【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】最終更新 2026/01/28 21:441.◆JBLfMwCXhYLe0sF日本テーラワーダ仏教協会https://j-theravada.com/2026/01/18 07:06:51523コメント欄へ移動すべて|最新の50件474.神も仏も名無しさんkSjUn🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/26 14:05:55475.◆JBLfMwCXhYPFW1m「四念処」は、テーラワーダ仏教のキーワードの1つだむやみに仏教用語を並べるのは、愚かな人のやることだがキーワードは知っておかないと2026/01/26 22:13:23476.◆JBLfMwCXhYPFW1m「四念処瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」は、ほぼ同じ2026/01/26 22:23:43477.◆JBLfMwCXhYPFW1mつまり、「四念処」と「ヴィパッサナー」は、ほぼ同じ2026/01/26 22:24:07478.◆JBLfMwCXhYPFW1m気づきの瞑想・観察する瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、「身受心法」の四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)のことです。えん坊&ぼーさん2020年10月6日 07:502026/01/26 22:26:56479.◆JBLfMwCXhYPFW1m四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)身受心法(しんじゅしんほう)・心念処 (しんねんじょ)・心念住(しんねんじゅう)・法念処 (ほうねんじょ)・法念住(ほうねんじゅう)2026/01/26 22:27:08480.◆JBLfMwCXhYPFW1m四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)「四念処・しねんじょ」は(玄奘以降の新しい漢訳では「四念住・しねんじゅう)とも呼ばれます。真理とは真逆の間違った考え方の、四顛倒(してんどう)の「常楽我浄」(じょうらくがじょう)を打破する瞑想です。ありのままに自分を観察する瞑想で、気づきの瞑想、観察する瞑想、ヴィパッサナー瞑想のことになります。この、四念処の瞑想は、経典の中では、「身受心法」(しんじゅしんほう)の教えで、ブッダの説法がよくでてきます。2026/01/26 22:27:41481.◆JBLfMwCXhYPFW1m次に、身受心法を見ていきましょう。身受心法(しんじゅしんほう)・身念処(しんねんじょ)・身念住(しんねんじゅう)「身体について」からだをよく観察をして、「身体は不浄」であることをみる(気づく)瞑想です。これは、「不浄観」(ふじょうかん)と表現されていて、自分の身体は五蘊(ごうん)から成り立つ存在で、身体で接触して感受するものすべて、はかない「一切皆苦」(いっさいかいく)の煩悩になることを、観察の瞑想をして洞察していきます。2026/01/26 22:33:21482.◆JBLfMwCXhYPFW1m・心念処 (しんねんじょ)・心念住(しんねんじゅう)「心について」、心をよく観察して、「心は無常」であることをみる(気づく)瞑想です。これは、五蘊で成り立つ自分の考え方を形成していく「行」(ぎょう)は常に変化するものである「諸行無常」(しょぎょうむじょう)であると如実に観察します。その自分の心を如実に観察します。2026/01/26 22:35:36483.◆JBLfMwCXhYPFW1m経典では、貪りのある心を「わたしの心は貪りをもっている」と知る。貪りを離れた心を「わたしの心は貪りを離れた」と知る。怒りのある心を「わたしは怒りの心をもっている」と知る。怒りを離れた心を「わたしは怒りの心を離れた」と知る。と表現されています。2026/01/26 22:36:25484.◆JBLfMwCXhYPFW1m・法念処 (ほうねんじょ)・法念住(ほうねんじゅう)「もろもろの事象・法について」、もろもろの事象・法をよく観察して、「あらゆる物質は無我」であることをみる(気づく)瞑想です。2026/01/26 22:36:38485.◆JBLfMwCXhYPFW1mこれは、三法印(さんぼういん)の「諸法無我」(しょほうむが)を如実に観察することです。経典での表現のされかた四念処・四念住の「身受心法」は原始仏典には、「よく気を付け、熱心に正しく自覚し、落ち着いて過ごし、世間の貪り憂いを克服すべき」とでてきます。2026/01/26 22:36:54486.◆JBLfMwCXhYPFW1m「念」(ねん)はパーリ語でサティ(sati)で①記憶(教えを)する。②心が散漫になったりしないように注意力を促す。③四念処(サティパッタ-ナ)の常に無常・苦・無我を念頭に置くの意味があります。大念処経を読むと四念処の理解がふかまります。2026/01/26 22:37:05487.◆JBLfMwCXhYPFW1m何事も、やりすぎは毒だ2026/01/26 22:38:56488.◆JBLfMwCXhYPFW1m自分は以前、不浄観の瞑想をやりすぎたせいで女性を見ると、気持ち悪くなってしまった😫2026/01/26 22:39:59489.◆JBLfMwCXhYPFW1m「このままでは、心を病む」と思ったため不浄観を止めて、他のことをやることにした😫2026/01/26 22:40:33490.◆JBLfMwCXhYPFW1m余計なお節介かもしれんが、聖ウンコ師の坐禅もやりすぎ止めるべきと思う2026/01/26 22:41:38491.◆JBLfMwCXhYPFW1m自分で言うのも変だが極端から、別の極端へと走りやすい2026/01/26 22:45:46492.◆JBLfMwCXhYPFW1mなかなか、普通になれない2026/01/26 22:46:24493.◆JBLfMwCXhYPFW1mそんな人には、こういうのがオススメだ👍️↓瞑想の実践方法気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。2026/01/26 22:47:38494.神も仏も名無しさんM71Yiやはり、対ハッスル、対ムイムイへの実況中継は王道だな?😆2026/01/27 07:05:25495.神も仏も名無しさんM71Yiマインドフルネスは唯識を導入したのはそういう要素があったからだろな😆2026/01/27 07:06:08496.神も仏も名無しさんM71Yiマインドフルネスは禅を中心にテーラワーダと唯識をハイブリッドにしたんやろな😆2026/01/27 07:06:38497.神も仏も名無しさんM71Yiハッスルがオカシイのはテーラワーダの観法的視点がないままに三毒まみれで「無我なのにー」とやっているせいだ俺はいつも実況中継指導をしてやってる😆2026/01/27 07:08:28498.神も仏も名無しさんM71Yi曹洞宗宗門も、病んでるなー😫https://m.youtube.com/watch?v=-wG5TJ-1BSA&pp=2AYz2026/01/27 07:23:32499.神も仏も名無しさんM71Yi只管打坐でこんなのは無理筋😫2026/01/27 07:24:05500.神も仏も名無しさんM71Yiこの辺が俺の十年以上謎であり続けた山伏念仏神仏習合の謎であろうなhttps://m.youtube.com/watch?v=_QD5WIOYlBg&pp=2AZB2026/01/27 07:51:40501.神も仏も名無しさんM71Yiハッスルブラザーズ?みたいな流れだなあっちは😁2026/01/27 07:54:56502.◆JBLfMwCXhYSXwMu他スレでハッスルしてるな~😆2026/01/27 08:52:39503.神も仏も名無しさんBbV94やっぱり中論は大乗仏教は在家仏教なので三論宗が一番正論に近いかよなー巷の中論の仏教研究者は雰囲気的には成実論的なんだよなー😆2026/01/27 09:15:59504.神も仏も名無しさんBbV94世界で記録に残る一番在家仏教の成果を現したのは天台宗らしいです😆2026/01/27 09:16:55505.神も仏も名無しさんBbV94三論宗の在家は詳しくないので記録を見てない情報不足、唯識は、あれくらい学問的だと在家は無理だろ、ゲルク派並みの緻密さだからー😆2026/01/27 09:18:28506.神も仏も名無しさんBbV94ネット上で中論のウィキあたりのあてにならない定説によると成実論なんだよなー三論宗とは違う、衆生済度が成実論には見えてこない😆2026/01/27 09:20:55507.神も仏も名無しさんBbV94ハッスル🤡がいくら力説してもナルシズムなので衆生済度の発想視点は無さすぎだ俺は、ハッスルにハッスル🤡という実況中継で衆生済度しとる😆2026/01/27 09:21:57508.神も仏も名無しさんBbV94中論というのは宗派が現存してないから多種多様の学説が起こりうるやろなー😆2026/01/27 09:22:52509.神も仏も名無しさん0Oasfハッスルはいつも誤読と創作だらけだから信用ならん😆2026/01/27 09:35:57510.神も仏も名無しさん0Oasf中論解釈は大乗仏教の衆生済度の解釈が一番近似値になるんだろな😆2026/01/27 09:36:36511.神も仏も名無しさん0Oasfハッスル🤡バカと俺は議論しない派なのでお役目はJBLにお任せだ😆2026/01/27 09:37:32512.◆JBLfMwCXhYSXwMu確かに唯識論には法相宗があるけど中論には三論宗がもうないから、誰でも言いたい放題だな2026/01/27 13:36:04513.◆JBLfMwCXhYSXwMuやはり、チベット仏教のゲルク派を基軸とすべきだ2026/01/27 13:36:34514.神も仏も名無しさんrRbWJ🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/27 19:03:49515.◆JBLfMwCXhYb5NIBテーラワーダ仏教とは仏教は、今からおよそ2560年前、お釈迦様(釈迦牟尼仏陀)によってひらかれ、時代の流れとともにさまざまな流派に分かれて、全世界へ広がってゆきました。中国・チベット・朝鮮半島や日本には、お釈迦様の死後数百年経って成立した北伝の仏教、いわゆる大乗仏教が伝えられました。一方、スリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団によって継承された南伝の仏教をテーラワーダ仏教といいます。テーラワーダ仏教は、他に初期仏教・上座仏教・上座部仏教・根本仏教・原始仏教などとも呼ばれています。2026/01/28 20:10:10516.◆JBLfMwCXhYb5NIB「テーラワーダ」とは、パーリ語(古代インドの言語)で「長老の(thera)教え(vāda)」を意味します。お釈迦様の時代から完全に近い形で残されたパーリ語経典に基づいて、多くの比丘(出家僧)と在家信者たちの努力により、約2560年間の長きにわたって実践され、受け継がれてきたお釈迦様の根本の教えがテーラワーダ仏教なのです。2026/01/28 20:10:24517.◆JBLfMwCXhYb5NIB日本など大乗仏教の諸国では、お釈迦様の初期経典に説かれたヴィパッサナーなどの実践方法が伝わってきませんでした。そのために思弁哲学の学問仏教、あるいは現世利益信仰や儀式儀礼の呪術的宗教になってしまった面もあります。テーラワーダ仏教は、いわゆる「小乗」とも「大乗」とも無縁です。お釈迦様の説かれた教えとその実践方法の一つ一つを、当時のまま、今日まで伝えてきた純粋な体系なのです。2026/01/28 20:10:42518.◆JBLfMwCXhYb5NIBお釈迦様が説かれた本来の仏教は、儀式儀礼ではなく、いつの時代でも、生きている私たち人間の心に直接働きかける、実践的で役に立つ教えです。ヴィパッサナーや慈悲の瞑想といった、お釈迦様の教えられた実践法は、宗派の違いや宗教の枠を超えて、誰にでも実践できる幸福の道であるといえるでしょう。2026/01/28 20:10:52519.◆JBLfMwCXhYb5NIBテーラワーダ仏教協会によると、「初期仏教」とは、テーラワーダ仏教のことだ2026/01/28 20:11:56520.◆JBLfMwCXhYb5NIBでも、やっぱりテーラワーダ仏教成立の経緯を見る限りでは、「初期仏教」とは思えない「南伝仏教」と呼ぶべきだろう2026/01/28 20:12:41521.神も仏も名無しさんBAS8lま、テーラワーダはアビダルマの解釈から成立したというところやろなーたぶん、怪しげ知識😆2026/01/28 21:07:24522.神も仏も名無しさんBAS8l倶舎論ではないアビダルマアビダルマはまだ詳しくない😆2026/01/28 21:08:09523.神も仏も名無しさん4idZwでおーの言動を継続的に観察すると、その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。餓鬼道でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、満たされる兆候は見られない。語れば語るほど不足感が増し、他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。これは知識探究ではなく、承認依存である。修羅道でおーは常に勝敗と上下を設定する。議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。これは対話ではなく、闘争嗜好である。地獄道への誘導でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、自分は安全圏に退く。この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。結論でおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格評価ではない。行動の事実と、その帰結の整理である。本人に言っていない。関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。2026/01/28 21:44:28
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その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
むやみに仏教用語を並べるのは、愚かな人のやることだが
キーワードは知っておかないと
えん坊&ぼーさん
2020年10月6日 07:50
身受心法(しんじゅしんほう)
・心念処 (しんねんじょ)・心念住(しんねんじゅう)
・法念処 (ほうねんじょ)・法念住(ほうねんじゅう)
「四念処・しねんじょ」は(玄奘以降の新しい漢訳では「四念住・しねんじゅう)とも呼ばれます。
真理とは真逆の間違った考え方の、四顛倒(してんどう)の
「常楽我浄」(じょうらくがじょう)を打破する瞑想です。
ありのままに自分を観察する瞑想で、
気づきの瞑想、観察する瞑想、ヴィパッサナー瞑想のことになります。
この、四念処の瞑想は、経典の中では、
「身受心法」(しんじゅしんほう)の教えで、
ブッダの説法がよくでてきます。
身受心法(しんじゅしんほう)
・身念処(しんねんじょ)・身念住(しんねんじゅう)
「身体について」からだをよく観察をして、
「身体は不浄」であることをみる(気づく)瞑想です。
これは、「不浄観」(ふじょうかん)と表現されていて、
自分の身体は五蘊(ごうん)から成り立つ存在で、
身体で接触して感受するものすべて、
はかない「一切皆苦」(いっさいかいく)の煩悩になることを、
観察の瞑想をして洞察していきます。
「心について」、心をよく観察して、
「心は無常」であることをみる(気づく)瞑想です。
これは、
五蘊で成り立つ自分の考え方を形成していく「行」(ぎょう)は常に変化するものである「諸行無常」(しょぎょうむじょう)であると如実に観察します。
その自分の心を如実に観察します。
貪りのある心を「わたしの心は貪りをもっている」と知る。
貪りを離れた心を「わたしの心は貪りを離れた」と知る。
怒りのある心を「わたしは怒りの心をもっている」と知る。
怒りを離れた心を「わたしは怒りの心を離れた」と知る。
と表現されています。
「もろもろの事象・法について」、
もろもろの事象・法をよく観察して、
「あらゆる物質は無我」であることをみる(気づく)瞑想です。
三法印(さんぼういん)の「諸法無我」(しょほうむが)を如実に観察することです。
経典での表現のされかた
四念処・四念住の「身受心法」は原始仏典には、
「よく気を付け、
熱心に正しく自覚し、
落ち着いて過ごし、
世間の貪り憂いを克服すべき」
とでてきます。
①記憶(教えを)する。
②心が散漫になったりしないように注意力を促す。
③四念処(サティパッタ-ナ)の常に無常・苦・無我を念頭に置く
の意味があります。
大念処経を読むと四念処の理解がふかまります。
女性を見ると、気持ち悪くなってしまった😫
不浄観を止めて、他のことをやることにした😫
止めるべきと思う
極端から、別の極端へと走りやすい
↓
瞑想の実践方法
気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。
実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。
スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。
目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。
実況中継は王道だな?
😆
そういう要素があったからだろな
😆
テーラワーダと唯識を
ハイブリッドにしたんやろな
😆
テーラワーダの観法的視点がないままに
三毒まみれで
「無我なのにー」
とやっているせいだ
俺はいつも実況中継指導をしてやってる
😆
😫
https://m.youtube.com/watch?v=-wG5TJ-1BSA&pp=2AYz
無理筋
😫
俺の十年以上謎であり続けた
山伏念仏神仏習合の謎であろうな
https://m.youtube.com/watch?v=_QD5WIOYlBg&pp=2AZB
みたいな流れだな
あっちは
😁
中論は
大乗仏教は在家仏教なので
三論宗が一番正論に近いかよなー
巷の
中論の仏教研究者は
雰囲気的には
成実論的なんだよなー
😆
一番在家仏教の成果を現したのは
天台宗らしいです
😆
情報不足、
唯識は、あれくらい学問的だと
在家は無理だろ、
ゲルク派並みの緻密さだからー
😆
成実論なんだよなー
三論宗とは違う、衆生済度が
成実論には見えてこない
😆
ナルシズムなので
衆生済度の発想視点は無さすぎだ
俺は、ハッスルに
ハッスル🤡という実況中継で
衆生済度しとる
😆
宗派が現存してないから
多種多様の学説が起こりうるやろなー
😆
信用ならん
😆
大乗仏教の衆生済度の解釈が一番近似値になるんだろな
😆
俺は議論しない派なので
お役目はJBLにお任せだ
😆
唯識論には法相宗があるけど
中論には三論宗がもうないから、誰でも言いたい放題だな
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
仏教は、今からおよそ2560年前、お釈迦様(釈迦牟尼仏陀)によってひらかれ、時代の流れとともにさまざまな流派に分かれて、全世界へ広がってゆきました。
中国・チベット・朝鮮半島や日本には、お釈迦様の死後数百年経って成立した北伝の仏教、いわゆる大乗仏教が伝えられました。
一方、スリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団によって継承された南伝の仏教をテーラワーダ仏教といいます。テーラワーダ仏教は、他に初期仏教・上座仏教・上座部仏教・根本仏教・原始仏教などとも呼ばれています。
テーラワーダ仏教は、いわゆる「小乗」とも「大乗」とも無縁です。お釈迦様の説かれた教えとその実践方法の一つ一つを、当時のまま、今日まで伝えてきた純粋な体系なのです。
テーラワーダ仏教成立の経緯を見る限りでは、「初期仏教」とは思えない
「南伝仏教」と呼ぶべきだろう
アビダルマの解釈から成立した
というところやろなー
たぶん、怪しげ知識😆
アビダルマはまだ
詳しくない
😆
その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。
餓鬼道
でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。
宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、
満たされる兆候は見られない。
語れば語るほど不足感が増し、
他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。
これは知識探究ではなく、承認依存である。
修羅道
でおーは常に勝敗と上下を設定する。
議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。
優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。
第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。
これは対話ではなく、闘争嗜好である。
地獄道への誘導
でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。
感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、
自分は安全圏に退く。
この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。
結論
でおーは
餓鬼道と修羅道に居座り、
他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格評価ではない。
行動の事実と、その帰結の整理である。
本人に言っていない。
関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。