【ラマナ・マハルシ】インドの宗教哲人【ラーマクリシュナ】最終更新 2025/09/28 12:401.◆JBLfMwCXhYBbiwH哲学と宗教の本場インドの教えを学ぼう2023/07/16 15:33:29309コメント欄へ移動すべて|最新の50件260.◆JBLfMwCXhYprcafヤージュニャヴァルキヤは、『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』など初期のウパニシャッド(奥義書)に登場する。彼の哲学の中心はアートマン(真我)論である。彼によれば、この世界はすべてアートマンにほかならない。それは唯一のものである。しかし一方では、アートマンは純粋な意味で認識の主体にほかならないのであるから、決して対象にはなりえない。したがってそれは把握することも表現することも究極的には不可能であることを示し、アートマンは「~ではない、~ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようのないことを説いた。ヴィデーハ国のジャナカ王の宮廷に招かれた公開討論会において、並み居る論敵を圧倒、最大の論争相手ヴィダグダ・シャカーリアを論破して千頭の牛を獲得したとのエピソードをもっている。2025/08/20 08:51:37261.◆JBLfMwCXhYprcaf偉大なるヤージュニャヴァルキヤ2025/08/20 08:52:12262.◆JBLfMwCXhYprcaf古代における、アートマン理論の完成者だ2025/08/20 08:52:26263.◆JBLfMwCXhYprcaf梵我一如は、ヤージュニャヴァルキヤの思想2025/08/20 08:52:45264.◆JBLfMwCXhYprcafヤージュニャヴァルキヤは、『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』など初期のウパニシャッド(奥義書)に登場する2025/08/20 08:53:11265.◆JBLfMwCXhYprcafウパニシャッド哲学の主要人物だ2025/08/20 08:53:25266.◆JBLfMwCXhYprcaf師匠は、ウッダカ・アールニー2025/08/20 08:53:41267.◆JBLfMwCXhYprcafウッダーラカ・アールニー2025/08/20 08:54:35268.◆JBLfMwCXhYprcaf聖ウンコ師が大好きな人物だ2025/08/20 08:55:09269.◆JBLfMwCXhYprcaf当方も、ヤージュニャヴァルキヤには以前から関心を持ってるが2025/08/20 08:55:30270.◆JBLfMwCXhYprcafウッダーラカ・アールニーはよく知らない2025/08/20 08:55:41271.◆JBLfMwCXhYprcaf「ヤージュニャヴァルキヤの師匠で、梵我一如思想の先駆者」としか2025/08/20 08:56:12272.◆JBLfMwCXhYhamGe中世において正統派と分類されたのは以下6つの学派であり、六派哲学(ろっぱてつがく、シャッド・ダルシャナ)と呼ばれインドでは最も正統的な古典的ダルシャナとされてきた。六派哲学という言葉は古いが、取り上げられる六派は一定していない。現代では以下の六派の総称として使われている。この選択は、おそらくフリードリヒ・マックス・ミュラーや木村泰賢に始まると思われるミーマーンサー学派- 祭祀の解釈ヴェーダーンタ学派- 宇宙原理との一体化を説く神秘主義サーンキヤ学派- 精神原理・非精神原理の二元論ヨーガ学派- 身心の訓練で解脱を目指す。ニヤーヤ学派- 論理学ヴァイシェーシカ学派- 自然哲学ミーマーンサーとヴェーダーンタ、サーンキヤとヨーガ、ニヤーヤとヴァイシェーシカはそれぞれ補完しあう関係になっている。これらヴェーダの権威を認める学派をアースティカ(正統派, 有神論者)と呼ぶ。一方で、ヴェーダから離れていった仏教、ジャイナ教、順世派などの先行する思想派閥をナースティカ(非正統派、無神論者)として区別する。2025/09/26 10:20:58273.神も仏も名無しさんOx2p8復活したな?😀2025/09/26 20:38:56276.◆JBLfMwCXhY5GRZZ>>274> 君らは超能力あるの?ないよ~2025/09/28 06:37:19277.◆JBLfMwCXhY5GRZZ六派哲学(ろっぱてつがく)とは、古代インドの正統派(アスティカ)と呼ばれる六つの学派の総称です。サーンキヤ(数論)、ヨーガ、ニヤーヤ(正理)、ヴァイシェーシカ(勝論)、ミーマーンサー、ヴェーダーンタの6つで構成され、それぞれが独立した哲学的な体系を持つ一方で、姉妹学派として2つずつ(サーンキヤとヨーガ、ニヤーヤとヴァイシェーシカ、ミーマーンサーとヴェーダーンタ)ペアで論を組み立てているのが特徴です。2025/09/28 06:38:33278.◆JBLfMwCXhY5GRZZ各学派の特徴サーンキヤ学派(数論):世界の根源として精神原理(プルシャ)と物質原理(プラクリティ)の二元論を説き、物質世界がプラクリティから展開すると考えました。2025/09/28 06:38:55279.◆JBLfMwCXhY5GRZZヨーガ学派:サーンキヤの思想に影響を受け、精神と身体の鍛錬を通じて解脱を目指す実践的な学派です。2025/09/28 06:39:18280.◆JBLfMwCXhY5GRZZニヤーヤ学派(正理):論理学や認識論を重視し、論証や推論の方法論を体系化しました。2025/09/28 06:39:34281.◆JBLfMwCXhY5GRZZヴァイシェーシカ学派(勝論):原子論に基づき、世界の現象を現象論・実体論的に分析する学派です。2025/09/28 06:39:56282.◆JBLfMwCXhY5GRZZミーマーンサー学派:ヴェーダの解釈を重視し、ヴェーダの祭儀(儀礼)とその方法を究明しました。2025/09/28 06:40:08283.◆JBLfMwCXhY5GRZZヴェーダーンタ学派:ウパニシャッドの思想を基盤とし、宇宙の根本原理であるブラフマンと個人の主体であるアートマン(我)の同一性(梵我一如)などを説きました。2025/09/28 06:40:25284.◆JBLfMwCXhY5GRZZ歴史的背景と位置づけ六派哲学は、インドのヴェーダ(吠陀経)の権威を認め、これに従う正統派の哲学として興起しました。グプタ朝期に盛んになり、中世後期にその勢力が衰退しましたが、ヴェーダーンタ諸派がその中心的な役割を担うようになり、現代のヒンドゥー教の思想的基礎となりました。2025/09/28 06:40:36285.◆JBLfMwCXhY5GRZZ古代の六師外道中世の六派哲学「6」が同じなだけで、内容は似ていない(笑)2025/09/28 06:41:14286.◆JBLfMwCXhY5GRZZ中世の六派哲学の大半は衰退したヴェーダンタ哲学が残った2025/09/28 06:41:42287.◆JBLfMwCXhY5GRZZインド哲学イコール、ヴェーダンタ哲学と考えて良い2025/09/28 06:42:11288.◆JBLfMwCXhY5GRZZ六師外道(ろくしがいどう)とは、釈迦の生前にガンジス川中流域で勢力を持っていた、バラモン教以外の6人の仏教以外の思想家・指導者を指します。これらの思想家は、当時の既成のバラモンの権威を否定する自由な思想を展開し、新興の王侯貴族や商人から支持を受けました。彼らの思想は仏教やジャイナ教と同時期に生まれ、仏教側からは「外道」と呼ばれる異教の教えでした。2025/09/28 06:43:49289.◆JBLfMwCXhY5GRZZ六師外道に代表される思想家六師外道には、以下の6人の指導者が含まれます。富蘭那迦葉(ふらんなかしょう)::形而上学を伴わない道徳否定論を説いたとされます。末迦梨瞿舎梨子(まかりくしゃりし)::アージーヴィカ教の指導者で、運命論や業を否定する思想を説きました。刪闍夜毘羅眡子(さんじゃやびらていし)::不確定な回答をする特徴がありました。阿耆多趐舍欽婆羅(あぎたししゃきんばら)::無効説、つまり善い行いや悪い行いの結果はないとする思想を説きました。迦羅鳩駄迦旃延(からくだかせんねん)::人間は地・水・火・風などの元素から成り立っていると説きました。尼犍陀若提子(にけんだにゃくだいし)::ジャイナ教の創始者で、厳格な禁欲主義と不殺生(非暴力)を重んじました。2025/09/28 06:44:03290.◆JBLfMwCXhY5GRZZ六師外道の背景時代背景:六師外道が活躍した古代インドでは、バラモン教の権威が衰退し、商工業の発展に伴う都市文化の成熟期でした。支持層:物質的な豊かさと自由な享楽的な雰囲気の中で、バラモン教の権威に挑戦する反ヴェーダ・非正統バラモン思想が支持を集めました。仏教との関係:六師外道の多様な思想は、釈迦を含む多数の思想家の活動と議論の土壌となり、後のジャイナ教や仏教の思想の誕生に影響を与えました。2025/09/28 06:44:16291.◆JBLfMwCXhY5GRZZ「六師外道」(ろくしげどう)とは、『パーリ仏典』で記述されるゴータマ・シッダッタ(釈迦)とおよそ同時代のマガダ地方あたりで活躍した、釈迦に先行する6人の在野の思想家(サマナ)たちを、仏教の側から見て異教だと見なし、まとめて指すための呼称。古代インドには様々な思想家、諸教派が存在したが、その中でも有数の教派を、仏教側から見て、まとめて指すための呼称、総称である。仏教の視点であるので、仏教以外の宗派の教説を異教だと見なし「外道」と呼んでおり、仏教を「内道」と呼んでいる。釈迦の時代のインドの都市では、商工業者たちが貨幣経済によって栄え、ギルドのような組織を作って経済的な実権を握り、それまでの祭祀を司るバラモン、政治を握るクシャトリヤが社会を支配する旧体制は崩れ、物質的な豊かさと都市文化の爛熟で自由享楽的な空気になっていた。バラモン教ヴェーダ学派を否定する自由な思想家が多数輩出し、ヴェーダの権威を否定する諸学説を提唱して盛んに議論していた。原始仏典ではその諸学説を六十二見にまとめ、その中で主要なものを「六師外道」と総称した。波斯匿王は、仏教が六師外道と呼んだ思想家を年長者と呼び、対して釈迦を年少者と呼んだ。後に、各六師にそれぞれ16人の弟子がいるとし、これらを総称して「九十六種外道」とも言うようになった。2025/09/28 06:46:00292.◆JBLfMwCXhY5GRZZ古代においては、中国・インド・ギリシャの思想界で、百家争鳴の黄金時代が現出した2025/09/28 06:47:25293.◆JBLfMwCXhY5GRZZその中から、偉大な思想家が現れたインドには、釈迦が出てきた2025/09/28 06:48:17294.◆JBLfMwCXhY5GRZZ仏教には、これらの思想の要素が取り込まれている「仏教は、有るとも無いとも回答を確定しない、無記の教えなのだ」という人がよくいるが、これは仏教というより、六師外道のサンジャヤの特徴だ仏教にも、そういう要素があるということだ2025/09/28 06:50:21295.◆JBLfMwCXhY5GRZZパーリ経典に登場する六師とその思想プーラナ・カッサパ(Purana Kassapa 不蘭那(不蘭)迦葉、富蘭那迦葉)無道徳論、道徳否定論。殺人や盗み、虚言などの悪行も悪をなしたことにはならず、祭祀、布施、修養、真実を語ること、感官の制御(ヨーガ)、自制などのいかなる善行を積んでも善をなしたことにならず、善悪いずれの報いも存在しないとした。釈迦と同時代人で、奴隷の子であったという。2025/09/28 06:55:09296.◆JBLfMwCXhY5GRZZパクダ・カッチャーヤナ(Pakudha Kaccayana 迦羅鳩馱迦旃延、迦羅拘陀迦旃延)要素集合説、七要素説。人は地・水・火・風の四元素と、苦・楽および命(霊魂)の七つの要素の集合により構成されていると考え、霊魂の独立性を認めない。七要素は作られるものでも他を作るものでもなく、不変不動で、互いに影響はない。よって世の中には、殺すものも殺されるものもなく、聞くものも聞かれるものもなく、知るものも知らしめるものも存在しない。宇宙あるいは人間が多元の要素の集合で構成されているという積集説(アーランバ・ヴァーダ)、唯物論的思考の先駆2025/09/28 06:55:58297.◆JBLfMwCXhY5GRZZアジタ・ケーサカンバリン(Ajita Kesakambalin 阿耆多翅舎欽婆羅)唯物論、感覚論、快楽主義。プーラナ・カッサパのような道徳否定論者の思想には、程度の差はあれ、ウパニシャッドに説かれるアートマンを否定し、霊魂と身体の不可分と死後の霊魂の非存在を主張する唯物論的な思考があるが、ケーサカンバリンはそうした唯物論者の代表である。人間は地・水・火・風の四元素から成り、各元素は独立して実在し、死によって人間を構成していた四元素は各元素の集合へと戻り、ゆえに人間は死ぬと空無となり霊魂も何も残らない。来世もなく、善の報いも悪の報いもなく、よって宗教も道徳も不要である。現世の快楽・享楽のみを説く。 このような思想をローカーヤタ(順世派)、チャールヴァーカ(Carvaka、ブリハスパティを祖とする)と呼ぶが、その先駆的な例。2025/09/28 06:57:00298.◆JBLfMwCXhY5GRZZマッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosala 末迦梨瞿舎利子)アージーヴィカ教(邪命外道と呼ばれた)。運命決定論(宿命論)。パクダ・カッチャーヤナの七要素に虚空・得・失・生・死を加え、生きているものはこの一二要素から構成されるとした。得以下の六要素は、それぞれの作用を原理化したものである。一切の生き物は輪廻の生存を続けるが、輪廻から抜け出せないものも、そこから解脱するものも、すべて無因無縁であり、自己の意志による行いは何一つない。一切はあらかじめ決定されており、定められた期間は流転する運命である。八四〇万大劫という計り知れない年月の果てに苦しみの終焉に達するまで、どのような修行をしても解脱することはできない。よって、道徳を否定し、宗教を無用とする考えが含まれる。2025/09/28 06:57:53299.◆JBLfMwCXhY5GRZZサンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sanjaya Belatthiputta 刪闍耶毘羅胝子)懐疑論、不可知論。真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする不可知論である。問いに確答せず、つかみどころのない議論を行った。抜け出すことの困難な形而上学的な難問を議論することの意義を問う判断中止(エポケー)の態度表明といえる。2025/09/28 06:58:14300.◆JBLfMwCXhY5GRZZマハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ Nigantha Nataputta 尼乾陀若提子、尼揵陀若提子、本名ヴァルダマーナ)ジャイナ教の開祖。相対主義、苦行主義、要素実在説。サンジャヤの懐疑論が実践の役に立たないことを反省し、知識の問題に関しては相対主義(不定主義)の立場を取り、一方的な判断を排した。宇宙は世界と非世界からなり、世界は霊魂(ジーヴァ)・物質(プドガラ)・運動の条件(ダルマ)・静止の条件(アダルマ)・虚空(アーカーシャ)の五実体または時間(カーラ)を加えた六実体からなるとする。宇宙はこれらの実体から構成され、太古よりあるとして、創造神は想定しない。霊魂は永遠不滅の実体であり、行為の主体として行為の果報を受けるため、家を離れて乞食・苦行の生活を行って業の汚れを離れ、本来の霊魂が持つ上昇性を取り戻し、世界を脱してその頂上にある非世界を目指し、生きながら涅槃に達することを目指す[14]。全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ。2025/09/28 06:58:58301.◆JBLfMwCXhY5GRZZ仏教外の視点編集なお、「六師外道」というのはあくまで仏教側からの表現であり他宗では、異なった視点で区別しており、結果として同一の思想家が全く異なった位置づけになっている場合がある。例えばヒンドゥー教においては、仏教も含めたこれらヴェーダの権威を否定する諸派閥を、そのなかでもとりわけ仏教とジャイナ教の方を「ナースティカ」(非正統派,異端)と呼び、それに対し六派哲学(シャド・ダルシャナ)を「アースティカ」(正統派)と呼び区別している。2025/09/28 06:59:13302.◆JBLfMwCXhY5GRZZこうしてみると、仏教にはこれらの要素が取り込まれているのが、よくわかる2025/09/28 06:59:53303.◆JBLfMwCXhY5GRZZ「人は、死んだらどうなるか?」に代表される問い「これらに答えず、無記であること。あらゆる判断を停止すること。それが仏教の特徴なのだ」という人がよくいるのだがそれは仏教というより、六師外道のサンジャヤの特徴だ仏教にも、サンジャヤ的な要素はあるということだ2025/09/28 07:02:02304.◆JBLfMwCXhY5GRZZまた、「霊魂は無い。人は多くの構成要素の寄せ集めで成り立っているものであり、死ねば無になる。霊魂を否定することこそ、仏教の特徴なのだ」という人もよくいる(禅宗系には、特に多い)これまた、仏教というより、唯物論者のパクダやアジタの特徴だ仏教にも、パクダ的、アジタ的な要素はあるということだ2025/09/28 07:04:24305.◆JBLfMwCXhY5GRZZ「仏教は、道徳否定論だ」という人もいるし、「仏教とは、禁欲主義なのだ」という人もいるいずれも、六師外道っぽい要素だ仏教にも、そういう面はあるということだ2025/09/28 07:07:16306.◆JBLfMwCXhY5GRZZ日本人は、仏教を正統派あつかいし、バラモン教やヒンドゥー教を異端視するインドでは、逆だヒンドゥー教が正統派であり、仏教が異端思想だ2025/09/28 07:08:45307.◆JBLfMwCXhY5GRZZだが、実際のところバラモン教、仏教、ヒンドゥー教この3つには、いうほど違いがない(笑)基本的に、似たような思想だ2025/09/28 07:09:43308.神も仏も名無しさんGgAHN日本における仏教は日本的仏教は似ているなー?だがスマナサーラあたりの観察やら倶舎論や唯識の土台を意識した場合仏教は特種になる😀2025/09/28 12:39:05309.神も仏も名無しさんGgAHNそれくらいに日本における仏教は葬式法事勤行仏教であり観察とか重んじない仏教僧侶が多数派だ😀2025/09/28 12:40:47
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インドの教えを学ぼう
彼によれば、この世界はすべてアートマンにほかならない。それは唯一のものである。
しかし一方では、アートマンは純粋な意味で認識の主体にほかならないのであるから、決して対象にはなりえない。したがってそれは把握することも表現することも究極的には不可能であることを示し、アートマンは「~ではない、~ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようのないことを説いた。
ヴィデーハ国のジャナカ王の宮廷に招かれた公開討論会において、並み居る論敵を圧倒、最大の論争相手ヴィダグダ・シャカーリアを論破して千頭の牛を獲得したとのエピソードをもっている。
現代では以下の六派の総称として使われている。この選択は、おそらくフリードリヒ・マックス・ミュラーや木村泰賢に始まると思われる
ミーマーンサー学派- 祭祀の解釈
ヴェーダーンタ学派- 宇宙原理との一体化を説く神秘主義
サーンキヤ学派- 精神原理・非精神原理の二元論
ヨーガ学派- 身心の訓練で解脱を目指す。
ニヤーヤ学派- 論理学
ヴァイシェーシカ学派- 自然哲学
ミーマーンサーとヴェーダーンタ、サーンキヤとヨーガ、ニヤーヤとヴァイシェーシカはそれぞれ補完しあう関係になっている。
これらヴェーダの権威を認める学派をアースティカ(正統派, 有神論者)と呼ぶ。一方で、ヴェーダから離れていった仏教、ジャイナ教、順世派などの先行する思想派閥をナースティカ(非正統派、無神論者)として区別する。
😀
> 君らは超能力あるの?
ないよ~
サーンキヤ学派(数論):
世界の根源として精神原理(プルシャ)と物質原理(プラクリティ)の二元論を説き、物質世界がプラクリティから展開すると考えました。
サーンキヤの思想に影響を受け、精神と身体の鍛錬を通じて解脱を目指す実践的な学派です。
論理学や認識論を重視し、論証や推論の方法論を体系化しました。
原子論に基づき、世界の現象を現象論・実体論的に分析する学派です。
ヴェーダの解釈を重視し、ヴェーダの祭儀(儀礼)とその方法を究明しました。
ウパニシャッドの思想を基盤とし、宇宙の根本原理であるブラフマンと個人の主体であるアートマン(我)の同一性(梵我一如)などを説きました。
六派哲学は、インドのヴェーダ(吠陀経)の権威を認め、これに従う正統派の哲学として興起しました。
グプタ朝期に盛んになり、中世後期にその勢力が衰退しましたが、ヴェーダーンタ諸派がその中心的な役割を担うようになり、現代のヒンドゥー教の思想的基礎となりました。
中世の六派哲学
「6」が同じなだけで、内容は似ていない(笑)
ヴェーダンタ哲学が残った
六師外道には、以下の6人の指導者が含まれます。
富蘭那迦葉(ふらんなかしょう)::形而上学を伴わない道徳否定論を説いたとされます。
末迦梨瞿舎梨子(まかりくしゃりし)::アージーヴィカ教の指導者で、運命論や業を否定する思想を説きました。
刪闍夜毘羅眡子(さんじゃやびらていし)::不確定な回答をする特徴がありました。
阿耆多趐舍欽婆羅(あぎたししゃきんばら)::無効説、つまり善い行いや悪い行いの結果はないとする思想を説きました。
迦羅鳩駄迦旃延(からくだかせんねん)::人間は地・水・火・風などの元素から成り立っていると説きました。
尼犍陀若提子(にけんだにゃくだいし)::ジャイナ教の創始者で、厳格な禁欲主義と不殺生(非暴力)を重んじました。
時代背景:
六師外道が活躍した古代インドでは、バラモン教の権威が衰退し、商工業の発展に伴う都市文化の成熟期でした。
支持層:
物質的な豊かさと自由な享楽的な雰囲気の中で、バラモン教の権威に挑戦する反ヴェーダ・非正統バラモン思想が支持を集めました。
仏教との関係:
六師外道の多様な思想は、釈迦を含む多数の思想家の活動と議論の土壌となり、後のジャイナ教や仏教の思想の誕生に影響を与えました。
古代インドには様々な思想家、諸教派が存在したが、その中でも有数の教派を、仏教側から見て、まとめて指すための呼称、総称である。仏教の視点であるので、仏教以外の宗派の教説を異教だと見なし「外道」と呼んでおり、仏教を「内道」と呼んでいる。
釈迦の時代のインドの都市では、商工業者たちが貨幣経済によって栄え、ギルドのような組織を作って経済的な実権を握り、それまでの祭祀を司るバラモン、政治を握るクシャトリヤが社会を支配する旧体制は崩れ、物質的な豊かさと都市文化の爛熟で自由享楽的な空気になっていた。バラモン教ヴェーダ学派を否定する自由な思想家が多数輩出し、ヴェーダの権威を否定する諸学説を提唱して盛んに議論していた。
原始仏典ではその諸学説を六十二見にまとめ、その中で主要なものを「六師外道」と総称した。波斯匿王は、仏教が六師外道と呼んだ思想家を年長者と呼び、対して釈迦を年少者と呼んだ。後に、各六師にそれぞれ16人の弟子がいるとし、これらを総称して「九十六種外道」とも言うようになった。
インドには、釈迦が出てきた
「仏教は、有るとも無いとも回答を確定しない、無記の教えなのだ」という人がよくいるが、これは仏教というより、六師外道のサンジャヤの特徴だ
仏教にも、そういう要素があるということだ
プーラナ・カッサパ(Purana Kassapa 不蘭那(不蘭)迦葉、富蘭那迦葉)無道徳論、道徳否定論。殺人や盗み、虚言などの悪行も悪をなしたことにはならず、祭祀、布施、修養、真実を語ること、感官の制御(ヨーガ)、自制などのいかなる善行を積んでも善をなしたことにならず、善悪いずれの報いも存在しないとした。釈迦と同時代人で、奴隷の子であったという。
要素集合説、七要素説。
人は地・水・火・風の四元素と、苦・楽および命(霊魂)の七つの要素の集合により構成されていると考え、霊魂の独立性を認めない。七要素は作られるものでも他を作るものでもなく、不変不動で、互いに影響はない。よって世の中には、殺すものも殺されるものもなく、聞くものも聞かれるものもなく、知るものも知らしめるものも存在しない。宇宙あるいは人間が多元の要素の集合で構成されているという積集説(アーランバ・ヴァーダ)、唯物論的思考の先駆
唯物論、感覚論、快楽主義。
プーラナ・カッサパのような道徳否定論者の思想には、程度の差はあれ、ウパニシャッドに説かれるアートマンを否定し、霊魂と身体の不可分と死後の霊魂の非存在を主張する唯物論的な思考があるが、ケーサカンバリンはそうした唯物論者の代表である。人間は地・水・火・風の四元素から成り、各元素は独立して実在し、死によって人間を構成していた四元素は各元素の集合へと戻り、ゆえに人間は死ぬと空無となり霊魂も何も残らない。来世もなく、善の報いも悪の報いもなく、よって宗教も道徳も不要である。現世の快楽・享楽のみを説く。 このような思想をローカーヤタ(順世派)、チャールヴァーカ(Carvaka、ブリハスパティを祖とする)と呼ぶが、その先駆的な例。
アージーヴィカ教(邪命外道と呼ばれた)。運命決定論(宿命論)。
パクダ・カッチャーヤナの七要素に虚空・得・失・生・死を加え、生きているものはこの一二要素から構成されるとした。得以下の六要素は、それぞれの作用を原理化したものである。一切の生き物は輪廻の生存を続けるが、輪廻から抜け出せないものも、そこから解脱するものも、すべて無因無縁であり、自己の意志による行いは何一つない。一切はあらかじめ決定されており、定められた期間は流転する運命である。八四〇万大劫という計り知れない年月の果てに苦しみの終焉に達するまで、どのような修行をしても解脱することはできない。よって、道徳を否定し、宗教を無用とする考えが含まれる。
ジャイナ教の開祖。相対主義、苦行主義、要素実在説。
サンジャヤの懐疑論が実践の役に立たないことを反省し、知識の問題に関しては相対主義(不定主義)の立場を取り、一方的な判断を排した。宇宙は世界と非世界からなり、世界は霊魂(ジーヴァ)・物質(プドガラ)・運動の条件(ダルマ)・静止の条件(アダルマ)・虚空(アーカーシャ)の五実体または時間(カーラ)を加えた六実体からなるとする。宇宙はこれらの実体から構成され、太古よりあるとして、創造神は想定しない。霊魂は永遠不滅の実体であり、行為の主体として行為の果報を受けるため、家を離れて乞食・苦行の生活を行って業の汚れを離れ、本来の霊魂が持つ上昇性を取り戻し、世界を脱してその頂上にある非世界を目指し、生きながら涅槃に達することを目指す[14]。全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ。
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なお、「六師外道」というのはあくまで仏教側からの表現であり他宗では、異なった視点で区別しており、結果として同一の思想家が全く異なった位置づけになっている場合がある。例えばヒンドゥー教においては、仏教も含めたこれらヴェーダの権威を否定する諸派閥を、そのなかでもとりわけ仏教とジャイナ教の方を「ナースティカ」(非正統派,異端)と呼び、それに対し六派哲学(シャド・ダルシャナ)を「アースティカ」(正統派)と呼び区別している。
「これらに答えず、無記であること。あらゆる判断を停止すること。それが仏教の特徴なのだ」という人がよくいるのだが
それは仏教というより、六師外道のサンジャヤの特徴だ
仏教にも、サンジャヤ的な要素はあるということだ
これまた、仏教というより、唯物論者のパクダやアジタの特徴だ
仏教にも、パクダ的、アジタ的な要素はあるということだ
「仏教とは、禁欲主義なのだ」という人もいる
いずれも、六師外道っぽい要素だ
仏教にも、そういう面はあるということだ
インドでは、逆だ
ヒンドゥー教が正統派であり、仏教が異端思想だ
バラモン教、仏教、ヒンドゥー教
この3つには、いうほど違いがない(笑)
基本的に、似たような思想だ
日本的仏教は
似ているなー?
だが
スマナサーラあたりの
観察やら
倶舎論や唯識の土台を意識した場合
仏教は特種になる
😀
日本における仏教は
葬式法事勤行仏教であり
観察とか重んじない仏教僧侶が
多数派だ
😀