日本人さん、今日もデマを拡散してしまう…アーカイブ最終更新 2025/10/04 10:271.番組の途中ですが転載は禁止ですZYAQJhttps://pbs.twimg.com/media/G2RVqC5akAATuvT?format=jpg&name=largehttps://x.com/Justice_Hero_/status/19737967201035225222025/10/03 11:54:3010すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですZYAQJ※実際には震災発生後1時間以内に活動開始をして、人命救助を開始している。※当時、自衛隊に対してのアレルギー反応があったのは事実だが、実際は大活躍している「自衛隊には活動してもらうと困る」の雰囲気も… 30年前の陸自幹部が感じた課題と教訓略地震が発生した平成7年1月17日午前5時46分、松島さんは総監官舎で激しい揺れに襲われた。電話が通じないなか、約30分後に直接官舎を訪れた防衛課長が非常勤務態勢を取りたいと報告、午前6時半ごろには方面隊の全部隊が非常勤務態勢に入った。最初の出動要請は同35分ごろ。「阪急伊丹駅が崩壊した」と兵庫県警伊丹署から連絡があり第36普通科連隊が近傍災害派遣として出動し、足を挟まれて動けなくなっていた警察官1人を救助。これが自衛隊の最初の人命救助となった。https://www.sankei.com/article/20250115-27NGIOO7EZMZTBYBZXKBP64PLQ/2025/10/03 11:56:153.番組の途中ですが転載は禁止ですz9HGL阪神・淡路大震災において、当時の村山富市首相(内閣)による本格的な自衛隊の災害派遣命令が出され、部隊が最初に出動したのは、震災発生日である1995年(平成7年)1月17日です。詳しい経緯 1月17日 午前5時46分: 地震発生。 1月17日 午前10時: 兵庫県知事から陸上自衛隊姫路駐屯地司令に対して災害派遣要請が出されました。 1月17日 午前10時15分: 災害派遣要請に基づき、陸上自衛隊第3特科連隊(姫路)が出動しました。※これに先立ち、自衛隊は地震発生後、独自の情報収集活動(航空偵察など)や、駐屯地周辺の被害地域への近傍派遣(自主的な活動)を一部で行っていました。しかし、法律に基づき本格的な災害派遣(広域的な部隊の展開)を行うには、原則として知事からの要請が必要でした。村山首相(内閣)による正式な派遣命令は、この知事要請を受けて出されたものです。-------当日の発生5時間後どこぞのプロレスラーとは違う2025/10/03 11:59:454.番組の途中ですが転載は禁止ですZYAQJ愛国者はなぜ、こんなに自衛隊が嫌いなんだろうな2025/10/03 12:03:075.番組の途中ですが転載は禁止ですZYAQJ自衛隊は中部方面総監部のある伊丹の部隊が真っ先に倒壊した阪急・伊丹駅に偵察班を派遣したが、本格的な災害出動は、午前10時頃に行われた兵庫県知事の要請に基づき、姫路の部隊が出動した。だが、神戸での救助活動は午後一時過ぎからだった。社会党の首相は自衛隊嫌いで出動要請をためらったのでは、といった批判が噴出した。事務の官房副長官だった石原信雄(現地方自治研究機構会長)が反論する。「出動をためらったなんて絶対にありません。自衛隊が見えないと首相官邸に随分、電話がかかってきたから、私も気になって防衛庁の村田直昭防衛局長に電話で言ったら、『やっています。道路が大渋滞で、主力部隊が入っていないだけで』と言っていた。それが実態です」兵庫県知事だった貝原俊民(現兵庫地域政策研究機構理事長)は、本人の言によれば、当日、兵庫県庁から約4キロ離れた知事公舎で大地震に遭い、7時過ぎまで公舎で各所と連絡を取ってから、渋滞に巻き込まれながら、8時過ぎに県庁に登庁したという。自衛隊への派遣要請の権限を持つ貝原は振り返って述べている。<strong>貝原俊民</strong>●1933年生まれ。自治省入省後、1986~2001年、兵庫県知事。現在、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。貝原俊民●1933年生まれ。自治省入省後、1986~2001年、兵庫県知事。現在、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。「自衛隊と交信ができなかった。8時の段階で、姫路の連隊からこちらの係員にやっと通じた。『大災害だから、準備を。すぐ要請するから』と言ったところで切れて、それ以降、連絡が取れなかった。いまだから言ってもいいと思うけど、出動要請が遅かったというのは、自衛隊の責任逃れですよ」https://president.jp/articles/-/656?page=22025/10/03 12:12:496.番組の途中ですが転載は禁止ですYJuTm半村良が自衛隊が被災地支援に出動するとマスコミは演習と叩いていたと戦国自衛隊の後書きで言っていた2025/10/03 12:18:177.番組の途中ですが転載は禁止ですz9HGL阪神淡路大震災といえば、この寒いコピペ----------2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。少女「あんたら地元の人間か?」団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」少女「で、何しにきたんや?」団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」団体「・・・・?」少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。あんたらにわかるか?消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。団体は撤退。彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。----------東日本大震災でも似たようなコピペが量産された「おめぇピースボートけ!?」とかな2025/10/03 12:18:568.番組の途中ですが転載は禁止ですYJuTmまとめ業者が元気だったからな2025/10/03 12:26:339.番組の途中ですが転載は禁止ですRp19qまあパヨクなんか存在自体がデマみたいなもんやしな(笑)2025/10/03 17:53:3210.番組の途中ですが転載は禁止です1xU7nメガソーラーと同じ構図だね2025/10/04 10:27:01
【高市自民】ネット荒れ「腰抜け」「逃げるなヘタレ」批判に反論 玉木代表「私には内閣総理大臣を務める覚悟がある」異例3回もSNS 自公決裂→「玉木首相」提案への態度めぐりニュー速(嫌儲)145103.42025/10/13 04:05:54
https://x.com/Justice_Hero_/status/1973796720103522522
※実際には震災発生後1時間以内に活動開始をして、人命救助を開始している。
※当時、自衛隊に対してのアレルギー反応があったのは事実だが、実際は大活躍している
「自衛隊には活動してもらうと困る」の雰囲気も… 30年前の陸自幹部が感じた課題と教訓
略
地震が発生した平成7年1月17日午前5時46分、松島さんは総監官舎で激しい揺れに襲われた。電話が通じないなか、約30分後に直接官舎を訪れた防衛課長が非常勤務態勢を取りたいと報告、午前6時半ごろには方面隊の全部隊が非常勤務態勢に入った。
最初の出動要請は同35分ごろ。「阪急伊丹駅が崩壊した」と兵庫県警伊丹署から連絡があり第36普通科連隊が近傍災害派遣として出動し、足を挟まれて動けなくなっていた警察官1人を救助。これが自衛隊の最初の人命救助となった。
https://www.sankei.com/article/20250115-27NGIOO7EZMZTBYBZXKBP64PLQ/
震災発生日である1995年(平成7年)1月17日です。
詳しい経緯
1月17日 午前5時46分: 地震発生。
1月17日 午前10時: 兵庫県知事から陸上自衛隊姫路駐屯地司令に対して災害派遣要請が出されました。
1月17日 午前10時15分: 災害派遣要請に基づき、陸上自衛隊第3特科連隊(姫路)が出動しました。
※これに先立ち、自衛隊は地震発生後、独自の情報収集活動(航空偵察など)や、駐屯地周辺の被害地域への近傍派遣(自主的な活動)を
一部で行っていました。しかし、法律に基づき本格的な災害派遣(広域的な部隊の展開)を行うには、原則として知事からの要請が必要でした。
村山首相(内閣)による正式な派遣命令は、この知事要請を受けて出されたものです。
-------
当日の発生5時間後
どこぞのプロレスラーとは違う
「出動をためらったなんて絶対にありません。自衛隊が見えないと首相官邸に随分、電話がかかってきたから、私も気になって防衛庁の村田直昭防衛局長に電話で言ったら、『やっています。道路が大渋滞で、主力部隊が入っていないだけで』と言っていた。それが実態です」
兵庫県知事だった貝原俊民(現兵庫地域政策研究機構理事長)は、本人の言によれば、当日、兵庫県庁から約4キロ離れた知事公舎で大地震に遭い、7時過ぎまで公舎で各所と連絡を取ってから、渋滞に巻き込まれながら、8時過ぎに県庁に登庁したという。
自衛隊への派遣要請の権限を持つ貝原は振り返って述べている。
<strong>貝原俊民</strong>●1933年生まれ。自治省入省後、1986~2001年、兵庫県知事。現在、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。貝原俊民●1933年生まれ。自治省入省後、1986~2001年、兵庫県知事。現在、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。
「自衛隊と交信ができなかった。8時の段階で、姫路の連隊からこちらの係員にやっと通じた。『大災害だから、準備を。すぐ要請するから』と言ったところで切れて、それ以降、連絡が取れなかった。いまだから言ってもいいと思うけど、出動要請が遅かったというのは、自衛隊の責任逃れですよ」
https://president.jp/articles/-/656?page=2
----------
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
----------
東日本大震災でも似たようなコピペが量産された
「おめぇピースボートけ!?」とかな