【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part3slip最終更新 2025/12/13 16:071.神も仏も名無しさん50-LWv-Ij-wvu6wP3Q中論を理解しよう。リダン君、教えてください。中論https://talk.jp/boards/psy/1738711204【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part2https://talk.jp/boards/psy/17625258352025/11/15 09:55:27116コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさん50-PYH-Ym-qG80u5HVチキチキチキンハッスル🤡2025/11/15 11:16:513.◆JBLfMwCXhY50-LBV-ju-95QNjOOT>>1セイウン様が次スレを立てたのか2025/11/15 13:52:134.神も仏も名無しさん50-CSi-Ym-74wRp3cl独占欲求ハッスル🤡2025/11/15 16:14:395.神も仏も名無しさん9f-Mb7-CE-huDO7iTQトーシロー相手にハッスルハッスルなんだじょ〜🔥https://gzo.ai/i/6Qs7x4i.jpg2025/11/15 16:39:166.神も仏も名無しさん50-CSi-Ym-74wRp3cl乱立ハッスル🤡しだしたな?🤡2025/11/15 16:53:567.◆JBLfMwCXhY4D-HPn-ju-95Q6Ud54乱立魔がハッスルしてるな😆2025/11/15 16:59:418.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN文殊師利大乗仏教会https://www.mmba.jp/nagarjuna/madhyamakakarika根本中論頌ナーガールジュナ帰敬偈不滅にして不生、不断にして不常、不一義にして不異義、不来にして不去、およそ戯論が寂滅し、吉祥なる縁起、それを説いた仏陀、かの最高の説法者に私は帰命する。2025/11/16 07:20:099.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN第一章 縁に関する考察諸の法は、自ら生じたものも、他から生じたものも、両者から生じたものも、非因から生じたものも、如何なるものも、何処にも、決して存在しない。2025/11/16 07:20:3410.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN第二章 去来に関する考察既に去った者は去られない。未だ去っていない者も去られない。既に去った者と未だ去ったものとを離れて現に去るものも去られない。2025/11/16 07:20:5611.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN第十八章 我に関する考察もし諸蘊が我であるのならば、生滅あるものとなるだろう。もし諸蘊とは異なるのなら、蘊の特質は無であることになる。我が有るわけではないのに、我所が一体どうして有るだろうか。我と我所とが寂滅するが故に、我執と我所執も滅するのである。我執と我所執を欠いているもの、それもまた存在しない。我執と我所収は無いと見る者、彼はまた何も見ていない。内部でも外部でも、我と我所執が尽きているならば、取は滅するだろう。それが尽きることで生も尽きることとなる。業と煩悩が尽きることから解脱はある。業と煩悩は分別による。それらは戯論より派生するが、空性によりそれは滅することとなる。我であるとも増益されるし、無我であるとも説かれている。諸仏たちは我と無我とのいづれもが無いと説かれている。語られるべきものは消滅している。心の活動領域が退けられているからである。不生不滅であることが、法性なのであり、涅槃に等しいものであるからである。2025/11/16 07:21:2012.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foNすべてのものは正しく、また、正しくなく、正しく正しくなく、そして、正しくなく正しくなくない。これが諸仏の教えである。他によって知られず、寂滅しており、戯論によって戯論されず、無分別であり、別異なる対象ではないもの、それが実義の特質である。何らかのものを縁として起こっているもの、それはまずそれ自身ではない。更にはそれとは異なるものでもないが故に、それ故に不断・不常なのである。同一の対象でもなく、別異なる対象でもなく、不断にして不滅なるもの、これが世間の救い主である仏たちの教えの甘露である。正等覚が未だ出現しておらず、声聞たちが既に滅している時でさえ、独覚たちは智慧を師によらずとも生じるのである。2025/11/16 07:21:3913.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN第二十四章 聖諦に関する考察もしもこのすべてが空であるならば、生滅は無いだろう。しかしあなたには、四聖諦が成立しないことになってしまうのである。遍知・永断・修習・現証というこれらのものは、四聖諦が無いが故に成立しないことになるだろう。それらが有り得ないことにより、四つの聖者の果位も有り得ないこととなる。果位が有り得ないのならば、果位住者も、向位も有り得ないこととなるだろう。八輩の者たちが有り得ないことにより、僧伽も有り得ないこととなるだろう。四聖諦が無いのならば、正法もまた有り得ないことになってしまうだろう。もしも僧伽も法も無いのならば、一体どうして仏が有り得るだろうか。このように空を語るのならば、三つの宝を侵害することとなるだろう。果が有ること、法ではないもの、法性であるもの、これらすべての世間の言説を損害することになるのである。2025/11/16 07:22:0114.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foNこれらに答えよう。汝は空であること、空の必然性、その意味を理解していない。それが故にあなたはこのように侵害しているのである。諸仏たちの説法は、二つの真実に基づいている。世間世俗の真実と、勝義の真実との二つである。誰であれこの二諦の区別を知らない者たち、彼らは仏の教えの甚深の実義を理解しない。言説に基づくことなく、勝義を説くことは不可能である。勝義を理解することなく、涅槃を得ること不可能である。空性を見誤うならば、智慧少なき者たちが破滅する。それは誤って捉えた蛇や、未熟な明咒と同様である。このために、牟尼は説法を躊躇なされたのである。この法が鈍根の者には理解され難いと思われたからである。2025/11/16 07:22:1715.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foNさらに汝が空性を如何に誹謗しようとしても、その過失は我々には起こらない。誹謗は空にして適合しないからである。何であれ、空性が成り立つ場合、そこにおいて一切が成り立つのである。何であれ、空性が成り立たない場合、そこにおいては一切は成り立たない。汝は汝自身にある過失を我々に転嫁しようとしているのである。それは馬に乗っていながら馬のことを忘れているのに等しい。もし汝がすべての現象が自性によって有ると考えるのなら、すべてのものは因縁が無いものであると見ているのであろう。結果、原因、行為者、行為、行為対象、生起・消滅・果報というこれらを損害しようとしているのである。2025/11/16 07:22:3716.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN何であれ縁起しているもの、それを我々は空であると説く。それは依存して措定されたものであり、これだけが中道なのである。縁起していない法は如何なるものも存在しないが故に、それ故に、空ではない法は、如何なるものも存在しないのである。もしもこれらすべてが空でないとすれば、生滅は無いだろう。そうすれば汝にとっても四聖諦は無いこととなるであろう。縁起していないのならば、どうして苦であることになるだろうか。無常なるものは苦であると説かれているこれは自性として有るのではない。自性によって有るのならば、一体何が集起するというのだろうか。それゆえに空を破壊する者には、集も無いことになってしまう。自性によって有る苦においては、その滅も有り得ないのである。汝は自性に固執しているが故に、滅をも侵害しているのである。自性によって有るのならば、道の修習もまた不可能であろう。もしその道が修習されるとするのなら、自性によって有ることは有り得ない。2025/11/16 07:22:5517.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN苦集滅が存在しないにも関わらず、一体如何なる道によって、苦を滅し、その境地に達するというのであろうか。自性によって遍知されることなくして、一体どのように遍知するのだろうか。自性とは堅固にして不動なるものとして謂われているのではなかったのか。汝にとっては、永断・現証・修習そして四果すらも、遍知と同様に存在しないものとなるであろう。しかるに自性によって証得されることのない果は一体どうして自性に固執する者によって証得されるものでありえようか。果が成立していない限り、諸々の果位の者も向位の者も存在しない。もしこれら八輩が存在しないのならば、僧伽もまた存在しないだろう。しかるに、聖諦が存在しないことにより、正法も存在しないこととなる。正法と僧伽が存在していないにも関わらず、仏がどうして存在するだろうか。汝にとっては、菩提に拠らずとも仏が有るということになってしまう。更に汝にとっては、仏に拠らずとも、菩提が有ることになってしまう。しかるに、自性によって仏ではない者が、菩薩行を精進しても、汝にとっては菩提を証得することなど有り得なくなってしまうだろう。2025/11/16 07:23:1218.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN更には何人も法や非法を為すことなど無いことになるであろう。不空であるのに何を為すのだろうか。自性が為されるのではないからである。法や非法がないのならば、汝には果報も無いことにある。汝にとっては、法や非法を因とする果は無いからである。もしも汝に法や非法を因とする果報があるとするならば、汝にとって法や非法より生じた果が、どうして空でないことになるのだろうか。誰であれ、縁起と空とを侵害しようとする者は、彼は、世間の言説を侵害しているのである。空性を侵害するのならば、如何なる為すべきことも無いことになるだろう。作用が開始されないことになり、何も為さなくとも行為者であることになる。自性が有るならば、衆生は不生不滅にして、さまざまな分位も欠き、永遠に存続することができることとなるだろう。もしも空でないのならば、未得の者が得ることや、苦しみに終止符をうち、一切の煩悩を断じることもあ有り得なくなるだろう。縁起を見る者は、これを見るのである。すなわち、苦と集と滅と道こそを。2025/11/16 07:23:3319.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN第二十六章 十二支に関する考察無明に覆われたものは、再生のため三種の行を為す。それらの諸々の業により何らかの趣へと赴くのである。識は行を縁として趣へと入ってくるのであり、趣へと入った識に名色が胚胎する。一方、名色が胚胎した時、六処が発生し、六処に基づいて触が現れれるのである。眼と色と憶念に基づいてまさに起こるのであり、このように名色により識は発生するのである。眼と色と識という三つのものが集まったもの、それが触であり、この触より受が生起する。受を縁とし愛は有る。何故ならば、受の対象を愛するからである。愛が起こっている時には、四種の取が取著されるのである。取が有る時に取著の主体たる有が生起する。取がなければ解脱するだろうし、有はないからである。その有はまた五種である。有から生が生起し、老死、苦等と、悲しみをともにする愁いと、憂鬱と煩悶といったこれらが、生より生起し、かくの如く純然たる苦の集合体が生起するのである。しかるに無知なる者は輪廻の根本である諸行を賢者たちは造作し、無知なる者は行為者となるが、賢者は実義を見ているが故にそうではない。無明が滅すれば、諸行が生じることはないのである。しかし、無明の滅は智によって実義を修習することによっている。ひとつひとつが滅することにより、ひとつずつ生じなくなる。こうしてこの純粋なる苦蘊は正しく滅することとなるのである。2025/11/16 07:24:0020.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN最終偈大悲の心に促され、すべての邪見を断じるために、正法を説かれた彼のお方、ゴータマに私は帰命する。https://www.mmba.jp/nagarjuna/madhyamakakarika2025/11/16 07:24:2121.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN龍樹の根本中論頌は、簡潔にまとめられた論書だ2025/11/16 07:25:0422.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN全体でも、さほど長くないがとくに重要なところが、ここに抜粋されている2025/11/16 07:25:3323.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Ql3foN最初と最後、それと18章・24章が特に重要とされている2025/11/16 07:26:1024.神も仏も名無しさん36-hYZ-85-CMQcE8411.Aである→仏陀は独立した実体はないというから間違い2.Aでない→完全にないなら縁起が働かず虚無論になるから間違い3.Aかつ非A→論理的に矛盾するから間違い4.非Aかつ非(Aかつ非A)→従って「どれでもない」、これが空どれかを特定することは、すでに、縁起となっている。2025/11/29 16:08:2325.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95QadHmQ158 神も仏も名無しさん 2025/12/03(水) 21:35:00.23 ID:7Jzbo否定した果てに否定されないもの八不「中論八不偈」は、竜樹の『中論』の冒頭に記された「不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去」の偈(詩)のことです。これは、一切の事物は固定的な実体を持たず、空(くう)であるという仏教の核心的な教え(縁起の理法)を、8つの否定表現で示すものです。八不の内容不生不滅(ふしょうふめつ): 何も生じず、また滅びない。不常不断(ふじょうふだん): 常にあるわけでも、常に変わらないわけでもない。不一不異(ふいつふい): 他と一つではなく、また他と異なるわけでもない。不来不去(ふらいふく): 来ることもなく、行くこともない2025/12/04 06:36:1826.神も仏も名無しさん50-QIt-Ym-0jmEXH0J加藤師匠の三論宗入門見たか?中論の意義もやっている😆2025/12/04 06:38:0527.神も仏も名無しさん50-QIt-Ym-0jmEXH0J仕事日は瞑想系統仏教は動画を聞く余力はある😆2025/12/04 06:39:1928.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95QadHmQこれだな?138 神も仏も名無しさん 2025/12/03(水) 08:59:42.02 ID:7Jzbo加藤師匠中論本格的講義だな?https://m.youtube.com/watch?v=q3cz2kic5kM&pp=ygUY5LiJ6KuW5a6X5YWl6ZaA44CA5Yqg6Jek2025/12/04 06:48:3829.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QadHmQ三論宗をこんなに語れる人など、他にいないな😆2025/12/04 06:53:3030.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QadHmQ三論宗1400年が2025/12/04 06:55:0631.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QadHmQ日本最古の宗派2025/12/04 06:55:2732.神も仏も名無しさん50-QIt-Ym-0jmEXH0J加藤師匠によると中論は有部、アビダルマ批判のための論書らしい😆2025/12/04 06:57:4733.神も仏も名無しさん50-QIt-Ym-0jmEXH0J重要な中論に関する考え方が語られている😆2025/12/04 06:58:3034.神も仏も名無しさん50-QIt-Ym-0jmEXH0Jバカなハッスル軍団とレスしていても中論の理解は深まらない😆2025/12/04 06:59:4935.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QadHmQハッスルには無理なテーマ2025/12/04 07:03:1536.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QadHmQバカは坐禅の回数でも数えてりゃいい😅2025/12/04 07:03:5137.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QadHmQ三論宗 中興の祖理源大師聖宝2025/12/04 07:04:3138.神も仏も名無しさん50-x6T-Ym-Lydww3Utハッスル🤡はいつも考える?🤡485.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-rxy-Ij-wvulIelq坐禅中にふと、"こんな事をして何になるのか?"って出てくる事もある。大抵はそのまま流れて消えるけど、納得がゆく様に思考を耕してたりする事もある。2025/12/04 06:56:452025/12/04 07:07:3339.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95QadHmQ加藤拓雅の三論宗通信1(4日前)加藤拓雅がお伝えする三論宗専門番組です。・三論宗とは?南都六宗の一つで、龍樹(Nāgārjuna 150-250頃)を祖とする中観派の流れをくむ宗派(学派)です。『中論』『十二門論』『百論』の三論を所依とするので三論宗と言われます。https://youtu.be/u9Bfrdb3kIU?si=7xGOaBdrIXmSDcIQ2025/12/04 07:08:0440.神も仏も名無しさん50-x6T-Ym-Lydww3Ut坐禅回数で思考を耕しているらしい?🤡2025/12/04 07:08:0741.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95QadHmQ>>38下手な考え、休むに似たり😂2025/12/04 07:08:3842.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95QadHmQ吐く息の回数を数えるってのなら、よく聞くが2025/12/04 07:09:1743.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95QadHmQ坐禅の回数を数えるのか2025/12/04 07:09:2844.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95QadHmQ三論宗入門1https://youtu.be/Qiq6q_xGcaM?si=z0kuPB0j5lqiznZe三論宗入門2https://youtu.be/uUhV3LOsErE?si=Nvze_7_mJPQL_Xxs三論宗入門3https://youtu.be/N1cm8Has1kM?si=f6JEpRYntdfWjJLM三論宗入門4https://youtu.be/q3cz2kic5kM?si=3tpnc3_wr_83JPvK2025/12/04 07:13:3845.神も仏も名無しさん50-x6T-Ym-Lydww3Ut三論宗としては龍樹時代になかった成実宗、唯識をターゲットに批判をして真諦、中道、真理とは何かを論理立てている😆2025/12/04 07:19:4746.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QZC6D1>>444まで見た😆2025/12/05 06:10:4547.神も仏も名無しさん50-yjF-Ym-OL6ruJzb聞けは中論の全体像のイメージが明白になってくるな?😆2025/12/05 07:01:3948.神も仏も名無しさん50-yjF-Ym-OL6ruJzbホーカイくんがいかに、禅に関して暴論を述べていたがが三論宗入門あたりから見えてくる😆2025/12/05 07:02:3949.神も仏も名無しさん50-yjF-Ym-OL6ruJzb加藤師匠は説明仏教ではかなり優秀な人だ😆2025/12/05 07:04:0150.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmジャック・デリダ(1930 - 2004)は、ポスト構造主義の哲学者です。このページでは、脱構築、差延、グラマトロジーといったデリダの思想を分かりやすく解説します。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/H/Higuchi/20240130/20240130050253.jpg2025/12/06 07:57:0651.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmデリダの生涯と時代背景デリダは、当時フランスの植民地であったアルジェリアで、ユダヤ人の家庭に生まれました。その後パリの学校へ通いますが、植民地出身者やユダヤ人ということで周囲になじめず、哲学書を読み漁ったそうです。幼少期には第二次世界大戦が勃発しており、ドイツ人とユダヤ人、列強と植民地など、何かが何かを支配する構造が身近にあったことが、彼の思想に影響を与えていると考えられます。2025/12/06 07:57:2552.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmデリダの主な思想デリダの主な思想を解説します。2025/12/06 07:57:4053.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHm脱構築デリダの思想の根幹を表す言葉が「脱構築」です。脱構築の概念を理解するために、まずは「二項対立」について説明します。二項対立とは、2つの相反するものが対立している状態を言います。例えば、「男と女」「喜びと悲しみ」「存在と欠如」などですね。一般的に、二項対立の状態にある2つのものは、どちらか一方が他方よりも優れているという考えになりがちです。例えば、(当時は)女性よりも男性の権利が幅広く認められてましたし(今は逆ですかね?)、悲しみよりも喜びの方が良いことですし、欠如よりも存在の方が価値があるように思えます。デリダはこのような、一見当たり前にも見える「二項対立のどちらか一方が他方よりも価値がある」という考えを否定しようと試みました。2025/12/06 07:58:3754.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmその具体的な方法が「脱構築」です。脱構築とは、「二項対立の概念を分析し、その内部にある矛盾や隠れた前提を明らかにし、その支配的な構造を揺るがすことで、新しい視点や理解を生み出す試み」を言います。シンプルに言い換えれば、「白黒はっきりさせられないことを証明する」という感じです。例えば、「存在と欠如」について、「何かが欠如している」という概念が無ければ「何かが存在する」という概念はそもそも生まれません。逆に、「存在」の概念が無ければ、「欠如」という状態も生じません。このように、一般的に、二項対立している2つの概念は、どちらか一方が他方よりも優れているのではなく、相互に依存しあうことで初めて意味を持っているというのがデリダの主張です。2025/12/06 07:58:5655.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmなんか、龍樹っぽいな?2025/12/06 07:59:1256.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmデリダこそ、龍樹の再来か?2025/12/06 07:59:2457.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmまあ、近現代の西洋哲学から出てくる新たな概念が古代インド哲学の焼き直しに見えるのは、よくあることだが2025/12/06 08:02:5658.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmどの思想も、古代インド思想にたいてい似たような発想が見つかる2025/12/06 08:03:2159.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmデリダの「二項対立」へのアプローチは、西洋哲学が前提とする「男性/女性」「音声/文字」「現実/理想」といった**優劣関係にある対立構造(二項対立)を解体(脱構築)**する思考法です。彼は、優位な項(例:男性、音声)が劣位な項(例:女性、文字)を排除・抑圧することで成り立っている構造の矛盾を突き、劣位な項を肯定することで、**新たな可能性(もう一つのシステム)**を提示しました。2025/12/06 08:10:5660.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHm二項対立とは?二つの対立する概念(例:善/悪、理性的/感情的)で世界を捉える構造。伝統的に、片方がもう片方より優位(価値が高い、本質的)とされ、他方は従属的・二次的と位置づけられてきました。2025/12/06 08:11:1461.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmデリダの「脱構築」による分析優劣構造の逆転:例えば、「話し言葉」が「書き言葉」より優位とされる西洋哲学に対し、デリダは書き言葉が持つ「差延(diff?rance:差異化され意味が遅延する運動)」の概念を導入し、話し言葉の現前性(プレゼンス)も書き言葉なしには成り立たないことを示しました。排除されたものの肯定:「男性」という概念が「女性」の不在によって成立しているように、システムが抑圧する要素(女性、文字、他者)を再評価し、それらがシステムそのものの基盤であることを明らかにします。権力構造への問い:このような二項対立の思考は、権力(例:ナチズムのドイツ人/ユダヤ人)に利用されやすい危険性を指摘し、知のあり方そのものに根本的な問いを投げかけました。目的単なる破壊ではなく、既存の枠組み(西洋形而上学のロゴス中心主義など)の内部にある矛盾を露呈させ、抑圧されたものの中に新たな解放の可能性を見出すための哲学的手法です。2025/12/06 08:11:4362.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmもっとも、同じ「二項対立の克服」でもデリダと龍樹では、目的が異なる2025/12/06 08:12:1963.◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Qn1QHmデリダのは、左翼思想だ支配/従属の社会構造が重要だ2025/12/06 08:12:5164.神も仏も名無しさん4D-tHx-Ym-BxeywjGUデリダまては読まなかったな?メインテーマが社会科学の一般原理理論探求やったからな😆2025/12/06 08:30:5065.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e相変わらず狂った解釈やってる唯識😫0436 鹿野園 ◆ifwe1NnHmGU5 2022/08/21(日) 11:20:03.161.智慧が何故有為法に分類されるという事ですが、先にもレスした通り事法であり心作用だからでしょう。当然に五位百法の無為法の虚空・択滅・非択滅・不動滅・想受滅・真如には分類されないという事です。これについては、下記の転識得智の仕組みを調べる中で明らかにされます。2.転識得智の仕組みですが見道・修道にて、 1.-1. 第六識(意識)の2025/12/06 09:59:2666.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6eやはりバカだな?😫2025/12/06 09:59:4467.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e謎の中国の尼様ブログを発見、俺とどっちがレベル高い?俺はセッタンみたいな、見事な話は、てきん😆https://www.butsutera.com/wap-jp/shishengru.html2025/12/06 10:12:0168.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6eまーまー、どこの馬の骨か、わからんけどまーまーオモロイhttps://www.butsutera.com/wap-jp/676.html2025/12/06 10:18:2669.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e俺みたいなのこーいう解説ができるらしい😆在家で修行して成就した者もいますが、記載は非常に少なく、しかしこの部分で成就した在家者も前世の根基が比較的深く、自ら単独の修行空間を持ち、時間的にも非常に余裕がありました。彼らの福德が非常に大きく、毎日家の親族を養い衣食住のために奔走・労苦する必要がなく、修行条件が優れていたため、修行が速やかに成就したのです。三世の因果から見ると、この部分で成就した在家者も前世に出家して修道し、すでに一定の成就を修め、今世で再び加工して再び成道したのです。自ら独立した修行空間があるからこそ、修行功夫は連続して途切れないことを保証でき、在家では保証できません。非常に大きな福德に加え、前世の善根があって初めて成就でき、そうでなければ非常に困難です2025/12/06 10:20:0670.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6eだそうだ😆俺はしらんけど😆三世の因果から見ると、この部分で成就した在家者も前世に出家して修道し、すでに一定の成就を修め、今世で再び加工して再び成道したのです。2025/12/06 10:23:1071.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6eここだけは俺の感覚と違う自ら独立した修行空間があるからこそ、修行功夫は連続して途切れないことを保証でき、在家では保証できません。非常に大きな福德に加え、前世の善根があって初めて成就でき、そうでなければ非常に困難です。2025/12/06 10:24:3872.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e仕事時間の遥かに修行空間だ😆冬の寒暖差地獄から今週は修行した😆2025/12/06 10:26:0573.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e俺は世俗の修羅場こそが修行という発想なので臨濟宗以外の世界には鈍かったのはこんなところか?私個人の修行の過程と経験から見ると、私の全ての功夫の成就は、一人で寂静な環境の中で成就したものであり、人群の中に戻ると功夫は阻害され、さらに深めることができませんでした。私はあちこち寂静な環境を選んで修行し、こうして各段階の修行目標を達成しました。人群の中で修行するのは非常に困難です。したがって皆さんには、禅定と観行の功夫がある程度に達し、飛躍的に進歩させようとさらに一気に力を加えたい時は、できる限り身辺の全ての事務を放下し、寂静なところへ行って火力を大きくし、功夫をより深くより適切に行うことをお勧めします。そうして初めて我見を断つか明心する可能性があります。環境と時間が共に適して初めて、修行は連続して途切れず、火力が持続し、様々な溝や段差を越えられる可能性があるのです。2025/12/06 10:28:0174.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e道教ぽい、これこそが道教がらみの中国現在仏教発想的には比叡山天台ぽい雰囲気の霊感ぽいなー十九、学員の定中観行体験(一)今朝の早課は、師尊の教示「定中で法義を思惟できるよう訓練し、意根の中に懸けておく」に従いました。まず数回深呼吸し、身体の廃気を排出すると同時に新鮮な空気を全身に満たし、鼻腔・喉腔・胸腔から気海(丹田)へと至り、さらに一頓(一気に圧縮)すると、足首・足裏の湧泉穴に圧し込まれ、心は空霊・柔軟・和暢になりました。その後、静坐して念仏し、音声を用いて仏事とし、胸腹、特に頭脳の様々な細胞を震動させ、経絡を疏通し、汚染を排出・清浄する作用を達成しました。頭部の気脈を念仏によって貫通させ、足底の気脈を頭部へと引き上げ、「南水北調供水工程」(南の水を北へ送る給水プロジェクト)システムを形成し、しかもスムーズに流れ、南北の大動脈を打通する目標を達成しました。2025/12/06 10:34:0175.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e日本禅以外と、唯識以外の禅定感覚は天台華厳真言チベットみたいなのはこーいうノリみたいなのが俺にはある😆さらに、静坐して仏を拝み、任督二脈を伸ばし緩めると、心はすでに空澄・安寧になりました。そこで『楞厳経』の中で最も理解が難しい第四巻の法義、富楼那が提出した「一切の根・塵・陰・処・界などは、皆如来蔵にして清浄本然である。どうして忽然として山河大地が生じるのか」という問題について、第四巻を少し読みました。定力があったため、読みながら入り、心は経文に専注でき、文に随って観に入り理解を得ました。関連する法義を整理した後、意根に反芻させると、時々意根が一つの念頭を放り出し、意識がそれを受け取ります。「ああ、『大般若波羅蜜多経』の法義だ」と、直ちに『楞厳経』の法義と接続し、理解できないところは湯が氷を溶かすように解けました。2025/12/06 10:36:5076.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e俺の場合は禅定先行という異常現象でそのあと教義学テキストがスルスルと、入ってくる😆2025/12/06 10:38:3177.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e北宗禅、華厳、浄土教、道教あたりのハイブリッド感覚があるな、この尼様のは😆2025/12/06 10:39:4678.神も仏も名無しさん50-a5d-Ym-Ht3VfK6e道教ぽい後期華厳だな金剛経解説・我相の特徴円覚経において世尊は微細な我相についてこう述べられている:例えば、ある人が全身の調和が取れ、快適で、四肢がリラックスし、心身が静寂で極めて静かな状態にあるとき、突然身体の存在を忘れ、身体がどこにあるのかもわからなくなる。この時に針でそっと身体を刺すと、すぐに痛みを感じ、「私が痛い」と無自覚に感じ、心の中に我相が現れる。衆生は無自覚に身体を私だと感じ、覚知を私だと感じ、五蘊を私だと思っている。これは非常に微細な我相であり、衆生に普遍的に存在する。2025/12/06 11:19:3579.◆JBLfMwCXhY50-aRr-ju-95QKva4x教学と禅定の2本柱が重要だ😆2025/12/06 13:44:0380.神も仏も名無しさん50-l4N-Ym-Ht3vMxYk>>79密教ぽいんだよな、または天台、華厳ぽい中国は混ざりあってるからな😆さらに、静坐して仏を拝み、任督二脈を伸ばし緩めると、心はすでに空澄・安寧になりました。そこで『楞厳経』の中で最も理解が難しい第四巻の法義、富楼那が提出した「一切の根・塵・陰・処・界などは、皆如来蔵にして清浄本然である。どうして忽然として山河大地が生じるのか」という問題について、第四巻を少し読みました。定力があったため、読みながら入り、心は経文に専注でき、文に随って観に入り理解を得ました。関連する法義を整理した後、意根に反芻させると、時々意根が一つの念頭を放り出し、意識がそれを受け取ります。「ああ、『大般若波羅蜜多経』の法義だ」と、直ちに『楞厳経』の法義と接続し、理解できないところは湯が氷を溶かすように解けました。2025/12/06 10:36:502025/12/06 14:37:1881.神も仏も名無しさん50-l4N-Ym-Ht3vMxYk朝は曹洞宗寺院で勤行と掃除冬場メンタルモード研究を曹洞宗モードも模索真宗や日蓮あたりも模索今、キリスト教、イスラーム、神道まで含めて感覚のバージョンアップ構築中だ😆2025/12/06 14:43:5682.神も仏も名無しさん50-l4N-Ym-Ht3vMxYkしかし、やっぱり南天棒ていうのはモンスターだけど日本社会二は間接的に貢献しとるんやろな?😆https://m.youtube.com/shorts/6Nure1VaTgY2025/12/06 14:58:0783.神も仏も名無しさん50-l4N-Ym-Ht3vMxYkハッスル修行問題修行に関する 12分30秒あたり😆https://m.youtube.com/watch?v=WGmXo_VjoEQ&pp=0gcJCSMKAYcqIYzv2025/12/06 15:07:2184.神も仏も名無しさん50-l4N-Ym-rGNvMxYkやはり、体調悪いんか?😆2025/12/06 21:03:2985.◆JBLfMwCXhY50-u2V-ju-95QJj6Gdかなり回復したが、まだまだ2025/12/06 21:28:2286.神も仏も名無しさん50-8Xm-Ym-rGNsCO1u>>85ま、これくらいは見といてネタとして12分あたりからでええんでオモロイ毒舌が😆ハッスル修行問題修行に関する 12分30秒あたり😆https://m.youtube.com/watch?v=WGmXo_VjoEQ&pp=0gcJCSMKAYcqIYzv2025/12/06 21:32:1587.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q7z34R>>86素晴らしいな?😆2025/12/07 07:27:0588.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q7z34Rセイウンコーンに聞かせてやりたい言葉😂2025/12/07 07:27:5489.神も仏も名無しさん4D-tHx-Ym-rGNhPvyuハッスルはバカなんやろなま、どれたけつまらん参禅しにいっていたか、もしくはエア参禅かもしれんな?😆2025/12/07 08:39:0190.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q7z34R何万回も坐禅したところで「だから何?」と言われて終わりだ😂2025/12/07 08:40:2391.神も仏も名無しさん4D-tHx-Ym-rGNhPvyuハッスルの正体が暴露されこれからはハッスル只管バカにされる😭2025/12/07 08:47:0092.神も仏も名無しさん50-8Xm-Ym-EJqCneeqあの動画を見せるのはロンにだな😆2025/12/07 09:20:2193.神も仏も名無しさん50-g7m-Ym-2f9e4Gi3ロンに見せたので見せるべき相手をコンプだ😆2025/12/07 10:46:2594.神も仏も名無しさん50-s2h-Ym-sIHlMKKI既存キリスト教研究は冬の寒い時間ははかどらないようだ😆2025/12/07 14:05:3895.◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM7z34R今日は寒いな~😫2025/12/07 16:12:0496.神も仏も名無しさん50-gP3-Ym-BMdQHFwq冬季鬱にやられるな?仏教瞑想モードでないとなんて言いながら、キリスト教書物を読んでいる😆2025/12/07 16:31:0697.神も仏も名無しさん50-gP3-Ym-BMdQHFwqハッスル様は五ちゃんねるのキリスト教スレが一番の拠点だな?😆2025/12/07 16:31:4398.◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM7z34Rキリスト教スレは、セイウン様に優しいな2025/12/07 16:32:2399.◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM7z34R仏教スレと違って、ボロクソにこき下ろされてない2025/12/07 16:32:42100.◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM7z34R1002025/12/07 16:32:54101.神も仏も名無しさん50-gP3-Ym-BMdQHFwqとある教会からもらったキリスト教のマイナーな出版社からの本を精読しているエペソ書の研究とかを😆2025/12/07 16:34:23102.神も仏も名無しさん50-gP3-Ym-BMdQHFwq冬季鬱気分をどうするか?を解析している人知を超えた主の生命力みたいな解決策ま、創価に近いが創価よりもマジメであるファンダメンタルズ系統の教会の書物である😆2025/12/07 16:36:05103.神も仏も名無しさん50-Kgs-Ym-5chcJMRn今日はハッスル🤡パワー回復のようだな?635.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-Qmt-Ij-wvuBHxre(2/2)この手の馬鹿が禅宗を騙る奴等に多いんだよな。そもそも絶対的に無いものであれば認識自体が不可能で、無いとさえいえない事も分かってない、3歳児並みの知能しか持ち合わせてないんだわ。馬鹿は空と無の違いを理解できない。空とは無いというか意味では無い。2025/12/07 18:40:582025/12/07 18:50:29104.神も仏も名無しさん50-Kgs-Ym-5chcJMRnパトロールしていたのか?坐禅回数自慢🤡が止まったな?😆2025/12/07 18:51:11105.神も仏も名無しさん50-Kgs-Ym-5chcJMRnネットでも読むのはこちらだ😆https://note.com/hegelschen/n/nbf999a48804f2025/12/07 19:04:26106.神も仏も名無しさん50-K0C-Ym-5chkqgNVハッスルパワー全開〜〜〜639.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-lVR-Ij-wvu7j49b(1/4)馬鹿は何も知らないからネット知識の棒読みで、実存主義が禅仏教に於いてどう消化されているかも知らないだろうな😟久松真一に「即無的実存性」というのがある。それが実存の危機に対する一つの在り方である事は云うまでもない。2025/12/07 19:39:31ReplyGood640.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-lVR-Ij-wvu7j49b(2/4)馬鹿がおかしな事を吹いてるけど、西洋哲学による仏教の再解釈とか、そんな低次元な作業を西田幾多郎や鈴木大拙、久松真一や西谷啓治らがやってた訳じゃないんだよ。むしろそれらとの格闘や超克なんだよ。馬鹿はこれだから😆2025/12/07 20:01:092025/12/07 20:31:13107.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QCp5UC西洋哲学の実存主義を取り入れたおかげで禅宗の教義体系はおかしくなった😂2025/12/08 06:54:17108.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QCp5UC「もはや、神を信じられなくなった近代西洋人の実存的な不安」とかなんとかそれが仏教と何の関係があるんだよ?😂アフォかっつ~の2025/12/08 06:55:40109.神も仏も名無しさん50-eCl-Ym-M2kXRPkUそのあたりが俺は昔からヤツを無限にボコると決めたモチベだな創作が、過ぎる😆2025/12/08 07:02:40110.◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q42UJV実存的危機(じつぞんてききき、Existential crisis)とは、心理学や心理療法において、人生に意味がないのではないか、あるいは自分自身のアイデンティティに混乱が覚える内的葛藤のこと。自然を前にしたときの孤独感や無力感は、実存的危機においてよく見られるものである。不安やストレスを伴いしばしば日常生活の正常な機能を妨げうつ状態を引き起こすこともあるが、この状態に感じる生きることや意味に対する否定的な態度は、その名にある通り、実存主義の立場と結びつけられる。同義語や関連語としては、実存的恐怖、実存的空白、実存的神経症、疎外などがある。2025/12/09 08:38:21111.◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q42UJV目次実存的危機に関連するさまざまな側面は、感情的要素、認知的要素、行動的要素に分けられることがあり、感情的要素は、感情的苦痛、絶望、無力感、罪悪感、不安、孤独感など、危機が引き起こす感情を指す。また、認知的要素には、無意味の問題、個人的価値観の喪失、自分の死についての考察が含まれる。外見的には、実存的危機はしばしば依存症、反社会的行動、強迫的行動で表現される。具体的な症状はケースによって大きく異なり、さまざまな種類の実存的危機を区別することによって、この問題を解決しようと試みられている。2025/12/09 08:38:45112.◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q42UJV分類は通常、個人の人生や個人的発達の段階によって異なるという考えに基づいており、学術文献によく見られるタイプとしては、ティーンエイジャーの生き方にまつわる悩み、四半期ごとの人生に対する悩み、中年期、晩年期の悩みなどがある。これらに共通するのは、自分の人生の意味や目的についての葛藤である。 初期の段階での危機は、前向きなものになる傾向があり、自分がどのような人生を歩むべきか、特に教育やキャリア、社会関係における自分のアイデンティティや自立について迷う傾向にある。 人生後半の危機は、より後ろ向きで、人生のピークを過ぎたという印象が引き金となり、罪悪感、後悔、死への恐怖を特徴とすることが多い。2025/12/09 08:39:09113.◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q42UJV>>112> 人生後半の危機は、より後ろ向きで、人生のピークを過ぎたという印象が引き金となり、罪悪感、後悔、死への恐怖を特徴とすることが多い。セイウン様の危機は、これだな?😫2025/12/09 08:39:35114.◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q42UJV>>111> 外見的には、実存的危機はしばしば依存症、反社会的行動、強迫的行動で表現される。坐禅会への依存症宗教板での反社会的で強迫的な言動で表現されている😫2025/12/09 08:41:07115.神も仏も名無しさん4D-tHx-Ym-cS2C5aoGハッスルはどの角度でもボコれるな?😆2025/12/09 09:16:56116.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95QeEEfO実存的危機なんだろな😆2025/12/13 16:07:00
【赤坂・超高級サウナ2人死亡】「夫婦には小さな子どもがいた…」電源が切れていた非常ボタン、夫は妻を覆うように倒れ火傷も…店の“関係先”には11月に業務停止命令もニュース速報+2401107.82025/12/18 17:10:46
リダン君、教えてください。
中論
https://talk.jp/boards/psy/1738711204
【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1762525835
セイウン様が次スレを立てたのか
https://gzo.ai/i/6Qs7x4i.jpg
🤡
https://www.mmba.jp/nagarjuna/madhyamakakarika
根本中論頌
ナーガールジュナ
帰敬偈
不滅にして不生、不断にして不常、
不一義にして不異義、不来にして不去、
およそ戯論が寂滅し、吉祥なる縁起、
それを説いた仏陀、かの最高の説法者に私は帰命する。
諸の法は、自ら生じたものも、他から生じたものも、両者から生じたものも、
非因から生じたものも、如何なるものも、何処にも、決して存在しない。
既に去った者は去られない。未だ去っていない者も去られない。
既に去った者と未だ去ったものとを離れて現に去るものも去られない。
もし諸蘊が我であるのならば、生滅あるものとなるだろう。
もし諸蘊とは異なるのなら、蘊の特質は無であることになる。
我が有るわけではないのに、我所が一体どうして有るだろうか。
我と我所とが寂滅するが故に、我執と我所執も滅するのである。
我執と我所執を欠いているもの、それもまた存在しない。
我執と我所収は無いと見る者、彼はまた何も見ていない。
内部でも外部でも、我と我所執が尽きているならば、
取は滅するだろう。それが尽きることで生も尽きることとなる。
業と煩悩が尽きることから解脱はある。業と煩悩は分別による。
それらは戯論より派生するが、空性によりそれは滅することとなる。
我であるとも増益されるし、無我であるとも説かれている。
諸仏たちは我と無我とのいづれもが無いと説かれている。
語られるべきものは消滅している。心の活動領域が退けられているからである。
不生不滅であることが、法性なのであり、涅槃に等しいものであるからである。
そして、正しくなく正しくなくない。これが諸仏の教えである。
他によって知られず、寂滅しており、戯論によって戯論されず、
無分別であり、別異なる対象ではないもの、それが実義の特質である。
何らかのものを縁として起こっているもの、それはまずそれ自身ではない。
更にはそれとは異なるものでもないが故に、それ故に不断・不常なのである。
同一の対象でもなく、別異なる対象でもなく、不断にして不滅なるもの、
これが世間の救い主である仏たちの教えの甘露である。
正等覚が未だ出現しておらず、声聞たちが既に滅している時でさえ、
独覚たちは智慧を師によらずとも生じるのである。
もしもこのすべてが空であるならば、生滅は無いだろう。
しかしあなたには、四聖諦が成立しないことになってしまうのである。
遍知・永断・修習・現証というこれらのものは、
四聖諦が無いが故に成立しないことになるだろう。
それらが有り得ないことにより、四つの聖者の果位も有り得ないこととなる。
果位が有り得ないのならば、果位住者も、向位も有り得ないこととなるだろう。
八輩の者たちが有り得ないことにより、僧伽も有り得ないこととなるだろう。
四聖諦が無いのならば、正法もまた有り得ないことになってしまうだろう。
もしも僧伽も法も無いのならば、一体どうして仏が有り得るだろうか。
このように空を語るのならば、三つの宝を侵害することとなるだろう。
果が有ること、法ではないもの、法性であるもの、
これらすべての世間の言説を損害することになるのである。
それが故にあなたはこのように侵害しているのである。
諸仏たちの説法は、二つの真実に基づいている。
世間世俗の真実と、勝義の真実との二つである。
誰であれこの二諦の区別を知らない者たち、
彼らは仏の教えの甚深の実義を理解しない。
言説に基づくことなく、勝義を説くことは不可能である。
勝義を理解することなく、涅槃を得ること不可能である。
空性を見誤うならば、智慧少なき者たちが破滅する。
それは誤って捉えた蛇や、未熟な明咒と同様である。
このために、牟尼は説法を躊躇なされたのである。
この法が鈍根の者には理解され難いと思われたからである。
その過失は我々には起こらない。誹謗は空にして適合しないからである。
何であれ、空性が成り立つ場合、そこにおいて一切が成り立つのである。
何であれ、空性が成り立たない場合、そこにおいては一切は成り立たない。
汝は汝自身にある過失を我々に転嫁しようとしているのである。
それは馬に乗っていながら馬のことを忘れているのに等しい。
もし汝がすべての現象が自性によって有ると考えるのなら、
すべてのものは因縁が無いものであると見ているのであろう。
結果、原因、行為者、行為、行為対象、
生起・消滅・果報というこれらを損害しようとしているのである。
それは依存して措定されたものであり、これだけが中道なのである。
縁起していない法は如何なるものも存在しないが故に、
それ故に、空ではない法は、如何なるものも存在しないのである。
もしもこれらすべてが空でないとすれば、生滅は無いだろう。
そうすれば汝にとっても四聖諦は無いこととなるであろう。
縁起していないのならば、どうして苦であることになるだろうか。
無常なるものは苦であると説かれているこれは自性として有るのではない。
自性によって有るのならば、一体何が集起するというのだろうか。
それゆえに空を破壊する者には、集も無いことになってしまう。
自性によって有る苦においては、その滅も有り得ないのである。
汝は自性に固執しているが故に、滅をも侵害しているのである。
自性によって有るのならば、道の修習もまた不可能であろう。
もしその道が修習されるとするのなら、自性によって有ることは有り得ない。
苦を滅し、その境地に達するというのであろうか。
自性によって遍知されることなくして、一体どのように遍知するのだろうか。
自性とは堅固にして不動なるものとして謂われているのではなかったのか。
汝にとっては、永断・現証・修習そして四果すらも、
遍知と同様に存在しないものとなるであろう。
しかるに自性によって証得されることのない果は
一体どうして自性に固執する者によって証得されるものでありえようか。
果が成立していない限り、諸々の果位の者も向位の者も存在しない。
もしこれら八輩が存在しないのならば、僧伽もまた存在しないだろう。
しかるに、聖諦が存在しないことにより、正法も存在しないこととなる。
正法と僧伽が存在していないにも関わらず、仏がどうして存在するだろうか。
汝にとっては、菩提に拠らずとも仏が有るということになってしまう。
更に汝にとっては、仏に拠らずとも、菩提が有ることになってしまう。
しかるに、自性によって仏ではない者が、菩薩行を精進しても、
汝にとっては菩提を証得することなど有り得なくなってしまうだろう。
不空であるのに何を為すのだろうか。自性が為されるのではないからである。
法や非法がないのならば、汝には果報も無いことにある。
汝にとっては、法や非法を因とする果は無いからである。
もしも汝に法や非法を因とする果報があるとするならば、
汝にとって法や非法より生じた果が、どうして空でないことになるのだろうか。
誰であれ、縁起と空とを侵害しようとする者は、
彼は、世間の言説を侵害しているのである。
空性を侵害するのならば、如何なる為すべきことも無いことになるだろう。
作用が開始されないことになり、何も為さなくとも行為者であることになる。
自性が有るならば、衆生は不生不滅にして、
さまざまな分位も欠き、永遠に存続することができることとなるだろう。
もしも空でないのならば、未得の者が得ることや、
苦しみに終止符をうち、一切の煩悩を断じることもあ有り得なくなるだろう。
縁起を見る者は、これを見るのである。
すなわち、苦と集と滅と道こそを。
無明に覆われたものは、再生のため三種の行を為す。
それらの諸々の業により何らかの趣へと赴くのである。
識は行を縁として趣へと入ってくるのであり、
趣へと入った識に名色が胚胎する。
一方、名色が胚胎した時、六処が発生し、
六処に基づいて触が現れれるのである。
眼と色と憶念に基づいてまさに起こるのであり、
このように名色により識は発生するのである。
眼と色と識という三つのものが集まったもの、
それが触であり、この触より受が生起する。
受を縁とし愛は有る。何故ならば、受の対象を愛するからである。
愛が起こっている時には、四種の取が取著されるのである。
取が有る時に取著の主体たる有が生起する。
取がなければ解脱するだろうし、有はないからである。
その有はまた五種である。有から生が生起し、
老死、苦等と、悲しみをともにする愁いと、
憂鬱と煩悶といったこれらが、生より生起し、
かくの如く純然たる苦の集合体が生起するのである。
しかるに無知なる者は輪廻の根本である諸行を賢者たちは造作し、
無知なる者は行為者となるが、賢者は実義を見ているが故にそうではない。
無明が滅すれば、諸行が生じることはないのである。
しかし、無明の滅は智によって実義を修習することによっている。
ひとつひとつが滅することにより、ひとつずつ生じなくなる。
こうしてこの純粋なる苦蘊は正しく滅することとなるのである。
大悲の心に促され、すべての邪見を断じるために、
正法を説かれた彼のお方、ゴータマに私は帰命する。
https://www.mmba.jp/nagarjuna/madhyamakakarika
とくに重要なところが、ここに抜粋されている
→仏陀は独立した実体はないというから間違い
2.Aでない
→完全にないなら縁起が働かず虚無論になるから間違い
3.Aかつ非A
→論理的に矛盾するから間違い
4.非Aかつ非(Aかつ非A)
→従って「どれでもない」、これが空
どれかを特定することは、すでに、縁起となっている。
否定した果てに否定されないもの
八不
「中論八不偈」は、竜樹の『中論』の冒頭に記された「不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去」の偈(詩)のことです。これは、一切の事物は固定的な実体を持たず、空(くう)であるという仏教の核心的な教え(縁起の理法)を、8つの否定表現で示すものです。
八不の内容
不生不滅(ふしょうふめつ): 何も生じず、また滅びない。
不常不断(ふじょうふだん): 常にあるわけでも、常に変わらないわけでもない。
不一不異(ふいつふい): 他と一つではなく、また他と異なるわけでもない。
不来不去(ふらいふく): 来ることもなく、行くこともない
中論の意義もやっている
😆
138 神も仏も名無しさん 2025/12/03(水) 08:59:42.02 ID:7Jzbo
加藤師匠
中論本格的講義だな?
https://m.youtube.com/watch?v=q3cz2kic5kM&pp=ygUY5LiJ6KuW5a6X5YWl6ZaA44CA5Yqg6Jek
中論は
有部、アビダルマ批判のための論書らしい
😆
😆
レスしていても
中論の理解は深まらない
😆
理源大師聖宝
🤡
485.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-rxy-Ij-wvu
lIelq
坐禅中にふと、"こんな事をして何になるのか?"って出てくる事もある。
大抵はそのまま流れて消えるけど、納得がゆく様に思考を耕してたりする事もある。
2025/12/04 06:56:45
加藤拓雅がお伝えする三論宗専門番組です。
・三論宗とは?
南都六宗の一つで、龍樹(Nāgārjuna 150-250頃)を祖とする中観派の流れをくむ宗派(学派)です。
『中論』『十二門論』『百論』の三論を所依とするので三論宗と言われます。
https://youtu.be/u9Bfrdb3kIU?si=7xGOaBdrIXmSDcIQ
思考を耕しているらしい?
🤡
下手な考え、休むに似たり😂
https://youtu.be/Qiq6q_xGcaM?si=z0kuPB0j5lqiznZe
三論宗入門2
https://youtu.be/uUhV3LOsErE?si=Nvze_7_mJPQL_Xxs
三論宗入門3
https://youtu.be/N1cm8Has1kM?si=f6JEpRYntdfWjJLM
三論宗入門4
https://youtu.be/q3cz2kic5kM?si=3tpnc3_wr_83JPvK
龍樹時代になかった
成実宗、唯識をターゲットに
批判をして
真諦、中道、真理とは何かを
論理立てている
😆
4まで見た😆
中論の全体像のイメージが明白になってくるな?
😆
いかに、禅に関して暴論を述べていたがが
三論宗入門あたりから見えてくる
😆
説明仏教では
かなり優秀な人だ
😆
このページでは、脱構築、差延、グラマトロジーといったデリダの思想を分かりやすく解説します。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/H/Higuchi/20240130/20240130050253.jpg
デリダは、当時フランスの植民地であったアルジェリアで、ユダヤ人の家庭に生まれました。
その後パリの学校へ通いますが、植民地出身者やユダヤ人ということで周囲になじめず、哲学書を読み漁ったそうです。
幼少期には第二次世界大戦が勃発しており、ドイツ人とユダヤ人、列強と植民地など、何かが何かを支配する構造が身近にあったことが、彼の思想に影響を与えていると考えられます。
デリダの主な思想を解説します。
デリダの思想の根幹を表す言葉が「脱構築」です。
脱構築の概念を理解するために、まずは「二項対立」について説明します。
二項対立とは、2つの相反するものが対立している状態を言います。
例えば、「男と女」「喜びと悲しみ」「存在と欠如」などですね。
一般的に、二項対立の状態にある2つのものは、どちらか一方が他方よりも優れているという考えになりがちです。
例えば、(当時は)女性よりも男性の権利が幅広く認められてましたし(今は逆ですかね?)、悲しみよりも喜びの方が良いことですし、欠如よりも存在の方が価値があるように思えます。
デリダはこのような、一見当たり前にも見える「二項対立のどちらか一方が他方よりも価値がある」という考えを否定しようと試みました。
脱構築とは、「二項対立の概念を分析し、その内部にある矛盾や隠れた前提を明らかにし、その支配的な構造を揺るがすことで、新しい視点や理解を生み出す試み」を言います。
シンプルに言い換えれば、「白黒はっきりさせられないことを証明する」という感じです。
例えば、「存在と欠如」について、「何かが欠如している」という概念が無ければ「何かが存在する」という概念はそもそも生まれません。
逆に、「存在」の概念が無ければ、「欠如」という状態も生じません。
このように、一般的に、二項対立している2つの概念は、どちらか一方が他方よりも優れているのではなく、相互に依存しあうことで初めて意味を持っているというのがデリダの主張です。
古代インド哲学の焼き直しに見えるのは、よくあることだが
二つの対立する概念(例:善/悪、理性的/感情的)で世界を捉える構造。
伝統的に、片方がもう片方より優位(価値が高い、本質的)とされ、他方は従属的・二次的と位置づけられてきました。
優劣構造の逆転:例えば、「話し言葉」が「書き言葉」より優位とされる西洋哲学に対し、デリダは書き言葉が持つ「差延(diff?rance:差異化され意味が遅延する運動)」の概念を導入し、話し言葉の現前性(プレゼンス)も書き言葉なしには成り立たないことを示しました。
排除されたものの肯定:「男性」という概念が「女性」の不在によって成立しているように、システムが抑圧する要素(女性、文字、他者)を再評価し、それらがシステムそのものの基盤であることを明らかにします。
権力構造への問い:このような二項対立の思考は、権力(例:ナチズムのドイツ人/ユダヤ人)に利用されやすい危険性を指摘し、知のあり方そのものに根本的な問いを投げかけました。
目的
単なる破壊ではなく、既存の枠組み(西洋形而上学のロゴス中心主義など)の内部にある矛盾を露呈させ、抑圧されたものの中に新たな解放の可能性を見出すための哲学的手法です。
デリダと龍樹では、目的が異なる
支配/従属の社会構造が重要だ
メインテーマが社会科学の一般原理理論探求やったからな
😆
狂った解釈やってる唯識
😫
0436 鹿野園 ◆ifwe1NnHmGU5 2022/08/21(日) 11:20:03.16
1.智慧が何故有為法に分類されるという事ですが、先にもレスした通り事法であり心作用だからでしょう。
当然に五位百法の無為法の虚空・択滅・非択滅・不動滅・想受滅・真如には分類されないという事です。
これについては、下記の転識得智の仕組みを調べる中で明らかにされます。
2.転識得智の仕組みですが
見道・修道にて、
1.-1. 第六識(意識)の
バカだな?
😫
俺とどっちがレベル高い?
俺はセッタンみたいな、見事な話は、てきん
😆
https://www.butsutera.com/wap-jp/shishengru.html
まーまーオモロイ
https://www.butsutera.com/wap-jp/676.html
こーいう解説ができるらしい
😆
在家で修行して成就した者もいますが、記載は非常に少なく、しかしこの部分で成就した在家者も前世の根基が比較的深く、自ら単独の修行空間を持ち、時間的にも非常に余裕がありました。彼らの福德が非常に大きく、毎日家の親族を養い衣食住のために奔走・労苦する必要がなく、修行条件が優れていたため、修行が速やかに成就したのです。三世の因果から見ると、この部分で成就した在家者も前世に出家して修道し、すでに一定の成就を修め、今世で再び加工して再び成道したのです。自ら独立した修行空間があるからこそ、修行功夫は連続して途切れないことを保証でき、在家では保証できません。非常に大きな福德に加え、前世の善根があって初めて成就でき、そうでなければ非常に困難です
😆
俺はしらんけど
😆
三世の因果から見ると、この部分で成就した在家者も前世に出家して修道し、すでに一定の成就を修め、今世で再び加工して再び成道したのです。
俺の感覚と
違う
自ら独立した修行空間があるからこそ、修行功夫は連続して途切れないことを保証でき、在家では保証できません。非常に大きな福德に加え、前世の善根があって初めて成就でき、そうでなければ非常に困難です。
修行空間だ
😆
冬の寒暖差地獄から
今週は修行した
😆
修行という発想なので
臨濟宗以外の世界には鈍かったのはこんなところか?
私個人の修行の過程と経験から見ると、私の全ての功夫の成就は、一人で寂静な環境の中で成就したものであり、人群の中に戻ると功夫は阻害され、さらに深めることができませんでした。私はあちこち寂静な環境を選んで修行し、こうして各段階の修行目標を達成しました。人群の中で修行するのは非常に困難です。したがって皆さんには、禅定と観行の功夫がある程度に達し、飛躍的に進歩させようとさらに一気に力を加えたい時は、できる限り身辺の全ての事務を放下し、寂静なところへ行って火力を大きくし、功夫をより深くより適切に行うことをお勧めします。そうして初めて我見を断つか明心する可能性があります。環境と時間が共に適して初めて、修行は連続して途切れず、火力が持続し、様々な溝や段差を越えられる可能性があるのです。
発想的には比叡山天台ぽい雰囲気の霊感ぽいなー
十九、学員の定中観行体験(一)
今朝の早課は、師尊の教示「定中で法義を思惟できるよう訓練し、意根の中に懸けておく」に従いました。まず数回深呼吸し、身体の廃気を排出すると同時に新鮮な空気を全身に満たし、鼻腔・喉腔・胸腔から気海(丹田)へと至り、さらに一頓(一気に圧縮)すると、足首・足裏の湧泉穴に圧し込まれ、心は空霊・柔軟・和暢になりました。その後、静坐して念仏し、音声を用いて仏事とし、胸腹、特に頭脳の様々な細胞を震動させ、経絡を疏通し、汚染を排出・清浄する作用を達成しました。頭部の気脈を念仏によって貫通させ、足底の気脈を頭部へと引き上げ、「南水北調供水工程」(南の水を北へ送る給水プロジェクト)システムを形成し、しかもスムーズに流れ、南北の大動脈を打通する目標を達成しました。
天台華厳真言チベットみたいなのは
こーいうノリみたいなのが
俺にはある
😆
さらに、静坐して仏を拝み、任督二脈を伸ばし緩めると、心はすでに空澄・安寧になりました。そこで『楞厳経』の中で最も理解が難しい第四巻の法義、富楼那が提出した「一切の根・塵・陰・処・界などは、皆如来蔵にして清浄本然である。どうして忽然として山河大地が生じるのか」という問題について、第四巻を少し読みました。定力があったため、読みながら入り、心は経文に専注でき、文に随って観に入り理解を得ました。関連する法義を整理した後、意根に反芻させると、時々意根が一つの念頭を放り出し、意識がそれを受け取ります。「ああ、『大般若波羅蜜多経』の法義だ」と、直ちに『楞厳経』の法義と接続し、理解できないところは湯が氷を溶かすように解けました。
禅定先行という異常現象で
そのあと
教義学テキストがスルスルと、入ってくる
😆
ハイブリッド感覚があるな、
この尼様のは
😆
金剛経解説・我相の特徴
円覚経において世尊は微細な我相についてこう述べられている:例えば、ある人が全身の調和が取れ、快適で、四肢がリラックスし、心身が静寂で極めて静かな状態にあるとき、突然身体の存在を忘れ、身体がどこにあるのかもわからなくなる。この時に針でそっと身体を刺すと、すぐに痛みを感じ、「私が痛い」と無自覚に感じ、心の中に我相が現れる。衆生は無自覚に身体を私だと感じ、覚知を私だと感じ、五蘊を私だと思っている。これは非常に微細な我相であり、衆生に普遍的に存在する。
密教ぽいんだよな、
または天台、華厳ぽい
中国は混ざりあってるからな
😆
さらに、静坐して仏を拝み、任督二脈を伸ばし緩めると、心はすでに空澄・安寧になりました。そこで『楞厳経』の中で最も理解が難しい第四巻の法義、富楼那が提出した「一切の根・塵・陰・処・界などは、皆如来蔵にして清浄本然である。どうして忽然として山河大地が生じるのか」という問題について、第四巻を少し読みました。定力があったため、読みながら入り、心は経文に専注でき、文に随って観に入り理解を得ました。関連する法義を整理した後、意根に反芻させると、時々意根が一つの念頭を放り出し、意識がそれを受け取ります。「ああ、『大般若波羅蜜多経』の法義だ」と、直ちに『楞厳経』の法義と接続し、理解できないところは湯が氷を溶かすように解けました。
2025/12/06 10:36:50
冬場メンタルモード研究を
曹洞宗モードも模索
真宗や日蓮あたりも模索
今、キリスト教、イスラーム、神道まで含めて
感覚のバージョンアップ構築中だ
😆
モンスターだけど
日本社会二は間接的に貢献しとるんやろな?
😆
https://m.youtube.com/shorts/6Nure1VaTgY
修行に関する 12分30秒あたり
😆
https://m.youtube.com/watch?v=WGmXo_VjoEQ&pp=0gcJCSMKAYcqIYzv
😆
ま、これくらいは
見といて
ネタとして
12分あたりからでええんで
オモロイ毒舌が
😆
ハッスル修行問題
修行に関する 12分30秒あたり
😆
https://m.youtube.com/watch?v=WGmXo_VjoEQ&pp=0gcJCSMKAYcqIYzv
素晴らしいな?😆
バカなんやろな
ま、どれたけ
つまらん参禅しにいっていたか、
もしくはエア参禅かもしれんな?
😆
「だから何?」と言われて終わりだ😂
暴露され
これからはハッスル只管バカにされる
😭
😆
見せるべき相手を
コンプだ
😆
冬の寒い時間ははかどらないようだ
😆
仏教瞑想モードでないと
なんて
言いながら、キリスト教書物を読んでいる
😆
五ちゃんねるのキリスト教スレが
一番の拠点だな?
😆
キリスト教のマイナーな出版社からの
本を精読している
エペソ書の研究
とかを
😆
どうするか?
を解析している
人知を超えた主の生命力みたいな
解決策
ま、創価に近いが
創価よりもマジメである
ファンダメンタルズ系統の教会の書物である
😆
ハッスル🤡パワー回復のようだな?
635.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-Qmt-Ij-wvu
BHxre(2/2)
この手の馬鹿が禅宗を騙る奴等に多いんだよな。
そもそも絶対的に無いものであれば認識自体が不可能で、無いとさえいえない事も分かってない、3歳児並みの知能しか持ち合わせてないんだわ。
馬鹿は空と無の違いを理解できない。
空とは無いというか意味では無い。
2025/12/07 18:40:58
坐禅回数自慢🤡が止まったな?
😆
こちらだ
😆
https://note.com/hegelschen/n/nbf999a48804f
639.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-lVR-Ij-wvu
7j49b(1/4)
馬鹿は何も知らないからネット知識の棒読みで、実存主義が禅仏教に於いてどう消化されているかも知らないだろうな😟
久松真一に「即無的実存性」というのがある。
それが実存の危機に対する一つの在り方である事は云うまでもない。
2025/12/07 19:39:31
Reply
Good
640.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-lVR-Ij-wvu
7j49b(2/4)
馬鹿がおかしな事を吹いてるけど、西洋哲学による仏教の再解釈とか、そんな低次元な作業を西田幾多郎や鈴木大拙、久松真一や西谷啓治らがやってた訳じゃないんだよ。
むしろそれらとの格闘や超克なんだよ。
馬鹿はこれだから😆
2025/12/07 20:01:09
禅宗の教義体系はおかしくなった😂
とかなんとか
それが仏教と何の関係があるんだよ?😂
アフォかっつ~の
俺は昔から
ヤツを無限にボコると決めたモチベだな
創作が、過ぎる
😆
自然を前にしたときの孤独感や無力感は、実存的危機においてよく見られるものである。
不安やストレスを伴いしばしば日常生活の正常な機能を妨げうつ状態を引き起こすこともあるが、この状態に感じる生きることや意味に対する否定的な態度は、その名にある通り、実存主義の立場と結びつけられる。
同義語や関連語としては、実存的恐怖、実存的空白、実存的神経症、疎外などがある。
実存的危機に関連するさまざまな側面は、感情的要素、認知的要素、行動的要素に分けられることがあり、感情的要素は、感情的苦痛、絶望、無力感、罪悪感、不安、孤独感など、危機が引き起こす感情を指す。また、認知的要素には、無意味の問題、個人的価値観の喪失、自分の死についての考察が含まれる。
外見的には、実存的危機はしばしば依存症、反社会的行動、強迫的行動で表現される。具体的な症状はケースによって大きく異なり、さまざまな種類の実存的危機を区別することによって、この問題を解決しようと試みられている。
これらに共通するのは、自分の人生の意味や目的についての葛藤である。 初期の段階での危機は、前向きなものになる傾向があり、自分がどのような人生を歩むべきか、特に教育やキャリア、社会関係における自分のアイデンティティや自立について迷う傾向にある。 人生後半の危機は、より後ろ向きで、人生のピークを過ぎたという印象が引き金となり、罪悪感、後悔、死への恐怖を特徴とすることが多い。
> 人生後半の危機は、より後ろ向きで、人生のピークを過ぎたという印象が引き金となり、罪悪感、後悔、死への恐怖を特徴とすることが多い。
セイウン様の危機は、これだな?😫
> 外見的には、実存的危機はしばしば依存症、反社会的行動、強迫的行動で表現される。
坐禅会への依存症
宗教板での反社会的で強迫的な言動で表現されている😫
ボコれるな?
😆