【Z世代ニュース】慶応大学法学部卒→京都市役所職員→祇園甲部の芸妓に その行動力がうらやましいアーカイブ最終更新 2025/09/05 01:021.名無しさんsaXbH国内屈指の花街・祇園甲部(京都市東山区)に異色の経歴を持つ芸(げい)妓(こ)がいる。置屋兼お茶屋「美(み)の八(や)重(え)」に所属する「小(こ)惠(え)美(み)」さんだ。東京都出身で、慶応大学卒業後、京都市役所職員から、芸妓に転身。今年5月、修業を終えて本格的にお座敷デビューとなる「お店出し」をした。公務員から花柳界への転身を決意させたものは何か、本人に話を聞いた。https://news.yahoo.co.jp/articles/f05cc6f3407e56033a73dabf83b408cc673d51d6?page=12025/09/04 18:08:569すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですsaXbH東京出身、就職を機に京都へ小惠美さんは東京都品川区の出身。慶応大学法学部政治学科に入学し、日本政治思想史のゼミに所属していた。歴史が好きで、その流れで京都も好きになった。「日本らしい文化が好きで、お寺とか昔ながらの街並みが残っているのは京都やなと思って、いつか京都に住みたいと思っていました」京都への思いは募り、就職を機に京都への移住を決意。「せっかく京都に住むのなら、京都のためになる仕事をしようと思って」、2022年4月に京都市役所に就職した。京都市役所では2年間、固定資産の評価業務を担当した。「『ほんまに京都に就職できて良かった』と思いました。周りの方もいい方たちばかりで、ホワイト職場で、働きやすくてほんまにええところでした」2025/09/04 18:09:333.番組の途中ですが転載は禁止ですsaXbH衝撃を受けた「黒髪」そんな中、転機が訪れる。祇園祭に同期の職員と出かけた際のことだ。巡行する山(やま)鉾(ほこ)のひとつ「鷹山」の関係者と会話する機会があった。「『京都が好きで好きで、京都で就職しました』って話したら、『そんなに好きなら、お座敷つれてったるわ』って言ってくれはって……」。京都に芸妓・舞妓の世界があることは当然知っていたが、「詳しいことを全く知らんへんくて、あこがれるということはおへんどした」。その関係者とともに出かけた畳敷きのバーのような空間で舞妓を初めて間近で見て、話をした。「こんなきれいな、お人形さんみたいな、かわいらしい人がいはるんやと思って、感動しました」と振り返る。その時は自分がその道に入ろうとは全く考えていなかったが、2か月ほどして、お座敷に行く機会を得た。そこで初めて見た舞妓の舞に、小惠美さんは衝撃を受けた。「ほんまに雷に打たれたような感じでした」その舞は、舞妓から芸妓に「襟替え」が決まった舞妓が、一度だけ舞うことが出来る特別な舞「黒髪」だった。「言葉にしようと思うと難しいんどすけど……、今まで生きてきた中で、見たことがない、こういう舞があるんやと。踊ってはる姉さんも、すごくおきれいで、『黒髪』を踊る時に着る黒紋付きや、おしろいもすごくきれいで。お三味線も(「美の八重」に所属する)惠(え)美(み)華(か)さん姉さんが弾いてくれはったんですけど、音色が響いて……」2025/09/04 18:10:064.番組の途中ですが転載は禁止ですsaXbH「早まるな」と止められる「黒髪」を見た時、自分もこの世界に飛び込もうと決めた小惠美さん。早くも翌日には鷹山の関係者に、花柳界入りしたいと話すと、驚かれて「早まるな。もうちょっと考えなさい」と止められたという。「それからしばらく、調べ尽くせるだけの情報を調べました」。惠美華さんにも話を聞いた。「芸一本で自分を売っていかなあかんので、大変な世界やなとは思いました。でも、一つのことに向き合って、その道だけで生きていくということにかっこいいなって。そういう生き方にあこがれました」1か月が経過しても、小惠美さんの気持ちは揺るがなかった。「(「鷹山」の関係者が)『ほんなら仕方がないから知り合いに頼んでみる』と言ってくれはって、それがこの『美の八重』のお父さん(経営者)でした」2025/09/04 18:10:235.番組の途中ですが転載は禁止ですsaXbH三味線など担う「地方」の道へ芸妓は、舞を舞う「立(たち)方(かた)」と、三味線などの演奏を担う「地(じ)方(かた)」の二つに分かれている。「美の八重」の若女将・坂田絢香さんによると、「祇園甲部に入るには、年齢的に中学卒業の舞妓はんか、社会人経験があっても入れる地方さんかという、二択しかおへん。まれに高校1年生行ってはる子が置屋さんに入ることもありますが、基本的に(例外は)ない」という。祇園甲部では20代の地方が多く、惠美華さんへのあこがれもあり、小惠美さんは、地方の芸妓を目指すことになった。しかし、安定した職を捨てるのはもったいないと、家族からは反対された。「でも私が一回言ったらきかへん性格というのを家族みんな知っているんで、最後はもう『仕方がないな』という感じでした。今はもう応援してくれてはります」市役所を退職時に理由を伝えたのは、「上司やお世話になった同期」など限られた人だけ。「市役所の皆さんはこの辺にいはる方たちやので、芸妓さんになれるって決まったわけではないし、まず修業に入るだけやので、あまり言わないでおこうと……。こうなっていることを知らん人もいると思います」2025/09/04 18:10:526.番組の途中ですが転載は禁止ですOevT6こんなの絶対次も考えてるだろ2025/09/04 18:11:117.番組の途中ですが転載は禁止ですsaXbHつづきはこちらhttps://news.yahoo.co.jp/articles/f05cc6f3407e56033a73dabf83b408cc673d51d6?page=32025/09/04 18:11:448.番組の途中ですが転載は禁止ですeWn6i顔を白塗りにする芸姑や金髪や茶髪に染める日本人を見て、白人共は絶対に見下しているよな。「そんなに俺たちみたいな白い肌や明るい色の髪の毛に憧れてるのか」と。2025/09/04 18:24:169.番組の途中ですが転載は禁止です51hYe私立文系やん2025/09/05 01:02:46
置屋兼お茶屋「美(み)の八(や)重(え)」に所属する「小(こ)惠(え)美(み)」さんだ。
東京都出身で、慶応大学卒業後、京都市役所職員から、芸妓に転身。
今年5月、修業を終えて本格的にお座敷デビューとなる「お店出し」をした。
公務員から花柳界への転身を決意させたものは何か、本人に話を聞いた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f05cc6f3407e56033a73dabf83b408cc673d51d6?page=1
小惠美さんは東京都品川区の出身。慶応大学法学部政治学科に入学し、日本政治思想史のゼミに所属していた。歴史が好きで、その流れで京都も好きになった。「日本らしい文化が好きで、お寺とか昔ながらの街並みが残っているのは京都やなと思って、いつか京都に住みたいと思っていました」
京都への思いは募り、就職を機に京都への移住を決意。「せっかく京都に住むのなら、京都のためになる仕事をしようと思って」、2022年4月に京都市役所に就職した。
京都市役所では2年間、固定資産の評価業務を担当した。「『ほんまに京都に就職できて良かった』と思いました。周りの方もいい方たちばかりで、ホワイト職場で、働きやすくてほんまにええところでした」
そんな中、転機が訪れる。祇園祭に同期の職員と出かけた際のことだ。巡行する山(やま)鉾(ほこ)のひとつ「鷹山」の関係者と会話する機会があった。「『京都が好きで好きで、京都で就職しました』って話したら、『そんなに好きなら、お座敷つれてったるわ』って言ってくれはって……」。京都に芸妓・舞妓の世界があることは当然知っていたが、「詳しいことを全く知らんへんくて、あこがれるということはおへんどした」。
その関係者とともに出かけた畳敷きのバーのような空間で舞妓を初めて間近で見て、話をした。「こんなきれいな、お人形さんみたいな、かわいらしい人がいはるんやと思って、感動しました」と振り返る。その時は自分がその道に入ろうとは全く考えていなかったが、2か月ほどして、お座敷に行く機会を得た。そこで初めて見た舞妓の舞に、小惠美さんは衝撃を受けた。「ほんまに雷に打たれたような感じでした」
その舞は、舞妓から芸妓に「襟替え」が決まった舞妓が、一度だけ舞うことが出来る特別な舞「黒髪」だった。
「言葉にしようと思うと難しいんどすけど……、今まで生きてきた中で、見たことがない、こういう舞があるんやと。踊ってはる姉さんも、すごくおきれいで、『黒髪』を踊る時に着る黒紋付きや、おしろいもすごくきれいで。お三味線も(「美の八重」に所属する)惠(え)美(み)華(か)さん姉さんが弾いてくれはったんですけど、音色が響いて……」
「黒髪」を見た時、自分もこの世界に飛び込もうと決めた小惠美さん。早くも翌日には鷹山の関係者に、花柳界入りしたいと話すと、驚かれて「早まるな。もうちょっと考えなさい」と止められたという。
「それからしばらく、調べ尽くせるだけの情報を調べました」。惠美華さんにも話を聞いた。「芸一本で自分を売っていかなあかんので、大変な世界やなとは思いました。でも、一つのことに向き合って、その道だけで生きていくということにかっこいいなって。そういう生き方にあこがれました」
1か月が経過しても、小惠美さんの気持ちは揺るがなかった。「(「鷹山」の関係者が)『ほんなら仕方がないから知り合いに頼んでみる』と言ってくれはって、それがこの『美の八重』のお父さん(経営者)でした」
芸妓は、舞を舞う「立(たち)方(かた)」と、三味線などの演奏を担う「地(じ)方(かた)」の二つに分かれている。「美の八重」の若女将・坂田絢香さんによると、「祇園甲部に入るには、年齢的に中学卒業の舞妓はんか、社会人経験があっても入れる地方さんかという、二択しかおへん。まれに高校1年生行ってはる子が置屋さんに入ることもありますが、基本的に(例外は)ない」という。祇園甲部では20代の地方が多く、惠美華さんへのあこがれもあり、小惠美さんは、地方の芸妓を目指すことになった。
しかし、安定した職を捨てるのはもったいないと、家族からは反対された。「でも私が一回言ったらきかへん性格というのを家族みんな知っているんで、最後はもう『仕方がないな』という感じでした。今はもう応援してくれてはります」
市役所を退職時に理由を伝えたのは、「上司やお世話になった同期」など限られた人だけ。「市役所の皆さんはこの辺にいはる方たちやので、芸妓さんになれるって決まったわけではないし、まず修業に入るだけやので、あまり言わないでおこうと……。こうなっていることを知らん人もいると思います」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f05cc6f3407e56033a73dabf83b408cc673d51d6?page=3