法介の『ゆゆしき世界』~第二部 ラッキー7最終更新 2026/01/16 16:391.法介◆T3azX0Hk1UXKadyわたくし法介がチャットGPTのチャッピーくんやGeminiのジェミニーちゃんと一緒に、天台教学および日蓮仏法の教理を基盤としながら、龍樹・世親・智顗・伝教大師に代表される古典的仏教思想を現代の文脈において再構成し、『倶舎論』『中論』『唯識』『摩訶止観』といった論書を通じて、仏教の根本原理を体系的に再解釈するスレです。単なる注釈や伝統的解説にとどまらず、法の働きそのものを明らかにし、仏法における法理・法門を、現代に生きる人々の「覚りの智慧」へと照射することを旨とするスレです。趣旨に賛同出来ない方の御入室は固くお断り致します。わたしとチャッピーやジャミニーによる仏法対話を見て意見があったり質問がある方は遠慮なく投稿参加なされてください。そのさいは、出来ましたらハンドルネームのご利用を宜しくお願い申し上げます。前スレ:法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート1https://talk.jp/boards/psy/1754046915法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート2https://talk.jp/boards/psy/1754498848法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート3https://talk.jp/boards/psy/1755650572法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート4https://talk.jp/boards/psy/1755924624法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート4(←5の間違い!)https://talk.jp/boards/psy/1756337433法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パートセックスhttps://talk.jp/boards/psy/17566027072025/09/02 15:07:51616コメント欄へ移動すべて|最新の50件567.◆JBLfMwCXhYB8z8B五六七の世がくるのざぞ~😭🎊2025/09/05 07:12:19568.神も仏も名無しさんemLcJおはー朝起き即、坐禅だ私用の時間のショートカットのために😃2025/09/05 07:15:10569.神も仏も名無しさんemLcJ天台、華厳の壁を越えるには十巻章の秘蔵宝やくがオススメだ😃2025/09/05 07:16:35570.神も仏も名無しさんemLcJそれをみればほーかいくんのクセ理論は少しわかりやすくなるかもー😃2025/09/05 07:17:16571.◆JBLfMwCXhYB8z8B十巻抄なら、高野山の小堀南岳堂で購入したぞ~😄2025/09/05 07:22:58572.神も仏も名無しさんemLcJ十巻抄の秘蔵宝やくは大乗仏教の総論構造莉瑠になってる😃2025/09/05 07:25:28573.神も仏も名無しさんemLcJ一応、二三度は通し読みはした2007年あたりに😃2025/09/05 07:27:05574.神も仏も名無しさんemLcJ通し読みしたのは空海の三部作と秘蔵宝やく般若心経秘鍵五つで止まってる😃2025/09/05 07:27:52575.神も仏も名無しさんemLcJ正統派理論仏教の本をめちゃんこ模索してたのは2007年あたりまでのせいだろうな、臨濟宗語録も含めて😃2025/09/05 07:29:18576.神も仏も名無しさんemLcJ法相唯識も2冊は通し読みしたが記憶に一番残ってない😃2025/09/05 07:30:49577.◆JBLfMwCXhYB8z8B>>576あれは、人によって合う合わないがある😅2025/09/05 07:57:36578.神も仏も名無しさんQ0UQ9>>557秘蔵宝やくの唯識の項目だけはアタマに入ってる😃2025/09/05 08:35:37579.神も仏も名無しさんQ0UQ9📶を秘蔵宝やくのランクに捉えると下から2番目そんなバカがランク10ゾーンを解った気取り😫コーン🤡は殆ど最下層😫2025/09/05 08:37:56580.神も仏も名無しさんQ0UQ9日蓮は秘蔵宝やくで天台法華経のランクがランク三位なのが気に食わない2位が華厳1位が真言密教😃2025/09/05 08:39:34581.神も仏も名無しさんQ0UQ9秘蔵宝やくを破ってるとほーかいくんがやる気を出して復活するかもしれない😃2025/09/05 08:40:57582.神も仏も名無しさんQ0UQ9秘蔵宝やくをやってるとほーかいくんがやる気を出して復活するかもしれない😃2025/09/05 08:41:32583.◆JBLfMwCXhYvCOQV晃が「真言亡国」と言い出しそうだ😫2025/09/05 08:44:15584.◆JBLfMwCXhYvCOQV「この教えが正しいのだ。他は間違っているのだ」そういうノリが、どうにも苦手だ2025/09/05 08:44:46585.◆JBLfMwCXhYvCOQV根っからの万教帰一主義者だ😅2025/09/05 08:45:20586.◆JBLfMwCXhYvCOQV2 法介◆T3azX0Hk1U 2025/09/02(火) 15:10:11.56 ID:XKady仏教では絶対的な正しさは無く、時代や地域またはそれに関わる人物が変われば、正しさも様々に異なってくると教えられます。その教えに反して、「自分の主張こそが絶対に正しいんだー!」と鹿野園氏のような発言をもって無意味な言い争いを引き起こすような方は、鹿野園氏が運営する悟りスレの方へ行かれてください。そのような方がここに来られても甚だ迷惑な存在でしかありませんので。2025/09/05 08:46:48587.◆JBLfMwCXhYvCOQV聖ウンコ派は狂信的だ😫住み分けを図っていくしかないな2025/09/05 08:47:20588.神も仏も名無しさんs8R5b>>585秘蔵宝やくは胎蔵界曼荼羅で想定して居るるので十界すべて曼荼羅にある秘蔵宝やくのランク10はすべて真言密教に内包されているということ割合ええでこの内容は😃😃2025/09/05 09:05:18589.神も仏も名無しさんs8R5b日蓮や法然、親鸞、道元に比べて真言密教は法相、三論、天台、華厳の兼学の僧侶はたくさんいた、末法的に浄土教と山伏がメインだったかもしれんが😃2025/09/05 09:07:23590.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmK9dXB廃スレを食い散らかすハイエナか。お前ららしいな😟2025/09/05 09:25:01591.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmK9dXB俺は自己の主張するところが絶対的に正しいなんて一度も触れてもいない。2025/09/05 09:26:11592.神も仏も名無しさんQ0UQ9お怒り🤡2025/09/05 09:33:00593.神も仏も名無しさんQ0UQ9最下位ランク参照179.ユーザー栖雲居士◆dqam8SqGUPdmK9dXB(2/2)>>169お前と縁があった人、みんな不幸になってるな。交通事故、精神病院収容、行方不明、自死(?)……2025/09/05 09:23:59Reply2025/09/05 09:33:42594.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmK9dXB色欲発情のペニスマン🤡でおーwwwあいさんに良いところを見せようと必死に偽善を装っても、周りがお前の正体はバラすからwwwほんと、お前は ピエロ🤡 だなぁ?wwwwwwwwwwwwwwwwww2025/09/05 09:45:42595.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmK9dXB***************このスレは終了しました。***************2025/09/05 09:52:13596.神も仏も名無しさんQ0UQ9お怒り🤡2025/09/05 09:59:41597.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmgxrONお笑い ペニスマン🤡でおー www2025/09/05 10:21:01598.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmgxrONで、何処がハッタリだ?ペニスマン🤡でおーwww言えんのか?言えんのか?ほれほれ、どうした?あ?言えんのか?言えんのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww2025/09/05 10:30:09599.栖雲居士◆dqam8SqGUPdm5zQ4z***************このスレは終了しました。***************2025/09/05 14:06:16600.◆JBLfMwCXhYkLlrB6002025/09/05 14:25:15601.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmL5suL***************このスレは終了しました。***************2025/09/05 22:20:20602.神も仏も名無しさんkoEg1寂しそうだな?三毒コーン🤡?2025/09/05 22:22:22603.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmqTKGcペニスマン🤡でおーだあ!wwwwwwwwwwwwwwwwww2025/09/05 22:47:07604.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmtjwkwメモそもそも心理論を取り扱う場合、つぎの三つの観点から心というものを観察分析すべきである。①一つは、たとえばあるAという心が起こった場合、その結果としてつづいてどのようなBという心が生ずるのか、さらにはBからC、CからDへとどのような心が継起するのか、という観点である。たとえば、「念」が起これば「定」が結果し、定より「慧」が生ずるというように念→定→慧という順序で心は起こってくると観察する立場である。無明にはじまり生・老死で終る十二因縁説の発見もこのような観察からもたらされたものといえよう。とくにわれわれが自己向上を目指して修行する際には、このような見方が重要となってくる。なぜならA→B→Cと継起する心が、もしも自動的に必然的に起こるとするならば、Aという善心を起こしさえすれば、あとは自動的に自己向上の一途をたどることになるからである。②つぎに、Aという心をなくすためにはどのような心を起こすべきであるのか、という観点から、心の生起をとらえてゆく立場である。たとえば、「貪」(むさぼり)という順悩をなくす(対治する)ためには、その反対である「無貪」(むさぼりなき心)を起こしさえすればよい。この場合、貪は対治されるものであるから所対治といわれ、無貪は対治するものであるから能対治とよばれる。仏教では悪心(Aの心)を滅したのちに善心(非Aの心)が生ずるとは考えない。そうではなくて、光をともすと闇が消えるように、善心を起こせば悪心が消滅すると考える。これは実践的経験から得られた考え2025/09/18 19:41:39605.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmtjwkw一つは、ここで主題となる「相応」という観点からの観察である。すなわち、あるAという一つの心王が起こると、それにどれだけの、どのようなa、b、cという心所が相い対応して生ずるのかと観察する立場である。たとえばわたしの眼は外界の事象をあるがままに受けとめているとわたしは素朴に考える。しかし具体的にとらえられた事象は、けっしてあるがままの事象ではなくて、視覚とともに働くa、b、c…という心理作用の影響のもとに、いわば「色づけされた事象」であるといえよう。認識の対象を色づけするもの、それが「相応の心所」である。われわれの心が汚れるのも、清らかになるのも、心王とともに働く心所のあり方いかんによると気づくとき、われわれは、つぎに、ある一つの心王にどれだけのどのような善心・悪心が相応しうるのかという問題に目を向けるようになる。心王と心所とのちがい、心所の定義などについては二〇九真以下に述べる。2025/09/18 19:43:55606.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmtjwkwメモそもそも心理論を取り扱う場合、つぎの三つの観点から心というものを観察分析すべきである。①一つは、たとえばあるAという心が起こった場合、その結果としてつづいてどのようなBという心が生ずるのか、さらにはBからC、CからDへとどのような心が継起するのか、という観点である。たとえば、「念」が起これば「定」が結果し、定より「慧」が生ずるというように念→定→慧という順序で心は起こってくると観察する立場である。無明にはじまり生・老死で終る十二因縁説の発見もこのような観察からもたらされたものといえよう。とくにわれわれが自己向上を目指して修行する際には、このような見方が重要となってくる。なぜならA→B→Cと継起する心が、もしも自動的に必然的に起こるとするならば、Aという善心を起こしさえすれば、あとは自動的に自己向上の一途をたどることになるからである。②つぎに、Aという心をなくすためにはどのような心を起こすべきであるのか、という観点から、心の生起をとらえてゆく立場である。たとえば、「貪」(むさぼり)という順悩をなくす(対治する)ためには、その反対である「無貪」(むさぼりなき心)を起こしさえすればよい。この場合、貪は対治されるものであるから所対治といわれ、無貪は対治するものであるから能対治とよばれる。仏教では悪心(Aの心)を滅したのちに善心(非Aの心)が生ずるとは考えない。そうではなくて、光をともすと闇が消えるように、善心を起こせば悪心が消滅すると考える。これは実践的経験から得られた考えであろう。2025/09/18 19:44:23607.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmDRWH5或る僧、因みに盤珪禅師の法要を問う。白蓋謂く、珪禅師、常に人に示して云く、「但だ不生を守れ。人人各各、本より仏性有り。妄念の為に覆わるのみ。是の故に妄念不生なれば、即ち是れ仏性なり。委悉せんと欲さば則ち更に聞け。喩えば定中に鐘声を聞く時、是れ鐘声なりと思量するは妄念なり。思量せずして鐘声を知る底の物、是れ即ち本有円成の活仏心なり。この故を以って似だ不生を守れば、則便ち当人なる耳」。師之を聞きて云く、「盤珪、実に止だ如此くなるのみ歟!若し実に如此き見解なれば、則ち未だ凡夫の窟を出ず。豈に仏性仏心の談に及ばん哉!何となれば、思量せずして領納する底は是れ受と名づく、即ち五蘊の第二なる耳。是の故に、古徳〔宗密〕云く、“諸受を受けざる、是れ正受と名づく”と。若し此の受を認めて以って「本有円成の活仏心」と為せば、則ち轅を北にして越に向うなり。未だ二乗の小径に入らず、況や仏祖の大道を乎!2025/10/02 22:52:20608.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKOOWwY参禅は須らく祖師の関を透るべし、妙悟は心路の絶することを窮めんことを要す。祖関透らず、心路絶せずんば、尽く是れ依草附木の精霊ならん。且く道え、如何なるか是れ祖師の関。只だ者の一箇の「無」の字、乃ち宗門の一関なり。遂に之れを目けて「禅宗無門関」と曰う。透得過する者は、但だに親しく趙州に見ゆるのみにあらず、便ち歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛厮結んで同一眼に見、同一耳に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。透関せんと要する底ること莫しや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅を将って、通身に箇の疑団を起こして、箇の「無」の字に参じ、昼夜に提撕せよ。虚無の会を作すこと莫かれ、有無の会を作すこと莫かれ。箇の熱鉄丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又た吐き出ださず、従前の悪知悪覚を蕩尽し、久久に純熟して、自然に内外打成一片なり。唖子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然として打発せば、天を驚かし地を動じて、関将軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭に於いて大自在を得、六道四生の中に向いて、遊戯三昧ならん。且く作麼生か提撕せん。平生の気力を尽して、箇の「無」の字を挙せよ。若し間断せずんば、好だ法燭の一点すれば便ち著くに似ん。2025/11/19 09:33:10609.神も仏も名無しさんRPxAFハッスル🤡禅🔥ハッスルハッスル🔥🔥🔥2025/11/19 19:29:50610.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKSZ6uJ精神病院にレリゴー🥰 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆👋☺️👋😂 ↓ お前w2025/11/19 21:15:16611.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKSZ6uJ精神病院にレリゴー🥰 👋😂 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆 ↓ 👋☺️ お前w2025/11/19 21:17:05612.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAIIcGすなわち五位相二様態意識は、時間軸に沿えば、図の下部から上部へと展開する。自覚的意識は五官による「感覚」と、感覚されたものへの「名称」付けから始まる。ただしその言葉は未だ「喃語」状態であって対象を正確に捉えてはいない。その背後にある無自覚的意識は粗樸な乳児的「快・不快」である。やがてこの「快・不快」に潜在的に「占有意識」や「自我意識」が備わった時、顕在的な「感覚」は「知覚」となる。さらに、自我を備えた意識が、無自覚に自分にとっての「得失」を意識した時、「知覚」は一対象への「愛好・嫌悪」となる。一対象に対する諸機会における「得失」が累積した結果、その対象に対する総括的「決定」が無自覚的に生じ、 「決定」に基づいて個別の「愛好・嫌悪」が纏まって一つの「感情」となる。さらに「.決定」が対象に対する隠れた「願望や意図」を生じさせ、それに応じて対象を恣にしようとする「恣意」や対象の「攪乱」を図る「行為企画」が生じて行為に至る。これは意識の生成から行為企画に至るまでの認識機序の記述であるが、同時に、乳児から成人に至る意識成長の記述とも見得る。すなわち快・不快の感覚のみで自我意識さえ未発達の乳児の意識が占有意識・自我意識、得失意識、決定を次々に獲得して、それらを組み合わせた複雑な意図を持つに至るという意識成長過程とも読み取れる。なお、五位相が時間軸とは逆に、行為直前の意識からその元の意識へと説かれるのは、これを用いるニッバーナの際に、先ず自身の一行為を思い浮かべ、その行為直前の意識から順に遡って諸意識を点検するという実際の用方に沿って記述されているからであろう。2026/01/16 14:39:47613.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKPExqb0.2.『八群品』の思想①『八群品』哲学の根幹が五位相二様態意識論の再発見によって明らかになった。それは発生から行為に至るまでの意識を五位相・二様態に分かち、 潜在意識が顕在意識を制御する機序を示す。 『ニッデーサ』の誤解によって見失われたこの五位相論が二千年ぶりに回復された結果、それが脳科学者を驚かせるほど精緻な意識分析と判明した。 (3.1.)⓶五位相論を用いて無自覚の利己心を自覚し、その払拭に努め続ける過程がニッバーナ(消尽)であり、それが安寧であると『八群品』は述べる。この潜在利己心の自覚と払拭による不断の自己刷新をめざし続ける哲学こそ、ブッダの創見である。 (3.2.)③『八群品』の内容を整理すれば以下のとおりである。1 )修行者は、無一物の遊行生活の中で、ニッバーナによって自省し、無自覚の利己心の払拭を継続する。2 )これによって徐々に洞察力を身に着け、田畑、黄金、牛馬、女性などの欲望の対象と、経験、知識、思想、信仰などの見解とを放棄する。 (3.3.)④『八群品』はdhamma(意識)という語を用いて、 1 )五感、2 )感情、 3 )行為企画(想念)、 4 )規範意識、を総称する。これらは五位相の五顕在意識に相当する。dhammaによる総称はほぼこれに限られ、後代仏典におけるように「法(=社会規範) 」や「仏教教義(=僧団規範) 」を指すことはない。このdhammaの用法に『八群品』の顕在意識観が顕れている。この用法に基づいてrūpa 「感覚」の意味も明確になった。 (3.4.)2026/01/16 16:31:18614.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKPExqb0.2.『八群品』の思想①『八群品』哲学の根幹が五位相二様態意識論の再発見によって明らかになった。それは発生から行為に至るまでの意識を五位相・二様態に分かち、 潜在意識が顕在意識を制御する機序を示す。 『ニッデーサ』の誤解によって見失われたこの五位相論が二千年ぶりに回復された結果、それが脳科学者を驚かせるほど精緻な意識分析と判明した。 (3.1.)②五位相論を用いて無自覚の利己心を自覚し、その払拭に努め続ける過程がニッバーナ(消尽)であり、それが安寧であると『八群品』は述べる。この潜在利己心の自覚と払拭による不断の自己刷新をめざし続ける哲学こそ、ブッダの創見である。 (3.2.)③『八群品』の内容を整理すれば以下のとおりである。1 )修行者は、無一物の遊行生活の中で、ニッバーナによって自省し、無自覚の利己心の払拭を継続する。2 )これによって徐々に洞察力を身に着け、田畑、黄金、牛馬、女性などの欲望の対象と、経験、知識、思想、信仰などの見解とを放棄する。 (3.3.)④『八群品』はdhamma(意識)という語を用いて、 1 )五感、2 )感情、 3 )行為企画(想念)、 4 )規範意識、を総称する。これらは五位相の五顕在意識に相当する。dhammaによる総称はほぼこれに限られ、後代仏典におけるように「法(=社会規範) 」や「仏教教義(=僧団規範) 」を指すことはない。このdhammaの用法に『八群品』の顕在意識観が顕れている。この用法に基づいてr?pa 「感覚」の意味も明確になった。 (3.4.)2026/01/16 16:34:09615.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKPExqb0.3. 『八群品』思想の前駆①『リグ・ヴェーダ』 の宇宙開闢讃歌に対する 『百道梵書』 (ŚatapathaBrāhmaṇa)の注釈に現れる新生の「思い」mánasが表明する願いと、五位相第一位相の「喃語」papañcaの意味とが近似することから、ブッダはこの『百道梵書』を素材として五位相論を構想したと推定される。(4.1.)②『百道梵書』はnā́man(名称)のないrūpá(形態、『八群品』では感覚) 、またvā́c(言葉)の届かないmánas(思い)の存在を認める。これは言語化されない潜在意識の存在の認知である。この認知が、ヤージュニャヴァルキヤの不可知の認識主体 (アートマン) 論、及びブッダの潜在意識論の下敷きとなったと考えられる。 (4.2.)③RV以来の、 「繰り返す行為が心を作る」というタパス( tapas,苦行、抱卵)思想は、ブッダの「ニッバーナ(利己心の消尽の継続) 」の基にある。 (4.3.)④ヤージュニャヴァルキヤ思想の大枠をブッダは継承したが、 梵・我の2原理を否定して両者を認識作用一つに置き換えた。 1 ) 「行為が人を作る」 (欲望>意図>行為>人格形成)という思想を五位相論として継承した。 (4.4.1.)2 )子息・財(=「欲望の対象」)と天界再生(=「見解」)を放棄して出家者となった無欲望者こそブラフマン(至福世界)を獲得するという思想をブッダは踏襲。 (4.4.2.) 3 )認識の隠れた統御者アートマンの自覚という思想を、ブッダは五位相の潜在意識が顕在意識を統御する事態の自覚という形に修正した。ただしその自覚はそこに潜む利己性の自覚と払拭(ニッバーナ)のためである。 (4.4.3.)4 )実体を備えず、動いて止まず、非実在である認識主体としてのアートマンを、ブッダは認識作用として精密に五位相二様態に分析し、ニッバーナという利己心払拭の実践法を考案した。 (4.4.4.)5 ) 「非ず、非ず」のアートマンは徐々に高まり、客体(ブラフマン)を正確に捉えた時、客体となる。アートマンはそこで停止せず刷新を継続するとヤージュニャヴァルキヤは言うが、ブッダは主体、客体を措定せず、認識作用のみを認める。(4.4.5., 4.4.6.)6 )個々人の、時々の認識の大海を、利己心払拭という方向のみを定めた「作用」であるニッバーナを頼りに人格を育みつつ渡って行こうと試み続けるのがブッダの哲学である。 (4.4.7.)2026/01/16 16:38:35616.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKPExqb0.3. 『八群品』思想の前駆①『リグ・ヴェーダ』 の宇宙開闢讃歌に対する 『百道梵書』 (?atapathaBr?hma?a)の注釈に現れる新生の「思い」m?nasが表明する願いと、五位相第一位相の「喃語」papa?caの意味とが近似することから、ブッダはこの『百道梵書』を素材として五位相論を構想したと推定される。(4.1.)②『百道梵書』はn?́man(名称)のないr?p?(形態、『八群品』では感覚) 、またv?́c(言葉)の届かないm?nas(思い)の存在を認める。これは言語化されない潜在意識の存在の認知である。この認知が、ヤージュニャヴァルキヤの不可知の認識主体 (アートマン) 論、及びブッダの潜在意識論の下敷きとなったと考えられる。 (4.2.)③RV以来の、 「繰り返す行為が心を作る」というタパス( tapas,苦行、抱卵)思想は、ブッダの「ニッバーナ(利己心の消尽の継続) 」の基にある。 (4.3.)④ヤージュニャヴァルキヤ思想の大枠をブッダは継承したが、 梵・我の2原理を否定して両者を認識作用一つに置き換えた。1 ) 「行為が人を作る」 (欲望>意図>行為>人格形成)という思想を五位相論として継承した。 (4.4.1.)2 )子息・財(=「欲望の対象」)と天界再生(=「見解」)を放棄して出家者となった無欲望者こそブラフマン(至福世界)を獲得するという思想をブッダは踏襲。 (4.4.2.) 3 )認識の隠れた統御者アートマンの自覚という思想を、ブッダは五位相の潜在意識が顕在意識を統御する事態の自覚という形に修正した。ただしその自覚はそこに潜む利己性の自覚と払拭(ニッバーナ)のためである。 (4.4.3.)4 )実体を備えず、動いて止まず、非実在である認識主体としてのアートマンを、ブッダは認識作用として精密に五位相二様態に分析し、ニッバーナという利己心払拭の実践法を考案した。 (4.4.4.)5 ) 「非ず、非ず」のアートマンは徐々に高まり、客体(ブラフマン)を正確に捉えた時、客体となる。アートマンはそこで停止せず刷新を継続するとヤージュニャヴァルキヤは言うが、ブッダは主体、客体を措定せず、認識作用のみを認める。(4.4.5., 4.4.6.)6 )個々人の、時々の認識の大海を、利己心払拭という方向のみを定めた「作用」であるニッバーナを頼りに人格を育みつつ渡って行こうと試み続けるのがブッダの哲学である。 (4.4.7.)2026/01/16 16:39:32
【衆院選】街頭演説を聞いていた高校生「僕はなんか怖い。高市さんの台湾発言があり、戦争になっちゃうんじゃないかと。戦争反対」 年配の方「危険な方向に行こうとしている。憲法9条が大切。日本共産党が一番立派」ニュース速報+477998.12026/02/01 20:10:31
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法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート1
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法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート3
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法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート4
https://talk.jp/boards/psy/1755924624
法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パート4(←5の間違い!)
https://talk.jp/boards/psy/1756337433
法介の『ゆゆしき世界』~第二部 パートセックス
https://talk.jp/boards/psy/1756602707
朝起き
即、坐禅だ
私用の時間のショートカットのために
😃
十巻章の
秘蔵宝やく
がオススメだ
😃
ほーかいくんのクセ理論は少しわかりやすくなるかもー
😃
大乗仏教の総論
構造莉瑠になってる
😃
通し読みはした
2007年あたりに
😃
秘蔵宝やく
般若心経秘鍵
五つで止まってる
😃
😃
通し読みしたが
記憶に一番残ってない
😃
あれは、人によって合う合わないがある😅
秘蔵宝やくの
唯識の項目だけは
アタマに入ってる
😃
秘蔵宝やくの
ランクに捉えると
下から2番目
そんなバカが
ランク10ゾーンを解った気取り
😫
コーン🤡
は
殆ど最下層😫
秘蔵宝やくで
天台法華経のランクが
ランク三位なのが気に食わない
2位が華厳
1位が真言密教
😃
破ってると
ほーかいくんがやる気を出して復活するかもしれない
😃
やってると
ほーかいくんがやる気を出して復活するかもしれない
😃
そういうノリが、どうにも苦手だ
仏教では絶対的な正しさは無く、時代や地域またはそれに関わる人物が変われば、正しさも様々に異なってくると教えられます。
その教えに反して、
「自分の主張こそが絶対に正しいんだー!」と
鹿野園氏のような発言をもって無意味な言い争いを引き起こすような方は、鹿野園氏が運営する悟りスレの方へ行かれてください。
そのような方がここに来られても甚だ迷惑な存在でしかありませんので。
住み分けを図っていくしかないな
秘蔵宝やくは
胎蔵界曼荼羅で想定して居るるので
十界すべて曼荼羅にある
秘蔵宝やく
のランク10は
すべて真言密教に内包されている
ということ
割合ええで
この内容は
😃😃
真言密教は
法相、三論、天台、華厳の兼学の
僧侶はたくさんいた、
末法的に浄土教と山伏がメインだったかもしれんが
😃
お前ららしいな😟
参照
179.
ユーザー
栖雲居士◆dqam8SqGUPdm
K9dXB(2/2)
>>169
お前と縁があった人、みんな不幸になってるな。
交通事故、精神病院収容、行方不明、自死(?)……
2025/09/05 09:23:59
Reply
あいさんに良いところを見せようと必死に偽善を装っても、周りがお前の正体はバラすからwww
ほんと、お前は ピエロ🤡 だなぁ?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
このスレは終了しました。
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ペニスマン🤡でおーwww
言えんのか?
言えんのか?
ほれほれ、どうした?
あ?
言えんのか?
言えんのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
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三毒コーン🤡?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
そもそも心理論を取り扱う場合、つぎの三つの観点から心というものを観察分析すべきである。
①一つは、たとえばあるAという心が起こった場合、その結果としてつづいてどのようなBという心が生ずるのか、さらにはBからC、CからDへとどのような心が継起するのか、という観点である。たとえば、「念」が起これば「定」が結果し、定より「慧」が生ずるというように念→定→慧という順序で心は起こってくると観察する立場である。
無明にはじまり生・老死で終る十二因縁説の発見もこのような観察からもたらされたものといえよう。
とくにわれわれが自己向上を目指して修行する際には、このような見方が重要となってくる。
なぜならA→B→Cと継起する心が、もしも自動的に必然的に起こるとするならば、Aという善心を起こしさえすれば、あとは自動的に自己向上の一途をたどることになるからである。
②つぎに、Aという心をなくすためにはどのような心を起こすべきであるのか、という観点から、心の生起をとらえてゆく立場である。たとえば、「貪」(むさぼり)という順悩をなくす(対治する)ためには、その反対である「無貪」(むさぼりなき心)を起こしさえすればよい。この場合、貪は対治されるものであるから所対治といわれ、無貪は対治するものであるから能対治とよばれる。仏教では悪心(Aの心)を滅したのちに善心(非Aの心)が生ずるとは考えない。
そうではなくて、光をともすと闇が消えるように、善心を起こせば悪心が消滅すると考える。これは実践的経験から得られた考え
すなわち、あるAという一つの心王が起こると、それにどれだけの、どのようなa、b、cという心所が相い対応して生ずるのかと観察する立場である。
たとえばわたしの眼は外界の事象をあるがままに受けとめているとわたしは素朴に考える。
しかし具体的にとらえられた事象は、けっしてあるがままの事象ではなくて、視覚とともに働くa、b、c…という心理作用の影響のもとに、いわば「色づけされた事象」であるといえよう。
認識の対象を色づけするもの、それが「相応の心所」である。
われわれの心が汚れるのも、清らかになるのも、心王とともに働く心所のあり方いかんによると気づくとき、われわれは、つぎに、ある一つの心王にどれだけのどのような善心・悪心が相応しうるのかという問題に目を向けるようになる。
心王と心所とのちがい、心所の定義などについては二〇九真以下に述べる。
そもそも心理論を取り扱う場合、つぎの三つの観点から心というものを観察分析すべきである。
①一つは、たとえばあるAという心が起こった場合、その結果としてつづいてどのようなBという心が生ずるのか、さらにはBからC、CからDへとどのような心が継起するのか、という観点である。たとえば、「念」が起これば「定」が結果し、定より「慧」が生ずるというように念→定→慧という順序で心は起こってくると観察する立場である。
無明にはじまり生・老死で終る十二因縁説の発見もこのような観察からもたらされたものといえよう。
とくにわれわれが自己向上を目指して修行する際には、このような見方が重要となってくる。
なぜならA→B→Cと継起する心が、もしも自動的に必然的に起こるとするならば、Aという善心を起こしさえすれば、あとは自動的に自己向上の一途をたどることになるからである。
②つぎに、Aという心をなくすためにはどのような心を起こすべきであるのか、という観点から、心の生起をとらえてゆく立場である。たとえば、「貪」(むさぼり)という順悩をなくす(対治する)ためには、その反対である「無貪」(むさぼりなき心)を起こしさえすればよい。この場合、貪は対治されるものであるから所対治といわれ、無貪は対治するものであるから能対治とよばれる。仏教では悪心(Aの心)を滅したのちに善心(非Aの心)が生ずるとは考えない。
そうではなくて、光をともすと闇が消えるように、善心を起こせば悪心が消滅すると考える。これは実践的経験から得られた考えであろう。
白蓋謂く、珪禅師、常に人に示して云く、「但だ不生を守れ。人人各各、本より仏性有り。妄念の為に覆わるのみ。是の故に妄念不生なれば、即ち是れ仏性なり。委悉せんと欲さば則ち更に聞け。喩えば定中に鐘声を聞く時、是れ鐘声なりと思量するは妄念なり。思量せずして鐘声を知る底の物、是れ即ち本有円成の活仏心なり。この故を以って似だ不生を守れば、則便ち当人なる耳」。
師之を聞きて云く、「盤珪、実に止だ如此くなるのみ歟!若し実に如此き見解なれば、則ち未だ凡夫の窟を出ず。豈に仏性仏心の談に及ばん哉!何となれば、思量せずして領納する底は是れ受と名づく、即ち五蘊の第二なる耳。是の故に、古徳〔宗密〕云く、“諸受を受けざる、是れ正受と名づく”と。若し此の受を認めて以って「本有円成の活仏心」と為せば、則ち轅を北にして越に向うなり。未だ二乗の小径に入らず、況や仏祖の大道を乎!
祖関透らず、心路絶せずんば、尽く是れ依草附木の精霊ならん。
且く道え、如何なるか是れ祖師の関。
只だ者の一箇の「無」の字、乃ち宗門の一関なり。
遂に之れを目けて「禅宗無門関」と曰う。
透得過する者は、但だに親しく趙州に見ゆるのみにあらず、便ち歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛厮結んで同一眼に見、同一耳に聞くべし。
豈に慶快ならざらんや。
透関せんと要する底ること莫しや。
三百六十の骨節、八万四千の毫竅を将って、通身に箇の疑団を起こして、箇の「無」の字に参じ、昼夜に提撕せよ。
虚無の会を作すこと莫かれ、有無の会を作すこと莫かれ。
箇の熱鉄丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又た吐き出ださず、従前の悪知悪覚を蕩尽し、久久に純熟して、自然に内外打成一片なり。
唖子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。
驀然として打発せば、天を驚かし地を動じて、関将軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭に於いて大自在を得、六道四生の中に向いて、遊戯三昧ならん。
且く作麼生か提撕せん。
平生の気力を尽して、箇の「無」の字を挙せよ。
若し間断せずんば、好だ法燭の一点すれば便ち著くに似ん。
ハッスルハッスル🔥🔥🔥
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆👋☺️👋😂
↓
お前w
👋😂
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
↓ 👋☺️
お前w
ただしその言葉は未だ「喃語」状態であって対象を正確に捉えてはいない。その背後にある無自覚的意識は粗樸な乳児的「快・不快」である。
やがてこの「快・不快」に潜在的に「占有意識」や「自我意識」が備わった時、顕在的な「感覚」は「知覚」となる。さらに、自我を備えた意識が、無自覚に自分にとっての「得失」を意識した時、「知覚」は一対象への「愛好・嫌悪」となる。
一対象に対する諸機会における「得失」が累積した結果、その
対象に対する総括的「決定」が無自覚的に生じ、 「決定」に基づいて個別の「愛好・嫌悪」が纏まって一つの「感情」となる。
さらに「.決定」が対象に対する隠れた「願望や意図」を生じさせ、それに応じて対象を恣にしようとする「恣意」や対象の「攪乱」を図る「行為企画」が生じて行為に至る。
これは意識の生成から行為企画に至るまでの認識機序の記述であ
るが、同時に、乳児から成人に至る意識成長の記述とも見得る。
すなわち快・不快の感覚のみで自我意識さえ未発達の乳児の意識が占有意識・自我意識、得失意識、決定を次々に獲得して、それらを組み合わせた複雑な意図を持つに至るという意識成長過程とも読み取れる。
なお、五位相が時間軸とは逆に、行為直前の意識からその元の意識へと説かれるのは、これを用いるニッバーナの際に、先ず自身の一行為を思い浮かべ、その行為直前の意識から順に遡って諸意識を点検するという実際の用方に沿って記述されているからであろう。
①『八群品』哲学の根幹が五位相二様態意識論の再発見によって
明らかになった
。それは発生から行為に至るまでの意識を五位相・二様態に分かち、 潜在意識が顕在意識を制御する機序を示す
。 『ニッデーサ』の誤解によって見失われたこの五位相論が二千年ぶりに回復された結果、それが脳科学者を驚かせるほど精緻な意識分析と判明した。 (3.1.)
⓶五位相論を用いて無自覚の利己心を自覚し、その払拭に努め続ける過程がニッバーナ(消尽)であり、それが安寧であると『八群品』は述べる。
この潜在利己心の自覚と払拭による不断の自己刷新をめざし続ける哲学こそ、ブッダの創見である。 (3.2.)
③『八群品』の内容を整理すれば以下のとおりである。
1 )修行者は、無一物の遊行生活の中で、ニッバーナによって自省し、無自覚の利己心の払拭を継続する。
2 )これによって徐々に洞察力を身に着け、田畑、黄金、牛馬、女性などの欲望の対象と、経験、知識、思想、信仰などの見解とを放棄する。 (3.3.)
④『八群品』はdhamma(意識)という語を用いて、 1 )五感、
2 )感情、 3 )行為企画(想念)、 4 )規範意識、を総称する。こ
れらは五位相の五顕在意識に相当する。
dhammaによる総称はほぼこれに限られ、後代仏典におけるように「法(=社会規範) 」や「仏教教義(=僧団規範) 」を指すことはない。
このdhammaの用法に『八群品』の顕在意識観が顕れている。この用法に基づいてrūpa 「感覚」の意味も明確になった。 (3.4.)
①『八群品』哲学の根幹が五位相二様態意識論の再発見によって
明らかになった。
それは発生から行為に至るまでの意識を五位相・二様態に分かち、 潜在意識が顕在意識を制御する機序を示す。
『ニッデーサ』の誤解によって見失われたこの五位相論が二千年ぶりに回復された結果、それが脳科学者を驚かせるほど精緻な意識分析と判明した。 (3.1.)
②五位相論を用いて無自覚の利己心を自覚し、その払拭に努め続ける過程がニッバーナ(消尽)であり、それが安寧であると『八群品』は述べる。
この潜在利己心の自覚と払拭による不断の自己刷新をめざし続ける哲学こそ、ブッダの創見である。 (3.2.)
③『八群品』の内容を整理すれば以下のとおりである。
1 )修行者は、無一物の遊行生活の中で、ニッバーナによって自省し、無自覚の利己心の払拭を継続する。
2 )これによって徐々に洞察力を身に着け、田畑、黄金、牛馬、女性などの欲望の対象と、経験、知識、思想、信仰などの見解とを放棄する。 (3.3.)
④『八群品』はdhamma(意識)という語を用いて、 1 )五感、2 )感情、 3 )行為企画(想念)、 4 )規範意識、を総称する。
これらは五位相の五顕在意識に相当する。
dhammaによる総称はほぼこれに限られ、後代仏典におけるように「法(=社会規範) 」や「仏教教義(=僧団規範) 」を指すことはない。
このdhammaの用法に『八群品』の顕在意識観が顕れている。この用法に基づいてr?pa 「感覚」の意味も明確になった。 (3.4.)
①『リグ・ヴェーダ』 の宇宙開闢讃歌に対する 『百道梵書』 (ŚatapathaBrāhmaṇa)の注釈に現れる新生の「思い」mánasが表明する願いと、五位相第一位相の「喃語」papañcaの意味とが近似することから、ブッダはこの『百道梵書』を素材として五位相論を構想したと推定される。(4.1.)
②『百道梵書』はnā́man(名称)のないrūpá(形態、『八群品』では感覚) 、またvā́c(言葉)の届かないmánas(思い)の存在を認める。
これは言語化されない潜在意識の存在の認知である。この認知が、ヤージュニャヴァルキヤの不可知の認識主体 (アートマン) 論、及びブッダの潜在意識論の下敷きとなったと考えられる。 (4.2.)
③RV以来の、 「繰り返す行為が心を作る」というタパス( tapas,苦行、抱卵)思想は、ブッダの「ニッバーナ(利己心の消尽の継続) 」の基にある。 (4.3.)
④ヤージュニャヴァルキヤ思想の大枠をブッダは継承したが、 梵・我の2原理を否定して両者を認識作用一つに置き換えた。 1 ) 「行為が人を作る」 (欲望>意図>行為>人格形成)という思想を五位相論として継承した。 (4.4.1.)
2 )子息・財(=「欲望の対象」)と天界再生(=「見解」)を放棄して出家者となった無欲望者こそブラフマン(至福世界)を獲得するという思想をブッダは踏襲。 (4.4.2.)
3 )認識の隠れた統御者アートマンの自覚という思想を、ブッダは五位相の潜在意識が顕在意識を統御する事態の自覚という形に修正した。
ただしその自覚はそこに潜む利己性の自覚と払拭(ニッバーナ)のためである。 (4.4.3.)
4 )実体を備えず、動いて止まず、非実在である認識主体としてのアートマンを、ブッダは認識作用として精密に五位相二様態に分析し、ニッバーナという利己心払拭の実践法を考案した。 (4.4.4.)
5 ) 「非ず、非ず」のアートマンは徐々に高まり、客体(ブラフマン)を正確に捉えた時、客体となる。アートマンはそこで停止せず刷新を継続するとヤージュニャヴァルキヤは言うが、ブッダは主体、客体を措定せず、認識作用のみを認める。
(4.4.5., 4.4.6.)
6 )個々人の、時々の認識の大海を、利己心払拭という方向のみを定めた「作用」であるニッバーナを頼りに人格を育みつつ渡って行こうと試み続けるのがブッダの哲学である。 (4.4.7.)
①『リグ・ヴェーダ』 の宇宙開闢讃歌に対する 『百道梵書』 (?atapathaBr?hma?a)の注釈に現れる新生の「思い」m?nasが表明する願いと、五位相第一位相の「喃語」papa?caの意味とが近似することから、ブッダはこの『百道梵書』を素材として五位相論を構想したと推定される。(4.1.)
②『百道梵書』はn?́man(名称)のないr?p?(形態、『八群品』では感覚) 、またv?́c(言葉)の届かないm?nas(思い)の存在を認める。
これは言語化されない潜在意識の存在の認知である。この認知が、ヤージュニャヴァルキヤの不可知の認識主体 (アートマン) 論、及びブッダの潜在意識論の下敷きとなったと考えられる。 (4.2.)
③RV以来の、 「繰り返す行為が心を作る」というタパス( tapas,苦行、抱卵)思想は、ブッダの「ニッバーナ(利己心の消尽の継続) 」の基にある。 (4.3.)
④ヤージュニャヴァルキヤ思想の大枠をブッダは継承したが、 梵・我の2原理を否定して両者を認識作用一つに置き換えた。
1 ) 「行為が人を作る」 (欲望>意図>行為>人格形成)という思想を五位相論として継承した。 (4.4.1.)
2 )子息・財(=「欲望の対象」)と天界再生(=「見解」)を放棄して出家者となった無欲望者こそブラフマン(至福世界)を獲得するという思想をブッダは踏襲。 (4.4.2.)
3 )認識の隠れた統御者アートマンの自覚という思想を、ブッダは五位相の潜在意識が顕在意識を統御する事態の自覚という形に修正した。
ただしその自覚はそこに潜む利己性の自覚と払拭(ニッバーナ)のためである。 (4.4.3.)
4 )実体を備えず、動いて止まず、非実在である認識主体としてのアートマンを、ブッダは認識作用として精密に五位相二様態に分析し、ニッバーナという利己心払拭の実践法を考案した。 (4.4.4.)
5 ) 「非ず、非ず」のアートマンは徐々に高まり、客体(ブラフマン)を正確に捉えた時、客体となる。
アートマンはそこで停止せず刷新を継続するとヤージュニャヴァルキヤは言うが、ブッダは主体、客体を措定せず、認識作用のみを認める。
(4.4.5., 4.4.6.)
6 )個々人の、時々の認識の大海を、利己心払拭という方向のみを定めた「作用」であるニッバーナを頼りに人格を育みつつ渡って行こうと試み続けるのがブッダの哲学である。 (4.4.7.)