、儂はそんなことでお前を非難するわけじゃない。誠に王に相応しい、?燭用の獣脂のように黄色い、脂肪太りだ、申し分ないね。その身体じゃまだあと二十年は生きるね。エジスト まだ二十年も?ジュピテル 死んだ方がいいと言うのか?エジスト ええ。ジュピテル もし誰かが抜身の剣を持ってここへ入って来たとしたら、お前はその剣に胸を突き出すだろうな。エジスト 分かりません。ジュピテル いいか、よく聴け。もしお前がその男のなすがままに殺されたら、お前は見せしめに罰を受けるのだ。お前は地獄へ行って永久に王になるのさ。儂はこの事をお前に言いに来たわけだ。エジスト 誰か私を殺そうと狙っているのですか?ジュピテル その様だな。エジスト エレクトルでしょう?ジュピテル それからもう一人も。エジスト 誰です?ジュピテル オレスト。エジスト ああ! (間)これもそうなる運命なんだ、私にどうすることが出来よう?ジュピテル 「どうすることが出来よう」だと? (調子を変えて)すぐに命令を出すんだ、フィレエブと自称している若い見慣れぬ男を見つけ次第捕縛すること。そいつを捕らえてエレクトルと一緒にどこかの地下の暗牢へ投げ込んでしまうこと。---そうすればお前は二人の事は忘れてしまっていいのさ。さあ! 何をぐずぐずしているんだ。衛兵を呼べ。エジスト 嫌です。2025/06/13 12:06:4196.夢見る名無しさんジュピテル どういうわけで嫌なのかその理由を一つ聞かせてもらいたいもんだな。エジスト 私は疲れているんです。ジュピテル 何故自分の足許ばかり見つめているんだ? お前の充血した大きな両の眼を儂の方に向けてみろ。よしよし! お前はまるで馬のように高尚で畜生だ。ただし、お前の抵抗が儂の気持ちを苛々させると思ったら大間違いだぞ。 そんな抵抗はいわば唐辛子みたいなもので、やがてお前が服従すれば、その服従をなお一層美味にしてくれるのさ。 何故って、お前が終いには屈服するってことは儂にはちゃんと分ってるんだから。エジスト 私はあなたの思惑通りに動きたくない、と言ってるんです。もう私はつくづく厭になりました。ジュピテル 元気を出せ! 元気を出せ! 抵抗しろ! 抵抗しろ! ああ! 儂はお前の持っている様な魂が大好きなんだよ。 お前の眼は光を発している、お前は拳を握り締め、ジュピテルに面と向かって拒絶の言葉を投げる。 だがしかし、ねえお前さん、仔馬さん、強情な仔馬さん、もう大分前の事だがお前の心が儂に素直に「はい」と言ったこともあるんだ。 さあさあ、言う事をききなさい。儂が何の理由もなくわざわざオリンポスの山から降りて来ると思うのかい? 儂はこの犯罪は是非ともお前に知らせておきたかったんだ、何故ってこいつは事前に防いだ方がいいと思ったから。エジスト 私に知らせる! ……それは不思議ですね。ジュピテル ところがどうして、極めて不思議なことさ。儂はこの危険からお前を救ってやりたいのだ。エジスト 誰がそんなことをあなたに頼んだんです? それじゃアガメムノンにも、あなたは彼にも知らせたんですか? でもあの男は生きたいと願っていた。ジュピテル ああ、あの恩知らずめ、あいつは哀れな人間さ。儂にはアガメムノンよりもお前の方が余程可愛いのさ、 儂の口からそう言っているのにお前にはまだ不平があるのか。2025/06/13 12:09:2797.夢見る名無しさんエジスト アガメムノンよりも可愛い? 私がですか? あなたにとって可愛いのはオレストなんです。あなたは私が身を破滅させるのを黙って見て居られた、 私が斧を手にして真っ直ぐに王の浴槽の方へ駆け寄って行くのを平気で見て居られた---そしてあなたご自身は、 きっとあの山の上で、罪人の魂はなかなか美味いものだなどと考えながら、舌なめずりをしていらっしゃったのでしょう。 ただし今日はあなたは彼の本心に逆らってオレストを庇っていらっしゃるんだ--- そしてこの私に、あなたがあの子の父を殺すような羽目に追い込んだこの私に今度はその息子の腕を捕まえさせようとなさったんだ。 私は暗殺者になるにはまったくお誂え向きだったんです。ただしあの子には、失礼ながら、あの子にはきっと何か別の目論見が御座いますんでしょう。ジュピテル 何という奇妙な嫉妬だ。安心するがいい。儂はあの子をお前以上には愛していない。儂は誰も愛して居りはせんのだ。エジスト それでは、不公平な神様、あなたが私になさったことはどうなんです。ご返事をなさってください。 あなたが今日オレストの考えている犯罪を妨害なさるんでしたら、それじゃ一体なぜ私の犯罪は黙ってお許しになったんです?2025/06/13 12:13:3498.夢見る名無しさんジュピテル あらゆる罪が同じように儂の気に入らぬわけではないのさ。エジスト、我々はお互いに王同士だ、だから儂はお前に打ち明けて話をしよう。 先ず最初の罪、死すべき人間などを創ってそれを犯したのがこの儂さ。さてそれ以後、お前達、つまりお前達のような殺害者達にはどういうことが出来たか? 相手に死を与えることか? さあ、そこでだ。その被害者達だって皆何時かは死ぬ身だった。 言ってみればまあ精々お前達はその死の開花を一寸早めただけの話さ。ところでお前はもしあの時アガメムノンを殺さなかったら、 あの男にその後どういう事が起こったか知っているかな? あれから三か月後にあの男は美しい奴隷女の胸の上で卒中の為に死んでいたのさ。 だが、お前の犯した罪は儂には役に立ったよ。エジスト あなたの役に立ったって? 私は十五年間もあの罪の償いをしてきたというのに、あれが、あなたの役に立ったんですって? ああ、何という事だ!ジュピテル そうさ、それがどうしたというんだね? つまりお前がその罪の償いをしたから、儂の役に立ったというわけさ。 儂は償われる罪は好きなのだ。儂はお前の罪は好きだった。なぜならあれは、己を知らぬ、古めかしい、人間らしい企てというより寧ろ災難に近いような、 無分別なはっきりしない殺人だったからね。お前は一瞬間だってこの儂に挑みはしなかった。 お前は激しい憤怒と恐怖に我を忘れてしまった。そしてそれから、やがて熱が冷めると、自分のした行為を考えて慄然とし、 自分でその犯罪を認めようとしなかった。だが儂はあの犯罪でどんなに得をしたか分からんよ! たった一人の死者の為に二万有余の人間たちが懺悔の道に投じた、差引勘定すればまあこういったわけだ。儂は決して損はしなかったよ。エジスト そういうお話の意味は分かります。オレストは後悔なんかしないでしょう。2025/06/13 12:17:5899.夢見る名無しさんジュピテル これっぽっちもね。今時分は彼は極めて組織的に、冷静に、地味に計画を立てている最中だ。 悔恨のない殺人、横柄な殺人、殺害者の魂の中は蒸気のように軽やかな、静穏な殺人に対しては儂の手の下しようがない。 儂はそういう殺人は妨害するのさ! ああ! 儂は新しい世代の犯罪だけは苦手だ。 不愉快だし、まるで麦撫子のように実を結ばない。あの優しい青年はお前をまるで雛鳥のように殺してしまうだろう、 そして両手を血だらけして、良心にはこれっぽっちの呵責もなく行ってしまうことだろう。お前の代わりに、この儂の方が屈辱を受けるのだ。 さあ! 衛兵達を呼べ!エジスト 私は厭ですと申し上げた筈です。これから行われようとしている犯罪は余程あなたのお気に召さぬらしいので、私には愉快な位です。ジュピテル (調子を変えて)エジスト、お前は王だ、そして儂はお前の王としての良心に向かって呼びかけるのだ。お前は支配することが好きなのだからな。エジスト それで、どうしたというんです?ジュピテル お前は儂を憎んでいる。だが我々はお互いに親族なのだ。儂はお前に儂の姿をかたどった。王とは地上の神だ、神のように気高い、不吉な存在だ。エジスト 不吉な? あなたが?2025/06/13 12:20:15100.夢見る名無しさんジュピテル 儂をよく見ろ。(長い間)儂は儂の姿をお前にかたどった、と言ったな。儂らは二人とも、秩序を支配させているのだ、 お前はアルゴスにおいて、儂は、この全世界においてな。そして同じような秘密が我々の心の重荷になっているのだ。エジスト 私には秘密などありません。ジュピテル あるさ。儂と同じ秘密がね。神々と王達の痛ましい秘密さ。それは人間たちが自由だからだ。彼らは自由なのだ、エジスト。 お前はそれを知っている、だが彼らはそれを知らないのだ。エジスト そうですとも、もし彼らが自由であることを知ったら、たちどころに私の宮殿の四方に火をつけることでしょう。 私はこれで十五年間も彼らの力を隠蔽するための芝居を演じてきたのだ。ジュピテル 儂らがお互いに実によく似ているという事がこれで分かっただろう。エジスト 似ている? どういう神の皮肉か存じませんが、よくもまあ私に似ているなどと言えたものですね? 私がこの国を支配し始めて以来、私の全ての行動は、全ての言葉は私の像を作り上げることに向けられてきたのだ。 私は自分の臣下の一人一人が私の像を心の中に抱いていて、そして孤独の中でさえ、 私の厳しい眼差しが最も秘められた彼の心の奥底の思考にまで及んでいくのを感じてもらいたいのだ。 だが、私の最初の犠牲者は他ならぬこの私なのだ。私にはもう彼らが私を見る様にしか自分の姿が掴めなくなってしまった。 私は彼らの魂の大きく開かれた井戸穴の中を覗き込む、すると私の像がそこに見えるのだ、そのずーっと奥底に、 それは私の胸をむかつかせる、そして私の心を奪うのだ。ああ、全能なる神様、私は一体何者なのです、 私は唯人々が私に対して抱く恐怖に過ぎないではありませんか?2025/06/13 12:24:06101.夢見る名無しさんジュピテル それでは、この儂は一体何者だと思うんだね? (像を指差して)儂だってやはり自分の像を持っている。 あの像がこの儂に眩暈を与えないとでも思っているのか? 儂は十万年の間、人間どもの前で踊りを踊って来たのだ。 まだるっこい陰鬱な踊りだ。人間どもは儂をじっと凝視めていなければならない。彼らは儂の方にじっと眼を注いでいるものだから、 自分自身を凝視することを忘れているのだ。もし儂が唯の一瞬でも己を忘れたとしたら、もの儂が一寸でも彼らの眼差しを他に逸らせでもしたら……エジスト それで? どうなんです?ジュピテル 止めておこう。そんなことは他人の知ったことじゃない。 お前は疲れている、エジスト、だが何を嘆くことがあるのだ? お前はやがて死ぬのだ。儂は死なない。 この地上に人間どもが存在する限り、儂は彼らの前で踊り続けねばならぬ運命なのだ。エジスト ああ! 一体誰が私達の運命を決めたんです?ジュピテル 誰でもない、我々自身さ。何故って儂らは二人とも同じ情熱を持っているのだからな。お前は秩序を愛しているだろう、エジスト。エジスト 秩序。そうだ。私がクリテムネストルを誘惑したのも秩序の為だった。王を殺したのも秩序の為だった。 私は秩序が支配すること、それが私を通して支配することを願ったのだ。私は欲望もなく、愛もなく、希望もなく生きてきた。 私は秩序を作ったのだ。ああ! 恐ろしい、神聖な情熱!ジュピテル 我々は他にはどうすることも出来なかったわけさ。儂は神だ、そしてお前は王として生まれたのだ。エジスト ああ!ジュピテル エジスト、儂の被造者であり私の死すべき弟よ、我々二人がかしづいているこの秩序の名において、儂はお前に命令する。 オレストとその妹を捕縛しろ。エジスト あの二人はそんなに危険なんですか?2025/06/13 12:31:03102.夢見る名無しさんジュピテル オレストは自分が自由であることを知っている。エジスト (烈しい口調で)あの子は自分が自由であることを知っている。それじゃ、あれを牢屋に押し込めるだけでは十分じゃありません。 町の中に自由な男が一人いるのは、羊の群れの中に疥癬に罹った牝羊が一匹いるのと同じです。あの子は私の王国をすっかり感染させ、 私の仕事を滅茶苦茶にしてしまいます。全能なる神様、何であなたは一刻も早くあの子を殺してしまわないのですか?ジュピテル (ゆっくりと)殺してしまうって? (間。疲れて腰を曲げ)エジスト、神々にはもう一つの秘密があるのだよ……エジスト 何を仰るつもりなんです?ジュピテル 人間の魂の中で一度でも自由が爆発してしまったら、もう神々はその男に対して何をすることも出来ないのだ。 つまり、そうなればそれは人間たちの問題だし、ほかの人間たちに?-ただ彼らの裁量だけに?-任せるより他はないのさ、 つまりその男を逃してやる方がいいか、あるいは絞め殺してしまう方がいいかはね。エジスト (ジュピテルを凝視しながら)絞め殺してしまう? 宜しい。あなたの言う通りにいたしましょう。 ただし、もう何も言わないで下さい。そしてもうこれ以上此処にいないで下さい、私はもう我慢が出来ませんから。ジュピテル、退場する。2025/06/13 12:33:25103.夢見る名無しさん第六場エジスト、暫くの間、一人でいる。次いでエレクトルとオレスト。エレクトル (飛び出してドアの方へ行く)さあ、やっつけなさい! 叫び声を上げる暇を与えちゃ駄目よ。あたしはドアを抑えてるわ。エジスト じゃ、お前だったのか、オレスト?オレスト 防御しろ!エジスト 儂は防御はしない。人を呼ぶのには遅すぎるし、遅すぎて却って儂は幸せだ。だが儂は防御はしない。お前に殺してもらいたいのだ。オレスト よし。僕には殺し方なんてどうでもいいんだ。さあ、覚悟しろ。彼はエジストを剣で刺す。エジスト (よろめきながら)うまくやりおったな。(オレストに近付きながら)お前の顔を見せてくれ。本当にお前は後悔をしてないのか?オレスト 後悔? 何故だ? 僕は当然のことをしたまでだ。エジスト 当然のこと、それがジュピテルの望むところなのだ。お前はここに隠れていて、あの方の言う事を聞いたんだ。オレスト ジュピテルが僕に何の関係がある? 正義は人間たちの問題だ、そんな事は神様になんか教えて貰わなくても分かっている。汚らわしい無頼漢のお前を打倒し、アルゴスの人民達に対するお前の王権を失墜させるのは正義だ。人民達に彼らの尊厳を回復してやるのは正義だ。彼はエジストを突き返す。エジスト 痛い!エレクトル ああ、よろめいて、あの人の顔は真っ青だわ。恐ろしい! 何て醜いんだろう、死んで行く人って。2025/06/13 12:37:51104.夢見る名無しさんオレスト 黙ってろ。彼らが墓の中に唯僕達の歓喜していた思い出だけしかもって行かぬように。エジスト 二人とも悪魔め。オレスト まだお前は死にきれないって言うのか?彼はエジストを刺す。エジスト、倒れる。エジスト 蝿どもに気を付けろよ、オレスト、蝿どもに気を付けろ。何もかも終わったわけではないぞ。彼は死ぬ。オレスト (エジストを足で押して)こいつにとっては、兎も角も万事終わりさ。さあ、僕を王妃の部屋へ案内おし。エレクトル オレスト……オレスト 何だ、どうしたというんだ?……エレクトル あの人にはもうあたし達を虐めることは出来ないわ……オレスト それで? どうしようっていうんだ? お前の言う事はさっぱり訳が分からん。今しがたは、お前はそんな口の利き方をしなかったぜ。エレクトル オレスト……あたしにもあなたの言う事はさっぱり分からないわ。オレスト じゃ、いい。僕は一人で行く。彼は退場する。2025/06/13 12:39:31105.夢見る名無しさん第七場エレクトル、独り。エレクトル あの人は叫び声を上げるかしら? (暫くの間。彼女は耳を傾ける)オレストは今廊下を歩いているわ。 今にあの人があの四番目の戸を開ける時……ああ! 私はそれを望んだんだわ! 私はそれを望んでいる、 私はまだもっともっと望まなきゃいけないんだわ。(彼女はエジストの死体を見る)あの人は死んでいる。 じゃあ、あたしはそんな風になることを望んだのね。私はこんな風だとはちっとも知らなかったわ。 (彼女は死体に近付く)何度私は夢に見たかしら、此処にこんな風に体を横たえて、 胸を剣で突き刺されて、目を瞑って、まるで寝ているようだった。 どんなに私は憎んだことだろう、どんなに憎むことが嬉しかったか。2025/06/13 12:43:46106.夢見る名無しさん だけど、この人はちっとも寝ているようではないわ、それに目も瞑っていない、私をじっと見つめているわ。 この人は死んでいる---そして私の憎しみもこの人と一緒に死んでしまった。そして私は此処にいる。 私は待っている、もう一人はまだ自分の部屋の奥の方で生きているわ、 そして今にあの人は叫び声を上げるんだわ。まるで獣のように叫び声を上げるんだわ。 ああ! この人の眼差しはもう見るに耐えない。(彼女はひざまずいて、エジストの顔の上にコートをかける) 一体私は何をしようっていうんだろう? (沈黙。次いでクリテムネストルの叫び声)やっつけたんだわ。あたし達のお母さんだった、 それをオレストがやっつけたんだわ。(彼女は立ち上がる)さあ、これでいい。私達の仇は死んだわ。何年もの間、 私はやがて襲い掛かるこの死の事を考えて心を躍らせたものだった。それなのに、今は、私の心はまるで万力で締め付けられるようだ。 私はこの十五年間自分を偽ってきたのかしら? そんなことないわ! そんなことないわ! そんなことってありえないわ。私は卑怯者じゃないんだ。 ほんの今しがただって、私はそれを望んだ。今だってまだ望んでるわ。私は、この汚らわしい豚奴が私の足許に横たわるのが見たいと望んだ。 (彼女はコートをひったくる)そんな死んだ魚のような目つきをしたって私は平気よ。私は望んだんですもの、 その目つきを、見るのがたまらなく楽しいわ。(前よりもかすかなクリテムネストルの叫び声) 叫ぶがいいわ! 叫ぶがいいわ! 私はあの人の恐怖の叫び声が聞きたいの、苦痛の呻き声が聞きたいの。(叫び声、止む) 嬉しいわ! 嬉しいわ! 私は嬉しくって涙が出て来る。私の仇が死んで、お父さんの復讐が出来たんだわ。オレスト、血だらけの剣を手にして、帰ってくる。彼女はオレストの傍に駆け寄る。2025/06/13 12:48:31107.夢見る名無しさん第八場エレクトル。オレスト。エレクトル オレスト!彼女はオレストの腕に身を投げかける。オレスト 何をそんなに怖がっているんだ?エレクトル 怖がってなんかいないわ。私は酔っているの。嬉しさに酔っているの。あの人は何て言った? 長いこと許してくれって嘆願した?オレスト エレクトル、僕は自分のしたことはちっとも後悔しないだろう。だがその事だけは話さない方がいいと思うんだ。 誰もが同じ思い出を共にするものではない。あの人が死んだって事だけ知ってお置き。エレクトル 私達を呪っていた? ねえ、それだけでいいから言って頂戴。私達を呪っていた?オレスト うん。僕達を呪っていた。エレクトル ねえ、私を抱いて、お兄さん、そして力一杯私を抱きしめて頂戴。ああ、なんて真っ暗な夜なんでしょう、 こんな暗い夜にはあの松明の光が透けるのもやっとだわ! 私が好き?オレスト 夜じゃない。まだやっと日が暮れたばかりだ。僕達は自由なんだ、エレクトル。何だか僕は自分がお前を生まれ変わらせたような気がする。 そして、僕もたった今お前と一緒に生まれ変わったような気がする。僕はお前を愛している、そしてお前は僕のものなんだ。 昨日はまだ僕は一人ぼっちだった、そして今日はお前は僕のものなんだ。血が僕達を二重に結び合わしたんだ、 だって僕達は同じ血を受けているんだし、僕達は一緒に血を流したんだからね。2025/06/13 12:55:23108.夢見る名無しさんエレクトル その剣は棄てて。その手を握らせて。(彼女はオレストの手を取り、それに接吻する)あなたの指は短くて、頑丈だわ。 掴んだり握ったりするように出来ている。可愛い手! 私の手よりずっと白いわ。 私達のお父様の暗殺者を打ち倒すのにどんなにこの手は耐え難い思いをしたでしょうね! 待ってね。(彼女は燈火を取りに行く、そしてそれをオレストの方に近寄せて)あなたの顔を照らさなくてはならないわ、 だって段々夜が暗くなっていって、もうあなたの顔が見えないんですもの。私、あなたの顔を見ている必要があるの。 あなたの顔が見えなくなると、私はあなたが怖いのよ。あなたから目を離しちゃいけないんだわ。 私はあなたが好きよ。あなたが好きだってことをしょっちゅう考えてなきゃならないの。まあ、あなたは何て奇妙な顔つきをしているの!オレスト 僕は自由だ、エレクトル。自由が電撃のように僕に襲い掛かったんだ。エレクトル 自由? 私はちっとも自由だなんて感じられないわ。こういう事がみんな何もなかった時のようには出来ないの? 何か、もう私達には思いのままに追い払うことが出来ないものがやって来たんだわ。 私達が永久にお母さんを殺した暗殺者でないようにしてくれることは出来ないの?2025/06/13 12:57:33109.夢見る名無しさんオレスト 僕がそうしたいと望んでいると思うのか? 僕は僕の行為を行ったんだ、エレクトル、そしてその行為は正しかった。 僕は丁度渡し守が旅人たちを載せていくように、それを僕の肩の上に載せていく。僕はそれを向こう岸へ渡してやる、 そして初めて僕はその行為を吟味するんだ。それが重くなればなるほど、僕は喜ぶだろう、なぜなら、僕の自由とはそれなのだから。 昨日はまだ、僕はあてどもなくこの地上をさ迷い歩いていた、そして何千という道が僕の歩く足の下から消えて行った、 なぜならその道はみんな他人のものだったんだからね。その道はみんな借り物だったんだ、川の岸に沿った舟曳の道、騾馬曳の通る小径、 二輪馬車の馭車達が使う舗装道路、みんな借り物だったんだ。どれもこれも僕の道じゃなかった。ところが今日は、もう道は一つしかない、 それがどこへ通じる道か神様だけがご存知だ。併し、それは僕の道なんだ。どうしたんだい? どうしたんだい?エレクトル ああ、もうあんたの顔は見えないのかしら? この燈火はちっとも明るくないわ。あなたの声は聞こえる、 だけどあなたの声は痛いわ、まるで包丁のように私の身を切るの。これからは何時までもこんなに暗いの、昼でも? オレスト! ほら、来たわ!オレスト 誰が?エレクトル 来たわ! 何処からやって来るんでしょう? 黒い葡萄の房のように天井から垂れ下がってるんだわ、 壁を真っ黒にしてしまうのはこいつらなの。こいつらがあの燈火と私の眼の間に入り込んでくるの、 あなたの顔を隠して見えなくするのはこいつらの影なのよ。オレスト 蝿どもだ……2025/06/13 13:00:00110.夢見る名無しさんエレクトル お聴き! こいつらの羽の音をお聴き、まるで鍛冶屋のふいごが唸っているよう。私達を取り巻いてしまった、オレスト。 私達を見張っている。今に私達に襲い掛かって来るわ、そしてあの何千というべたべた足が私の身体に触るんだわ。 どこへ逃げるの、オレスト? ああ、どんどん増えて来るわ、どんどん増えて来るわ。ほら、まるで蜂みたいに大きな奴、 こいつらがびっしり密集して、竜巻かなんぞの様に何処へも彼処へも私達に随いて来るんだわ。おお! 恐ろしい! 私にはあの眼まで見えるわ、あいつらのあの何百万という眼が私達を凝視めている。オレスト 一体蝿どもが僕達に何の関係があるって言うんだ?エレクトル この蝿たちはエリニュエスなのよ。オレスト、後悔の女神達なのよ。声 (台の向うで)開けろ! 開けろ! 開けなければ、ドアを突き破れ。重々しいドアを突く音。オレスト クリテムネストルの叫び声を聞いて衛兵達がやって来たんだ。さあ、おいで! 僕をアポロンの神殿に連れて行ってくれ。 僕達はそこで、人々や蝿どもから避難して夜を明かすんだ。明日になったら僕は僕の人民達に話をしよう。---幕---2025/06/13 13:01:41111.夢見る名無しさん第三幕 第一景アポロンの神殿。薄明かり。舞台中央にアポロンの像。エレクトルとオレストはその像の足下で、腕で両足を抱えながら眠っている。エリニュエス達(蝿)は円陣を作って二人を取り巻いている。彼女達は渉禽類のように立ったまま眠っている。舞台奥には青銅の重たげな戸。第一のエリニュエス (のびをして)あああああああ! すっかり腹を立てて、まっすぐ立ったまま眠ってしまったよ、 それにまた何て苛立たしい色んな夢を見たこった。おお、美しい怒りの花よ、私の心の美しい赤い花。 (と、彼女はオレストとエレクトルの周りを回る)眠ってるわ。何て真っ白で、滑らかなこと! 今に砂利の上を急流が流れるように二人のお腹や胸をぐるぐる匍い廻ってやるよ。 この華車な肉を根気よく磨いてやる、擦ってやる、削り取ってやる、そして終いには骨の髄までしゃぶってやる。 (彼女は数歩行って)おお、清らかな憎しみの朝だよ! 何て素晴らしい目覚めだこと。二人とも眠っているね、湿っぽくなっている。 熱気を感じている。私は、目を覚ましてるよ。すがすがしく無慈悲に、私の魂は銅なのさ。---そして今私の気持ちはとても神聖さ。エレクトル (眠ったまま)ああ!2025/06/13 16:14:18112.夢見る名無しさん第一のエリニュエス あら、唸ったよ、この娘。もうちっとの我慢だよ、今に私達が噛み付いてあげるから、私達が愛撫すれば今に悲鳴を上げるから。 男が女の中に入るように私は今にお前の中に入っていくよ、だってお前は私の妻だもの、お前は私の愛の重さを感ずるよ。 お前は綺麗だね、エレクトル、私より綺麗だよ。だけど、今に御覧、私の接吻がお前を老けさせてしまうから。 六か月も経たないうちに、私はお前を老婆のように朽ちさせてしまうだろうよ、そして、私は、私は若いままで残るのさ。 (彼女は二人の上に屈み込んで)消えてなくなるものだけど、食べるにはもってこいのいい餌食だよ、とっくり眺めてやる、 二人の息を吸ってやる、ああ腹が立って息がつまりそうだ。おお、憎しみの朝の気配を感じるのは何という無上の楽しみだ、 血管に熱火がたぎり立って、爪を立てて噛むことを考えると嬉しくてぞくぞくして来る。憎しみが身内に溢れて来て、 息がつまりそうだ。私の両の乳房の中に乳のようにふき上げてくるよ。起きろ、姉妹たち、起きろ。もう朝がやって来たよ。第二のエリニュエス ?んでる夢を見ていたよ。第一のエリニュエス もう暫くの辛抱だよ。神様の一人が今日はこの二人を護ってやってるんだとさ、だが今にきっと咽喉が渇いてお腹が空いて、 二人はこの避難所から出ていくさ。そうすりゃあ、お前は思いのままにぼりぼり?めるさ。第三のエリニュエス あああああああ! 爪が立てたいね。2025/06/13 16:16:18113.夢見る名無しさん第一のエリニュエス もうちっとお待ち。もうすぐお前のその鉄の爪はこの罪人たちの肉の中に赤い沢山の小径を引いてやれるんだ。こっちへお寄り、姉妹達、この二人を見においでよ。エリニュエスの一人 二人とも何て若いんだろう!もう一人のエリニュエス 何て綺麗なんだろう!第一のエリニュエス たんとお楽しみ。罪人って奴は何時も何時も年取った醜いのばかりでね。 綺麗な奴をやっつけていく喜びは、全く滅多に味わえるもんじゃないよ。エリニュエス達 えいああ! えいああああ!第三のエリニュエス オレストってまだほんの子供だね。私は母親のような優しさでこいつを憎んでやるのさ。 この子の蒼白い顔を膝の上にのせてやって、私は髪の毛を撫でてやるんだ。第一のエリニュエス それから?第三のエリニュエス それから私はほら、この二本の指をぎゅっとこの子の眼の中に突っ込んでやるのさ。彼女たちは一斉に笑い出す。第一のエリニュエス 溜息をついてるよ、身動きをしているよ。それそろ眼を覚ます頃だ。さあ、姉妹達、 私の姉妹の蝿達、歌を歌って罪人達を眠りから覚ましてやろう。2025/06/13 16:18:33114.夢見る名無しさんエリニュエス達の合唱 ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。 蝿がお菓子にたかるみたいに、お前の腐った心の上に儂らは皆とまってやるぞ。 腐った心、血潮に染まった、とっても美味しい心にね。 さあ、蜂蜜みたいに吸い取るぞ、お前の心の膿血膿。 見てろ、わし達はそいつから美味しい蜜を緑の蜜を作ってやろう。 どういう愛が憎しみ程に、わし達の心を充たすのかい? ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。 儂たちは皆家々の、じっと動かぬ目になるぞ。道端で歯をむき吠える番犬の唸り声にもなってやる。 お前の頭上の空中でぶんぶん飛んで、騒いでやる。森のざわめく音にもなるぞ。 ひゅーひゅー、ぎしぎし、しゅーしゅー、うーうー、いろんな音になってやる。 わし達は夜になってやる、お前の心の闇夜にな。 ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。えいああ! えいああ! えいああああ! ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。 わし達は皆膿を吸う、膿を吸い取る蝿どもだ、何でも彼でもお前とは、一緒にするんだ、覚悟しな、 お前の口の中にまで食物探しに入り込む、お前のその眼の奥底に光を見つけに入り込む、 わし達はお前のお墓まで、一緒にお供をしてやるぞ。わし達は席を譲るのは、この世じゃ蛆虫どもだけさ。 ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、 彼女達は踊り廻る。エレクトル (目を覚まして)話をしてるの誰? お前達は誰なの?2025/06/13 16:22:33115.夢見る名無しさんエリニュエス達 ぶん、ぶん、ぶん。エレクトル ああ! お前達なのね。それじゃ? 私達は本当にあの人達を殺したの?オレスト (目を覚まして)エレクトル!エレクトル まあ、誰あんたは? ああ、オレストなのね。行って頂戴。オレスト 一体どうしたって言うんだい?エレクトル あんたは怖いわ。私、夢を見たの、私達のお母さんが仰向けに倒れていて、血だらけだったわ、 そしてその血が溝になってお城の戸口という戸口の下を流れていたわ。私の手に触ってごらん、とても冷たいわ。 厭、離して。私に触っちゃ厭。あの人は沢山血を出した?オレスト お黙り。エレクトル (すっかり目が覚めて)ねえ、こっちを向いて、あなたはあの人達を殺したの? あの人達を殺したのはあなたなの? あなたは此処にいる、目を覚ましたばかりなのね、あなたの顔には何も書いてないわ、だけどあなたはあの人達を殺したのね。オレスト それがどうしたと言うんだ? そうさ、僕は殺した! (間)お前もだ、お前も恐ろしい。 お前は昨日はあんなに綺麗だったのに、まるで獣か何かが爪でお前の顔を傷だらけにしちまった様だ。エレクトル 獣? あなたの罪がだわ。あなたの罪が私の頬を目蓋を引っ掻きむしったんだわ。何だか私の眼も歯もむき出しみたいな感じだわ。 まあ、この人達は? この人達は誰なの?オレスト 此奴等の事は考えるな。お前に対しては何をすることも出来やしないさ。第一のエリニュエス あの娘が私達の真中にやってくるといい、もしやってきたら、そうすりゃできるかできないかもわかるさ。2025/06/13 16:25:05116.夢見る名無しさんオレスト 黙れ、牝犬ども奴、小屋に引っ込んでろ! (エリニュエス達、ぶつぶつ唸る)昨日は、白い衣装を着けて、あの神殿の階段の上で踊っていた、 ああ、あれがお前だったなんて考えられようか?エレクトル 私は年取ったわ。たった一晩で。オレスト お前はまあ美しい、だが……一体こんな死んだような目つきをどこで見たことがあったろう? エレクトル……お前はあの人に似ている。お前はクリテムネストルに似ている。あの人を殺すのが苦痛だったのかい? 僕は自分の罪をそのお前の両の眼の中に見ると、恐ろしい。第一のエリニュエス そりゃあ、あの娘がお前を恐ろしがってるからさ。オレスト 本当かい? 本当にお前はこの僕が恐ろしいのかい?エレクトル 放っといて。第一のエリニュエス さあ、どうだい? それでもまだお前は疑ってるのかい? どうしてあの娘がお前を憎んでないなんて言えるかい? あの娘は夢を描きながら何事もなく平穏に暮らしていたのさ。そこへ、お前が殺戮と?神を持ってやって来た。 それでどうだ、今ではお前の罪を一緒に背負って、この台の上に釘付けにされている。これがあの娘に残された地上唯一の場所なのさ。オレスト あんな奴の言う事を聞いちゃいけない。第一のエリニュエス お退り! お退り! 追っ払っておしまい、エレクトル、そいつに体を触らせちゃ駄目だよ。 そいつは人殺しだ! 屠殺者だ! そいつには味気のない生血の匂いがついている! そいつはあの年取った女を惨たらしく殺したんだよ、いいかい、何度も襲いかかってね。エレクトル 嘘じゃないのね?第一のエリニュエス 嘘なもんかね、あたしはそこに居合わせたんだ、あたしは二人の周りをぶんぶん飛び回ってたんだ。エレクトル それで、この人は何度も突き刺したって言うの?2025/06/13 16:29:05117.夢見る名無しさん第一のエリニュエス 優に十回はね。そして、その度に、剣は疵の中で「ぎしっ」って言ってたよ。あの女は手でもって顔やお腹を庇っていた、 するとそいつがその手を切りつけたんだ。エレクトル あの人は随分苦しんだ? 一遍には死ななかったんでしょ?オレスト もうあいつ等を見るな、耳を抑えろ、あいつ等に物を聞いちゃ絶対にいけない、もしお前があいつ等に物を聞いたら、もうお終いだぞ。第一のエリニュエス あの人は恐ろしく苦しんだよ。エレクトル (両手で顔を掩って)ああ!オレスト あいつ等は僕達の間を裂こうとしてるんだ、あいつ等はお前の周りに孤独の壁を立てようとするんだ。 用心おし、お前が一人ぼっちになったら、たった一人ぼっちで何も頼るものがなくなったら、あいつ等はお前に襲い掛かって来るだろう。 エレクトル、僕達はこの殺人を一緒に決心したんだ、だから僕達はその結末も一緒に耐えていかなきゃならないんだ。エレクトル まあ、あなたはこの私がそう望んだとでもいうの?オレスト そうじゃないのか?エレクトル 違うんわ、そうじゃないわ……、いいえ、待って……そうだわ。あああ! 私はもう何だか分からない。私はこの罪を夢に描いていた。 だけど、あなたよ、あなたがその罪を犯したんだわ、実の母親の仕置き人だわ。エリニュエス達 (笑いながら叫ぶ)仕置人! 仕置人! 人殺し!オレスト エレクトル、この扉の向うには、世界がある。世界と朝だ。外では太陽が昇り、道を照らしている。 さあすぐに外へ出て、太陽に照り輝いている道を行こう、そうすればこの夜の娘たちはきっと力を無くしてぐったりしてしまうよ。 日の光が剣のようにこいつ等を突き刺してしまうだろう。エレクトル 太陽が……第一のエリニュエス お前はもう二度と太陽を見ないのさ、エレクトル。あたし達はあいつとお前の間に雲なす蝗の大群のように密集して、 お前にはどこへ行っても頭上に真っ暗な夜がつきまとうのさ。2025/06/13 16:34:12118.夢見る名無しさんエレクトル 止めて! 私を苦しめるのは止めて!オレスト お前が気弱だからあいつらは益々いい気になって苦しめるんだ。ごらん。あいつ等はこの僕には何一つ言おうとしないじゃないか。 いいかい。何と言っていいか呼びようもない恐怖がお前の上にのしかかって、僕達の間を裂こうとしてるんだ。 第一、お前は僕の経験しなかったようなどんな恐ろしい経験をしたと言うんだい? お母さんのあの呻き声、 お前はあの声が何時かは僕の耳に聞こえて来なくなるとでも思うのか? それからあの大きく見開いた眼が白墨のように色褪せた顔の中で--- 荒れ狂う二つの海のようだった---お前はあの眼が何時かは僕の眼にちらつかなくなるとでも思っているのか? そしてお前を引き裂くその苦しみ、お前はそれが何時かは僕の心を悩まさなくなると思っているのか? だが、そんな事はどうだっていいのさ。僕は自由だ。苦しみや思い出は向こう側にある。自由だ。そして僕は何の矛盾も感じない。 自分で自分を憎んではいけないんだ、エレクトル。手をお貸し。僕はお前を見捨てるものか。エレクトル 手を放して! このあたしを取り巻いている牝犬たちは恐ろしい、だけどあんたはもっと恐ろしいわ。第一のエリニュエス ほら御覧! ほら御覧! 可愛いお人形さん、あいつよりもあたし達の方がよっぽど怖くないだろ。 お前にはあたし達が必要なのさ、エレクトル、お前はあたし達の子供だよ。 お前にはその肉を引っ掻き回すあたし達の爪が必要なのさ、お前にはその胸を?るあたし達の歯が必要なのさ、 お前がその心に抱いている憎しみから遠ざかるために、あたし達の残酷な愛情が必要なのさ、 お前の魂の苦しみを忘れるためにお前の肉体で苦しむことが必要なのさ。おいで! おいで! 唯階段を二つだけ下りりゃいいのさ、あたし達はお前を腕の中に抱いてやるよ、 あたし達の接吻でお前の繊弱い肉体を引きちぎってやるよ、そうすりゃ何もかも忘れてしまう。苦しみの清い炎で何もかも忘れてしまう。エリニュエス達 おいで! おいで!2025/06/13 16:38:07119.夢見る名無しさん彼女達はエレクトルの魂を誘惑するかのようにゆっくりと踊り始める。エレクトルは立ち上がる。オレスト (彼女の腕を掴まえて)行っちゃいけない、お願いだ、行ったらもうお終いだぞ。エレクトル (烈しくその手を振り離して)ふん! あたしはあなたを憎むわ。彼女は段を下りる。エリニュエス達は一斉に彼女の上に襲い掛かる。エレクトル 助けてえ!ジュピテルが登場する。2025/06/13 16:39:24120.夢見る名無しさん 第二場同上---ジュピテル。ジュピテル 小屋へ帰れ!第一のエリニュエス ご主人様! (エリニュエス達は、地面に横たわっているエレクトルを残して、残念そうに遠ざかる)ジュピテル 可哀想に。(彼はエレクトルの方へ進む)到頭お前達はこんなみじめな姿になってしまったんだね。起きるがいい、エレクトル。 儂がここにいる限り、儂の牝犬どもはお前を酷い目に遭わすことはない。(彼はエレクトルを助け起こす)何という恐ろしい顔つきだ。 たった一晩で! たった一晩で! お前のあの質素な新鮮さは何処に失せてしまったのだ? たった一晩でお前の肝臓や肺臓や脾臓はすっかり衰えて、お前の肉体はもう惨めな悲惨の塊でしかなくなってしまった。 ああ! 生意気な、愚かしい若気の過ち、何という禍をお前達は招いてしまったのだ!オレスト そんな口の利き方は止めて下さい、お爺さん。神々の王らしくもない。ジュピテル 何だと、お前こそそんな横柄な口の利き方は止めろ。ちっとも自分の罪を償っている罪人らしくないではないか。オレスト 僕は罪人ではないさ、それにあんただって僕に、自分で罪だと認めてない事の償いをさせることは出来ませんよ。ジュピテル お前は多分間違っているよ、だがもう暫く待て。儂だってそう何時までもお前を誤らせてはおかないから。オレスト 好きなだけ僕を虐めるがいい。僕には後悔する事なんて何もないんだ。ジュピテル お前の犯した罪の為にお前の妹があのような哀れな状態になっている事も、お前は後悔してないのか?オレスト していないとも。ジュピテル エレクトル、聞いたか? これが、口ではお前を愛しているなどと言っている男の言葉なのだ。オレスト 僕は自分自身よりももっと妹の方を愛している。だが妹の苦しみは妹自身から起こった苦しみだ。 その苦しみから逃れることが出来るのは唯妹だけさ。あの娘は自由なんだ。2025/06/13 16:44:56121.夢見る名無しさんジュピテル ではお前は? お前もやはり自由なんだろうね?オレスト その通りだ。ジュピテル 身の程を知れ、厚かましい馬鹿者眼、全くお前という奴は、この飢えた雌犬どもに取り囲まれながら、万物を救う神様の足の間で偉そうに反り返って、 大きな顔をしている。それでお前が自由だなどと言い張るなら、 地下牢の奥に鎖で繋がれている囚人達や、磔にされた奴隷達の自由までも偉そうに吹聴せにゃなるまいさ。オレスト それがどうしていけない?ジュピテル 注意しろよ。お前はアポロンが護ってくれていると思って虚勢を張っているんだな、だが、アポロンは儂の忠実な召使なのだ。 儂が指一本上げれば、お前なぞはすぐ見捨てられてしまう。オレスト へえ? それなら指を、手を全部挙げたらいいんだ。ジュピテル そんな事をして何になる。儂は人を罰するのが厭になったと、お前に言わなかったかな? 儂はお前達を助けに来たのだ。エレクトル あたし達を助けに? からかうのは止めて下さい、復讐と死の主よ。たとえ神様にだって、 苦しんでいる者に偽りの希望を与えることは許されていない筈です。ジュピテル 十五分以内に、お前は外に出られるのだよ。エレクトル 安全無事に?ジュピテル はっきり約束する。エレクトル その代わりに私にどうしろと仰るの?ジュピテル 何もすることはないさ。エレクトル 何も? 本当にそう仰ったの、神様?2025/06/13 16:49:59122.夢見る名無しさんジュピテル と言うか、殆ど何も、さ。お前が極めて簡単に儂にくれることが出来るもの、つまり、それはほんの少しの悔恨だ。オレスト 注意おし、エレクトル。その「何も」という奴がお前の魂の上に山のように重く圧し掛かってくるのだ。ジュピテル (エレクトルに)あいつの言う事には耳を貸すな。それより儂に返事をなさい。どうしてお前はあの犯罪を否認しようとしないのかね。 あの罪を犯したのは別の人間だ。まあ謂わばお前など殆ど共犯者とも言えない位なのだ。オレスト エレクトル! お前は十五年間の憎悪と希望を否定しようと言うのか?ジュピテル 誰が否定しろなどと言ってる? この娘はあの神を畏れぬ行為を一度だって望んだことはないのだ。エレクトル ああ!ジュピテル さあ! 儂を信頼おし。儂は人間の心の中はちゃんと読み取っているだろう?エレクトル (疑い深く)それではあなたは私の心の中に私があの罪を望まなかった。とお読みになるんですね? 十五年間、私は殺人と復讐を夢に描いていたというのに?ジュピテル 馬鹿な! お前の心の慰めになっていたあの血生臭い夢は、あれは何かしら無邪気なものだったのさ。 あの夢のお陰でお前は自分の奴隷の身の上を考えないで済んだわけさ。あの夢がお前の傲慢の傷口に包帯をかけていたのだ。 しかしお前は一度だってあの夢を実現しようなどとは考えなかった。儂の言う事は間違っているかな?エレクトル ああ! 神様、お優しい神様、本当にあなたが間違ったりなさったらどうしましょう!2025/06/13 16:51:46123.夢見る名無しさんエレクトル ああ! 神様、お優しい神様、本当にあなたが間違ったりなさったらどうしましょう!ジュピテル お前はまだ本当に小さな娘なんだ、エレクトル。他の小娘達は皆、あらゆる女たちの中で一番金持ちで、一番美しい女になりたがっている。 ところがお前は、お前の血族の恐ろしい宿命に魂を奪われて、一番苦悩に充ちた、一番罪深い女になりたいと願ったのだ。 お前は決して悪を望まなかった。お前はただお前自身の不幸をしか望まなかった。お前の年頃では、皆まだ子供で、お人形遊びや石蹴りをして遊んでいる。 それなのにお前は、可哀想に、玩具もなく、遊び友達もなく、お前は人殺しの遊びをしていたのだ、 こいつはたった一人でも遊べる遊びだからね。エレクトル ああ! ああ! お話を伺っていると、自分の心の中がはっきり分かってきます。オレスト エレクトル! エレクトル! 今こそお前は罪人だぞ。お前が心の中で望んだことを、お前以外の者で誰が知ることが出来るというのだ。 お前は、他の者がそれを決めるままにさせておくつもりか? もう弁解の余地のない過去を何故歪曲しようとするのだ。 以前のあの怒りに燃えたエレクトルを、僕があんなに好きだった若い憎悪の女神を何故否定するのだ? それに何だってお前には、この残酷な神がお前をだましていることが分からないんだ?ジュピテル 儂がお前達を騙しているって? それより儂の申出を聞くがいい。もしもお前達がお前達の犯罪を拒否するなら、儂はお前たち二人をアルゴスの王位に即けてやろう。オレスト 僕達の犠牲者の代わりにか?ジュピテル そうする必要があるのだ。オレスト すると僕はあの死んだ王のまだ生暖かい衣装を身に着けるわけか?ジュピテル それでもいいし、また他のだってかまわない。そんな事はどうだっていいことさ。オレスト そう。唯それが黒い服でありさえすれば、だな?ジュピテル お前は今喪中じゃなかったかな?オレスト そうだ、母の喪中だ、僕はそれを忘れていた。ところで、僕の臣下達だが、彼等にもやはり黒い喪服を着せねばならないのか?2025/06/13 16:55:38124.夢見る名無しさんジュピテル 彼等はもうちゃんとそうしている。オレスト ああそうだった。彼等には古い衣服を着古すだけの余裕を与えてやろう。それから、いいかい? お前分かったね。エレクトル? お前は幾滴か涙を流しさえすれば、クリテムネストルのスカートと肌着がもらえるんだ。お前がその綺麗な手で十五年間洗ってきた、 あの臭い、汚れた肌着類だ。あの人の役目もお前がしなければならない、お前は唯あの役目を繰り返しさえすればいいんだよ。 人々は完全に錯覚を起こすだろう。誰も彼もお前のお母さんがまた現れたと思うだろう、お前はお母さんに似始めたからね。 僕は、僕はもっと気難しい方だ。僕は、自分の殺した奴の半ズボンなんて穿きはしない。ジュピテル お前の態度は実に傲然としている。お前は防御もしなかった一人の男と助けを請うた一人の老女を殺した男だ。 だが、もしお前の事を知らない人間がお前の話すのを聞いたら、一人で三十人を相手に戦って、故郷の街を救ったと言っても、 きっと信じてしまうことだろう。オレスト 多分、実際に、僕は故郷の街を救ったのだ。ジュピテル お前が? お前はこの扉の向こう側に誰がいるか知っているのか。アルゴスの人民達だ---アルゴスの全市民たちだ。 彼らは自分達の救い主に感謝の気持ちを示そうと、手に手に石ころや、熊手や丸太棒を持って待ち構えているのだ。 お前は癩病患者のように孤独なのさ。オレスト そうさ。ジュピテル さあ、何もそんなことまで威張ることはあるまい。彼らはお前を軽蔑と恐怖の孤独地獄の中に投げ込んだんだぞ、 ああ、暗殺者の中でも最も卑劣な奴め。オレスト 暗殺者の中で最も卑劣な奴、それは後悔をする奴だ。2025/06/13 16:58:53125.夢見る名無しさんジュピテル オレスト! 儂はお前を作った、儂は万物を作ったのだ(神殿の壁が開く。星々がきらきらと輝く天空が現れて、 それが廻転する。ジュピテルは部隊の奥に。彼の声は大きくなる。---マイクロフォンを用う--- ただし、彼の姿は観客には殆ど気づかれぬ)見よ、あの遊星達は整然たる秩序を保ちながら廻転し、而も決して衝突することはない。 正義に従って、あの運航を定めたのは、この儂だ。聞け、宇宙の階調を、あの天空の四隅に響き渡る聖籠の大いなる鉱物の歌を。 (楽劇が聴こえて来る)この儂に依って様々な種族が永続する。儂は人間が常に人間を生み、犬の子は常に犬であることを命令したのだ、 この儂に依って潮汐の柔らかな舌は砂浜を舐めに来る、そして定められた時刻にまた引いていくのだ、 儂は植物を成長させ、儂の吐く息は花粉のような黄色い雲の層を地球の周りにたなびかせる。ここはお前の住むべき所ではないぞ、 闖入者奴。この世界におけるお前の存在は、肉に刺さった棘、領主の森の密猟者の様なものだ。この世界は善きものだからな。 儂は儂の意思に従ってこの世界を想像した、そして儂こそは正に「善」なのだ。併しお前は、お前は悪を犯した、 万物が化石した声でお前を非難している。「善」は至る所にあるのだ、蒴?の髄、泉のさわやかさ、珪石の粒子、石の重さ、 全て「善」だ、お前はそれを火や光の本質の中にまで見出すだろう、お前の肉体そのものさえお前に背く、 何故なら肉体は儂の定めた規定に従うのだからな。「善」はお前の裡にあり、お前の外にある。それは鎌のようにお前の肉体を貫き、2025/06/13 17:04:27126.夢見る名無しさん それは山のようにお前を押し潰し、それは海のようにお前を運び、転がす。お前の悪い企てを成功させたのはその「善」だ、 何故ならそれはあの蝋燭のきらめきであったし、お前の剣の硬さ、お前の腕の力であったんだからな。 そして、お前がそんなにも自慢している、お前がその作者であると自称している「悪」とは、存在の反映、逃口上、 その存在さえ「善」に依って支えられているまやかしの影以外の何ものであろう。オレスト、お前自身に還るがいい。 宇宙がお前の誤謬を指摘している。そしてお前はこの宇宙の中の一匹の蛆虫に過ぎぬのだ。自然の中に還れ、叛逆の子よ。 お前の誤謬を知れ、それを憎め、臭い齲歯のようにそれを抜き取ってしまえ。さなくば、海はお前の前で引き退き、 泉はお前の行く手で枯れ渇き、石や岩石はお前の道の外に転がり、そして大地がお前の足の下で砕け散りはしまいかと恐れよ。オレスト 砕け散ってしまえばいい! 岩石が僕に罪を宣告し、植物が僕の行手で枯れ萎んでしまえばいいのだ。 お前の全宇宙を以てしても僕の誤謬を指摘することは出来るものか。お前は神々の王だ、ジュピテル、石や星たちの王、大海の浪の王だ。 だが、お前は人間達の王ではないのさ。2025/06/13 17:08:33127.夢見る名無しさん 壁が再び接近して来る。ジュピテルは、疲れて腰を曲げ、再び現れる。彼は普通の声で話し始める。ジュピテル 儂がお前の王ではないと、生意気な幼虫め。じゃ一体誰がお前達を作ったのだ?オレスト お前さ。だが、僕を自由な人間に作ったのが間違いだったんだ。ジュピテル 儂は、儂に奉仕させる為にお前に自由を与えたのだよ。オレスト それはそうかもしれない、だがその自由がお前に反抗するのだ、そして僕達はどちらもそれに対してどうすることも出来ないのさ。ジュピテル おや! 到頭謝ったかね。オレスト 僕は謝りはしない。ジュピテル 本当かね? どうだ、お前がそれの奴隷だと思っているその自由という奴は、なんだか随分謝罪に似ている様じゃないか?オレスト 僕はその主人でもなければ奴隷でもないさ、ジュピテル。僕は僕の自由なのだ。 お前が僕を創造するや否や、僕はお前のものではなくなったのだ。エレクトル ねえ後生だから、オレスト、お父様の名にかけて、あの罪に冒?を付け加えるような事はしないでちょうだい。ジュピテル この娘の言う事をよく聴け。お前の理屈でエレクトルを引っ張っていけると思ったら大間違いだ。 そういう話はあの娘の耳にはかなり新奇に、またかなり不愉快に聴こえるらしいな。2025/06/13 17:10:41128.夢見る名無しさんオレスト 僕の耳にだってそうさ、ジュピテル。またその言葉を吐く僕の咽喉にも、またその通り路でその言葉を細工する僕の舌にも、 それは新規で不愉快だ。僕は自分で自分を理解するのが大変なんだ。昨日はまだお前は僕の眼を覆っていた覆いだった、 耳の中に詰められていた蝋の栓だった。昨日だったら僕は言い訳を言ったろう。僕が世に生きている事の言い訳はお前だったのだ、 何故ってお前の計画に奉仕させようと僕をこの世に生み出したのはお前だったんだからね、 そして世の中とは絶えずお前について僕にお喋りをする年取った世話好きの女だったのさ。それから、お前は僕を見捨てたんだ。ジュピテル お前を見棄てた? この儂がか?オレスト 昨日は、僕はエレクトルの傍にいた。お前の自然の全てが僕の周りにひしひしと感じられた。 そうだ、お前の「善」の歌を、あの人魚の歌い手が、歌っていたっけ、そしてこの僕に惜しげもなく様々な忠告を与えてくれた。 この僕の心を和やかにしようと焼け付く太陽は恰度ヴェールで眼差しを覆うように、その光を弱めてくれた。 神への罪科の数々を忘れろとすすめる様に、大空は神の大赦の様に気持ちよく澄み渡った。 僕の青春は、お前の命令に大人しく服して、立っていた、それは見棄てられようとしている婚約の女の様に、嘆願しながら、 僕の眼の前に立っていた。それが僕の青春の見納めだったのさ。併し、突然、自由が僕に襲い掛かり、僕を戦慄させた、 自然は後の方に飛んで退き、すると僕にはもう年齢がなくなっていた。そして僕は、恰度影を無くした男か何かの様に、 お前の小さな恵み深い世界の真っ只中に、たった一人ぼっちでいるのに気付いたのだ。 そしてもうこの世には「善」も「悪」もなく、僕に命令を与えるものとて誰一人いなくなってしまっていたのだ。2025/06/13 17:14:22129.夢見る名無しさんジュピテル それで? するとこの儂は疥癬に罹って仲間の群れから引き離された牝羊や、 隔離所に閉じ込められた癩病患者までも褒め称えなければならんというわけかな? 思い出して御覧、オレスト。 お前は儂の引き連れていた群れの中の一員だった、お前は儂の羊たちの真ん中で儂の野原の牧草を食べていた。 お前の自由とはお前をむずむずさせる疥癬に過ぎないのさ、それは追放と言う事に過ぎないのさ。オレスト お前の言う通りだ。追放なのだ。ジュピテル 禍はそんなに深くはない。昨日から始まったばかりだ。僕達の仲間に戻っておいで。戻って来るがいい。 何てお前は独りぼっちなんだ、お前の妹にさえ見捨てられて。お前は真っ青な顔をしている。苦しみの為に目が脹れている。 お前は生きたいのか? お前はそうして残忍な悪に苦しめられている。 儂にも覚えのないまたお前自身にも覚えのない奇妙な悪だ。戻っておいで。儂は忘却だ、儂は休息だ。オレスト 僕自身にも覚えのない、奇妙な……そうだ。自然の外にも、自然に対しても、弁解もなく、ただ僕自身の中にしか頼るべきものはない。 だが僕はお前の掟の元には戻らない。僕は僕の掟以外の掟は持たないように運命づけられているのだ。 僕はお前の自然には戻りはしない。そこにはお前の方へ通じている何千という道が引かれてある、 だが僕はもう自分の道しか辿ることは出来ないんだ。なぜなら僕は人間だからさ、ジュピテル、 人間は皆夫夫自分の道を発見していかなければならないんだ。自然は人間を嫌悪する、そしてお前も、 神々の支配者であるお前もやはり人間たちが大嫌いなんだ。ジュピテル お前の言う事は嘘ではない。儂は人間たちがお前のようになると、憎らしいのだ。2025/06/13 17:21:25130.夢見る名無しさんオレスト 注意しろ。お前は自分の弱点をたった今告白したぞ。僕は、僕にはお前が憎らしくはない。お前と僕の間に一体何があるというのだ? 僕達は恰度二隻の船のように互いに触れ合うことなく滑って行くだけだ。お前は神だ、そして僕は自由なのだ。 僕達は同じように独りぼっちで、僕達の苦しみは似かよっている。僕があの長い夜の間、後悔を索めなかったなどと誰がお前に言うんだ? 後悔。眠り。僕はそれを索めた。だが今では僕には後悔することも出来ない。眠ることも。 沈黙。ジュピテル これからどうしようというんだ?オレスト アルゴスの人民達は僕の臣下だ。彼らの眼を開いてやらねばならない。ジュピテル 哀れな奴等め! お前は彼らに孤独と恥辱の贈り物をしようとしている、お前は儂が彼等に被せてやった布を彼等から剥ぎ取ろうとしている、 そしてお前は彼等にいきなり赤裸な彼らの実存の姿を、彼らの淫猥で無味乾燥な実存の姿を、 無の為に彼等に与えられている実存の姿を見せつけようとしているのだ。オレスト 彼等だってその分け前を受けるべきなのに、何故僕が僕の裡に絶望を彼らに与えてはいけないというのか?ジュピテル その絶望で彼等は何をするというのだ?オレスト 好きなことをさ。彼等は自由なのだ。そして人間の命は、絶望の反対側から始まるのだ。 沈黙。ジュピテル それならいい、オレスト、こういったことはみんな前から分かっていたのだ。 一人の男がいずれ神の黄昏を告げにやって来る筈になっていた。 それがお前だったんだな? 昨日のあの娘のような顔つきを見て、誰が一体それを信じられたろう?オレスト 僕自身にだってそれが信じられたろうか? 僕の言う言葉は僕の口には大きすぎるのだ、それは僕の口を引き裂く。 僕の担っている運命は、僕の青春には重すぎる、それは僕の青春を押し潰した。ジュピテル 僕はお前を殆ど愛していないが、しかしお前を気の毒だと思っている。2025/06/13 17:26:50131.夢見る名無しさんオレスト 僕もお前を気の毒だと思う。ジュピテル さよなら、オレスト。(彼は二、三歩歩いて)お前はね、エレクトル、こう思っているがいい。 儂の支配はまだ終わったわけではない、いや終わるどころではない---儂は戦いを放棄しようとは思わないのだ。 お前が儂と心を共にするか、儂に反抗するか、よく考えてみるがいい。さよなら。オレスト さよなら。 ジュピテル、退場。2025/06/13 17:28:04132.夢見る名無しさん 第三場 同上---ジュピテルを除く。エレクトルは徐ろに立ち上がる。オレスト 何処へ行くんだ。エレクトル 放っておいて。あなたにはもう何も言う事はないわ。オレスト 昨日から知り合ったお前だが、永久に別れねばならないのか?エレクトル ああ、私はあなたなんかに逢わなければよかったんだわ。オレスト エレクトル! 僕の妹、僕の可愛いエレクトル、僕のたった一つの愛、僕の一生のたった一人の優しい人、 僕を一人ぼっちにしないでおくれ。僕と一緒にいておくれ。エレクトル 泥棒! 私は自分のものは殆ど何も持っていなかった、ただ少しばかりの平穏と幾らかの夢だけだった。 あんたはそれをみんな奪ってしまった、あんたは一人の貧しい女を略奪したんだわ。あなたは私の兄さんだった、 私達の家族の長だった。あなたは私を庇って呉るべきだったわ。だけどあなたは私を血の中に投げ込んでしまった、 私は皮を?がれた牛のように血だらけ。蝿という蝿が私の後を追って来る、あのがつがつした蝿達が、そして私の心はまるで恐ろしい蝿の巣のよう!オレスト それはそうだ。僕はお前からみんな奪ってしまった。そして僕にはお前に与えられるものは---唯僕の罪以外には---何もないのだ。 併し、何という広大な現在だろう。お前はそれが鉛のように僕の魂の上にのしかかっていないと思うのかい? 以前は僕達はとても軽々としていたね、エレクトル。今では、僕達の足は馬車の車輪がぬかるみの轍にめり込む様に地面の中にめり込んでいく。 さあ、おいで、僕達は行くんだ、そして僕達は大切な荷物を担いで身を屈めながら、重い足を引き摺って歩いて行くんだ。 手をお貸し、僕達は一緒に……エレクトル 何処へ?2025/06/13 17:32:41133.夢見る名無しさんオレスト 何処か知らない。僕たち自身の方へだ。幾つも川を渡り山を越えた向こう側には、別のオレストとエレクトルが僕達を待っている。 それを僕達は根気よく探さなければならないんだ。エレクトル もうあなたの言う事は聞きたくないわ。あなたは不幸と嫌悪だけしか私に与えてくれない。(彼女は舞台の上に飛び下りる。 エリニュエス達がじりじりと近寄って来る)助けて! ジュピテル、神々と人間の王様、あなたの腕に私を抱いて、連れて行って、護って。 あなたの掟に従うわ、あなたの奴隷に、あなたのものになるわ、あなたの足に、膝に接吻するわ。 この蝿達から私の兄さんから、私自身から私を護って、私を独りにしないでちょうだい、私は全生涯を贖罪に捧げるわ。 私は後悔している。ジュピテル、私は後悔しているわ。 彼女は走りつつ、去る。2025/06/13 17:34:39134.夢見る名無しさん 第四場 オレスト?-エリニュエス達。エリニュエスはエレクトルを追って行こうとする仕草をする。第一のエリニュエスがそれを制止する。第一のエリニュエス 放っとき、姉妹達、あの娘は私達から逃げてしまった。だがこいつがまだ残っているよ、それもまだ当分はね、そうに違いないよ、何故ってこのちっぽけな魂は皮のように頑固だもの。こいつは二人分苦しむのさ。 エリニュエス達はぶんぶん唸り始めオレストの方へ近寄る。オレスト 僕はたった独りだ。第一のエリニュエス そんなことあるかい、ああ、暗殺者の中で一番可愛い人、私がまだいるよ。今にお前の気晴らしに素晴らしい遊びを考え出してあげるよ。オレスト 死ぬ迄、僕は独りぼっちだ。それから……第一のエリニュエス さあ元気をお出し、姉妹達、こいつはだんだん弱って来る。ごらん、こいつの眼がだんだん大きく見開いてくる。今にこいつの神経はあの恐怖の美沙なアルペジオで引かれる竪琴の琴線のように鳴り響き始めるよ。第二のエリニュエス 今にお腹が空いてこいつは外へ出て行くだろう。夜にならぬ内にこいつの血の味が味わえるというものさ。オレスト 可哀想に、エレクトル! 教僕が入って来る。2025/06/13 17:36:06135.夢見る名無しさん第五場オレスト---エリニュエス達---教僕。教僕 おや、お坊ちゃま、斯んな処にいらしたんですか? 暗くてちっとも見えませんな。食物を少しばかり持って参りましたよ。 アルゴスの人民達が神殿を包囲してまして、これじゃとても逃げ出すことだって出来やしません。今夜は、何とかして逃げ出さにやなりますまい。 まあそりゃそうとして、お食事なさいまし。(エリニュエス達行手を遮る)ほっ、何ですね、いったいこ奴等は? またしても迷信ですかい。 ああ、あの静かなアッチカの国はよござんしたね、あそこじゃ手前の理屈が道理で通ったんですから。オレスト 僕に近寄っちゃ駄目だ、あいつらがお前の生き身を引き裂くぞ。教僕 お静かに、別嬪さん。どうですね、この肉と果物は如何です、こんなものであんた方のお気が鎮まるならね。オレスト アルゴスの人民達が神殿の前に集ってるって言うのか?教僕 そうなんですよ! ですから私だって、此処にいるこの綺麗な小娘達の方か、あっちのあなたの愛する臣下達の方か、 どいつの方が一体あなたに害をなす悪い、酷い奴等かとなると、一寸判断がつきかねますねえ。オレスト よし(間)あの扉を開けろ。教僕 お気は確かですか? みんなあの向うにいるんですぜ、てんでに凶器を持って。オレスト 言われた通りにするんだ。2025/06/13 19:00:02136.夢見る名無しさん教僕 この度だけは言う事をききませんからどうぞお許し下さい。奴らは石を投げてお坊ちゃまを殺してしまいますって。オレスト 僕はお前の主人だぞ、爺、この戸を開けろと言ったら開けるんだ。 教僕は少し扉を開ける。教僕 おお! 大変、大変! おお! おお!オレスト 両方に開け放て!教僕は扉を開け、その開き戸の一方の陰に身を隠す。群衆はその両扉を烈しく押し、制止されて閾の上に立ち止まる。強烈な太陽と光。2025/06/13 19:01:11137.夢見る名無しさん第六場 同上---群衆群衆の中より叫び声---殺せ! 殺せ! 石で叩き殺せ! 八つ裂きにしてしまえ! 殺せ!オレスト (彼らの声は耳にも入らず)---ああ、太陽だ!群衆 涜神者! 暗殺者! 人殺し! 四つに裂いて死刑にしてしまうぞ。お前の傷の中にどろどろに溶けた鉛を流し込んでやるぞ!一人の女 お前の眼を引きむしってやるよ。一人の男 貴様の肝臓を食ってやる。オレスト (立ち上がって)ここに来ていたのか、僕の忠実な臣下達? 僕はオレストだ、お前達の王、アガメムノンの息子だ、 そして今日は僕の戴冠の日なのだ。(群衆達、狼狽してがやがや言う)お前達はもう叫ばないのか? (群衆は沈黙する)そうか、お前達は僕が怖いんだね。十五年前、同じ日に、もう一人の暗殺者がお前達の前に立った、 彼は肱の辺りまで血濡れの赤い手袋をしていた、血の手袋だ、そしてお前達はその男には恐れを抱かなかった。 何故ならお前達はその眼の中に、彼がお前達と同じ仲間の人間であること、彼が自分の行為に耐えるだけの勇気を持っていない人間で あることが読めたからだ。罪を犯した本人が耐えられないような罪、そんな罪はもはや誰の罪でもない、そうじゃないか? それは殆ど不慮の災難の様なものだ。お前達はその罪人を王として迎え入れた。するとその古い罪が、この街の壁という壁の間に、 かすかな呻き声を上げながら、まるで喪家の犬のように徘徊し始めたのだ。2025/06/13 19:06:47138.夢見る名無しさん 僕の顔をよく見ろ、アルゴスの人民達よ、お前達は僕の罪が全く僕だけのものであることが分かったろう。 僕はこの太陽を前にして僕の罪を引き受ける。その罪こそ僕の生存理由でもあり、僕の自尊心なのだ。 お前達には僕を罰することも、僕に同情することも出来ない、そして僕がお前達を畏れさせる理由はそれなのだ。 だがしかし、僕の臣下達よ、僕はお前達を愛している、そして僕が殺したのはお前たちの為にだ。お前たちの為になのだ。2025/06/13 19:09:26139.夢見る名無しさん 僕は自分の王国の権利を取り戻すためにやって来た、だがお前達は僕が同じ仲間の人間でなかったので、僕に反撥をしたのだ。 だが今は、僕はお前達の仲間だ、臣下達よ、僕達は血で結び合わされている、そして僕こそお前達に値する男なのだ。 お前たちの誤謬、お前たちの後悔、お前達の夜毎の苦しみ、エヂストの犯罪、全て僕のものだ、みんな僕が引き受ける。 お前達の死者を怖れるな、それはみんな僕の死者なのだ。それから御覧。お前達の忠実な蝿どもはお前達を離れて僕の方にたかってきた。 だが怖れることはない、アルゴスの人民達よ。僕は、血濡れのままで自分の殺した人の王座には座る気持ちはないのだ。 ある神が僕に王座を与えると言ったが、僕は辞退したのだ。僕は土地もない、臣下もない王になりたいと思う。 さよなら、諸君、生きようと試みるのだ。ここではあらゆるものが新しく、あらゆるものが新たに始まるのだ。ある奇妙な生がね。 もう一つ、聞いて貰いたい話があるのだ。ある夏の事、スキュロスの島が鼠の害に悩まされたことがある。それは恐ろしい災害だった、 鼠があらゆるものを?り出したのだ。町の住民たちはそのために死ぬほどの思いをした。ところが、ある日、一人の笛師がやって来た。 彼は街の中央に立った---こんな風にね。(彼は自分でその様に立つ)そして彼は笛を吹き始めた、すると鼠という鼠がみんな彼の周りにひしめき合って集って来た。 やがて彼はこんな風に大股に歩き始めたのだ。(彼は台から下りる)スキュロスの住民たちに向かってこう叫びながらね。「そこをどけ!」と。 (群衆は遠ざかる)すると鼠達は皆しぶしぶ頭をもたげた---丁度蝿どものやるようにね、見ろ! 見ろ、あの蝿どもを! そうすると、たちまち鼠どもは彼の跡を追ってあわただしく走り去ったのさ。 そしてその笛師はこの鼠たちと一緒に永久に姿を消してしまったのさ。こんな風にね。2025/06/13 19:15:03140.夢見る名無しさん彼は出て行く。エリニュエス達は彼の背後から唸り声を上げながら飛び掛かって行く。---幕---2025/06/13 19:15:35
【自民・小野寺政調会長、減税のデメリットを強調】「消費税減税、実は所得の低い方々には恩恵が薄く、高い物をたくさん変える高所得者ほど得をする」ニュース速報+41211432025/06/20 01:50:32
起訴状などによると、男は、FC2を共に管理運営する会社役員ら3人と共謀し、2013年6月19日、男が管理するサーバーに大阪市内からわいせつ動画を送信させて記録し、インターネット上で不特定多数が閲覧できる状態するなどした、としている。
京都府警は15年、海外に住んでいた男の逮捕状を取得。昨年11月、帰国のため韓国から関西国際空港に到着
垢版 | 大砲
2025/04/04(金) 11:46:45.03ID:ep5ogxos0
な?馬鹿だろ?→>>320
老害+アスペルガーはマイクロ好き
因みに濃度はマグロ>>クジラ
👆キチガイ死ね!
ちな沖縄は軽く水没するとの以上
アルゴスの広場。蝿たちと死の神、ジュピテルの像。眼は白く、顔は血で汚れている。
第一場
黒い衣服を着た数名の老女たちが列を作って登場し、
ジュピテルの像の前で奠酒を注ぐ。一人の白痴、舞台奥の地面に座っている。
オレストと教僕、登場。次いでジュピテル。
老女たちは皆叫びを上げて、振り向く。
教僕 お尋ねしたいことがあるんだがね?
老女たちは一歩後ずさりながら、地面に唾を吐く。
教僕 聞いてくれ、みんな、儂どもは道に迷った旅の者なんだ、ちょっと一言教えて貰いたい。
老女たちは手にした壺を投げ捨てて、逃げ去る。
教僕 仕様のない婆どもだ! まさかあいつらのお色気に文句をつけるわけでもあるまいしさ?
ああ、お坊ちゃま、大した愉快な旅ですなあ!
なんだってまたお坊ちゃまはイタリアにだってローマにだって、
酒はよく、宿屋ももてなしがよく、往来にも沢山の人たちが行き来している町が五百と下らないというのに、
よりによってこんなところへやってくる気持ちになったんでしょうね。
この辺の山の人たちはまるで旅行者というものには出会ったことがないみたいですな。
この太陽の照り付ける忌々しい村で、手前はもう何度道を訪ねたか分かりはしません。
どこへ行っても、奴らは同じようにびっくりしたような叫び声をあげ、同じように散り散りばらばらに逃げ出し、
目も眩むような街路には、黒い衣服を着た連中が重っ苦しい足取りで歩いている。
あああ! この人気のない街路、震える空気、それにこの太陽……まったく太陽みたいな不吉なものが他にありますでしょうか?
オレスト 僕はここで生まれたんだ……
教僕 そのようですな。ただし、私がお坊ちゃまだったら、そんなことは自慢しませんね。
オレスト 僕はここで生まれた。なのに僕はまるで通りすがりの旅人のように道を聞かなければならないのだ。この家の戸を叩いてごらん。
まあ、一寸ごらんなさい、この家々を。なんてまあへんてこな家々を。
何てまあへんてこな家ばかりじゃありませんか? 窓は一体どこにあります?
窓はどうやらすっかり鎖された薄暗い中庭の方に空いているようですし、
往来の方には尻を向けているんだね、こりゃあ? (オレスト、催促する)
よろしい。叩きましょう、ですがまあ望みはありませんね。
彼は戸を叩く。沈黙。再び叩く。戸が少し開く。
声 何の御用だね?
教僕 一寸お尋ねしたいんです。実はご存じでしたら教えていただきたいと思いまして、あの……
戸は突然再び閉まる。
教僕 畜生、首でもくくっちまえ! どうですね、オレスト様、お気が済みましたか、どうすればご満足なんですかね?
何だったら、戸という戸を全部叩いて差し上げてもいいですよ。
オレスト いいよ、ほっとけ!
白痴 うう!
教僕 すみませんが、エヂストの邸を教えてくれませんか?
白痴 うう!
教僕 エヂスト、アルゴスの王様の邸ですよ。
白痴 うう! うう!
ジュピテル、奥を通り過ぎる。
教僕 駄目だ! 初めて逃げださない奴に出くわしたと思ったら、白痴だ。
(ジュピテル、再び通る)どうです、あれは!
あの男はここまで儂らの後をつけてきましたぜ。
オレスト 誰さ?
教僕 あの髭ですよ。
オレスト 夢でも見てるんだろ。
教僕 でも、たった今ここを通るのを見かけました。
オレスト 勘違いだよ。
教僕 そんなはずはあるもんですか。生まれてこかた、あんなの髭にはお目にかかったことがございません、そうそう、そういえば一度だけ見かけたことがあります、あれはパレルモにあった銅髭ジュピテルの像の顔についていたブロンズの奴でしたよ。ほら、またあそこを通っていきます。一体私ども用があるんでしょう?
オレスト 旅をしてるのさ、僕達のように。
それから私どもがイテアの港で乗船した時も、あの男はいつの間にかもう船の上であの髭をひけらかしておりました。
ナウプリアでも、彼奴がうるさくつきまとって困ったじゃありませんか、
それに、また今、ここにもやって来ている。お坊ちゃまはきっと単なる偶然の一致だくらいに思っているんでしょう?
(彼は手で蝿どもを追い払う)ええ! こいつ奴! アルゴスでは蝿どもの方が人間たちよりもよっぽど愛想がいいですな。
おや、あれをご覧なさい。まあ、ご覧なさい、あれを! (彼は白痴の目を指す)
蝿のやつら、あいつの目に、まるでお菓子かなんぞにたかるみたいに、じーっと静かにたかってます。
しかもあの男はどうです、あいつは天使に微笑みを送っている。
まるで自分の眼から甘い汁を吸われるのを喜んでいるようじゃありませんか。
どうやらこの様子じゃ、あの目から凝乳のような白い分泌液を出すんですな。
(彼は蝿どもを追い払う)もう沢山だ、畜生、沢山だよ!
さて、これでお坊ちゃまもお気が済むでしょう。
ご自分の生まれたお国で誰一人相手にしてくれないってお嘆きになられったが、
この昆虫どもは大層な歓待ぶり。こいつらだけはお坊ちゃまのことを覚えているらしいじゃありませんか。
(彼は蝿どもを追う)ええっ。うるさい! うるさい! 分かった、分かった!
こいつら一体どこから来やがるんだ? こいつらときたら、子供のガラガラよりもうるさい音を立てやがるし、
トンボよりも大きな図体だ。
ジュピテル (近寄って)こいつらは一寸ばかり肥った肉蝿にすぎません。
もう十五年前ですが、ある屍肉の強い臭気がこいつらを町におびき寄せたんですよ。
その時以来こいつらは肥っています。これから十五年もたてば小さな蛙ほどの大きさになるでしょう。
教僕 失礼ですが、誰方でしょう?
ジュピテル 私の名はデメトリオス。アテネから来ました。
オレスト 確か船の上でお会いしたと思いますが、二週間ほど前。
ジュピテル 私もお逢いしました。
宮殿内に恐ろしい叫び声
教僕 おや! おや! ねえ、お坊ちゃま、あの様子じゃどうもろくなことはなさそうだし、
私どもはどうやら逃げ出した方がよさそうですぜ。
オレスト お前は黙ってろ。
ジュピテル 怖がることはありませんよ。今日は死者のお祭りがあるのです。
あの叫び声はその儀式の始まるしらせなんです。
オレスト あなたはアルゴスの事には随分通じていらっしゃるようですね。
凱旋したローマの艦隊がナウプリアの湾内に投錨した時も、いました。
城壁の上から白い帆がたくさん見えましてね。(彼は蝿を追い払う)その頃は、まだ蝿どもはいませんでした。
アルゴスはまだほんの地方の小都会だったわけで、
太陽の下でだるそうに退屈しきっていました。
それから後の数日は、私はほかの連中と一緒に巡邏路に上りましてね。
平野を行進してやって来る国王軍の行列を長いこと眺めました。
二日目の夕方には、クリテムネストル女王が、
現王のエヂストとご一緒に、城壁の上に現れました。
アルゴスの人民たちは、二人の顔が夕日に照り映えて赤らむのを見ました。
彼らは二人が頂銃眼に身を屈めて、長いこと海の方を眺めているのを見たのです。
そして彼らはこう考えました。《醜いことが起こりそうだ》と。
ただし、彼らは口には出して言いませんでした。
エヂストは、ご存じの事と思いますが、あの人はクリテムネストル王妃の愛人だったのです。
大変な道楽者で、その当時既に、憂鬱症の傾きがあったのですよ。
お疲れのようですね?
でも、お話は面白いですよ。
ジュピテル アガメムノンは善人でした。ただし、とんだ間違いをしたわけなんですよ。
彼は死刑が公衆の面前で行われることを許可しなかったんです。
困ったものです。絞首刑というやつは、地方ではいい気晴らしになります。
そして、こいつは死に対する人々の恐怖心をいくらか麻痺させるんです。
ここの人民達はなにもいわなかった。何故と言えば、彼らは退屈を託っていたし、
何か一度でもいいから手荒な死に様を見たいものだと望んでいたからですよ。
彼らは王様が町の入り口に現れるのを見た時も何も言わなかった。
それから、クリテムネストルがその香水を振りかけた美しい腕を彼に差し伸べるのを見た時も、何も言わなかった。
その時、一言、たった一言言うだけで十分だったでしょう。
ただし、彼らは黙して何も言わなかった。
そして、頭の中では、誰も彼もが、引き裂かれた顔をした大きな死体を思い描いていたのです。
オレスト で、あなたは、何も言わなかったんですか?
ジュピテル ははあ、それがどうやらあなたのお気に召さぬわけですね。
いや、大変結構です。それこそあなたの立派な徳義心を証明しています。
ところで、私はそうしなかった、何も言いませんでしたよ。
私はここの人間ではありません、で、私の知ったことではなかったのですよ。
アルゴスの人民たちはどうかというと、その翌日、
自分たちの王様が宮殿の中で苦しみのあまり悲鳴を上げるのを耳にした時も、
やはり何も言わなかった。彼らは情欲に掻き立てられたような眼差しに重たげな目蓋を垂れました、
そして町全体は異様な興奮で盛りのついた女のようだったのです。
僕は神々が正義であると信じていたのに。
ジュピテル まあ、まあ! そう性急に神々を非難してはいけません。
唯矢鱈に罰を加えるばかりが能じゃありません。
この騒ぎを精神的な秩序に役立つように仕向けた方がよかったんではないでしょうかね?
オレスト 神々はそうしたのですか?
ジュピテル 神々は蝿どもを遣わしたのです。
教僕 蝿どもはそこでいったい何をせねばならぬわけなんです?
ジュピテル ああ! こりゃまあ一種の象徴ですよ。ただし、奴らのしたことといえば、
まあこんなことでご判断ください。あすこに、ほら、年取ったワラジムシがいるでしょう。
壁とすれすれに小さな黒い足で小刻みに歩いているあの女ですよ、あいつが、
例の壁の割れ目の中などにうようよしている黒くて平べったいあの小動物の立派な見本です。
あの虫けらに飛び掛かって、捕まえて、あいつをここへ連れて来てみましょう。
(彼は老婆に踊りかかり部隊前面に連れて来る)さあ、生け捕ったぞ。
儂をよく見ろ、醜女め! ええ! お前は目をぱちくりとしてるな、
だが、お前たちは太陽にギラギラ光る血濡れの剣には慣れているはずだ。
どうです、まるで釣り糸の先の魚のようにぴょんぴょん跳ねているこの様は。
やい、婆、そんな恰好は息子の一ダースも死ななきゃできないはずだぞ。
お前は頭の先から足の先まで黒づくめだ。さあ、言え、そうすれば放してやろう。
この喪服は一体誰のために来ているんだ?
老女 こりゃアルゴスの制服ですだ。
殺されたお前の王様のための喪服だろう。
老女 お黙んなせえ! どうか後生のお願いだ。お黙んなせえ!
ジュピテル そうか、お前はだいぶ年寄りだから、あの叫び声は聞いたに違いないな、
朝の間中ずっと街路を巡り巡ったあの異様な叫び声をさ。あの時お前は何をした?
老女 あたしの亭主は畑に行ってただ、あたしに何ができるもんかね?
あたしは、閂をかけて家の中に引っ込んでただ。
ジュピテル そうだ、そしてお前は窓を半ば開けて、その叫び声をもっとはっきり聞こうとした、
そしてお前はカーテンの影で、息を殺して、腰の辺りに何やら奇妙なくすぐったさを感じながら、じっと見張っていたのだ。
老女 お黙んなせえ!
ジュピテル あの晩、お前は酷く色気を出した筈だ。大したお祭り気分だった、なあ?
老女 ああ! 旦那様、あれは……、恐ろしいお祭りだっただ。
ジュピテル お前がその思い出を葬り去ることの出来なかった血のお祭りだったのだ。
老女 旦那様、あなたは死人かね?
ジュピテル 死人? 行け、行け、気違い! わしが誰だろうと余計なお世話だ。
他人のお節介など焼かずに、自分の罪を後悔して天の赦しを受けるように心掛けた方がいいぞ。
あたしの娘も後悔しておりますだ、そしてあたしのところの婿などは毎年、牝牛を犠牲に供えておりますだ、
それから、孫息子は、今年で満七つを超しましただが、あたしどもはこの子を後悔の中に育て上げました。
全く利口な子でして、頭はすっかり金髪で、今からもう原罪の感情に染まりきっておりますだ。
ジュピテル よし、行け、糞婆あ、行ってせいぜい悔恨に身をやつすようにするがいい。
それがお前の救われる唯一の機会さ。(老婆逃げ去る)
さて、私が大変な間違いをしてるんでなければ、
御二方、これが例の、昔風に、しっかりと恐怖に根を下ろしているいわゆる厚い信仰心という奴ですかな。
オレスト あなたは一体どういう人なんです?
ジュピテル 私の事なんか心配することはないですよ。私達は神々の事を話していたんです。
ところで、エジストを殺す必要があったというんですかね?
オレスト そうですよ。つまり……ああ! どうしたらよかったか、僕には分かりません、
それにそんなことどうだっていいんです。僕はここの人間ではないのです。
エジストは罪を悔いているんでしょうか?
一つの街全体が彼の代わりに悔悟しているんです。
後悔という奴は、その深さが問題でしてね。(宮殿の中で恐ろしい叫び声)
お聞きなさい! 彼らは自分たちの王の苦しみの叫び声を夢忘れぬため、
声が大きいというので選ばれた牛飼いが、ああして、毎年の記念日に宮殿の大広間の中で叫び声をあげるのです。
(オレスト、不快の身振りをする)なあに! こんなことは何でもありません。
そんなことでは今に死者を開放するところをご覧になったら、何と仰いますかな?
アガメムノンが暗殺されてからちょうど今日で十五年目です。ああ!
あれ以来、あの身軽だったアルゴスの人民たちは何て変わったもんだろう、
そして今では何と私の心に近付いていることか!
オレスト あなたの心に?
ジュピテル いや、いや、何でもありません、何でもありませんよ、お若い人。
私は独り言を言ってたんです。こう言った方がよかったかもしれませんね。
神々の心に近付いている、と。
オレスト 本当ですか? 血で汚された壁、何百万という蝿、殺戮の臭気、ワラジムシの発情、
人気のない街路、やりきれないような顔つきをした神の像、
自分の家で自分の胸を叩く恐怖に憑かれた幼虫ども?-それにあの叫び声、
聞くに忍びないあの叫び声。あれがジュピテルのお気に召すというのですか?
ジュピテル ああ! 神々を判断してはいけませんな、お若い方、神々にも秘かな苦しみがあるのです。
オレスト アガメムノンには娘が一人いましたね、確か? エレクトルとかいう名前の娘が?
ジュピテル そう。ここに住んでいます。エジストの宮殿の中に?-あれがそうです。
オレスト ああ! あれがエジストの宮殿なんですか?
で、エレクトルはこういったことをどう考えているんです?
ジュピテル さあね! まだほんの子供ですからね。むすこもひとりいたんですよ。確かオレストという。人々はもう死んだと思っています。
オレスト 死んだ! そうだったのか……
教僕 そうですとも。お坊ちゃま。確かにその方は死んだんですよ。
ナウプリアの人達は、エジストがアガメムノンの死後まもなくオレストを暗殺せよとの命令を出したとか、そんな話をしてたじゃありませんか。
ジュピテル 中にはまだ生きていると言った人もある。彼を殺そうとした人たちが、不憫になって森の中に捨ててしまったのかもしれない。
それからその子は拾われ、誰かアテネのお金持ちにでも育てられたかもしれない。私としては死んでいてくれた方がいいと思いますね。
ジュピテル まあ考えてもご覧なさい。ある日その息子がこの町の入り口に姿を現したとして……
オレスト ふん、それで?
ジュピテル まあまあ! それでですよ、いいですか、もし私がその時彼に会ったとしたらですよ。
こう言うでしょう……こんな風に言うでしょうな。《お若い方……》そう私は呼ぶでしょう。何故ってその人ももし生きていたら大体あなたと同じ年頃ですからね。ところで、あなたはお名前は何と仰います?
オレスト 僕の名はフィレエブ、コリントの者です。僕はこうして修養のために、僕の教師だった奴隷と一緒に旅行しているんです。
あなたは自分の権利を主張なさりたいんですか? ははあ! あなたは中々熱心でしっかりしている、
連戦軍隊の立派な隊長さんになれるでしょう。あなたには半ば死んでいる街、
蝿どもに悩まされている屍のような街に君臨するよりもっと良い仕事がありますよ。この土地の人達は皆大罪人です。
だが、今一生懸命その償いをやっているところです。放っておきなさい、お若い方、そっとしておいておやりなさい。
彼らの苦悩に満ちた企てに敬意を払って、そっと忍び足で離れておやりなさい。
あなたには彼らと悔恨を共にすることはお出来になりますまい。あなたは彼らの罪の分け前は貰ってないわけなんですからね。
それにあなたの無作法な無邪気さは彼らとの間に深い溝を作るでしょう。さあ、少しでも彼らを愛するなら、お行きなさい。
お行きなさい、あなたは彼らを破滅させてしまいますよ。たとえ少しでも途中で立ち止まらせたり、
一瞬間なりと彼らの後悔から心を逸らしたりしたら、彼らの全ての罪は冷却脂肪のようにそのまま凝結してしまうのです。
彼らは卑しい良心を持っています、彼らは恐れています?-そしてその恐れは、その卑しい良心は、
神々の鼻孔には何とも言えぬ香気です。左様、その哀れな魂たちこそ神々のお気に召すわけなんですよ。
彼らから神の恩恵を奪おうと仰るのですか? そして、その代わりに彼らに何を与えようとなさるんです?
静かな食後の休憩、憂鬱な田舎の平和、そして倦怠、ああ! あの極めてありふれた幸福の倦怠、旅をお続けなさい、
お若い方、ご達者でね。町の秩序と魂の秩序とは変わりやすいものです。あなたが一度手を触れたら最後、大災害が起こりますよ。
(彼の眼をじっと凝視しながら)恐ろしい大災害があなたの上にも降りかかってくるのですよ。
僕ならこうお答えするでしょうね……<彼らはお互いに凝と見つめあう。教僕は咳払いする>
さあ! 僕はどう答えたらいいか分かりませんね。おそらくあなたの言う方が正しいでしょう、
それにそんなことは僕の知ったことじゃありませんからね。
ジュピテル やれやれ。まあ本物のオレストもあなたのように理性的であってもらいたいものですね。それじゃ、ご無事でね。
自分の仕事をしに行かねばなりませんから。
オレスト あなたもどうぞご無事で。
ジュピテル それはそうと、もしこの蝿どもがあなたに五月蠅くつきまとうようでしたら、こいつらを厄介払いするいい方法があります。
ご覧なさい、あなたの周りでぶんぶん飛び回っているこの蝿どもの群れを。
いいですか、こうして手首を一振りやります、こういう腕の仕草をして、それからこう言うんですよ。
《アブラクサス、ガラ、ガラ、ツェ、ツェ》すると、ほら、ご覧なさい。
みんな地面に落っこちて、毛虫のように這い回り始めたじゃありませんか。
オレスト こいつは凄い!
ジュピテル 何でもありませんよ。ちょっとした隠し芸です。私は暇な時は、蝿使いをやります。さよなら。また会いましょう。
ジュピテル、退場。
オレスト?-教僕。
教僕 ご用心なさいよ。あの人間はどうやらあなたの素性を知っているらしい。
オレスト あれは人間なのかい?
教僕 ああ! お坊ちゃま、何とつまらんことを仰います? 一体私のお教えした学科とあの微笑の懐疑主義をどうなさるんです?
<あれは人間なのかい?>ですって。そうですとも。世の中には人間だけしか居りませんよ、それだけでもう充分です。
あの髭だって人間ですよ、エヂストの間諜か何かですよ。
オレスト 哲学は止めてくれ。そいつは耳が痛くなるほど聞いた。
教僕 耳が痛いですって! すると哲学は人々に精神の自由を与えるというより、かえって害をなすというわけですな。
ああ! あなたは何と変わってしまわれたんでしょう! 以前は私でもお坊ちゃまのみ心が読めたものです……
よくお考えの上でそう仰るのですか? 何故私をこんな所へ引っ張って来られたんです? そして、ここでどうしようと仰るんです。
オレスト 僕が何かしなければならないなんて言ったかい? さあ! もう何も言うな。
(彼は宮殿に近寄る)これが僕の宮殿だ。僕の父が生まれたのはあそこなんだ。淫婦とその女衒めがあの人を暗殺したのもあそこなんだ。
僕もあの宮殿の中で生まれた。エジストの老兵達が僕を連れ出した時、僕はまだ三つかそこらの子供だった。
僕たちはきっとこの門をくぐって出たんだ。彼らのうちの誰かが僕を腕に抱いてたんだ、
僕は大きな目を見開いて、きっと泣き続けていたに違いない……ああ! まるで記憶がない。
大きな石造りの建築が、田舎風の威厳を持って物々しく、ものも言わずに立っている。僕はあれを今初めて見るのだ。
では私どもの致したあの旅行の数々も? 私どもが訪問したあの街々も? そしてあなただけにご教授申し上げたあの考古学の講義も?
ちっとも記憶がないと仰いますか? 先程まではあなたの記憶の中には、あんなに沢山の宮殿の知識、
聖堂の神殿の知識がいっぱいつまっていて、あの地理学者のパウサニアスの様にギリシアの案内図さえ書ける程だったではございませんか?
オレスト ―――宮殿か! ああ、そうだ、宮殿、柱石、彫像! 何故僕は、頭の中にこんなに沢山の石を持った僕は、なぜもう少し重くならないんだろう?
それからあのエペソの都の神殿の三百八十七段の階段、お前はあのことは言わないの? 僕はあの階段を一段一段よじ登った、
僕は今でもその一つ一つをはっきり思い出すよ。確か十七段目のは壊れていたっけな。
ああ! 犬だって、暖炉の傍に寝ていて体を温めている老いぼれ犬だって、自分の主人が入って来ると、挨拶しようと低く唸りながら、
身を起こす。犬だって僕よりはずっと覚えがいいんだ。犬が忘れないのは、その主人なんだよ。その主人なんだ。
でも、僕には一体誰がいるっていうんだい?
私はそれを、花束のように、私の知恵の果実や私の経験の宝を取り揃えて、愛情を込めてお坊ちゃまのために作って差し上げた。
私は、早くから、お坊ちゃまを様々な人間の意見の多様さに親しませようと万巻の書物をお読ませしましたし、
また人間の習慣というものがいかに変化の多いものであるかをあらゆる状況に即してご説明申し上げながら、
あらゆる国々を歩き回らせて差し上げたではございませんか。今ではお坊ちゃまは、こうしてご立派な青年、金持ちで美しく、
老人のように思慮深く、あらゆる隷属から、またあらゆる信仰から解放され、家もなく、祖国もなく、宗教もなく、職もなく、
あらゆる約束事に対して自由であり、決して自らを拘束すべきでないことを知っていらっしゃるし、要するに卓抜なお方、
おまけに大学のある大都市では哲学をお教えなさることも、建築学を講ずることも出来ようというご立派な御身分、
それなのに何をお嘆きあそばすことがありましょう!
僕は一本の糸の重さしかなく、僕は虚空の中に生きている。そりゃあ勿論僕にとって都合のいいことだし、僕も僕なりに有り難いと思っているよ。
(間)生まれながらに拘束されている人間もいるんだ。彼らには選びようがない。いわば彼らは路上に放り出されたんだ。
その道の果てには一つの行為が待っている。彼らの行為だ。彼らは進む、そして彼らの裸の足は力強く大地を押し、
砂利のために皮がすりむける。どこかへ行くという悦びは、お前には、お前にとっては凡俗に見えるんだろう? またこういう人間もいるんだ、
黙っている人間、つまり心の奥底で、濁った地上的な彫像の重さを感じている人間だ。彼らの一生は変えられてしまった、
何故ならば、彼らは幼年時代のある日、五つの時、七つの時……まあ、いい。こういう連中は優れた人間ではないのさ。
僕は、七つの時、既に自分が追放の身であることを知っていた。様々な臭いも、響きも、屋根を打つ雨の音も、光の振動も、
僕はそういうものはみんな自分の体に沿って滑らし、僕の周りに落としてしまったものだった。僕は、そういうものはみんな他人のものであり、
それを僕の思い出にすることは不可能だってことを知っていた。
何故って、思い出なんてものは、家や、獣たちや、召使たちや、田畑を持った人たちにとっての脂っこい滋養物にすぎないんだからね。
だけど、僕は……僕はおかげさまで、自由だ。ああ、僕は何て自由なんだろう。そして僕の魂ほど見事な不在があろうか。
(彼は宮殿に近寄る)
そして恐らくは読むことすら出来なかっただろう。宮中の王子に読書ができるなんてことからして稀なことだ。
ただし、この戸をくぐって、おそらくは僕は一万度も出入りしたことだろう。幼い頃は、この扉で遊び戯れたに違いない。
僕はこの扉にしっかりと踏ん張って寄りかかり、扉は屈することなく軋んだことだろう、そして僕の腕はこの扉の抵抗を理解したに違いない。
それから少し大きくなってから、僕は夜など、こっそりと娘たちに会いに行くために、この扉を押したことだろう。
それから、もっと大きくなると、丁年の日には、奴隷たちが扉を大きく開け放ってくれると、僕は馬に乗ってその敷居を飛び越えたことだろう。
僕の古い木の扉、僕は目を瞑っていても、お前の錠のありかを知ることが出来たろう。
そしてあの下の方にある疵は、あれはきっと僕がつけたものに違いない。皆が初めて僕に槍をあてがった日なんかに、
きっと僕がへまをやってつけた疵だ。(彼は遠ざかる)小ドリア式、だろ? あの金をちりばめた象眼をどう思うね?
ドドナでも同じようなやつを見たことがあるよ、まったく見事だ。さあ、いいかい、お前を喜ばしてやる。
これは僕の宮殿ではないさ。僕の扉でもない。僕たちはここには何も用はないのだよ。
教僕 さあ、それでこそ物の分かったお坊ちゃま。こんな所に住んだって、いったい何の益があったでしょう?
あなたの魂は、今自分は卑しい後悔に苛まれていたことでしょうよ。
あなたの魂は、今自分は卑しい後悔に苛まれていたことでしょうよ。
オレスト (声を弾ませて)うん、少なくともそれだけは僕のものになっていただろう。それに、この僕の髪を焦がす熱気、
これも僕のものになっていただろう。そしてこのぶんぶん飛び回る蝿どもも。
今頃の時刻には、宮殿の小暗い部屋の中で裸になって、鎧戸の隙間から夕焼けの赤い色を眺めていたことだろう。
僕は太陽が西に傾くのを、そして地面から、何かの香りのように、アルゴスの一夜の新鮮な影が、幾千万の他の夜と同じようでいて、
しかも常に新しい、僕のものである一夜の影が立ち上がってくるのを待っていたことだろう。さあ、行こうや、教僕。
お前には分からないのかい、僕たちは他人の熱気の中で澱んじまっているんだぜ?
教僕 ああ! お坊ちゃま、私は本当にほっとしましたよ。---この数ヶ月というもの---
正確に申せば、私がお坊ちゃまの出生の経緯を申し上げて以来というもの---
私はお坊ちゃまが日に日に変わっていらっしゃるのを拝見して、夜もろくに眠れませんでしたよ、本当に心配で、心配で……
オレスト 何がさ?
教僕 でも、お坊ちゃまはお怒りになりますもの。
オレスト 怒りはしない。言ってみろ。
教僕 実は私の心配しておりましたのはー――つまらぬことですが、人間というものは古くから懐疑的な皮肉にとりつかれてしまうものでして、
そういう馬鹿げた考えがあなただって時々は浮かんでくるわけですよ―――要するにですな、私は坊ちゃまがエジストを追放して、
その位を奪うことをお考えになっていらっしゃるんじゃないか、と思って。
そりゃ、僕にだってあの畜生めの髭をひっとらえて、僕のお父さんの王冠をはぎ取ってやりたい気持ちもないわけではない。
だけど、そんなことをしたって何になろう? 僕がこの町の人達と何をしなければならないっていうんだ?
僕は彼らの子供が生まれるのを一人として見たことはない、彼らの娘たちの結婚式にも列席したことはない、彼らと懺悔を共にしたこともない。
彼らのうちで名前を知っているものも一人としていない。あの髭の男の言うことは尤もだよ。
王たるものはその臣民と同じ思い出を持たねばならないのだ。彼らは放っておくことにしよう。さあ、行こうじゃないか、そっと忍び足でね。
ああ! だけどもし、いいかい、もし彼らと同じ市民の権利を僕に与えることの出来る行為があるとしたら、
もし、たとえ罪を犯しても、自分の心の空虚を満たすために彼らの思い出や彼らの恐怖や彼らの希望を奪い取ることができるとしたら、
よしんば僕は自分の実の母上を殺したって……
教僕 お坊ちゃま!
オレスト そうだ。みんな夢なんだ。行こう。誰か僕たちに馬を調達してくれる人がいないか探してくれ、そうすれば、僕たちはスパルタまで行ける。
あすこへ行けば、僕の友達がいるのだ。
エレクトル、登場する。
同上---エレクトル。
お前のその木苺の汁で汚れた顔の中の丸い目でたんとあたしの顔を見つめるがいい、あたしはちっとも怖くはないよ。
どう、あの女たちが今朝もまたやって来たんだろう、あの聖女達めが、あの黒い衣装を着けた老いぼれの女どもがさ。
あの女どもはお前の周りでまたあの大きな短靴をきゅうきゅう鳴らしたんだろう。お前は至極ご満悦だったね。
化け物め、お前はあの女どもが好きなんだろう、あの老婆どもが。あいつらが死人たちに似れば似るほど、
お前はあの女どもが好きになるんだね。あいつらはお前の足許に、今日はお前のお祭りだというんで一番高価なお酒を注ぎかけたんだろう、
そして黴臭い臭気があいつらのスカートからお前の鼻の辺りに立ち昇っていったんだ。
お前の鼻孔はまだその快い香りにくすぐられている。(彼に体をこすり付けて)さあ、今度は、あたしの匂いを嗅いでごらん。
あたしは若いのよ、あたしは生き生きとしてるわ、これにはお前だって恐れをなすだろう。
あたしも町中の人達がお祈りをやっている間に、お前に捧げものをしにやって来たのさ。
さあ、ここに剥皮と竈の灰をすっかりかき集めて持ってきた、それから、蛆の一杯うようよした古い腐れ肉を少しと泥だらけのパン一片、
みんな家の豚どもが食い残したものさ。お前の蝿どもはさぞ喜ぶことだろう。
お祝いだ、さあ、お祝いだ、そしてこれが最後のお祝いであってほしいもんだわ。あたしはあまり力が強くないから、
お前を地面に叩きつけてやることができない。だけど顔に唾をひっかけてやることは出来るわ。
あたしに出来ることったらそれだけさ。だけど、今にあの人がやってくる、あたしの待っているあの人が、大きな剣を持って。
それからあの人は剣を抜いて、お前を上から下まで真っ二つにばっさり切ってしまうのさ、こんな風に!
そうすれば、二つに割れたジュピテルの体は転がり落ちるわ、一つは左に、一つは右に、
そうして世の中の人達はみんなジュピテルが木で作ったものだってことがわかるのさ。
死者の神様だなんていうジュピテルは、真っ白な木で作られた偶像なのさ。顔の上に見える恐ろしさも、血も、それからお前の眼の暗緑色も、
みんな塗っただけのものなのさ。そうだろ? お前は、お前だけは自分でも内側は白い、まるで乳児の体のように真っ白いんだということを知っている。
剣の一撃でお前の体は真っ二つに割れて、お前は一滴の血も流すことが出来ないんだということを知っている、
白い木! 唯真っ白な木! よく燃えるに違いないわ。(彼女はオレストに気がつく)あ!
オレスト 怖がることはありません。
エレクトル 怖くはないわ。ちっとも。あなたは誰?
オレスト 他所から来た者です
オレスト 僕の名はフィレエブ。僕はコリントのものです。
エレクトル まあ、コリントの人? あたしはエレクトルっていうの。
オレスト エレクトル。(教僕に)あっちへ行ってくれ。
教僕は去る。
オレストーーーエレクトル
エレクトル 何故そんなにあたしを見るの?
オレスト お前は美しい。この町の人達とは似ても似つかない。
エレクトル 美しい? 本当にあたしが美しいと思う? コリントの娘達と同じくらい美しい?
オレスト うん。
エレクトル みんなそう言ってくれないわ。ここの人達は。あたしがそう思うことを快く思わないの。
だけど、そんなことを言ってくれたって何の役にも立ちはしないわ。あたしはただの召使に過ぎないんですもの。
オレスト 召使? お前が?
エレクトル 召使の中でも一番賤しい召使。あたしは王様と王妃様の下着を洗濯するのよ。
あの人たちの下のものはみんな、あの人たちの腐った体を包んでいた肌着。王様が一緒に寝る時クリテムネストルが着るもの。
そういうものをみんなあたしが洗濯しなければならないの。あたしは目を瞑って力一杯擦るの。それから皿洗いもやるわ。
あたしの言うことを信じないの? あたしの手をご覧。ひびやあかぎれで一杯でしょう? まあ、何て変な目つきをするの。
ねえ、まさかこれが王女様の手だと思えて?
オレスト 可哀想な手。思えるもんか。とても王女様の手だとは思えない。だけど先をお続け。その他にどんなことをお前にやらせるの?
エレクトル それから、毎朝、あたしはごみ箱を捨てなければならないの。あたしはそれをお城の外まで引き摺って、
そして……ほら、あたしがそうするのをさっきご覧になったでしょ、汚いごみを。この木で作った人形はジュピテル、死と蝿の神様よ。
この間、大祭司様が礼拝にいらっしゃった時、キャベツや株の芯の上を、貝殻の殻の上を歩いてらした。
あの人腹を立てて気も狂わんばかりだったわ。ねえ、あたしの事言いつける?
オレスト いいや。
あたしを殴るって? あの人達もう何度あたしを殴ったか分からないわ。あたしを、とても高い、大きな塔の中に閉じ込めるって?
それなら別に悪くないわ。あたしはもうあの人達の顔を見ないで済むもの。夜になってね、いいこと、
あたしが仕事を終えると、あの人たちはあたしを慰めてくれるの。あたしは髪を染めた、肥った大きな女の人の傍に行かなければならないの。
その女の人は、脂ぎった唇をして、手は真っ白、まるで蜜蜂のような臭いのする王妃様の手なの。
その人はその手をあたしの肩にかけて、唇をあたしの額にくっつけて言うの。《こんばんは、エレクトル》って。
毎晩よ、毎晩、あたしは自分の皮膚にあの熱い、貪欲な体がもたれかかって息づいて入るのを感じる。
だけど、あたしはじーっと立っている、決して倒れたことはないわ。分かる? それがあたしのお母さんなの。
もし塔の中に閉じ込められたら、あの人に接吻だけはされないで済むわ。
オレスト お前は逃げようと思ったことはないの?
エレクトル そんな勇気はないわ。きっと恐ろしくなってしまうわ、たった一人ぼっちで、逃げる途中で。
オレスト 一緒に行ってくれそうなお友達もないの?
エレクトル ないわ。あたしは一人ぼっち。あたしは疥癬みたいなもの。ペストみたいなものよ。ここの人達はあんたにきっとそう言うわ。あたしにはお友達はいないの。
オレスト 何だって、じゃ、乳母もいないのかい? お前が生まれる時から面倒を見て、お前を少しでも愛してくれる婆やか誰かもいないのかい?
エレクトル そんな人もいないわ。お母さんに聞いて。あたしはとても優しい心の人達さえがっかりさせてしまうような女なの。
エレクトル (叫んで)ああ! 一生なんて! そんな事、嫌よ。ねえ、聞いて。あたしは何かを待っているの。
オレスト 何かって、誰かをかい?
エレクトル それは言えないわ。それより、もっと話して。あんたも奇麗ね。長いこと此処にいらっしゃるの?
オレスト 僕は、今日にも出発しなければならない……それに、今なら……
エレクトル 今なら?
オレスト 僕には何て言ったらいいか、分からない。
エレクトル 美しい街なの、コリントって?
オレスト とても美しい。
エレクトル コリントはお好き? ご自慢なさる?
オレスト 勿論。
エレクトル そんな事って、あたしには、とても考えられないおかしなことだわ、自分の生まれた町を自慢するなんて。どうしてなの、教えて頂戴。
オレスト それはね……僕には分からない。僕には何を言ったらいいか分からない。
エレクトル 分からないの? (間)じゃ、コリントには木陰のある広場がたくさんあるって本当?
夕方なんか人が散歩したりする広場があるんですって?
エレクトル そして皆外に出るの? 皆散歩をするの?
オレスト 皆。
エレクトル 男の子は女の子と一緒?
オレスト 男の子は女の子と一緒だ。
エレクトル そして、その子達は何時でも何か話し合ってるんですって? そしてお互い同士でとても楽しそうにしてるんですって? 夜遅くなっても、一緒に笑い合っている声が聞こえるんですって?
オレスト そうだ。
エレクトル あたし、馬鹿みたいに見えるかしら? それは、あたしが一生懸命になってその散歩の事や、歌声や、笑い声の事を想像しているからなのよ。
ここの人達は恐怖のために苦しめられているの。そして、あたしは……
オレスト お前は?
エレクトル 憎しみのために……それで、一日中何をしているの、コリントの若い娘たちは?
オレスト 娘たちは美しく着飾り、それから歌を歌ったり、竪琴を鳴らしたり、それから女友達の所へ訪れ、そして夜になれば、みんな舞踏会へ行く。
エレクトル そして、何の心配もないの?
オレスト あったってほんの僅かさ。
エレクトル 本当? じゃあ、ねえ、コリントの人達は後悔をするってことはあるの?
オレスト 時にはね。始終ではない。
オレスト そうさ。
エレクトル 不思議ねぇ。(間)じゃ、もう一つだけ言ってちょうだい。何故ってこの事はあたし、ある人のために是非とも知っておかねばならないの……
あたしの待っているある人のために。例えば、コリントのある若者が、夜になれば娘たちと楽しそうに笑っている若者の一人がよ、
ある時旅行をして帰って来てみると、自分の父親は殺され、母親はその暗殺者と一緒に寝床で寝ていて、
その妹は奴隷の身分になっていることが分かったら、そのコリントの若者は大人しく黙っていられるかしら。
その人は別れの挨拶をして、踵をかえして、その女友達の所へ慰めを求めに行ってしまうことが出来るかしら?
そうでなかったら、その人は剣を抜いてその暗殺者に打ってかかっていって、頭をぶち割ってしまうかしら?
ねえ、返事をしてくれないの?
オレスト 僕には分からない。
エレクトル 何ですって? 分からないって?
クリテムネストルの声 エレクトル!
オレスト 誰なの?
エレクトル あたしのお母さん、クリテムネストル王妃だわ。
オレスト?-エレクトル---クリテムネストル
エレクトル まあ、フィレエブ? それじゃあなたはあの人が怖いのね?
オレスト あの顔、僕は何度あれを想像してみたか知れない、
そして、輝くような厚化粧をした、疲れた活気のないその顔を何時しか僕は目の当たりに見ていたのだ。
だが、あんな死んだような目つきを僕は予想もしていなかった。
クリテムネストル エレクトル、王様が式に出る支度をするようにとのご命令です。黒い衣装と宝石をつけるんですよ。
まあ、どうしたの? その伏目はどういう意味? お前ったら、肘を痩せた腰に押し付けて、体をくねらせて……
お前はよくあたしの前でそういう格好をするね。だけど、あたしはもうこれ以上お前にそんな猿真似をさせてはおかないよ。
今しがた、窓から、あたしはもう一人のエレクトルを見たのだ。鷹揚な科をし、目は燃えていた……
あたしをまともに見られるのかい? 終いにはあたしに答えるのかい?
エレクトル あなたのお祭りに輝きを増すためにあたしのような卑しい下女が必要なの?
クリテムネストル ふざけるのはおよし。お前は王女だよ、エレクトル、人民たちは毎年のように、お前を待っているんだ。
エレクトル あたしが王女、本当に? そしてあなたは一年に一度でも、例えば、人民たちが精神教化のためにあたしたちの家庭生活の絵を頂きたいって言ってくる時なんか、
その事をお考えになって? 美しい王女様が、皿を洗ったり、豚の番をしたり! エジストは、去年みたいに、
腕をあたしの肩に回して、あたしの耳に嚇し文句を囁きながら、あたしの頬に顔を寄せて笑いかけて来るの?
クリテムネストル あの人がそうしなくなるのもお前次第なんだよ。
エレクトル そうね、もしあたしがあなたたちの後悔に伝染するままになって、あたしの犯したこともない罪の赦しを神々に請い願いさえすればね。
そうだわ、もしあたしが「お父さん」と言いながら、エジストの手に接吻しさえすればね! ああ、考えても厭! あの人は血も涙もない人だわ。
エレクトル エジストの命令をどうしてあたしが守らなければならないっていうの。あの人はあなたの夫でしょ、お母さん、あなたのとても大切な夫、あたしの人ではないわ。
クリテムネストル お前にはもう何も言うことはないよ、エレクトル。お前のやっていることはお前の為にもならないし、あたしたちの為にもならないのさ。
だけど、あたしは、たった一日の午前中の間に一生を破滅させてしまったこのあたしは、お前に何と言って忠告してやったらいいだろうかね?
お前はあたしを憎んでいる、ねえ、エレクトル、だけどそれよりもっと気になることはお前があたしによく似ているってことなのだよ。
あたしも昔はそんな鋭い顔をしていた。そんな落ち着きのない性質、そんな陰険な目つきをしていたものだった---だけど、
そんなことは何一ついいことにならなかったよ。
エレクトル あたしはあなたなんかに似たくないわ! ねえ、フィレエブ、行って、あたしたち二人こうして並んでいると、どう、
ねえ、嘘でしょ、あたしはこの人に似てないわね。
オレスト 何と言ったらいいだろう? その人の顔は雷や雹ですっかり荒れ果てている畑のようだ。
だけど、お前の顔の方には嵐が潜んでいる。いつの日かその情熱は燃え上がって骨まで焼き焦がすだろう。
クリテムネストル おや、お前は? そんな風に人の顔をじろじろ見つめたりして、お前は一体誰なの?
じゃ、今度はあたしの方でじっと見てやるよ。ここで何をしてるんだね?
エレクトル (溌剌と)この人はコリントの人で、フィレエブって名前、旅の人なの。
クリテムネストル フィレエブ? ああ!
エレクトル なんだか他の名前を恐れている様だったわね?
クリテムネストル 恐れてるって? あたしが身を破滅させたお陰で何か得したことがあるとすれば、
それはあたしにはもう何も恐れることがなくなったということなのさ。こっちへお寄り、旅の人、よく来てくれましたね。
まあなんてお若いこと。一体年はお幾つ?
オレスト 十八です。
クリテムネストル ご両親はご健在なの?
オレスト 父は死にました。
クリテムネストル お母さんは? きっとあたし位の年齢でしょうね? 何も言わないの?
その人がきっとあたしなんかよりずっと若々しく見えるからでしょう。
その人はまだお前と一緒になって笑ったり、歌ったりすることが出来るのね。お母さんが好き? さあ、返事をなさい!
何故お母さんと別れてきたの?
オレスト 僕は傭兵に加わって、スパルタに志願しに行くんです。
クリテムネストル 旅の人達は、普通ならば、あたしたちの町を避けて、二十里も回り道をするんです。
じゃあ、誰もあんたにはそのことを教えなかったのね? 平野の人達はあたし達と交際を絶っている。
あの人達はあたし達の懺悔をまるでペストかなんぞのように考えて、感染するのを恐れている。
クリテムネストル あの人達は、もう十五年も前に犯された償いえない罪悪があたし達を苦しめているってことをお前に言って?
オレスト そう言いました、
クリテムネストル それから、王妃のクリテムネストルが一番罪が深いってことも? その名前が皆の間で呪われた名前であることも?
オレスト 言いました。
クリテムネストル それなのに、お前はやって来たの? 旅の人、あたしがその王妃クリテムネストルなのですよ。
エレクトル 気を許しちゃだめよ、フィレエブ。王妃はあたし達のお国の遊戯を楽しんでいるの。公の告白の遊戯を。
この国じゃ誰も彼もが自分の罪の数々を皆の前で訴えるの。休祭日の日には、商人なんかが、自分の店の鉄の扉を下ろしてから、
髪に埃を擦り付けたり、自分は人殺しだ、姦夫だ、涜職者だ何ぞと大声で呼ばわりながら、街々で膝をついていざり歩いたりするのが、
よく見られるわ。だけど、アルゴスの人民はすっかり麻痺し始めているの。誰も彼もが他人の罪悪を空で覚えている。
特に王妃様の罪なんかにはもう誰も興味を持ってない。それは、まあ、謂わば、お上の罪悪、基本の罪悪なんだわ。
この人が、とても若くて、初心で、自分の名前さえ知らないあんたに逢って、どんなに喜んだかご想像にまかせるわ。
こんなことって滅多にない事よ! この人はまるで初めて告白するみたいな気持ちらしいわ。
クリテムネストル お黙り。誰にだってあたしを罪人と呼び、淫婦と呼んで、あたしの顔に唾をひっかけることは出来る。
だけど、あたしの後悔を批判する権利は誰にもないのさ。
だけど、彼らが自分で告白する罪だけしか判断しないようにしなければ駄目よ。
その他の事は誰にも関係のない事なの。それを詮索したらあんたの事をよく思わないわ。
クリテムネストル 十五年前、あたしは希臘で一番奇麗な女だった。あたしの顔を見て、あたしがどんなに苦しんできたかを判断するがいい。
あたしは何も隠しはしない。あたしが後悔しているのはあの老いぼれ山羊が死んだことではないのさ。
あの人が浴槽の中で血を流して死ぬのを見た時、あたしは悦びのあまり歌い、踊ったものさ。
そして十五年経った今日になっても、あたしはあの時の事を思い出すと、快感で体が震える程だよ。
だけど、あたしには息子が一人いた---生きていれば、ちょうどお前くらいの年頃さ。
エジストがあの子を傭兵の手に手渡した時あたしは……
エレクトル お母さん、あなたは娘も一人持っていらしたんじゃないかしら。あなたはその娘を皿洗いになさった。
だけど、その過ちの方にはあなたはあまり苦になさらないのね。
でもまあ、暫くお待ち。今にお前だって取り返しのつかない程の罪を後ろに引き摺って行くようになるから。
お前が一歩毎にそれから離れていったと思っても、それは何時までもやはり同じように重くお前の後に引き摺られていくのさ。
お前は後を振り向く、と、お前にはそれが、手も届かぬ後の方に、ちょうど黒水晶のように黒く純黒色に光って見えるのさ。
そして、お前にはそれがどういう意味なのかさえ分からない、お前は言うだろう。《あたしじゃないわ。そんなことあたしはした覚えはないわ》
それは何時までもつきまとう、何度否定しても、いつもそこに逢って、後ろからお前を引っ張るのだ。
そして最後にはお前には分かるだろう、お前は今度という今度はお前の一生を唯一回の骰子の一振りで抵当に入れてしまったことを、
そして、お前はもう死ぬまでお前の罪を引き摺っていく他はないのだということを。正しくても、正しくなくても、それが改悛の掟なのさ。
お前の若さの傲慢がどういう風になっていくかはやがて分かるさ。
エレクトル あたしの若さの傲慢? あなたが悔やんでいるのは、あなたの罪というよりはあなたの若さじゃないの。
あなたの憎んでいるのは、あたしの潔白というよりはあたしの若さなんだわ。
クリテムネストル あたしがお前の裡に憎んでいるものは、エレクトル、それはあたし自身だよ。
お前の若さじゃない---ああ、それは違う!---それは私の若さなのさ。
エレクトル あたしは、あなただわ、あたしの憎んでいるのはあなたなのよ。
だけど、そうは言うものの、あたしはお前の母親なんだよ。ねえ、お若い人、あたしはお前が誰だか知らないし、
またあたしたちの所へ何をしに来なさったかも知らない、だけどお前は何かしら不吉な感じのする人だ。
エレクトルはあたしを憎んでいる、あたしにはちゃんと分ってるんだ。だけど、あたし達は十五年間、その事は口には出さなかった、
ただあたし達はお互いの眼付きでそれが分かっていたのだよ。お前はここへやって来た、お前はあたし達に話をした、
そしてそのあたし達は、ご覧の通り、こうして犬のように歯をむき、唸りながら、向き合っている。
都市の法律ではあんたには手厚いもてなしをしてあげねばならない事になっている。だが、包み隠さず本当の気持ちを言うと、
あたしはお前に一刻も早く行ってもらいたいんだよ。それからお前はね、エレクトル、あたしにそっくりなエレクトル、
あたしはお前をちっとも愛してなんかいない、本当だよ。だけど、あたしはお前に害を加えるよりは、
寧ろ自分の右手を切っちまう方がいいのさ。ただお前にはその事がよく分かりすぎているんで、
お前はあたしの弱点に付け込んでくるわけさ。だけど、あたしはお前が毒々しいお前の頭を擡げてエジストに食って掛かることだけはすすめないよ。
あの人はね、棒の一撃で蝮の腹を叩き潰すことが出来るんだ。あたしの言うことをお信じ、あの人の言う通りにおし、
そうしないと後悔するよ。
街の上の方にね、洞窟があるの、その奥の方はどうなってるか若い人たちは見たことがないの。
何でも話によるとそれは地獄に通じているんですって、大祭司様が大きな石でその洞窟を塞がせたのよ。
ねえ、そんな事って信じられて? 毎年の記念日には、人々はこの洞窟の前に集って、兵隊たちがその入り口を塞いでいる石を横から押し退けるの、
そうするとあたし達の死者たちが、そう言うのよ、みんな地獄から上がってきて、町中のあちこちに姿を現すんですって。
街の人達は食卓の上には彼らのお膳立てをしてやり、彼らの為に椅子や寝台を持ち出し、
夜の時間には少しずつ体を押し合って彼らの座る席を作ってやるの。
彼らは至る所歩き回る、皆もう彼らの事だけしか考えない。あんたにだって生きている人たちの嘆き声が分かるわ。
《ああ、可哀想な死者、あたしの可愛い人、あたしにはお前に罪を犯そうなんて気持ちはなかったんだよ。許しておくれ》
そして翌朝になって一番鶏が鳴くと、死人たちはまた地下へ戻って行くわけなの。
人々がその石をその洞窟の入り口に転がして塞ぐと、それでもう次の年までそれはお終い。
ああ、あたしはこんな心にもない虚礼に加わるのはまっぴらだわ。そりゃあの人達の死者達かもしれないけど、
あたしの死者達ではないもの。
クリテムネストル お前が自分から進んで言うことを聞かなくたって、王様はお前を無理にでも連れて行くようにって命令なさったんだよ。
あたし、お祭りには顔を出しますわ。人民たちもあたしが現れるのを望んでいるんですから、望みをかなえてあげるわ。
あんたはね、フィレエブ、出発を延ばして頂戴。そしてあたし達のお祭りのお手伝いをして頂戴。
きっとあんたには可笑しくって笑ってしまうような事があるわ。じゃ、またね、あたしは支度してきます。
エレクトル、退場。
クリテムネストル (オレストに)お行き、お前はあたし達を不幸にするに違いない。お前にはあたし達を恨むことは出来ないよ、
あたし達はお前には何もしなかった。お行き。お前のお母さんのためにお願いするよ、お行き。
クリテムネストル、退場。
オレスト お母さんの為に……
ジュピテル、登場する。
オレスト?-ジュピテル。
ジュピテル あなたの従僕のお話では、お発ちになるんだそうですね。あの人は街中馬を探し回っているが、見つからんそうですよ。
だが、私が馬具をつけた値頃の牝馬を二頭調達して差し上げましょう。
オレスト 僕はもう発たないよ。
ジュピテル (ゆっくりと)お発ちにならないって? (間。活発に)それじゃあ、私もあなたとお付き合いしましょう、あなたは私のお客様というわけです。
この町の外れに一寸いい宿屋がありますから、そこでご一緒に泊まろうじゃありませんか。
私が旅の道連れではお気に召さないですかな? 先ずと---アブラクサス、ガラ、ガラ、ツェ、ツェ---こうしてまず蝿どもを追い払って差し上げて、と。
それに、何ですよ、私どもの年配の者は時には大変良いご相談相手になりますものでしてね。
わたしがお父上代わりになって差し上げることも出来ましょう、私に身の上話をなさって下さい。
さあ、いらっしゃい、お若い方、ご遠慮なく。こういっためぐり逢いは、後になってみると思いがけない利益があるものですよ。
例えば、テレマコスの例をご覧なさい。ご存じでしょう、ユリシーズ王の息子です。彼はある日、メントオルという名前の老人に逢いましてね。
その男は彼の運命に付き纏って、どこへでも彼の後に従ったのです。さて、ご存じですかな、このメントオルという男が何者だったか?
彼は話しながら、オレストを引っ張っていく。そして幕が下りる。
---幕---
第一景
山の中の祭式台。右手には洞窟。入口は大きな黒い石で塞がれている。左手には階段があって神殿に通じている。
第一場
群衆、次いでジュピテル、オレスト、そして教僕。
(手で払う)さあ、これで綺麗になった。お利口さんにしてるんだよ。そうして、そう言われたら他の人達と一緒に泣くんだよ。
子供 あそこからみんな出て来るの?
女 そうだよ。
子供 怖いよ。
女 恐がるがいいんだよ、坊や。うんと怖がり。そういう風にして人間というものはだんだん正直な人間になって行くのさ。
男 今日はいいお天気で、さぞお喜びだ。
別の男 お陰様でね。あの人達だってまだ太陽の熱は感じるらしいからな。去年は雨だったで、あの人達は……ひどく機嫌が悪かった。
第一の男 ひどいもんだったよ。
第二の男 全くなあ!
第三の男 あの人達が洞窟ん中へ戻って行って、儂らだけになったら、ここだけの話だが、儂あ此処へ上ってきて、この石を見ながらこう思うだろう。
《さあ、これでまずまず一年間は息災だ》ってな。
第四の男 そうかね? 俺だったら、そんな事じゃ気は済まないね。明日からはまた俺はこう思い始めるんだ。
《来年はあの人達はどうだろう》ってな。あの人達は来る年来る年毎に段々意地が悪くなって行く。
第二の男 黙れ。もし誰かが岩の裂け目かなんかから出て来ていて、俺たちの間にうろつき回っていたらどうするつもりだ……
死人の中には、先発で来て集っているのがいるんだぞ。
彼等、不安そうに顔を見合わす。
あたしは、本当にこうして待ってるのがたまらないよ。皆、こうして熱い太陽の照り付ける下で、
じっとこの真っ黒な石から目を離さずに見つめながら、地団太を踏んでいる……ああ! 死んだ人達も皆あそこに来てるんだよ。
あの石の向こうに。皆あたし達と同じように待ってるんだよ、皆あたし達にどんな悪いことをしてやろうかと考えながら、心を躍らせてるんだよ。
老女 分かったよ、あばずれ女め! あの女が何を恐れているか、みんな承知だ。あいつの亭主はこの春に死んだが、
もう十年も前からあいつはその亭主を騙して来たんだ。
若い女 ああ、そうさ、そうに違いないさ。あたしは確かに亭主を騙した、あたしは、したい放題な事をしてあの人を騙して来た。
だけど、あたしはあの人を愛してたんだよ。そして、あたしはあの人に安楽な生活をさせてやった、
あの人は全然あたしを疑ったりなんかしなかったんだ。あの人は死ぬ時には犬のような優しい感謝の眼差しをあたしに向けながら死んで行ったよ。
あの人は今では皆知っている。皆があの人の喜びを目茶目茶にしちまった、あの人は今ではあたしを怨んでいる、あの人は苦しんでるんだ。
今に、あの人はあたしの傍にやって来るよ、あの人の蒸気のような体があたしの体を抱いてくれる。
生きてる人が誰もしなかったようにしっかりとあたしを抱いてくれる。ああ! あたしはあの人を家に連れて行くんだ、
まるで毛皮のように首に巻いて。あたしはあの人の為に美味しいご馳走、甘いお菓子、手軽な間食なんかをあの人が好きだったように作ってあるわ。
だけど、何をしたってあの人の恨みは和らげることは出来ないんだよ。そして、今夜は……今夜はあの人はあたしの寝床に入って来る。
男 あいつの言う事は尤もだよ、全く。一体、エジストは何をしているんだ? 何を考えているんだ?
……こうしてじっと待っているのは、たまらない。
お前はあの方の身の上になりたいってのか、え、そして四六時中アガメムノンと顔を突き合わして苦しみたいってのかい?
若い女 ああ、恐ろしい恐ろしい、この待ち遠しさ。あんたたちはみんな段々とあたしから遠ざかっていくようだわ。
石はまだどけられていないというのに、もう誰も彼も死人たちに悩まされている、みんな一人ぼっちで、雨の雫のように。
ジュピテル、オレスト、教僕、登場。
ジュピテル こちらへいらっしゃい、こっちの方がいいですよ。
オレスト ああ、これがアルゴスの人民たち、アガメムノン王の忠実な臣下達なのか?
この人たちは恐怖のために死ぬ思いをしています。これもみんな迷信の然らしめる所ですよ。ご覧なさい、ほら、あの連中の顔を。
ところで、今度は私の哲学の優秀さが分かりたいと思ったら、さあ、あたしのこの生き生きとした顔色をよくご覧じろ。
ジュピテル 生き生きとした顔色何てつまらん者さ。頬っぺたが少しくらいひなげしの花のように赤くなったって、いいかな、そんなことくらいでは、
ここの連中と同じように、ジュピテルの眼にはやっぱり汚い糞屑にしか見えやしませんよ。さて、さて、お前さんは鼻持ちならん。
それでいてご自分でも臭いのをご存じないんだからね。ところでこの連中は鼻孔一杯に自分たちの臭気を感じている。
奴らの方がよっぽどお前さんより己を知っているわけだ。
群衆達、がやがや言う。
一人の男 (神殿の階段に上って、群衆に呼びかける)俺たちを気狂いにする気なのか? さあ、皆声をそろえてエジストを呼ぼうじゃないか。
あの方が、これ以上式を延ばすんだったら、もう俺たちは我慢できない。
群衆 エジスト! エジスト! お願いです!
一人の女 ああ、そうです! お願いです! 憐れんでください! ああ、誰もこのあたしを憐れんでくれないんですか!
ああ、あの人が、あんなに憎らしかったあの人が傷口の開いた咽喉をしてやって来るわ、
あの人は目に見えないべとべとした手にあたしを抱きしめる、あの人は一晩中あたしの情夫になるんだわ、ああ、一晩中!
彼女は気を失う。
ジュピテル 何ですって、お若い方、たかが目を回した女一人にそんな大声を出しなさるのか? 他にだってまだいますよ。
一人の男 (がくんと膝をついて)ああ、俺は忌まわしい! 忌まわしい! 俺は汚らわしい腐れ肉だ。
見ろ、俺の上には鳥の様に蝿どもが寄ってたかる! 食え、ほじくれ、穴を開けろ、復讐の蝿どもめ、
俺の肉体を汚らわしい胸の奥まで食い漁れ。俺は罪を犯した、俺は数え切れぬほど罪を犯した、俺は下水だ、糞溜だ……
ジュピテル 正直な奴だ!
男達 (抱え上げて)さあ、いいんだ、いいんだ。そんなことは、もう少し経ってから、あの人達がいらしてから言えばいいんだよ。
その男は呆けたようにぼんやりしている、彼は目をくりくりさせながら、喘いでいる。
群衆 エジスト! エジスト! お願いです! 始めるように命令してください! もう我慢がならねえです!
エジストが神殿の階段の上に現れる。後にはクリテムネストル、大祭司が続く、それに衛兵たち。
同上---エジスト---クリテムネストル---大祭司---衛兵たち。
エジスト 犬どもめ! 何をぶつぶつ言ってるのか? お前たちはもうあの卑劣な思い出を忘れたのか?
よし、ジュピテルにかけて、儂は思い出させてやる。(彼はクリテムネストルの方を振り向いて)
あの娘が来なくても始めることにしなければなるまい。あいつめ、今にどんな目にあうか用心するがいい。見せしめに儂が罰してやろう。
クリテムネストル 言いつけ通りにするって約束したんですのにねえ。あの娘は支度してるんですよ。きっとそうですわ。
きっと鏡の前で暇取ってるのに違いありません。
エジスト (衛兵に)誰か宮殿にエレクトルを探しに行って、否でも応でも此処へ連れて来るように。
(衛兵、去る。群衆に向かって)それでは、皆の衆、席に着け。男たちは儂の向かって右手。左手には女たちと子供だ。宜しい。
沈黙。エジスト待つ。
大祭司 この連中はもう待ち切れないんですよ。
エジスト 分かっとる。衛兵たちさえ来れば……
衛兵達、戻って来る。
衛兵の一人 王様、自分達は王女様をあちこち探しましたが、宮殿には人っ子一人おりません。
エジスト よし。その事は明日けりをつけることにしよう。(大祭司に)始め。
大祭司 石を除れ。
群衆 ああ!
衛兵達は石を除ける。大祭司は洞窟の入り口まで進み出る。
己が物とては唯大いなる遺恨のみしか持たざる者、みまし等、死にたる者よ、いざ立て、みまし等の祭りの時が来た!
来たれ、風に靡く巨大なる硫黄の蒸気の如く地面より立ち昇れ。地球の奥底から立ち昇れ、ああ、みまし等、百度死にたる者、
我らは心臓の一打ち毎にみまし等をさらに新たなる死に追いやる。今、ここにみまし等に祈祷を捧ぐるは、
その怒りと苦しみと復讐の念のために他ならず。来たれ、みまし等の憎しみを生ける者の上に飽くなく充たせ!
来たれ、濃い霧となって我らが街々にくまなくいきわたれ、みまし等の密集した軍勢を母と子の間に、恋人と恋人の間に推し進め、
我らに未だ死なざることを悔いさせよ。立て、夜叉よ、怨霊よ、亡霊よ、魔女よ、我らが夜の恐怖よ、立て、
烈しき呪いの言葉を叫びつつ死にたる兵士等、立て、不運なりし者、辱めを受けし者、立て、
苦しみのあまり呪詛の言葉を叫びつつ飢えのために死にたる者よ。見よ、生ける者たちは今ここにあり。
生きたるままの脂ぎった餌食どもが! 立て、彼らの上に雲霞の如く押し寄せて、骨の髄までかじり尽くせ! 立て! 立て! 立て!
銅鑼の音。彼は洞窟の入り口の前で踊る。最初はゆっくりと、それから次第に早くなり、終いにはすっかり疲れて倒れる。
エジスト 死人たちがやって来た!
群衆 ああ、恐ろしい!
オレスト もう沢山だ。僕は……
ジュピテル 私をよくご覧、お若い方、私を真向かいからじーっとごらん、ほら! ほら! 分かったでしょう。今は黙って。
オレスト あなたは誰なんです?
ジュピテル もう少し経てば分かりますよ。
エジスト 死人たちがやって来たぞ。(沈黙)ああ、あそこにやって来た、アリシー、お前が恥をかかせた夫だ。彼がそこへやって来た。
お前の傍に、お前に接吻している。ああ、しっかりとお前を抱きしめている。何とお前を愛していることか、何とお前を憎んでいることか!
ああ、あの女がやって来たぞ、ニシアス、そこへやって来た、お前の母親だ、世話をしてやらなかったので死んだのだ。
それからお前だ、セジエスト、破廉恥な高利貸め、皆あそこにやって来たぞ、あの不運な債務者達が、悲遇の裡に死んだ人達、
お前が破滅させたんで首を吊って死んだ人達だ。皆、ほら、そこへやって来てるぞ、そして今日こそはお前の債務者になるんだ。
それから、お前たち、親御達よ、優しい心の両親たちよ、目を少し下に向けて、もっと下の方、地面の方をご覧。
あすこにやって来たぞ、死んだ子供たちが、みんな小さな手をお前たちの方に差し伸べている。
そしてお前たちが与えてやらなかったあらゆる悦び、お前たちが与えたあらゆる苦しみが、
彼らの恨めしそうな、悲嘆にくれた小さな魂の上に鉛のように重くのしかかっている。
群衆 ああ、お願いです! 憐れんでください!
彼らの嘆きは永久に消えはしないのさ、なぜって彼らの勘定はもう永久に締切られてしまってるんだからね。
エシアス、お前は自分でこれから善行を施せば、お前が母親に対して為したあの不孝な悪徳を消すことが出来ると思っているのか?
一体どんな善行がそこまで及ぶと思ってるんだ。死んだ者の魂とは焼けつくような南国だ、風一つそよがず、何も動くものはない、
何も変わるものはない、何も生きてるものはない、むき出しの太陽、じっと動かない太陽がその魂を永遠にじりじりと焼き尽くしているのだ。
死者などはもはやいないのさ。---わかるな、この無慈悲な言葉の意味が---彼らはもはやいないのさ、
だから彼らはこうしてお前たちの罪の厳しい看守になって執拗にお前たちを苦しめるのだ。
群衆 お願いです! 憐れんでください!
エジスト 憐れんでだと! ああ! 哀れな喜劇役者ども、お前たちには今日は観客がいるのだ。
お前たちの顔やお前たちの手の上に、じっと注がれた絶望的な何百万という眼差しがのしかかっているのが分かるか?
皆我々を見ている、我々を見ている、我々は死者達の集いの前で裸なのだ。
はっ! はっ! さあ、お前たちは今では債務を負った窮屈な身の上だ。
あの目に見えない純潔な視線がお前たちを焼き焦がす、思い出よりももっと永久不変な視線だ。
群衆 憐れんでください!
男達 お許しください、あなた達が死者であるのに私達はこうして生きています。
あたし達は何時までも何時までもあなた方の喪に服します。暁方から夜中まで、夜中から暁方まで泣き続けます。
でも何をしても無駄なのです、あなた方の思い出はほぐれ、指の間から滑り落ちていきます。毎日その思い出が少しずつ色褪せるたびに、
あたし達は少しずつ罪深くなっていきます。ああ、あなた方は離れる、あたし達から離れていく、
あなた方はあたし達から溢血のように流れ出していく。でももしあなた方の激しい魂を鎮めることが出来るというんでしたら、申し上げます、
ああ、愛しい死んだ人達、あなた方の為にあたしたちは一生を棒に振ったんです。
男達 お許しください、あなた達が死者であるのに私たちはこうして生きています。
子供達 お願いです! 僕達は何も別に生まれたかったわけじゃありません、僕達は皆大きくなるのが恥ずかしいんです、
何で僕たちにあなたを害することなど出来たでしょう? 見て下さい、僕達は辛うじて生きています、僕たちは痩せ衰えて、青白く、
ちっぽけな子供達です。僕達は大きな音を立てたりしません、周りの空気さえ動かさないように、滑るように歩きます。
そして僕達はあなた方が怖いのです。ああ、とっても怖いのです!
男達 お許しください、あなた達が死者であるのに、私達はこうして生きています。
大地が揺らぎ、空が掻き曇って来た。死者の中でも最も偉大なる者が現れて来るのだ。わしがこの手で殺した男、アガメムノンだ。
オレスト (剣を抜いて)悪党め! お前の猿芝居に父の名前を使うことは許さないぞ!
ジュピテル (男に抱き着いて抑える)---止めなさい、若い方、止めなさい!
エジスト (振り向いて)誰だ? (エレクトル、白い衣装を着て、寺院の階段に現れる。エジスト、それを認めて)エレクトル!
群衆 エレクトル!
同上---エレクトル。
エジスト エレクトル、その衣装はどういうわけだ?
エレクトル 一番奇麗な衣装を着たんです。今日はお祭りの日ではないこと?
大祭司 死者を馬鹿にしに来なさったのか? 今日は死者達のお祭りだ。よくご存じの筈ではないか、あんたは喪服を着て現れなければいけなかったんじゃ。
エレクトル 喪服、なぜ喪服でなければいけないの? あたしは自分の死者達なんてちっとも怖くないし、あなた達の死者にだって何の用もないわ!
エジスト それは確かにそうだ。お前の死者達は儂らの死者達ではない。皆の者、これを見ろ、淫売婦の衣装を着て、これはアトレウスの孫娘だ、
あの自分の生い立ちを卑怯にも殺してしまったアトレウスのな。お前は呪われた家系の最後の子孫でなくて何だろう?
わしはお前を可哀想に思って、儂の宮殿の中では黙ってお前のするがままにさせておいた、
だが今日こそそれが間違いだったということが分かったのだ、というのはお前の血管を流れているのは相も変らぬあのアトレウス一家の古い腐った血なのだし、
これは何とか決まりをつけねばお前は我々皆にまで害毒を及ぼさぬとも限らぬからな。しばらく待っておれ、牝犬め、
儂がどんな罰を与えることが出来るか今に分かるぞ。お前は今に泣こうったって泣けないような目に遭うのだ。
群衆 涜神者!
エジスト 聞いたか、哀れな娘、お前があまり酷い事を言ったのでこの人民達が喚いているのだ。お前の事を何と呼んだか聴こえたか?
儂がいてあの激怒を抑えてやらなければ、お前はたちどころに八つ裂きにされてしまう所だぞ。
群衆 涜神者!
エレクトル 陽気にしている事が涜神者なの? 何故陽気になれないのかしら、この人達? 誰がそうさせないの?
エジスト 微笑っている、死んだあの娘の父親が、顔に血を凝らせて現れているというのに……
どんな愛と悲しみの言葉をあの人がしわがれ声であたしに囁くか、御存知なの? あたしは笑っているわ。本当よ。
あたしがこんな風に笑うのは生まれて初めてだわ、あたしは幸福よ。あたしの幸福がお父様の心を悦ばせないとでも思ってらっしゃるの?
ああ! もしあの方が本当にここにいらして、自分の娘が、あなたが卑しい奴隷の身分にまで引き下げてしまった自分の娘が白い衣装を着ているのを見たら、
そしてその娘が堂々としていて、不幸な境遇に少しもその自尊心を傷つけられていないということが分かったら、あの人は、そりゃあきっと、
夢にもあたしを呪ってやろうなんてお考えにならないはずだわ。死刑にされたあの惨たらしいお顔の中に輝いている両の眼、
血だらけのあの唇が一生懸命笑おうとなさっている。
若い女 あの人の言うのが本当かもしれないよ?
声々 本当なもんか、嘘をついて言るんだ。気が狂っているんだ。エレクトル、さっさと行ってくれ、さもないとお前の不敬が俺たちにも禍するからな。
だけど一寸あたしの話をお聞き、これはあたしが今聞いてきたばかりで、あんた達はきっとご存知ないと思うから言うわ。
希臘にね、幸福な街が幾つかあるのよ。蜥蜴のように暖かい太陽の下で白く光ってじーっとしている街なの。
今時分だってそこでは、この同じ空の下でよ、子供たちが楽しそうにコリントの広場で遊び戯れているの。
そしてその母親達だって子供達をこの世に産んでしまったことをこれっぽっちも後悔なんかしていないの。
母親達はにこにこ笑いながら子供たちを見守っている、子供達が自慢で仕様がないの。ああ、それに反してアルゴスの母親達はどう?
分かって? 本当にあんた達には一人の女が自分の子供を眺めて、《ああ、この子があたしのお腹を痛めた子なのかしら》
なんて考えている、その得意な気持ちが分かるかしら?
エジスト いい加減にして、黙らんか? さもないと無理にも黙らしてしまうぞ。
声々 (群衆の中より)そうだ、そうだ! 黙るがいい。沢山だ、もう沢山だ!
他の声々 いいや、喋らせろ! 喋らせろ! あの娘にはアガメムノンがのりうつっているんだ。
ああ、それなのに、あんた達は自分で自分を責め苛んで、あんた達は農夫が自分の土地の上を歩き回って、
《いい天気だな》っていうあの慎ましやかな満足の気持ちを忘れたの? 今のあんた達はどう? 腕をだらんと垂れて、頭を低くうなだれて、
苦しそうな息遣い。あんた達は死者に纏いつかれて、彼らを押しのめしてはいけないと思って肩身の狭い思いでじーっと動かないでいる。
さぞ恐ろしい事でしょうね? もしあんた達の手が、あんたのお父さんの魂かお祖父さんの魂か知らないけれど、
ちょっとでも湿っぽい蒸気の中を付図かすめ通ったりしたら。---あたしをご覧。あたしは両手を差し伸べるわ、
あたしは思い切って拡げるわ、目を覚ました許りの男の人のように伸びをするわ、
あたしは太陽に照らされて自分の場所を思いのままに占領している。空があたしの頭の上におっこちて来るとでも言うの?
あたしは踊るわ、ご覧、踊って見せるわ。あたしは髪の毛に風がそよぐ他には何も感じやしない。死人たちなんて一体どこにいるの?
あたしと一緒に、拍子を合わせて、踊っているとでも思うの?
大祭司 アルゴスの人民諸君。この女は讀神者だ。この女に禍あれ、またお前たちの中でこの女の言葉に耳を貸すものにも禍あれ。
あたしのお祈りを聞いて頂戴。もしもあたしが讀神者で、あなたの痛々しい霊魂を傷つけているというんだったら、
何か合図をして頂戴、さあ早く、あたしにそれが分かるように早く何か合図をして頂戴。
だけど、もしあたしの言う事が正しいと思ったら、その時はいいこと、黙ってて頂戴ね。木の葉一枚も動かしては厭よ、
草の一片だって動かしては厭、私の神聖な踊りの邪魔になるような物音一つ立てないで頂戴。
何故ってあたしは悦びの為に踊るんですもの。人々の平和のために踊るんですもの、あたしは幸福の為に、生命の為に踊るんですもの。
ああ。あたしの死んだ人達、あたしはあなた方に沈黙を要求するわ。それはこのあたしを取り巻いている人達にあなた方の心が
あたしと共にあるってことを知ってもらいたいためなの。
彼女は踊る。
声 (群衆の中から)ああ、あの娘は踊っている! 見ろ、炎のように軽やかに、あの娘は太陽の下で踊っている、
まるではたはたと翻る旗のようだ---それなのに死人たちは皆黙っているじゃないか!
若い女 ほら、あの恍惚とした様子をご覧。---まあ、あれが不敬な女とはとても見えないわ。さあ、どうなの?
エジスト、エジスト! あんたは何も言わないのね? どうして返事をしないの?
だが、今からでも取り返しのつかぬものでもない。心配するな、儂は彼奴を地面に叩きつけて、あいつ諸共、血筋を絶滅してやる。
群衆 脅かしたって返事にはならんぞ、エジスト! 俺たちにそれだけしか言う事はないのか?
若い女 ああ、あの娘は踊っている。笑っている、あの娘は幸福なんだよ、死人達だってあの娘を守ってやってるようだ。
ああ! なんて羨ましいエレクトル! ほら、ご覧、あたしも、あたしも両手を広げるよ、太陽に向かって思い切り胸を突き出すよ!
声 (群衆の中から)死人達は黙っている。エジスト、お前は俺たちに嘘を吐いたんだな!
オレスト ああ、かわいいエレクトル!
ジュピテル よし、儂があのお転婆女を黙らせてやる。(彼は腕を差し伸べ)ボジドン、カリブウ、カリボン、ララバイ。
洞窟の入り口を塞いでいた大きな石ががらがらっと音を立てて神殿の階段の方へ転がる。エレクトルは踊りを止める。
群衆 ああ、恐ろしい!
長い沈黙。
お前たちが讀神の女の言葉に耳を傾けたから、我々に呪いが降りかかって来たのだ!
群衆 私達は何もしません、私達の罪ではございません。あいつがやって来て、毒のある言葉で私達をそそのかしたんです!
川へ行け、魔女め、川へ行け! 火炙台へ行くがいい!
一人の老女 (若い女を指して)それから、あそこにいる、あの女だ。あの女はあいつのお説教をまるで蜂蜜かなんぞのように吸い取ったのさ、
あの女の服をはぎ取れ、真っ裸にして、骨の髄まで鞭打ってやれ。
人々は若い女をひっ捕らえる。男たちは階段を上って、エレクトルの方へ突進する。
エジスト (また威儀を正して)静かにせんか、犬ども。皆自分の席について、きちんとして俺。処罰は儂がする。
(沈黙)どうだ? 儂の言う事をきかぬ奴はどんな目に遭うかはっきり分かっただろう? まだお前たちの元首を疑う気か?
皆自分の家へ帰れ、死者達がお前たちの後から跟いて行く、彼らは一日中、一晩中お前たちのお客になるのだ。
お前たちの食卓に、暖炉に、寝床に彼らの場所を準備してやれ、そうして一生懸命模範的な行いをしてこういう無様な醜態を忘れて貰うように努めるがいい。
儂は、お前達の疑いでひどく傷つけられはしたが、まあお前たちを許してやろう。併し、お前はだな、エレクトル……
エレクトル 何だって言うの? あたしは見事失敗したわ。この次の時にはもっと巧くやってみせるわ。
その法律を悪用したんだ。だがお前にはもう都市の一員たるの資格を無くしてやる。お前は追放だ。
お前は荷物もなく、裸足で、その破廉恥な白い衣装を身体に纏ったまま出発するのだ。分かったな、
もし明日の暁方、お前がまだこの城の壁の内にいたら、儂は誰でもお前を見つけ次第、
海鮮にかかった羊の様にお前をぶち殺すように命令するぞ。
彼は衛兵たちを従えて、退場する。群衆は彼女に拳を握り示しながら、エレクトルの前を列を作って通る。
ジュピテル (オレストに)さあ、如何ですな? 少しは敬神の心が起こりましたかな? 私のとんでもない間違い。
でなければ、これはまあ一つの教訓話とでも申しましょうか、悪い奴らが罰せられ、良い連中が報いを受けた。
(エレクトルを指して)あの女は……
オレスト あの女は僕の妹だ、お爺さん! 行ってくれ給え、僕はあの娘と話したいのだ。
ジュピテル (一寸彼を見つめ、それから肩を聳やかす)どうぞ御随意に。
ジュピテル、退場、次いで教僕も退場する。
エレクトルは神殿の階段の上---オレスト。
オレスト エレクトル!
エレクトル (顔を上げて、彼を見つめる)---あら! ここに来てたの、フィレエブ?
オレスト お前はもうこの街にいてはいけない、エレクトル。危険だよ。
エレクトル 危険? ああ、それはそうだわ! あんた、あたしが先刻見事に失敗したのを見てらしたのね。あれは幾らかはあんたのせいもあるのよ、
そうでしょ。だけどあたしは別にあんたを非難するわけじゃないわ。
オレスト 一体僕が何をしたって言うんだ!
エレクトル あたしを騙したわ。(彼女は階段を下りて彼の方にやって来る)さあ、あんたの顔をよく見せて。本当に、あんたの眼には惹きつけられるわ。
オレスト ぐずぐずしていてはいけない、エレクトル。いいかい、僕達は一緒に逃げるんだ。誰かに頼めばきっと馬を世話してくれる、
僕はお前を後ろに乗せよう。
エレクトル 厭よ。
オレスト 僕と一緒に逃げるのが厭なのかい?
エレクトル あたしは逃げるのが厭なの。
オレスト 僕はお前をコリントに連れて行くんだ。
あたしがコリントで何をするって言うの? あたしは理性的にならなければいけないわ。昨日までは、あたしは随分慎み深い欲望を持っていた。
あたしが食卓で目を伏せながらお給仕していた時、あたしは睫毛の間からそっと王様夫婦を見つめたの、
死んだような顔つきをしたあの美しい老婦人、王様の方は、デブで肥って青白く、意気地のない口元、
顔には片一方の耳からもう一方の耳までずーっとまるで蜘蛛がいっぱいたかったように生えている黒い髯、
その時あたしは、何時か一条の煙が、小さなまっすぐな一条の煙が、丁度寒い朝に吐く息みたいに、
あの人達の切り開かれたお腹から立ち昇るのを見たいものだ、とそんなことを夢想したわ。あたしが願ったことはそれだけ、
フィレエブ、本当にそれだけよ。あんたがどういうことを望んでるかあたしは知らないけれど、あたしはあんたを信じてはいけないんだわ。
あんたは慎み深い目をしていない。あたしがあんたと知り合う前はどんな事を考えていたかご存知?
それはね、賢人という者は地上では何も望むことは出来ない、ただ世の中の人が彼を苦しめた悪に対していつの日か報いてやるだけだ、
という事なの。
オレスト エレクトル、もしお前が僕について来たら、賢人でいながらも我々にはまだ沢山いろんな事を望むことが出来るって事が分かるだろうよ。
あんたは娘のような優しい顔に飢えたような目をしてやってきた、そしてあたしの憎しみを忘れさせてしまったわ。
あたしは両手を広げたので、たった一つの大事な宝物を足元に落としてしまった。
あたしはこの町の人達を言葉で治してあげることが出来ると信じたかった。だけど、どういう事になったかは先刻ご覧になった通りだわ。
あの人達は自分達の苦しみを愛しているの、あの人達は、いつも何か一つ身近な傷跡を汚い爪で引っ掻きながら後生大事に持っていることが必要なんだわ。
あの人達を治すなら暴力による外はないわ、なぜって一つの悪を滅ぼすなら一つの悪を以ってするより他はないんですもの。
さようなら、フィレエブ、言って頂戴、あたしは一人でいろんな悪い事を考えたいの。
オレスト あの人達はお前を殺すよ。
エレクトル この街に聖殿があるわ、アポロンの神殿なの。あそこには犯人がよく逃げ込むの。そして、あの中にじっと隠れている限りは、
誰も髪の毛一本触れることは出来ないの。あたしはあそこに隠れるわ。
オレスト どうしてお前は僕の援助を拒絶するの?
エレクトル あたしを助けるのはあんたの役目じゃないわ。他の或る人があたしを助け出しに来てくれる筈なの。(間)
あたしの兄さんが生きているのよ、確かに生きているの。あたしはその人を待ってるんだわ。
オレスト でももしその人が来なかったら?
あの人はあたしと同じような罪と不幸の血をひいているの。その人は、あたしのお父さんと同じような大きな血走った眼をした、ある立派な兵士か何かで、
何時も心の中で怒っているような人なの。あの人は苦しんでいる、あの人は、丁度お腹を割かれた馬達がたれ下った腸の中に足をもつらせて困っているように、
自分の運命の中ですっかり混乱しているんだわ。
だから今、あの人は少しでも動こうとすれば、自分の内臓を毟り取らねばならないの。あの人はやって来るわ、この街があの人を呼び寄せる、
それは確かだわ、だってここでこそあの人は最も大きな禍を引き起こすことが出来るのですもの、自分でも一番苦しむことが出来るわけですもの。
あの人はやって来るわ。頭を垂れて、苦しそうに、虚勢を張って。何だか怖いようだわ。毎晩毎晩あたしは夢であの人を見るの、
そしていつもうなされて目を覚ます。だけどあたしはあの人が来るのを待っている。あの人を愛してるわ。
あたしはここにいて、あの人の怒りを導いてあげなければならないんだわ---だってあたしにだってそれくらいの判断力はあるわ---
あの人に罪人達を指で指していってやるの。《やっつけて、オレスト、やっつけて。あの人達がそうよ!》って。
オレスト でももしその人がお前の考えているような人でなかったら?
エレクトル どんな人だったらって言うの、アガメムノンとクリテムネストルの息子が?
オレスト 例えば、幸福な街に育って、そういう流血沙汰にはすっかり嫌気のさしている男だったとしたら?
だけどあんたはとんだ勘定違いをしているわね。あんたはアトレウスの孫よ。アトレウス一家の運命から逃れられやしないわ。
あんたには罪を犯すよりも恥辱を受ける方がよかったのね。勝手にするがいいわ。だけど運命はきっとあんたの寝床の中にまであんたを呼びに来るわ。
あんたはまず恥じ入るわ、それからあんたは不本意ながら罪を犯すだろう!》って。
オレスト エレクトル、僕がオレストなのだ。
エレクトル (叫んで)嘘おつき!
オレスト 父アガメムノンの霊魂に誓って言う。本当なのだ。僕はオレストだ。(沈黙)さあ、どうだい? 何故僕の顔に唾をひっかけようとしないの?
エレクトル どうしてあたしにそんな事が出来て? (彼女はオレストをじっと見つめる)
この美しい額があたしのお兄さんの額。この輝いている両の眼があたしのお兄さんの眼だわ……。
ああ! あんたがフィレエブのままでいて、本当の兄さんは死んでいてくれた方がずっとよかったわ。
(おそるおそる)あんたコリントにずっと住んでらしたって本当?
オレスト いや、僕を育ててくれたのはアテネのブルジョワ達なんだ。
エレクトル 何てあんたは若々しいんだろう。あんたは戦争をしたことはないの?
腰に差しているその剣、あんたはそれを一度も使ったことはないの?
オレスト 一度も。
あたしはただその人の強さだけしか考えていなかった。自分の弱さなんてちっとも考えなかった。今ではあんたはここにいる。
オレスト、あんただったのね。こうしてあんたの顔を見つめていると、あたし達はたった二人っきりの孤児だってことがはっきり分かるわ。
(沈黙)だけど、あたしはあんたを愛している、分かるでしょ。あたしがあの人を愛したよりずっと。
オレスト おいで、僕を愛してくれるなら。一緒に逃げよう。
エレクトル 逃げる? あんたと一緒に? 厭だわ。アトレウス家の運命が演ぜられるのはここでなんだわ。
それにあたしだってアトレウスの血筋をひいた娘。あたしはあんたには何も頼まないわ。
フィレエブにはもう何も頼みたいとは思わないわ。でも、あたしはここに残るの。
ジュピテルが舞台奥に現れて、二人の話を聞くために身を隠す。
オレスト エレクトル。僕はオレストだ……お前の兄だ。僕だってアトレウス家の一員だし、お前だって僕と同じ身内の人間じゃないか。
そしてその方があの人にとってもずっといいんだわ。これからはあたしはあの人の霊魂をお父さんやお姉さんの霊魂と一緒に敬うの。
だけどあんたは、アトレウスの名前を申し立てにやって来て、自分であたし達の身内だなんて、あんたは一体誰なの?
あんたは殺人という恐ろしい暗い影に生きてきたの? あんたはきっと聞き分けのいい穏やかな物腰の落ち着いた子供だったに違いないわ。
育ててくれた養父の自慢の種で、体は綺麗に洗われ、目は信頼感に輝いていた。あんたは人々を信頼しきっていたのね、
なぜなら彼らは食卓ででも、寝床でも、階段の上ででもいつも仰々しく微笑みかけてくれたし、
その人達はその人の忠実な召使だったんですものね。それに毎日の生活だって、あんたはお金持ちだったろうし、
玩具だって沢山持ってらしたろうからね。時には世の中ってものもそう悪く出来たもんでもないとか、満足げに溜息をつきながら、
ちょうどいい塩梅のぬるま湯のお風呂につかるようになるがままに身を任せておくのもいいもんだなどと思ったりしたに違いないわ。
ところがあたしは、六つの時、もう召使の身の上だった。そしてあらゆることを疑ったもんだわ。
(間)美しい魂なんて、真っ平。あたしには美しい魂なんて用はないの、あたしの欲しかったのは共犯者だわ。
オレスト 僕がお前を一人ぼっちにするとでも思ってるの? お前は最後の希望まで失ってしまっているというのに、
一体ここで何をしようって言うの?
エレクトル あんたの知ったことじゃないわ。さようなら、フィレエブ。
それが僕のせいなのかい? そりゃお前はその人に逢ったら早速腕を捕まえて、《やっつけて!》って言ったことだろう。
僕にはお前は何も言わなかった。実の妹までが、試してみることさえしないで追い返してしまうなんて、ああ、僕は一体何者なんだ?
エレクトル ああ! フィレエブ、あたしは憎しみの影もないあんたの心にそんな思い負担をかけるなんて、とても出来やしないわ。
オレスト (萎れて)全くそうだ。憎しみもない。愛だってありはしない。お前をだって僕はきっと愛することが出来たろう。
きっと出来たろう……だが、それがどうだって言うんだ? 愛するためには、憎むためには、我と我が身を捧げなければならない。
裕福な金持ちに生まれ、幸福の中にしっかりと根を下ろして育てられた男が、或る日のこと恋に、憎しみに一身を捧げ切って、
自分と一緒に土地も、家も、思い出も全てを与えてしまうとしたら、彼は立派な男だ。それに引き換え僕は何者だろう。
与えるものなど何があろう? 僕は辛うじて生きている。今日街を彷徨っているどの亡霊だって、この僕程に亡霊らしくはない。
僕は、蒸気のように躊躇い、散らばっていく亡霊の愛を知った。だが生きている人間たちの張りつめた情熱を僕は知らない。
(間)恥かしい! 僕は生まれ故郷の町へ帰って来た、それなのに妹はこの兄を認めてくれようとしない。
これから、僕はどこへ行ったらいいんだろう? どこの町へ姿を現したらいいんだろう?
エレクトル 誰か美しい顔をした娘さんが待っているような街はないの?
そしてどの街も皆出て行ってしまえば何事もなかったように門を閉ざしてしまう。僕がアルゴスの町を出て行ってしまったら、
お前の心の悲しい幻滅の他にどんな足跡が残るだろう?
エレクトル あんたは幸福な街々の事を話してくれたじゃないの……
オレスト 僕はとても幸福を望んでいる。僕はアルゴスの人達の中に僕の思い出を、僕の土地を、僕の地位を求めたいのだ。
(沈黙)エレクトル、僕はここから出てはいかないよ。
エレクトル フィレエブ、行って頂戴。お願いだわ。あたしはあんたが可哀想なの。あたしが可愛いんだったら行って頂戴。
ここにいたら悪い事しか起こらないわ。あんたの無邪気さがあたしのせっかくの計画を駄目にしてしまうわ。
オレスト 僕は行かないよ。
エレクトル じゃ、あたしが、あんたのそのやりきれない潔白さの中で、
あんたにあたしの行動の威嚇的な無言の審判をさせるままにしておくとでも思っているの? 何故あんたはそう頑固なの?
ここでは誰もあんたなんか欲していないわ。
分かっておくれ、僕は何処かに籍のある人間になりたいんだ、人々の間にある一人の人間としてさ。
そうだ、例えば一人の奴隷としてだっていい、重い荷物を背負い、疲れ果てて不機嫌そうに顔をしかめ、足を引き摺って、
自分の足許を見つめながら、ただ何とかして転ばないようにと、ひたすら自分の足許を見つめながら歩いている時だって、
彼は兎も角も自分の町の中にいるんだ、木の葉が茂みの中にちゃんとついている様に、気が森の中にある様に、
アルゴスが彼の周りにあるんだ、全く重苦しく、全く暑苦しく、全くそれらしくありのままの姿で、彼の周りにあるんだ。
僕はその奴隷になりたいんだ、エレクトル、僕は自分の周りに街全体を引き寄せて、夜具かなんかに包まるようにそれに体を押しつけたいんだよ。
僕は出て行かないとも。
エレクトル たとえあたし達の街に百年とどまったって、あんたは何時までもただの見知らぬ他人、街道を旅している時よりももっと孤独なだけだわ。
町の人達は半ば閉じた目蓋の間からあんたをじっと見つめることだろう。そしてあんたが近くを通り過ぎる時、彼らは声を潜めて囁くんだわ。
オレスト お前たちの役に立つのはそんなに難しいことなのかな? 僕の腕はこの街を防御することだってできる、
それに街の貧民たちを救済する金だって持っている。
エレクトル この街は、隊長さん達にだって、慈善を施す信心家達にだって不自由はしてないわ。
オレスト そうか、じゃあ……
彼はうなだれて、数歩行く。ジュピテルが現れて、手を擦りながら彼を見つめる。
僕は滅多にお前の方に目を向けたことはなかった、そしてお前も僕にはちっとも恩恵を与えてくれなかった。
だが僕がこれまでにただ「善」だけしか望まなかったという事をお前だけは知っているはずだ。
今僕は疲れ果てて、もう僕には「善」と「悪」の区別がつかない。僕おは誰かに僕の行くべき道を示してもらわなければならないのだ。
ゼウスよ、生まれ故郷を追放された王の一人息子は、本当に、聖人らしく諦めてその追放に甘んじ、
野良犬のように頭をうなだれてその場所を去らなければならないというのか? それがお前の意思なのか? 僕にはそれは信じられない。
ああ、だが……。だがお前は血を流すことは禁じている…。ああ! 血を流すなんて言ってるのは誰だ、
僕はもう自分で何を言っているのか分からない……。ゼウスよ。お願いだ。もし諦めと憐れむべき卑下がお前の僕に課する掟だというのなら、
お前の意思を何かの啓示で示してくれ、僕には何もかもはっきり分からなくなってしまったんだ。
ジュピテル (独白)さてそれではどうしてやるかな。よし、こうしてやろう! アブラクサス、アブラクサス、ツェ、ツェ!
光が石の周りにぼーっと燃え立つ。
エレクトル (笑い出して)はっ! はっ! 今日はまるで雨の様に奇跡が降るじゃないの! 御覧、信心深いフィレエブ、
神々に願をかけるとこういうご利益があるのよ! (エレクトルは狂気じみた笑いにとらわれる)善良なお若い人……。信心深いフィレエブ。
《啓示を見せて下さい、ゼウス、啓示を見せて!》すると、どう、あんな光が神聖な石の周りに燃え立ち始めたわ。
行って頂戴! コリントへ! コリントへ! 行って!
いつも<ご免なさい>と<有難う>を言う事……つまり、それが「善」なんだな? (間。彼は相変わらずじっと石を見つめている)
「善」。彼らの「善」さ……。(間)エレクトル!
エレクトル 早く行って、早く行って。オリンポスの山の上からあんたに心を傾けているあの賢い乳母を裏切っては駄目よ。
(彼女は、驚いて、止める)どうかしたのあんた?
オレスト (声が変わっている)もう一つの道があるんだ。
エレクトル (恐怖して)意地悪しないで、フィレエブ、あんたは神々の指図を求めた。さあ、どうなの! あんたにはそれが分かったのね。
オレスト 指図? ああ、そうか、つまりお前は、あの大きな石ころの周りの、あの光の事を言ってるんだな? あの光は、あれは僕の為のもんじゃない。
それにもう今は誰だろうと僕に指図をすることは出来ないんだ。
エレクトル あんたはまるで謎みたいなことを言うのね。
オレスト ああ、なんてお前は、急に、僕から遠ざかってしまったんだ……何もかもすっかり変わってしまった!
先刻までは僕の周りには何か生き生きとした熱っぽいものがあった。それが、何かこう今しがた死んでしまったようだ。
今ではなんて全てが空虚なんだろう……ああ! 何という無限の空虚さだ、見渡す限り……(彼は数歩歩く)夜がやって来た……
お前、寒いとは思わないかい? ……だが一体何だろうこれは? この今しがた死んだばかりのものは一体なんだろう?
エレクトル フィレエブ……
下りなきゃならない、分かるかいお前たちの所まで下りて行かなきゃならない、お前たちは穴倉の奥にいるんだ、ずっと奥に……
(彼はエレクトルの方へ進み出る)お前は僕の妹だ、エレクトル、そしてこの街は僕の街だ。僕の妹!
彼はエレクトルの腕をつかむ。
エレクトル 放して頂戴! 痛いじゃないの、怖いじゃないの---あたしはあんたの身内なんかじゃないわ。
オレスト 知っている。まだなんだ。僕も身は余りにも軽すぎる。
僕は、アルゴスの底まで僕をまっすぐに沈めてくれる重い罪悪の砂嚢の錘をつけなければならない。
エレクトル あんたは一体何をしようって言うの?
オレスト お待ち。先ず僕のものだったこの汚れない軽快感に別れを告げさせてくれ。僕の青春に告別の言葉を言わせてくれ。
ああ、あの楽しい夜……コリントやアテネの、喜びの歌声や香りに満ちた幾夜、あれはもう永久に僕のものではなくなるんだ……
さあ、さよなら! 永久にさよなら! (彼はエレクトルの方にやって来る)ほら、エレクトル、僕達の街をご覧。あれが僕達の街だ。
太陽の下に赤々と照り輝き、夏の日の午後の頑固な物憂さの中で、人間どもや蝿どもがざわめいている。
あの街の壁という壁、屋根という屋根、閉ざされた戸という戸が僕を追い払おうとする。だがしかし、あの街は僕のものになるんだ。
僕は今朝からそういう気がしていた。それから、お前もさ、エレクトル、お前も僕のものになるんだ。僕はお前達を自分のものにしてやる。
僕は斧になって、この頑固な城壁を真っ二つに割り、この偏狭な迷信者の家々を切開してやるんだ、
きっとその大きく開いた傷口から食物と香の匂いをぷんぷん発散することだろう。
僕は鉞になって丁度鉞が樫の幹の芯の中に打ち込まれるようにこの街の只中に突っ込んでいってやるんだ。
ああ! あんたはあんなに優しかったのに、フィレエブ。
今のあんたの話し方はもう一人のあの人が夢の中であたしに話したのと同じようだわ。
オレスト いいかい。あの薄暗い部屋の中で愛する死人達に囲まれて震えて言う人たち、
例えばこの僕が自ら進んで「後悔の盗人」という名前を受け入れて、僕の心の内に彼らの悔恨の全て、夫を騙した妻の悔恨も、
自分の母親を死なせた商人の悔恨も、債権者達を死ぬまで搾取して苦しめ抜いた高利貸しの悔恨も皆一手に引き受けて取り入れてやるとしたら?
ねえ、いつの日か、僕がそうしてアルゴスの町の蝿の数よりも多い後悔に、街中のありとあらゆる後悔に付き纏われるようになったとしたら、
その時には僕は君達の間で市民権を獲得していないだろうか? その時は、僕は丁度赤い前掛けをした肉屋の主人が
今皮をはいだばかりの牛肉の間で、自分の店に納まって寛いでいるように、お前たちの血生臭い城壁に囲まれて自分の家にいるような
寛いだ気持ちになってはいないだろうか?
エレクトル あんたはあたし達に代わって、償いをしたいと仰るの?
オレスト 償い? 僕はお前たちの後悔を自分の中に取り入れてやろうとは言ったが、あの騒々しい野禽どもをどうするかという事は言わなかった。
多分僕はあいつらの首を絞めてしまうだろう。
エレクトル だけど一体どうしてあたし達の不幸を引き受けることなんか出来て?
オレスト お前たちは唯それを払いのけさえすればいいんだ。王と王妃だけがお前たちの心に無理にそれを押し付けているのさ。
エレクトル 王と王妃……フィレエブ!
(長い間)
エレクトル あんたは若すぎるわ、弱すぎるわ……
オレスト 今度は、尻込みするのかい? 僕を宮殿の中に隠してくれ、今夜僕を王の寝室まで連れて行ってくれ、
そうすれば僕が弱すぎるかどうか分かるだろう。
エレクトル オレスト!
オレスト エレクトル! お前は初めてオレストと呼んでくれたね。
エレクトル そうよ。今度こそ本当にあんただわ。あんたはオレストだわ。あたしにははっきりあんたとは分からない、
だってまさかこんな風に会うなんて夢にも思ってなかったんですもの。だけど、この口の中の苦い味、この熱っぽい味、
あたしは夢の中でこれと同じ味を何度感じたか知れない、それを今はっきりと思い出したわ。じゃあ本当に来てくれたのね、オレスト、
そしてあんたの決心ももうついている、そしてあたしも何度も夢に見たように、これから取り返しのつかない行動を始める所なんだわ!
あたしは怖いわ---夢の中のように。ああ、待ちに待った、あんなにも恐れていた機会!
これからは、瞬間瞬間が機械仕掛けの歯車のようにかみ合っていくのよ、そうしてあたし達は、
彼ら二人がまるでつぶれた桑の実のような顔をして仰向けに打倒されるまで、一刻もぐずぐずしてはいけないんだわ。
ああ、その一杯の血! そしてそれを流すのはあんたなのね、あんなに優しい目をしていたあんたが、ああ、
あたしはもう二度とあの優しい眼差しは見られないのね、もう二度とフィレエブには会えないわけなのね。
オレスト、あんたはあたしの兄さん、そしてあたし達の家族の長よ、あたしをあんたの腕の中に抱いて頂戴、あたしを守って頂戴、
何故ってあたし達はこれからとても大変な苦しみを招きに行こうとしているんですもの。
オレストはエレクトルを腕に抱く、ジュピテルは隠れていた場所から出て、抜足差足で行ってしまう。
―幕―
宮殿の内部。王の居室。恐ろしい血に染まったジュピテルの像。太陽が沈む頃。
第一場
エレクトル、まず登場して、入って来る様にとオレストに合図する。
オレスト 誰か来た! (彼は手に剣をとる)
エレクトル 巡察をしている兵隊よ。あたしの後についてらっしゃい。この辺りに隠れましょう。
彼らは玉座の背後に身を隠す。
同上(隠れている)---兵士二人。
第一の兵士 今日はまた蝿どもめ、どうしたっていうんだろう。まるで気違い沙汰だ。
第二の兵士 こいつらは死人の臭いを嗅ぎつけたんで、それで大喜びなのさ。全く、口を開けると蝿の奴らが飛び込んで来て、
咽喉の奥で大騒ぎをしやがるんじゃねえかと思うと、うっかり欠伸も出来ねえよ。
(エレクトル、一寸顔を出し、また隠れる)あれっ、なんか変な音がしたようだぜ。
第一の兵士 そりゃあ、アガメムノンが来て玉座についたのさ。
第二の兵士 で、その大きな尻が椅子の板木を軋ませたってわけか? そんなことはねえよ、兄弟、死人には重さってもなあねえもの。
第一の兵士 重さのねえのは並みの人間だけよ。だけど、あの方あ、王家の死人になりなさる前から大した立派な体格だった。
そうさな、一年ならしにして、百二十五キロ位はあったろう。あれだけの目方で何ポンドかでも残ってねえなんて、とても考えられねえこった。
第二の兵士 じゃあ……本当にここに来てなさるというのかね?
第一の兵士 他に何処にいなさるって言うんだい? もしもあっしが死んだ王様だったら、そしてお前、毎年二十四時間だけ外出を許されるとしたら、
そりゃお前、なんてったって自分のいた玉座に戻って来てさ、一日中其処に座って、誰に害を加えるってこともなしに、
昔の楽しい思い出なんかを頭に浮かべて過ごすさ。
第二の兵士 そりゃお前、生きてるからそう言うのさ。だけどお前、死んじまってたとしたら、お前だって他の奴と同じように悪いこともするさ。
(第一の兵士が彼の横面をぴしゃりと殴る)痛てえっ! 何てことしやがるんだ!
第一の兵士 お前の為にやったことよ。見ろ、一遍に七匹やっつけた。固まってる所をな。
第二の兵士 死人をか?
第一の兵士 いや、蝿さ。畜生、手が血だらけだ。(彼は半ズボンに擦って拭く)癪に障る蝿どもよ。
他人の邪魔にならないようにやってるじゃねえか。蝿どもだって死んじまえば、同じことだろうよ。
第一の兵士 黙れよっ、そんなこと言って、お前、その上死んだ蝿の幽霊までがここら辺にいるとしたら、それこそお前……
第二の兵士 いないわけはねえじゃねえか?
第一の兵士 お前は本当に分かってるのか? こいつはお前、日に何万って死んでるわけなんだぜ、この虫どもは。
例えば、去年の夏から勘定してこの死んだ奴らを皆街から放したとしたら、
一匹の生きた奴につき三百六十五匹ぐらいの割の死んだ蝿がいて、そいつらが俺たちの周りをぶんぶん飛び回ってるわけだぜ。
ペッ! 空気はお前、蝿どもでたっぷり甘くなってるわけだ、俺たちは蝿を食い、蝿を吸ってるわけだ、
奴らはねっとり流れるように俺たちの気管支や臓腑の中に下りてくるわけだ……なあお前、それだからだよ、
きっと、この部屋へ入ると何とも言えない妙な臭いがしてくるなあ。
第二の兵士 馬鹿言え! ここみたいな百尺四方ぐらいの部屋じゃあ、何人か死んだ人間がいるだけで結構臭うわ。話によると俺たちの死人は臭い息を吐くって事じゃないかい。
第一の兵士 ほら、聴いてみな! 身内の者同士で食い合ってるんだ、あの辺の奴らよ……
第二の兵士 だから何かいるって言ってるじゃねえかよ。床板がぎいぎいなるさ。
彼らは右手の方から逆座の背後を見に行く。オレストとエレクトル、左手から飛び出し、玉座の階段の前を通り過ぎて、兵士たちが左手に出て来る時には右手の方にまた隠れ場所を見つけて身を隠す。
この座布団の上に座ってらっしゃるに違いない。真っ直ぐにIの字みたいによ---そんで俺たちを見てらっしゃるんだ。
あの方は、御在世の頃から唯俺たちをじっと見つめてらっしゃるだけだった。
第二の兵士 姿勢を正しくした方がよさそうだな、蝿の野郎どもが鼻を擽りやがるんで困ったもんさ。
第一の兵士 俺は、仲間のもんと一緒に、愉快にやりながら、衛兵隊にいる方がよっぽど好きだね。
あそこなら、やってくる死人達も皆仲間だし、皆俺たちと同じような唯の兵隊どもばかりだ。
だが、ここじゃ、あそこに死んだ王様がいらしてよ、俺の上衣のボタンが足りねえなんて勘定してらっしゃると思うと、
どうも変な気持ちにならあ、まるで閲兵式に将軍が俺たちの前を通る時みたいだ。
エジスト、クリテムネストル、燈火を持った召使達、登場。
エジスト もう退ってよろしい。
エジスト---クリテムネストル---オレストとエレクトル(隠れている)
クリテムネストル どうなすったの?
エジスト あなたも見ただろう? ああやって儂が嚇かしてやらなかったら、彼らは忽ち後悔の気持ちを追いやってしまう所だった。
クリテムネストル あなたのご心配なさるのは、その事なんでしょう?
けれどあなたは何時だってお好きな時に彼らの勇気を挫いてしまうことがお出来になるじゃありませんか?
エジスト それはまあそうだ。わしは唯ああした芝居をするのが酷く上手いというだけさ。
(間)エレクトルを罰しなければならなかったことを儂は遺憾に思っている。
クリテムネストル あの娘が私のお腹を痛めた子だからですの? あなたがそうなさる方がよいと思われたんですもの、
私だってあなたのなさることはみんな正しいと思いますわ。
エジスト 后、儂がその事を遺憾に思ってるのはお前の為にではない。
クリテムネストル まあ、何故ですの? 貴方はエレクトルを愛してはいらっしゃらなかったの?
エジスト 儂は疲れている。わしが全国民の後悔の全てを引き受けて、此の腕の先に支え上げてからもう十五年になる。
儂がこうして案山子のように衣装を著てからもう十五年になるのだ。この点い衣服のお陰で遂に儂の魂まで色褪せてしまった。
エジスト 分かってる、后、分かってるよ、お前は自分の後悔の気持ちを儂に話そうというんだろう。
まあ、いい、儂にはそれが羨ましいのさ、そういう後悔の気持ちはお前の一生の飾りになる。
儂は、それを持っとらんのだ。だがアルゴスの街には儂程悲しい人間は唯一人いない筈だ。
クリテムネストル ああ、あなた……(彼女は王に近寄る)
エジスト 放っておいてくれ、娼婦め! 恥かしいとは思わぬのか、あの眼が見ているというのに……
クリテムネストル あの眼って? 誰が一体あたし達を見てますの?
エジスト 何だって? 王さ。今朝、死者達を放したではないか。
クリテムネストル あなた、どうかそんなこと仰らないで……死者達は地下にいて、そんなに早くからあたし達の邪魔はしませんわ。
あなたはお忘れになったの、人民達をだますためにこんな作り話をお考えになったのはあなたご自身じゃありませんか?
エジスト それはそうだ。后。それで? いいか、儂は大変疲れているんだよ? 一人にしてくれ、儂は考え事をしたいのだ。
クリテムネストル、退場。
エジスト---オレストとエレクトル(隠れている)
エジスト この儂が、ああ、ジュピテル、この儂がアルゴスの為にお前の要求した王だというのか?
儂は行ったり、来たり、また大声で叫ぶことも出来る。儂は至る所に恐ろしい勿体ぶった姿を引っ張りまわす、
そして儂の姿を見る者は骨の髄まで罪悪を感じるのだ。だが儂は空ろな一箇の殻に過ぎない。
一匹の獣が儂の知らないうちに儂の中身を食ってしまったのだ。今儂はじっと儂自信を眺めてみる、
儂はアガメムノンよりももっと哀れな死者なのだ。儂は悲しいと言ったかな? それは嘘だ。
儂は悲しくもない、陽気でもない、砂漠だ、澄み切った大空の虚無の下の無数の真砂の虚無だ。それは不吉だ。
ああ! 儂に唯の一滴の涙を流させてくれるなら儂は自分の王国をやってもいいと思う!
ジュピテル、登場する。
同上---ジュピテル。
ジュピテル 嘆くがいい。お前はあらゆる王と同じような一人の王なのだ。
エジスト お前は誰だ? ここへ何しに来た?
ジュピテル 儂をご存知ないかな?
エジスト 出て行け、さもないと衛兵を呼んでぶちのめすぞ。
ジュピテル 儂をご存知ないって? しかしお前は儂に逢ったことがあるがね。あれは夢の中だった。儂がもっと恐ろしい格好をしていたことは確かだ。(雷鳴、雷光、ジュピテルは恐ろしい形相をしてみせる)こんな風だったかな?
エジスト ジュピテル!
ジュピテル その通りだ。(彼は再び笑い顔になり、像の方へ近寄っていく)これが儂ってわけか、え? こんな風にアルゴスの住民たちは皆、お祈りをする時に儂の顔を見るわけなんだな? 全く、神にとっては面と向かって自分の姿をつくづく眺めるなんてことはめったにない。(間)何て醜い顔をしているんだ! こんな風じゃ皆儂の事をあまり好いていないに違いないな。
エジスト 皆あなたを恐れております。
ジュピテル 結構! 儂は好いて貰いたいなどとは思ってもいないさ。お前は儂が好きかね?
エジスト あなたは私にどうしろと仰るんです? 私は充分に償いませんでしたか?
ジュピテル 充分なものか!
エジスト 私は生命をすり減らして務めています。
エジスト まだ二十年も?
ジュピテル 死んだ方がいいと言うのか?
エジスト ええ。
ジュピテル もし誰かが抜身の剣を持ってここへ入って来たとしたら、お前はその剣に胸を突き出すだろうな。
エジスト 分かりません。
ジュピテル いいか、よく聴け。もしお前がその男のなすがままに殺されたら、お前は見せしめに罰を受けるのだ。お前は地獄へ行って永久に王になるのさ。儂はこの事をお前に言いに来たわけだ。
エジスト 誰か私を殺そうと狙っているのですか?
ジュピテル その様だな。
エジスト エレクトルでしょう?
ジュピテル それからもう一人も。
エジスト 誰です?
ジュピテル オレスト。
エジスト ああ! (間)これもそうなる運命なんだ、私にどうすることが出来よう?
ジュピテル 「どうすることが出来よう」だと? (調子を変えて)すぐに命令を出すんだ、フィレエブと自称している若い見慣れぬ男を見つけ次第捕縛すること。そいつを捕らえてエレクトルと一緒にどこかの地下の暗牢へ投げ込んでしまうこと。---そうすればお前は二人の事は忘れてしまっていいのさ。さあ! 何をぐずぐずしているんだ。衛兵を呼べ。
エジスト 嫌です。
エジスト 私は疲れているんです。
ジュピテル 何故自分の足許ばかり見つめているんだ? お前の充血した大きな両の眼を儂の方に向けてみろ。よしよし!
お前はまるで馬のように高尚で畜生だ。ただし、お前の抵抗が儂の気持ちを苛々させると思ったら大間違いだぞ。
そんな抵抗はいわば唐辛子みたいなもので、やがてお前が服従すれば、その服従をなお一層美味にしてくれるのさ。
何故って、お前が終いには屈服するってことは儂にはちゃんと分ってるんだから。
エジスト 私はあなたの思惑通りに動きたくない、と言ってるんです。もう私はつくづく厭になりました。
ジュピテル 元気を出せ! 元気を出せ! 抵抗しろ! 抵抗しろ! ああ! 儂はお前の持っている様な魂が大好きなんだよ。
お前の眼は光を発している、お前は拳を握り締め、ジュピテルに面と向かって拒絶の言葉を投げる。
だがしかし、ねえお前さん、仔馬さん、強情な仔馬さん、もう大分前の事だがお前の心が儂に素直に「はい」と言ったこともあるんだ。
さあさあ、言う事をききなさい。儂が何の理由もなくわざわざオリンポスの山から降りて来ると思うのかい?
儂はこの犯罪は是非ともお前に知らせておきたかったんだ、何故ってこいつは事前に防いだ方がいいと思ったから。
エジスト 私に知らせる! ……それは不思議ですね。
ジュピテル ところがどうして、極めて不思議なことさ。儂はこの危険からお前を救ってやりたいのだ。
エジスト 誰がそんなことをあなたに頼んだんです? それじゃアガメムノンにも、あなたは彼にも知らせたんですか?
でもあの男は生きたいと願っていた。
ジュピテル ああ、あの恩知らずめ、あいつは哀れな人間さ。儂にはアガメムノンよりもお前の方が余程可愛いのさ、
儂の口からそう言っているのにお前にはまだ不平があるのか。
私が斧を手にして真っ直ぐに王の浴槽の方へ駆け寄って行くのを平気で見て居られた---そしてあなたご自身は、
きっとあの山の上で、罪人の魂はなかなか美味いものだなどと考えながら、舌なめずりをしていらっしゃったのでしょう。
ただし今日はあなたは彼の本心に逆らってオレストを庇っていらっしゃるんだ---
そしてこの私に、あなたがあの子の父を殺すような羽目に追い込んだこの私に今度はその息子の腕を捕まえさせようとなさったんだ。
私は暗殺者になるにはまったくお誂え向きだったんです。ただしあの子には、失礼ながら、あの子にはきっと何か別の目論見が御座いますんでしょう。
ジュピテル 何という奇妙な嫉妬だ。安心するがいい。儂はあの子をお前以上には愛していない。儂は誰も愛して居りはせんのだ。
エジスト それでは、不公平な神様、あなたが私になさったことはどうなんです。ご返事をなさってください。
あなたが今日オレストの考えている犯罪を妨害なさるんでしたら、それじゃ一体なぜ私の犯罪は黙ってお許しになったんです?
先ず最初の罪、死すべき人間などを創ってそれを犯したのがこの儂さ。さてそれ以後、お前達、つまりお前達のような殺害者達にはどういうことが出来たか?
相手に死を与えることか? さあ、そこでだ。その被害者達だって皆何時かは死ぬ身だった。
言ってみればまあ精々お前達はその死の開花を一寸早めただけの話さ。ところでお前はもしあの時アガメムノンを殺さなかったら、
あの男にその後どういう事が起こったか知っているかな? あれから三か月後にあの男は美しい奴隷女の胸の上で卒中の為に死んでいたのさ。
だが、お前の犯した罪は儂には役に立ったよ。
エジスト あなたの役に立ったって? 私は十五年間もあの罪の償いをしてきたというのに、あれが、あなたの役に立ったんですって? ああ、何という事だ!
ジュピテル そうさ、それがどうしたというんだね? つまりお前がその罪の償いをしたから、儂の役に立ったというわけさ。
儂は償われる罪は好きなのだ。儂はお前の罪は好きだった。なぜならあれは、己を知らぬ、古めかしい、人間らしい企てというより寧ろ災難に近いような、
無分別なはっきりしない殺人だったからね。お前は一瞬間だってこの儂に挑みはしなかった。
お前は激しい憤怒と恐怖に我を忘れてしまった。そしてそれから、やがて熱が冷めると、自分のした行為を考えて慄然とし、
自分でその犯罪を認めようとしなかった。だが儂はあの犯罪でどんなに得をしたか分からんよ!
たった一人の死者の為に二万有余の人間たちが懺悔の道に投じた、差引勘定すればまあこういったわけだ。儂は決して損はしなかったよ。
エジスト そういうお話の意味は分かります。オレストは後悔なんかしないでしょう。
悔恨のない殺人、横柄な殺人、殺害者の魂の中は蒸気のように軽やかな、静穏な殺人に対しては儂の手の下しようがない。
儂はそういう殺人は妨害するのさ! ああ! 儂は新しい世代の犯罪だけは苦手だ。
不愉快だし、まるで麦撫子のように実を結ばない。あの優しい青年はお前をまるで雛鳥のように殺してしまうだろう、
そして両手を血だらけして、良心にはこれっぽっちの呵責もなく行ってしまうことだろう。お前の代わりに、この儂の方が屈辱を受けるのだ。
さあ! 衛兵達を呼べ!
エジスト 私は厭ですと申し上げた筈です。これから行われようとしている犯罪は余程あなたのお気に召さぬらしいので、私には愉快な位です。
ジュピテル (調子を変えて)エジスト、お前は王だ、そして儂はお前の王としての良心に向かって呼びかけるのだ。お前は支配することが好きなのだからな。
エジスト それで、どうしたというんです?
ジュピテル お前は儂を憎んでいる。だが我々はお互いに親族なのだ。儂はお前に儂の姿をかたどった。王とは地上の神だ、神のように気高い、不吉な存在だ。
エジスト 不吉な? あなたが?
お前はアルゴスにおいて、儂は、この全世界においてな。そして同じような秘密が我々の心の重荷になっているのだ。
エジスト 私には秘密などありません。
ジュピテル あるさ。儂と同じ秘密がね。神々と王達の痛ましい秘密さ。それは人間たちが自由だからだ。彼らは自由なのだ、エジスト。
お前はそれを知っている、だが彼らはそれを知らないのだ。
エジスト そうですとも、もし彼らが自由であることを知ったら、たちどころに私の宮殿の四方に火をつけることでしょう。
私はこれで十五年間も彼らの力を隠蔽するための芝居を演じてきたのだ。
ジュピテル 儂らがお互いに実によく似ているという事がこれで分かっただろう。
エジスト 似ている? どういう神の皮肉か存じませんが、よくもまあ私に似ているなどと言えたものですね?
私がこの国を支配し始めて以来、私の全ての行動は、全ての言葉は私の像を作り上げることに向けられてきたのだ。
私は自分の臣下の一人一人が私の像を心の中に抱いていて、そして孤独の中でさえ、
私の厳しい眼差しが最も秘められた彼の心の奥底の思考にまで及んでいくのを感じてもらいたいのだ。
だが、私の最初の犠牲者は他ならぬこの私なのだ。私にはもう彼らが私を見る様にしか自分の姿が掴めなくなってしまった。
私は彼らの魂の大きく開かれた井戸穴の中を覗き込む、すると私の像がそこに見えるのだ、そのずーっと奥底に、
それは私の胸をむかつかせる、そして私の心を奪うのだ。ああ、全能なる神様、私は一体何者なのです、
私は唯人々が私に対して抱く恐怖に過ぎないではありませんか?
あの像がこの儂に眩暈を与えないとでも思っているのか? 儂は十万年の間、人間どもの前で踊りを踊って来たのだ。
まだるっこい陰鬱な踊りだ。人間どもは儂をじっと凝視めていなければならない。彼らは儂の方にじっと眼を注いでいるものだから、
自分自身を凝視することを忘れているのだ。もし儂が唯の一瞬でも己を忘れたとしたら、もの儂が一寸でも彼らの眼差しを他に逸らせでもしたら……
エジスト それで? どうなんです?
ジュピテル 止めておこう。そんなことは他人の知ったことじゃない。
お前は疲れている、エジスト、だが何を嘆くことがあるのだ? お前はやがて死ぬのだ。儂は死なない。
この地上に人間どもが存在する限り、儂は彼らの前で踊り続けねばならぬ運命なのだ。
エジスト ああ! 一体誰が私達の運命を決めたんです?
ジュピテル 誰でもない、我々自身さ。何故って儂らは二人とも同じ情熱を持っているのだからな。お前は秩序を愛しているだろう、エジスト。
エジスト 秩序。そうだ。私がクリテムネストルを誘惑したのも秩序の為だった。王を殺したのも秩序の為だった。
私は秩序が支配すること、それが私を通して支配することを願ったのだ。私は欲望もなく、愛もなく、希望もなく生きてきた。
私は秩序を作ったのだ。ああ! 恐ろしい、神聖な情熱!
ジュピテル 我々は他にはどうすることも出来なかったわけさ。儂は神だ、そしてお前は王として生まれたのだ。
エジスト ああ!
ジュピテル エジスト、儂の被造者であり私の死すべき弟よ、我々二人がかしづいているこの秩序の名において、儂はお前に命令する。
オレストとその妹を捕縛しろ。
エジスト あの二人はそんなに危険なんですか?
エジスト (烈しい口調で)あの子は自分が自由であることを知っている。それじゃ、あれを牢屋に押し込めるだけでは十分じゃありません。
町の中に自由な男が一人いるのは、羊の群れの中に疥癬に罹った牝羊が一匹いるのと同じです。あの子は私の王国をすっかり感染させ、
私の仕事を滅茶苦茶にしてしまいます。全能なる神様、何であなたは一刻も早くあの子を殺してしまわないのですか?
ジュピテル (ゆっくりと)殺してしまうって? (間。疲れて腰を曲げ)エジスト、神々にはもう一つの秘密があるのだよ……
エジスト 何を仰るつもりなんです?
ジュピテル 人間の魂の中で一度でも自由が爆発してしまったら、もう神々はその男に対して何をすることも出来ないのだ。
つまり、そうなればそれは人間たちの問題だし、ほかの人間たちに?-ただ彼らの裁量だけに?-任せるより他はないのさ、
つまりその男を逃してやる方がいいか、あるいは絞め殺してしまう方がいいかはね。
エジスト (ジュピテルを凝視しながら)絞め殺してしまう? 宜しい。あなたの言う通りにいたしましょう。
ただし、もう何も言わないで下さい。そしてもうこれ以上此処にいないで下さい、私はもう我慢が出来ませんから。
ジュピテル、退場する。
エジスト、暫くの間、一人でいる。次いでエレクトルとオレスト。
エレクトル (飛び出してドアの方へ行く)さあ、やっつけなさい! 叫び声を上げる暇を与えちゃ駄目よ。あたしはドアを抑えてるわ。
エジスト じゃ、お前だったのか、オレスト?
オレスト 防御しろ!
エジスト 儂は防御はしない。人を呼ぶのには遅すぎるし、遅すぎて却って儂は幸せだ。だが儂は防御はしない。お前に殺してもらいたいのだ。
オレスト よし。僕には殺し方なんてどうでもいいんだ。さあ、覚悟しろ。
彼はエジストを剣で刺す。
エジスト (よろめきながら)うまくやりおったな。(オレストに近付きながら)お前の顔を見せてくれ。本当にお前は後悔をしてないのか?
オレスト 後悔? 何故だ? 僕は当然のことをしたまでだ。
エジスト 当然のこと、それがジュピテルの望むところなのだ。お前はここに隠れていて、あの方の言う事を聞いたんだ。
オレスト ジュピテルが僕に何の関係がある? 正義は人間たちの問題だ、そんな事は神様になんか教えて貰わなくても分かっている。汚らわしい無頼漢のお前を打倒し、アルゴスの人民達に対するお前の王権を失墜させるのは正義だ。人民達に彼らの尊厳を回復してやるのは正義だ。
彼はエジストを突き返す。
エジスト 痛い!
エレクトル ああ、よろめいて、あの人の顔は真っ青だわ。恐ろしい! 何て醜いんだろう、死んで行く人って。
エジスト 二人とも悪魔め。
オレスト まだお前は死にきれないって言うのか?
彼はエジストを刺す。エジスト、倒れる。
エジスト 蝿どもに気を付けろよ、オレスト、蝿どもに気を付けろ。何もかも終わったわけではないぞ。
彼は死ぬ。
オレスト (エジストを足で押して)こいつにとっては、兎も角も万事終わりさ。さあ、僕を王妃の部屋へ案内おし。
エレクトル オレスト……
オレスト 何だ、どうしたというんだ?……
エレクトル あの人にはもうあたし達を虐めることは出来ないわ……
オレスト それで? どうしようっていうんだ? お前の言う事はさっぱり訳が分からん。今しがたは、お前はそんな口の利き方をしなかったぜ。
エレクトル オレスト……あたしにもあなたの言う事はさっぱり分からないわ。
オレスト じゃ、いい。僕は一人で行く。
彼は退場する。
エレクトル、独り。
エレクトル あの人は叫び声を上げるかしら? (暫くの間。彼女は耳を傾ける)オレストは今廊下を歩いているわ。
今にあの人があの四番目の戸を開ける時……ああ! 私はそれを望んだんだわ! 私はそれを望んでいる、
私はまだもっともっと望まなきゃいけないんだわ。(彼女はエジストの死体を見る)あの人は死んでいる。
じゃあ、あたしはそんな風になることを望んだのね。私はこんな風だとはちっとも知らなかったわ。
(彼女は死体に近付く)何度私は夢に見たかしら、此処にこんな風に体を横たえて、
胸を剣で突き刺されて、目を瞑って、まるで寝ているようだった。
どんなに私は憎んだことだろう、どんなに憎むことが嬉しかったか。
この人は死んでいる---そして私の憎しみもこの人と一緒に死んでしまった。そして私は此処にいる。
私は待っている、もう一人はまだ自分の部屋の奥の方で生きているわ、
そして今にあの人は叫び声を上げるんだわ。まるで獣のように叫び声を上げるんだわ。
ああ! この人の眼差しはもう見るに耐えない。(彼女はひざまずいて、エジストの顔の上にコートをかける)
一体私は何をしようっていうんだろう? (沈黙。次いでクリテムネストルの叫び声)やっつけたんだわ。あたし達のお母さんだった、
それをオレストがやっつけたんだわ。(彼女は立ち上がる)さあ、これでいい。私達の仇は死んだわ。何年もの間、
私はやがて襲い掛かるこの死の事を考えて心を躍らせたものだった。それなのに、今は、私の心はまるで万力で締め付けられるようだ。
私はこの十五年間自分を偽ってきたのかしら? そんなことないわ! そんなことないわ! そんなことってありえないわ。私は卑怯者じゃないんだ。
ほんの今しがただって、私はそれを望んだ。今だってまだ望んでるわ。私は、この汚らわしい豚奴が私の足許に横たわるのが見たいと望んだ。
(彼女はコートをひったくる)そんな死んだ魚のような目つきをしたって私は平気よ。私は望んだんですもの、
その目つきを、見るのがたまらなく楽しいわ。(前よりもかすかなクリテムネストルの叫び声)
叫ぶがいいわ! 叫ぶがいいわ! 私はあの人の恐怖の叫び声が聞きたいの、苦痛の呻き声が聞きたいの。(叫び声、止む)
嬉しいわ! 嬉しいわ! 私は嬉しくって涙が出て来る。私の仇が死んで、お父さんの復讐が出来たんだわ。
オレスト、血だらけの剣を手にして、帰ってくる。彼女はオレストの傍に駆け寄る。
エレクトル。オレスト。
エレクトル オレスト!
彼女はオレストの腕に身を投げかける。
オレスト 何をそんなに怖がっているんだ?
エレクトル 怖がってなんかいないわ。私は酔っているの。嬉しさに酔っているの。あの人は何て言った? 長いこと許してくれって嘆願した?
オレスト エレクトル、僕は自分のしたことはちっとも後悔しないだろう。だがその事だけは話さない方がいいと思うんだ。
誰もが同じ思い出を共にするものではない。あの人が死んだって事だけ知ってお置き。
エレクトル 私達を呪っていた? ねえ、それだけでいいから言って頂戴。私達を呪っていた?
オレスト うん。僕達を呪っていた。
エレクトル ねえ、私を抱いて、お兄さん、そして力一杯私を抱きしめて頂戴。ああ、なんて真っ暗な夜なんでしょう、
こんな暗い夜にはあの松明の光が透けるのもやっとだわ! 私が好き?
オレスト 夜じゃない。まだやっと日が暮れたばかりだ。僕達は自由なんだ、エレクトル。何だか僕は自分がお前を生まれ変わらせたような気がする。
そして、僕もたった今お前と一緒に生まれ変わったような気がする。僕はお前を愛している、そしてお前は僕のものなんだ。
昨日はまだ僕は一人ぼっちだった、そして今日はお前は僕のものなんだ。血が僕達を二重に結び合わしたんだ、
だって僕達は同じ血を受けているんだし、僕達は一緒に血を流したんだからね。
掴んだり握ったりするように出来ている。可愛い手! 私の手よりずっと白いわ。
私達のお父様の暗殺者を打ち倒すのにどんなにこの手は耐え難い思いをしたでしょうね!
待ってね。(彼女は燈火を取りに行く、そしてそれをオレストの方に近寄せて)あなたの顔を照らさなくてはならないわ、
だって段々夜が暗くなっていって、もうあなたの顔が見えないんですもの。私、あなたの顔を見ている必要があるの。
あなたの顔が見えなくなると、私はあなたが怖いのよ。あなたから目を離しちゃいけないんだわ。
私はあなたが好きよ。あなたが好きだってことをしょっちゅう考えてなきゃならないの。まあ、あなたは何て奇妙な顔つきをしているの!
オレスト 僕は自由だ、エレクトル。自由が電撃のように僕に襲い掛かったんだ。
エレクトル 自由? 私はちっとも自由だなんて感じられないわ。こういう事がみんな何もなかった時のようには出来ないの?
何か、もう私達には思いのままに追い払うことが出来ないものがやって来たんだわ。
私達が永久にお母さんを殺した暗殺者でないようにしてくれることは出来ないの?
僕は丁度渡し守が旅人たちを載せていくように、それを僕の肩の上に載せていく。僕はそれを向こう岸へ渡してやる、
そして初めて僕はその行為を吟味するんだ。それが重くなればなるほど、僕は喜ぶだろう、なぜなら、僕の自由とはそれなのだから。
昨日はまだ、僕はあてどもなくこの地上をさ迷い歩いていた、そして何千という道が僕の歩く足の下から消えて行った、
なぜならその道はみんな他人のものだったんだからね。その道はみんな借り物だったんだ、川の岸に沿った舟曳の道、騾馬曳の通る小径、
二輪馬車の馭車達が使う舗装道路、みんな借り物だったんだ。どれもこれも僕の道じゃなかった。ところが今日は、もう道は一つしかない、
それがどこへ通じる道か神様だけがご存知だ。併し、それは僕の道なんだ。どうしたんだい? どうしたんだい?
エレクトル ああ、もうあんたの顔は見えないのかしら? この燈火はちっとも明るくないわ。あなたの声は聞こえる、
だけどあなたの声は痛いわ、まるで包丁のように私の身を切るの。これからは何時までもこんなに暗いの、昼でも?
オレスト! ほら、来たわ!
オレスト 誰が?
エレクトル 来たわ! 何処からやって来るんでしょう? 黒い葡萄の房のように天井から垂れ下がってるんだわ、
壁を真っ黒にしてしまうのはこいつらなの。こいつらがあの燈火と私の眼の間に入り込んでくるの、
あなたの顔を隠して見えなくするのはこいつらの影なのよ。
オレスト 蝿どもだ……
私達を見張っている。今に私達に襲い掛かって来るわ、そしてあの何千というべたべた足が私の身体に触るんだわ。
どこへ逃げるの、オレスト? ああ、どんどん増えて来るわ、どんどん増えて来るわ。ほら、まるで蜂みたいに大きな奴、
こいつらがびっしり密集して、竜巻かなんぞの様に何処へも彼処へも私達に随いて来るんだわ。おお! 恐ろしい!
私にはあの眼まで見えるわ、あいつらのあの何百万という眼が私達を凝視めている。
オレスト 一体蝿どもが僕達に何の関係があるって言うんだ?
エレクトル この蝿たちはエリニュエスなのよ。オレスト、後悔の女神達なのよ。
声 (台の向うで)開けろ! 開けろ! 開けなければ、ドアを突き破れ。
重々しいドアを突く音。
オレスト クリテムネストルの叫び声を聞いて衛兵達がやって来たんだ。さあ、おいで! 僕をアポロンの神殿に連れて行ってくれ。
僕達はそこで、人々や蝿どもから避難して夜を明かすんだ。明日になったら僕は僕の人民達に話をしよう。
---幕---
第一景
アポロンの神殿。薄明かり。舞台中央にアポロンの像。エレクトルとオレストはその像の足下で、腕で両足を抱えながら眠っている。
エリニュエス達(蝿)は円陣を作って二人を取り巻いている。彼女達は渉禽類のように立ったまま眠っている。舞台奥には青銅の重たげな戸。
第一のエリニュエス (のびをして)あああああああ! すっかり腹を立てて、まっすぐ立ったまま眠ってしまったよ、
それにまた何て苛立たしい色んな夢を見たこった。おお、美しい怒りの花よ、私の心の美しい赤い花。
(と、彼女はオレストとエレクトルの周りを回る)眠ってるわ。何て真っ白で、滑らかなこと!
今に砂利の上を急流が流れるように二人のお腹や胸をぐるぐる匍い廻ってやるよ。
この華車な肉を根気よく磨いてやる、擦ってやる、削り取ってやる、そして終いには骨の髄までしゃぶってやる。
(彼女は数歩行って)おお、清らかな憎しみの朝だよ! 何て素晴らしい目覚めだこと。二人とも眠っているね、湿っぽくなっている。
熱気を感じている。私は、目を覚ましてるよ。すがすがしく無慈悲に、私の魂は銅なのさ。---そして今私の気持ちはとても神聖さ。
エレクトル (眠ったまま)ああ!
男が女の中に入るように私は今にお前の中に入っていくよ、だってお前は私の妻だもの、お前は私の愛の重さを感ずるよ。
お前は綺麗だね、エレクトル、私より綺麗だよ。だけど、今に御覧、私の接吻がお前を老けさせてしまうから。
六か月も経たないうちに、私はお前を老婆のように朽ちさせてしまうだろうよ、そして、私は、私は若いままで残るのさ。
(彼女は二人の上に屈み込んで)消えてなくなるものだけど、食べるにはもってこいのいい餌食だよ、とっくり眺めてやる、
二人の息を吸ってやる、ああ腹が立って息がつまりそうだ。おお、憎しみの朝の気配を感じるのは何という無上の楽しみだ、
血管に熱火がたぎり立って、爪を立てて噛むことを考えると嬉しくてぞくぞくして来る。憎しみが身内に溢れて来て、
息がつまりそうだ。私の両の乳房の中に乳のようにふき上げてくるよ。起きろ、姉妹たち、起きろ。もう朝がやって来たよ。
第二のエリニュエス ?んでる夢を見ていたよ。
第一のエリニュエス もう暫くの辛抱だよ。神様の一人が今日はこの二人を護ってやってるんだとさ、だが今にきっと咽喉が渇いてお腹が空いて、
二人はこの避難所から出ていくさ。そうすりゃあ、お前は思いのままにぼりぼり?めるさ。
第三のエリニュエス あああああああ! 爪が立てたいね。
エリニュエスの一人 二人とも何て若いんだろう!
もう一人のエリニュエス 何て綺麗なんだろう!
第一のエリニュエス たんとお楽しみ。罪人って奴は何時も何時も年取った醜いのばかりでね。
綺麗な奴をやっつけていく喜びは、全く滅多に味わえるもんじゃないよ。
エリニュエス達 えいああ! えいああああ!
第三のエリニュエス オレストってまだほんの子供だね。私は母親のような優しさでこいつを憎んでやるのさ。
この子の蒼白い顔を膝の上にのせてやって、私は髪の毛を撫でてやるんだ。
第一のエリニュエス それから?
第三のエリニュエス それから私はほら、この二本の指をぎゅっとこの子の眼の中に突っ込んでやるのさ。
彼女たちは一斉に笑い出す。
第一のエリニュエス 溜息をついてるよ、身動きをしているよ。それそろ眼を覚ます頃だ。さあ、姉妹達、
私の姉妹の蝿達、歌を歌って罪人達を眠りから覚ましてやろう。
蝿がお菓子にたかるみたいに、お前の腐った心の上に儂らは皆とまってやるぞ。
腐った心、血潮に染まった、とっても美味しい心にね。
さあ、蜂蜜みたいに吸い取るぞ、お前の心の膿血膿。
見てろ、わし達はそいつから美味しい蜜を緑の蜜を作ってやろう。
どういう愛が憎しみ程に、わし達の心を充たすのかい?
ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。
儂たちは皆家々の、じっと動かぬ目になるぞ。道端で歯をむき吠える番犬の唸り声にもなってやる。
お前の頭上の空中でぶんぶん飛んで、騒いでやる。森のざわめく音にもなるぞ。
ひゅーひゅー、ぎしぎし、しゅーしゅー、うーうー、いろんな音になってやる。
わし達は夜になってやる、お前の心の闇夜にな。
ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。えいああ! えいああ! えいああああ!
ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。
わし達は皆膿を吸う、膿を吸い取る蝿どもだ、何でも彼でもお前とは、一緒にするんだ、覚悟しな、
お前の口の中にまで食物探しに入り込む、お前のその眼の奥底に光を見つけに入り込む、
わし達はお前のお墓まで、一緒にお供をしてやるぞ。わし達は席を譲るのは、この世じゃ蛆虫どもだけさ。
ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、ぶん、
彼女達は踊り廻る。
エレクトル (目を覚まして)話をしてるの誰? お前達は誰なの?
エレクトル ああ! お前達なのね。それじゃ? 私達は本当にあの人達を殺したの?
オレスト (目を覚まして)エレクトル!
エレクトル まあ、誰あんたは? ああ、オレストなのね。行って頂戴。
オレスト 一体どうしたって言うんだい?
エレクトル あんたは怖いわ。私、夢を見たの、私達のお母さんが仰向けに倒れていて、血だらけだったわ、
そしてその血が溝になってお城の戸口という戸口の下を流れていたわ。私の手に触ってごらん、とても冷たいわ。
厭、離して。私に触っちゃ厭。あの人は沢山血を出した?
オレスト お黙り。
エレクトル (すっかり目が覚めて)ねえ、こっちを向いて、あなたはあの人達を殺したの? あの人達を殺したのはあなたなの?
あなたは此処にいる、目を覚ましたばかりなのね、あなたの顔には何も書いてないわ、だけどあなたはあの人達を殺したのね。
オレスト それがどうしたと言うんだ? そうさ、僕は殺した! (間)お前もだ、お前も恐ろしい。
お前は昨日はあんなに綺麗だったのに、まるで獣か何かが爪でお前の顔を傷だらけにしちまった様だ。
エレクトル 獣? あなたの罪がだわ。あなたの罪が私の頬を目蓋を引っ掻きむしったんだわ。何だか私の眼も歯もむき出しみたいな感じだわ。
まあ、この人達は? この人達は誰なの?
オレスト 此奴等の事は考えるな。お前に対しては何をすることも出来やしないさ。
第一のエリニュエス あの娘が私達の真中にやってくるといい、もしやってきたら、そうすりゃできるかできないかもわかるさ。
ああ、あれがお前だったなんて考えられようか?
エレクトル 私は年取ったわ。たった一晩で。
オレスト お前はまあ美しい、だが……一体こんな死んだような目つきをどこで見たことがあったろう?
エレクトル……お前はあの人に似ている。お前はクリテムネストルに似ている。あの人を殺すのが苦痛だったのかい?
僕は自分の罪をそのお前の両の眼の中に見ると、恐ろしい。
第一のエリニュエス そりゃあ、あの娘がお前を恐ろしがってるからさ。
オレスト 本当かい? 本当にお前はこの僕が恐ろしいのかい?
エレクトル 放っといて。
第一のエリニュエス さあ、どうだい? それでもまだお前は疑ってるのかい? どうしてあの娘がお前を憎んでないなんて言えるかい?
あの娘は夢を描きながら何事もなく平穏に暮らしていたのさ。そこへ、お前が殺戮と?神を持ってやって来た。
それでどうだ、今ではお前の罪を一緒に背負って、この台の上に釘付けにされている。これがあの娘に残された地上唯一の場所なのさ。
オレスト あんな奴の言う事を聞いちゃいけない。
第一のエリニュエス お退り! お退り! 追っ払っておしまい、エレクトル、そいつに体を触らせちゃ駄目だよ。
そいつは人殺しだ! 屠殺者だ! そいつには味気のない生血の匂いがついている!
そいつはあの年取った女を惨たらしく殺したんだよ、いいかい、何度も襲いかかってね。
エレクトル 嘘じゃないのね?
第一のエリニュエス 嘘なもんかね、あたしはそこに居合わせたんだ、あたしは二人の周りをぶんぶん飛び回ってたんだ。
エレクトル それで、この人は何度も突き刺したって言うの?
するとそいつがその手を切りつけたんだ。
エレクトル あの人は随分苦しんだ? 一遍には死ななかったんでしょ?
オレスト もうあいつ等を見るな、耳を抑えろ、あいつ等に物を聞いちゃ絶対にいけない、もしお前があいつ等に物を聞いたら、もうお終いだぞ。
第一のエリニュエス あの人は恐ろしく苦しんだよ。
エレクトル (両手で顔を掩って)ああ!
オレスト あいつ等は僕達の間を裂こうとしてるんだ、あいつ等はお前の周りに孤独の壁を立てようとするんだ。
用心おし、お前が一人ぼっちになったら、たった一人ぼっちで何も頼るものがなくなったら、あいつ等はお前に襲い掛かって来るだろう。
エレクトル、僕達はこの殺人を一緒に決心したんだ、だから僕達はその結末も一緒に耐えていかなきゃならないんだ。
エレクトル まあ、あなたはこの私がそう望んだとでもいうの?
オレスト そうじゃないのか?
エレクトル 違うんわ、そうじゃないわ……、いいえ、待って……そうだわ。あああ! 私はもう何だか分からない。私はこの罪を夢に描いていた。
だけど、あなたよ、あなたがその罪を犯したんだわ、実の母親の仕置き人だわ。
エリニュエス達 (笑いながら叫ぶ)仕置人! 仕置人! 人殺し!
オレスト エレクトル、この扉の向うには、世界がある。世界と朝だ。外では太陽が昇り、道を照らしている。
さあすぐに外へ出て、太陽に照り輝いている道を行こう、そうすればこの夜の娘たちはきっと力を無くしてぐったりしてしまうよ。
日の光が剣のようにこいつ等を突き刺してしまうだろう。
エレクトル 太陽が……
第一のエリニュエス お前はもう二度と太陽を見ないのさ、エレクトル。あたし達はあいつとお前の間に雲なす蝗の大群のように密集して、
お前にはどこへ行っても頭上に真っ暗な夜がつきまとうのさ。
オレスト お前が気弱だからあいつらは益々いい気になって苦しめるんだ。ごらん。あいつ等はこの僕には何一つ言おうとしないじゃないか。
いいかい。何と言っていいか呼びようもない恐怖がお前の上にのしかかって、僕達の間を裂こうとしてるんだ。
第一、お前は僕の経験しなかったようなどんな恐ろしい経験をしたと言うんだい? お母さんのあの呻き声、
お前はあの声が何時かは僕の耳に聞こえて来なくなるとでも思うのか? それからあの大きく見開いた眼が白墨のように色褪せた顔の中で---
荒れ狂う二つの海のようだった---お前はあの眼が何時かは僕の眼にちらつかなくなるとでも思っているのか?
そしてお前を引き裂くその苦しみ、お前はそれが何時かは僕の心を悩まさなくなると思っているのか?
だが、そんな事はどうだっていいのさ。僕は自由だ。苦しみや思い出は向こう側にある。自由だ。そして僕は何の矛盾も感じない。
自分で自分を憎んではいけないんだ、エレクトル。手をお貸し。僕はお前を見捨てるものか。
エレクトル 手を放して! このあたしを取り巻いている牝犬たちは恐ろしい、だけどあんたはもっと恐ろしいわ。
第一のエリニュエス ほら御覧! ほら御覧! 可愛いお人形さん、あいつよりもあたし達の方がよっぽど怖くないだろ。
お前にはあたし達が必要なのさ、エレクトル、お前はあたし達の子供だよ。
お前にはその肉を引っ掻き回すあたし達の爪が必要なのさ、お前にはその胸を?るあたし達の歯が必要なのさ、
お前がその心に抱いている憎しみから遠ざかるために、あたし達の残酷な愛情が必要なのさ、
お前の魂の苦しみを忘れるためにお前の肉体で苦しむことが必要なのさ。おいで! おいで!
唯階段を二つだけ下りりゃいいのさ、あたし達はお前を腕の中に抱いてやるよ、
あたし達の接吻でお前の繊弱い肉体を引きちぎってやるよ、そうすりゃ何もかも忘れてしまう。苦しみの清い炎で何もかも忘れてしまう。
エリニュエス達 おいで! おいで!
オレスト (彼女の腕を掴まえて)行っちゃいけない、お願いだ、行ったらもうお終いだぞ。
エレクトル (烈しくその手を振り離して)ふん! あたしはあなたを憎むわ。
彼女は段を下りる。エリニュエス達は一斉に彼女の上に襲い掛かる。
エレクトル 助けてえ!
ジュピテルが登場する。
同上---ジュピテル。
ジュピテル 小屋へ帰れ!
第一のエリニュエス ご主人様! (エリニュエス達は、地面に横たわっているエレクトルを残して、残念そうに遠ざかる)
ジュピテル 可哀想に。(彼はエレクトルの方へ進む)到頭お前達はこんなみじめな姿になってしまったんだね。起きるがいい、エレクトル。
儂がここにいる限り、儂の牝犬どもはお前を酷い目に遭わすことはない。(彼はエレクトルを助け起こす)何という恐ろしい顔つきだ。
たった一晩で! たった一晩で! お前のあの質素な新鮮さは何処に失せてしまったのだ?
たった一晩でお前の肝臓や肺臓や脾臓はすっかり衰えて、お前の肉体はもう惨めな悲惨の塊でしかなくなってしまった。
ああ! 生意気な、愚かしい若気の過ち、何という禍をお前達は招いてしまったのだ!
オレスト そんな口の利き方は止めて下さい、お爺さん。神々の王らしくもない。
ジュピテル 何だと、お前こそそんな横柄な口の利き方は止めろ。ちっとも自分の罪を償っている罪人らしくないではないか。
オレスト 僕は罪人ではないさ、それにあんただって僕に、自分で罪だと認めてない事の償いをさせることは出来ませんよ。
ジュピテル お前は多分間違っているよ、だがもう暫く待て。儂だってそう何時までもお前を誤らせてはおかないから。
オレスト 好きなだけ僕を虐めるがいい。僕には後悔する事なんて何もないんだ。
ジュピテル お前の犯した罪の為にお前の妹があのような哀れな状態になっている事も、お前は後悔してないのか?
オレスト していないとも。
ジュピテル エレクトル、聞いたか? これが、口ではお前を愛しているなどと言っている男の言葉なのだ。
オレスト 僕は自分自身よりももっと妹の方を愛している。だが妹の苦しみは妹自身から起こった苦しみだ。
その苦しみから逃れることが出来るのは唯妹だけさ。あの娘は自由なんだ。
オレスト その通りだ。
ジュピテル 身の程を知れ、厚かましい馬鹿者眼、全くお前という奴は、この飢えた雌犬どもに取り囲まれながら、万物を救う神様の足の間で偉そうに反り返って、
大きな顔をしている。それでお前が自由だなどと言い張るなら、
地下牢の奥に鎖で繋がれている囚人達や、磔にされた奴隷達の自由までも偉そうに吹聴せにゃなるまいさ。
オレスト それがどうしていけない?
ジュピテル 注意しろよ。お前はアポロンが護ってくれていると思って虚勢を張っているんだな、だが、アポロンは儂の忠実な召使なのだ。
儂が指一本上げれば、お前なぞはすぐ見捨てられてしまう。
オレスト へえ? それなら指を、手を全部挙げたらいいんだ。
ジュピテル そんな事をして何になる。儂は人を罰するのが厭になったと、お前に言わなかったかな? 儂はお前達を助けに来たのだ。
エレクトル あたし達を助けに? からかうのは止めて下さい、復讐と死の主よ。たとえ神様にだって、
苦しんでいる者に偽りの希望を与えることは許されていない筈です。
ジュピテル 十五分以内に、お前は外に出られるのだよ。
エレクトル 安全無事に?
ジュピテル はっきり約束する。
エレクトル その代わりに私にどうしろと仰るの?
ジュピテル 何もすることはないさ。
エレクトル 何も? 本当にそう仰ったの、神様?
オレスト 注意おし、エレクトル。その「何も」という奴がお前の魂の上に山のように重く圧し掛かってくるのだ。
ジュピテル (エレクトルに)あいつの言う事には耳を貸すな。それより儂に返事をなさい。どうしてお前はあの犯罪を否認しようとしないのかね。
あの罪を犯したのは別の人間だ。まあ謂わばお前など殆ど共犯者とも言えない位なのだ。
オレスト エレクトル! お前は十五年間の憎悪と希望を否定しようと言うのか?
ジュピテル 誰が否定しろなどと言ってる? この娘はあの神を畏れぬ行為を一度だって望んだことはないのだ。
エレクトル ああ!
ジュピテル さあ! 儂を信頼おし。儂は人間の心の中はちゃんと読み取っているだろう?
エレクトル (疑い深く)それではあなたは私の心の中に私があの罪を望まなかった。とお読みになるんですね?
十五年間、私は殺人と復讐を夢に描いていたというのに?
ジュピテル 馬鹿な! お前の心の慰めになっていたあの血生臭い夢は、あれは何かしら無邪気なものだったのさ。
あの夢のお陰でお前は自分の奴隷の身の上を考えないで済んだわけさ。あの夢がお前の傲慢の傷口に包帯をかけていたのだ。
しかしお前は一度だってあの夢を実現しようなどとは考えなかった。儂の言う事は間違っているかな?
エレクトル ああ! 神様、お優しい神様、本当にあなたが間違ったりなさったらどうしましょう!
ジュピテル お前はまだ本当に小さな娘なんだ、エレクトル。他の小娘達は皆、あらゆる女たちの中で一番金持ちで、一番美しい女になりたがっている。
ところがお前は、お前の血族の恐ろしい宿命に魂を奪われて、一番苦悩に充ちた、一番罪深い女になりたいと願ったのだ。
お前は決して悪を望まなかった。お前はただお前自身の不幸をしか望まなかった。お前の年頃では、皆まだ子供で、お人形遊びや石蹴りをして遊んでいる。
それなのにお前は、可哀想に、玩具もなく、遊び友達もなく、お前は人殺しの遊びをしていたのだ、
こいつはたった一人でも遊べる遊びだからね。
エレクトル ああ! ああ! お話を伺っていると、自分の心の中がはっきり分かってきます。
オレスト エレクトル! エレクトル! 今こそお前は罪人だぞ。お前が心の中で望んだことを、お前以外の者で誰が知ることが出来るというのだ。
お前は、他の者がそれを決めるままにさせておくつもりか? もう弁解の余地のない過去を何故歪曲しようとするのだ。
以前のあの怒りに燃えたエレクトルを、僕があんなに好きだった若い憎悪の女神を何故否定するのだ?
それに何だってお前には、この残酷な神がお前をだましていることが分からないんだ?
ジュピテル 儂がお前達を騙しているって? それより儂の申出を聞くがいい。もしもお前達がお前達の犯罪を拒否するなら、儂はお前たち二人をアルゴスの王位に即けてやろう。
オレスト 僕達の犠牲者の代わりにか?
ジュピテル そうする必要があるのだ。
オレスト すると僕はあの死んだ王のまだ生暖かい衣装を身に着けるわけか?
ジュピテル それでもいいし、また他のだってかまわない。そんな事はどうだっていいことさ。
オレスト そう。唯それが黒い服でありさえすれば、だな?
ジュピテル お前は今喪中じゃなかったかな?
オレスト そうだ、母の喪中だ、僕はそれを忘れていた。ところで、僕の臣下達だが、彼等にもやはり黒い喪服を着せねばならないのか?
オレスト ああそうだった。彼等には古い衣服を着古すだけの余裕を与えてやろう。それから、いいかい? お前分かったね。エレクトル?
お前は幾滴か涙を流しさえすれば、クリテムネストルのスカートと肌着がもらえるんだ。お前がその綺麗な手で十五年間洗ってきた、
あの臭い、汚れた肌着類だ。あの人の役目もお前がしなければならない、お前は唯あの役目を繰り返しさえすればいいんだよ。
人々は完全に錯覚を起こすだろう。誰も彼もお前のお母さんがまた現れたと思うだろう、お前はお母さんに似始めたからね。
僕は、僕はもっと気難しい方だ。僕は、自分の殺した奴の半ズボンなんて穿きはしない。
ジュピテル お前の態度は実に傲然としている。お前は防御もしなかった一人の男と助けを請うた一人の老女を殺した男だ。
だが、もしお前の事を知らない人間がお前の話すのを聞いたら、一人で三十人を相手に戦って、故郷の街を救ったと言っても、
きっと信じてしまうことだろう。
オレスト 多分、実際に、僕は故郷の街を救ったのだ。
ジュピテル お前が? お前はこの扉の向こう側に誰がいるか知っているのか。アルゴスの人民達だ---アルゴスの全市民たちだ。
彼らは自分達の救い主に感謝の気持ちを示そうと、手に手に石ころや、熊手や丸太棒を持って待ち構えているのだ。
お前は癩病患者のように孤独なのさ。
オレスト そうさ。
ジュピテル さあ、何もそんなことまで威張ることはあるまい。彼らはお前を軽蔑と恐怖の孤独地獄の中に投げ込んだんだぞ、
ああ、暗殺者の中でも最も卑劣な奴め。
オレスト 暗殺者の中で最も卑劣な奴、それは後悔をする奴だ。
それが廻転する。ジュピテルは部隊の奥に。彼の声は大きくなる。---マイクロフォンを用う---
ただし、彼の姿は観客には殆ど気づかれぬ)見よ、あの遊星達は整然たる秩序を保ちながら廻転し、而も決して衝突することはない。
正義に従って、あの運航を定めたのは、この儂だ。聞け、宇宙の階調を、あの天空の四隅に響き渡る聖籠の大いなる鉱物の歌を。
(楽劇が聴こえて来る)この儂に依って様々な種族が永続する。儂は人間が常に人間を生み、犬の子は常に犬であることを命令したのだ、
この儂に依って潮汐の柔らかな舌は砂浜を舐めに来る、そして定められた時刻にまた引いていくのだ、
儂は植物を成長させ、儂の吐く息は花粉のような黄色い雲の層を地球の周りにたなびかせる。ここはお前の住むべき所ではないぞ、
闖入者奴。この世界におけるお前の存在は、肉に刺さった棘、領主の森の密猟者の様なものだ。この世界は善きものだからな。
儂は儂の意思に従ってこの世界を想像した、そして儂こそは正に「善」なのだ。併しお前は、お前は悪を犯した、
万物が化石した声でお前を非難している。「善」は至る所にあるのだ、蒴?の髄、泉のさわやかさ、珪石の粒子、石の重さ、
全て「善」だ、お前はそれを火や光の本質の中にまで見出すだろう、お前の肉体そのものさえお前に背く、
何故なら肉体は儂の定めた規定に従うのだからな。「善」はお前の裡にあり、お前の外にある。それは鎌のようにお前の肉体を貫き、
何故ならそれはあの蝋燭のきらめきであったし、お前の剣の硬さ、お前の腕の力であったんだからな。
そして、お前がそんなにも自慢している、お前がその作者であると自称している「悪」とは、存在の反映、逃口上、
その存在さえ「善」に依って支えられているまやかしの影以外の何ものであろう。オレスト、お前自身に還るがいい。
宇宙がお前の誤謬を指摘している。そしてお前はこの宇宙の中の一匹の蛆虫に過ぎぬのだ。自然の中に還れ、叛逆の子よ。
お前の誤謬を知れ、それを憎め、臭い齲歯のようにそれを抜き取ってしまえ。さなくば、海はお前の前で引き退き、
泉はお前の行く手で枯れ渇き、石や岩石はお前の道の外に転がり、そして大地がお前の足の下で砕け散りはしまいかと恐れよ。
オレスト 砕け散ってしまえばいい! 岩石が僕に罪を宣告し、植物が僕の行手で枯れ萎んでしまえばいいのだ。
お前の全宇宙を以てしても僕の誤謬を指摘することは出来るものか。お前は神々の王だ、ジュピテル、石や星たちの王、大海の浪の王だ。
だが、お前は人間達の王ではないのさ。
ジュピテル 儂がお前の王ではないと、生意気な幼虫め。じゃ一体誰がお前達を作ったのだ?
オレスト お前さ。だが、僕を自由な人間に作ったのが間違いだったんだ。
ジュピテル 儂は、儂に奉仕させる為にお前に自由を与えたのだよ。
オレスト それはそうかもしれない、だがその自由がお前に反抗するのだ、そして僕達はどちらもそれに対してどうすることも出来ないのさ。
ジュピテル おや! 到頭謝ったかね。
オレスト 僕は謝りはしない。
ジュピテル 本当かね? どうだ、お前がそれの奴隷だと思っているその自由という奴は、なんだか随分謝罪に似ている様じゃないか?
オレスト 僕はその主人でもなければ奴隷でもないさ、ジュピテル。僕は僕の自由なのだ。
お前が僕を創造するや否や、僕はお前のものではなくなったのだ。
エレクトル ねえ後生だから、オレスト、お父様の名にかけて、あの罪に冒?を付け加えるような事はしないでちょうだい。
ジュピテル この娘の言う事をよく聴け。お前の理屈でエレクトルを引っ張っていけると思ったら大間違いだ。
そういう話はあの娘の耳にはかなり新奇に、またかなり不愉快に聴こえるらしいな。
それは新規で不愉快だ。僕は自分で自分を理解するのが大変なんだ。昨日はまだお前は僕の眼を覆っていた覆いだった、
耳の中に詰められていた蝋の栓だった。昨日だったら僕は言い訳を言ったろう。僕が世に生きている事の言い訳はお前だったのだ、
何故ってお前の計画に奉仕させようと僕をこの世に生み出したのはお前だったんだからね、
そして世の中とは絶えずお前について僕にお喋りをする年取った世話好きの女だったのさ。それから、お前は僕を見捨てたんだ。
ジュピテル お前を見棄てた? この儂がか?
オレスト 昨日は、僕はエレクトルの傍にいた。お前の自然の全てが僕の周りにひしひしと感じられた。
そうだ、お前の「善」の歌を、あの人魚の歌い手が、歌っていたっけ、そしてこの僕に惜しげもなく様々な忠告を与えてくれた。
この僕の心を和やかにしようと焼け付く太陽は恰度ヴェールで眼差しを覆うように、その光を弱めてくれた。
神への罪科の数々を忘れろとすすめる様に、大空は神の大赦の様に気持ちよく澄み渡った。
僕の青春は、お前の命令に大人しく服して、立っていた、それは見棄てられようとしている婚約の女の様に、嘆願しながら、
僕の眼の前に立っていた。それが僕の青春の見納めだったのさ。併し、突然、自由が僕に襲い掛かり、僕を戦慄させた、
自然は後の方に飛んで退き、すると僕にはもう年齢がなくなっていた。そして僕は、恰度影を無くした男か何かの様に、
お前の小さな恵み深い世界の真っ只中に、たった一人ぼっちでいるのに気付いたのだ。
そしてもうこの世には「善」も「悪」もなく、僕に命令を与えるものとて誰一人いなくなってしまっていたのだ。
隔離所に閉じ込められた癩病患者までも褒め称えなければならんというわけかな? 思い出して御覧、オレスト。
お前は儂の引き連れていた群れの中の一員だった、お前は儂の羊たちの真ん中で儂の野原の牧草を食べていた。
お前の自由とはお前をむずむずさせる疥癬に過ぎないのさ、それは追放と言う事に過ぎないのさ。
オレスト お前の言う通りだ。追放なのだ。
ジュピテル 禍はそんなに深くはない。昨日から始まったばかりだ。僕達の仲間に戻っておいで。戻って来るがいい。
何てお前は独りぼっちなんだ、お前の妹にさえ見捨てられて。お前は真っ青な顔をしている。苦しみの為に目が脹れている。
お前は生きたいのか? お前はそうして残忍な悪に苦しめられている。
儂にも覚えのないまたお前自身にも覚えのない奇妙な悪だ。戻っておいで。儂は忘却だ、儂は休息だ。
オレスト 僕自身にも覚えのない、奇妙な……そうだ。自然の外にも、自然に対しても、弁解もなく、ただ僕自身の中にしか頼るべきものはない。
だが僕はお前の掟の元には戻らない。僕は僕の掟以外の掟は持たないように運命づけられているのだ。
僕はお前の自然には戻りはしない。そこにはお前の方へ通じている何千という道が引かれてある、
だが僕はもう自分の道しか辿ることは出来ないんだ。なぜなら僕は人間だからさ、ジュピテル、
人間は皆夫夫自分の道を発見していかなければならないんだ。自然は人間を嫌悪する、そしてお前も、
神々の支配者であるお前もやはり人間たちが大嫌いなんだ。
ジュピテル お前の言う事は嘘ではない。儂は人間たちがお前のようになると、憎らしいのだ。
僕達は恰度二隻の船のように互いに触れ合うことなく滑って行くだけだ。お前は神だ、そして僕は自由なのだ。
僕達は同じように独りぼっちで、僕達の苦しみは似かよっている。僕があの長い夜の間、後悔を索めなかったなどと誰がお前に言うんだ?
後悔。眠り。僕はそれを索めた。だが今では僕には後悔することも出来ない。眠ることも。
沈黙。
ジュピテル これからどうしようというんだ?
オレスト アルゴスの人民達は僕の臣下だ。彼らの眼を開いてやらねばならない。
ジュピテル 哀れな奴等め! お前は彼らに孤独と恥辱の贈り物をしようとしている、お前は儂が彼等に被せてやった布を彼等から剥ぎ取ろうとしている、
そしてお前は彼等にいきなり赤裸な彼らの実存の姿を、彼らの淫猥で無味乾燥な実存の姿を、
無の為に彼等に与えられている実存の姿を見せつけようとしているのだ。
オレスト 彼等だってその分け前を受けるべきなのに、何故僕が僕の裡に絶望を彼らに与えてはいけないというのか?
ジュピテル その絶望で彼等は何をするというのだ?
オレスト 好きなことをさ。彼等は自由なのだ。そして人間の命は、絶望の反対側から始まるのだ。
沈黙。
ジュピテル それならいい、オレスト、こういったことはみんな前から分かっていたのだ。
一人の男がいずれ神の黄昏を告げにやって来る筈になっていた。
それがお前だったんだな? 昨日のあの娘のような顔つきを見て、誰が一体それを信じられたろう?
オレスト 僕自身にだってそれが信じられたろうか? 僕の言う言葉は僕の口には大きすぎるのだ、それは僕の口を引き裂く。
僕の担っている運命は、僕の青春には重すぎる、それは僕の青春を押し潰した。
ジュピテル 僕はお前を殆ど愛していないが、しかしお前を気の毒だと思っている。
ジュピテル さよなら、オレスト。(彼は二、三歩歩いて)お前はね、エレクトル、こう思っているがいい。
儂の支配はまだ終わったわけではない、いや終わるどころではない---儂は戦いを放棄しようとは思わないのだ。
お前が儂と心を共にするか、儂に反抗するか、よく考えてみるがいい。さよなら。
オレスト さよなら。
ジュピテル、退場。
同上---ジュピテルを除く。エレクトルは徐ろに立ち上がる。
オレスト 何処へ行くんだ。
エレクトル 放っておいて。あなたにはもう何も言う事はないわ。
オレスト 昨日から知り合ったお前だが、永久に別れねばならないのか?
エレクトル ああ、私はあなたなんかに逢わなければよかったんだわ。
オレスト エレクトル! 僕の妹、僕の可愛いエレクトル、僕のたった一つの愛、僕の一生のたった一人の優しい人、
僕を一人ぼっちにしないでおくれ。僕と一緒にいておくれ。
エレクトル 泥棒! 私は自分のものは殆ど何も持っていなかった、ただ少しばかりの平穏と幾らかの夢だけだった。
あんたはそれをみんな奪ってしまった、あんたは一人の貧しい女を略奪したんだわ。あなたは私の兄さんだった、
私達の家族の長だった。あなたは私を庇って呉るべきだったわ。だけどあなたは私を血の中に投げ込んでしまった、
私は皮を?がれた牛のように血だらけ。蝿という蝿が私の後を追って来る、あのがつがつした蝿達が、そして私の心はまるで恐ろしい蝿の巣のよう!
オレスト それはそうだ。僕はお前からみんな奪ってしまった。そして僕にはお前に与えられるものは---唯僕の罪以外には---何もないのだ。
併し、何という広大な現在だろう。お前はそれが鉛のように僕の魂の上にのしかかっていないと思うのかい?
以前は僕達はとても軽々としていたね、エレクトル。今では、僕達の足は馬車の車輪がぬかるみの轍にめり込む様に地面の中にめり込んでいく。
さあ、おいで、僕達は行くんだ、そして僕達は大切な荷物を担いで身を屈めながら、重い足を引き摺って歩いて行くんだ。
手をお貸し、僕達は一緒に……
エレクトル 何処へ?
それを僕達は根気よく探さなければならないんだ。
エレクトル もうあなたの言う事は聞きたくないわ。あなたは不幸と嫌悪だけしか私に与えてくれない。(彼女は舞台の上に飛び下りる。
エリニュエス達がじりじりと近寄って来る)助けて! ジュピテル、神々と人間の王様、あなたの腕に私を抱いて、連れて行って、護って。
あなたの掟に従うわ、あなたの奴隷に、あなたのものになるわ、あなたの足に、膝に接吻するわ。
この蝿達から私の兄さんから、私自身から私を護って、私を独りにしないでちょうだい、私は全生涯を贖罪に捧げるわ。
私は後悔している。ジュピテル、私は後悔しているわ。
彼女は走りつつ、去る。
オレスト?-エリニュエス達。エリニュエスはエレクトルを追って行こうとする仕草をする。第一のエリニュエスがそれを制止する。
第一のエリニュエス 放っとき、姉妹達、あの娘は私達から逃げてしまった。だがこいつがまだ残っているよ、それもまだ当分はね、そうに違いないよ、何故ってこのちっぽけな魂は皮のように頑固だもの。こいつは二人分苦しむのさ。
エリニュエス達はぶんぶん唸り始めオレストの方へ近寄る。
オレスト 僕はたった独りだ。
第一のエリニュエス そんなことあるかい、ああ、暗殺者の中で一番可愛い人、私がまだいるよ。今にお前の気晴らしに素晴らしい遊びを考え出してあげるよ。
オレスト 死ぬ迄、僕は独りぼっちだ。それから……
第一のエリニュエス さあ元気をお出し、姉妹達、こいつはだんだん弱って来る。ごらん、こいつの眼がだんだん大きく見開いてくる。今にこいつの神経はあの恐怖の美沙なアルペジオで引かれる竪琴の琴線のように鳴り響き始めるよ。
第二のエリニュエス 今にお腹が空いてこいつは外へ出て行くだろう。夜にならぬ内にこいつの血の味が味わえるというものさ。
オレスト 可哀想に、エレクトル!
教僕が入って来る。
オレスト---エリニュエス達---教僕。
教僕 おや、お坊ちゃま、斯んな処にいらしたんですか? 暗くてちっとも見えませんな。食物を少しばかり持って参りましたよ。
アルゴスの人民達が神殿を包囲してまして、これじゃとても逃げ出すことだって出来やしません。今夜は、何とかして逃げ出さにやなりますまい。
まあそりゃそうとして、お食事なさいまし。(エリニュエス達行手を遮る)ほっ、何ですね、いったいこ奴等は? またしても迷信ですかい。
ああ、あの静かなアッチカの国はよござんしたね、あそこじゃ手前の理屈が道理で通ったんですから。
オレスト 僕に近寄っちゃ駄目だ、あいつらがお前の生き身を引き裂くぞ。
教僕 お静かに、別嬪さん。どうですね、この肉と果物は如何です、こんなものであんた方のお気が鎮まるならね。
オレスト アルゴスの人民達が神殿の前に集ってるって言うのか?
教僕 そうなんですよ! ですから私だって、此処にいるこの綺麗な小娘達の方か、あっちのあなたの愛する臣下達の方か、
どいつの方が一体あなたに害をなす悪い、酷い奴等かとなると、一寸判断がつきかねますねえ。
オレスト よし(間)あの扉を開けろ。
教僕 お気は確かですか? みんなあの向うにいるんですぜ、てんでに凶器を持って。
オレスト 言われた通りにするんだ。
オレスト 僕はお前の主人だぞ、爺、この戸を開けろと言ったら開けるんだ。
教僕は少し扉を開ける。
教僕 おお! 大変、大変! おお! おお!
オレスト 両方に開け放て!
教僕は扉を開け、その開き戸の一方の陰に身を隠す。群衆はその両扉を烈しく押し、制止されて閾の上に立ち止まる。強烈な太陽と光。
群衆の中より叫び声---殺せ! 殺せ! 石で叩き殺せ! 八つ裂きにしてしまえ! 殺せ!
オレスト (彼らの声は耳にも入らず)---ああ、太陽だ!
群衆 涜神者! 暗殺者! 人殺し! 四つに裂いて死刑にしてしまうぞ。お前の傷の中にどろどろに溶けた鉛を流し込んでやるぞ!
一人の女 お前の眼を引きむしってやるよ。
一人の男 貴様の肝臓を食ってやる。
オレスト (立ち上がって)ここに来ていたのか、僕の忠実な臣下達? 僕はオレストだ、お前達の王、アガメムノンの息子だ、
そして今日は僕の戴冠の日なのだ。(群衆達、狼狽してがやがや言う)お前達はもう叫ばないのか?
(群衆は沈黙する)そうか、お前達は僕が怖いんだね。十五年前、同じ日に、もう一人の暗殺者がお前達の前に立った、
彼は肱の辺りまで血濡れの赤い手袋をしていた、血の手袋だ、そしてお前達はその男には恐れを抱かなかった。
何故ならお前達はその眼の中に、彼がお前達と同じ仲間の人間であること、彼が自分の行為に耐えるだけの勇気を持っていない人間で
あることが読めたからだ。罪を犯した本人が耐えられないような罪、そんな罪はもはや誰の罪でもない、そうじゃないか?
それは殆ど不慮の災難の様なものだ。お前達はその罪人を王として迎え入れた。するとその古い罪が、この街の壁という壁の間に、
かすかな呻き声を上げながら、まるで喪家の犬のように徘徊し始めたのだ。
僕はこの太陽を前にして僕の罪を引き受ける。その罪こそ僕の生存理由でもあり、僕の自尊心なのだ。
お前達には僕を罰することも、僕に同情することも出来ない、そして僕がお前達を畏れさせる理由はそれなのだ。
だがしかし、僕の臣下達よ、僕はお前達を愛している、そして僕が殺したのはお前たちの為にだ。お前たちの為になのだ。
だが今は、僕はお前達の仲間だ、臣下達よ、僕達は血で結び合わされている、そして僕こそお前達に値する男なのだ。
お前たちの誤謬、お前たちの後悔、お前達の夜毎の苦しみ、エヂストの犯罪、全て僕のものだ、みんな僕が引き受ける。
お前達の死者を怖れるな、それはみんな僕の死者なのだ。それから御覧。お前達の忠実な蝿どもはお前達を離れて僕の方にたかってきた。
だが怖れることはない、アルゴスの人民達よ。僕は、血濡れのままで自分の殺した人の王座には座る気持ちはないのだ。
ある神が僕に王座を与えると言ったが、僕は辞退したのだ。僕は土地もない、臣下もない王になりたいと思う。
さよなら、諸君、生きようと試みるのだ。ここではあらゆるものが新しく、あらゆるものが新たに始まるのだ。ある奇妙な生がね。
もう一つ、聞いて貰いたい話があるのだ。ある夏の事、スキュロスの島が鼠の害に悩まされたことがある。それは恐ろしい災害だった、
鼠があらゆるものを?り出したのだ。町の住民たちはそのために死ぬほどの思いをした。ところが、ある日、一人の笛師がやって来た。
彼は街の中央に立った---こんな風にね。(彼は自分でその様に立つ)そして彼は笛を吹き始めた、すると鼠という鼠がみんな彼の周りにひしめき合って集って来た。
やがて彼はこんな風に大股に歩き始めたのだ。(彼は台から下りる)スキュロスの住民たちに向かってこう叫びながらね。「そこをどけ!」と。
(群衆は遠ざかる)すると鼠達は皆しぶしぶ頭をもたげた---丁度蝿どものやるようにね、見ろ! 見ろ、あの蝿どもを!
そうすると、たちまち鼠どもは彼の跡を追ってあわただしく走り去ったのさ。
そしてその笛師はこの鼠たちと一緒に永久に姿を消してしまったのさ。こんな風にね。
---幕---