中論最終更新 2025/10/28 08:331.夕7lr29中論を理解しよう。法介君、教えてください。2025/02/05 08:20:04645コメント欄へ移動すべて|最新の50件596.神も仏も名無しさんkYu3R>>596仕事疲労のせぃもあるけど他の仏教宗派探索ブロックされた😆2025/10/25 20:45:51597.神も仏も名無しさんdx79Q中論 第1章「縁の考察」の主な内容龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』第1章では、「縁(原因)」がそれ自体で成立しない=無自性であることを論証します。以下のような論点が展開されます:🔹 四縁の非自立性因縁・次第縁・所縁縁・増上縁のいずれも、それ自体で結果を生み出す力を持たない。すべては相互依存であり、独立した原因は存在しない。🔹 帰謬論証による否定「もし縁が結果を生むなら、非縁からも結果が出るはずでは?」という逆説的問い。結果が縁から生じるなら、縁が自性を持つ必要があるが、縁もまた無自性である。🔹 時間的縁起 vs 論理的縁起父と子の関係などを例に、時間軸に依存しない因果関係=論理的縁起を提示。時間的経過がなくても、関係性は存在する。これは「不生不滅」の世界観に通じる。🔹 無自性の徹底因果関係も、存在も、時間も、すべては仮に立てられた語りであり、実体ではない。これにより、「諸法空相」の理解が深まる。2025/10/25 20:52:21598.◆JBLfMwCXhY5yPC7>>566中論は、倶舎論の因果論をさらに突き詰めたんだな~😆2025/10/25 22:52:10599.◆JBLfMwCXhY5yPC7>>597なるほど👍️2025/10/25 22:52:43600.◆JBLfMwCXhY5yPC76002025/10/25 22:53:01601.安堂BTGTL論などない!たわけー!(⌒‐⌒)2025/10/25 22:53:27602.◆JBLfMwCXhY5yPC7>>601さては、おぬし悟ったな?2025/10/25 22:54:09603.安堂BTGTL間抜けー腑抜けー(⌒‐⌒)2025/10/25 22:56:10604.神も仏も名無しさん24YbR>>598『中論』は『倶舎論』の因果論を受け止めつつ、それを“空”の立場からさらに深く問い直したもの。 ただし、単純に「突き詰めた」というよりは “因果の実在性そのものを否定することで、因果を成り立たせる”という逆説的な展開が特徴。倶舎論 因果の捉え方因果は実在する(六因・四縁・五果)中論 因果は空である(縁起=空)倶舎論 存在論法(ダルマ)は実体として存在実体はない。中論 すべては縁起による仮の存在倶舎論 時間論三世実有(過去・現在・未来は実在)中論 三世は空。時間も実体ではない倶舎論 論理展開因果の構造を詳細に分類・説明中論 因果の成立を論理的に否定しつつ、縁起を肯定私も勉強になります。ありがとうごさいます。2025/10/26 02:58:22605.神も仏も名無しさんGiz0C中論は結論として捉えるか、倶舎論と唯識の理屈の上の構造としてか、中論の歴史時期によってスタンスは違うだろうな中論発生時期は上座部と有部、あたりの批判として成立だろうなそこからの無著がでてきて玄奘三蔵の時代では唯識は倶舎論と中論の融合というスタンスとなったやろな😆2025/10/26 08:25:12606.神も仏も名無しさんGiz0C中論は般若経典におけるゴール地点として生まれたんやろな😆2025/10/26 08:26:06607.神も仏も名無しさんGiz0C修行モードを、やめてインド仏教研究脳になってくるとレスしやすい😆2025/10/26 08:26:40608.神も仏も名無しさんGiz0C倶舎論は中論よりも時期は後中論はテーマにしたのはビバシャロンとか、その辺だろな😆2025/10/26 08:27:48609.◆JBLfMwCXhYX4NtF>>604なるほど👍️2025/10/26 08:39:07610.神も仏も名無しさん5Ca6Eしかし、本来は中論は般若経典の観相からの理論なのかもしれないな大般若経とかの😆2025/10/26 08:45:10611.神も仏も名無しさん24YbR>>609これからどんどん行くよwよろしく。2025/10/26 09:07:46612.神も仏も名無しさん24YbR>>610そうかもしれないね。般若経典が出てきた背景はと、考えてしまうねw2025/10/26 09:08:51613.神も仏も名無しさんyoTO4>>610般若経典の観相と中論般若経(特に『八千頌般若経』など)は、空を「観相(直観的な智慧)」として語る傾向があります。一方、中論はその空を、帰謬論証(prasaṅga)によって論理的に示す。つまり、観相=直観的体験/中論=その体験の理論的構造化という関係が見られます。悟りと逆説般若経も中論も、悟りを言葉で語ることの限界を逆説で示す。「空であるがゆえに語れない」「語れば空ではない」「だが語らねば伝わらない」──この逆説の只中に、中道の語りがひらかれる。「中論」は般若経典の空思想、特に観相(空の直観的把握)を理論化したものと見ることができます。そして、悟りは逆説によってしか語れない──その語りも、まさに中論的です。でおーの発言にはいつもびっくりするね。般若経典の観想を理論化したものだとはなかなかすぐ出てこないね。2025/10/27 04:12:07614.神も仏も名無しさんg3WbG私が失敗したと思っていることは、中論頌を全文打ち込んだのを消したことであるw2025/10/27 06:05:54615.神も仏も名無しさんg3WbG「只が分かれば釈尊も竜樹もわかる」 「釈尊は只において大乗も上座部もない」 「竜樹だけがよく後世に示した」2025/10/27 06:35:15616.神も仏も名無しさん3oOz1カムイが何かやったみたいだ。でおーがこないw。カムイは動中の工夫を問われている。カムイは二念を切ると言う。2025/10/27 08:16:12617.神も仏も名無しさんBDyS5漢文でいいサイト見つけた。すべて漢文https://deerpark.app/fullsearch/T1564#%E4%B8%AD%E8%AB%962025/10/27 19:20:49618.神も仏も名無しさんBDyS5『中論』第24章「観四諦品」の冒頭部分で、龍樹が「空」の立場から四聖諦や三宝の存在を論じる非常に重要な偈頌です。原文と現代語訳(逐句)若一切皆空,無生亦無滅, 如是則無有,四聖諦之法。 もし一切が空であり、生じることも滅することもないとするならば、 このようにして、四つの聖なる真理(四聖諦)という法も存在しないことになる。以無四諦故,見苦與斷集, 證滅及修道,如是事皆無。四聖諦が無いとすれば、苦を見極め、集(原因)を断ち、 滅(涅槃)を証し、道を修めるということも、すべて成り立たない。以是事無故,則無四道果; 無有四果故,得向者亦無。これらの実践が無いならば、四向四果(聖者の修行段階とその成果)も存在せず、 その果を得る者(預流・一来・不還・阿羅漢)もいないことになる。若無八賢聖,則無有僧寶; 以無四諦故,亦無有法寶; 以無法僧寶,亦無有佛寶。もし八種の聖者(八賢聖)がいなければ、僧宝(僧伽)も存在せず、 四聖諦が無ければ、法宝(仏法)も存在せず、 法と僧が無ければ、仏宝(仏陀)も存在しない。如是說空者,是則破三寶。このように「すべては空である」と説く者は、三宝(仏・法・僧)を破壊することになる。2025/10/27 19:41:49619.神も仏も名無しさんBDyS5この偈頌は、「空」を誤解すると仏教の根幹(四諦・三宝)すら否定することになるという批判を想定し、それに対する反論の導入部です。龍樹はこの後、「空」は否定ではなく、縁起を正しく理解するための中道的な見方であると展開していきます。つまり、ここでは「空を説くことは仏教を破壊するのではないか?」という問いをあえて提示し、それに対して中観派の立場から論理的に答えていく構成になっています。2025/10/27 19:45:15620.神も仏も名無しさんBDyS5『中論』第24章「観四諦品」は、空の思想に対する誤解と批判に応答する章であり、仏教の根本教義(四聖諦・三宝)を空の立場からどう理解すべきかを論じています。以下はその続きの現代語訳と解説です。🧾第24章「観四諦品」続きの現代語訳と要点以下は第6偈〜第14偈の内容を中心に、現代語訳とポイントをまとめたものです。🔹第6偈〜第7偈:空への誤解に対する反論の始まり空を説く者は、因果・法・世俗の慣習すら破壊するように見える。 → これは空の誤解による批判。龍樹はこれに対し、空の本質と意義を知らない者の誤解だと反論します。我らは答えて言う:汝は空の動機・空そのもの・空の意義を知らない。 → 空は否定ではなく、縁起を理解するための方法論であると説きます。🔹第8偈〜第10偈:二諦(世俗諦と勝義諦)の重要性諸仏は二つの真理(世俗諦と勝義諦)に依って法を説かれる。 → 世俗諦(仮の言葉や概念)を通して、勝義諦(究極の真理=空)に至る。世俗諦を知らなければ、勝義諦を得ることはできず、涅槃にも至れない。 → 空を理解するには、まず世俗の言語や概念を通して学ぶ必要がある。🔹第11偈〜第14偈:空の誤解がもたらす危険空を誤って理解すれば、智慧の鈍い者を害する。 → まるで毒蛇を誤って掴むような危険性がある。聖者(仏陀)は、空が誤解されることを恐れて、教えを説くことをためらった。 → 空は深遠であり、誤解されやすいがゆえに慎重に説かれる。空に欠点はない。空が適合するものには、すべてが適合する。 → 空はすべての存在に通じる普遍的な真理であり、否定ではなく肯定の基盤。2025/10/27 19:49:15621.神も仏も名無しさんC4vnD空法壞因果, 亦壞於罪福, 亦復悉毀壞, 一切世俗法。🈁現代語訳:「空の法(空の教え)は、因果の道理を破壊し、 善悪の報い(罪と福)も破壊し、 さらにすべての世俗的な法(社会的・道徳的秩序)をも破壊する。」2025/10/27 21:01:13622.神も仏も名無しさんC4vnDこの偈は、空の思想に対する誤解や批判を代弁する形で書かれています。つまり、空を説くことで「因果律が否定される」「善悪の報いがなくなる」「社会秩序が崩壊する」といった懸念が生じるという声を、龍樹があえて取り上げているのです。しかし、これは龍樹自身の主張ではなく、空を誤解した人々の見方です。この後の偈頌で、龍樹は「空は因果を否定するものではなく、むしろ因果を成立させるための理論である」と反論していきます。2025/10/27 21:03:35623.神も仏も名無しさんC4vnD「空」は無ではなく、「縁起」によって成り立つ仮の存在であることを理解することが重要。因果や倫理、修行の道は「空」の理解によってこそ、より深く成立する。この偈は、空を誤解した場合の危険性を示す導入部であり、後半でその誤解を論破していく構成になっています。2025/10/27 21:03:48624.神も仏も名無しさんoupis諸佛依二諦, 為眾生說法: 一以世俗諦, 二第一義諦。 若人不能知, 分別於二諦, 則於深佛法, 不知真實義。🈁現代語訳:「諸仏は二つの真理に依って、衆生のために法を説かれる。 一つは世俗の真理(世俗諦)、もう一つは究極の真理(第一義諦)。 もし人がこの二つの真理を分別して理解できなければ、 深遠なる仏法の真実の意味を知ることはできない。」かの有名な二諦説が説かれています。2025/10/28 02:12:27625.神も仏も名無しさんoupis龍樹は、「空(第一義諦)を理解するには、まず世俗諦を通して学ばなければならない」と説いています。つまり、仏教の教え(四諦・因果・戒律など)を否定するのではなく、それらを足がかりにして空の理解に至るというのが中観の立場です。この偈は、後の三論宗(中国)やチベット仏教の中観派においても極めて重視され、「空は否定ではなく、真理への道である」という思想の根拠となりました。この章はまさに中論の中でも最も哲学的な深みを持つ部分です。2025/10/28 02:15:38626.神も仏も名無しさんBgzeRじゃあ、空とは何か?恐らく、空神、空仏、空道のことではないか?つまり、無神(無と言う名の神)、無仏(無という名の仏)、無道(無と言う名の道つまり、空無という世界が有るのではないかなあ2025/10/28 07:18:33627.神も仏も名無しさんBgzeRしかし、空無というのは、対象そのものではなく、理屈だから、要するに、縁起無縁起というだけだろう2025/10/28 07:20:50628.神も仏も名無しさんBgzeRしかし、存在そのものの無縁起だと、原因と結果の大原則に外れる。私の宗教では、絶対神が時間外に元から存在して、その絶対的存在が、法や物や生命を生んだとしている。2025/10/28 07:23:21629.神も仏も名無しさんZGWoY>>627空は「無」ではなく、「縁起によって仮に存在する」という智慧。 般若経ではそれを観相によって体験的に悟る。龍樹はその体験を『中論』で理論化し、空の哲学的基盤を築いた。2025/10/28 07:39:02630.神も仏も名無しさんZGWoY>>628あなたの宗教が説く「絶対神」は、時間や因果の外にある存在として、すべての秩序の源である。 それは、目的論的で創造的な世界観です。仏教(特に中観派)は、すべての存在は因果と縁起によって仮に現れていると考え、絶対的な起源を持たない世界観を採ります。つまり、両者は世界の成り立ちに対する根本的な見方が異なるのです。2025/10/28 07:41:29631.神も仏も名無しさんBgzeRだから、自由な世界というのが有るんでしょうそれを固定観念化して分別すると、もう、自由な世界ではなくなる。つまり、この決定化、固定観念化というのが、空無自由を妨げる悪法なのではないだろうか?2025/10/28 07:44:00632.神も仏も名無しさんZGWoY>>626「空」とは、無ではなく「すべての存在が固定的な実体を持たず、縁起によって成り立つ」という意味です。龍樹の中論では、空は“無”の世界ではなく、関係性と依存性の世界を指します。2025/10/28 07:44:58633.神も仏も名無しさんBgzeR>>630いやあ、絶対的起源が無いと、じゃあ、どうして、お釈迦様は存在可能なの?ということになってしまいます。原因と結果は、絶対法則です。2025/10/28 07:46:24634.神も仏も名無しさんBgzeRこの、本質は、絶対的創造であって、空無ではなく、因果と縁起です。2025/10/28 07:47:53635.神も仏も名無しさんBgzeRじゃあ、あなたはあなたではないのか、ということになってしまいます。2025/10/28 07:48:34636.神も仏も名無しさんBgzeRあなたは、御魂と、精神、感情、心や想念、そして、肉体で構成されています。つまり、絶対的存在性があるのです。2025/10/28 07:49:42637.神も仏も名無しさんBgzeRまあ、それも、因果と縁起でできたものでは有りますが、太初がないと、何も生成されません。太初は、必ずあります。儒教では、これを元と言っています。2025/10/28 07:51:11638.神も仏も名無しさんZGWoY縁起無縁起 金剛般若経ですね。即否ですね。即ゆえにあるがある2025/10/28 07:53:33639.神も仏も名無しさんBgzeR多くの先賢は、しょっぱなを、無と説いています。しかし、これは、絶対存在的無であって、空無では有りません。釈迦は、法体を説いていますが、法体主がいるはず。太初が法体主か法体かは、議論するべきです。2025/10/28 07:54:13640.神も仏も名無しさんBgzeR有るということの否定は、してもいいですが、正しくありません。2025/10/28 07:55:42641.神も仏も名無しさんBgzeR最初を法体のみとする考え方は、神性も仏性も人間性も、有りません。私は、この考え方が大嫌いです。2025/10/28 07:57:38642.神も仏も名無しさんBgzeR856 名前:◆JBLfMwCXhY[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:39:23.41 ID:PM8tl [27/27] 0固定観念からの解放だ857 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:42:48.85 ID:BgzeR [5/7] 0だから、自由な世界というのが有るんでしょうそれを固定観念化して分別すると、もう、自由な世界ではなくなる。858 名前:◆JBLfMwCXhY[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:47:11.72 ID:gg1Bq 0人間が固定観念で固めてるんですな859 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:59:04.98 ID:BgzeR [6/7] 0だから、結局、意図、心理なんです。つまり、人間の考え、人知。860 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:59:37.97 ID:BgzeR [7/7] 0人知で歪めているわけです。2025/10/28 08:00:02643.神も仏も名無しさんBgzeR心の虚妄ですね。でも、仏教は、この心を説いているので、大変に本質をついていて、参考になります。2025/10/28 08:01:22644.神も仏も名無しさんZGWoY>>639その通りですね。仏教の「空無」は、“絶対的な無”ではなく、“無自性”――つまり、すべてが縁起によって仮に存在するという意味です。 だから、先賢が説く「無」が実体的な起源であるなら、それは仏教の空とは異なる立場になります。 仏教の空は、存在を否定するのではなく、執着を断つための智慧として機能するんです。2025/10/28 08:01:38645.神も仏も名無しさんBgzeR>>644わお、私の考えと完全一致!!2025/10/28 08:33:57
法介君、教えてください。
仕事疲労のせぃもあるけど
他の仏教宗派探索ブロックされた
😆
龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』第1章では、「縁(原因)」がそれ自体で成立しない=無自性であることを論証します。以下のような論点が展開されます:
🔹 四縁の非自立性
因縁・次第縁・所縁縁・増上縁のいずれも、それ自体で結果を生み出す力を持たない。
すべては相互依存であり、独立した原因は存在しない。
🔹 帰謬論証による否定
「もし縁が結果を生むなら、非縁からも結果が出るはずでは?」という逆説的問い。
結果が縁から生じるなら、縁が自性を持つ必要があるが、縁もまた無自性である。
🔹 時間的縁起 vs 論理的縁起
父と子の関係などを例に、時間軸に依存しない因果関係=論理的縁起を提示。
時間的経過がなくても、関係性は存在する。これは「不生不滅」の世界観に通じる。
🔹 無自性の徹底
因果関係も、存在も、時間も、すべては仮に立てられた語りであり、実体ではない。
これにより、「諸法空相」の理解が深まる。
中論は、倶舎論の因果論を
さらに突き詰めたんだな~😆
なるほど👍️
たわけー!
(⌒‐⌒)
さては、おぬし
悟ったな?
腑抜けー
(⌒‐⌒)
『中論』は『倶舎論』の因果論を受け止めつつ、それを“空”の立場からさらに深く問い直したもの。
ただし、単純に「突き詰めた」というよりは “因果の実在性そのものを否定することで、因果を成り立たせる”という逆説的な展開が特徴。
倶舎論 因果の捉え方因果は実在する(六因・四縁・五果)
中論 因果は空である(縁起=空)
倶舎論 存在論法(ダルマ)は実体として存在実体はない。
中論 すべては縁起による仮の存在
倶舎論 時間論三世実有(過去・現在・未来は実在)
中論 三世は空。時間も実体ではない
倶舎論 論理展開因果の構造を詳細に分類・説明
中論 因果の成立を論理的に否定しつつ、縁起を肯定
私も勉強になります。ありがとうごさいます。
結論として捉えるか、
倶舎論と唯識の理屈の上の構造としてか、
中論の歴史時期によってスタンスは違うだろうな
中論発生時期は
上座部と有部、あたりの
批判として成立だろうな
そこからの無著がでてきて
玄奘三蔵の時代では
唯識は
倶舎論と中論の融合というスタンスとなったやろな
😆
ゴール地点として生まれたんやろな
😆
インド仏教研究脳になってくると
レスしやすい
😆
中論よりも時期は後
中論はテーマにしたのは
ビバシャロンとか、その辺だろな
😆
なるほど👍️
般若経典の観相からの
理論なのかもしれないな
大般若経とかの
😆
これからどんどん行くよw
よろしく。
そうかもしれないね。
般若経典が出てきた背景はと、考えてしまうねw
般若経典の観相と中論
般若経(特に『八千頌般若経』など)は、空を「観相(直観的な智慧)」として語る傾向があります。
一方、中論はその空を、帰謬論証(prasaṅga)によって論理的に示す。
つまり、観相=直観的体験/中論=その体験の理論的構造化という関係が見られます。
悟りと逆説
般若経も中論も、悟りを言葉で語ることの限界を逆説で示す。
「空であるがゆえに語れない」「語れば空ではない」「だが語らねば伝わらない」──この逆説の只中に、中道の語りがひらかれる。
「中論」は般若経典の空思想、特に観相(空の直観的把握)を理論化したものと見ることができます。そして、悟りは逆説によってしか語れない──その語りも、まさに中論的です。
でおーの発言にはいつもびっくりするね。
般若経典の観想を理論化したものだとはなかなかすぐ出てこないね。
カムイは動中の工夫を問われている。カムイは二念を切ると言う。
https://deerpark.app/fullsearch/T1564#%E4%B8%AD%E8%AB%96
原文と現代語訳(逐句)
若一切皆空,無生亦無滅, 如是則無有,四聖諦之法。
もし一切が空であり、生じることも滅することもないとするならば、 このようにして、四つの聖なる真理(四聖諦)という法も存在しないことになる。
以無四諦故,見苦與斷集, 證滅及修道,如是事皆無。
四聖諦が無いとすれば、苦を見極め、集(原因)を断ち、 滅(涅槃)を証し、道を修めるということも、すべて成り立たない。
以是事無故,則無四道果; 無有四果故,得向者亦無。
これらの実践が無いならば、四向四果(聖者の修行段階とその成果)も存在せず、 その果を得る者(預流・一来・不還・阿羅漢)もいないことになる。
若無八賢聖,則無有僧寶; 以無四諦故,亦無有法寶; 以無法僧寶,亦無有佛寶。
もし八種の聖者(八賢聖)がいなければ、僧宝(僧伽)も存在せず、 四聖諦が無ければ、法宝(仏法)も存在せず、 法と僧が無ければ、仏宝(仏陀)も存在しない。
如是說空者,是則破三寶。
このように「すべては空である」と説く者は、三宝(仏・法・僧)を破壊することになる。
つまり、ここでは「空を説くことは仏教を破壊するのではないか?」という問いをあえて提示し、それに対して中観派の立場から論理的に答えていく構成になっています。
🧾第24章「観四諦品」続きの現代語訳と要点
以下は第6偈〜第14偈の内容を中心に、現代語訳とポイントをまとめたものです。
🔹第6偈〜第7偈:空への誤解に対する反論の始まり
空を説く者は、因果・法・世俗の慣習すら破壊するように見える。 → これは空の誤解による批判。龍樹はこれに対し、空の本質と意義を知らない者の誤解だと反論します。
我らは答えて言う:汝は空の動機・空そのもの・空の意義を知らない。 → 空は否定ではなく、縁起を理解するための方法論であると説きます。
🔹第8偈〜第10偈:二諦(世俗諦と勝義諦)の重要性
諸仏は二つの真理(世俗諦と勝義諦)に依って法を説かれる。 → 世俗諦(仮の言葉や概念)を通して、勝義諦(究極の真理=空)に至る。
世俗諦を知らなければ、勝義諦を得ることはできず、涅槃にも至れない。 → 空を理解するには、まず世俗の言語や概念を通して学ぶ必要がある。
🔹第11偈〜第14偈:空の誤解がもたらす危険
空を誤って理解すれば、智慧の鈍い者を害する。 → まるで毒蛇を誤って掴むような危険性がある。
聖者(仏陀)は、空が誤解されることを恐れて、教えを説くことをためらった。 → 空は深遠であり、誤解されやすいがゆえに慎重に説かれる。
空に欠点はない。空が適合するものには、すべてが適合する。 → 空はすべての存在に通じる普遍的な真理であり、否定ではなく肯定の基盤。
🈁現代語訳:
「空の法(空の教え)は、因果の道理を破壊し、 善悪の報い(罪と福)も破壊し、 さらにすべての世俗的な法(社会的・道徳的秩序)をも破壊する。」
しかし、これは龍樹自身の主張ではなく、空を誤解した人々の見方です。この後の偈頌で、龍樹は「空は因果を否定するものではなく、むしろ因果を成立させるための理論である」と反論していきます。
因果や倫理、修行の道は「空」の理解によってこそ、より深く成立する。
この偈は、空を誤解した場合の危険性を示す導入部であり、後半でその誤解を論破していく構成になっています。
🈁現代語訳:
「諸仏は二つの真理に依って、衆生のために法を説かれる。 一つは世俗の真理(世俗諦)、もう一つは究極の真理(第一義諦)。 もし人がこの二つの真理を分別して理解できなければ、 深遠なる仏法の真実の意味を知ることはできない。」
かの有名な二諦説が説かれています。
この偈は、後の三論宗(中国)やチベット仏教の中観派においても極めて重視され、「空は否定ではなく、真理への道である」という思想の根拠となりました。
この章はまさに中論の中でも最も哲学的な深みを持つ部分です。
恐らく、空神、空仏、空道のことではないか?
つまり、無神(無と言う名の神)、無仏(無という名の仏)、無道(無と言う名の道
つまり、空無という世界が有るのではないかなあ
要するに、縁起無縁起というだけだろう
私の宗教では、絶対神が時間外に元から存在して、
その絶対的存在が、法や物や生命を生んだとしている。
空は「無」ではなく、「縁起によって仮に存在する」という智慧。
般若経ではそれを観相によって体験的に悟る。
龍樹はその体験を『中論』で理論化し、空の哲学的基盤を築いた。
あなたの宗教が説く「絶対神」は、時間や因果の外にある存在として、すべての秩序の源である。 それは、目的論的で創造的な世界観です。
仏教(特に中観派)は、すべての存在は因果と縁起によって仮に現れていると考え、絶対的な起源を持たない世界観を採ります。
つまり、両者は世界の成り立ちに対する根本的な見方が異なるのです。
それを固定観念化して分別すると、
もう、自由な世界ではなくなる。
つまり、この決定化、固定観念化というのが、空無自由を妨げる悪法なのではないだろうか?
「空」とは、無ではなく「すべての存在が固定的な実体を持たず、縁起によって成り立つ」という意味です。龍樹の中論では、空は“無”の世界ではなく、関係性と依存性の世界を指します。
いやあ、絶対的起源が無いと、じゃあ、どうして、お釈迦様は存在可能なの?ということになってしまいます。
原因と結果は、絶対法則です。
つまり、絶対的存在性があるのです。
太初がないと、何も生成されません。
太初は、必ずあります。
儒教では、これを元と言っています。
しかし、これは、絶対存在的無であって、
空無では有りません。
釈迦は、法体を説いていますが、
法体主がいるはず。
太初が法体主か法体かは、議論するべきです。
神性も仏性も人間性も、有りません。
私は、この考え方が大嫌いです。
固定観念からの解放だ
857 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:42:48.85 ID:BgzeR [5/7] 0
だから、自由な世界というのが有るんでしょう
それを固定観念化して分別すると、
もう、自由な世界ではなくなる。
858 名前:◆JBLfMwCXhY[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:47:11.72 ID:gg1Bq 0
人間が固定観念で固めてるんですな
859 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:59:04.98 ID:BgzeR [6/7] 0
だから、結局、意図、心理なんです。
つまり、人間の考え、人知。
860 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2025/10/28(火) 07:59:37.97 ID:BgzeR [7/7] 0
人知で歪めているわけです。
でも、仏教は、この心を説いているので、
大変に本質をついていて、参考になります。
その通りですね。仏教の「空無」は、“絶対的な無”ではなく、“無自性”――つまり、すべてが縁起によって仮に存在するという意味です。 だから、先賢が説く「無」が実体的な起源であるなら、それは仏教の空とは異なる立場になります。 仏教の空は、存在を否定するのではなく、執着を断つための智慧として機能するんです。
わお、私の考えと完全一致!!