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既婚女性
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履歴書の束は机の上で黄ばみ、封も切られぬまま眠っている。
母の足音が階下で響くたび、心臓だけが無駄に跳ねた。
「働かなくても、明日も同じ景色だろう」そう呟き、カーテンを閉じる。
暗闇の中で、彼はやっと安堵の息をついた。
外では、稲刈りの軽トラが村道をのんびりと走り去る。
子どもの笑い声が、遠くから夏の名残を運んでくる。
その音が、自分とは別の世界のように思えてならない。
机の隅の古びたノートPCが、静かに起動音を鳴らす。
彼の明日は、インターネットの海の中にだけ広がっていた。
大学生の頃、掲示板で「とりあえず買っとけｗ」みたいなレスを見て、
数万円分を仕込んで放置していたやつだ。
パスワードを探し出してログインした瞬間、俺は思わず声を失った。
??残高、十億円。
田んぼの稲穂のざわめきも、遠くで鳴くカラスの声も、
すべてが無音になったように感じた。
俺の口から出た言葉はただ一つ。
「……マジかよ」
だが、不思議なことに胸は高鳴らなかった。
十億円あれば、村ごと買えるかもしれない。
都会に出て豪邸を建て、モデルみたいな彼女と暮らすことだって可能だろう。
それでも、俺は動かなかった。布団にくるまって、いつも通り掲示板に書き込んだ。
【速報】ビットコで10億儲けたけど、正直だるいｗｗｗ
レスは大荒れになったが、俺の心は静かだった。金があっても、俺が俺であることには変わりない。
スレはすぐに伸びて、証拠を出せだの、釣り乙だの、羨ましいだの、罵声と羨望が入り混じった。
俺はただそれをぼんやり眺めながら、缶コーヒーを一口すすった。ぬるい。
「十億円か……」
声に出してみても、現実感はない。机の上にはインスタントラーメンの袋、畳の隅にはホコリの塊。
十億があろうが、部屋の薄暗さは変わらない。
ふと、通知音が鳴った。
――匿名のDM。
《おめでとう。君のウォレット、ずっと追ってたよ》
背筋がぞわりとした。
誰だ？ なぜ俺の残高を知っている？
画面の光が急に冷たく感じる。
次の瞬間、もう一通。
《現金化するなら、気をつけた方がいい。狙われてる》
心臓がドクンと鳴った。
村の夜は静かだ。あまりにも静かで、外を見れば街灯の下に人影がいても気づけない。
俺は無意識に窓のカーテンを閉めた。
「……マジで、どうするんだよ」
掲示板に書き込む気も失せ、代わりにパソコンの電源を落とした。
闇に沈んだ部屋の中、十億円という数字だけが、脳裏で赤く点滅していた。
知らんけど
実際、暗号キーだか何かを完全に失念してしまい、何億って表示されてるのに引き出せないって話を聞いたことある
Keyのケンモバージョン物語みたいだな
部屋の静寂に、パソコンの冷却ファンの余韻だけが残っている。
俺はスマホを手に取った。
通知の差出人は匿名アカウント。プロフィールも空白。
だが、確かに俺のウォレットアドレスを知っている。
《現金化したら終わりだよ。田舎でも、都会でも》
再びメッセージが届いた。
まるで、俺の動きを見透かしているかのようだ。
外は虫の声。
カーテンの隙間から、街灯に照らされた舗装のひび割れが見える。
誰もいない。けれど、本当にそうだろうか。
スマホが震える。着信。
知らない番号。
俺は、出るべきかどうか指を宙に浮かせたまま、固まった。