【速報】沖縄で"歴史修正"発言をしでかした安倍派の西田昌司参院議員 発言を撤回して陳謝アーカイブ最終更新 2025/05/09 20:301.名無しさんKPVlo太平洋戦争の沖縄戦で看護に従事し犠牲となった女子生徒らを慰霊する「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)の展示説明を巡り「歴史の書き換え」と発言した自民党の西田昌司参院議員(京都選挙区)が9日、記者会見を開き、「県民の方々の心に思いが至らなかった」と、発言を撤回して陳謝した。塔を含むひめゆり平和祈念資料館は、米軍の肯定など西田氏が言及した展示説明は「過去にもしていない」と明言している。与野党から非難が相次いでいるが、西田氏は撤回を拒否していた。西田氏は会見で、「丁寧な説明なくしてひめゆりの塔のことを持ち出したことは不適切に感じた。そのことにお詫びを申し上げ、発言を訂正、削除する。県民にとって大きなトラウマ。県民の方々の心に思いがいたらなかったことが問題」と話した。同館は、女学生ら200人以上が傷病兵の看護要員として軍に動員され、136人が亡くなった戦場での悲惨な経験を生存者の証言などで克明に伝えている。https://news.yahoo.co.jp/articles/657840e9ec54c70c1b41f3665958b6b7c4fed8912025/05/09 14:02:2036すべて|最新の50件2.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo自民党の西田昌司参院議員は9日、国会内で記者団の取材に応じ、3日に那覇市内で行われたシンポジウムで、ひめゆりの塔の説明書きについて「歴史の書き換え」などとした自身の発言を訂正し、謝罪した。西田氏は「(発言は)不適切だった。県民にお詫びしたい」などと述べた。西田氏は3日に那覇市で開かれたシンポジウムで「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そしてアメリカが入ってきて、沖縄が解放されたと、そういう文脈で書いてるじゃないですか。亡くなった方々は、本当に救われませんよ」などと発言した。https://news.yahoo.co.jp/articles/29fc723164e7027b503502480a93d4ae530c6c142025/05/09 14:03:023.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo自民党の西田昌司参院議員は9日午後、国会内で記者会見し、沖縄戦で犠牲となった学徒らを慰霊する「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)の説明を巡り、「歴史の書き換え」などと述べた自身の発言について撤回し、謝罪した。https://news.yahoo.co.jp/articles/cf21b21a4cade5edf6dd24d5f8eb7c3ccd40b03f2025/05/09 14:03:234.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo自民党の西田昌司参議院議員は9日、糸満市のひめゆりの塔の説明について「歴史の書き換えだ」などと発言したことについて、「不適切だった」として謝罪した。西田議員は沖縄の知人に頼んでひめゆり平和祈念資料館で事実関係を確かめたところ、発言した内容の趣旨の展示がなかったことが分かったとした上で、「丁寧な説明なしにひめゆりの塔を持ち出して話したこと自体が沖縄県民の心に傷を負わせてしまったと痛切に感じる」として謝罪し、発言を訂正すると述べた。西田議員は3日、那覇市の講演でひめゆりの塔の説明について「日本軍が入ってきてひめゆり隊が死ぬことになった。アメリカが入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いている。歴史の書き換えだ」などと発言。西田議員はその後「発言で県民や関係者を傷つけたという報道は切り取られた記事」だと述べ、撤回する意図はないとしていた。西田議員は今後、ひめゆりの塔やひめゆり平和祈念資料館に足を運びたいとしている。https://news.yahoo.co.jp/articles/517ceb8da8412983a7171a618d9e7a9eb12519a92025/05/09 14:03:435.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo自民党の西田昌司参院議員は9日、沖縄戦で犠牲になった女学生らを慰霊する「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)の展示を巡り「歴史を書き換えている」などと発言したことについて「非常に不適切だった」と撤回し、謝罪した。国会内で記者団に語った。https://news.yahoo.co.jp/articles/0d491ba26eadd3a4dff3cbf4a1157638c1cdc9282025/05/09 14:04:036.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo太平洋戦争末期に動員された学生などを慰霊する、沖縄県のひめゆりの塔の展示について、自民党所属で京都選出の西田昌司参議院議員が、「歴史の書き換えだ」などと発言したことについて、9日午後記者会見し、「丁寧な説明なく、ひめゆりの塔の名前を出して講演したこと自体、非常に不適切だったと痛切に感じた」と述べ、沖縄県民や関係者に謝罪しました。また「発言したところは訂正・削除させていただきたいと思います」と発言を撤回する意向を示しました。https://news.yahoo.co.jp/articles/72603b2b05e0511cad3c69dcab3d97aa8485ee882025/05/09 14:04:217.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo■西田参院議員の発言の内容 その後の経緯は自民党の西田昌司参議院議員は、5月3日、那覇市での講演で、ひめゆりの塔の沖縄戦に関する記述について、「日本軍が入ってきてひめゆり隊が死ぬことになった」「アメリカが入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いている」「歴史の書き換えだ」などと発言しました。ひめゆりの塔は、80年前の沖縄戦で犠牲になった「ひめゆり学徒隊」と教師を悼む慰霊碑で、資料館と合わせ、戦争の悲惨さを象徴する場所です。資料館の普天間朝佳館長は、「これまでの展示や体験者の証言の中に、西田議員が言っていたような記述や表現は一切ない」と断言していました。【ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長】「本当に強く言えば冒涜をするものだと思います。生き残った仲間たちを集めて、お互いに戦争体験を聞き取りをして、本当に血のにじむような思いで取り組んできて、その後の資料館の展示のベースになっている」西田議員は、7日午後会見を開き、「発言は、憲法改正の前提として、アメリカの占領政策を説明する趣旨」だったと説明しました。【自民党 西田昌司参議院議員】「日本軍が入ってきて戦争が始まり、アメリカが入ってきて戦争が終わり平和になった。そういう文脈、私が感じたのは。そういう文脈では、沖縄の方々は救われないのではないかと」西田議員は、展示を資料館の近くの洞窟で見た、強く印象に残っているとした上で、「意図と無関係に発言が切り取られている、非常に遺憾」と説明しました。2025/05/09 14:04:488.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo自民党の西田昌司参院議員は9日午後、参院議員会館で記者会見し、ひめゆりの塔(沖縄県糸満市)の展示を巡り、「歴史の書き換えだ」などとした自身の発言について「非常に不適切だった」とした上で「訂正、削除させていただく」と述べた。西田氏は発言に対する批判を受け、県内にいる知人に依頼し、改めて事実関係を調べたと説明。ひめゆりの塔について「県民の皆さまにとって本当に耐え難い、大きな苦しみの歴史、大きなトラウマとなっていることを改めて痛切に感じた」と話し、「丁寧な説明なしにひめゆりの塔の名前を出して講演したこと自体、非常に不適切だった」と強調。「沖縄県民、ひめゆりの塔の関係者の皆さまにお詫び申し上げ、発言を訂正し削除させていただきたい」と謝罪した。https://news.yahoo.co.jp/articles/be7b7a22da6184f3d8fa7ceb97cca135fa031dbc2025/05/09 14:05:229.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo自民党の西田昌司参院議員は先ほど、自らの「ひめゆりの塔」をめぐる発言について「沖縄県民にお詫び申し上げる」と謝罪した上で発言を撤回する考えをあきらかにしました。https://news.yahoo.co.jp/articles/46b4e8e5673658e4399333157bfedf0996f127772025/05/09 14:05:3810.番組の途中ですが転載は禁止ですP61cq土下座くらいしたらどうなの?2025/05/09 14:06:2611.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo4.「慰安婦問題」「住民虐殺」に対する県の見解https://www.pref.okinawa.jp/heiwakichi/jinken/1008269/1008270/1008272/1008276.html住民犠牲の諸相沖縄戦の最大の特徴は、正規軍人より一般住民の犠牲者数がはるかに多かったことである。戦闘の激化に伴い、米英軍の無差別砲爆撃による犠牲のほか、日本軍による住民の殺害が各地で発生した。日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった。その他、食糧不足から住民の食糧を強奪したり、戦闘の足手まといを理由に、死を強要した。住民は逃げ場を失い、米軍に保護収容される者もいたが、食糧不足による餓死や追い込まれた住民同士の殺害などもおこり、まさに地獄の状況であった。2025/05/09 14:06:4912.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo日本軍による住民犠牲日本軍は、兵員、兵器、弾薬、食料などすべてが不足する中で沖縄戦に突入した。このため、食料・避難壕などの強奪や戦場での水汲み、弾薬運搬への動員などによる多くの犠牲を住民に強いた。さらにスパイ視による住民殺害など残忍な行為もあり、なかには投降の呼びかけや説得にきた住民を殺害した例もあった。2025/05/09 14:07:0013.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo壕追い出し自分たちの住む町や村が戦場となった住民にとって、壕や墓などが避難場所であった。しかし、出血持久作戦をとり首里から南部へ撤退してきた日本軍は、陣地として使用するという理由で、壕や墓などを強奪した。避難場所を追われた多くの住民は、砲弾が飛び交う戦場で犠牲となった。2025/05/09 14:07:1114.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVloスパイ視虐殺軍民雑居の戦場となった沖縄の日本軍は、住民から軍の機密が漏れるのを極度に恐れた。「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」という命令も出されていた。米軍の投降勧告ビラを持っていたり、投降を呼びかけてきた住民は非国民とみなされて、虐殺された例もあった。2025/05/09 14:07:2115.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo日本軍の強制による集団死日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。その背景には、「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義教育があった。2025/05/09 14:07:3216.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo食料強奪食料を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食料強奪が相次いだ。なけなしの食料を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった。さらに、食料の乏しい離島では、日本軍にすべての食料を管理され、住民は飢餓に苦しんだ。2025/05/09 14:07:4417.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo日本人は日本兵に殺された 地獄を体験、絞り出した言葉https://www.asahi.com/articles/ASN6N6SMBN6NTIPE00C.html那覇市の安元勝子さん(81)は40年以上、県外の若者らに沖縄戦の体験を語ってきた。家族と逃げ惑った沖縄本島北部の山中で、砲弾の破片に腹部をえぐられたこと。看護要員として日本軍に動員された姉が、米軍の火炎放射で変わり果てた姿になり、再会できた翌年に息を引き取ったこと。生きたくても生きられなかった多くの人たちのことを伝え、命の大切さを考えてほしかった。それでも長い間、詳しく語ることのできなかった記憶があった。沖縄の日本軍が壊滅状態となった1945年6月を過ぎてからだった。本島北部の山中にはなお、逃げ続ける日本兵や住民がいた。安元さんは米軍にとらえられた後、すでに収容所も出て、疎開先の集落に身を寄せていた。あるとき、地元出身の英語を話せる男性が、日本兵に追い回されて首を切り落とされたのを見た。別の日には、年配の男性が山に向かって、逃げている住民らに投降を呼びかけると、どこからか現れた日本兵に刺し殺された。2025/05/09 14:08:0318.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo<沖縄戦・渡野喜屋事件>「戦争は人を変える」住民虐殺 母の証言語り継ぐhttps://www.asiapress.org/apn/2021/06/japan/war/76年前の沖縄戦で、非戦闘員である住民は米軍だけでなく日本軍にも生命を脅かされた。壕追い出し、食料強奪、「自決」強要、虐殺――。1945年5月12日、沖縄県北部の大宜味村渡野喜屋(おおぎみそん・とのきや)で35人が日本軍に殺される事件が起きた。兵庫県尼崎市の仲村元一さん(76)は生後3か月で事件に遭遇、母、美代さん(2017年5月、99歳で死去)から「平和のバトン」を引き継ぎ「戦争は人間を残酷にする。だから、どんな戦争もしてはならない」と訴える。2025/05/09 14:08:4119.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo◆避難中、米軍に捕まった仲村さんの家族仲村さんは那覇市に生まれ育ち、高校卒業後、兵庫県で就職した。生家は理髪店で、祖父、仁王さんと父、元康さんが親子で営んでいた。44年10月、米軍が南西諸島全域を無差別爆撃した「十・十空襲」で店舗兼住宅は焼失。母の美代さんは大きなお腹を抱えて懸命に逃げ延び、45年2月、仲村さんを出産した。4月1日の米軍上陸直前、親族9人で本島北部(やんばる)へ避難。5月に入り東海岸の東村平良で米軍に捕まった。他の避難民とともにジープから降ろされた場所が西海岸の渡野喜屋(現在の白浜地区)だった。集落の住民は山中に避難しており、約90人が民家に分散して収容された。米軍は食料を配給するため、収容者の班長に当時57歳の祖父、仁王さんを指名した。2025/05/09 14:08:5420.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo◆「貴様ら、敵の捕虜になり下がりやがって」避難民を襲った日本兵たち事件が起きたのは渡野喜屋に着いて3日目の深夜だった。沖縄県史(1974年刊)に収録された美代さんの証言を中心に再現する。「友軍(日本軍)だ。開けろ」。約10人の日本兵が集落を襲撃した。「俺たちは山の中で何も食うものがないのに、お前たちはこんないいものを食っているのか」などと言い、仁王さんら約7人の男性を後ろ手に縛り連れ去った。女性や子供たちをロープで数珠つなぎにし、海岸に引っ立てて4列に座らせた。「班長の家族は前に出ろ」と命じられ、美代さんらは最前列に座った。「姉さん、みんな殺すのだろうか」「友軍だから大丈夫」。美代さんは隣り合わせた14歳の義弟とそんなやりとりをした。「貴様ら、敵の捕虜になり下がりやがって。それでも日本人か」と罵声が飛んだ。「1,2,3」という号令とともに、前に並んだ日本兵が手りゅう弾を投げこんだ。美代さんはとっさに身を伏せ「ねんねこ」を頭に被った。元一さんを抱えていたため捕縛を免れていた。手りゅう弾が頭上をかすめ、「ねんねこ」が裂けた。振り返ると、人々が声もなく倒れている。みなこと切れていた。朝、米軍が遺体を収容、けが人を病院に運んだ。米軍資料によれば死者35人、けが人15人。残りは別の収容先への移動が決まった。美代さんが民家に荷物を取りに戻ると、食料や毛布全てが持ち去られた後だった。隣の家では、40歳ぐらいの男性が柱に縛られたまま、喉を短刀で突き刺され死亡していた。仲村さんの親族は4人が亡くなり、祖父、仁王さんは帰ってこなかった。2025/05/09 14:09:1321.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo◆食料奪いスパイ視沖縄県史(2017年刊)によると、事件を起こしたのは「国頭支隊通信隊の東郷少尉を隊長とする班」だという。国頭支隊は北部の守備に当たった独立混成第44旅団第2歩兵隊で、支隊長の宇土武彦大佐の名から宇土部隊と呼ばれた。沖縄本島に上陸した米軍は北部方面にも進攻、国頭支隊は拠点とする本部半島を約2週間で制圧され、敗走した。沖縄県史は事件に関わった元通信兵の手記(1975年刊)を引き、「『各小隊あるいは分隊ごとの小人数に分かれ、自活しながら遊撃戦を展開』するようにと宇土支隊長から指示され、避難民や住民の食料を強奪しながら山中に潜伏していた」と記している。避難民は仲村さんたちのような中南部の人々だ。45年2月、県が軍の指示で決定した中南部の老幼婦女子10万人を対象にした北部疎開。しかし食料不足は深刻で、栄養失調やマラリアなどで命を落とす人が続出。そこが敗残兵と同居する戦場になった。米軍は敗残兵を掃討するとともに民間人の保護を進めた。一方、米軍に保護されたり、協力者と見なされたりした民間人が日本軍にスパイ扱いされ殺される事件が多発した。渡野喜屋事件も「大量の食料を支給されている」「日本軍の動向を通報している」としてスパイ視したという。元通信兵の手記によれば、集落を偵察した兵士2人が米軍に捕まったため、「復讐」として「襲撃し、スパイを逮捕」する計画だった。捕まった2人は事件後、無事に戻ってきたという。祖父、仁王さんに何が起きたかも記されていた。尋問の末、首を切り落とされたという。元通信兵は80年、美代さんを訪問し、現地への道案内を申し出た。仲村さんも98年、初めてその場で祖父らに手を合わせた。「その通信兵もそうですが、一人ひとりはみないい人であっても、戦争は人を変えるのです」2025/05/09 14:09:2922.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo久米島守備隊住民虐殺事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E5%B3%B6%E5%AE%88%E5%82%99%E9%9A%8A%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6久米島守備隊住民虐殺事件(くめじましゅびたいじゅうみんぎゃくさつじけん)は、太平洋戦争時における沖縄戦の最中から終戦後に発生した、日本海軍守備隊による同島民の大量虐殺事件。久米島事件とも呼ばれる。当時の責任者だった日本海軍通信隊の分遣隊の隊長であった鹿山正海軍兵曹長(事件当時32歳)は、戦後の1972年(昭和47年)にサンデー毎日のインタビューに応じ、処刑の事実を認める一方で、日本軍人として正当な行為であったと自らの正当性を主張した。当時、久米島具志川村の村長であった濱川昌俊が残した日誌によれば、前任の分遣隊長と島民との間には和やかな交流があったが、鹿山兵曹長が隊長として赴任すると隊と島民との関係が一変。島民との間に壁を作り、一下士官でありながら、部隊長気取りで自らを神聖化し、隊員はじめ島民に対しても絶対服従を強いた。村長である濱川には一目置いていたが、村吏員に対しては聞く耳をかすどころではなかったという。なお、鹿山兵曹長は住民だけでなく、沖縄本島から脱出してきた日本兵に対しても「戦線離脱」を理由に処刑を命じていたようである。大島幸夫著の『沖縄の日本軍』(新泉社刊)によれば、一家を殺害した理由について鹿山は、朝鮮人一般の反日的傾向から「こやつも将来日本を売ることになる」と危惧し、その旨を住民に説明した。先のサンデー毎日のインタビューでは、「スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければアメリカ軍にやられるより先に島民にやられてしまう」とも語っていて、自らの行為の挙句に住民へ恐怖心を持ち、そこから来る自己都合的な動機であった節ものぞかせている。2025/05/09 14:10:3923.番組の途中ですが転載は禁止ですKPVlo歴史修正主義者はこんなに弱いのになぜムダにイキるの?2025/05/09 14:15:2824.番組の途中ですが転載は禁止ですP61cq>>23ヘタレがイキるのに国家を持ち出せば、おkって、薄っぺらーい考えによるもの2025/05/09 14:18:3525.番組の途中ですが転載は禁止ですjOKvY公明党に怒られたからだろださっっっっっっっっっっっっっ2025/05/09 14:26:0126.番組の途中ですが転載は禁止ですc3KF5この発言を撤回の陳謝に安倍さん激怒したらしいな2025/05/09 14:37:0427.ケモクラシーAQB7P _ / \―。 ( / \_ / / ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ...―/ _) < 陳陳 謝ッ! 謝ッ! 謝ッ! ノ:::へ_ __ / \_____ |/-=o=- \/_ /::::::ヽ―ヽ -=o=-_(::::::::.ヽ |○/ 。 /::::::::: (:::::::::::::) |::::人__人:::::○ ヽ/ ヽ __ \ / \ | .::::/.| / \lヽ::::ノ丿 / しw/ノ___-イ ∪2025/05/09 15:40:0828.番組の途中ですが転載は禁止です70ezp>>26安倍さんは安倍派と戦ってたからな2025/05/09 16:26:3429.番組の途中ですが転載は禁止ですDh5LZ>>27なんで石破さんが謝るの2025/05/09 16:31:5130.番組の途中ですが転載は禁止ですRyho8国母「チッ、うっせーな西田」2025/05/09 17:52:4231.番組の途中ですが転載は禁止ですTswFV壕に籠もる民間人を守るために戦うどころか壕から追い出して軍人が奥に籠もってたからな日本軍って存在価値ねぇだろ2025/05/09 17:55:1132.番組の途中ですが転載は禁止ですETWieよくわからん経緯の報道はもういいから、何を陳謝したのかを丁寧に書いてほしいよ何をどう勘違いして、何て言った部分を撤回したのかそういう文脈じゃなかった事を認めたのか、それとも単に誤解を招いたといって謝っているのか2025/05/09 18:01:2633.番組の途中ですが転載は禁止ですeMam7>>23「8割が大陸から」発言を否定した高市早苗氏 記者会見の一問一答2022/10/07 — ――2日に名古屋市内で開かれた日本会議の会合で、大臣が「国葬反対の書きこみの8割は隣の大陸からだった」という趣旨の発言をしたhttps://www.asahi.com/sp/articles/ASQB73JZYQB7UTFK009.html?iref=sp_extlink日本の保守を名乗る人達の芸風自民党から維新からN国まで「嫌がらせ」に熱狂的になるから適当な事ばかり言って受けを狙う産経新聞まで含めてそうした架空のお話を仲間内でやっているうちにその話を事実だと自分達で信じて架空の話だったはずが異常に敵意を燃やし始める2025/05/09 18:13:5934.番組の途中ですが転載は禁止ですjOKvY>>32鳩山氏は「西田昌司参議院議員のひめゆりの塔の説明に対する発言について、昨夜彼と電話で話した。」と切り出し、「彼は本日発言を撤回すると述べた。」と、西田氏が会見を開く以前の午前10時32分時点のポストで予告した。 さらに、鳩山氏は「20年以上前にひめゆりの塔を訪れたときの印象を思い出して述べたようだが、印象が正しくなかったということのようだ。」と西田氏の弁明を明かし、「過ちては改むるに憚ること勿れ。」と本人に呼び掛けた。2025/05/09 18:33:5735.番組の途中ですが転載は禁止です[]8564G>>12>日本軍は、兵員、兵器、弾薬、食料などすべてが不足する中で沖縄戦に突入した。軽便鉄道で運んでる大量の燃料弾薬を兵隊のタバコで吹き飛ばして事故そのものを隠蔽したって事もあったなこれで計画がくるったとか2025/05/09 18:37:3236.番組の途中ですが転載は禁止です181X9>>35よし!2025/05/09 20:30:04
塔を含むひめゆり平和祈念資料館は、米軍の肯定など西田氏が言及した展示説明は「過去にもしていない」と明言している。
与野党から非難が相次いでいるが、西田氏は撤回を拒否していた。
西田氏は会見で、「丁寧な説明なくしてひめゆりの塔のことを持ち出したことは不適切に感じた。そのことにお詫びを申し上げ、発言を訂正、削除する。県民にとって大きなトラウマ。県民の方々の心に思いがいたらなかったことが問題」と話した。
同館は、女学生ら200人以上が傷病兵の看護要員として軍に動員され、136人が亡くなった戦場での悲惨な経験を生存者の証言などで克明に伝えている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/657840e9ec54c70c1b41f3665958b6b7c4fed891
西田氏は3日に那覇市で開かれたシンポジウムで「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そしてアメリカが入ってきて、沖縄が解放されたと、そういう文脈で書いてるじゃないですか。亡くなった方々は、本当に救われませんよ」などと発言した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/29fc723164e7027b503502480a93d4ae530c6c14
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf21b21a4cade5edf6dd24d5f8eb7c3ccd40b03f
西田議員は沖縄の知人に頼んでひめゆり平和祈念資料館で事実関係を確かめたところ、発言した内容の趣旨の展示がなかったことが分かったとした上で、「丁寧な説明なしにひめゆりの塔を持ち出して話したこと自体が沖縄県民の心に傷を負わせてしまったと痛切に感じる」として謝罪し、発言を訂正すると述べた。
西田議員は3日、那覇市の講演でひめゆりの塔の説明について「日本軍が入ってきてひめゆり隊が死ぬことになった。アメリカが入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いている。歴史の書き換えだ」などと発言。
西田議員はその後「発言で県民や関係者を傷つけたという報道は切り取られた記事」だと述べ、撤回する意図はないとしていた。
西田議員は今後、ひめゆりの塔やひめゆり平和祈念資料館に足を運びたいとしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/517ceb8da8412983a7171a618d9e7a9eb12519a9
国会内で記者団に語った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0d491ba26eadd3a4dff3cbf4a1157638c1cdc928
また「発言したところは訂正・削除させていただきたいと思います」と発言を撤回する意向を示しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/72603b2b05e0511cad3c69dcab3d97aa8485ee88
自民党の西田昌司参議院議員は、5月3日、那覇市での講演で、ひめゆりの塔の沖縄戦に関する記述について、
「日本軍が入ってきてひめゆり隊が死ぬことになった」
「アメリカが入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いている」
「歴史の書き換えだ」
などと発言しました。
ひめゆりの塔は、80年前の沖縄戦で犠牲になった「ひめゆり学徒隊」と教師を悼む慰霊碑で、資料館と合わせ、戦争の悲惨さを象徴する場所です。
資料館の普天間朝佳館長は、「これまでの展示や体験者の証言の中に、西田議員が言っていたような記述や表現は一切ない」と断言していました。
【ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長】「本当に強く言えば冒涜をするものだと思います。生き残った仲間たちを集めて、お互いに戦争体験を聞き取りをして、本当に血のにじむような思いで取り組んできて、その後の資料館の展示のベースになっている」
西田議員は、7日午後会見を開き、「発言は、憲法改正の前提として、アメリカの占領政策を説明する趣旨」だったと説明しました。
【自民党 西田昌司参議院議員】「日本軍が入ってきて戦争が始まり、アメリカが入ってきて戦争が終わり平和になった。そういう文脈、私が感じたのは。そういう文脈では、沖縄の方々は救われないのではないかと」
西田議員は、展示を資料館の近くの洞窟で見た、強く印象に残っているとした上で、「意図と無関係に発言が切り取られている、非常に遺憾」と説明しました。
西田氏は発言に対する批判を受け、県内にいる知人に依頼し、改めて事実関係を調べたと説明。
ひめゆりの塔について「県民の皆さまにとって本当に耐え難い、大きな苦しみの歴史、大きなトラウマとなっていることを改めて痛切に感じた」と話し、「丁寧な説明なしにひめゆりの塔の名前を出して講演したこと自体、非常に不適切だった」と強調。
「沖縄県民、ひめゆりの塔の関係者の皆さまにお詫び申し上げ、発言を訂正し削除させていただきたい」と謝罪した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be7b7a22da6184f3d8fa7ceb97cca135fa031dbc
https://news.yahoo.co.jp/articles/46b4e8e5673658e4399333157bfedf0996f12777
https://www.pref.okinawa.jp/heiwakichi/jinken/1008269/1008270/1008272/1008276.html
住民犠牲の諸相
沖縄戦の最大の特徴は、正規軍人より一般住民の犠牲者数がはるかに多かったことである。
戦闘の激化に伴い、米英軍の無差別砲爆撃による犠牲のほか、日本軍による住民の殺害が各地で発生した。
日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった。
その他、食糧不足から住民の食糧を強奪したり、戦闘の足手まといを理由に、死を強要した。
住民は逃げ場を失い、米軍に保護収容される者もいたが、食糧不足による餓死や追い込まれた住民同士の殺害などもおこり、まさに地獄の状況であった。
日本軍は、兵員、兵器、弾薬、食料などすべてが不足する中で沖縄戦に突入した。
このため、食料・避難壕などの強奪や戦場での水汲み、弾薬運搬への動員などによる多くの犠牲を住民に強いた。
さらにスパイ視による住民殺害など残忍な行為もあり、なかには投降の呼びかけや説得にきた住民を殺害した例もあった。
自分たちの住む町や村が戦場となった住民にとって、壕や墓などが避難場所であった。
しかし、出血持久作戦をとり首里から南部へ撤退してきた日本軍は、陣地として使用するという理由で、壕や墓などを強奪した。
避難場所を追われた多くの住民は、砲弾が飛び交う戦場で犠牲となった。
軍民雑居の戦場となった沖縄の日本軍は、住民から軍の機密が漏れるのを極度に恐れた。
「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」という命令も出されていた。
米軍の投降勧告ビラを持っていたり、投降を呼びかけてきた住民は非国民とみなされて、虐殺された例もあった。
日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。
住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。
迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。
その背景には、「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義教育があった。
食料を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食料強奪が相次いだ。
なけなしの食料を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった。
さらに、食料の乏しい離島では、日本軍にすべての食料を管理され、住民は飢餓に苦しんだ。
https://www.asahi.com/articles/ASN6N6SMBN6NTIPE00C.html
那覇市の安元勝子さん(81)は40年以上、県外の若者らに沖縄戦の体験を語ってきた。
家族と逃げ惑った沖縄本島北部の山中で、砲弾の破片に腹部をえぐられたこと。看
護要員として日本軍に動員された姉が、米軍の火炎放射で変わり果てた姿になり、再会できた翌年に息を引き取ったこと。
生きたくても生きられなかった多くの人たちのことを伝え、命の大切さを考えてほしかった。
それでも長い間、詳しく語ることのできなかった記憶があった。
沖縄の日本軍が壊滅状態となった1945年6月を過ぎてからだった。
本島北部の山中にはなお、逃げ続ける日本兵や住民がいた。
安元さんは米軍にとらえられた後、すでに収容所も出て、疎開先の集落に身を寄せていた。
あるとき、地元出身の英語を話せる男性が、日本兵に追い回されて首を切り落とされたのを見た。
別の日には、年配の男性が山に向かって、逃げている住民らに投降を呼びかけると、どこからか現れた日本兵に刺し殺された。
https://www.asiapress.org/apn/2021/06/japan/war/
76年前の沖縄戦で、非戦闘員である住民は米軍だけでなく日本軍にも生命を脅かされた。
壕追い出し、食料強奪、「自決」強要、虐殺――。
1945年5月12日、沖縄県北部の大宜味村渡野喜屋(おおぎみそん・とのきや)で35人が日本軍に殺される事件が起きた。
兵庫県尼崎市の仲村元一さん(76)は生後3か月で事件に遭遇、母、美代さん(2017年5月、99歳で死去)から「平和のバトン」を引き継ぎ「戦争は人間を残酷にする。だから、どんな戦争もしてはならない」と訴える。
仲村さんは那覇市に生まれ育ち、高校卒業後、兵庫県で就職した。
生家は理髪店で、祖父、仁王さんと父、元康さんが親子で営んでいた。
44年10月、米軍が南西諸島全域を無差別爆撃した「十・十空襲」で店舗兼住宅は焼失。
母の美代さんは大きなお腹を抱えて懸命に逃げ延び、45年2月、仲村さんを出産した。
4月1日の米軍上陸直前、親族9人で本島北部(やんばる)へ避難。5月に入り東海岸の東村平良で米軍に捕まった。
他の避難民とともにジープから降ろされた場所が西海岸の渡野喜屋(現在の白浜地区)だった。
集落の住民は山中に避難しており、約90人が民家に分散して収容された。
米軍は食料を配給するため、収容者の班長に当時57歳の祖父、仁王さんを指名した。
事件が起きたのは渡野喜屋に着いて3日目の深夜だった。
沖縄県史(1974年刊)に収録された美代さんの証言を中心に再現する。
「友軍(日本軍)だ。開けろ」。
約10人の日本兵が集落を襲撃した。
「俺たちは山の中で何も食うものがないのに、お前たちはこんないいものを食っているのか」
などと言い、仁王さんら約7人の男性を後ろ手に縛り連れ去った。
女性や子供たちをロープで数珠つなぎにし、海岸に引っ立てて4列に座らせた。
「班長の家族は前に出ろ」
と命じられ、美代さんらは最前列に座った。
「姉さん、みんな殺すのだろうか」
「友軍だから大丈夫」。
美代さんは隣り合わせた14歳の義弟とそんなやりとりをした。
「貴様ら、敵の捕虜になり下がりやがって。それでも日本人か」
と罵声が飛んだ。
「1,2,3」
という号令とともに、前に並んだ日本兵が手りゅう弾を投げこんだ。
美代さんはとっさに身を伏せ「ねんねこ」を頭に被った。
元一さんを抱えていたため捕縛を免れていた。手りゅう弾が頭上をかすめ、「ねんねこ」が裂けた。
振り返ると、人々が声もなく倒れている。
みなこと切れていた。
朝、米軍が遺体を収容、けが人を病院に運んだ。
米軍資料によれば死者35人、けが人15人。残りは別の収容先への移動が決まった。
美代さんが民家に荷物を取りに戻ると、食料や毛布全てが持ち去られた後だった。
隣の家では、40歳ぐらいの男性が柱に縛られたまま、喉を短刀で突き刺され死亡していた。
仲村さんの親族は4人が亡くなり、祖父、仁王さんは帰ってこなかった。
沖縄県史(2017年刊)によると、事件を起こしたのは「国頭支隊通信隊の東郷少尉を隊長とする班」だという。
国頭支隊は北部の守備に当たった独立混成第44旅団第2歩兵隊で、支隊長の宇土武彦大佐の名から宇土部隊と呼ばれた。
沖縄本島に上陸した米軍は北部方面にも進攻、国頭支隊は拠点とする本部半島を約2週間で制圧され、敗走した。
沖縄県史は事件に関わった元通信兵の手記(1975年刊)を引き、「『各小隊あるいは分隊ごとの小人数に分かれ、自活しながら遊撃戦を展開』するようにと宇土支隊長から指示され、避難民や住民の食料を強奪しながら山中に潜伏していた」と記している。
避難民は仲村さんたちのような中南部の人々だ。
45年2月、県が軍の指示で決定した中南部の老幼婦女子10万人を対象にした北部疎開。
しかし食料不足は深刻で、栄養失調やマラリアなどで命を落とす人が続出。そこが敗残兵と同居する戦場になった。
米軍は敗残兵を掃討するとともに民間人の保護を進めた。
一方、米軍に保護されたり、協力者と見なされたりした民間人が日本軍にスパイ扱いされ殺される事件が多発した。
渡野喜屋事件も「大量の食料を支給されている」「日本軍の動向を通報している」としてスパイ視したという。
元通信兵の手記によれば、集落を偵察した兵士2人が米軍に捕まったため、「復讐」として「襲撃し、スパイを逮捕」する計画だった。
捕まった2人は事件後、無事に戻ってきたという。
祖父、仁王さんに何が起きたかも記されていた。
尋問の末、首を切り落とされたという。
元通信兵は80年、美代さんを訪問し、現地への道案内を申し出た。
仲村さんも98年、初めてその場で祖父らに手を合わせた。
「その通信兵もそうですが、一人ひとりはみないい人であっても、戦争は人を変えるのです」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E5%B3%B6%E5%AE%88%E5%82%99%E9%9A%8A%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
久米島守備隊住民虐殺事件(くめじましゅびたいじゅうみんぎゃくさつじけん)は、太平洋戦争時における沖縄戦の最中から終戦後に発生した、日本海軍守備隊による同島民の大量虐殺事件。久米島事件とも呼ばれる。
当時の責任者だった日本海軍通信隊の分遣隊の隊長であった鹿山正海軍兵曹長(事件当時32歳)は、戦後の1972年(昭和47年)にサンデー毎日のインタビューに応じ、処刑の事実を認める一方で、日本軍人として正当な行為であったと自らの正当性を主張した。
当時、久米島具志川村の村長であった濱川昌俊が残した日誌によれば、前任の分遣隊長と島民との間には和やかな交流があったが、鹿山兵曹長が隊長として赴任すると隊と島民との関係が一変。島民との間に壁を作り、一下士官でありながら、部隊長気取りで自らを神聖化し、隊員はじめ島民に対しても絶対服従を強いた。村長である濱川には一目置いていたが、村吏員に対しては聞く耳をかすどころではなかったという。なお、鹿山兵曹長は住民だけでなく、沖縄本島から脱出してきた日本兵に対しても「戦線離脱」を理由に処刑を命じていたようである。
大島幸夫著の『沖縄の日本軍』(新泉社刊)によれば、一家を殺害した理由について鹿山は、朝鮮人一般の反日的傾向から「こやつも将来日本を売ることになる」と危惧し、その旨を住民に説明した。
先のサンデー毎日のインタビューでは、「スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければアメリカ軍にやられるより先に島民にやられてしまう」とも語っていて、自らの行為の挙句に住民へ恐怖心を持ち、そこから来る自己都合的な動機であった節ものぞかせている。
ヘタレがイキるのに国家を持ち出せば、おk
って、薄っぺらーい考えによるもの
ださっっっっっっっっっっっっっ
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...―/ _) < 陳陳 謝ッ! 謝ッ! 謝ッ!
ノ:::へ_ __ / \_____
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しw/ノ___-イ
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安倍さんは安倍派と戦ってたからな
なんで石破さんが謝るの
壕から追い出して軍人が奥に籠もってたからな
日本軍って存在価値ねぇだろ
経緯の報道はもういいから、何を陳謝したのかを丁寧に書いてほしいよ
何をどう勘違いして、何て言った部分を撤回したのか
そういう文脈じゃなかった事を認めたのか、それとも単に誤解を招いたといって謝っているのか
「8割が大陸から」発言を否定した高市早苗氏 記者会見の一問一答
2022/10/07 — ――2日に名古屋市内で開かれた日本会議の会合で、大臣が「国葬反対の書きこみの8割は隣の大陸からだった」という趣旨の発言をした
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQB73JZYQB7UTFK009.html?iref=sp_extlink
日本の保守を名乗る人達の芸風
自民党から維新からN国まで「嫌がらせ」に熱狂的になるから適当な事ばかり言って受けを狙う
産経新聞まで含めてそうした架空のお話を仲間内でやっているうちにその話を事実だと自分達で信じて架空の話だったはずが異常に敵意を燃やし始める
鳩山氏は「西田昌司参議院議員のひめゆりの塔の説明に対する発言について、昨夜彼と電話で話した。」と切り出し、「彼は本日発言を撤回すると述べた。」と、西田氏が会見を開く以前の午前10時32分時点のポストで予告した。
さらに、鳩山氏は「20年以上前にひめゆりの塔を訪れたときの印象を思い出して述べたようだが、印象が正しくなかったということのようだ。」と西田氏の弁明を明かし、「過ちては改むるに憚ること勿れ。」と本人に呼び掛けた。
>日本軍は、兵員、兵器、弾薬、食料などすべてが不足する中で沖縄戦に突入した。
軽便鉄道で運んでる大量の燃料弾薬を兵隊のタバコで吹き飛ばして事故そのものを隠蔽したって事もあったな
これで計画がくるったとか
よし!