共感性羞恥心という言葉を最近よく聞くがアーカイブ最終更新 2021/04/30 20:191.没個性化されたレス↓ 最近共感性羞恥心という言葉をよく聞くが、共感性羞恥心だからと言うことによってあたかも自分には何の責任も無く、共感性羞恥心を引き起こした物事に全ての原因があるかのように捉えられがちだがそれは違うと思う。もちろん共感性羞恥心を引き起こした物事にも原因はあるが、自分が恥ずかしく思ってしまったというその感情にも原因があるわけで。 特に日本語は周りとの雰囲気や空気感を大事にする言葉が多く、より共感性羞恥心が引き起こされやすい。そしてこの共感性羞恥心は本来乗り越えるべきものだと私は考えているのだがどう思いますかね?共感性羞恥心を乗り越えた先に新しい物事や価値観があると思うのだがなかなかここまで考える人はあまりいないのだろうか?出典 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/16197815452021/04/30 20:19:051すべて|最新の50件
もちろん共感性羞恥心を引き起こした物事にも原因はあるが、自分が恥ずかしく思ってしまったというその感情にも原因があるわけで。
特に日本語は周りとの雰囲気や空気感を大事にする言葉が多く、より共感性羞恥心が引き起こされやすい。そしてこの共感性羞恥心は本来乗り越えるべきものだと私は考えているのだがどう思いますかね?
共感性羞恥心を乗り越えた先に新しい物事や価値観があると思うのだがなかなかここまで考える人はあまりいないのだろうか?