ネトサヨは戦犯だったアーカイブ
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2GomY
日本の左翼勢力が南京大虐殺にも関与していたのではないかと疑問視する声もある。率直に言って、関与していなかったとは言い切れない。まず、1937年8月、近衛政権は盧溝橋事件と通州における日本人駐在員虐殺を契機に、「横暴なる中国を懲らしめよ」という暴力的なスローガンを掲げた。横暴なる「中国」を懲らしめよというスローガンが掲げられた後、日本社会全体が中国への血みどろの復讐へと突き進む雰囲気に包まれた。(通州事件自体も非常に巧妙なものでした。)近衛政権を率いていたのは、著名な親ソ左翼の風間昂(日ソ友好協会会長で、ソ連のスパイ尾崎秀実の親友でもあった)であり、「横暴なる中国を懲らしめよ」というスローガンの発端は、彼には避けられない責任があった。当時の日本のメディア、特に左派メディアである朝日新聞は、こぞって「中国を圧制せよ」というスローガンを掲げ、絶えず火に油を注いでいた。近衛政権の中国顧問は、ソ連のスパイ、尾崎秀実だった。尾崎秀実が陸軍の友人たち(A級戦犯の武藤章を含む)に個人的に何を語っていたかは不明である。しかし、尾崎秀実の公の言動は、戦争を拡大し長期戦を戦うことだったことは分かっている。特に尾崎秀実の発言は、日本軍が清朝やモンゴルに倣い、中国に対して殲滅戦争を仕掛けるべきだと大々的に宣伝した。これは彼の原文である。中国の歴史に少しでも精通していれば、尾崎の発言の暴力的な核心を理解するだろう。彼は底なしの戦争を煽っているのだ。尾崎秀実はさらに、蒋介石を殺害することで戦争を終わらせなければならないと公然と脅迫した。このため、日本軍は中国中央政府を追い詰め続ける必要に迫られた。(尾崎秀実もまた、南宋と南明の皇帝を殺害するようなものであるべきだと強調した。)正直に言うと、ヒトラーは独ソ戦においてスターリンを殺害したいと公言することはなかった。1937年の日本軍の戦闘計画は、当初は局地戦に限定されており、あまり拡大したくなかった。特に上海攻防戦の最中でさえ、日本軍は南京を占領するつもりはなかった。戦闘統制線さえ引かれていたのだ。結局、日本軍の前線部隊は統制線を無断で突破し、日本中央政府もそれを承認した。そしてついに、部隊は南京に到着した。近衛とその左翼顧問による宣伝と扇動が全く影響しなかったとは言えない。すべては尾崎秀実の考えに沿って展開していた。彼らに責任がないと言うのは甘い考えだろう。
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