【野田ブタ悲報】結局、野田が言っていた「穏健保守」ってなんだったの?アーカイブ最終更新 2026/02/10 09:521.番組の途中ですが転載は禁止ですbGSOyhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16041561.html2026/02/09 19:35:5413すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですbGSOy野田新体制の立憲民主党:中道・中道右派層の支持拡大にシフトhttps://www.nippon.com/ja/in-depth/d01049/野田は1993年7月の総選挙で日本新党から出馬し初当選。その主張は保守的である。その後、94年12月の新進党結党に加わるが、96年10月の総選挙では落選する。2000年6月の総選挙に民主党公認で当選し、国政に復帰。09年9月に民主党が政権を獲得すると、10年6月に菅直人内閣が発足した際に財務相に起用された。11年8月の民主党代表選に勝利し、翌月首相に就任した。野田首相は消費税を10%に段階的に引き上げる社会保障と税の一体改革に取り組む。12年8月には、自民党に「近いうちに国民に信を問うこと」を約束することで、一体改革関連法案を成立させる。野田首相は約束を守って11月に衆議院を解散するが、12月の総選挙で民主党は惨敗し、党代表も辞任する。17年9月に民進党が希望の党に合流を決めたのちは無所属で活動。20年9月に立憲民主党に入党した。野田は首相退任後、16年9月から17年7月に民進党の幹事長を務めたほかは表舞台には立たなかった。12年総選挙の敗北へ民主党系議員の反発が強かったことが大きな理由であった。民進党幹事長就任にも一部では強い反発があった(『読売』2016年9月22日)。2026/02/09 19:37:093.番組の途中ですが転載は禁止ですbGSOy左派協力で党勢伸び悩みその野田が復帰を果たせたのには2つの大きな理由がある。最初の理由は立憲民主党の勢力が伸び悩み、行き詰まりを見せていたこと。立憲民主党は枝野代表のもと、2021年10月の総選挙の前に政権交代が起きた場合に共産党と「限定的な閣外協力」で合意。(『日本経済新聞』2021年10月1日)。両党は、多くの選挙区で選挙協力を実施した。しかし、この方針は与党から厳しく批判され、総選挙では議席を減らした。枝野は代表を辞任し、泉健太が後継の代表となった。左派勢力との協力では党勢を拡大できないことが明らかになり、泉は共産党との関係見直しを図る。ただ、完全に関係を断ち切ることはできなかった。泉が選んだのは22年7月の参議院議員選挙を控え、5月に閣外協力に関する合意を「棚上げ」することで共産党と「確認」する(『読売新聞』オンライン、2022年5月10日)ことであった。一方、他の野党との協力を深めることもできず、立憲民主党は参院選で議席を減らした。今年7月の東京都知事選挙では、左派勢力との協力が実を結ばないことがあらためて示された。立憲民主党の蓮舫参院議員が離党し出馬したが、同党と共産党の積極支援を受けた蓮舫は3位にとどまり惨敗。中道・中道右派層からの支持拡大の必要性が明確になった。2026/02/09 19:37:304.番組の途中ですが転載は禁止ですbGSOy政策、政権運営の手腕に評価第二の理由は、2022年10月の安倍晋三元首相を追悼する国会演説が名演説と評価され、野田の存在にあらためて注目が集まったことである。同年22年7月の参院選期間中に、安倍が銃撃によって亡くなった。自民党は追悼演説を行う政治家の人選に迷った結果、野田に白羽の矢を立てた。野田は政治的には対立を続けた人物を、厳しい批判を避け、一定の評価をしつつも全面的に肯定せずに追悼するという難題に挑んだ。野田の格調高い演説に、与野党議員は万雷の拍手拍手を送って絶賛した。もともと野田の首相時における政策、政権運営については自民党の一部ですら評価し、安倍自身が「安定感がありました」(『読売新聞』2022年10月26日)というほどだった。立憲民主党が中道・中道右派に支持を伸ばす必要が迫られる中で、野田が代表選の有力候補として浮上するのは自然な流れだった。野田は、共産党との協力を進めることや左派層からの支持獲得には否定的で、中道層から支持を集めることを強調する。自民党には、対抗する方法についてこう述べている。「自民党に挑む『369の原則』がある。9は自分の政党の9割以上を固める。(これは)若手(の政治家に)は難しいですよ。6は無党派の6割をとる。つまり相手よりとる。3は自民党から3割とる」(『週刊エコノミスト』第101巻29号、2023年8月22日)新たに誕生する石破茂政権は早期の解散、総選挙を決断すると予想されているが、野田は中道右派路線を打ち出し、これに対峙していくとみられる。 野田は演説がうまく、論客としても知られており、自民党にとってかなりの脅威となるだろう。2026/02/09 19:38:005.番組の途中ですが転載は禁止ですbGSOyどこにも存在しない「穏健保守層」に期待して惨敗した野田ブタさんって・・・2026/02/09 19:39:026.番組の途中ですが転載は禁止ですSQyDfただの無能集団やるべき改革は他にも山ほどあるのに2026/02/09 20:28:127.番組の途中ですが転載は禁止ですKzJR0民主党ってできたときから別にイデオロギーがはっきりしてるわけじゃないと思うんだよね2026/02/09 20:50:478.番組の途中ですが転載は禁止ですIu1hT左派と協力しても伸びねえ判断からのこれはもう逆に天才2026/02/09 20:54:049.番組の途中ですが転載は禁止です8gEZFサナが有能すぎるんだわ2026/02/09 21:03:3110.番組の途中ですが転載は禁止ですQXyeo共産党とは選挙協力だったのに公明党とは合併その結果支持者の大半が霧散という自民党にとっての救世主何でこんな無能が政治家なんかやって来れたの?2026/02/09 21:04:5211.番組の途中ですが転載は禁止ですq5qiK劣化国民民主2026/02/09 21:07:3512.番組の途中ですが転載は禁止です2nyw1反自民の受け皿でしかないのに自民の色が付いた公明と組んで政策まで自民寄りに一気に左翼に逃げられた2026/02/09 23:19:1313.番組の途中ですが転載は禁止ですoHARL>>1「穏やかに健保を守る」って意味でしょ?生活者目線だから、うん!2026/02/10 09:52:07
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01049/
野田は1993年7月の総選挙で日本新党から出馬し初当選。その主張は保守的である。その後、94年12月の新進党結党に加わるが、96年10月の総選挙では落選する。2000年6月の総選挙に民主党公認で当選し、国政に復帰。09年9月に民主党が政権を獲得すると、10年6月に菅直人内閣が発足した際に財務相に起用された。11年8月の民主党代表選に勝利し、翌月首相に就任した。
野田首相は消費税を10%に段階的に引き上げる社会保障と税の一体改革に取り組む。12年8月には、自民党に「近いうちに国民に信を問うこと」を約束することで、一体改革関連法案を成立させる。野田首相は約束を守って11月に衆議院を解散するが、12月の総選挙で民主党は惨敗し、党代表も辞任する。17年9月に民進党が希望の党に合流を決めたのちは無所属で活動。20年9月に立憲民主党に入党した。
野田は首相退任後、16年9月から17年7月に民進党の幹事長を務めたほかは表舞台には立たなかった。12年総選挙の敗北へ民主党系議員の反発が強かったことが大きな理由であった。民進党幹事長就任にも一部では強い反発があった(『読売』2016年9月22日)。
その野田が復帰を果たせたのには2つの大きな理由がある。最初の理由は立憲民主党の勢力が伸び悩み、行き詰まりを見せていたこと。立憲民主党は枝野代表のもと、2021年10月の総選挙の前に政権交代が起きた場合に共産党と「限定的な閣外協力」で合意。(『日本経済新聞』2021年10月1日)。両党は、多くの選挙区で選挙協力を実施した。しかし、この方針は与党から厳しく批判され、総選挙では議席を減らした。枝野は代表を辞任し、泉健太が後継の代表となった。
左派勢力との協力では党勢を拡大できないことが明らかになり、泉は共産党との関係見直しを図る。ただ、完全に関係を断ち切ることはできなかった。泉が選んだのは22年7月の参議院議員選挙を控え、5月に閣外協力に関する合意を「棚上げ」することで共産党と「確認」する(『読売新聞』オンライン、2022年5月10日)ことであった。
一方、他の野党との協力を深めることもできず、立憲民主党は参院選で議席を減らした。今年7月の東京都知事選挙では、左派勢力との協力が実を結ばないことがあらためて示された。立憲民主党の蓮舫参院議員が離党し出馬したが、同党と共産党の積極支援を受けた蓮舫は3位にとどまり惨敗。中道・中道右派層からの支持拡大の必要性が明確になった。
第二の理由は、2022年10月の安倍晋三元首相を追悼する国会演説が名演説と評価され、野田の存在にあらためて注目が集まったことである。同年22年7月の参院選期間中に、安倍が銃撃によって亡くなった。自民党は追悼演説を行う政治家の人選に迷った結果、野田に白羽の矢を立てた。野田は政治的には対立を続けた人物を、厳しい批判を避け、一定の評価をしつつも全面的に肯定せずに追悼するという難題に挑んだ。野田の格調高い演説に、与野党議員は万雷の拍手拍手を送って絶賛した。
もともと野田の首相時における政策、政権運営については自民党の一部ですら評価し、安倍自身が「安定感がありました」(『読売新聞』2022年10月26日)というほどだった。立憲民主党が中道・中道右派に支持を伸ばす必要が迫られる中で、野田が代表選の有力候補として浮上するのは自然な流れだった。
野田は、共産党との協力を進めることや左派層からの支持獲得には否定的で、中道層から支持を集めることを強調する。自民党には、対抗する方法についてこう述べている。
「自民党に挑む『369の原則』がある。9は自分の政党の9割以上を固める。(これは)若手(の政治家に)は難しいですよ。6は無党派の6割をとる。つまり相手よりとる。3は自民党から3割とる」(『週刊エコノミスト』第101巻29号、2023年8月22日)
新たに誕生する石破茂政権は早期の解散、総選挙を決断すると予想されているが、野田は中道右派路線を打ち出し、これに対峙していくとみられる。 野田は演説がうまく、論客としても知られており、自民党にとってかなりの脅威となるだろう。
やるべき改革は他にも山ほどあるのに
その結果支持者の大半が霧散という自民党にとっての救世主
何でこんな無能が政治家なんかやって来れたの?
自民の色が付いた公明と組んで政策まで自民寄りに
一気に左翼に逃げられた
「穏やかに健保を守る」って意味でしょ?
生活者目線だから、うん!