病名:発達障害ASDの症状尊大の雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談 ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!! なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也 悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴) ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる 独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル 新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。 多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療 インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ 5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。 ① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ ② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗 ③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事 ④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
113.
神も仏も名無しさん
XTwE7
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。 ① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ ② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗 ③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事 ④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
(オウム真理教とは関係ありません)
> (オウム真理教とは関係ありません)
いや、少し関係あるか😅
よろしい〜ではないか〜
カギュ派とニンマ派だ
😄
糖質系統の巣穴にならぬ限り、
割合まともなやり取りができる、
しかし、馬ぱーりーの5chでの
糖質くん誘導持ち上げ行為は
シカーチン、ムギロフのレスを止めたが、
もはや、あそこは糖質の墓場
😄
法介にポジションを奪われて影が薄くなり、今ではすっかり忘れ去られたJBLさん🥺
天台宗では「一隅を照らす」って運動をしてるそうだけど、あなたの活動はちゃんと心に留めてますからね☺️
ラピスみたいに注目を浴びたくて、スレの乱立はしないでね😔
ミイラ取りがミイラになるようじゃお笑いだから。
馬ぱーりーの悪質テロ行為で
すっかり、
こっちの住人か?
👽👽👽👽
議論は総論から細論に向かうんですよ。
ただでさえ総論のスレが過疎化してるのに、そこから展開するはずの細論のスレを立てて分散すれば……
それともラピス爺さんみたいにか「こっち見てぇ!!」の為のスレ立てですか?
スレの乱立はやめましょうね、JBLさん。
主張する
バカシカーチンであった〜
👽👽👽👽
【釈尊と仏教哲理 シリーズ】
◎ No.1扱い 【Talk 禅語録】 禅宗とは何か 【死んで生きるが禅の道】
https://talk.jp/boards/psy/1690846772
◎ No.2扱い 【空海から】真言密教を語る【真如苑まで】
https://talk.jp/boards/psy/1690857286
◎No.3扱い 【ゾクチェン】チベット仏教を知りたい【マハームドラー】
https://talk.jp/boards/psy/1690857082
◎No.4扱い 【不滅の法燈】 天台教学を学ぶ 【悉有仏性】
https://talk.jp/boards/psy/1690865352
◎No.5扱い 【空也から】浄土教を語る【親鸞会まで】
https://talk.jp/boards/psy/1690865792
◎No.6扱い 【エホバの証人】世界三大異端宗教【モルモン教】
https://talk.jp/boards/psy/1690866066
憑依したのか?
加行はキッチリやらないと効果がないですが
ブログでの仏教解説は他の追随を許さない
10/7(土)17:21配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/35847be59a9bf8c14eae00c366be4851fb31a6cd
そうかな?
真我とかいっちゃってるし普通に邪見でしょう
これ元じゃないよね
ツォンカパを引き合いに出してるけど明らかにツォンカパ読んでないし
未だに麻原を称賛してる
放置スレ認定
**********
チベット仏教で改革派のツォンカパの教えを守る一派。
チベット仏教の改革派であるツォンカパの教えを守る一派は、戒律を守っていることを示す黄色い帽子をかぶっていたので黄帽派と云われた。これに対して従来のチベット仏教を紅帽派、ボン教の呪術を続けているのを黒帽派といった。
https://studybuddhism.com/media/W1siZiIsIjIwMTkvMDIvMjMvMTYvMTgvMTQvYTI3OTliMjItMjQyOS00Y2EzLThkZjctNGQ3MmRlZDI3NzMyL3N0dWR5LWJ1ZGRoaXNtLXRzb25na2hhcGEtNDAwLmpwZyJdLFsicCIsInRodW1iIiwiMjAweDIwMCMiXV0/study-buddhism-tsongkhapa-400.jpg?sha=73fe64ad83f22a62
チベット仏教最大でダライ・ラマ14世の属す宗派。
総本山ガンデン寺はラサのセラ寺、デプン寺と並ぶゲルク3大寺院の一つ。開祖ツォンカパが1409年に建立した寺院で、ゲルク派の総本山として座主が管長を務めています。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/Ganden_monastery.jpg/440px-Ganden_monastery.jpg
3大寺院のうちラサから最も離れており、参拝者や観光客は最も少ない。
しかしながらゲルク派の創始者ツォンカパが1409年に自ら建立した寺院でありゲルク派の総本山として政治的権力を持った。
そしてツォンカパの法座を継承する歴代のゲルク派教主、すなわちガンデン・ティパはこの寺院の座主である。
ガンデン・ティパはチベット仏教において、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマに次ぐ権力をもつ。
漢字表記は「甘丹寺」。また清の世宗(雍正帝)は永寿寺の名を贈っている。また、稜線上につけられている巡礼路からはキチュ川(ラサ川)の大展望が楽しめる。
チベット動乱の際にチベットを脱出した寺院組織はインドに受け入れられ、南インドのカルナタカ州ムンゴッド(Mundgod)で伽藍を再建し、活動を続けている。
ラサ郊外の旧境内でも、チベットに残留した人々により寺院としての活動が再開され、1981年から修復工事が開始された。
かつての威容をかなり取り戻しつつあるが、未だに完全な復興がなされたとは言いがたい。
チベット国王でもある
ダライ・ラマが政治指導者を兼ねるのに対して、パンチェン・ラマは宗教指導者に特化
すなわち、ゲルク派の教主だ
ゲルク派には圧倒的な力がある
1989年1月28日にチベット自治区でパンチェン・ラマ10世が入寂した後に、ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府はパンチェン・ラマ10世の転生霊童の探索を始め、1995年5月14日に当時6歳であったニマ少年というチベット族の男児をパンチェン・ラマ10世の転生霊童として認定をし、中華人民共和国に先駆けて発表した。
しかしながら、中華人民共和国はチベット亡命政府の転生者認定を承認せず、チベット亡命政府とは別に転生霊童を探索した。
ダライ・ラマ14世による新パンチェン・ラマ認定布告後の3日後に、ニマ少年は両親とともに失踪。
当初、中国当局はニマ少年と両親の失踪との関わりを否定していたが、翌1996年5月28日に中国政府は「ニマ少年を保護する目的」で連行したことを認めた。
現在のニマ少年とその家族の消息については、個人情報保護を理由に中国政府は長らく公表していなかったが、2020年5月になって「現在31歳のニマは大学を卒業し就職している」と発表したものの、詳細については本人と家族が望んでいないとして拒んだ。
ニマ少年の写真は1枚しか残っていない。
連行当時、人権団体の中にはニマ少年を“世界最年少の政治犯”と認定していた団体も存在する。
ゲルク派は内部対立があり
ドルジェ・シュクデン肯定派と否定派。
法王さまは否定派。
なおドルジェ・シュクデン肯定派は
法王さまの写真を飾らないのですぐわかる。
痩せたお爺さん僧侶の写真を飾っている。
意見の不一致ってやつでしょう。
その中枢部分を形成しているのは、チベット仏教の中興祖師アティーシャ大師からの法流です。内容としては、「ラムリム(道次第)」と「ロジョン(心の訓練)」が中心です。この流れは、カダム派と呼ばれていましたが、ツォンカパ大師以降ゲルク派に合流した形になっています。
その他で特に重要な著作は、「入中論」の解説を通じて仏教哲学を詳細に論じた『中観密意解明』と、「グヒヤサマージャ」聖者流究竟次第の奥義を説き明かした『五次第明灯』です。ゲルク派の伝統教学では、この二書こそが、顕教と密教の究極的な教えと位置づけられます。ツォンカパ大師の顕密の様々な著作は、十八巻の全集にまとめられています。
説一切有部や経量部の学説に基づくアビダルマ、経量部や唯識派に基づく仏教論理学、唯識派や中観自立論証派(スヴァータントリカ)に基づく修道論などを学びつつ、最終的にそれらを中観帰謬論証派のレベルに昇華させる点が、ゲルク派教学の妙味です。
例えば、『般若心経』の「五蘊皆空」という経文についても、こうした各段階の解釈を、重層的に設定できるということです。
修行者個人の実践としては、この三大本尊の行法こそが至高のものです。しかし、社会的な意味あいを考慮に入れると、「カーラチャクラ(時輪)」の役割りも重要になります。ダライ・ラマ十四世法王は、世界平和の祈りを込め、各地で「カーラチャクラ」の大灌頂を厳修しています。
修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。
その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。
両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。
音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。
聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。
趙州従しん(ぢょうしゅう・じゅうしん)の無字の公案では長年かかってもなお悟れず死んでいく者も多かった事から、修行僧に対して白隠禅師が新たに隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)の公案を与え、沢山の修行者に悟らせようと苦心した公案です。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』
ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
トンチ、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
趙州従しん(ぢょうしゅう・じゅうしん)の無字の公案では長年かかってもなお悟れず死んでいく者も多かった事から、修行僧に対して白隠禅師が新たに隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)の公案を与え、沢山の修行者に悟らせようと苦心した公案です。
> 無我がわかったら坐禅しなくても良いとは思うんだけどどうなんだろうな。 』
求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。 さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものではなく、まさに 体得します。その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、突如と自他が無くなり歓喜乱舞します。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります
両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。
音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。
聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。
>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』
ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
トンチ、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
禅とは ジャーナを音写して禅那と中国人が漢字であらわしたものであり、ジャーナとは、静かにする、静かに坐る、と言う意味であり瞑想する事。自己都合による拡大解釈しては、原意が蒸発する。
浄土宗、浄土真宗は、波阿弥陀仏、と阿弥陀佛(無量寿Buddha、無量光佛陀)陀に帰依する。
法華宗は南無 妙法 蓮華経、と正しい教え、白い蓮の花の教え、教典、お経の本に帰依する。
騒動衆はお坐り、お手を教え込む。
南無阿弥陀仏と言うのか、南無妙法蓮華経と言うのか、何とも云わず、坐っているのか、この三つは 易行(いぎょう)である。難しい事を求めず、これをやればいいんだよ、と安心させる。
飢饉、餓死、疫病まん延、死地へ追い込まれた人にとっては、ひとすじの光明である。
> 心身一如にならないと、坐禅が坐禅にならないんです。 』
脳内の神経細胞の結束が、心と呼ばれる。
0,5ミリの線虫にも味の好みがある、と言う。脳が無いのが線虫である。
神経の経験が好みを選ぶのである。 だから、心身ではなく、身心と言いう。
>> 私をバカにしたければすればよろしい。その代わり、地獄行きである。 』
地獄極楽。 極楽地獄。 一対のものだよね。 なので、地獄は極楽が無いと成立しない。
では極楽は、地獄がなければ、存在しえないのだろうか。そんな事は無く、極楽は、極楽そのもので、完結している。地獄は無用なのである。
地獄の住人は、どうやって救われてて行くのだろうか。地獄が極楽だったんだ、と自覚する、みずから めざめる、こう知れば、そのところが極楽とも言わず、地獄とも言わず、公平無比の横一列の地平線、水平線であり、日が昇り日が沈み、月が昇り、月が沈む、自他が無い。 これが 大切だよね。
> 南無阿弥陀仏 』
南無阿弥陀佛陀
帰依します
アンミータ
のっと、めーたー
量る事が出来ない
アミターユ
無量光
アミターバ
無量寿
佛
Buddha
佛陀
目覚めた者
本願を立て 救い取るぞと決意されている無量寿Buddha、無量光Buddha、に対し帰依します。
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
イヌがぼやく。なんで、みんなワイを無視すんねん大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知り煩悩即菩提の法相宗でええやろ、ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
病名:発達障害ASDの症状尊大の雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
肝心かなめの大事なこと、大切なこと、は、固く握りしめた手のひらの中に握りしめて決して他sに公開する事が無い。
とは、よく言われることである。
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれてり来の知識の蓄積が、
いろめがねを作り上げてしまっているから、本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれとあれを分けない、である。
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)
こんにちは、さようなら。
生死(しょうじ)。
問う答えるて対話してきた
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
佛 真理(さとり) を 問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」
諸行無常、諸法無我、一切皆空、涅槃寂静である。
禅とは
禅定(ぜんじょう、梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。静慮
こころコロコロ、色即是空は空即是色へ還(かえ)る。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う
「この座敷から坐のままで30メートル先のロウソクの炎を吹き消せ」
中道是空(ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうとは、これ ちゅうどうなり)
空とは、分別しないである。
空とは、一の如しである。
色即是空は空即是色へ還(かえ)る。である。
教師の握り拳(きょうし の にぎりこぶし)
肝心かなめの大事なこと、大切なこと、は、固く握りしめた手のひらの中に握りしめて決して他sに公開する事が無い。とは、よく言われることである。
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれて以来の知識の蓄積が、それぞれがいろめがねを作り上げてしまっているから、本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり) あえば、かならずのわかれである。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)
こんにちは、さようなら。
禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
公案は佛 真理(さとり) を 問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」
諸行無常、諸法無我、一切皆空、涅槃寂静である。
禅とは、静かにする。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
こころコロコロ、常が無い。無常である。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う。「この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ」
中道是空(ちゅうどうぜくう。 ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうぜちゅうどう。 くうとは、これ ちゅうどうなり)
空とは、分別(ふんべつ)しないである。
空とは、一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。である。
最も大きな宗派。ダライ・ラマをトップとする。開祖はツォンカパ。戒律を重視し、僧侶の妻帯を禁じている
ニンマ派
最も古い宗派。開祖はインドの密教行者グル・リンポチェ。ボン教の影響が色濃い。妻帯する人もいる
サキャ派
13世紀にモンゴルへの布教に成功して後ろ盾を得、チベット全土を支配していた。化身ラマ制度ではなく世襲で継承している
カギュ派
化身ラマ制度を始めた宗派。多くの分派に別れている。密教色が濃い。開祖はミラレパ
チベット仏教の四大宗派の中で、最も新しく、最も大きな勢力。チベット仏教のトップであるダライ・ラマもゲルク派であり、僧侶の人数では大多数を占める主流派。開祖は、ツォンカパ大師ロサン・タクパ(1357-1419、日本でいえば室町幕府の初期)
ツォンカパ大師の二大主著は、『ラムリム・チェンモ(菩提道次第広論)』と『ガクリム・チェンモ(真言道次第広論)』です。簡単にいえば、前者は顕教の実践次第、後者は密教の実践次第を説いたものです。
インド伝来の仏教哲学を説一切有部・経量部・唯識派・中観派という四段階に整理し、中観派の中でも帰謬論証派(プラサーンギカ)の見解を究極のものと位置づけています。
ゲルク派の実践体系は、小乗・大乗・密教という三重構造になっており、密教に関しては、所作・行・瑜伽・無上瑜伽という四部タントラの段階を設定しています。最奥義となる無上瑜伽タントラの中でも、「グヒヤサマージャ(秘密集会)」聖者流を特に重視し、あらゆる仏法の頂点に位置づけています。
ゲルク派の管長はガンデン寺の座主であり、宗祖ツォンカパ大師から、2人の直弟子ギェルツァプ大師、ケートゥプ大師の順に師資相承され、現在は第百二世のリゾン・リンポチェ猊下です。ゲルク派の寺院には、宗祖ツォンカパ大師とギェルツァプ大師・ケートゥプ大師の像が、三尊形式で安置されています。
ダライ・ラマは、もともとゲルク派の転生活仏でしたが、ダライ・ラマ五世法王がチベット全土の政教両面の最高指導者とされたため、以後は宗派の枠を超越した立場になっています。従って、「ダライ・ラマ法王はゲルク派に属している」とか、「ゲルク派の最高位はダライ・ラマである」という言い方は、あまり正確ではありません。ゲルク派の宗門を統括する管長職は、宗祖の時代から今日に至るまで、歴代のガンデン座主が一貫してその任にあたってきたのです。
ダライ・ラマ十四世法王がインドへ亡命してから、中国共産党に破壊されたゲルク派の僧院は亡命先のインド各地で再興されています。
他の3つとは規模が大きく異なる
チベット仏教といえば、カギュ派と思っている人が多い
その頃はサキャ派が主流派だった
ここで無料で読める(英語だが・・・)
The Hundred Thousand Songs of Milarepa - Respect, love and Peace
https://unclesuraj.files.wordpress.com/2016/09/milarepa_100000-songs.pdf
ミンギュル・リンポチェも活躍してるしね
カギュ派の開祖はマルパでは?
部分訳はあるよ
https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%91%E3%80%8C%E5%8D%81%E4%B8%87%E6%AD%8C%E8%AC%A1%E3%80%8D&sortorder=4
ナーローパの妹がニグマで、カギュ派もまず、ナーローパ→ティローパ→マルパ→ミラレパ→ガンポパの主流の流れがあり
その主流の流れから、細かく別れ
さらに大元のナーローパの妹ニグマの流をくむカギュ派もあり
かなり複雑。
ガチの秘法の書の日本語訳で配布されていた。
悔しいけれと、わたしは紛失してしまいました。
マルパは言い方悪いけど、現代人が見るとパワハラに見える。
ミラレパ大師だと思ってた (>_<)
ああそうか
ニグマの法脈もあるものね
勉強になりました
>>54について明らかな誤りがありました。
ティローパが先でその弟子がナーローパ
ナーローパの弟子がマルパ
マルパの弟子がミラレパ
ミラレパの弟子がガンポパ。
わたしもよく分かりません。
ニグマも、ナーローパの妹と何かの記述で見ましたが
他の記述では、パートナーと記述されていました。
調べると、カギュ派、ゲールク派で修行されているそうです。
ゲールク派のツォンカパ大師ご自身が、ナーローパの6法をカギュ派から学んでおられたという。
一部改ざんしたものです。
呼吸法がインドのヴァヤヴィヤ・クンバカ・プラーナヤーマや
アパン・クリヤという保息を含む激しい呼吸法。
しかし、チベット仏教のも保息を含む呼吸法がある。
想像するに、6ヨーガのテキストはもらえたが
チベット仏教の本場の呼吸法は
実際に師弟関係に無い者には伝授されない仕組みなんじゃないか?
だから、オウムはインドの激しい保息を含む呼吸法にしたんじゃないか?
ゾクチェンとか、マハームドラーって何だ?
正直、知らん
【ゾクチェン】チベット仏教を知りたい【マハームドラー】
もっともらしい文に見える
ゾクチェンという言葉はチベット語で「大いなる完成」を意味する「ゾクパ・チェンポ」の短縮形であり、人間を含むあらゆる生きもの(一切有情)の「心における本来の様態」(セムニー)、またはあるがままで完成された姿のことを指している。
オウム真理教では、麻原彰晃から「アイツを殺せ」というような無理難題を言われて実行することを意味していた
マハームドラーとは、元はカギュ派の修行であったが、オウムにおいては、グルが弟子にあえて試練を与えて、帰依を試す修行となり、無理難題な試練を指すようになった。
グルが弟子を成長させるために行う修行として、殺人もマハームドラーであると説教された。
1988年または1989年に、麻原の娘が信者の子供に意地悪をしたり暴力を振るったのを見て、麻原は「娘がカルマ落としを仕掛けている。これぞマハームドラーの修行だ」と説明している。
対談相手の中沢新一は「宗教は本来反社会性を内に秘めている」と述べた。
遠藤誠一はサリン製造が、端本悟は坂本一家の殺害がマハームドラーだったと述べ、林郁夫は村井から「サリンを撒くことはマハームドラーの修行だから」と言われており、林郁夫自身も、サリンによる死者も真理を守ることになると考え、人を殺すということにも心を動かされないことが阿羅漢と同じレベルになると考えていたという。
マルパの一番弟子ゴクパは、ミラレパへのイニシエーションとして、食料を盗む村の悪人たちに魔術で雹の嵐を起こして彼らに攻撃したら伝授するとした。その後、ミラレパは「これからやることは犯罪だ」と村人に伝え攻撃し、死んだ小鳥や羊を集めてゴクパに会いに行った。
ミラレパは「罪人である私を哀れんでください」といって泣くと、ラマ・リンポチェは「秘密の詞章によって罪人も瞬間的に解脱できる」と言って指を鳴らして死体を蘇らせた。
マハームドラーってのは、「善悪の観念を崩す修行」なんだな
【マハームドラー】はヤメときゃよかった😅
匿名掲示板は修正できん
仏教と習合だ
数少ない、知ってるチベット仏教の用語がコレだった😅
理屈じゃなく、心で感じるみたいな。
例えば、理屈でも自らに起こる現象は、自らの業によるものであるという理屈じゃ分かります。
しかし、自ら体験により理解するプロセスが心を浄化するうえで必要になります。
マハームドラーもいろんな説明が出来ると思いますが
心を浄化する道とわたしは考えています。
マハームドラーにおいては、師が弟子のカルマを見抜き、カルマを浄化ように導く。
マルパがミラレパに課した厳しい試練もマハームドラーです。
麻原が弟子に犯罪行為を指示しても
弟子側は『これはグル(師)からのマハームドラーである』と考えて
非人道的なことや犯罪行為を為したと。
これはマハームドラーの悪用です。
あくまでも師と弟子の1対1の関係におけるマハームドラーじゃないと
無関係な第三者を犠牲にするなんて、
心を浄化するどころか、悪業を積んでしまう。
弟子を悪に導く師はよくない。
善悪の見境を取っ払うことを目指す修行なのは事実であろう
師と弟子の一対一
紙一重だ~😅
ペッ!さん
面白い人がいるのでX(旧Twitter)と対談記事を見てね
プロ奢ラレヤー🍣
@taichinakaj
2時間
震災の影響でガラガラの石川県にきた
なんかやたら美味えもんが多い
かねをもらい、酒や食い物を奢られる仕事をしています。労働はたいへんですが、義務ですので皆さんもがんばれください。
https://twitter.com/taichinakaj/status/1594162284762632193
https://nikkan-spa.jp/1631118
猫組長
@nekokumicho
今興味あるのはレンタルなんもしない人とプロ奢ラレヤーだな。
猫組長のそんな呟きで実現した今回の対談。
奢られることを「生業」にし、これまで医者や風俗嬢、有名漫画家、ユーチューバー、超有名宗教団体の教祖の息子など述べ2000人以上に奢られてきたプロ奢ラレヤー。
そんな彼に、若くして反社会組織に身を投じ、仕手戦やインサイダー取引の修羅場を経て経済に精通する猫組長が「奢り」を実施した。
ヤクザが足を洗ってYouTuberになった例
ゾクチェンもマハームドラーもどっちもそうだな
「善悪なし」という見解だから批判もされてる
不快な言葉まで抜粋してました、bitch業界の業種💧
よく見てなかった(笑)
猫組長のそんな呟きで実現した今回の対談。
奢られることを「生業」にし、これまで医者や風俗嬢、有名漫画家、ユーチューバー、超有名宗教団体の教祖の息子など述べ2000人以上に奢られてきたプロ奢ラレヤー。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
https://twitter.com/taichinakaj/status/1594162284762632193
https://nikkan-spa.jp/1631118
猫組長
@nekokumicho
今興味あるのはレンタルなんもしない人とプロ奢ラレヤーだな。
猫組長のそんな呟きで実現した今回の対談。
奢られることを「生業」にし、これまで医者や風俗嬢、有名漫画家、ユーチューバー、超有名宗教団体の教祖の息子など述べ2000人以上に奢られてきたプロ奢ラレヤー。
そんな彼に、若くして反社会組織に身を投じ、仕手戦やインサイダー取引の修羅場を経て経済に精通する猫組長が「奢り」を実施した。
https://twitter.com/philosopium/status/1740312882326475070
6000人に奢られたプロなので、わざわざ石川県にお呼ばれされ、大金をもらい、美味いもんと酒を奢られる『チャリティー活動』をしました。
被災地からは遠いけど、イメージでひとが離れてしまって、ガラガラやった。空いてるほうが好きなので嬉しい。
労働は義務です。お前らもがんばれください。てか
なんかやたら儲かってしまったので、広告費として『このツイートのRT数+いいね数』×1円を能登に寄付します。
4枚目は去年の能登です。ちょうど去年のいまごろ、客に金もらって能登に泊まりいったんだけど、最高やったな。復興したら絶対また行きたい。
https://i.imgur.com/rqClCke.jpg
https://i.imgur.com/xgGuKUF.jpg
https://imgur.com/7ES4ly4.jpg
https://i.imgur.com/kMWNQda.jpg
https://i.imgur.com/f1OyUHp.jpg
https://i.imgur.com/07AuSMq.jpg
https://i.imgur.com/QtgaN7Y.jpg
https://i.imgur.com/XZTYcb1.jpg
https://i.imgur.com/b5UESHH.jpg
https://i.imgur.com/I47yWgv.jpg
https://i.imgur.com/C8uLUFS.jpg
https://wks1.com/images/2024-01-13-171131.jpg
レベルが上がったのに
ニンマ派ワールドに関心向けない
向けなくても
レベルアップは
真言密教あたりで構築してしまうから、
同上レベルアップ扱いだ
😄
チベット密教のイメージ
皮膚感がスペシャルだなー
馴染み過ぎて関心薄い
😄
😄
https://m.youtube.com/watch?v=L3T4kkv7J1U&pp=ygUt44OA44OW44Or44Kq44O844Ks44Oz44OA44Og44CA44OI44Op44Oz44K244Og
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
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パスタわんこさん、甘辛スレの皆さん、
蝿頭でおー巨神兵ロボットSM女王が今日も虐待ハラスメントしてます❗️
更生させてください
https://talk.jp/boards/psy/1751357752
89.
神も仏も名無し=でおーSM女王
本来無間地獄ナルシズムブイブイ😈
2025/07/04 06:46:30
90.
神も仏も名無し=でおーSM女王
只管ナルシズムブイブイ😈
「今ナルシズム」から離れることができないブイブイ😈
「今承認欲求ブイブイ」から離れる子ができないブイブイ😈
2025/07/04 06:48:46
91.
神も仏も名無し=でおーSM女王
承認欲求以外はやめるブイブイ😈
2025/07/04 06:49:28
⬜️⬜️⬜️
パスタわんこさん、甘辛スレの皆さん、
蝿頭でおー巨神兵ロボットSM女王が今日も虐待ハラスメントしてます❗️
更生させてください
https://talk.jp/boards/psy/1751357752
89.
神も仏も名無し=でおーSM女王
本来無間地獄ナルシズムブイブイ😈
2025/07/04 06:46:30
90.
神も仏も名無し=でおーSM女王
只管ナルシズムブイブイ😈
「今ナルシズム」から離れることができないブイブイ😈
「今承認欲求ブイブイ」から離れる子ができないブイブイ😈
2025/07/04 06:48:46
91.
神も仏も名無し=でおーSM女王
承認欲求以外はやめるブイブイ😈
2025/07/04 06:49:28
⬜️⬜️⬜️
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。ググるシッタカ知障イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、荒らしイヌヤマは問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
病名:発達障害ASDの症状尊大のインチキキチガイ雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺のことを 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーの門外漢だから、知ったかぶる以外に承認欲求を満たす事が無い。
多数者を演じ孤立してないと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
統失、薬中、精神病院2ヶ月入院、A型作業所:イヌヤマ軍曹麦屁魔女エロ和尚アカベイ偽和尚狗の大王野良は異名同一人物がAAキャラ変の極悪人
① 荒らしイヌ麦は無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除
0~4 乳児期 2歳までは授乳 天使か妖精の無分別期 胎内での様子を語る
5~9 幼児期 ここまで生きられたら健康の天才児。男女7歳にして席を同じゅうせず
10~14 10歳尋常小学卒業まで生き延びたら丁稚奉公で親元出立 女児初潮生涯卵子数400個保持 10歳幼学
15~19 結婚適齢期前期 精子のピーク17 最大バスト19才 縄文時代の平均寿命は15歳最長30 15歳志学しがく
20~24 結婚適齢期後期 みずみずしく張るプルプル肌 感触最良バスト 20老眼スタート20歳弱冠
25~29 ♀婚活29歳迄、脱水で細る顔ボソッ 25男の体のピーク 北朝鮮喜び組25歳解雇
30~34 ♂人生振り返り期、30♀婚活スクリーニング削除 尋牛見跡悪魔の囁く声を聞き新興宗教開祖乱立
35~39 ♀加齢青アザ、中年太りと滴る愛液枯渇と名器終了、膣粘膜薄→性交痛
40~44 40不惑、初老 夜間頻尿 毛細血管ゴースト化 精子数減少 43老眼乱視、子宮硬化不妊
45~49 昇格、更年期前期、妊娠恐怖解放 禿頭始
50~54 肩たたき転職勧告、♀やる気男性ホルモン増、更年期後期 50天命 知命 アル中肝静脈瘤破裂前期
55~59 息子に嫁が来る頃には無勃起閉経 アル中肝静脈瘤破裂後期
60~64 天下り先退職金積み増し 60還暦 耳順じじゅん
65~69 65歳は高齢者 年金受給 65夜間頻尿、脳委縮開始年間1ミリ立方ずつ減少する
70~74 72男健康年齢 前立腺ガン乳ガン
75~79 75高齢者講習、健康保険1割負担 ひ孫と面談ランドセル予約 75女健康年齢 75後期高齢者
80~84 80釈迦没 長寿の達人 男平均寿命82
85~89 存在確認の同窓会が無い 女平均寿命87 ,男最多死亡年齢88
90~94 歯科医の総仕上げ総入れ歯 女最多死亡年齢94 90卒寿そつじゅ
95~99 歯茎で噛み切れる刺身が旨い 99白寿はくじゅ
100~104 自治体表彰 100百壽ももじゅ
105~109 アルコホルは毒なのに酒がうまい 108茶壽ちゃじゅ
110~114 飲む点滴ポカリスエットがうまい 111歳皇壽こうじゅ
115~119 もっと尿瓶しびんをクレヨンクレパス 119頑寿がんじゅ
120~124 120趙州 ( じょうしゅう ) 禅師没 120昔寿せきじゅ 121歳大還暦
特徴と修行: インド後期密教の無上瑜伽(むじょうゆが)タントラを継承しており、神と一体化する儀礼や、瞑想による即身成仏を目指します。
神仏・象徴: 忿怒尊(恐ろしい姿の仏)やヤブユム(男女双身像)など、日本の密教(真言宗)とは異なる特徴的な仏像が多い。
文化: タンカ(仏画)、砂曼荼羅、マニ車やタルチョー(経旗)など独自の文化を持つ。
歴史と指導者:7世紀に仏教化が始まり、17世紀にダライ・ラマが政治的・宗教的最高指導者として確立されました。
具体的な仏像の画像や、特定の宗派(ゲルク派など)の修行についてさらに詳しくお知りになりたいですか?
放置スレ認定
**********
A.I.だけだと読む気せんなあ
とても読めない
さらに人間らしいA.I.が登場するだろうから
神仏習合のネット検索はまだやりきってない😃
古女房に飽きるみたいな
😃
総合仏教: 厳格な出家制度(根本説一切有部)から、大乗仏教の哲学、後期密教まで全てを包含する総合的な教え。
ダライ・ラマ: 14世紀に成立したゲルク派の長であり、チベット仏教の最高権威。転生(化身)によって継承される。
実践・密教重視: 「言葉だけで完結させない」点に特徴があり、身体感覚、イメージ(曼荼羅)、音声(マントラ)を用いて体験的に理解を深める。
信仰・風習: 五体投地(全身で礼拝する)、マニ車を回す、ルンタ(祈りの旗)を掲げるなど、日常的に功徳を積む。
ゲルク派: 最大派閥。ダライ・ラマをトップとする。ツォンカパが開祖で戒律を重視。
ニンマ派: 最も古い宗派。インドの密教行者パドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)が開祖。
カギュ派: 「口伝」を重視し、密教色が濃い。化身ラマ制度を始めた。
サキャ派: 13世紀にモンゴルを背景にチベットを支配。世襲で継承される。
発展: 7世紀頃にインドから伝来。11世紀以降に新旧の翻訳時代を経て独自の発展を遂げた。
政治との関係: 元や清の時代には中国にも広まった。1642年ダライ・ラマ5世が政教一致の政権を樹立。
現在: 1959年ダライ・ラマ14世の亡命以降、インドやネパール、ブータンなどで実践され、世界的にも広がっている。
タンカ: 仏画。チベット仏教美術の代表格。
ラマ: 高僧。指導者。
密教化している
俺はどの仏教宗派でも大方領域展開できる禅に関しては
2005年にはやれてたが
その動中の工夫がまったくわからない感じだった
どの仏教でも、このソーンはある
が、三宝禅とは何だ?
謎が多いぞ
😃
まー俺があたりまえに3食食べる並みに味わえるる世界だ
😃
https://ishiinbr.amebaownd.com/posts/6557751/
そんなにオカシイ団体ではないらしい
https://antaiji.org/archives/jap/200903.shtml
ま、曹洞宗宗門内には
ハイブリッドは大なり小なりある
元スレ主、ロン、セッタンも
程度違えども臨済宗禅の養素が入っている
😃
このあたりらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E7%A5%96%E5%B2%B3
曹洞宗と臨済宗の違いも解る内容
😃
https://brownimpala63.sakura.ne.jp/daiyon.html
さくらインターネット
https://brownimpala63.sakura.ne.jp
第四章』By大角幻了
原田祖岳老師の弟子になった師家ですから、原田祖岳老師の許で大悟徹底した ... 川上雪担老師は当然、井上義衍老師の印可を受けているはずです
正しい大悟徹底はこのようなことはないのです。
大悟する時に特別な異常心理状態を体験して手の舞い足の踏む処を知らぬぐらいの大歓喜をするというようなことを書くものですから、後進の一個半箇の禅者が一人も育たない事態に陥るのです。
若き修行僧や参禅者はそのようなことを期待し切望して修行に励むようになってしまうので身心脱落ができないのです。
ここで私が大悟徹底という言葉を使い、身心脱落という言葉を用いないのは、この師家は曹洞禅の非思量の相続の具体的なことが分かっていないからです。
この高名な師家(曹洞宗の中では評価されていません。)は大悟徹底すれば、手の舞い足の踏む処を知らずと言うぐらい歓喜するものであると述べておられます。
しかし、手の舞い足の踏む処を知らぬぐらい歓喜する心理的何かを体験したところで、それは身心脱落したという判断材料にはなりません。
土曜日の曹洞宗寺院は道元禅
両方やれるので
違いは書いてある通りだ
😃
正念の相続(非思量の相続)は待悟禅ではありませんので、自分の身心脱落(大悟徹底)は無分別の分別心によって正しく自覚ができるのです。
これが無分別の分別心ではなく認識で自覚した場合の身心脱落(大悟徹底)であったならば、それは身心脱落(大悟徹底)ではなく、心理学で変性意識といわれる坐禅修行中に於ける特別な異常心理体験です。
浜松の井上義衍老師は自らの悟りを認識によって自覚したと言っていますから、これは佛祖の正しい悟りではなく典型的な変性意識に於ける異常心理体験です。
井上義衍老師のもとで悟ったとしている新潟長岡の故川上雪担老師も、その悟りの時の様子を自ら述べておりますが、その様子も典型的な変性意識に於ける異常心理体験です。
川上雪担老師は当然、井上義衍老師の印可を受けているはずです。
お二人とも、非思量の相続を修していないのです。
異常心理体験とは例えば、一時的な記憶喪失状態の体験とか、必要時に何の為にそこに居るのか何をすべきなのかを一切忘れ、自分のことも忘れて暫らくの時間ただ意識だけがある状態を体験することとか等々、様々な状態があります。
まーまーオモロイ
😃
https://brownimpala63.sakura.ne.jp/hajimeni.html
曹洞宗寺院の作務と勤行で
結構遭遇する
😃
白隠ファン
臨済宗禅的な説明不足の欠陥を
とことん批判、
まー臨済宗禅の影響ありと俺の読みは
当たってはいる
😃
空間認知問題だろな
😃
😃
批判しているようだ
が
内面の扱いに終始していて
空間認知には発達していないようだ
😃
が欠けているよーだ
😃
『正法眼蔵』弁道話
これは空間認知も含めて入っている
超不思量原理マシーン修行者は
不思量を握りしめているようだ
😃
『正法眼蔵』弁道話
は、なんにもないところをベースにしているので
一切は大日如来だという空海は
三密加持すれで速疾に六大無碍、重々帝網だ
😃
なるほど〜
セッタンならお怒りだ
😃
三宝教団(現・三宝禅)における「覚醒証明書」や「印可証明」は、安谷白雲(やすたにはくうん)らによって確立された独自の参禅体系において、修行者が特定の公案を通過し、悟り(見性)の境地に達したことを師家(マスター)が認定する文書です。
以下に主なポイントをまとめます。
定義と目的: 禅における「印可(いんか)」、つまり師が弟子の悟りや、修行の完成(師家としての資格)を認める証明書です。
特徴: 伝統的な臨済宗・曹洞宗の枠組みを超え、原田祖岳(はらだそがく)の教えに基づき、在家の人々にも広く門戸を開いた実践的な修行体系において発行されました。
内容: 正式な印可証明書には、師家から弟子への嗣法(しほう:仏法を継承したという証明)や、修行内容の確認が含まれます。
西洋への展開: 三宝教団は特に西洋での禅の普及において重要であり、海外の修行者に対しても、厳格な審査(約470の公案カリキュラム)を経てこの証明を発行し、現代的な解釈の禅を伝えました。
Reddit
Reddit
+4
なお、2018年に「三宝教団」から「三宝禅(Sanbo Zen)」へ名称が変更されています。
キリスト教への関心度合い
ハッスル🤡は
三宝禅の可能性が出てきた
😃
かも〜
https://imaginary-tanker-499.notion.site/For-those-who-want-to-practice-Zen-at-San-un-Zendo-11309450abcc424fa74cd540543b611c
曹洞宗臨済宗の修行体系から超越すべしみたいな持論を吐いていたので
伝統禅宗派ではないのは確か
😃
つぶやく内容がある
たしかに、釈迦牟尼会の確率が高い
三綱領
■摩訶般若波羅蜜多は、仏道の第一義なり。至心に憶念せよ (※1)
■戒定慧の三学は、成道の要訣なり。至心に修持せよ (※2)
■四弘の誓願は吾曹(われら)の本誓なり。至心に奉行せよ (※3)
https://zenmi.net/kainitsuite.html
居士に拘るところ
https://ningenzenrous.jugem.jp/?eid=166#gsc.tab=0
人間禅メインで
色々、非伝統禅クラブ通いかもなー
😱
人間禅も円覚寺法系を継承しており、人間禅創立以来66年間にわたり居士禅という言葉を使って来ましたが、調べてみますと、居士禅という言葉を使っているのは円覚寺法系のみであり、
人間禅が一番確率が高いようだ
あとは釈迦牟尼会、三宝禅と
兼務しているかもしれない
😱
インテリ養素もありそうだ
https://ningenzen.org/free/bukkyo-kouza
😃
ハッスル🤡様の坐禅会とは
まで検索しまくった
花粉症効果だな
😃
新興禅団体とはゲロらないだろう
😃
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-zx1-Ij-wvu
903ah
坐禅会といってもクローズドの摂心だけどな。
一般には公開してない。
2026/03/09 12:45:12
https://imaginary-tanker-499.notion.site/For-those-who-want-to-practice-Zen-at-San-un-Zendo-11309450abcc424fa74cd540543b611c
人間禅もクローズドだな
https://ningenzen.org/free/ascetic_practice
https://zenmi.net/zazenkai.html
曹洞宗系統は三宝禅、
臨済宗居士趣味は人間禅
新興禅仏教グループが好きなのは確かだ
あの邪道ぶりは
😫
人間禅ってとこの可能性は高いな
> 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-zx1-Ij-wvu
> 903ah
> 坐禅会といってもクローズドの摂心だけどな。
> 一般には公開してない。
クローズドの摂心て
人間禅そのまんまではないか
遍歴があるのかもしれん
そして居士自慢の
人間禅ナウか
掛け持ちか、
かなり非伝統的新興禅仏教集団に所属してそうだ
😃
絞れてきたな?
😃
元が円覚寺からの臨済宗系統だから
人間禅と居士へのコダワリから
かなりの確率が高い
😃
😃
エホバ否定しない信仰の自由発言してた時期があった
新興禅仏教だから
柔軟性があったかもしれん
😃
基本、自分のナルシズムだけは正直な
人間である
😃
人間禅所属の
確率はとても高そうである
😃
地方ではなかなか成り立たんだろうな
人間性を見るとやはり
😫
ありえる
🤡〜
団体のトップが出す本の編集をやるように言われ、本業やグリーフケアの活動があるのに、余裕はないことから、断ったところ、それから後が面倒でした。
先輩からは「老師から与えられた使命だ。命がけの修行なのだから、スポーツクラブのように考えられたら困る」と説教され、そのすぐ下の方から「老師から与えられた試練だから頑張って乗り越えよう」と説得され、ある人からは「有給休暇を取ってイベントの仕事をしろ」と言われるようなことがありました。
内輪の行事なのに、「使命」とか、「命がけ」とか、「試練」とか一々大げさで、ついていけませんでした。
😱
先にも話しましたが、この団体は、公案の修行をすることを売り物にしており、当時、本則にして数十則の公案を透過していたこと、公案の中には、透過までに三十数回入室したものもあったこと、さらに、どのような公案を課すかや、真正の見解(しんしょうのけんげ)と呼ばれる公案の解答は、指導者や団体によって異なること(後記6)、つまり、その団体を辞めるということはそれまでに費やした時間を全部無駄にすることでもあり、その時間を惜しむ気持ちに抗うことは大変でした。
本論に戻ると、私の入っていた在家禅にいる人たちを見てみると、これまでのありのままの日常的な人生にどこか不満があるから、その埋め合わせを求めたいという人たちが、少なからずおり、そうであるからこそ、指導者の言うなりになり、組織への依存を強めているようにも感じました。
社会において自分の価値を認められず、アイデンティティを見出せないものは、社会の一般的な価値観に刃向かうことで、自己の価値を保とうとする。こうしたカウンター・アイデンティティは、社会から見捨てられたものにとって、自分の人生を逆転させ、自分の価値を取り戻すような歓喜と救いの源泉ともなるのである。誰からもまともに扱われなかった存在が、受け入れられ、認められたと感じるとき、そここそが生き場所となる。」
(岡田尊司『マインドコントロール 増補改訂版』16頁)
「自分もまた特別でありたいと願いながら、しかし、何の確信も自信ももてない存在にとって、「真実」を手に入れたと語る存在に追従し、その弟子となることは、自分もまた特別な出来事に立ち会う特別な存在だという錯覚を生む。(略)
在家禅にいたときに、トップの指導者の人の家族と話をしたことがありましたが、その話から、やはり、家族関係に問題のあったことがわかったり、また、私を在家禅に誘ってくれた先輩も、相応に出世したのに何が不満で在家禅に入ったのだろうと不思議でしたが、その親御さんと出会う機会があったのですが、その言動からADHDの方ではないかと思われ、この親御さんであれば、やはり、苦労したであろうなということがわかりました。
。
人は、心に余裕が無ければ、他の人に対して配慮をする余裕がない。坐禅を通して、扁桃体の活動を下げることなどにより、不安感を和らげ余裕を作ることで、他の人に対する配慮がしやすくなる、ということはあるかと思います。
しかし、そのような現実的な程度を超えて、人格が飛び抜けてよくなるようなことは、私の経験した限りではありません。
実際、「私が言うとおりに実践すれば、全て上手くできますよ」といったことを、瞑想指導者が言葉の上では主張しているのだけれども、ご本人の現実の振る舞いにおいては、その理想が言葉のとおりにまるで実現できていない、といった事例を、私はたくさん見てきました。「瞑想の先生を選ぶ際には、その先生の『発言』だけではなく、その人の『為人』、つまり本人の現実の振る舞いを、よく観察して判断してください」と私が強調するのには、そういった背景もあるわけです。」
(魚川祐司発言『悟らなくたっていいじゃないか』215頁)
指導者の方をよく観察せよという魚川先生のお話しは尤もだと思います。
坐禅や瞑想の指導者も玉石混淆であり、真剣に指導者を選ばなければならないという問題意識のある方は、何らかの深刻な心の問題を抱えているように思われるので、坐禅や瞑想をするのではなく、精神科や信用のおけるカウンセラーの元へ行くのが適切かと思いますが、それでもなお、坐禅や瞑想の指導者を探すのであれば、伝統等のはっきりとわからない曖昧な基準ではなく、目の前にいる指導者の人自身になりたいと思えるか否かを基準とするのが無難かと思います。
どんな人間が出来上がるかの具体例は、目の前の指導者の方自身にほかならないからです。
伝統禅仏教を改革すべきだとか
豪語したレスを見たことがある
😱
私の所属していた在家禅では、ほかの出家者が行う公案の実践では、途中までしか出来ず、最後まで完了することはできないことを強調していましたが、そもそも比較ができるようなものではなく、このような説明はミスリーディングです。
人間禅確定かもしれない
😱
↓
「人間禅教団名誉総裁 師家 葆光庵 丸川春潭 老師」
今日は重要なご来客があった。お名前は本名が丸川雄浄さんと言われるが、今や丸川春潭老師と呼ばれる機会が圧倒的に多い。公式には「人間禅教団名誉総裁 師家 葆光庵 丸川春潭 老師」が正式なお名前である。御年84歳になられる。師家(しけ)とは一般の禅僧に対して、師としての学徳を有する禅僧の事で、特に座禅の師を言う。私とは住友金属の上司と部下の関係でご指導やご厚誼を頂いて50年間にもなる。大阪大学の理学部化学科を卒業され東北大学から工学博士の学位をとられた学者のお顔も持たれ、阪大や中国の大学教授も務められた金属工学の分野では良く知られた学者でもある。私は是非一度丸川先生に学校にお越し頂き、教職員に「指導講演」をして頂きたいとお願いし今日ようやく実現した。
↓
両忘庵釈宗活老師(1871-1954)は、はじめ鎌倉円覚寺の今北洪川に参じ、石仏居士と号され、23歳で釈宗演につき得度(出家して僧や尼になること)されました。 明治35年に洪川老師の法嗣である釈宗演老師より大事了畢(臨済宗における全ての公案を透過すること)、両忘庵の庵号を授かり、宗演老師の命により、一事活動を停止していた「両忘協会」を再興し、東京谷中にて両忘協会を継承されました。
キャラ含めて
😫
釈宗演は鈴木大拙の師であり、鈴木大拙・西田幾多郎コンビとは最も関係の深い人物
人間禅の欠陥含めて
しかし、辞める考えが頭に出てきてから実際に辞めるまでは半年近くかかりました。
先にも話しましたが、この団体は、公案の修行をすることを売り物にしており、当時、本則にして数十則の公案を透過していたこと、公案の中には、透過までに三十数回入室したものもあったこと、さらに、どのような公案を課すかや、真正の見解(しんしょうのけんげ)と呼ばれる公案の解答は、指導者や団体によって異なること(後記6)、つまり、その団体を辞めるということはそれまでに費やした時間を全部無駄にすることでもあり、その時間を惜しむ気持ちに抗うことは大変でした。
人間禅確定
😱
ハッスル🤡のキャラだ
😱
団体のトップが出す本の編集をやるように言われ、本業やグリーフケアの活動があるのに、余裕はないことから、断ったところ、それから後が面倒でした。
先輩からは「老師から与えられた使命だ。命がけの修行なのだから、スポーツクラブのように考えられたら困る」と説教され、そのすぐ下の方から「老師から与えられた試練だから頑張って乗り越えよう」と説得され、ある人からは「有給休暇を取ってイベントの仕事をしろ」と言われるようなことがありました。
内輪の行事なのに、「使命」とか、「命がけ」とか、「試練」とか一々大げさで、ついていけませんでした。
大げさ
ハッスル🤡〜
😱
これでは😱
変な記憶がある
三宝教団も関連あるかもしれん
三宝教団(現・三宝禅)は、安谷白雲が設立した、在家中心の禅宗団体であり、欧米への禅の普及に大きく貢献したことで知られています。その一方で、特にその歴史の中でいくつかの問題点が指摘されてきました。
主な問題点は以下の通りです。
1. 教義・修行面の問題
「見性」の簡易化・乱発: 伝統的な禅宗(曹洞宗や臨済宗)からは、三宝教団の参禅法(公案指導)が「見性(悟り)」を急ぎすぎている、あるいは「悟り」を軽々しく認めていると批判されることがあります。
独自の公案体系: 白隠の公案を改変した独自の指導体系を持っており、伝統的な修行体系とは一線を画しています。
2. 組織・指導者層の問題
過去の政治的姿勢: 創設者の安谷白雲は戦前・戦中、神道的な「天皇崇拝」と禅を融合させた「皇道禅」を主導しており、軍国主義的な側面が戦後に批判されました。
海外での論争: 欧米において、指導者が独自の立場から厳しい修行を課す傾向や、指導者と信者の権力構造が「カルト的」であると批判を受けるケースが報道・研究されてきました
急に天皇家崇拝のマウントを取りにきた記憶がある😱
2. 組織・指導者層の問題
過去の政治的姿勢: 創設者の安谷白雲は戦前・戦中、神道的な「天皇崇拝」と禅を融合させた「皇道禅」を主導しており、軍国主義的な側面が戦後に批判されました。
> 関東は新興禅仏教が多そうだな?
人間禅と釈迦牟尼会が二大勢力のようだ
そうなのか、
関西にいるとわからん
トークも井上希道とか変な信者だらけだな
アストラル界とか
😱
入門当時を振り返って
入門当時を振り返って
延 時 真 覚
1.初めて摂心会に参加
自性寺での早朝坐禅会に参加するようになり、2年を経過した頃、鎮西道場の2人の先輩居士から、「本格の修業をして見ないか」とのお誘いがありました。
両居士から、「道力は坐るだけでも身につくが、道眼を磨くには法脈の正しい師家に参禅しなければ駄目だ」と口をすっぱくして言われました。
始めて摂心会というものに参加させていただき、本格の修行の厳しさというものを体験させていただきました。摂心というのは「心をおさめて散らさず」という意味で、一週間、真剣に坐禅の修行に打ち込むことでございます。
初めは、膝や腰が痛くなり、静坐に集中できませんでしたが、四日目を過ぎると足の痛みにも慣れるようになり、かなり集中して坐ることができるようになりました。
一方、摂心中、作務といって道場周辺の草取り、樹木の伐採といったような作業を行います。作務にも軽い作務から重労働の作務まで色々ありますが、20歳以上年上の先輩居士方の働きぶりには眼を見張るものがありました。
真夏の太陽のもとで汗だくで骨身を惜しまず懸命に作務をされる姿をみて本当に驚いたものでございます。
今から考えますと、自性寺早朝坐禅会での2人の先輩との出逢いがなかったならば、「本当の自分を知る」という得難い法縁にめぐり合うことはなかったであろうと思うとき、本当に有難い出会いであったと感謝しております。
唯識怪しげ解釈好きそうだな、
ま、ハッスル🤡は
非伝統的禅以外の禅に
全部飛びついていそうだな?
あのちゃんぽん具合は
😱
https://m.youtube.com/watch?v=lHMfOZ2QYbo
昭和52年12月、鎮西道場第149回の摂心会に於いて、鎮西道場の担当師家に入門をお許し頂き、正式に禅の修行をすることになったのでございます。
最初の公案をいただき、とにかく死に物狂いで参禅しました。『公案』というのは、『本当の自分を知る』ために、お師家さんから私ども学人に与えられる問題でございます。
入門して最初に与えられる『公案』のことを『初関』と云っております。先輩から、「初関を持っている者は、必ず参禅するように!! 参禅できないということは、真剣さが足りないからだ!! 」と厳しく言われておりました。
しかしながら、室内に入っても、入っても、鈴をふられるばかりで3日目頃から完全に行き詰まってしまいました。それでも「何が何でも参禅するんだ!! 」という覚悟でおりましたので、順番が来たら必ず立ち上がって、参禅したものです。見解に自信がない時など、喚鐘を叩いて隠寮へ向う廊下を歩きながら真剣に工夫することもありました。
又、一日の行事が終わった夜10時以降に、「これだ!!」という見解が出るまで必ず随坐をして公案の工夫に骨折ったものでございます。
有難かったのは、先輩居士の方々が私たち入門者の髄坐に付き合っていただいたことでございます。
鎮西道場149回の摂心会は、私の坐禅修行の中で大きな節目となったのでございます。
私の体験から初心者の方に申し上げたいことは、大勇猛心を奮起し、真剣に骨折れば、必ず見性できるということでございます。見性というのは、判りやすくいえば、『本当の自分に気づく』、すなわち『本当の自分を自覚する』ということでございます。見性するためには、通り一片の努力ではなく、真剣に骨を折るという覚悟がどうしても必要となります。
ウンコ聖師っぽいノリだな?😫
ハッスル🤡が威張る理由は
😱
ハッスル🤡の哀れな修行の日々が
自信満々となったんだろな?
人間禅の身バレを恐れて既存の臨済宗系統と動画や文章で茶を濁していたかもな?
😱
メインは
あとは掛け持ちで
釈迦牟尼会と三宝禅とかは
ありうる
😱
伝統禅以外ならなんでも飛びつきそうだ
ハッスル🤡は
😱
😱
先輩居士の言うことには権威がある
参禅年数で教団内のポジションが決まる
我らのハッスル分析のほうが勝っているな?
😃
無職はダメで、働いてないとダメらしい
これも、ウンコ聖師のノリに似ている
こちらは具体的に分析しているからな😂
あの自信満々なハッスル🤡の人格キャラの違和感は
人間禅で
全て説明できるな 😃
ここで分析されているとは
思ってないだろな?
😃
人間禅ではないか?
とレスしていた、
カオリンの暇人への執拗な攻撃は
ひょっとして?
😱
一度開かないと
レスカウントはされないから、
ロンにしろ、見てないだろな
😃
俺はハッスル🤡様をつつかない
そっとハッスル🤡様を観察する
😃
↓
昭和23年に名称を改めて「人間禅」が発足し、今年で創立68年目になります。人間禅になっての最初の総裁師家である耕雲庵立田英山老師こそが人間禅の精神を確立された方であり、これが人間禅の見地です。
先ず、耕雲庵老師のお考えを引用しておきたいと思います。
「禅誌」創刊号(昭和24年4月1日発行)に掲載されてあります、第一世総裁就任挨拶の中の一部の抜粋ですが、老師は「人間禅の精神」として次の三つをあげられています。
一つ人間味の豊なること
二つ各自の個性を重んずること
三つ神秘性を説かないこと
そして三番目について、次のように述べられています。
「最後に、三つ目に数え揚げらるる処のものは、神秘性を説かず、理外の理を語らぬことであります。之は夙に自然科学を研究して来たった私として、年来の主張であります。そして自力の修行を標榜するものとして、私は曾て一度も「仏天の加護」とか「神明の冥助」とかを口にした事がありません。又「仏罰」とか「神罰」とかいう語を最も憎みます。『大法に不可思議なし』之が古今に亘って一貫した真理であります。私は超人間的な神仏や、実在を離れた幽冥界や、所謂肉体を離れた霊魂という様なものを断然否定します。世には、宗教の世界という特別な世界があって、何か「理外の理」と云う様なヴェールに隠れ神秘性でも説かないと宗教では無い様に誤解して居る者が沢山居ります。」
禅の見地からは「幽冥界や、所謂肉体を離れた霊魂」はないと断定されておられます。そして『大法に不可思議なし』の意味することは、科学と相反する教義は駄目だということだけにとどまらず、これは禅の玄旨であり、釈迦牟尼世尊の悟りそのものなのです。
カトリックヴィパッサナー検索して
一つ奥義を発見した
ヴィパッサナーの慈悲の瞑想を
カトリックヴィパッサナーのアガベーの瞑想に
魔改造していた
なる〜
納得したわ
😃
俺んところの師匠は、あるのにはある
けど扱い
所謂肉体を離れた霊魂ネタみたいなので
修行が進んだ
それ自体が究極問題ではない
手がかり
くらい
師匠は不思議な力がある
俺も魔王級の領域展開の手数は師匠に勝るけど
😃
新しく
大した事がない凡夫レベルの建立した僧侶の曹洞宗寺院で
曹洞宗の奥義をゲットしてまう
俺も俺自身が謎だ
秋のお彼岸前に石の観音像に備えた
華(葉ね)の葉が今全部落ちていた
恐るべし長寿の華だった、ありえんレベルだ、なにせ、根がない華だからな
😃
出来た寺院らしい
お堂建つ前に観音菩薩の仏霊写真が必ず出る
近所の真言密教寺院も同じくだ
😃
法力がある
65 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK (50-kIU-Ij-wvu) [sage] 2026/03/09(月) 16:51:25.87 ID:av6gD
今時はネット検索で、坐禅会や摂心をしているお寺や団体が分かりますし、オンライン坐禅会なんていうのもあるんです。
関心があるのであれば参加すれば良い。
やりもしないでベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラと、変な蘊蓄や妄想を騙るよりは千倍万倍それ以上まともです。
葉が落ちたとかな?
ありうる
😃
金曜日夜花粉症地獄の余りに
土曜日はさすがに
と😱
今日は石の仏像二つだけに線香立てて帰った
😃
デンパパ📶に並ぶ大概だな?
釈迦牟尼会 坐禅講習会 空と悟り
悟りに至る、禅、クリシュナムルティ
😱
禅系列だけどな
😃
日蓮正宗系か浄土真宗系のイメージしかなかった
> 日蓮正宗系か浄土真宗系のイメージしかなかった
いや、違った
真言密教系も多い😫
禅宗系(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)の教えを基盤としつつ、既存の伝統教団から独立・派生した比較的新しい宗教団体には、鎌倉に本部を置く「三宝禅」が挙げられます。1954年に曹洞宗から独立し、臨済・曹洞双方の修行法を採り入れた坐禅を特徴としています。
新興仏教運動:昭和初期に発生した仏教の革新運動で、禅宗的な要素も含む社会活動。
一般に禅宗の団体は、臨済宗(妙心寺派など)、曹洞宗、黄檗宗という伝統宗派が強固ですが、上記のような坐禅を重視した独自の修行体系を持つ団体も存在します。
目的・理念: 坐禅を通じて「自利利他(自分と他人の幸福)」の円満を目指す。
修行形式: 寺院の僧侶ではなく、社会生活を送る師家(指導者)に学ぶ。
活動内容: 正しい坐禅の指導、見性(本質を見ること)を目指した指導。
運営: 特定の宗派に属さない独立した宗教法人として、本部運営会費(月3,000円、変更可能)で運営されている。
人間禅は、生活に追われる現代人が、仕事や家庭を持ちながら「本当の自分」を悟ることをサポートしている組織です。
仏教徒にとって特に大切な、釈迦の生涯の節目に行われる行事です。
灌仏会(かんぶつえ・花まつり):4月8日。釈迦の誕生を祝い、誕生仏に甘茶をかける法要。
成道会(じょうどうえ):12月8日。釈迦が座禅の末に悟りを開いたことを記念する法要。
涅槃会(ねはんえ):2月15日。釈迦の入滅(亡くなったこと)を偲ぶ法要。
「南無釈迦牟尼仏」:釈迦の教えを信じ、身をゆだねる(帰依する)ことを意味します。
禅宗での重視:曹洞宗などの禅宗では、特に成道会に先立ち「臘八摂心会(ろうはつせっしんえ)」という厳しい座禅修行を行うのが特徴です。
目的:単なる供養ではなく、釈迦の教え(空、無我、煩悩の滅却)を心に刻み、日々の生活の中で実践する契機とします。
なお、釈迦牟尼会は特定の宗派における行事名である場合や、お釈迦様そのものを指す法要全般の通称として使われることがあります。
人間禅: 在家(一般社会人)が本格的な座禅修行を行うことを目的とした団体。
三宝教団: 安谷白雲を開祖とする曹洞宗系の在家禅団体。
その他: 釈迦牟尼会、両忘禅協会などがある。
人間禅、三宝禅、釈迦牟尼会、両忘禅協会
この4つの名前が出てきた
伝統的な禅よりも
空にこだわるのは
ハッスルぽいな?
😃
切羽詰まると
いつも
「無我なのにー」が
とくいわざ
だった
😃
歴史
両忘協会という名称は、客体と主体の観念の放擲を行うための組織、を意味する。日本の近代化が始まった明治維新の時代の初期に設立された。この頃禅の修行者であった山岡鉄舟、高橋泥舟その他の有志が、鎌倉円覚寺管長であった蒼龍窟今北洪川を招き、のちに両忘会となる坐禅会を立ち上げた。国の将来を憂え、有為の人材を養成するためである。
両忘協会は、釈宗演の法嗣である釈宗活によって復興された。読みは、新しい漢字の読み方に従って、りょうぼうきょうかい、あるいはりょうぼうかいとなった。宗活は両忘庵の名を楞迦窟宗演から与えられた。宗活は両忘会を一般人に開放し、かつては僧侶に限られていた印可を一般人の修行者にも与えることとした。
宗活は、耕雲庵立田英山、一夢庵大峽竹堂、後藤瑞巌、そして曹溪庵佐々木指月に法を継がせた。 耕雲庵は人間禅、すなわち禅による人間精神の教化を開始した。人間禅教団の使命は、「地上に楽園を出現させること」であり、法を伝えるために法を伝えることを主な目的とする伝統的な禅仏教とは本質的に異なると自認する。
😃
人間禅、三宝禅、釈迦牟尼会
↑
この3つが三大団体といえそうだ
が新興宗教化したみたいだな
😃
あれも、ほぼサティをパクった禅
😃
今から約2500年前、インドの一青年ガウタマ・シッダールタ(後の釈迦牟尼仏陀)が驚くべき事実を発見した。それは、この世界の全存在が「自」と「他」の境界がない「一つの世界」であり、それがこの世界の実体であることを「禅」により体験的に発見したことでした。
第一回の禅会は御殿場の野中到氏(富士山気象観測の創始者)邸で行なわれました。
伽藍を出た釈定光老師は、「どうすれば真実の仏教を在家日常の生活の上に顕現し得るかということが、その根本の動機であった。それには出家という立場から離れて、在家即ち世俗の人という立場から、特に現代の求道者という立場から、静かに観察し工夫してみる必要があった」と述べております。そして大正11年に根本道場として静岡県裾野市、黄瀬川のせせらぎを聴く丘に不二般若道場が建立されました。
釈定光老師は、「理長為宗」(理の長ずるところを宗となす、即ち各宗派の優れたところを導入)をもって会の理念を「三綱領」にまとめました。
三宝禅は、曹洞宗系なのか
三宝禅は違うな
人間禅だろな
😫
「居士」という呼称にこだわるのは、人間禅の特徴
クリシュナムルティもアリらしい
😃
唯識での説明も好きだが
メインではないな?
😃
他の新興宗教禅仏教も掛け持ちしている可能性はありうる
😃
人間禅組織の奴隷作務している可能性もありうる
😫
器の
可能性が
大だな?
😫
人間禅に誇りを持ってるようだ
金は無理取られないが
時間と体力をむしり取られる
😫
伝統宗教を下に見ている
😫
トーク板で勧誘狙いしておるかもしれん
😫
掟
ビギナーなお前達は
エラソーに
言うじゃないっー‼️
😫
人間禅はそういうノリのようだ
優劣がキマる
参禅自慢の正体のようだ
😫
😭
ビギナーのお前達が〜〜っ‼️〜〜
😫
という話が多い
ただのバカ信者だ😫
そこに気づいていない
😫
禅を舐めるなっ‼️
マウントされ摂心30年こそ
ホンモノだっ‼️〜
😫
ハッスルは
仏教、禅を憎んでいる仮説は
証明された
😫
も、それなんだろな
そして、過去の暴言も
参禅歴の年功序列のマウント暴言だったかもしれん😱
そう
新興宗教スレに居たから分かる
あれは、アンチのスタンス
建前としては否定しない」
という感じ
新興宗教団体にはアリガチなスタンス
ラピスなんかは、その典型
石原軍団より野蛮そう
ハッスルのメンタル見ると
😱
そして
トークモンスターハッスル🤡誕生
😱
内心では秀明会を恨んでおり、今いる連中に反感を持っている
それでいて、建前としては秀明会を否定せず、むしろ優等生みたいに振る舞っている
典型例な腐れ信者の、実質アンチ😅
😱
釈迦牟尼会や三宝禅に参禅している可能性もありうる
😱
かつて、「大学の仏教学科」だの「出向先の仏教研究機関」だので、周囲の人々に強烈な劣等感を持った
優等生みたいに振る舞っているな、内心の恨みと反感を隠しきれていない
ラピスパターンもありうるな?
😱
かもしれん😫
脱会して宗教難民になってる可能性あり
は
たぶん、ハッタリで
人間禅の参禅30年はホンモノかもしれん
にしては知識がカス過ぎる
😱
キリスト教好きな三宝禅に参加して
キリスト教のウンチクを語りだした可能性もある
😃
その可能性はかなりあるな~
レスしていたのは
三宝禅でキリスト教のウンチクを語りだした
という可能性もありうる
😃
釈迦牟尼会
だと
浮遊して掛け持ち参禅している
昔は人間禅30年だったが
脱会して
釈迦牟尼会やら三宝禅の掛け持ち
引用するコピペだけで
あのテキトーな禅知識解釈は
新興宗教禅を浮遊している可能性がある
宗教のチョイスがかなり気まぐれだ
😃
残存し続けている
ラピスの様に
😱
幽霊の視野について
唯識論解釈が可能かも?
幽霊の唯識?
😃
https://m.youtube.com/watch?v=imQ4lpvLb7g&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D
まだ参禅30年では
ハッスル🤡様的には
物足りなく
西欧哲学の補足を求めているようだ
参禅30年では満足できてなさそうである😃
面白いな?😆
ハッスルが、なんだか知的なヒトに見えてきたな?😆
西欧哲学すら理解できる
システムかもしれないな?
😫
西欧哲学や仏教哲学の理解には
😱
伝統仏教に対しては、アンチのスタンス
西田は
人間禅だろな
😃
イエズス会のマニュアルのほうが
学びになるのになー
😃
そんなことばかり言ってる集団なのかもなー
人間禅
は
😱
精神面はなおざり
みたいな?
😱
「人間形成」をうたってるんだけどな
そこに美学を感じてるというか
簡単には抜けられないらしい
人間形成😱
先輩居士が威張ってるようだ😫
参禅年間の序列重視の
傾向があるので
その悪癖が肥大化させたかもしれん
😱
参禅して公案問答することにこだわるのが特徴
😃
確かに
南直哉も、「永平寺で20年」というのが金看板
決死のハッスルしたんだろなー
だが狂った人のままだ
😱
永平寺で20年の修行歴は無視できない
体験記を見ると
鈴を鳴らされまくるようだ
南的には
何一つ永平寺で満たされなかったと
言っているな
仕方なく永平寺を出ていったらしい
良い師匠に出会わなかったようだ
😱
道元禅の非思量や生真面目な清涼な仏道スタンスが
わかりにくなるので
再発見して
オモシロかった
😃
臨済宗のスタイルなので
😃
非思量とか清涼な仏道修行とかの
スタンスもぶっ壊ししてまうので
余計に臨済宗以外の正統派瞑想仏教が
わからなくなる
😃
井上希道は中途半端なサティ
動中の工夫のアウトプット能力ゼロ
お可哀想なムイムイ
😱
議論せずに
一言必殺が
コミュニケーションだ
😃
俺流養素がある、師匠の坐禅養素は当然入っている
仕事の動中の工夫ベースに組み立てる
最初のスタート一撃粉砕的スタートでやり、あとは仕事の集中力にポジティブマッチさせる感覚で坐禅を短時間で
完了させる
😃
単なる俺の坐禅スタイルの世界に飛び込んでくるからサービスしてやってる
動中の工夫の言葉のスレ以外では撃滅戦術を取ってない
😃
仏語であり、次の3つの意味がある[1]。
密教の三密加持の修行で曼荼羅の仏と一体になった状態[1]。
後期密教のタントリズムにおいて、般若の智慧(prajñā)を生身の女性と同置し、その女性と性的にヨーガ(英語版)(瑜伽、合一)することで成就・悟りを図るもの、またはその相手の女性[1][2]。
チベット仏教カギュ派の最奥義における、観想・教説・瞑想を越えて体得される自己の心性と森羅万象との契合という悟りの境地[1]。
→「タントラ §仏教」も参照
なお、チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパは、生身の女性との性ヨーガを否定し、性的な修行は修行者の霊的な力で女性パートナーを顕現させ行うよう求め、現在のチベット仏教では性ヨーガはほとんど行われないという[4][5]。
→詳細は「en:Mahamudra」を参照
臨済宗以外の禅定能力がレベルアップモーニングだ
臨済宗以外は
臨済宗よりも熱心濃度が
如何に低いかを
自覚させれられる
😅
😃
ぶっ壊しパワーてやらないと
仕事やる気がない
臨済宗以外の仏教は
ぶっ壊し路線ではないからなー
😃
臨済宗以外の正統派瞑想仏教のバージョンアップが激しい
休日仕事日無関係に
😃
解る
😃
どうでてくるのか?
😃
「大いなる完成」: 自己の内なる本来の自然な状態が、すでに完成しているという見方。
特徴的な修行法: 思考の跡を追わず、空(空間)や闇を見つめる瞑想、日常生活の維持をしながら実践するアプローチ。
起源と伝承: インド北西(ウッディヤーナ)のガラプ・ドルジェが伝えたとされるが、ボン教(シャングシュン王国)の古来の教えとしても伝わる。
リクパの発見: 雑念が消え去った、裸の心の状態(リクパ)を直接的に確かめる。
ゾクチェンは、瞑想的なテクニックを超えた「見方」の提示であり、根本的な意識の変容を追求するものです。
考えない肉体労働は最高だ
今のアタマ使わんといかん仕事は無理
😃
さらにキレっキレっなっているかもー
世俗捨て過ぎて仕事に悪影響が出る
😃
外部への禅定圧が強くなったかもしれん
😃
農作業しながら、やってたな
😃
😃
2度くらい脳がオーバーヒートしかけて
ヤバかった
2004年頃
2005年頃は我流だが使いこなしていた
😃
ニンマ派瞑想はやらなくなった
高野山でニンマ派関連の本を何冊か買ったくらい2013年くらいかな、
😃
臨済宗修行を本気でやりだしたからだ
高野山は娯楽でいきまくっていた😃
高野山の歴史に夢中だった2008年あたりから
😃
ラジオを聞きながら山伏寺院探索していた😃
が流れていたから
ラジオ曲のリクエストが
多かったゆだろなー
早くても2007年以降だ
山伏寺院探索は
😃
2006年11月22日奇跡を望むなら
が流れていたので
2007年くらいだな
大峰山修験道寺院を吉野も含めて回りまくっていた
神仏習合は
あんまり良くわかっていなかった
その頃は
😃
😃
チベット仏教の最高峰の教え「ゾクチェン(大円満)」において、修行者が死の間際に肉体を純粋な光へと変容させ、空へ消えていく究極の覚りの状態です。これは単なる伝説ではなく、19世紀から現代に至るまでチベットの行者たちが体現したとされる神秘的な伝承です。
肉体の光化:修行の結実として肉体が消滅し、爪と髪の毛だけが残る、あるいは完全に光に溶けて消失する。
「ゾクチェン」の教え:物質と意識は本質的に純粋な「光(エネルギー)」であるという「光の存在論」に基づく。
物理学的解釈:物質が最終的にエネルギー(光)へ還元されるという現代の物理学(量子論や超弦理論)とも関連づけて論じられている。
修行の目的:隠れた修行者(ヨーギ)が厳しい修行の末に獲得する、解脱のサインとされている。
この現象は、物質的な限界を超えた意識の変容の物語として、チベット密教の最も深遠な神秘の一つと見なされています。
チベット密教は総じて
😃
脱世俗圧濃い
NO1
😃
沼る
😃
領域展開しまくりだ
😃
チベット密教書籍を読む意味があんまりない
😃
禅定がオーバードライブかかるので
簡単に意味がわかるので
満足したのもある
既存キリスト教のプロテスタント神学のほうが
遥かに謎だ
😃
セイウン様は元気がなくなった😫
あの思考回路は
伝統的な宗門外だな
引用コピペしてもな
😃
ジサクジエン疑惑は続いていたのか😵
一致し過ぎ
😱
ハッスルと突然こ他者へ攻撃レスが一致する
俺は、他人への誘導効果がない限り、カオリンは触らぬ神だ
😱
いきたい気分になるな?
😃
やっぱり、春日大社だな~😆
■ 質問
チベット仏教では、論争の修行があるそうですが、何であるのか教えて下さい。
■ AIアンサー
チベット仏教で行われる論争の修行は、一般に問答(もんどう)またはパルチェー(Chora)と呼ばれます。これは単なる議論ではなく、仏教の教義を深く理解し、心の迷いを打ち破るための知的かつ動的な修行法です。
特にゲルク派の僧院などで重んじられており、以下のような特徴があります。
● 1. 目的:知恵を磨き、矛盾を正す
教義の定着: 経典をただ暗記するだけでなく、論理的に矛盾がないかを検証することで、教えを自分の血肉にします。
無知の克服: 自分が正しいと思い込んでいる誤った見解を、他者からの鋭い追求によって暴き、取り除いていきます。
● 2. 独特なスタイル
一対一の攻防: 通常、座っている「回答者」に対して、立っている「質問者」が論理の矛盾を突く質問を投げかけます。
激しいアクション: 質問者は、言葉と同時に大きく「パン!」と手を叩く動作を行います。これには「無知を打ち砕く」「煩悩を追い払う」といった宗教的な意味が込められています。
厳格な論理: インド仏教の論理学(因明)に基づいて行われ、回答が矛盾すれば即座に次の追及が始まります。
● 3. 修行としての位置づけ
必修科目: 高等な仏教学位である「ゲシェ(仏教博士)」を取得するためには、この問答で卓越した能力を示すことが不可欠です。
公共の場での実施: 夕方になると僧院の中庭に多くの僧侶が集まり、熱気溢れる問答が繰り広げられる光景は、チベットの寺院における日常的な風景となっています。
■ この修行は、
静かに座る瞑想とは対極にあるように見えますが、論理によって心を整理し、真理に近づくという点では、チベット仏教における重要な「分析的瞑想」の一部とみなされています。
https://i.imgur.com/Gk8Z2rU.jpeg
知識勝負
ニンマ派は道元密教みたいな感じ
😃
かも、知らんけど
😃
ゲルク派は教学重視の印象
218 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE [sage] 2026/03/16(月) 07:54:31.74 ID:HySF8
調身・調息・調心。
坐禅は先ず調身調息。
心は最後に来ている。
坐禅以前に心とか馬鹿にも程があるカルト。
ホンモノではなく、
人間禅の我流解釈を入れ込んだ
いい加減なところやろ
😃
仏教の一種である本覚思想なんだが
完全に、老荘の無為自然思想
純粋な老荘思想に見える
たぶん私とは修行のやり方がまるで違うので比較はできないと思います
もっというと
私がやってる修行はそういう比較はできない・しないものです
何にも悟りを追いかけたり何かをつかもうとしない
何かになろうとしない
信ずることも疑うこともしない
今やってることがあればその通りにしてるだけです
考えないってこともしない 完全に手放しです
子どもの頃、手放しで自電車によく乗ってました笑
同じ曹洞宗でも老師の教えを理解してない人なんていくらでもいますからね
ましてやまともに直接話したこともない人には到底理解できないだろうね~
私は率直に日本にこんな教えがあるのかと驚きましたが
別に仏教とか禅とか知る前からほとんどこうしてるんですよね
エンジン音がしてでその振動を感じてる
けぜわしくクルマが行ったり来たりしてる
これについてどうこう考えを巡らすんじゃないけどね
私は普段からこうしてるだけで
みんな同じだとは思うんだけど、
他人になったことはないので究極的には知らん笑
ここもただ掲示板で文字で会話してるだけじゃん
それ以上もそれ以下もないしら正しいも間違いもないし
どうしようもないくらいこうなってるだけ
認めるとか認められないとか頭の中でやってるだけですからね
思ったら思っただけだし、
キーーーーンて飛行機がまた通り過ぎる
それだけだ
でもナビを見ることやめて実際の町の様子をよく見たら知ってるんだな
ナビなんか要らなかったんだ
何十年も自分の住んでた町で迷ってた感じ
まー松葉杖ついて歩いてる人に
その杖要らないよって言ってるようなもんだもんな
信用ないよなそりゃ笑
ちょっと違うな
松葉杖つけとよく言われるけど私は要りませんって言ってるようなもんか?
違うか笑
>六波羅密の一つ禅定波羅蜜
名前くらいは聞いたことあります笑
なんだか聞いてると大変そうですが頑張ってください
私の修行は楽ちんなんでこの方が自分には合ってますね
純粋な老荘思想だな
何が老荘思想なのか?
というくらいだ
> でもナビを見ることやめて実際の町の様子をよく見たら知ってるんだな
> ナビなんか要らなかったんだ
> 何十年も自分の住んでた町で迷ってた感じ
いや、でも
これを見ると、やはり
仏教の本覚思想だな
ロン殿にもカルチャーショックを受けた
かつては、さんざん疑問をぶつけたものだ
どうしても、「仏教」には見えない(笑)
「これも仏教だ」
と思うようになった
さすがに「ど~なのよ?」と思う(笑)
異質なものを取り込みすぎて、さすがに「仏教」じゃなくなっている
ロン、元スレ主の流派
臨済宗的直観要素がある
😃
「三法印」と「四諦」を認めること
これが、妥協できる最低ラインだ
曹洞宗
その
文脈は
208 神も仏も名無しさん [sage] 2026/03/15(日) 22:11:02.52 ID:NPOR6
>六波羅密の一つ禅定波羅蜜
名前くらいは聞いたことあります笑
なんだか聞いてると大変そうですが頑張ってください
私の修行は楽ちんなんでこの方が自分には合ってますね
まあ、そういうことなんでしょうな(笑)
自分の幅を広げてくれる(笑)
素朴実在論から脱却して五蘊を解体し
仏教的な世界観を身に付けなければ
仏教をやる意味が無い
そういう人が一心不乱に念仏を唱えるというような生き方は、素晴らしいと思う
素朴実在論を支持してるのは、どうもな~
長年の哲学マニアなので、よく知っている
「理屈は要らねえ。素朴実在論こそ素晴らしいんだ」
という方向に行く人もいる
木を切って組み合わせた物体に
他ならぬ自分が、「机 : 台の上で読んだり書いたり、引き出しに収納したりするもの」という概念をかぶせている
実物と概念が、重なり合って存在している
哲学をやってると、だんだん解ってくる
木でできた机は少なくなった
スチール机が主流だ
それが、どこまで言語によるものなのか?
「ここはトイレ」、「ここは寝床」
というくらいの意味づけは、余裕で行ってるもんなあ
食べ物を選り好みしている
餓死しかねないときは何でも食べるが
余裕ができると、たちまち選り好みを始める
これは世間に知られていない
よほど腹が減ってれば、白身まで食べる
それほどでもなければ、黄身だけ食べて、白身は捨てる
木を切って組み合わせた物体だ
それだけでは、意味がない
他ならぬ自分が、「テーブル : 台の上で飲んだり食べたりするもの」と言語でラベリングしてるおかげで、なんだか意味のある「存在」になっている
でも、猫だって
「ここは平たくて、寝そべるのにちょうどよい」
という程度の意味付けを行っている可能性がある
というのは、言いすぎだ
それは、疑う余地がない
人間が住む世界と同じではない
人間の世界にも限界はあるが
猫の世界のほうが狭い
by ウィトゲンシュタイン
それは、自分の意識の中で形成した世界像にすぎない
その世界像は、言語によって歪んでいる
どれほど歪んでいるかは自覚できない
あるがままの世界が、どういうものなのか
それは知るよしもない
これが、西洋哲学の基本的な考え方
「私は、あるがままの世界を見ている」
「だから、このままでいい」
というのは、誤解もしくは錯覚ということになる
> これが、西洋哲学の基本的な考え方
もちろん、これは
最終的な結論などではない
ゴールではなく、スタートラインだ
「さあ、これから、これを叩き台にして議論しようじゃありませんか」
というような、話の前提となる常識にすぎない
だんだん、中観派や唯識派に似てきた
Chat GPT:面白いテーマですね。
龍樹 と ジャック・デリダ は時代も文化も全く違いますが、**「二項対立の解体」**という点でよく比較されます。
西洋哲学はしばしば世界を 対立するペア で理解します。
例
存在 / 無
主体 / 客体
真 / 偽
本質 / 現象
言語 / 意味
このような 二つの概念を対立させて理解する思考 を
二項対立(binary opposition) と呼びます。
龍樹(ナーガールジュナ)は
仏教の 中観派 の哲学者で、
中心思想は 空(śūnyatā) です。
彼は有名な 四句分別(catuṣkoṭi) を使います。
ある命題に対して
Aである
Aではない
AでもありAではない
AでもなくAでなくもない
すべて否定します。
例
「存在するか?」
存在する → ×
存在しない → ×
両方 → ×
どちらでもない → ×
なぜか?
👉 そもそも 存在/非存在という二項対立自体が誤りだからです。
すべては縁起であり固定的本質はない=空
つまり
二項対立で世界を捉える思考そのものが幻想
デリダ:二項対立を「脱構築」する
デリダは西洋哲学を分析して、
西洋思想には常に ヒエラルキー付きの二項対立 があると言いました。
例
上位
下位
音声
文字
理性
感情
本質
表象
男性
女性
そして上位側が「真理」とされます。
デリダはこれを 脱構築(deconstruction) します。
二項対立は実は依存関係
下位とされたものが上位を支えている
例
西洋哲学
「音声 > 文字」
デリダ
→ 文字がなければ音声も意味を持たない
つまり
二項対立は安定した構造ではない
龍樹
デリダ
目的:悟り(解脱)
目的:哲学批判
仏教形而上学
言語哲学
空に至る
意味は無限にずれる
つまり
龍樹 → 形而上学的革命
デリダ → 言語哲学的革命
20世紀後半、哲学者の間でよく言われたのは
「デリダは西洋の龍樹ではないか」
です。
ただしデリダ自身は
仏教の影響を直接認めていません。
もし興味があれば、この先にあるもっと深いテーマもあります。
龍樹 vs ウィトゲンシュタイン(かなり似ている)
デリダと禅
空と差延(différance)の哲学的違い
龍樹の「八不中道」
ここから先は哲学史でもかなり面白い領域です。
希望があれば説明します。
当たり前っちゃあ、当たり前だ
似たような考えに至っても不思議はない
カントやウィトゲンシュタインをスルーして
「自分の日常感覚を信じて生きていこう」というのは
当方には、まったくバカげた考え方に思える
生きてく上で、とくに支障はない
「白石麻衣や井上和を知らない?
何が楽しくて生きてんの?」
と思うのと、同じようなものかもしれないではないか
井上なぎは知らなくても責められないか
一度の人生で、必死で瞑想したくらいじゃ
この巨大な、地球人類の集合知に到達できるはずがない
あまりに迂遠なやり方だ
それじゃ、何百転生もする必要があるぞ(笑)
結局、スレタイと何の関係もない話ばかりしている
本人が何も知らないのでは、話を進められない
「倶舎論・中論・唯識論」から
「天台密教・真言密教」に話を進めた
時計の針を進めた状況だ(笑)
すでに圧倒している(笑)
これが、天台教学のキーワード
これが、真言密教のキーワード
■ 質問
チベット仏教では、論争の修行があるそうですが、何であるのか教えて下さい。
■ AIアンサー
チベット仏教で行われる論争の修行は、一般に問答(もんどう)またはパルチェー(Chora)と呼ばれます。これは単なる議論ではなく、仏教の教義を深く理解し、心の迷いを打ち破るための知的かつ動的な修行法です。
特にゲルク派の僧院などで重んじられており、以下のような特徴があります。
● 1. 目的:知恵を磨き、矛盾を正す
教義の定着: 経典をただ暗記するだけでなく、論理的に矛盾がないかを検証することで、教えを自分の血肉にします。
無知の克服: 自分が正しいと思い込んでいる誤った見解を、他者からの鋭い追求によって暴き、取り除いていきます。
● 2. 独特なスタイル
一対一の攻防: 通常、座っている「回答者」に対して、立っている「質問者」が論理の矛盾を突く質問を投げかけます。
激しいアクション: 質問者は、言葉と同時に大きく「パン!」と手を叩く動作を行います。これには「無知を打ち砕く」「煩悩を追い払う」といった宗教的な意味が込められています。
厳格な論理: インド仏教の論理学(因明)に基づいて行われ、回答が矛盾すれば即座に次の追及が始まります。
● 3. 修行としての位置づけ
必修科目: 高等な仏教学位である「ゲシェ(仏教博士)」を取得するためには、この問答で卓越した能力を示すことが不可欠です。
公共の場での実施: 夕方になると僧院の中庭に多くの僧侶が集まり、熱気溢れる問答が繰り広げられる光景は、チベットの寺院における日常的な風景となっています。
■ この修行は、
静かに座る瞑想とは対極にあるように見えますが、論理によって心を整理し、真理に近づくという点では、チベット仏教における重要な「分析的瞑想」の一部とみなされています。
https://i.imgur.com/Gk8Z2rU.jpeg
■ チベット仏教徒が説法を学ぶため、経を論ずるという独特な方法を取っている。
また仏教徒がチベット仏教の学位を取得する重要な要素であり、千年以上の歴史を有している。新華網が伝えた。
青海省玉樹チベット族自治州の拉布寺で、深紅の袈裟をきた僧侶100人近くが寺院の中の建物に少人数のグループに分かれて車座を作り、
それぞれグループでは1人が立ち上がって巧みに問答の問いを出している。
重要な局面に差し掛かると右手で「パン」と音を鳴らしながら左手を打ったあと宙を切り、
違う要に差し掛かるとそれを繰り返す。
また、その傍らには他の者が坐り、問いに対しすらすらと答えている。
問答修行が白熱すると、立っている人は頻繁に手を打ち鳴らし、足を振りかぶりながら、
●【激しく問答をぶつけ合う。】
新華網が伝えた。(編集JK)
「人民網日本語版」2016年4月22日
https://www.google.com/url?sa=i&source=web&rct=j&url=https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4113198/p039.pdf&ved=2ahUKEwiJjMDA7KGTAxUOr1YBHVa9C8sQmL8OegQIDhAC&opi=89978449&cd&psig=AOvVaw1WiiEfZ4Bj4Zfxvy3lwVJW&ust=1773662141638000
チベット仏教は、インド大乗仏教+密教+チベット文化が融合して成立した仏教で、体系性と実践性が非常に強いのが特徴です。
インド仏教が滅んだ後も、その哲学と修行体系をほぼ完全な形で保存した伝統として知られています。
チベット仏教は、大きく言うと 三層構造になっています。
出家僧団を中心とする仏教。
戒律
仏教倫理
僧院制度
これはインドの部派仏教の伝統を引き継いでいます。
哲学の中心はインドの二大思想です。
中観派
創始者
ナーガールジュナ
思想
空(śūnyatā)
縁起
自性否定
唯識派
創始者
無著
世親
思想
心のみ(唯識)
阿頼耶識
チベット仏教では、これらの哲学を論理学と討論で徹底的に学びます。
最も特徴的なのが密教です。
マントラ
印契
マンダラ
観想修行
灌頂(イニシエーション)
インド後期密教の体系を継承しています。
代表的な密教の師
パドマサンバヴァ
アティーシャ
チベット仏教では、修行は段階的に進みます。
① 小乗的修行
(戒・出家・倫理)
② 大乗修行
(菩提心・空の理解)
③ 密教修行
(仏と一体化する修行)
つまり
戒 → 空 → 密教
という順序です。
この段階をまとめた有名な教えが
菩提道次第
ツォンカパ
が体系化しました。
チベット仏教には大きく4つの宗派があります。
ニンマ派(古派)
創始
パドマサンバヴァ
特徴
最古の宗派
ゾクチェン思想
密教色が強い
代表者
ミラレパ
特徴
瞑想重視
大手印(マハームドラー)
学問的宗派。
インド論理学を重視。
創始
ツォンカパ
特徴
戒律重視
中観哲学
大規模僧院
この宗派のトップが
ダライ・ラマ14世
です。
① 論理学が非常に強い
僧院では毎日
哲学ディベート
が行われます。
インドの論理学者
ディグナーガ
ダルマキールティ
の論理学が学ばれます。
密教修行では
本尊観想
マンダラ
マントラ
を使い
仏と自分を同一視する修行
を行います。
チベット独自の制度
転生ラマ
があります。
代表例
ダライ・ラマ14世
パンチェン・ラマ
チベット仏教の核心は
空 × 菩提心 × 密教
です。
つまり
空(哲学)
+
菩提心(倫理)
+
密教(実践)
この三つを統合した仏教です。
20年~30年
チベット僧は
哲学博士レベルの訓練
を受けます。
チベット仏教とは
インド仏教の最終形
と言われます。
構造は
戒律
+
大乗哲学(中観・唯識)
+
密教
です。
そして最終目標は
仏になること(成仏)
です。
チベット仏教と龍樹哲学(中観)
チベット密教と日本真言宗の違い
ゾクチェンと禅の違い
このあたりを解説できます。
実はここ、かなり深い話になります。
ニンマ派は日本の山伏みたいに
在家修行者ゴロゴロといる
出家に見えなくても聖者クラスがいる
隠遁キャラで世俗の暮らしていて
わからない人も
😃
【ゾクチェン】チベット仏教【マハームドラー】
などと書いてしまったが
マハームドラーはカギュ派なのか
へえ、そうなのか~😄
学問なくても良い肌
最近でこそ、飽きてきて学問寄りになっているが
関心薄いジャンルは関心が薄い
ゲルク派は変なエネルギーが流入し過ぎるので読めない、
長期休暇で読むものだ、あれは
😃
センスと直観勝負
ハッスル🤡は論外
😃
あれは
直観とかアタマの回転よりも
執着、粘着だろ
😃
ハッスル🤡
よしもお新喜劇の
定番ギャグみたいなのを
ここぞと読めるタイミングでやってくれる
ハッスル🤡様
😃
😃
大阪名物バチバチパンチみたいな
😃
そんな定番ギャグをみて
喜び
ハッスル🤡様は
すっかり人気者だ
😃
ニンマ派はボン教と習合した
感覚は大好き感がある
あり過ぎて
ノータッチ
😃
「世界そのものを説明する哲学」から、
「人間が世界をどう語り、どう生きるかを問い直す哲学」へと転換した
と言えます。
大きく整理すると、20世紀哲学は人類に 3つの重要なもの をもたらしました。
(世界は「言語」を通してしか現れない)
20世紀哲学の最大の発見は
人間は世界を直接見ているのではなく、
言語を通して世界を見ている
ということでした。
これを明確にしたのが
Ludwig Wittgenstein
Bertrand Russell
などの分析哲学です。
例えば
「現在のフランス王はハゲである」
この文は
文法は正しい
しかし実在する王はいない
ここからラッセルは
言語の構造を分析しないと
哲学の問題は解けない
と考えました。
つまり20世紀哲学は
哲学 → 言語分析へ
と転換しました。
(真理は一つではない)
20世紀は
世界大戦
核兵器
全体主義
を経験しました。
その結果、多くの哲学者が
「絶対的真理」を疑うようになりました。
代表的なのが
Jacques Derrida
Richard Rorty
です。
彼らは言います。
意味は固定されない
真理は歴史や社会の中で作られる
つまり
20世紀哲学は
「真理の神話」を壊しました。
(哲学は人生の問題へ)
20世紀は同時に
実存哲学
が生まれた時代でもあります。
代表は
Martin Heidegger
Jean-Paul Sartre
彼らは言いました。
人間とは
世界を説明する存在ではなく
世界の中で悩みながら生きる存在
哲学は
生き方の問題
になりました。
20世紀哲学が人類にもたらしたものは
三つの革命です
① 言語革命
→ 世界は言語を通して理解される
② 真理革命
→ 絶対的真理は疑われる
③ 実存革命
→ 哲学は生き方の問題になる
これらはすべて
2000年前にすでに語られていた思想
に似ています。
それが
ナーガールジュナ
です。
彼は言いました。
言葉は実体を持たない
真理は固定されない
世界は関係でできている
つまり
20世紀哲学は
龍樹に近づいた
とも言えるのです。
完全に龍樹マニアと思われている
何でもかんでも、白石麻衣に結びつけられるんだろうな
全部、白石麻衣に持っていかれる
> 20世紀哲学の最大の発見は
> 人間は世界を直接見ているのではなく、
> 言語を通して世界を見ている
> ということでした。
「空であり、仮名であり、中道なのである」
ってやつだな
20世紀の哲学は、やけに龍樹に似ているな?
発展形なんだが
「20世紀の言語哲学と、龍樹の仮名理論を比較して楽しんでる人」
というレッテルを貼られた
同じ話ばっかりしない方が良い
言語を通して世界を見ているのである」
要するに、これだ
この、ソシュールに始まる20世紀の現代哲学の根本思想
これが、龍樹のいう「仮名(けみょう)」と、あまりにも似ている
昼間っから、またこの話になってきた(笑)
「そうだ、そうだ、その通りだ」と、やたら賛同してくる
信念を固定し、強化する方向に作用するであろう
適当なところで、話題を変えるべきだ(笑)
だいたいやり尽くした
当方はスキゾ型なので
1つの持論をずっと主張し続けるのを好まない
パラノっぽくて、くどい😫
「なんでも龍樹に結びつけるのは、もうヤメてくれ」
と言えばいいだけの話だが(笑)
この先、今年から来年にかけて、驚異的な進化を遂げると言われている
いまのレベルを遥かに超えたものが出てくるだろう
「龍樹は一種の言語哲学だ」
と思うようになったのは、聖ウンコ派の影響が大きい(笑)
聖ウンコ派がその話ばっかりするせいで、釣られて関心が向かった
知らず知らずのうちに影響を受けることになる
いつも文句を言ってたが
本覚思想にかなり傾斜している(笑)
20世紀の現代哲学がだいぶ混ざってると思う
龍樹の中論は確かに、一種の言語哲学と見ることが可能だが
彼らが言うほどではない(笑)
その結果、龍樹の中論が言語哲学に見えてきた
そういう仏教学者たちから、聖ウンコ師が影響を受け
宗教板で弘めている(笑)
龍樹は「言語の限界」を説いた論師
ということになっている
本当の真理ではない
真理は、坐禅の回数をこなさなきゃ解らんのだと
(続く)
↓
「人間は世界を直接見ているのではなく、
言語を通して世界を見ているのである」
「言語の限界」と「言語フィルター」
この2つが、龍樹の言語哲学(だとされている)
哲学的な世界観にナジミがないため、
「言語フィルター」の方には関心を持っていない
この大連投を見れば、ヒマそうに見えると思うが
じつは、こんなことやってる場合ではない(笑)
言語哲学の話なんか始めたら、熱くなる
止まらない(笑)
まだ終わらんよ
臨済宗以外の仏教を
全否定してたからなー
2004以前
😃
そうなのか~😆
それを超越できるの
臨済宗だけだ
😃
メインの人生観は臨済宗で変わってない
😃
宗派ごとの如意宝珠は食べまくる
😃
近鉄電車が難波から天理への特急がてきたそうだ
😃
臨済宗は今や
昔はチベット密教の虹の身体で疲労回復かわ大好きだったが2006年あたりまで
😃
天理が脚光を浴びそうだな~😆
🤢
カナダ・ドイツ・フランス・英国など米国の核心的な北大西洋条約機構(NATO)同盟国が、米国のドナルド・トランプ大統領が率いる米国より中国を頼りにしているという世論調査結果が出た。中国に対する信頼が急激に高まったというより、トランプ政権発足後、米国がより不安定で予測しにくいパートナーとして映っていることを示す結果だという解釈が出ている。
米政治専門メディアのポリティコは、英国の世論調査機関パブリックファーストと共に2026年2月6~9日に米国・カナダ・英国・フランス・ドイツの5か国の成人1万289人を対象に実施した世論調査結果を15日に公開した。各国の回答者は最低2,000人以上で、国別の標本誤差は±2%ポイントだ。
仲良くしなければな、高市くん
新幹線奈良に引く予算には
中国との平和大事ですぞ
🤣
本質:心の自然な状態「リクパ(覚醒した心)」を直接認識する努力不要の道。
方法:思考や煩悩を抑え込まず、ただ認識して自然に解放する「自己解脱」。
体系:メンガクデ(教誡部)が最古層で、代表的な体系に「ロンチェン・ニンティク」などがある。
目標:悟り(仏の心)と、肉体が光に変わって消滅する「虹の身体(レインボーボディ)」の達成。
『シャンシュン・ニェンギュ』(ボン教)や『十七タントラ』などが知られている。
この教えは非常に奥深いため、本来は資格ある指導者(ラマ)からの伝授(灌頂)と、綿密な準備修行が必要とされる。
師匠縁がないと
危険
😫
東京ならニンマ派のやってるの一人くらいはいるたろう
😀
2004に2度
😀
物質的な肉体が純粋な光へと変容する超常的な現象とされ、修行の成果を示す強力な証とみなされます。
定義と現象:肉体が消失、あるいは極端に縮小し、光に転換される現象。修行者がエゴを完全に克服し、自らの意識を普遍的な心と一体化させた結果として生じるとされています。
背景:チベット仏教のゾクチェン(大円満)思想において、現世は本質的に「光の存在」であるという教えに基づいています。
類義語・関連用語:「光の身体」「虹身(こうしん)」など。
現代的解釈:物理学における量子論や超弦理論(スーパーストリングス)との比較で、物質から光(エネルギー)への転換という観点から論じられることもあります。
この「虹の身体」について、さらに詳細な修行法や具体的にどのような僧侶がこの身体を得たかについてお調べしますか?
身体の粒子化と快楽が出てきて
世捨て人になってしまう
快楽のあまりに
😀
虹の身体 (Rainbow Body):物理的な「肉体」が光(五色の光、エネルギー)へと完全に変換される状態。これは最終的な解放(解脱)を意味する。
アストラル体 (Astral Body):肉体と精神の中間に位置するエネルギー体。肉体から離れて移動できる「幽体」とも呼ばれ、物理的肉体が死んだ後も存続する。
本質的違い:虹の身体は肉体の究極の変容ですが、アストラル体は一般的に死後に残るエネルギー的体であり、両者は異なる概念です。
光の存在論:物質世界は元々「光」から派生しているという考えが背景にある。
修行の成果:ゾクチェンの教えに基づき、真理(空)を悟ることで、物質の壁を越えて肉体を光へと転換する。
感情・欲求:アストラル体は感情の質によって色や形が異なるとされる。
幽体離脱:肉体から離れて活動できる身体。
やはり、虹の身体とアストラル体は
関係なさそうだ😂
虹の身体(レインボーボディ)とは、チベット密教(特にゾクチェン)における究極の覚りの境地であり、死に際して肉体が光に分解され、純粋なエネルギー体へと昇華される現象です。
これは物理的身体が「光の存在」へと変容するもので、単なる死や幻影ではなく、意識が根本的なエネルギー(コーザル体=原因的身体)と合一した状態と言えます。
定義:肉体が消滅し、虹のような光だけが残る、あるいは肉体が縮小・消失する現象。
修行の成果:ゾクチェンの「光の教え」に基づく長年の修行(主にチベットの行者)によって達成される究極の変容。
意味合い:物質的な肉体を純粋な意識とエネルギー(コーザルボディ=元因的身体)に変換する「光の錬金術」。
物理学との対話:現代の物理学(量子論や超弦理論)と関連付けて語られることもある、意識とエネルギーの究極の形。
虹の身体は、チベットの行者たちにおける肉体と心(意識)の最終的な統合を示唆しています。
A.I.にアッサリ退けられたが
だいぶ、ニュアンスが変わったな?😆
コーザル体って何だっけ?
内容を覚えてない😅
「虹の身体(レインボー・ボディ)」は、チベット密教のゾクチェンにおいて、修行者が死の際に肉体を純粋な光へと変え、消滅させる最高峰の覚りの境地です。
エーテル体(エネルギー体)が極限まで精妙になり、物質的な肉体から脱却して光の存在(エネルギー)に転換する、究極の「光の存在論」に基づく現象とされています。
本質:肉体が最終的に光(虹の光)に分解され、爪と髪だけが残るか、完全に消滅する現象。
修行の源泉:主にチベット密教のゾクチェン(大円満)の教えで追求される、物質を光のエネルギーへと還元する行法。
目的:輪廻の苦しみから完全に解放され、仏(真理そのもの)と一体となること。
理論:物質(肉体)は究極的に光のエネルギーであることを理解し、エーテル体(エネルギーレベル)を操作して肉体を光へと転換する。
「虹の身体」は、西洋神智学などで語られる「エーテル体(肉体とアストラル体をつなぐエネルギー体)」が完全に覚醒・昇華された究極の形とも解釈できます。物質的な制限がなくなった、純粋なエネルギー的・光の身体です。
補足的な意味
この現象はチベットの聖者や高僧の伝記で見られ、量子論や超弦理論など、物質をエネルギーとして捉える現代物理学との関連も議論されています。
ドンピシャだ😆
A.I.によると、チベット密教でいう「虹の身体」というのは
アストラル体でもコーザル体でもなく
「エーテル体」のことでした😆
「エーテル体」が何だったかは
忘れてしまったが😅
肉体に近い順に、エネルギー・生命力の「エーテル体」、感情・欲望の「アストラル体」、魂の記憶・因果(カルマ)を司る「コーザル体」となります。
エーテル体(Etheric Body): 第1層。生命エネルギーの体であり、肉体の健康を維持する。植物や動物も持ち、無機物と有機物を分ける。
アストラル体(Astral Body): 第2層。感情体、欲望体とも呼ばれ、情緒、感覚、情動を司る。意識活動の中心。
コーザル体(Causal Body): 第4層以上(メンタル体のさらに高次)。因果体とも呼ばれ、高次の意識や過去生からのカルマの記憶が蓄積される、魂の成長の場。
この構造は、シュタイナー思想や神智学において、肉体が魂の目的を達成するために必要な「乗り物」の役割を果たすとされています。
「メンタル体」ってのがあるんだな?
よく解ってなかったようだ
エーテル体(生命力)から順に、アストラル体(感情)、メンタル体(思考)、コーザル体(真我・因果)という順で、物理的肉体に重なっています。
エーテル体(Etheric Body / 第1層)
特徴:物理的肉体の「型」となるエネルギー層。生命力、身体の活力、健康状態を司る。
役割:物理的な栄養やエネルギーを肉体に分配する。
アストラル体(Astral Body / 第2層)
特徴:感情、欲求、感覚、情緒を司る「情緒体・感情体」。
役割:夢や睡眠中に活動する「幽体」とも呼ばれる。
メンタル体(Mental Body / 第3層)
特徴:思考、知性、信念、価値観、論理的な認識を担うエネルギー。
役割:自己意識やパーソナリティーの土台となる。
コーザル体(Causal Body / 第4層・高位)
特徴:輪廻転生における魂の記憶、因果(カルマ)を蓄積する場。
役割:真我(真実の自分)や霊的魂(ブッディ)と結合し、真の魂の器とされる。
これらは独立しているわけではなく、相互に影響を与え合い、全体として人間という存在を構成しているとされます。
肉体が変化して、光の粒子になるんだな
> コーザル体(Causal Body / 第4層・高位)
> 特徴:輪廻転生における魂の記憶、因果(カルマ)を蓄積する場。
> 役割:真我(真実の自分)や霊的魂(ブッディ)と結合し、真の魂の器とされる。
ていうか、これって
唯識でいう「阿頼耶識」だな
> 虹の身体(Rainbow Body / ????????)の概要
> 本質:肉体が最終的に光(虹の光)に分解され、爪と髪だけが残るか、完全に消滅する現象。
> 修行の源泉:主にチベット密教のゾクチェン(大円満)の教えで追求される、物質を光のエネルギーへと還元する行法。
なるほど
虹の身体は、物質/肉体が、光に変わるのか
虹の身体(チベット語で「ジャルー」)とは、
修行者が死の際、身体が光へと解体し、最終的に消失する(あるいは極端に縮小する)
とされる現象です。
特徴としてよく語られるのは:
肉体が縮んでいく
髪や爪だけが残る
空に虹や光が現れる
これは単なる奇跡談ではなく、「物質としての身体は固定的実体ではない」という悟りの極限的表現とされます。
ゾクチェンの根本思想は、
心の本性はもともと清浄であり、光明である
というものです。
この「本性」はしばしば
空(実体がない)
光明(明晰に現れる)
という二面で語られます。
虹の身体は、この理解が完全に実現された結果として、
身体すらも「光の顕れ」にすぎないと見抜かれる
ことの帰結です。
ゾクチェンの修行は大きく2段階で語られます:
① トレクチョ(本来清浄の直視)
思考や概念を超えて、心の本性を直接認識する
「何も作らない」修行
② トゥゲル(光明の顕現)
光や虹のヴィジョンが現れる
身体と光の関係が直接体験される
この第二段階が、虹の身体と深く関係します。
ゾクチェンでは、実際に虹の身体を達成したとされる行者が伝えられています:
パドマサンバヴァ(チベット仏教の祖的存在)
ロンチェンパ(理論体系の完成者)
近代でも報告例あり(20世紀の行者など)
ただし、これらは歴史的事実というより、宗教的伝承として理解するのが一般的です。
ゾクチェンは深いな
装備、朝飯前だ
煩悩の減らしクォリティは保障てきないが
😀
② トゥゲル(光明の顕現)
光や虹のヴィジョンが現れる
身体と光の関係が直接体験される
むしろ、仕事に邪魔なので関与しない
休日に関心がわかない、最近は神仏習合に熱くふたたびなりだした?
😀
😀
それは
リアル解釈ではないだろう
リアルな雰囲気解釈が探求心をくすぐられる
😀
神仏習合の土着の神々とのシャーマン能力はあるらしい
😀
平日に光子体になってたら
仕事どころじゃないな~😂
ゾクチェンは、ニンマ派の教義だが
虹の身体になって、この世から消えること
思考や感情を排除せず、そのままあるがままに観察し、その本質が空(くう)であることを直接体験する、非概念的で即座な目覚めを重視します。
自己解脱(セルフ・リベレーション):雑念や思考が浮かんだ際、それを抑え込まず、追いかけず、その「むき出しの姿」に気づき続けることで、自動的に消滅させる技法。
リクパの認識:心の深いレベルにある、明晰で純粋なAwareness(気づき、意識=リクパ)を直接認識し、その状態を維持する。
仕上げ上昇だ
さらに冴えてきた
😀
意外に相性がよい
チベット高原をマラソンスピードで移動できるらしい
😀
出家と悟っている聖者であることを
表に出さずに隠遁的に凡人として生きているタイプがいる
この志向はニンマ派と臨済宗にありうるケース
😀
ハッスルみたいに坐禅回数自慢なんから
論外、臨済宗世界では
😀
遺体がものすごく縮んでいて
周囲の人が聖者だと
初めて気づいたらしい
😀
お笑い芸人だ
あんなことをして
バカにされるのは
😭
バーンアウトして縮んでいそうだな?
人間禅か釈迦牟尼会で
必死に坐禅しているかもしれん
😀
根本的な教え
: 衆生には本来「仏性(ブッダ・ネーチャー)」が備わっており、その心の本体を直接見つめることを重視します。
非二元的な認識: 「煩悩」と「悟り」、「我」と「他」を分ける二元的な見方を離れ、すべてが等価であるという境地を目指します。
実践のスタイル: 複雑な儀式よりも、心を静め、その静寂(止=シャマタ)と、本質的な空性(観=ヴィパッサナー)を同時に統合する瞑想を基本とします。
「大印」の意義: すべての現象は「心の印(ムドラー)」であり、心の本質を理解すれば、すべての現象が清浄な心の現れであると気づくことを意味します。
チベット仏教では、「大手印」とも呼ばれ、根本的な智慧(般若)を直観的に悟るための非常に高次な道とされています。
チベット仏教のことなど、何も知らなかった
マハームドラーは、カギュ派なんだな
チベット仏教(特にカギュ派)の核心にある教えで、サンスクリット語で「大いなる印」。
要点
心の本性(空・光明)を直接に見抜く
思考や概念を超えて、「そのままの心」に気づく
修行の完成段階ではなく、入口からすでに完成がある(頓悟的)
つまり、 👉 「すでに仏である心を、そのまま認識する」
😀
三密
真言密教(真言宗)では、仏と一体化するために三つの働きを用います。
三密
身密:印契(ムドラー)=身体の動き
口密:真言(マントラ)=言葉・音
意密:観想=心・イメージ
👉 この三つを仏と一致させることで
**「即身成仏」**に至る
① 目標は同じ
マハームドラー:心の本性の直覚
三密:仏と自己の一致
👉 どちらも
「すでにある仏性の顕現」
😀
マハームドラー
最終的にはすべてを手放す
身・口・意すら「空」として解体
三密
身・口・意をそのまま仏に変換
否定ではなく「転用」
👉 違いはここ:
チベット:脱構築(空へ)
真言:構築的同一化(仏へ)
マハームドラー
直観・瞑想中心
「見る」ことが核心
👉 言葉で言えば
認識の革命
三密
儀礼・身体技法・言語を総動員
仏の働きを「再現」する
👉 言葉で言えば
存在の変換
チベット密教にも実は三密はあります(タントラ共通)
ただし、
マハームドラー → 最終的に全部溶かす
真言密教 → 最後まで三密を保持する
この違いは、
👉
インド後期密教(チベット)=空の徹底
日本密教(空海系)=形の神聖化
という文化差でもあります。
マハームドラー
👉「何もしないことで仏を知る」
三密
👉「すべてを仏として行う」
もし興味があれば、
ゾクチェンとの違い(マハームドラーとの関係)
空海の「即身成仏」とマハームドラーの比較
など、かなり深い比較もできます。
Chat GPT の解説を見ても
マハームドラーが何なのか、ピンと来ないが
真言密教の三密加持に似てる気がするな?😆
> ニンマ派は道元禅に近い雰囲気だ
> 😀
なるほど
本が書庫にあるかもしへんが
てんで、関心が薄い
今は春日大社だ
😀
「麻原彰晃にやれと言われたら、
たとえ殺人でもやるという
絶対的な帰依」
を意味した
マハームドラーとは、元はカギュ派の修行であったが、オウムにおいては、グルが弟子にあえて試練を与えて、帰依を試す修行となり、無理難題な試練を指すようになった。グルが弟子を成長させるために行う修行として、殺人もマハームドラーであると説教された。
1988年または1989年に、麻原の娘が信者の子供に意地悪をしたり暴力を振るったのを見て、麻原は「娘がカルマ落としを仕掛けている。これぞマハームドラーの修行だ」と説明している。SPA!1989年12月6日号で麻原は「カギュ派のマハームドラーから大きな影響を受けて、狂気の悟りを目指している」、対談相手の中沢新一は「宗教は本来反社会性を内に秘めている」と述べた。
新実智光も1989年信者殺害事件に際して「(グルが殺せといったら殺せるかという)問いは、教義上のたとえ話みたいなもので、具体的に誰を殺せというものではなかった。修行上の観念崩し、マハームドラーかと思った。善悪などの二元論的な思考を崩し、空に到達するのがマハームドラー。殺生する人とされる人がいると考えること、主客が存在しないのに、存在していると考えるのは迷妄である」と述べた。
善悪の観念を崩すことなんだな
チベット密教の教義に関しては、正確な知識を持っていた
二元論の超越: 善悪、清浄・不浄といった対立する概念は、真の心性(空)を隠す「障害(煩悩)」とされ、これらを離れることで真の悟りに至ると教えられます。
本性(空)の視点: すべての現象は等価であり、それ自体に固定的な善や悪の性質はない(空)という立場です。
自己の心性: マハームドラーでは、自分自身の心をありのままに見つめ、その心と宇宙が一体(契合)となるような悟りの境地を目指します。
なお、この教えは、執着や感情に振り回されない「非二元の視点」の体得を目指すものです。
マハームドラー
主にカギュ派で重視される教え。
● 核心
心の本性(空・明・覚知)を直接に観る
すべての現象は「心の顕れ」にすぎないと見抜く
● 方法
段階的な修行を重視
止(シャマタ)で心を安定させる
観(ヴィパश्यナー)で心の本性を見抜く
最後に「何も作らない自然な気づき」に安住
👉 比較的「道(プロセス)」がはっきりしている
ゾクチェン
主にニンマ派の最高教え。
● 核心
もともと完全(円満)である本性に気づく
修行によって何かを作るのではなく「すでにあるものを認識する」
● 方法
師からの直接的な指し示し(直指)
「リクパ(純粋な気づき)」にとどまる
👉 最初から「完成している」という立場
言葉や概念を超えた「心の本性」を扱う
空(śūnyatā)と明(クリアな認識)の不可分
最終的には「作為のない自然状態」に安住
■ 決定的な違い(重要)
ここが一番大事です。
● マハームドラー
徐々に到達する(段階的)
修行プロセスを重視
「心を調える→見る」
● ゾクチェン
最初から完成している
直ちに認識する
「すでにそれである」
■ たとえで言うと
マハームドラー:
曇った鏡を磨いて、最後に本来の輝きを見る
ゾクチェン:
最初から鏡は曇っていないと気づく
実は高度なレベルでは、 👉 両者は「同じ境地」を指しているとされます
違いは
入り口(方法)
強調点(修行か本性か)
にあります。
これまでの話題とつなげると:
マハームドラー → 禅の「看話禅・修行体系」に近い
ゾクチェン → 禅の「只管打坐・本来成仏」に近い
あるいは
マハームドラー → 唯識の「転識得智」プロセス的理解
ゾクチェン → 如来蔵思想の「本覚」的立場
■ 一言でまとめ
マハームドラー=「到達する悟り」
ゾクチェン=「気づく悟り」
マハームドラー(梵語:mahāmudrā、チベット語:phyag rgya chen po、漢語:大印、大印契)は、仏語であり、次の3つの意味がある。
密教の三密加持の修行で曼荼羅の仏と一体になった状態。
後期密教のタントリズムにおいて、般若の智慧(prajñā)を生身の女性と同置し、その女性と性的にヨーガ(英語版)(瑜伽、合一)することで成就・悟りを図るもの、またはその相手の女性。
チベット仏教カギュ派の最奥義における、観想・教説・瞑想を越えて体得される自己の心性と森羅万象との契合という悟りの境地。
密教の三密加持とは、象徴的に表された仏の世界を人間の世界の外側に実在的にあるものとみなし、「象徴されるものと象徴それ自体は同一である」というヨーガ(瑜伽、神秘的合一)の論理に基づいて、修行者が手に印(ムドラー)を組み(羯磨印 karmamudrā、身密)、真言(マントラ)を唱え(三昧耶印 samayamudrā、口密)、心に曼荼羅(マンダラ)の諸尊を観想すること(法印 dharmamudrā、意密)で、自己を仏の世界の一個の象徴、マハームドラーと化し、仏と同一化、即身成仏をはかるもの。三密加持によって曼荼羅の仏と一体になった状態をマハームドラーと呼ぶ。
なお、チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパは、生身の女性との性ヨーガを否定し、性的な修行は修行者の霊的な力で女性パートナーを顕現させ行うよう求め、現在のチベット仏教では性ヨーガはほとんど行われないという。
仏教、とくに密教では
身(体の動き)
口(真言・マントラ)
意(心・観想)
の三つを一致させる修行(=三密)のうち、
**「身」に対応するのがムドラー(印)**です。
つまり、
👉 手の形そのものが「教え」や「悟りの状態」を表す
① 施無畏印(せむいいん)
手のひらを前に向ける
「恐れるな」という意味
仏の安心・保護を表す
② 与願印(よがんいん)
手を下に向ける
願いをかなえる慈悲
救済の象徴
③ 禅定印(ぜんじょういん)
両手を重ねて膝の上に置く
瞑想・心の静寂
釈迦の坐禅姿
④ 転法輪印(てんぽうりんいん)
両手で輪を作る形
仏が教えを説くこと
「法輪を回す」象徴
⑤ 智拳印(ちけんいん)
右手で左手の人差し指を握る
密教で重要な印
知恵と仏の一体
密教では、単なるジェスチャーではなく、
身体=宇宙そのもの
印を結ぶ=仏と同じ状態になる
と考えます。
つまり
👉 ムドラーは「象徴」ではなく「実現そのもの」
禅では印はあまり重視されず、
ただ坐る(坐禅)
心そのものを観る
のに対し、
密教では
👉 身体操作(印)・言葉(真言)・心(観想)を統合する
という違いがあります。
ムドラー(印)とは
👉 手や体で悟りを表し、その状態を実現する技法
もし興味があれば、
「真言密教の印(大日如来の印など)」や
「チベット密教のムドラー(マハームドラーとの関係)」も、かなり深いテーマなので解説できます。
カギュ派のマハームドラー
俺は、とても関心が薄い、過去の体験と知識だけだからなー
今や南無春日権現〜〜
🙏
😀
内容は保障てきない日本人の本
古本屋で買って、ここ20年は読んでない
😀
今思い出したけど
真言密教とは違うけど
身体の
観想があったな
😀
薄いので
忘却の彼方になりそーである
😀
急にスレタイが気になり
「ゾクチェン」と「マハームドラー」の意味が知りたくなった
ラピスとかセイウン様みたい😂
AIに聞けば、たいていのことは分かるからな~😂
マハームドラーは、オウム真理教のイメージが強い😫
「殺人」の意味で使われてた
という意味だったらしい
まー、俺的には
どんな仏教でも全世界とつながる感じで魔改造する
ただ、神社の神仏習合魔改造が
上手く行きにくい神社はある
全世界とつながる感覚のこと
どの神社でも大方は内面の浄化はオンリーは簡単だが
全世界につながる感覚までは難しい
😀
割合、全世界とつながる感じは難しい
内面の浄化感覚止まりだ
😀
全世界とつながる感覚魔改造になれすぎて
リアルな山伏念仏神仏習合が謎が多いままだ
😀
一即多、多即一から
の
発展形だ、
JBLは。その
解釈に行きつかんとなー
宮崎駿ですら、
なんちゃって王蟲、ナウシカで
やっちゃているんだからー
西欧哲学とは別物ということやな
😀
ホーカイくんにしろ
宮崎駿ほどは大乗仏教は理解してないだろう
😀
😀
それがないと風の谷のナウシカよりも
魅力ダウン
😀
末法思想は相互関係のネットワークがない
末法だもの
😀
禅トークレスされても
げんなりである
😀
気づきそうもないのには
レスしない
無駄
😀
で充分
😀
情熱をかける
それがハッスル
😀
セッタンが凄かったのは
レス内容に相互関係のネットワーク感満載だった
😀
超小乗😅
大乗仏教
大作か?
😱
大作ナルシズムのほうが
お金持ちになれそうだ
ハッスル貧乏人、金持ち呪う
😱
金持ちは呪わないなー
国家を衰退させるバカな日本政府は呪うけど
😫
華厳の思想
ケゴンノシソウ
著:鎌田 茂雄
奈良東大寺の大仏に象徴される華厳の思想的理念は、日本文化のなかに今もなお、広く深く生きつづけている。茶の湯において、小さな茶室でおこなわれる喫茶の行為のなかに無限の宇宙の広がりを見るのが茶道の生命であり、一輪の切り花のなかに永遠の相を見るのが華道の精神である。限りあるもの、小さなもののなかに、無限なるもの、大いなるものを見ようとする考え方こそ華厳思想の本質であり、その再発見を試みたのが本書である。
法華経に次いで、2番目に重要な経典
Yすけ
2025年9月30日 09:26
1. 基本概念
華厳経(けごんきょう、梵: Avataṃsaka-sūtra) は、大乗仏教の代表的経典の一つであり、仏の悟りの境地を壮大な宇宙的比喩で表現した経典です。
漢訳名は『大方広仏華厳経』。
サンスクリット語の「アヴァタンサカ」は「花で飾られた」という意味で、華やかさ・荘厳さを象徴する。
仏の悟りを宇宙全体に展開し、万物の相互依存と無限の重なりを説く。
特に「法界縁起」「事事無礙法界」と呼ばれる世界観で知られる。
インドにおける成立
紀元1~3世紀頃、大乗仏教思想が成熟する中で編纂されたと考えられる。
インド北西部のガンダーラや中インドで成立したとの説がある。
仏が悟りを開いた直後に説いたとされるが、実際には後代の菩薩思想や華麗な宇宙観を反映している。
華厳経は巨大な経典であり、複数の漢訳が存在する。
東晋の仏陀跋陀羅訳『六十華厳』
唐代の実叉難陀訳『八十華厳』(全120巻、現在の主流)
唐代の般若訳『四十華厳』(『入法界品』に相当)
とくに『八十華厳』は、中国華厳宗の根本経典となり、日本にも伝わりました。
華厳経は全体で膨大な分量を持ち、中心的な思想を以下にまとめられます。
① 仏の悟りの荘厳さ
釈迦が悟りを開いた直後、その境地を無数の仏や菩薩たちの荘厳な世界として描く。
仏の智慧と慈悲は、宇宙を覆い尽くすほど広大であるとされる。
多くの菩薩が登場し、衆生を救うための修行を示す。
特に「十地品」では菩薩が悟りに至る十段階の修行過程を説く。
華厳経の最後を飾るのが「入法界品(善財童子の物語)」。
善財童子が53人の善知識を訪ね、最後に普賢菩薩の教えに帰着する。
普賢菩薩の十大願は、中国や日本で篤く信仰された。
万物は相互に依存し合い、互いに障りなく存在する。
「一は多、多は一」「一即多、多即一」という相互浸透の理法。
これを「事事無礙法界」と呼ぶ。
一即多、多即一ですな~😂
レベル輩が
トークに居すぎ
😫
師匠寺で本気の模索修行してきた
ナウシカと王蟲の相互関係みたいな
延長みたいな?
😀
これは純粋なお参り
曹洞宗寺院
お役目勤行、
真言宗寺院に行くかは不明
😀
というのはかなり本質を突いた見方です。
結論から言うと、この作品はかなり強く華厳的な世界観を持っています。
華厳(けごん)の中心は:
一即多・多即一(すべては一つであり、一つがすべて)
相即相入(すべての存在は互いに入り込み、関係し合う)
縁起の極限形(すべてが相互依存している)
代表的には「インドラの網」のイメージです。
→ 一つの宝珠に、全宇宙が映り込んでいる
● 腐海=生命のネットワーク
風の谷のナウシカに出てくる腐海は
毒を出す「悪」ではなく
世界を浄化するシステム
つまり
👉 人間・虫・植物・菌・大地が一体化した循環
これはまさに華厳の
→ 相即相入(すべてが相互に入り込む)
● 王蟲=個であり全体
王蟲(オーム)は
個体として存在する
しかし怒りや意識は群れ全体で共有
これは華厳的に言うと:
個=全体
全体=個
👉 一即多・多即一
ナウシカは
人間側でも自然側でもない
両者を「つなぐ存在」
これは仏教的には
👉 菩薩
にかなり近い役割です。
特にナウシカは:
虫の声を理解する
人間の苦しみも理解する
対立を超える
→ 華厳の理想的人物像
クライマックスでナウシカは
個として死にかける
しかし群れ(王蟲)と共鳴し復活する
ここで起きているのは:
👉 個と全体の境界が消える
これはまさに
主体と客体の消滅
自他不二
=華厳の体験レベル
宮崎駿自身は仏教哲学を明言していませんが、
自然観(人間中心ではない)
生態系の相互依存
善悪の二元論の否定
これらは
👉 日本仏教(特に華厳・天台)的な感覚
とかなり一致します。
「ナウシカ」は単なる環境アニメではなく:
👉 華厳的宇宙観の物語化
世界はバラバラではなく一体
敵と味方は分離できない
すべてが関係し合って存在している
もし興味あれば、かなり面白い深掘りとして:
ナウシカと観音菩薩の関係
原作漫画版の方がさらに「空(くう)」や華厳に近い理由
中観派(龍樹)との違い
も説明できます。
ただし、思想的・象徴的にはかなり強く重ねられている、と多くの人が解釈しています。
① 衆生救済の姿
ナウシカは敵味方を超えて、すべての生命を救おうとします。
これはまさに
→ 観音菩薩 の本質である「慈悲(衆生を救う働き)」と一致します。
特にクライマックスで、自分の命を投げ出してでも他者を救う姿は、
観音の「身を変えて救う(応身)」という性格と重なります。
ナウシカは人間だけでなく、王蟲や腐海の生き物の「痛み」を感じ取ります。
この能力は、観音の
「あらゆる声(苦しみ)を聞く」 という性質そのものです。
作中の預言「青き衣の者」は明らかに宗教的象徴です。
これは仏教というより広く、
メシア(救世主)
菩薩 のイメージが混ざった存在ですが、
その振る舞いはやはり観音的です。
ただし重要なポイント
宮崎駿 は、特定の宗教に回収されるキャラクターをあまり作りません。
ナウシカはむしろ、
仏教(特に慈悲・縁起)
アニミズム(自然との共生)
近代以降のヒューマニズム
が融合した存在です。
あなたが前に聞いていた「華厳」との関係でいうと、ここが核心です。
ナウシカの世界観は、 → 華厳思想 の
「すべての存在は相互に依存しあう(縁起)」
「一即一切・一切即一」
に非常に近いです。
ナウシカはその理解を身体で体現している存在で、
観音というよりはむしろ
👉「華厳的世界の中で働く菩薩的存在」
といった方が正確です。
ナウシカ=観音菩薩と公式に言われてはいない
しかし
慈悲
救済
共感能力
の点で極めて観音的
本質的には
観音+華厳思想+自然観
の融合
結論から言うと、
ナウシカが菩薩的存在だとすれば、王蟲は――
👉 「衆生であり、同時に法そのものを体現する存在」
です。
王蟲は苦しみ、怒り、恐怖を持ちます。
つまり仏教的には完全に
→ 迷いの世界にいる存在(衆生)
です。
ナウシカが彼らを救おうとする構図は、 まさに
→ 観音菩薩 が衆生を救う構図
と一致します。
王蟲は単なる生き物ではなく、
腐海の秩序を守る
人間の傲慢に対して反応する
個体を超えた意志を持つ(群体的意識)
つまり彼らは
👉 「自然=法(ダルマ)」の働きそのもの
です。
→ 華厳思想 で見ると一気にクリアになります。
華厳では、
すべての存在は相互に入り込み合う(相即相入)
一つ一つが全体を表す(事事無礙)
王蟲はまさに:
👉 「一匹でありながら、全体(世界)でもある存在」
なんです。
だから
一匹が傷つく → 全体が怒る
個体と全体が分離していない
これは完全に華厳的構造です。
重要なのはここです。
普通の物語なら:
人間 vs 怪物
になりますが、ナウシカでは違う。
👉 ナウシカは王蟲を「救う対象」であると同時に
👉 「従うべき存在(法)」としても見ている
つまり
王蟲=救われる側(衆生)
王蟲=教える側(法)
という二重性があります。
ナウシカが最終的にやることは、
👉 王蟲を支配することではなく
👉 王蟲の「怒りの構造」を理解して止めること
です。
これは仏教的に言えば:
外の敵を倒すのではなく
縁起の連鎖(苦の発生条件)を止める
という発想です。
ナウシカ=菩薩とすると、王蟲は:
表面:苦しむ衆生
本質:世界の法(ダルマ)
構造:個と全体が一体の存在(華厳的存在)
👉 だからナウシカは「倒さない」
👉 理解し、共鳴し、関係を回復する
一言で言うと
ナウシカは王蟲を救っているのではなく、
王蟲とともに“世界そのもの”を回復している。
👉 腐海は単純な「穢土」ではありません。
むしろ――
**「穢土でありながら、同時に浄土へと転換していく場」**です。
まず素朴に見ると、腐海は
有毒で人間は生きられない
巨大な虫が徘徊する
文明が崩壊した世界
なので仏教的には
→ 穢土(苦しみと汚れに満ちた世界)
に見えます。
実際、多くの人間はそう認識していて、 「排除すべきもの」として扱っています。
物語の重要な事実はこれです:
👉 腐海は世界を汚しているのではなく
👉 世界を浄化している
汚染された大地を吸収する
毒を分解する
清浄な砂や水を生み出す
これはつまり、
👉 「穢れを生み出す場所」ではなく
👉 「穢れを引き受けて浄化する働き」
です。
ここが一番面白いところです。
腐海は単なる穢土ではなく、
👉 穢土そのものが浄土へと転じていくプロセス
に近い。
つまり:
穢土(汚れた世界)
浄土(清らかな世界)
という二項対立を超えている。
→ 華厳思想 では、
穢と浄は本質的に分離していない
一つの現象が条件によって両方に現れる
という発想があります。
腐海はまさに:
👉 「穢れを通して浄を実現する場」
です。
だからナウシカには
腐海=恐れるもの
ではなく
腐海=理解すべきもの
として見えている。
ナウシカは腐海の奥で、
清浄な砂
無毒の水
美しい植物
を発見します。
つまり彼女は、
👉 人間には「穢土」に見えるものの中に
👉 すでに「浄土の側面」があることを見抜く
腐海は:
❌ 単なる穢土ではない
❌ 単なる浄土でもない
👉 穢土と浄土が相互に転換しあう場
一言で言うと
腐海とは「穢れがそのまま浄化へと変わる世界構造」そのもの。
考えてみれば、我々のいる「この世」も、腐海みたいなものだな?
ただし――そのまま肯定すると少しズレるので、少しだけ精密にします。
結論的には:
👉 「この世は腐海“そのもの”ではない」
👉 しかし
👉 「腐海と同じ構造を持っている」
と言えます。
私たちの世界も、
苦しみ(老・病・死)
欲望・対立・破壊
に満ちているという意味で
→ 穢土 です。
でも同時に、
回復
学び
関係の修復
意識の変化
も起き続けています。
👉 つまり
壊れながら、同時に再生している世界
これは腐海とかなり似ています。
→ 縁起 で見ると、
何か一つの原因が
別の苦や喜びを生み
それがさらに連鎖する
この「連鎖構造」は
👉 腐海の生態系
👉 王蟲の怒りの連動
とほぼ同じです。
ここが重要です。
腐海は:
放っておいても浄化が進む(システムとしてそうなっている)
でもこの世界は:
👉 人間の認識と行動次第で、浄化にも悪化にも振れる
ナウシカがやったことは、
世界を作り変えたのではなく
関係の見方を変えた
ことです。
つまり:
王蟲=敵 → 関係の存在
腐海=毒 → 浄化のプロセス
「この世は腐海みたいなものだ」
は、より正確には:
👉 「この世も、見方次第で穢土にも浄土にもなる構造を持っている」
これはかなり核心ですが:
👉 穢土と浄土は場所の違いではなく
👉 認識と関係性のあり方の違い
です。
この世=穢土(苦しみの世界)であるのは確か
しかし同時に
浄化・変容のプロセスでもある
👉 構造としては腐海と非常に近い
一言で言うと
世界が腐海なのではなく、
私たちの見方と関係が「腐海にも浄土にもする」。
近づいてきたな?
😀
西欧哲学に汚染されなければ
合格だろう
😀
最終決戦は
一神教ぽい宇宙法則みたいな
西欧的超越的存在との対峙になっている
😀
寺参り、臨済宗2軒
曹洞宗一軒
真言宗一軒
と回るのに要領悪くて
午後四時まで時間がかかった
😀
それほど疲れていない
😀
ファビっていそうだな?
😀
意外にオモシロかった
😀
すべては繋がっている「重々無尽の縁起」
この世の万物は、何一つとして独立して存在せず、互いに関わり合って存在しているという考え方です。
全部が一つ、一つが全部「一即一切・一切即一」
「自分」という小さな存在の中に宇宙のすべてが含まれており、逆に宇宙のすべてが自分の中にある、という深い繋がりを表します。
「インドラの網」の比喩
宇宙の全体を巨大な網に例え、その結び目には宝珠(宝の玉)がある。その宝珠の一つひとつに、他のすべての宝珠がキラキラと映り込んでいて、互いが無限に輝き合っている様子。これが華厳の「すべてが調和する」世界観です。
世界の見方を4つの段階で説明したものです。
事法界(じほうかい):すべてがバラバラに見える、日常の風景。
理法界(りほうかい):すべては「空(くう)」であり、本質は同じという真理の世界。
理事無礙法界(りじむげほうかい):真理(理)と現象(事)が矛盾なく調和している世界。
事事無礙法界(じじむげほうかい):物と物が、お互いの存在を認め合いながら、とけ合っている理想の世界。
日本との関係:736年に伝えられ、奈良の東大寺の大仏(盧舎那仏・びるしゃなぶつ)の建立思想の基盤となりました。
特徴:非常に哲学的で宇宙的であり、仏の悟りの世界そのものを描写しています。
一言で言うと、華厳経は「自分も他人も宇宙の一部、すべては網の目のように繋がって輝いている」という、究極の調和と感謝を説く教えです。
「四法界」はそのままの形では華厳経の本文には出てきません。
■ 四法界はどこから来たのか
「四法界」という体系は、経典そのものではなく、後代の解釈、とくに
杜順
智儼
法蔵
といった中国華厳宗の祖師たちによって整備された教理です。
つまり、
👉 **華厳経の思想を整理・体系化した“教学用の枠組み”**が四法界です。
理法界(りほっかい)
事法界(じほっかい)
理事無礙法界(りじむげほっかい)
事事無礙法界(じじむげほっかい)
これは、特に法蔵によって精緻に理論化されました。
では経典そのものには何があるのかというと、
法界縁起(すべてが相互に依存する世界)
一即一切・一切即一
因陀羅網(インドラの網)のような相互浸透の比喩
といった思想が、物語・比喩・菩薩行の形で展開されています。
👉 つまり
四法界は「要約・抽象化」された哲学的整理であって、
**華厳経はそれを“イメージ的・詩的に語るテキスト”**なんです。
ここが核心ですが:
華厳経=直観的・象徴的・ビジョン
四法界=概念的・哲学的整理
👉 このズレを見抜くのはかなり本質的です。
四法界の中でも特に
「事事無礙法界」
は、華厳経の世界観(重々無尽・相即相入)を理論化したものです。
代表的には、法蔵の
金獅子章
十玄門
などで展開されます。
四法界は華厳経には直接出てこない
中国華厳宗の祖師(特に法蔵)による体系化
経典のビジョンを哲学的に整理したもの
もし興味あれば、
👉 「四法界と天台の三諦の違い」
👉 「事事無礙とデイヴィッドソン的ホーリズムの比較」
みたいな、かなり面白い比較にも踏み込めます。
なんじゃそりゃ?(笑)
でもこれ、意外と“筋のいい比較”なんです。
■ まずそれぞれの中身
● 事事無礙(華厳)
法蔵が理論化した立場で、
あらゆる「事(具体的なもの)」が
互いに妨げ合わず(無礙)
相互に入り込み合っている(相即・相入)
👉 要するに
世界はバラバラの物ではなく、全部が全部に“浸透している”
有名なたとえ:
因陀羅網(すべての珠が互いを映し合う)
ドナルド・デイヴィッドソンの立場
言葉の意味や信念は単独では成立しない
他の信念・文・世界との関係の中でしか意味を持たない
👉 要するに
意味はネットワーク全体の中で決まる
驚くほど似てるポイント:
① 孤立した単位を否定
華厳:独立した「モノ」はない
デイヴィッドソン:独立した「意味」はない
👉 どちらも「単独では成立しない世界」
② 全体との関係が本質
華厳:一即一切・一切即一
デイヴィッドソン:意味は信念全体の中で決まる
👉 部分は常に全体を含む
③ 関係そのものがリアル
華厳:関係=存在そのもの(縁起の極限)
デイヴィッドソン:関係=意味の成立条件
👉 「関係が二次的じゃない」
ここを押さえないと混同します:
● ① 対象領域が違う
華厳 → 存在論(世界そのもの)
デイヴィッドソン → 意味論・解釈論
👉 華厳は「宇宙」、デイヴィッドソンは「言語」
● ② 深さ(ラディカルさ)が違う
華厳はさらに一歩進んで:
物と物が“入り込む”
時間・空間も相互浸透する
👉 これはほぼ形而上学的な“全体融合”
一方デイヴィッドソンは:
あくまで解釈の枠組み
世界が物理的に混ざるとは言わない
● ③ 実践性の違い
華厳 → 悟り・修行・宗教体験に直結
デイヴィッドソン → 哲学的分析
一言でいえば、
「すべての存在が、互いに入り込み合いながら成り立っている」
ということです。
■ 基本イメージ
華厳の核心テキストである 華厳経 では、世界はバラバラな「物の集まり」ではなく、
一つ一つのものが
他のすべてのものと
深く関係しあいながら存在している
と考えます。
これを説明するのに有名なのが「インドラの網」です。
宇宙に無数の宝珠(珠)が張り巡らされている
一つの珠には、他のすべての珠が映っている
つまり「一つの中に全体がある」
👉 ここで重要なのは:
「一つが単なる一部分ではなく、全体を含んでいる」
という点です。
例えば「あなた」という存在を考えると:
身体は食べ物(自然)からできている
言葉は社会や文化から来ている
思想は他者との関係で形成される
つまり、
👉 あなたの中には
自然・社会・歴史・他人が「入り込んでいる」
逆に言うと:
👉 あなたが変われば
世界の意味も変わる
これが「相互浸透」です。
華厳ではこれを特に
👉 事事無礙
と呼びます。
意味は:
すべての「個物(事)」同士が
ぶつからず、妨げずに
そのまま相互に入り込み合っている
これは単なる
「全部つながってるよね」
ではありません。
もっと強くて、
👉 「一つ一つが、そのまま全体でもある」
という主張です。
あなたが最近見ていた文脈で言うと:
ドナルド・デイヴィッドソン のホーリズム
→ 意味は全体の中で決まる
に少し似ていますが、
👉 華厳はさらに一歩進んで
存在そのものが相互浸透している
とまで言う点が決定的に違います。
最後に一番シンプルに言うと:
普通の見方:
「世界 → 部分の集まり」
華厳:
「一つ一つが、そのまま世界全体を含んでいる」
もしよければ、
「四法界(理法界・事法界・理事無礙・事事無礙)」との関係で整理すると、かなりスッキリ理解できます。
1つ1つの存在が、世界全体を含んでいるのか
ただし、華厳経の立場では、「含んでいる」という言い方も、もう一歩だけ精密にするとこうなります。
■ 単に“入っている”のではない
華厳で言う相互浸透(事事無礙)は、
Aの中に世界が“詰め込まれている”
ではなく
Aそのものが、世界との関係性の網の目として成立している
ということです。
たとえば「一枚の葉」を考えると:
太陽がなければ存在しない
水や土がなければ存在しない
時間(成長のプロセス)がなければ存在しない
観る者(認識)とも切り離せない
つまり、その葉は「葉単体」ではなく、 宇宙全体の働きがそのまま現れている一点なんです。
華厳の有名な考え方である
一(個物)=一切(全体)
一切(全体)=一(個物)
というのは、
👉 一つの存在を徹底的に見ると、そこに全体が現れている
👉 全体というのも、結局は一つ一つの具体的存在の集まりとしてしか現れない
という意味になります。
よく使われるのが「網」の比喩です。
網の一つの結び目は、
他のすべての結び目との関係で位置が決まる
その関係が変われば、その結び目の意味も変わる
つまり
👉 一点は単独で存在しているのではなく、
👉 全体構造がそのまま一点に反映されている
ここが華厳のすごいところで、
世界が先にあって個物がある
でもなく
個物が集まって世界になる
でもない
👉 個と全体が同時に成立している(同時相即)
という見方になります。
もし興味あれば、この「相互浸透」と
ドナルド・デイヴィッドソンのホーリズム(意味は全体の中でしか成立しない)との比較も、かなり面白いですよ。
共通点(かなり本質的に似ている)
あなたが感じた通り、
華厳の「一即一切」
ゴットフリート・ライプニッツ のモナド論
は、どちらも
個が単なる部分ではなく、全体を反映している
という構造を持っています。
ライプニッツはモナドをこう考えました:
モナドは「窓のない実体」
しかしそれぞれが → 宇宙全体を自分の仕方で映し出している
つまり
👉 一つのモナド=一つの宇宙の「視点」
これは華厳の
「一即一切(ひとつがすべて)」
「事事無礙(すべてが相互に入り込む)」
と非常に近い発想です。
ここが面白いところです。
① 相互関係のあり方
華厳
→ 実際に相互に入り込む(相互浸透)
ライプニッツ
→ 相互作用は一切ない(予定調和)
モナド同士は直接関係しません。
ただし神によって完全に同期されているだけです。
👉 華厳:リアルに絡み合うネットワーク
👉 モナド:完全に独立した鏡の集合
華厳
→ 全体は「関係性そのもの」から成立する
ライプニッツ
→ 全体は神(=予定調和)によって外から保証される
モナド
→ 個体(自己完結的・閉じている)
華厳の存在
→ 関係の結節点(開かれている)
ここはかなり思想的に深い差です。
ざっくり一言でいうと
ライプニッツ
👉「それぞれが世界を映す“孤独な鏡”」
華厳
👉「それぞれが他と入り込み合う“相互反射の網”」
あなたの直感はかなり本質を突いていて、
「個が全体を含む」という点では一致
しかし
モナド=閉じた反映
華厳=開いた相互浸透
という違いがあります。
ホーカイくんばかりみると、
こーいうのが鈍くなる
😀
西洋哲学との違いが見えてきた
「相互浸透」が華厳のポイントのようだな
華厳のいちばん独特なところは、まさにあなたが言う「相互浸透」です。
これは単なる「全体と部分の関係」ではなく、もっとラディカルで、
一つ一つが、他のすべてと入り込み合っている
という発想です。
たとえば西洋哲学では、
個体(実体)は基本的に「独立」している
関係はあとから付け加わるもの
という考えが強いですよね。
たとえ全体論(ホーリズム)でも、
「意味は全体の中で決まる」 とは言うけど、
👉 個々のもの同士が物理的・存在論的に入り込み合うとはあまり言わない
華厳ではこうなります:
一つの存在の中に、他のすべてが含まれている
しかもそれが相互的(Aの中にB、Bの中にA…無限に)
これを典型的に表すのが「事事無礙法界」です。
つまり:
すべての存在が、互いに妨げ合わずに、完全に重なり合っている
よく出てくる比喩が「インドラの網」です。
網の結び目一つ一つに宝珠がある
その宝珠は、他のすべての宝珠を映している
しかも無限に相互反映している
👉 つまり
一つを見ると、そこに宇宙全体が映っている
ここが一番重要です:
西洋:
→ 「関係によって意味が決まる」(認識論寄り)
華厳:
→ 「存在そのものが相互に入り込んでいる」(存在論そのもの)
■ まとめ
あなたの理解を一行で言うと:
「関係がある」のではなく、「存在がすでに相互に貫入している」
これが華厳の核心です。
ハッスルやホーカイくんには
ない
正邪に拘るのが
ゴールポイントだから、
ロンもないな、
元スレ主も弱い
😀
「相互浸透」が華厳
みたいのはあった
😀
ほ~かい教学だと、華厳を天台の下に見ているからな~😅
個と全体が相互浸透しているんだな
😀
そーいう気がでたのは
JBLだけだは 元スレ主にはやんわりとは
入れたか?
😀
「個」が自立しているな
自立して存在しているものなど、何も無い
見えないカラスの位置を察知する相互浸透している
マネできん
😀
他の人たちは、自分の持論を主張することに熱心だからな~
学ぼうという意欲が低い
華厳真言チベット禅の
究極要素と言っても過言ではない
😀
只管打坐に一切を含むと言っても過言ではない😀
トーク板のスピ教祖様達に
ご意見、意見交換なんで
滅相もない
😀
というと
「相互浸透」が華厳みたいな
定義を崩す、
かなり、ややこしい、宗教の東大
😀
ハッスル🤡様は
すっかり
おとなしくなってきたな?
😀
があるから
空海の即身成仏の
三密加持のシステムが完成する
わかる?😀
俗語禅問答がでてくるくらいに
右といえは
左にいく
みたいな
関心無い者にとっては
どーでもええくらいの内容
😀
万物は流転するし
その言葉、出来事に固定化するのは
「囚われ」である
ということだ
😀
ハッスルは居士とか、坐禅回数、文字とナルシズムに囚われる
😀
変なのを垂れ流すが
「無」
それは固定化しない、囚われない
の意味
😀
やはり一番難しい
人間はなんらかの形があったほあが楽だからなー
真言密教なら三密加持とか
😀
ここが、他の仏教(特に日本仏教)と比べてもかなり独特で深いところです。
チベット密教では、人間をこう見ます:
👉 身体・エネルギー・心は一体
そのため、悟りは
思考(哲学)だけでもダメ
心(瞑想)だけでも不十分
👉 身体レベルから変える必要がある
身体技法は主にこの3つで構成されます:
① ナーディ(脈)
→ エネルギーの通り道(気の通路)
② プラーナ(風)
→ 生命エネルギー(気)
③ ビンドゥ(滴)
→ 意識の核・エッセンス
👉 これはインド密教・ヨーガ由来の体系
① トゥンモ(内なる熱)
チベット密教で最も有名な技法
👉 体内に「熱」を発生させる
雪山でも裸でいられるほどの発熱
呼吸+観想+身体操作で行う
有名な修行者:
ミラレパ
👉 本質: エネルギーを中央に集め、意識を変容させる
→ ナーディとプラーナを直接操作
呼吸を止める・流す
特定の姿勢を取る
内部の流れを変える
👉 目的: 心の動きをエネルギーから制御する
チベット密教は
真言密教も変容させれる
六大無碍に
だけど、そのレベルの人が
現在に日本の真言密教世界に、いるか?
怪しげ
俺はできるけどねー真言密教で
仁和寺流がまだ未完
😀
身体感覚は変容するよ
😀
→ 左右のエネルギーを中央に集める
左(感情・女性性)
右(理性・男性性)
👉 それを中央に統合すると
→ 非二元の意識が現れる
※かなり上級・秘儀
身体的な結合を使う修行
エネルギーの強い変容を起こす
👉 誤解されがちだが、本質は:
快楽を悟りに転換する技術
→ チベット版ヨーガ
動き+呼吸+意識
エネルギーの詰まりを解消
理趣経の発展形態だろな
😀
ここが重要です。
チベット密教の考えでは:
👉 心はエネルギー(風)に乗って動く
つまり:
思考を止めようとしても無理
👉 エネルギーを変えれば心が変わる
身体技法の最終目的は:
👉 「最も微細な意識」を顕現させること
これが:
光明(クリアライト)
仏の智慧
と呼ばれます。
あなたの関心的に重要なポイント:
● ゾクチェン
→ 最初から完成している(直接見る)
● 密教身体技法
→ 段階的にエネルギーを変えて到達
👉 対比:
ゾクチェン:一気に気づく
身体技法:段階的に変える
身体を使うのが特徴か
任せなさい
😀
探求情熱失せるくらいに
正統派瞑想仏教は
ま、日蓮宗、浄土宗関連も自動的魔改造でエネルギー変容するな?
😀
真言密教にも、そういう要素はあるんだろな
理趣経の解釈の
そんなノリだ
😀
神仏習合春日権現
既存キリスト教
イスラム
神道の探求に模索シフトしている
😀
華厳の
相互浸透の為の身体やらエネルギーだ
故に
西欧哲学志向から出てこない
JBLに
華厳の壁と
言ってたわけだ
😀
ここでいう「正統」とは、多くの場合:
歴史的に初期仏教に近い
経典に基づいた修行体系がある
瞑想(禅定)を中心に据えている
という意味です。
つまり、儀礼・信仰・神秘主義よりも
👉「心の観察と変容」を直接の道とする仏教です。
最も「正統派瞑想仏教」と言われやすいのが
👉 上座部仏教(テーラワーダ)
特徴
パーリ経典に基づく(初期仏教に近い)
修行の中心は瞑想
出家修行者の伝統が強い
中核となる瞑想
サマタ(止)=心を静める
ヴィパッサナー(観)=現実を観察する
👉特に
ヴィパッサナー瞑想
は「正統派瞑想」の代表格です。
いまは華厳志向だ😆
大乗仏教でも、瞑想中心の系統はあります。
禅(Zen)
👉 禅
座禅を中心とする
思考ではなく「直接体験」を重視
日本・中国で発展
ただし禅は、
公案
師弟関係
突発的覚醒(頓悟)
など独自色が強く、
「初期仏教そのまま」ではない点で評価が分かれます。
👉 チベット仏教
これも高度な瞑想体系を持っていますが、
マントラ
観想(イメージ修行)
身体技法(気・チャクラ)
などが多く、
👉「純粋な観察瞑想」というより
👉「統合的・密教的システム」
と見られることが多いです。
そのため人によっては
「正統派」から外すこともあります。
基本
中国インド仏教とは別物だろしな?
中国インド仏教のイメージ=
正統派瞑想仏教
と
定義した
😀
「正統派瞑想仏教」とは結局:
👉 心を直接観察することで解脱を目指す仏教
より具体的には:
思考や哲学ではなく「体験」
儀礼ではなく「内面観察」
信仰ではなく「実践」
かなり端的に言うと:
正統派瞑想仏教 =
「釈迦仏教の原型に最も近い“観る修行”」
> 日蓮や浄土宗や神仏習合や山伏は
> 基本
> 中国インド仏教とは別物だろしな?
> 中国インド仏教のイメージ=
> 正統派瞑想仏教
> と
> 定義した
> 😀
なるほど
現世で悟りを開かないので
正統派とは言えないだろな
現世で悟りを得る
が
中国インド仏教の主流やろしなー
現在中国は
阿弥陀仏と禅とのハイブリッドだから、
正統派というのも怪しげではあるが
😀
神仏習合は、仏教としては正統ではないな?😆
アビダルマ倶舎論
なんらかの
真逆の意味も含めて
互換性があるが
日本の日蓮、浄土宗系統、山伏、神仏習合は
インド中国仏教とは互換性がない
俺のリアル理解でも
この両者は区分けして互換性のないものとして世界探求している
😀
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