【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5最終更新 2026/02/01 17:311.◆JBLfMwCXhYVyDZ6不滅にして不生、不断にして不常、不一にして不異、不来にして不去、戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する。根本中頌 帰敬偈 (龍樹)前スレ【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part4https://talk.jp/boards/psy/17683751642026/01/31 13:04:4188コメント欄へ移動すべて|最新の50件39.◆JBLfMwCXhY6ATkk>>785> 初期中観派における世俗諦とは、あくまで「勝義諦を示すための手段」 であった。しかし、中期中観派以降の論師たちは、勝義諦を不仮説のものとする思想 を踏襲すると同時に、言葉によって示される二義的な勝義諦を設定するように なった.バーヴィヴェーカやチャンドラキールティを初めとする中観派の論師たちにより「言説諦 = 言葉によって示された勝義諦」というのが登場した2026/02/01 14:17:5240.◆JBLfMwCXhY6ATkk言葉によって示された勝義諦それが、仏陀や龍樹の法だ2026/02/01 14:18:3341.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t>>40まだやってんのか?中論では言葉によって示された勝義諦ようは方便によって示された勝義諦勝義諦は方便によって示されるってこや2026/02/01 14:23:5842.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6tことや2026/02/01 14:24:1943.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6tいい加減、仮設は分かったんか?空と仮設を置かねば勝義諦は示されないよね?2026/02/01 14:25:4144.◆JBLfMwCXhY6ATkk「言葉で真理を語ることはできない。言葉は正しい認識をさまたげる」↓「真理を正しく知るには、黙って坐禅するしかない」↓「何よりも重要なのは、坐禅をこなした回数である」これが、聖ウンコ教のセントラル・ドグマ(中心教義)これに歯向かう者には、ウンコとリダンによる罵倒の大連投が待っている😫2026/02/01 14:25:5845.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t>>44別に禅やなくて構わないが?ぎゃーてーぎゃーてーでええよ2026/02/01 14:27:5246.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t「言葉で真理を語ることはできない。言葉は正しい認識をさまたげる」誰もそんなことは言ってないだろ世俗によらなければ勝義は示せえないと言ってるやん2026/02/01 14:29:3447.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6tコイツマジで無理矢理すぎないかそんなに悔しいのかよ2026/02/01 14:30:3648.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6tまた忘れたがリケカで指摘を俺もされただろ素直に認めりゃいいだけだ見苦しいやつだな2026/02/01 14:31:4149.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t>>46しってるか?言葉での真理を世俗諦っていうんやぞ2026/02/01 14:32:4750.◆JBLfMwCXhY6ATkkウンコとリダン宗教板では、このバカ2人を怒らせると厄介なことになる😂2026/02/01 14:35:3751.神も仏も名無しさん5fTomハッスル大回転奥義を見せてくれるからな〜😱2026/02/01 14:36:3552.◆JBLfMwCXhY6ATkk「言語によらない勝義諦」と、「言語によって説かれた勝義諦」清弁によって、勝義諦はこの2つに二分されただって、そうしないと、仏陀や龍樹の説法も世俗諦になっちゃうからなそれはおかしいんだよ2026/02/01 15:19:1753.◆JBLfMwCXhY6ATkkとくに、龍樹の中論最初から最後まで、「みごとに言語を用いて法を説ききり、戯論を寂滅した偉大なる仏陀に最敬礼」だからなここから、「言語を用いて説かれた勝義諦」が導かれるのは自然なことだ2026/02/01 15:19:4954.神も仏も名無しさん5fTom>>52月称と清弁の区別のなさハッスルの臨済禅理解のイミフ度合いいつものことだ😱2026/02/01 15:29:4655.神も仏も名無しさん5fTomハッスル脳内はバカだから迷走しとるやろなーとにかけ整理てきてない知識の😱2026/02/01 15:30:2756.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t>>52随縁って名の通りだよ2026/02/01 15:30:4857.神も仏も名無しさん5fTom清弁は学者によると唯識ディグナーガの影響が多少ある云々とか😁2026/02/01 15:32:1558.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t実際に字面だけ見てるお前と違ってワンツーマンでバットを振る横でアドバイスや実際に己がよく見て打つって体現するための直接な方便の話しだろ2026/02/01 15:33:1659.神も仏も名無しさん5fTom憶測過信NO1〜😱2026/02/01 15:34:0260.神も仏も名無しさん5fTom躁転しだしたな?NO1😱2026/02/01 15:34:1661.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6tそもそも随縁勝義を「諦」といってんの?2026/02/01 15:34:5462.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t知らんから聞くけど2026/02/01 15:36:2163.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t随順勝義か2026/02/01 15:37:4064.神も仏も名無しさん5fTomま、無理する余計にアタマが悪くなる😱2026/02/01 15:44:5865.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t実際、体現するための行為を直接サポートする方便は随順勝義でいいが勝義「諦」ではないはな龍樹の枠内では世俗扱い、仮設だ2026/02/01 15:45:4666.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6tあるいは体現しようとする行為か随順勝義ってのは2026/02/01 15:46:5067.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t空(定義による行為)空(そのもの、体現)この上の空を随順勝義龍樹では仮設ってはなしなだけだろ2026/02/01 15:57:3168.神も仏も名無しさんiDJK6でおーの言動を継続的に観察すると、その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。餓鬼道でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、満たされる兆候は見られない。語れば語るほど不足感が増し、他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。これは知識探究ではなく、承認依存である。修羅道でおーは常に勝敗と上下を設定する。議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。これは対話ではなく、闘争嗜好である。地獄道への誘導でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、自分は安全圏に退く。この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。結論でおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格評価ではない。行動の事実と、その帰結の整理である。本人に言っていない。関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。2026/02/01 16:45:1969.◆JBLfMwCXhY6ATkkそもそも、何が勝義諦で、何が世俗諦なのか端的にいうと机を見て、「机が存在する」と認識するのが世俗諦「机など、本当は存在しない」と見抜くのが勝義諦だ2026/02/01 16:49:2870.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t知ってるか?jblお前は何故か世俗諦を軽くみるが世俗における「審理」だぞ2026/02/01 16:50:0571.リダン◆3y/i8XtGLYqYj6t間違えた真理な2026/02/01 16:50:2172.◆JBLfMwCXhY6ATkkこれは、唯識派の考え方ではあるのだが後期中観派もその影響を受けたらしく「勝義諦とは、『本当は存在しない』ということである」ということになったようだ2026/02/01 16:51:0673.◆JBLfMwCXhY6ATkk学者の論文をいくつか読んだ2026/02/01 16:51:2174.神も仏も名無しさんWM7Fsそういう意味では真言密教は華厳よりもロジカルになったから後期は関係あるかもしれんなー知らんけど〜😆2026/02/01 16:53:3275.◆JBLfMwCXhY6ATkk「空性の現量了解」なんて言ったら、やたら難しそうだが実際にはシンプルだ目の前の車に対して「車など、本当は存在しない」と見抜くのが、空性の現量了解2026/02/01 16:56:0776.◆JBLfMwCXhY6ATkk最終的には、この世の物質世界そのものが、本当は存在しないことそして、自分自身も本当は存在しないことを見抜く2026/02/01 16:57:2377.神も仏も名無しさんWM7Fs五智の導入は四智の唯識と関連はあるのは確かだ浄土三部経のどれか忘れたけど五智があるけど、唯識と真言密教の五智とは違う内容だぐた😆2026/02/01 16:57:3078.神も仏も名無しさんWM7Fs>>75現量なんて依他起性の範疇やろしな〜😆2026/02/01 16:58:2079.神も仏も名無しさんiDJK6でおーの言動は、承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。2026/02/01 16:58:4980.◆JBLfMwCXhY6ATkk結局のところチベット密教の教義、チャンドラキールティやディグナーガのテクストを必死で勉強して徹底的に理解し、確信を持つそして、深い瞑想の中で「あっ、ホントにその通りだ。『世界は本当は存在しない』ってのは、真実だったんだな」ということが、直観的にピンとくるそういうプロセスだ2026/02/01 17:02:4781.◆JBLfMwCXhY6ATkk>>77へえ、そうなのか😆2026/02/01 17:03:5982.◆JBLfMwCXhY6ATkk真言密教の五智を知らんので、なんとも言えん😅2026/02/01 17:04:2183.神も仏も名無しさんWM7Fsむろん真言密教の五智とチベット密教全宗派の五智内容は同じだ😆2026/02/01 17:05:2384.◆JBLfMwCXhY6ATkk>>83そうだったのか~😆2026/02/01 17:08:2285.神も仏も名無しさんWM7Fs俺は些末のポイントよりも悟りのポイントをショートカットで狙い派だから先に理解するタイプ😆未だに真言密教の些末な倶舎論を反転したようなジャンルは詳しくない😆2026/02/01 17:10:2086.◆JBLfMwCXhY6ATkk直観派だな~😆2026/02/01 17:12:1487.神も仏も名無しさんWM7Fsノリとしてはニンマ派なんだろう😆2026/02/01 17:17:1588.神も仏も名無しさんAfFxAでおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。2026/02/01 17:31:10
戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する。
根本中頌 帰敬偈 (龍樹)
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【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part4
https://talk.jp/boards/psy/1768375164
> 初期中観派における世俗諦とは、あくまで「勝義諦を示すための手段」 であった。しかし、中期中観派以降の論師たちは、勝義諦を不仮説のものとする思想 を踏襲すると同時に、言葉によって示される二義的な勝義諦を設定するように なった.
バーヴィヴェーカやチャンドラキールティを初めとする中観派の論師たちにより
「言説諦 = 言葉によって示された勝義諦」
というのが登場した
それが、仏陀や龍樹の法だ
まだやってんのか?
中論では
言葉によって示された勝義諦
ようは
方便によって示された勝義諦
勝義諦は方便によって示される
ってこや
空と仮設を置かねば勝義諦は示されないよね
?
↓
「真理を正しく知るには、黙って坐禅するしかない」
↓
「何よりも重要なのは、坐禅をこなした回数である」
これが、聖ウンコ教のセントラル・ドグマ(中心教義)
これに歯向かう者には、ウンコとリダンによる罵倒の大連投が待っている😫
別に禅やなくて構わないが?
ぎゃーてーぎゃーてーでええよ
誰もそんなことは言ってないだろ
世俗によらなければ勝義は示せえないと
言ってるやん
無理矢理すぎないか
そんなに悔しいのかよ
リケカで指摘を俺もされただろ
素直に認めりゃいいだけだ
見苦しいやつだな
しってるか?
言葉での真理を世俗諦っていうんやぞ
宗教板では、このバカ2人を怒らせると厄介なことになる😂
😱
清弁によって、勝義諦はこの2つに二分された
だって、そうしないと、仏陀や龍樹の説法も世俗諦になっちゃうからな
それはおかしいんだよ
最初から最後まで、「みごとに言語を用いて法を説ききり、戯論を寂滅した偉大なる仏陀に最敬礼」だからな
ここから、「言語を用いて説かれた勝義諦」が導かれるのは自然なことだ
月称と清弁の区別のなさ
ハッスルの臨済禅理解のイミフ度合い
いつものことだ
😱
バカだから
迷走しとるやろなー
とにかけ整理てきてない
知識の
😱
随縁って名の通りだよ
ディグナーガの影響が多少ある云々とか
😁
ワンツーマンでバットを振る
横でアドバイスや
実際に己がよく見て打つって
体現するための直接な方便の話しだろ
😱
NO1
😱
いってんの?
余計にアタマが悪くなる
😱
勝義「諦」ではないはな
龍樹の枠内では世俗扱い、仮設だ
随順勝義ってのは
空(そのもの、体現)
この上の空を随順勝義
龍樹では仮設ってはなしなだけだろ
その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。
餓鬼道
でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。
宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、
満たされる兆候は見られない。
語れば語るほど不足感が増し、
他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。
これは知識探究ではなく、承認依存である。
修羅道
でおーは常に勝敗と上下を設定する。
議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。
優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。
第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。
これは対話ではなく、闘争嗜好である。
地獄道への誘導
でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。
感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、
自分は安全圏に退く。
この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。
結論
でおーは
餓鬼道と修羅道に居座り、
他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格評価ではない。
行動の事実と、その帰結の整理である。
本人に言っていない。
関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。
端的にいうと
机を見て、「机が存在する」と認識するのが世俗諦
「机など、本当は存在しない」と見抜くのが勝義諦だ
お前は何故か世俗諦を軽くみるが
世俗における「審理」だぞ
後期中観派もその影響を受けたらしく
「勝義諦とは、『本当は存在しない』ということである」
ということになったようだ
真言密教は
華厳よりもロジカルになったから
後期は関係あるかもしれんなー
知らんけど〜
😆
実際にはシンプルだ
目の前の車に対して
「車など、本当は存在しない」
と見抜くのが、空性の現量了解
そして、自分自身も本当は存在しないことを見抜く
関連はあるのは確かだ
浄土三部経のどれか
忘れたけど
五智があるけど、
唯識と真言密教の五智とは違う内容だぐた
😆
現量なんて依他起性の範疇やろしな〜
😆
承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。
そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。
チベット密教の教義、チャンドラキールティやディグナーガのテクストを必死で勉強して
徹底的に理解し、確信を持つ
そして、深い瞑想の中で
「あっ、ホントにその通りだ。『世界は本当は存在しない』ってのは、真実だったんだな」
ということが、直観的にピンとくる
そういうプロセスだ
へえ、そうなのか😆
真言密教の五智と
チベット密教全宗派の五智内容は同じだ
😆
そうだったのか~😆
些末のポイントよりも
悟りのポイントをショートカットで狙い派だから
先に理解するタイプ
😆
未だに真言密教の些末な
倶舎論を反転したようなジャンルは詳しくない
😆
😆
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。